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[29581] あずさが通る!
Name: antipas group◆e7e7618c ID:f11eb473
Date: 2011/09/05 18:41
あらすじ

人間観察が趣味というヘンな女の子、倉下梓に巻き込まれていく人々の数奇なストーリー。九州の片田舎は熊本県を舞台にして、無意味に繰り広げられる心理話。人なら誰しも考える…心の中の深いところにある不思議なコト、哲学的なコト、小難しいコトを残さず解き明かせっ!!


この小説は「小説家になろう」にも投稿されています。



[29581] 人間観察 編 vol.01
Name: antipas group◆e7e7618c ID:5d6e17dd
Date: 2011/09/03 20:00
人間観察 編



 高川千佳はいつも僕を無邪気な目で見てこう言う。

「なぁなぁ、なんか面白い話してー」

「もうなにもネタがない。どれだけ話させりゃ気が済むんだよ」

「だって、緒山の話はいつも面白いんだもん」

彼女は僕が誕生日にあげたピンクのスヌーピーのキャップを振って、宙を見ながらそう言った。

「帽子ありがと。着こなしが難しそうだけど」

「おう。昔同じ帽子を被ってるいい女がいてな。たまたま同じなのが売ってあったから、買ってきたんだよ。そいつは上手く着こなしてたよ」

「…は?」

彼女は一瞬だけ不機嫌な顔を見せると、すぐにニンマリな笑顔を取り戻しこう言った。

「じゃあその女の話聞かせて」

しまった、と思いつつももうすでに諦めている自分がいる。

なんたってこの高川ときたら、一度自分が興味を示した話は、なんとしてでも聞こうとするからだ。溜息をつきながら、

「話長い上にオチもないし、第一つまらないぜ」

と言う。そんなことはお構いなしに、彼女が目をキラキラさせて、大きくウンウンと頷くのもいつものことだった。


 昔、僕がまだ浪人してた時の事だ。予備校はたいてい駅の近くにある。僕が通う予備校は放任主義だったので、みながマイペースで勉強する。当然、ほとんどの人は予備校に行かず、近くの駅とその周辺のお店やゲームセンター、ファーストフード店や本屋さん、駅周辺に置いてあるベンチなど…いくらでもある人が居付きそうな場所で遊ぶことになる。


 「あかんやん」

即座に高川が突っ込みを入れる。

「でもまぁそんなものなんだよ。帰ってから勉強するんだわ」

「予備校の意味ないやん」

「もちろんたまには行くけどね。そんでな…」


 四月。JR熊本駅は、田舎の駅とはいえ県庁所在地、人通りは多い。二浪目が決定した春、いつものようにバカメンバーが群がる。全員が予備校の初日の講義登録に来た人間だ。実はほぼ全員が、そこそこ頭がいい。しかし、医大や有名国立・有名私大狙いの人間は現役時や一浪目の時に受かった大学を馬鹿にして、もう一年頑張ればもっといい所にいけるはずだ…と考えて、もう一年勉強する選択肢を選ぶのだ。もちろん予備校周辺で遊ぶライフスタイルが居心地いいから…という理由が全く無いわけではない。今が面白い上に、未来にも希望が溢れているから、この選択肢が最良のものだと考えるのであった。

 僕が通っていた予備校は超大手だから、県内各地から人が来る。予備校において、そこには学年というものは無い。先輩も後輩も同じ授業を受けることになる。高校は別でも、小学校や中学校の時の同級生、高校の時に一度きり遊んだだけの余所の学校の人、話にだけは聞いていた友人の友人…など、本人も予想だにしていない出会いや再開も少なくない。

 四月も半ばを過ぎて、大学に受かって抜けていった二浪の代のメンバーを、新しく入った一浪の代のメンバーが補充し、グループが形成される。紹介に紹介を重ねて誰かの友人、誰かの知り合いという伝手があって、普段つるむグループが出来上がる。そうして少しずつ対人関係がこなれていくのである。

 彼女を初めて見たのはそんな時…春の時期だった。

 駅に隣接するゲームセンターの二階には大きな窓があり、そこから駅前すべてを展望できるのだが、最近いつも駅のど真ん前の植え込みを背にして座っている女の子がいる。しかも可愛い…ということがグループの中で話題になっていた。年のころは同じくらいで、可愛いだけでなく、ファッションが奇抜なので、とにかく目立つ。茶髪の「ち」の字もないほどの透き通るような黒髪で、全くクセのないストレート、長さはセミショート。目はとても大きく、口は小さい、背丈は百六十センチくらいで、細身で色白、胸はそれほど無かった。


 「お前は巨乳が好きなのか?」

「別にどっちでもいい。胸の大きさで女性を判断したりはしない」

高川はホッとした表情で胸を撫で下ろす。わかりやすい奴…。


 ファッションは毎日くるくると変わる。ほっそりしたジーンズ、綿パンの時もあれば、スカートは丈が長い時も短い時もある。同じ服を着てるのを見ることはないってくらい、服装は毎日変わる。奇抜でお洒落、とにかくルックスで目立っていた。


 「同じ服着てるの、見たことないってのはお前も同じだが…」

高川を見ながら言う。高川は、自慢げな表情をしてフフンと鼻を鳴らす。彼女も異常なほどの衣装持ちだった。しかし、高川とその女の違う点、それはその女の方がジャンル・バラエティに飛んでいるという点である。普通ファッションには、その人のセンスや好みが出るものだ。高川だと、一発でこういうファッションが好きなんだな、とわかる。服は変われども高川のセンスで統一されているからだ。しかし、その女の毎日の服装からは、ファッションセンスは感じられるものの、あまりにもジャンルが飛びすぎていて…なんというか、異常だった。

 そんな中でも、いつも身につけているものもあった。カバン…赤い皮のランドセルや黒い編み上げブーツがそうである。これらはさすがに毎日とは言わないが、かなり高い確率でいつも身につけていた。赤いランドセルといっても、もちろん小学生が持つようなものではなく、ちゃんと大人用にデザインされたブランド物だったのだが…今までの人生の中でも、その女以外が身につけているのを見たことがないほど…稀少奇抜であった。彼女は名前を知られるまで「赤いランドセルの女」と皆から呼ばれていた。このことからも誰の目から見てもランドセルが一際目立ったパーツであったことがわかる。

 しかし、面白いというか…解せないのはルックスだけではない。赤いランドセルの女は一日中、駅前の植え込みのそばにしゃがみこんで、駅前を通る大勢の人々を見ている。じっと見ているのだった。誰かを待っている様子でもなければ、誰かを探している様子でもない。ただ見てるだけである。その姿をゲームセンターの二階から見ている僕らは、まったくもって何をしているのか予測することもできず、

「あのコは一体毎日毎日何をしてるんだろう?」

「なんであんなにコロコロ服装を変えるんだろう?」

「でも本当に可愛いなぁ、名前はなんだろう?」

・・などと、いろんな意味で注目の的になった。


 ゴールデンウィークも過ぎた五月の半ばあたり、いつも通り、好きな講義に顔を出したあとは、たまにはいいかと自習室に行き、そこそこの時間勉強した。退室して廊下に行って、連絡事項や成績上位者が張り出される掲示板を、何の気もなしに見てると…自習室で一緒になって連れ立っていた平沼君という一浪のメンバーがこう言った。

「こいつらは一日どれくらい勉強してるんだろうな…。家森君も入ってるわ。彼…全然勉強してないのに」

 笑いながら、少々嫌味ったらしくそう言う。家森君というのは、二浪メンバーとして予備校に在籍しているのに、ほとんど講義にも、その周辺の溜まり場にも顔を出さず、普段何をしているのかわからないという…メンバーの中でもなかなかレアな人だった。ラ・サール高校という国内でも上から数えて何番目という、超成績優秀進学校の落ちこぼれであった彼は、医学部狙いのため、少々成績上位者リストに貼り出される位では志望大学には受からない。

「腐ってもラ・サールだよな。高校で落ちこぼれて毎日遊び呆けててもセンターで七百取ってくるからなぁ…」

 あまり意味のない会話だな、と思って予備校を出ようと階段の方を向く。…目を疑う光景がそこにあった。赤いランドセルの女が、予備校の廊下を歩いてこっちに向かってくるのだった。




[29581] 人間観察 編 vol.02
Name: antipas group◆e7e7618c ID:d4e3b06c
Date: 2011/09/04 18:30
 本日の服装は、真っ白でフリフリが付いた少々ゴシックな感じのシャツに、黒いヴィジュアル系アーティストのようなロングスカート、黒の編み上げブーツと赤いランドセルはデフォルトのままで、今日はゴスロリ風の服装だろうか。まるで人形のようだった。漆黒でまっすぐのストレートの髪も合わせて様になっている。一瞬戸惑いながらも…話しかけるわけにもいかず、擦れ違うしかないと思った瞬間、また一つ驚くことが起きた。

「倉下じゃん。久しぶり、元気!??」

平沼君が、普通に赤いランドセルの女に話しかけるのである。あれあれ?と軽く動転しつつも平静を装い、その場に第三者としていようとすると、彼女は僕をチラッ見たあと、平沼君の言葉に、

「元気元気!沼ちゃんも元気そうじゃん!また一緒だね!あ、その髪型かっこいいねー」

と、かなりテンション高めの大声で返答した。

 植え込みのそばでしゃがんで、…どちらかというと暗めの表情で、そこを行く人を見続ける彼女からは、まるで想像できない言動だった。しかし、彼女が浪人生で同じ予備校生だったとは…まったく知らなかった。灯台下暗しとはよく言ったもんだ。全然予想できなかったなぁ…などと考えていると、

「最近どう?」

とか、

「ちゃんと勉強してる?」

とか、

「高校の時の友達と会ってる?」

など、差し障りのない会話を済ませた彼女は、平沼君にこう言った。

「この人、新しいお友達?早く紹介してよ」

赤いランドセルの女は、こっちを見てニコニコしながら、まだかまだかという感じで、頭を左右に小刻みに揺らしている。

「おぅおぅ、紹介するよ。こっちは緒山先輩。三巻先輩を通して予備校で知り合ったんだ。緒山君、こっちは倉下、高校の時の同級生で俺と同じ一浪」

「倉下梓です。よろしく」

と右手を差し出す。

イメージの違いからか、展開の早さからか、少々戸惑いながらも、

「よろしく」

と言うと、彼女は、笑ったまま、

「握手わぁ~~?」

と言い、こちらの手をつかんでブンブンと上下に振った。さらに戸惑いながらも…、

「はは、面白い人だ」

と笑って、なんとかコメントすると、彼女は、

「そうでしょう!わたし面白いの」

と、ニコニコしながら、

「面白い人だけど、今日は勉強すんの!二人ともまたね!」

と言って、自習室のほうへ歩いていった。

「変な女でしょ?」

笑いながら平沼君が言った。

「だなぁ、同級生だっけ?」

と、少々興味があったし、もう少し彼女の情報が欲しいと思った僕は、平沼君に話をさせようとさりげなく話題を振る。

「うん、中学も一緒。高校なんて三年間同じクラスだった。物怖じしないっていうか、男になら誰に対してもあんな感じで親しくしてさ、まったく人見知りなく話しかけるんだよね。でも女子からは…女子とはほとんど話しないからすげー嫌われてたわ。ま、でも当の本人はそんなの気にもしてないって感じだったけど」

「へぇ、ファッションは奇抜だけど可愛いじゃん。そんであの人なつっこい性格だったら、モテるでしょ?」

「中学や高校の時は制服しか見たことなかったから知らなかったけど…あいつ、ファッションもイってるねぇ…ていうか、緒山君ひょっとして惚れた?」

笑いながら彼はそう言う。そして、

「でもあの娘はやめといた方がいいよー、趣味もやばいからねぇ」

と続けた。

「別に惚れてはいないけど、趣味がやばいって??」

「そう、人間観察」

「ん??」

「だから趣味が人間観察」

「??…人間観察ってなに?」

「言葉そのまんまだよ。人を観察して、その人が何考えているかとかを予想して楽しむんだってさ。俺には全然理解できないんだけど、本人曰く最高に楽しいらしいよ」

「…なんだそれ。初めて聞いた」

「だしょ。だから変わった女だって言ってるじゃん」

 …そうか、じゃあ朝から夕方まで、駅前の植え込みにいたのはそのためだったのか。確かにここ、JR熊本駅は県内で最も多種多様な人々が行き交う場所のうちの一つだと言える。JR熊本駅は電車の乗り場だけではない。バスやタクシー、路面電車の乗り場も隣接している交通機関のターミナルだ。老若男女問わず、地元の人も外の人も、学生も社会人も、日本人も外国人も、みんなが利用して、様々な人がごった返す。人を観察するのならうってつけの場所だな、と思った。

「人間観察ねぇ…」


「なにそれ。この話、昔のあんたの女の自慢話になるわけ?人間観察とか意味わからん」

高川は一気に不機嫌な様相になり、そっぽを向きながらブツブツと言う。どこにも自慢はないでしょうが。と思いつつも、一応断りを入れる。

「結末その一、僕と梓は付き合ってない。付き合ってないどころか、デートすら一度もしてない」

「結末その二、梓とは何年も連絡を取ってない。今後会うこともないだろう」

こうして、結末を部分的にバラしておくと、人は最後まで話を聞きたがるものだ。僕に何かしらの好意を抱いていることから出るのだろう、高川の嫉妬の気持ちも、今は梓とは何の関係もないという安心感で抑えられる。高川は気持ちがすぐに表情や態度に出る。無邪気でとてもわかりやすい。案の定、

「ま、聞くまでもなくわかってたけど。あんたがそんなにモテるわけないもんね」

と、セリフとは正反対に、ホッと安心した表情になる。

「まぁそんな話だよ。その女…梓がその帽子を被ってたのさ」

「うえぇ~~そんな気持ち悪い女が付けてた変な帽子なんていりませんーー」

などと、憎まれ口を叩きながらも帽子を手放す様子は無い。本当にわかりやすい。梓とは正反対だ。…これで話を切り上げて帰りたいと思ったのだが。

「はよ続き話せ」

「……」

やはりこうなる。これもいつものことだ。


 梓は、僕や平沼君を通して、僕らがよくつるんでいるグループに仲間入りした。平沼君の言ったとおり、彼女は誰に対しても物怖じすることなく、積極的に親し気に話しかける。それに対する対応は人それぞれだが、趣味が人間観察だと言われると、その反応を見て楽しんでいるように見えなくもない。彼女はとてもアクティブに、気持ちを表情や態度に表しているように見える。そして、それに誰もが好意を抱いた。

 身につける服は奇抜で、行動はテンションが高くて、たまに意味不明。総合すると変な女だが、話をしていて面白いし、一緒にいて楽しい。

 あっけらかんとしてて、素直でいい奴で可愛い…というのが大方の人が持つ彼女の印象だった。

 彼女は誰にでも親しく話しかけ、本当に星の数ほどの男友達ができたが、その中の誰とも男女の付き合いはしていないし、親友と言えるほど深い話をした人もいない。かといって、上辺だけの付き合いだけというわけではなく、人といる時は本当に楽しそうに話して遊んでいるのだった。

 そうして一、二か月も経つと、彼女に付き合ってくれと告白した友人が数人出てきたが、彼女はいつも…、



[29581] 人間観察 編 vol.03
Name: antipas group◆e7e7618c ID:b5dd6933
Date: 2011/09/05 18:31
「あー、本当にごめん…あなたのことは好き。でも私…特定の人と男女のお付き合いはしないって決めてるの。それって…言えば、みんなが友人で恋人みたいなもの。とても変な考え方かもしれないけど、今の付き合いで満足して欲しいんだ。本当にごめんね…」

といった感じで、薄っすら涙を浮かべながら申し訳なさそうに謝る。

 いつものハイテンションな彼女からは想像できない表情とセリフを前にして、男には今の関係を壊したくはない、いつも天真爛漫にしている梓を泣かせたくない、という感情が生まれ、

「わかった。じゃあこれからも仲の良い友達でいよう。でも俺はいつまでも待ってるから…もし気が変わったら…」

といった風の台詞を残して、今まで通りの関係に戻るのである。

 何度かこういった話が噂として聞こえてきた。平沼君が彼女のことを色々と知っていたのは、ただ単に中学高校の六年間を一緒に過ごしたせいであり、特別に親しかったからではない。いわば僕らと同じレベルの付き合いだったのだが、知り合ってからの時が膨大だったことにより、彼女のいろんな面を見てきたせいである。

 僕らとつるむ時間も増えたが、駅前の植え込みのそばでしゃがんで人を見続けるという、彼女の特異な行動も以前と同じく行われていた。昔は一日中ずっとだったが、今でも毎日三時間以上はそうしている。これに対して、

「お前、なにやってんだ?」

と、駅前を通りかかった友人が話しかけると、彼女は決まって、

「人を見てるの!人を見るのっておもしろいんだよ。一緒にどう??」

と言うが、ご一緒すると、特に話もせずに本当にずっと人を見続けているだけなので、退屈さとその場の雰囲気に耐えられず、皆退散するのだった。従って駅前の植え込みにいる時はいつも彼女一人である。

 時が経つにつれて、僕は彼女に惹かれるようになった。男女としての付き合いが三割くらい、残りの七割は、なぜ彼女はこんなに変わってるんだ?なぜ毎日ファッションをくるくる変える?人間観察ってなんだ?その意味は?その目的は?といった、彼女に対する知的好奇心だった。


 先に結末を言ってしまったせいもあって、高川は大人しく話を聞いている。彼女ですら、梓の言動の意味が気になるらしい。


 梓のことを深く知るなら…当然、植え込みにいる時に話しかけたり、その様を観察するのが一番効率がいいだろう。二人っきりになれて、なにか話も聞けるかもしれない。

 夏期講習も始まり、まともな受験生ならそろそろ遊ぶのを止めて集中しないとやばくなるという時期のある日、ゲームセンターの二階の大窓から、植え込みのそばに彼女がいるのを確認して…彼女のところへ行った。

 今日の彼女の服装は、真っ白のワンピースにピンクの木製のサンダルと、これまた真っ白くて大きなつばの帽子、その帽子にはピンクの長いリボンが結んであり、余った端は風に揺れてヒラヒラしている。赤いランドセルはデフォのまま、毎日数時間も外に出ているためか、肌は少々日焼けしていた。彼女は僕を見るなり、

「あっぢぃ~~今日やばいねー、地面がじりじりしてるよ」

と、眉間にしわを寄せ舌を出して、手のひらで顔を仰ぎながら、ワンピースの胸元をパタパタさせている。僕は、

(丁度いいな、打ってつけだ…)

と思って、

「暑い。超暑い。ていうか、こんなにクソ暑いのにお前は外で何やってんだよ?自習室でも行こうぜ。涼しいし」

と、さりげなく彼女の目的を聞いてみる。回答はもちろんデフォルト通り。

「人を見てるんだよ。私、人を見るのが好きなの。自習室じゃなくてここにいない?暑いけど。滅茶苦茶」

と、本当に暑い暑いという表情でこっちを見る。…別にここで深く聞くのも変じゃないだろう。

「なんで人を見るのが好きなんだ?こんな暑い中で…何時間もやることじゃねーだろ」

彼女はうっすら微笑むと、

「人を見て考えるのが好きなの。面白くない?色んな人がいるんだよ。ここには!」

と言った。

「どこでも色んな人はいるよ。…でも、そんなに面白いなら僕も人を見てみようかな」

僕は彼女のことを知るため…、このクソ暑い世界の下、彼女と一緒に人を見ることにした。

「へっへ~~、きっとハマるよ~!」

彼女は「やった!」という表情で、植え込みのそばにしゃがみこむ。僕はすぐそばのコンクリの花壇の淵に腰掛けた。ちょうど右斜め上から、しゃがんだ彼女を見下ろす形になる。人を見出した彼女は、ほとんど話さない。こちらからの問いかけにもそっけなく答えるだけで、他の友人たちがこうしている彼女を放っておくのも無理もないと思った。

 数日間同じようなことを繰り返したが、そのうち彼女がいない間でもそこにいる機会を作り、彼女が何をしているのか、何が面白いのかを理解するため、彼女と同じく行き交う人を見続けた。そうしてると遠くから彼女がやってくる。

 今日の彼女の服装は、胸にantipas groupと書かれた白地のロックTシャツに、ベルボトムジーンズ、テンガロンハット…という相変わらず滅多に見ないような格好だ。両腕や首にはかなりの量のアクセサリが付いていて、動くたびにジャラジャラと音を立てている。もちろん黒い編み上げブーツと赤いランドセルはデフォルトのままだ。

「んん??緒山君、何やってるの??こんなに暑いのに」

彼女は微笑みながらそう言う。

「人を見てるんだよ。…人を見るのは楽しいんだ。良かったら一緒にどう?」

と笑いながら言うと、

「えー、どうしようかなぁ??なんか退屈そう………だからご一緒する!」

と、ニコニコしながら植え込みのそばにしゃがみこんだ。腰の辺りにもついている大量のアクセサリがジャラジャラと地面に当たる。


 それからさらに数日後を境目に、彼女との間にいくつか会話が出てくるようになった。

 今日の彼女は、真っ黒いタンクトップにいつもの赤いランドセルと編み上げブーツ、ブラックジーンズに、先日同様ブレスレットやネックレスを大量に付けたファッションで、まるで八十年代のロッカーか、バイク乗りという服装だ。

「ほら、あの人見て。あのおじさんスーツでしょ。昼にスーツで駅を歩いてるってことは…当然仕事中でしょ。旅行カバン持ってる…多分出張中ね。だから熊本の人じゃない。スーツはちょっと汚れてるし、ネクタイも少し曲がってるから、何泊かして帰るところかな。大荷物だったら送るだろうし…送らずに荷物を持ってるってことは二、三泊くらいかなぁ。指輪してるから結婚はしてるよね。こんな時間から帰るってことは、だいぶ遠方の人だと思うわ。飛行機使わないんだから、遠くても関東くらいね。暑さのせいかもしれないけど、不機嫌な感じ…。とぼとぼ歩いてるし、出張の成果はあまりなかったのかな。それとも家庭の問題かな?あのくらいの年代の人って大変そう。怪訝な評定して歩いてる人がほとんどなの。ちょっと早足なのは、電車に乗る為かなぁ?ちょうど特急が来る頃だし、そうだったら…やっぱり熊本の人じゃないなぁ」

そう言って、矢継ぎ早に続ける。俗に言うマシンガントークだ。

「人って言うのはね、心を外に映し出すものなの。そこにいるだけで心の情報を外に振りまいているわ。私はそれを汲み取って推測するのが好きなの。そこにいるだけでもたくさんの情報を振りまいてるんだから、面と向かって喋ったりしたらもう大変!ボロボロと自分の心をこぼしちゃう。当然、その人が知って欲しいと思ってれば、いっぱいいっぱい見えてくる。でも、逆に隠そうとすれば隠そうとするほどこぼれちゃうんだ」

「…じゃあ、どうすれば隠せるんだ?自分の気持ち」

「本気にならなければいい。人は本気になればなるほど、心の情報を外に振りまく。本気で嘘をつけばつくほど、その人の心情が見える。本気で行動すればするほど、外から心が見えやすくなるものだわ。当たり前だけど、九十九パーセントの人が普段から本気で生きているわ。どうでもいい事をしてる時、自分を偽る?偽らないでしょ?人は普段から正直にしているもの、本気で生きているものなの。都合が悪くなったり、自分が他人に心の情報を渡したくないと思ったときに嘘をつく。でも逆にそういう時こそ、危険を回避するために本気で必死になって嘘をついてるんだから、とてもわかりやすいんだ」

彼女は別にこちらを見ることもなく、しゃがんで背を向けたまま淡々と話す。

「本気でなかったらわかりにくい。例えば、薬やお酒で酔っ払ってる人は見えないわ。それが本気か嘘か、私にはわからない。お酒のせいで本音が出たのかもしれないし、酔った勢いで心にもないことを言ってるかもしれないしね。心に障害がある人や、認知症のお年寄りの人とかのことも見えないんだ。普通に一緒にお話してるようなんだけど…見えないんだ…。もちろん、わかる時もあるんだけど…。あ、じゃあ…」

彼女は台詞を中断すると、ほどよく遠くを歩く少年を控えめに指差して言った。

「じゃあ、あの子はどう見る?日焼けしてラケット背負ってるから、バトミントンでなくテニスよね。ジャージに熊本高校て書いてあるから、現役高校生でテニス部ね。夏休みだし、制服じゃないし、試合かなんかあるのかなぁ?でも一人で行って試合ってのはあまりないよね。ジャージ少し汚れてる…お昼だけど、もう帰るところかなぁ。家はどこだろう?学校を経由したとは限らないわ。熊本駅を利用するってことは、よほど遠いのね。ご苦労様だわ。表情が怪訝なのは暑さと疲れのせいねきっと」

予想、予測、推測、推理、空想、憶測、妄想…そう分類できるであろうことを、彼女はしゃべり続ける。彼女はその少年を五、六秒ほど見ただけだ。

「そうかもしれないけど…ほとんどが確認不可能じゃないか」

「そんなことないわよ~」

言うと、彼女はバッと立ち上がった。

「ね!ついてきて!早く!」

「???」

僕が戸惑って、

(なんだなんだ一体??)

と、思ってる隙に彼女は走り出す。かと思うと、五メーターほど先で急に立ち止まる。

「どうした?」

追いついて、彼女に話しかけると、彼女は額を押さえて、

「あ~やばい、立ち眩み…。ふふ…視界が真っ白だわ。倒れたら後よろしく!」

「なんだそりゃ、大丈夫か??」

「うー、意識が…」

と呟いて…十秒くらいたつや否や、

「戻った!!」

と言って走り出す。アクセサリがジャラジャラと音を立てる。駅の階段を翔け登って、駅構内の二階まで走る。それを遠く目にしながら、

「まったくもって変な女だ」

そう呟くと、僕も急いで彼女の後を追った。




[29581] 人間観察 編 vol.04
Name: antipas group◆e7e7618c ID:b5dd6933
Date: 2011/09/06 13:50
 二階に上がると、彼女は誰かと揉めているように見えた。ビュンビュン走っていたためエスカレーターを上がってきた人と衝突したらしい。小走りでそこまで行く。よく見るとぶつかった相手は、テニスラケットを背負った…先ほど見ていた少年だった。

「本当にごめんね、お姉さん急いでて…前見てなかったの」

少年は逆に申し訳なさそうに

「いえ、こちらこそぶつかってすいません」

と謝っている。

「あぁぁ、バトミントン?のラケット…かな?大丈夫?傷付いてない?」

「あ、テニスです。ぶつけてもないし、大丈夫だと思います」

わざと間違い、訂正させて回答させる。…上手いと思った。

「大丈夫だったらいいんだ、私もテニスやったことあるんだよ。難しいよねぇ。今日は試合かなんか?」

 彼女は少年とは目を合わせないで、自分の服装を直すような動作をしながら言う。とりあえずは自分の服装のことの方が大切だけども、自分のせいでぶつかったので、相手に気を使って相手に関する話題を振るという素振りをする。沈黙していては場が気まずくなるから、なにかしら喋らなくてはと思い、とっさにテニスの話題を振ったという感情を、焦った様子とともに表情に出しながら。……上手いと思った。

「いや、別に…ただの練習だったんすけど、ちょっと体調が優れなかったんで、早く帰らせてもらったんです」

「そっか、そんな時に…不注意でごめんね。家はどこ?近くだったらバイクで送るけど…」

バイクとか乗れるんかコイツ??と、心の中で呟きながらも、その服装と合わせてなんら違和感のない言葉である。家の大体の場所もわかるうえに、自然な流れでの質問だ。…上手いと思った。少年は彼女の言葉を遮って、

「いや、ちょっと当たっただけですし、平気です。家は八代で…少し距離あるんで…電車で帰ります。なんか気を使っていただいて…わざわざすみません」

「そっか、八代じゃ少し遠いかな。ごめんね、気をつけて帰ってね」

少年は一礼して、バッグから定期入れを出すと、改札の方へ小走りで去っていった。

「今のは結構当たりの方かな」

「…私の見方」

僕はただ…普通に感心して返答する。

「いや、たいしたもんだ。見方も聞き出し方も…なんというか自然だったし…ていうか、驚いた」

彼女は人差し指を立てて、得意げに話を始める。

「そんなに勢いよく当たったわけでもないのに、よろけて…その瞬間は怒った顔したの。だから体調が悪くて不機嫌だってのは本当だと見るわ。私がすぐに謝ったから、怒りも消えちゃったって感じ。もともと礼儀正しい子だと思う。家が八代で熊高てことは、かなりの高成績よ。それでいてスポーツまでやってるんだから、いいところのお家だと思うわ。擦れた感じもなかったし、言葉使いもしっかりしてるし、いわゆる優等生タイプね。それだけにプレッシャーもあるように感じたけど、疲れはそのせいもあるのかな。ラケットの可愛らしい感じのキーホルダー見た?バッグに付いてた…。あれってどうみてもプレゼントよねぇ。たぶん彼女さんか、彼を好きな女の子に貰ったんだと思うわ…。で、それバッグに付けてるってことは満更でもないってことよね!?新しかったし、青春真っ只中って感じ?」

彼女はそう言って、キャーと照れ笑いしながら頬を両手で押さえる。

「緒山君はどう見た?」

僕はただ呆けて傍観していただけで、何も見えていない。何もわからない。

「ていうかお前…、バイク乗れんの?」

彼女は僕の問いに答えず、とぼとぼと歩いて、下りのエスカレーターに乗った。下に着いて誰にと言うわけでもなく、ボソリと呟いた。

「わたしって……自転車も乗れないのよね」

そのままいつもの植え込みまで歩く、二人とも定位置に戻った。彼女の右上から言う。

「…練習しろ」


 数週間の間、彼女と似たようなことを繰り返した。彼女はたまに自分の見方が気になる人がいると、おじさんであろうが、お姉さんであろうが、子供であろうが構わずに、道を尋ねる振りをしたり、切符の値段を尋ねたり、いきなり目の前で倒れたり、知り合いと間違えた振りをしたり…、時には何の理由もなしに、唐突に話しかけたりもした。そうして自分の見方を確かめていたのだろうか。僕はただそれを見守るという感じの毎日が続いた。


 夏も終わりに差し掛かろうとしたある日、グループの中でも一際目立つ、プロレスラーのような体格を持つ九綱君に話しかけられた。なんでも彼は、進学校卒業ではあるが、ずいぶんと名の通った不良グループに属してたらしい。彼は僕に、

「緒山さんは、梓と付き合ってるんすかね?よく一緒にいますけど」

僕は笑いながら即座に返答する。もちろん彼も梓と面識はある。

「いやいや、付き合ってないし、そんな話もしたことない。ただ仲が良くてつるんでるだけなんだわ。本当に全然そんな関係じゃないよ」

僕がそう答えると、彼は改まって言う。

「いや、自分、梓にちょっと気があるんすけど、先輩と付き合ってるとかあったらアレなんで、一応話くらいはしとこうと思って確認しただけなんすよ。すんません」

不良というのは礼儀正しい。なにかと自分の考える筋を通して、物事にけじめをつける。彼が一浪目で年下で良かった、と思いつつ、

「梓と僕は…みんなと同じでただの友達だし、何も気にすることはないよ。なんて言えばいいのかわからないけど…、頑張ってね」

と、内心ビビってるのを悟られないようにしつつも、優しく相手の神経を逆撫でしない、かつ年上の立場を保てるであろう言葉をかける。

 心の中で思う。梓に恋すると大変だ…。今まで何人か…彼女に恋をした人を見てきたけど、つきあうことは不可能なんだ。彼女は誰に対しても、二人きりで遊ぶことやデートのお誘いにOKはくれる。とてもすんなりと。でも恋人関係やHは決して許さない。それは九綱君も僕も例外じゃない。今まで何人もの男が、同じ運命を辿ったことか。

東大合格間違いないという超成績優秀者も、バスケだかバレーだかで全国に名を馳せたようなスポーツマンも、流れるようにギターが弾けてインディーズデビューするから受験はやめるというバンドマンも、ものすごい男前な上に喧嘩が強いらしい元不良も…みんなダメだったという噂を聞いた。皆が皆、彼女との関係を、親友や恋人というレベルまで持っていくことは出来なかったそうだ。

「僕はどうだろう…?」

九綱君にはああいったものの、まったく恋心がないかというと、そうではない。日々二人で人を見ては話をすることを積み重ねた今、以前抱いていた彼女への思いは、恋心と知的好奇心が五分五分か、恋心が若干強いというものになっていることに気付いた。

「僕が告白したら…付き合ってくれたりするのだろうか。…そりゃ、デートくらいは受けてくれるだろう。デートは誰とでもしてるみたいだし」

九綱君と話をした日から、こうした思いが日に日に強くなっていった。


 …それから数日後くらいかな。その日、梓は透けるように白いシャツに、黒いネクタイ、黒いキュロット、頭にはシルクハットという出で立ちで現れた。もちろん編み上げブーツと赤いランドセルはデフォルトのままである。駅前の植え込み近くの定位置に、僕ら二人でいるのもいつも通り…。彼女は人を見ている。僕は彼女をデートに誘ってみようかと、ここ数日の間ずっと考えていて…言い出せてなかった。今もそのことばかり考えている。…しかし、今日は違った。人間誰しもなんか調子がいい日や、すんなりとしゃべれる日というものがあるものだ。僕にとっては、今日がちょうどそんな日だった。

 何の前置きもせずに、本当に唐突に、僕はいつもの定位置、彼女の右上…コンクリの花壇の淵に座ったままで、彼女に話しかけた。



[29581] 人間観察 編 vol.05
Name: antipas group◆e7e7618c ID:b5dd6933
Date: 2011/09/07 16:13
「ね……」

「うん、いいよ。いつにしようか?」

 彼女は、僕がしゃべり出した瞬間、本当に第一声を発した瞬間、こちらを振り向きもせずにこう言った。これは今でもはっきりと覚えている。僕は、

「ねぇ、梓、よかったら今度どこか遊びに行かない?…普段、土曜日とかは暇?」

と言うはずだった。が、それは遮られた。しかし、会話そのものは成立している。彼女は僕の問い掛けに返答している。まだこの世には存在していない、僕の心の中にだけある問い掛けに、彼女は返答した。面食らって、色んな考えと感情が頭を過ぎった。

(…そうか、彼女は駅前を通る人だけを見ていたわけじゃない…。僕も平沼君も、九綱君も他のグループの皆も…すべて見られていたんだ。…なんでこんな簡単なことに気付かなかったのだろう…。人の歩く様のみだけでも、その人の心情まで推理してしまう彼女だ…。これだけ一緒にいて、言葉も幾度となく交わした僕のことなど、完全にお見通しというわけだ。…ていうか、大体僕は彼女を見ていない。彼女を見てはいたが…彼女を見れてなかった。彼女の心の中は、何一つわかっていない……。っていうか、まずはこの場を収拾しなければ……)

焦っていたのは覚えているが…気が動転したのか、負けん気を起こしたのか、それは覚えていない。ハッと我に返り、彼女を認めまいとして、不思議な表情を作って…状況すべてを否定すべく返答をする。

「…ん?どうした?何を言ってる??」

「私、土曜日は空いてるよ」

彼女はまるでお構いなしといった感じで話を進める。…こいつ、曜日まで当ててきやがった。僕はさらにそれを否定する。

「土曜日?いったい何の話??僕はただ、そこを歩いているお婆さんの見方を…梓に尋ねたかっただけなんだけど…」

彼女はここで初めて、僕の方をを振り返った。その表情はいつも通り。薄っすらと笑って、首を傾げてこっちを見ている。

「なんだ~~!もう!私…全然間違っちゃった。あーもう!」

「な、何と勘違いしたんだ一体??」

 僕は冷や汗をかきながらも、できるだけ平静を装って、何事もなかった振りをした。しかし、そうしつつもたくさんのことを考えて、だんだん恐ろしくなってきた。人は基本的に、心の中を覗かれるのを嫌う。誰しも人に秘密にしておきたいことはあるし、知ってほしくないことがある。彼女と親しくなってしまえば、それはすべて見抜かれてしまう。…そう、すべてがだ。彼女は、

「私、てっきり緒山君が…えーと、その…、ほら…」

と、言いにくそうに・・もじもじしている。

 僕はこれだけ長い間彼女を見てきて、この時初めて彼女を見た。初めて本気で…彼女を推理した。こっちの行動と思いはすべてバレた。いや、すべてバレていた。それでいて彼女もこの場を収拾しようと動いている。僕が誤魔化したのを見抜いた上で…それに合わせてくれている…と、そう感じた。そう、彼女の今の台詞と態度は、この場を収拾させるための演技だ、…でも、もうこの演技に乗るしかない。…ていうか、今の僕が思っているこの思考からしてバレている。現在進行形で、僕は彼女に見られている。

(なんてこった…)

彼女は自分の感情を容易に隠すことが出来るし、僕は彼女ほど彼女を見ることが出来ない。逆に僕は感情を隠す術に長けていないうえに、彼女は僕を容易に見透かすことができる。現在進行形でこちらの考えが漏れている。…イヤだ。非常にイヤな気分だ。

「そういう時は、帰って休むといいよ…」

彼女は優しい表情と口調でそう言った。…冷や汗があふれる。

「なんか体調が悪そうに見えるよ、緒山君…」

僕はこれ以上何もしゃべれない…喋れば喋るほどボロが出て…見透かされる…。途端に恐ろしくなり、この場にいればいるほど、事態は悪くなり続けると考え、僕はろくに返答もせずにその場を立ち去った。…恋心などすべて塵のように一気に吹き飛んで…、あとには彼女を恐れる心と、彼女に負かされた、彼女に見透かされた…という気持ちが残った。
 そして、それ以来、彼女とは疎遠になった。


 「へ~~、不気味な女ね。不思議でもあるけど」

高川は、

「やっ」

と、買ったジュースを僕に放り投げる。

「いやー、生きてきてさー、あれほどなんと言うか…自分が考えてることを言い当てられたのは、後にも先にもないよ、ホント」

「人間観察恐るべしやな。ていうか、この帽子、気味が悪くなってきたんだけど!」

語尾を上げて、否定的に話すわりには付き返す素振りもない。

「まぁ、確かに…冒頭から言っている通り、変な女なんだわ。でも梓のファッションセンスは皆が認めたもんだし、その帽子は梓にも負けないファッションセンスの持ち主の高川さんにしか~、プレゼントできないね。ほんと、ある意味すごい賞賛の品だわ、それ」

彼女はデレデレして、

「えへへー」

という表情を満面に浮かべて、僕から目を逸らす。ホントわかりやすいなこの娘は…。梓と違って。

「まぁでもぶっちゃけ、千佳ちゃんの方が若いし、可愛いし、全然イケてるんだけどね」

これだけわざとらしい台詞でも、彼女は真っ赤になって照れながら上機嫌になる。

「あーもう、あんまりこっち見んといて。うざいからもうー!!」

彼女は恥ずかしさと照れのあまり、両手で顔を覆っているが、顔がニヤつきまくってるのがわかる。そうして顔をもっと赤くして指で前髪をくるくるといじっている。心と顔と動作がリンクしてやがる。…まぁ、普通は誰でもそうか。

「で、オチは?」

ジュースを飲み干して、彼女はそう言った。

「いや、だからこの話オチはないよ」

「じゃあ続き話せ」

「…はい」


 もう秋も半ばに差し掛かったかなという日、僕は平沼君と駅前を歩いていた。

「そう言えば…、九綱君、倉下に告白して振られたそうだぜ」

平沼君が言う。

「マジで?…あ、そういやあの人に相談っていうかさ。梓と付き合ってるのか?とか聞かれたことがあったよ」

「あれ、緒山、付き合ってた?」

「いや、全然。ただつるんでただけだよ。…あいつ、変わってるよなぁ」

平沼君は大笑いした。

「だしょ~、だから最初からそう言ってんじゃん。あいつは普通に話す分はいいんだけど、一線を越えて親密になるもんじゃないんだよ。緒山君も一時期親しげだったもんね、身に染みてわかったでしょ」

彼はまだ笑っている。

 例の一件からむこう、梓とはほとんどつるんでない。もちろん会えば普通に話すし、笑いもするが…駅前の植え込みのそばの定位置に行くことはなくなった。彼女は、今でも長時間に渡りそこにいる。そこで人を見続けている。…結局、彼女については何もわからず終いだったが、それは他の誰もが同じことだった。平沼君でさえ、今や彼女の思考については、僕よりも知らないだろう。たぶん…。

 あれから、僕も梓ほどではないが、人を見る…ようにしている。…幾分かは人が見えるようになった。その人の様子から、言動や思いを推理し、言葉の裏を探り、細かい行動の基点となる心を探ろうとする癖がついた。…それは、好奇心だとか、梓に負かされたという悔しさから来るものではなく、ただ単に自分の心の中のプライバシーを守りたいという自衛の心から来るものだった。…梓にはすべてがバレている。彼女を避けていることも、彼女を恐れていることも、そして…おそらく、僕がどれほど人のことを見えているのかということも…。

 彼女だったら、必要さえあれば…僕のことはいとも簡単に見透かせるだろう。今でも一度会うだけで…少し話すだけで、最新の僕の心を見透かせるはずだ。…なのに、こちらからは彼女の心を見透かすことはできない。 まるで起き抜けの寝ぼけた時に見る、深い霧がかかっている朝の風景のようだ…。彼女の存在は感じるのに、彼女の意図も感じるのに…、それが何かはっきりとわからないといった感じだった。

(…人を見る……か…)

現に今の平沼君の台詞も、かなりの情報を含んでいる。彼も先日の僕と同じくらい、梓と近くなった時期があったのだろう。経験からくる「身に染みて」だろう。梓に関しては、彼は僕の先輩であり…同類だ。賛辞と警告の感謝を込めて、

「まったくもって君の言うとおりだったよ。本当に身に染みた。変な奴で…まぁ、いい奴と言えば、いい奴なんだけどね」

と、言った。平沼君はまだ笑っている。今の言葉で…彼もまた、僕が見抜いたということを見抜いただろう。

 駅前の南側に差し掛かると、前からレアキャラが歩いてくる。ラ・サールの落ちこぼれの家森君だ。彼には夏前くらいから、大きな問題があった。彼は二浪目に入ってからは、三回ほどしか登校していない。家にもいないらしい。どこで何をやっているかは、僕の知るところではないが、三巻君や九綱君に聞くところによると、パチスロや麻雀にハマっては、友人勢に借金を重ねて、さらにギャンブルを行っているらしい。さらには会う度に、俺は空手の三段位を持っているだとか、ギターは十年やっていて、家にはヴィンテージのギブソンのレスポールが何本もあるだとか、入学時はラ・サールでもトップクラスの成績だっただとか、色々と前には聞いたこともないような大きいことを言う傾向にあった。特に一浪の人に対して、先輩風を吹かすかのように、そういう大ボラを吹いた。

 夏前くらいのある日、そういった大げさな話を聞くに堪えなくなって、三巻君や九綱君やその他のグループで中心的な存在になっている人たちが、彼を呼んで説教をしたのだった。



[29581] 人間観察 編 vol.06
Name: antipas group◆e7e7618c ID:b5dd6933
Date: 2011/09/08 13:00
 僕もその場にいた。はたから見れば、ちょっとしたいじめの現場に見えたかもしれない。しかし、内容はいたってシンプルで、

「ギャンブルは身を滅ぼすから程々にしろ」

「借りた金はちゃんと返せ」

「見え透いた嘘はつくな」

などといった、正当なものだった。

「空手三段だったら、今三巻と殴り合いやってみろ、三巻は中学から今まで空手やってて、全国の試合にも出たことがある経験者だが、それでも三段は持っていない。相手にとって不足はないし、三段を持ってるお前だったら、一方的に殴られることもないだろ?」

と、グループの中心的存在である山村君が言う。

「もちろん、どっちかが大怪我しそうになったり、危なくなったら止める。喧嘩じゃない」

と付け加える。三巻君が、

「よっしゃ来いッ」

とTシャツを脱ぎ捨て、ストレッチをしだすと、家森君は土下座して、
「ごめんなさい、嘘です。全部嘘です」

と言って謝った。

 こうしたことがあり、今でもグループ内で、多少煙たがられていた。だが、予備校生とはいえ、二十歳前後のいい大人である。その一件以来は、みな会えば普通に話すし、あいつはどうしようもない奴だとは口々言うものの、彼に対して表立って嫌がらせをしたり、文句を言う人はいなかった。お説教の前よりは、人付き合いはマシになっただろう。ラ・サール高校卒業は本当のことだし、昨年センターで七百超の点数を出したのも本当のことだ。

「生まれついてのエリートゆえ、高校時代に挫折したときに、大きく屈折してしまったんだろう。ある意味、可哀相なやつだ」

とは山村君の談だ。

「緒山君、平沼、おはよう、久しぶり!」

その一件は、数ヶ月前のことなので、家森君ももうギクシャクした感じは見せない。

「よぉ、ラサール、相変わらず余裕だな。今年は自信有りだな?」

僕がそう言うと、彼は、

「いや~、ダメだね。三浪街道まっしぐら」

と、笑いながらそう返す。

「ダメじゃん。先輩。気合入れろって!まだ間に合うから」

平沼君がすかさず突っ込む。

「いやいや、ダメだね。相変わらずパチスロやってるしね!スロットも受験も、勝ち目ないねぇ」

「ダメだって先輩。ていうか、借金返してしまったの?マジでやばいよ~スロットは~」

「とかこんなこと言っといて、センター七百以上普通に取るからなコイツは。ホント、嫌な奴だ」

今にして思うと、台詞には少々トゲがあるが、こういう口調が挨拶になるような間柄なのだ。言葉には裏もなく、みな会話を楽しんでいる。そこに誰かが、僕の後ろをドンと突き押した。

「やっほ~!!三人とも元気???」

「痛ったいな!!誰だ!ったく!?」

…梓だった。今日の彼女の服装は、薄いピンク色の中国の人民服のような上下、髪をアップにしている。もちろん編み上げブーツと赤いランドセルはいつも通りで、漆黒でストレートの黒髪も変わらないままだ。
「誰やねん。こいつ?」

家森君がボソボソと平沼君に耳打ちする。

「誰やねん。…て、なんで関西弁やねん!私のこと忘れたんかいな。しまいにゃおっこんでしっかし!!」

 相変わらずテンションは高い。もちろん、家森君と彼女は初めて話している。二人とも予備校へはほとんど来ていない…、会う筈もなかった。顔を合わせること自体、おそらくは初めてだろう。

「緒山君でしょ、沼ちゃんでしょ、う~~ん、あれれ?知らない誰かさん…?名前はなぁに?私はあずさ、倉下梓!」

「なんだこいつ…」

家森君は明らかに退いていた。僕はハッと我に返り、彼女を見た。…はっきり言って、ただのハイテンションのバカな女にしか見えない。彼女はこうしている今も、対象を見ているのだろうか…。平沼君が、

「はいはい…」

と、呆れ気味に紹介する。

「こっちは家森君、ラサール出の天才だけど…スロットにはまってる大バカさんだ。こっちは梓、俺の同級生で…あ~なんと言うか、ただのバカだ」

「…なにそれ!?…なんかムカつく紹介の仕方じゃん?沼ちゃんだけは私の味方だと思ってたのに!!」

彼女は両人差し指を口に入れ、左右に思いっきり広げて舌を出す。

「び~~~~~、ふーんだ!アホーー!!」

「変な女だ…」

家森君はストレートに本人の前で感想を言った。

「だろ?僕(俺)もそう思う」

僕と平沼君の台詞が被る。彼女は、

「ま、いいや。今日私、急ぎの用事があるの!三人ともまたね!!」

そう言って、瞬く間に市電の乗り場の方へと走り去っていく。

「超変な女だ」

家森君が彼女の評価を訂正する。

 僕らもそれに、うんうんと同意して頷いた。


 それからちょうど一週間。今度は予備校の階段で平沼君と一緒になった。

「よぉ緒山君、もう帰るところかい?」

「ああ。これ以上勉強するとどっかおかしくなっちまう。ミスドでお茶でも飲んで帰るよ」

「じゃあ、俺も帰ることにするよ」

「いいのかい?今追い込んどかないと、暮れに苦労するよ」

「まー、今日一日くらい大丈夫っしょ」

 連れ立ってミスタードーナツに入る。ここに来れば、いつもグループの中の誰かと会えるもんだが、今日はもう夕方も過ぎて、辺りも暗くなってることもあってか、誰もいない。みんなゲームセンターのほうへ移動したんだろう。平沼君がふと言う。

「そういや、こないだ家森君と梓会ったじゃん?あれから家森君大変らしいよ」

「たいふぇん??」

オールドファッションを食べながら返答する。

「おー、あの晩な、梓から電話がかかってきて、家森君の電話番号教えて欲しいって言うんだわ。別に男の番号だし…いいでしょって、何の考えなしに教えたのがダメだったんだな。それから家森君、梓に電話されっぱなしで、付きまとわれてるんだってよ」

「あのあじゅさが??そりゃふぇずりゃしいな。はれにへもほこかでいっしぇん引いふぇいるほにな。はいつは」

「…いや。何言ってるか全然わからん。…食べ終わってから話してよ。…そんで、家森君からさ、苦情と文句の電話がかかってきて大変だったよ。最近じゃ、夜の九時から朝の九時まで、文字通り一晩中電話してるらしい。かかってくるだけだから、電話代はかからないんだろうけど、そりゃもう怒ってたよ…。ったく俺、本当に悪いことしちゃったな」

 梓は自分から電話をかけることは滅多にない。用事があっても、なるべく会って話そうとする。誰かが彼女にかければ、時間の許す限りは喋ってるらしいが…。

「あの梓がねぇ…なんか、にわかには信じられない話だな。家森君の話だしな」

「でもメリットのない嘘だからな。俺はモテるんだぜって嘘?…でもないでしょ」

「だなぁ。初対面の時、本気で退いてたもんな」

グダグダと喋って、僕らはミスドを後にした。

「もし家森君に会うことがあったら、平沼が悪いことした、反省してたって伝えてよ」

「うん、わかった、言っておくよ」

 それ以来、駅前の植え込みのそばで、梓がしゃがんで人間観察をしている姿は見なくなった。



[29581] 人間観察 編 vol.07
Name: antipas group◆e7e7618c ID:b5dd6933
Date: 2011/09/09 20:20
 彼女は家森君と知り合ってからは、植え込みのそばには一切行ってないようだった。植え込みのそばにはいないが…、彼女を見る回数は一気に増えた。彼女は、ある日を境に、予備校に登校してくるようになった家森君と、いつも一緒にいた。

 彼女の今日の服装は、まるで喪服のように真っ黒なロングスカートとシャツである、ブレスレットやピアス、ネクタイまで黒い。たまにお洒落でかけている伊達メガネまで黒縁だ。いい加減…いちいち説明しなくてもわかるとは思うが、黒の編み上げブーツと、漆黒の髪はさらにブラックを統一させ、赤のランドセルのみ、黒以外の色で、点一色際立っていた。家森君とはいつも一緒で、片時も離れることがないという様子だった。僕や平沼君や他の皆と会えば、普通に話すが…、それも家森君がそこにいればの話で、彼がそこを立ち去ると、

「じゃあまたね!」

と言って、

「うきと~~待ってってば~!!」

と、家森君のそばまで走っていく。うきとは雨樹人、家森君の下の名前である。僕、そしておそらく平沼君も…この数日の間に、二人に何が起こったのか知りたいと思った。しかし、同時に…そこには立ち入ってはならないという予感もした。

「べったりだな。あれじゃ、家森君と話すことも出来ない。倉下に話しても何も話さんだろうしなぁ」

平沼君がそう言う。

「いいさ、二人の問題だし…僕らには関係ない。そして何より受験直前だぞ」

時は十一月末。センターまで一ヶ月半、私大受験まで二ヶ月半。受験生にとっては、人生を左右する…文字通り寝る間も惜しんで勉強する期間だ。

「夜に家森君に電話しても繋がらない。おそらく倉下と話してるんだろうが…まぁ、確かに俺らが関わることじゃないな」

平沼君はそう言った。

 ほど遠くに…黒の中の赤い点として、彼女の後姿が見える。…僕はその後姿を、いつまでも見据えていた。しかし、彼女の思想のほんの切れ端すら…読み取ることは出来なかった。


 数日後、少し遅れた昼食を取った後、予備校に行こうと駅前を歩いてると、家森君が現れた。後ろから走ってきたらしい。…梓は見当たらない。彼一人だ。彼は唐突に、

「緒山君、ちょっといいかな?」

と、息を切らしながら、焦った感じで問う。…彼の思惑が見える。…梓のことだ。梓のことで、何か僕に相談したいんだろう。…平沼君は自習室にいて捕まらなかった。彼女のことを相談するなら、僕か平沼君だと前から思っていたに違いない。…ここでやっとチャンスができたというわけか。梓のことを聞くチャンス…。

「別に…構わないけど、どうかしたか?」

「ここじゃまずい。電車に乗ろう。往復の切符代は出すし」

と言って、

「頼む。お願い。…まじで」

と、切符売り場の方へ…彼は立ち止まる暇も出さず、グイグイと僕を連行する。

 ずいぶん切羽詰ってるな、と思った。…知的好奇心はある。情報も欲しいと思い、僕は彼と銀水行きの普通列車に乗った。

「電車の中なら大丈夫だ…と思う。…あいつは異常だ。どこにいてもついてくるし、別れた瞬間に電話してくる。ミスドでトイレに行ってくると言って、窓から抜け出してきた。万札以外は…電話も、財布も、カバンも、持ち物全部テーブルに置いてきたから、電車に乗るまでくらいの時間は稼げたはずだ。君が通るのを見て、抜けてきたから…電車に乗るまでは二、三分しか経ってない。うまく撒けたはずだ…」

言いたいことだけ全部言ってもらって、後で疑問点をまとめて話すのが一番効率がいいな。僕は家森君の話に合わせて、しばらくはうんうん、と頷いていた。

 話を総合すると、


・梓は初めて会った日の晩に電話をかけてきて、それ以来ずっと付きまとわれている。

・梓は、夜は家に帰っているが、その間はほとんどの時間電話で話している。

・なぜか嘘がばれる、居留守もばれる、彼女の前ではまったく嘘がつけない。

・なぜ俺に対してだけこういう態度なのかわからない。尋ねても話をはぐらかして答えない。

・好きだから付き合ってくれと何度も言われたが、了承してない。

・最初こそ満更でもないと思ったが、今は恐ろしい。彼女も怖いが、九綱はもっと怖い。

・できることなら、彼女の相手を九綱にでも代わって欲しいくらいだ。

・彼女と離れたり、電話で俺の声を聞いていないと大泣きする。そうなると手が付けられない。

・いつも物凄い額のお金を持っている。駆け落ちしようとか何度も言われた。

・とにかく俺のことを聞いてくる、最初の数日間は一日十時間以上は質問攻めだ。

・気付いてみれば、俺自身はなにも彼女のことを知らない。


「あいつはいったい何者なんだ?俺と親密な関係になって、何がしたい??」

散々喋った後、吐き捨てるように彼は言った。そんなこと…はっきり言って、こっちが知りたい。

「いや、正直わからない。僕か平沼君が彼女について詳しいと思ったんだろうが、残念ながら、彼女について僕が知っていることと言えば、人間観察が趣味だから…感というか、推理が異常に鋭いということくらいだ。彼女の前では嘘がばれるというのは同意見だ。それに彼女については何もわからないというのは、僕らも同じなはず。…君なら身に染みてわかると思うけど…」

以前、平沼君に言われた言葉を引用する。家森君は変に納得した。そうだろう、そうだろう…梓のことを探れないのは、彼も同じに違いない。
僕は電車に揺られながら考える。はっきり言って、この接触や会話自体、彼女の予測の範囲内に違いない。家森君のこれだけ切羽詰った態度は、本気の中の本気だ。この彼の形相を見ていれば、いつか彼がどうにか逃げ出して、誰かに接触して相談するという予測なぞ、梓は当の昔に立てているはず。…彼女なら…あの時に、家森君に初めて会ったあの時に、僕か平沼君に接触すると予見していたとしても驚かない。ここでの会話ですら、大方の予測が付けられているだろう。…そして、相手が僕だと言うことも。彼女は今頃、予備校に行って、平沼君の所在と僕の不在を確認しているだろう。本気で家森君を捕まえたいのなら、僕に電話してくるはず。…泳がされてるな…きっと。ここは下手なことを言って、家森君に知恵を付けないほうがいい。彼女の目的がわからない限りは危険だ。係わり合いになるべきではない。…しかし、目の前で必死になっている家森君を放っておくのも気の毒な気が…。いや、僕では彼女を出し抜く…彼女を上回る手段を思いつけるとは、到底思えないな…。

 だが、ここで彼女と勝負したい気持ちが一気に吹き上がった。

「家森君は…このまま電車に乗っていって、どこか行く当てが無いか?高校は鹿児島だから、南だったらあったかもしれないけど…」

家森君は両手で抱えた頭を開放して、ジトリとこちらを見た。

「このままどこかへ逃げて、センターまで行方をくらませばあるいは…もちろん彼女が知る由もないところじゃないとダメだけど…」

「…長崎に叔父がいる。バレるかな?」

「なるべく遠い関係の方がいいな」

「遠い関係の親戚に、いきなり居候させてくれって言うのか?」
「仕方ないじゃん。金か心に余裕があんなら、カプセルホテルや野宿の方がいいんだけどね」

「あ、一つあった…お…」

家森君の顔がほころんで発した言葉、僕はそれを即座に制止する。

「わかるだろ?僕が行き先を知れば、明日の朝にでも彼女に見透かされる」

「…そうか、そ、そうだな…。なぁ、お前も一緒に逃げようぜ」

ようやく彼は笑顔を取り戻して、そう言った。

 電車はもう銀水に着こうとしている。普通電車なのに…随分話し込んだもんだ。

 電車はガタンガタンと揺れて、荒尾に着いて静かになった。小学生くらいの子供が数人乗り込んでくる。その子供を無意識に見てしまった。学校帰りの時間帯だ。でもランドセルは持ってない。学校にJRで通うのか?今日は平日…この時間帯に、荒尾から銀水行きの電車に乗るという子供達の状況を、僕は見透かすことが出来なかった。…梓なら言い当てるだろうか。

 まだ対抗策があるのか?と言いたげな表情をした家森君の顔が目に入る。…僕もいつの間にか随分と見えるようになったもんだ。僕は答えた。

「…無茶言うな。もう何もないよ」

家森君は、驚いた表情をして言った。

「いまお前、梓みたいだったぞ。…やめろや、びっくりするじゃねぇか!」

…イヤなことを言われてしまった。

 銀水で彼と別れる。彼の表情は明るく、笑顔で僕に礼を言う。察するに、かなり適切な行き先があるのだろう。僕は彼と別れて、そのまま銀水出の電車に乗ろうとして気付いた。

「……ちぇっ、帰りの電車代貰うの忘れた。…ったく」


 予想通りだ。次の日の朝、予備校の一時限目が始まる前に、教室で僕は梓に捕まった。

 今日の彼女の服装は、毎度お馴染み編み上げブーツと、今は教室の端に置いてある赤いランドセル、黒に黄色のラインが入ったアディダスのダボダボのジャージの上下に、金の太いアクセサリを腕や首に着けている。青黒の帽子もアディダスだ。詳しくは知らないが、ヒップホップとかラップをやってる黒人さんみたいな格好…といった感じだろうか。彼女は僕を見るなり駆けてきて、僕の胸倉を掴んで、目を見開いてこう言った。

「雨樹人はどこ!!!??」

…まるで喧嘩が始まりそうだ。他の予備校生の注目の的になっている。



[29581] 人間観察 編 vol.08
Name: antipas group◆e7e7618c ID:b5dd6933
Date: 2011/09/10 09:38
(…ったく、恥ずかしいな)

と思って、彼女を見る。彼女は何も偽っていない。本気で僕を問い質す裏表のない台詞…。彼女が言っていた見抜きやすい本気の姿…それがそこにはある。だが、彼女は見ている。僕を観察している。そこまでわかるようになった自分をクスリと笑った。

「何がおかしいの?」

 少々落ち着いて彼女はそう言った。こっちの目立つのが嫌だという意図を見透かした。さらに自分が見られて、心を読まれたのではないかという予測を立てたからか、彼女は十秒も立たないうちに冷静さを取り戻した。こうなってしまえば、僕が彼女に勝る要素は一つも無くなる。

「昨日…銀水行きの電車に乗って、銀水で別れた。その後、彼がどこへ行ったかは知らない」

僕は必要最低限の言葉を発した。嘘ではないから表情に違和感はないはずだ。いや、あったとしても、彼女なら今の台詞と表情から真偽はおろか、昨日何があったかを読み取り、すでにどうすれば家森君に会えるかを考えているだろう。

 彼女は振り返って、教室の端に置いてあるった赤いランドセルを持って、一番後ろの席に座った。すぐに教室を出て行くだろうと思った僕にとって、それは意外な行動だった。そして、

「あなた達に迷惑かけてごめん…、でもこれが私なの。私の人生なの」

と、泣きそうに…震える小声でボソっと言って、テキストを机の上に広げる。

 僕は瞬間彼女を見た。やはり…何も見えない…。そしてその次の瞬間、どう足掻いても僕の得になるような事は起こらないと判断して、即座に彼女を見るのを止めた。

一時間半の講義が終わり…チラリと後ろを見ると、彼女はすでにいなかった。おそらく彼女は…僕を後ろからずっと見ていただろう。そして、僕が持っている大方の情報を見抜いたか、若しくはなにかしらの手段を思いついて、予備校を後にした…そのどちらかだろう。

 僕が家森君に知恵を付けたこと、家森君が知る限りの彼女の情報を僕が持っていること、センターの前後まで行方をくらましていること…できれば、これらを知られたくないために正直に電車と銀水のことを言ったのだが…どこまで見抜かれたかを、あの時の彼女の表情から見ることはできなかった。見ようとすれば、かえって藪蛇になっただろうし、そうでなくとも見る自信はなかった。最初から教室にいた平沼君が話しかけてくる。

「一体、あいつどうしたんだい?大丈夫か?」

僕は無表情で答えた。

「家森君と会えなくてイラついているんだろ。…彼、遠くへ逃げたんだ」

「そりゃ、梓…逆上するな」

彼は納得した感じでそう言って、二時限目の教室へ向かった。


 それからしばらく経って、街がクリスマス一色になったある日、僕は九綱君に呼び出された。ゲームセンターの二階である。今や僕は…こういうわかりやすい人の行動は、手に取るように見えるようになっていた。梓と家森君の件で情報が欲しいのだろう。

(わかりやすいな。彼は…)

と、思ってゲームセンターの二階に行くと、案の定、

「わざわざ呼び出してすんません。用事ってわけでもないんですけど、先輩って、梓と家森さんのことなんか知ってますか?ちょっと前からべったりつるんでて…梓は周囲には付き合ってるって、言ってるみたいなんすけど」

と、彼は苛立たしい様子で、僕に問いかけた。

 あれから家森君の姿はもちろん、梓の姿も見ない。なんの情報も入って来てないし、どうなってるのか、皆目見当もつかない。梓が必死で探しまわっているか、すでに見つけて二人でどこかにいる可能性だって十分考えられる。…別にいちいち九綱君にすべて話す必要はない。

「いや、知らない。梓が付き合ってるって言いふらしていること自体、初めて聞いたよ」

「ちょっと…自分、梓や家森と話したいとか思ってるんですけど、そうしても別に先輩はどうもないっすよね?」

「僕は第三者だし、関係ない…冷たい言い方をするわけじゃないけど、好きにすればいいよ」

「三巻さんも山村さんもそう言ってました。俺は前に梓に…特定の人と、男女の付き合いはしないと心に固く決めてるって言われたんすよ。こっちも遊びで惚れてるわけじゃないんで…、とりあえず説明くらいしてもらっても、バチ当たらないっしょ?」

そう言って、

「とりあえず近日呼び出すつもりなんで。一応、緒山さんには話通しとこうと思って」

と続けた。僕は、

「うん、後悔しないようにすればいい」

と答える。…知的好奇心がないわけではない。どうなるのか見てみたいという気持ちと、関わるとロクな目に合わないな、という気持ちで半々だった。九綱君が梓に絡んでどうなるのかなんてまるで読めない。後日、平沼君に軽く話すと、

「いや~、それは係わり合いになりたくないねぇ。この切羽詰まった時期に」

と、笑いながら言っていた。彼は東京の有名私大を受けるから、センターの受験予定はない。センター組より余裕があるはずの彼でもこの発言だ。それが賢いのだろう。確かに関わってもなんの得もない。ただの厄介ごとにすぎない。

 数日後の晩、九綱君から電話がかかってきた。

「例の日、今月の二十七日っすから。梓を呼び出しました。ゲーセンの二階っす。講義も年内最後なんで、キリもいいかと思って。面倒ごとと気持ちの整理は全部片付けてから、新年迎えたいですしねぇ」
彼は笑いながらそう言った。

「先輩も梓に言いたい事とかないっすか?ぜんぜん居て構わないんで、よかったら来てくださいよ」

「気分次第かな…勉強が手につかないようだったら行くかなぁ」

「先輩、三浪でもいいじゃないっすか、俺と一緒に来年も遊びましょうよ」

「…馬鹿言うな。人生かかっとる」

と、反射的に言って口をつぐんだ。あぶねー、電話の相手は九綱君だぞ。言葉には気をつけなくちゃ。ブン殴られちまうよ。その後は言葉に注意して、煽てつつも先輩としての立場は守って…電話を切ったのだった。


 「あんたよう喋んなぁ~~関心するわ」

自分で話せつっといてこれだ…。

「自分で話せつっといてこれだ…ったくお前は…」

高川の前では気持ちを偽らない。梓とは正反対の意味で、気持ちを偽る必要がない。…人間関係とはこうありたいものだ。人間正直が一番、変な見栄も意地もはらないし、偽らない。これが一番だ。こういう人間関係が周囲と築ければ、きっと幸せを感じるだろう。

(梓…、お前は今どこでどうしている?幸せになっているのか?)

と、心に思うと、すかさず高川がニンマリ笑って突っ込む。

「あんたいま、その女のことと当時の思い出振り返って、思い耽ってたでしょ」

…こんなパッパラ娘に見られるとは…あいも変わらず、僕はガードが緩いなぁ。こりゃ、今でも梓には会えないな…と思う。

「今のところ七十点!!!」

「はぁ??」

またこのパッパラ娘は何を言い出した?

「話長いけど、そこそこおもろい。これでオチがおもろかったら九十点あげるょ!」

彼女はパラパラっぽいヘンな踊りを踊りながら話の続きを迫る。この娘はたまに意味もなく踊り出す。

「あのなぁ、お前は何度いったらわかるんだ??この話にオチはないって言ってるじゃんか」


 十二月二十七日。ここまで試験までの期日が迫ると、予備校の雰囲気も大きく変わる。自習室や講義室には人が溢れ、皆が真剣な眼差しで勉学に励む。最後の追い込みをしている人と、最後の足掻きをしている人に分かれる。

 今年の一浪の代で最も可愛いと言われる、熊高卒の朱里ちゃんも、いつもより十倍は真剣な眼差しで、自習に取り組んでいた。天地がひっくり返るほど可愛いみんなのアイドルである彼女を一目見ようと、自習室に行く取り巻き勢も、彼女の真剣な態度に触発されて勉強し始めるほど、受験生の勉学の様相が激しい時期である。

平沼はそこで勉強していた。が、緒山、倉下、家森、三巻、山村、九綱の姿はなかった。…まぁ、全員普段からたまにしか居ない。それでも、倉下と九綱以外の二浪メンバーは、去年の今頃はここで必死になっていたものだが…と思って、細身で長身、分厚いメガネをかけた自習室の監督は溜息をついた。

 彼は、数十年間に渡ってここで受験生を見続けてきた。…若者はいい。夢と希望から創られる明るい前途がある。願わくば皆が納得いく結末になるといいんだが…。

「…だが、そうはいかんのが、受験というものなんだな」




[29581] 人間観察 編 vol.09
Name: antipas group◆e7e7618c ID:b5dd6933
Date: 2011/09/11 11:23
 当時、ゲームセンターでは、スパイクアウトという四人で協力プレイして遊ぶゲームが流行っていた。そこでは、僕と山村君、三巻君が遊んでいた。

「緒山ちゃん、余裕じゃん?この時期にゲームとか」

山村君が言った。彼とは中学生の同級生で、高校に入ってからも幾度となく遊んでいたこともあり、今でもかなり親しい仲だ。

「君も人のこと言えないでしょ」

「まぁ、いまさらじたばたしたって変わらないしね。あとは運を天に任せてって感じかな。…三巻、なに死んでんだよ?」

「…今日はいかん。なんか調子悪い」

 三巻君はタバコを吹かしながら、ギャラリーになる。九綱君は、落ち着かない感じで辺りをウロウロしている。他にもグループの人間は何人もいた。梓とのやり取りを見に来た人もいれば、梓にふられた人もいる。何も知らずにただ遊んでいる人もいる。

 そんな中、彼女は一段飛ばし&スキップ気味で、階段を昇ってきた。特に変わった様子もない。テンションは若干低めだと感じたが、それもあえて言えばというレベルで、言わば普段どおりだ。

 今日の彼女の服装は、キラキラのラメの入ったサンダルに、細身のジーンズ、アルファベットの豪華なロゴが入った白いシャツに、茶色の毛皮のごついコートを着ている。アクセサリーも多く、サングラスをかけている。これまで愛用し続けていた赤いランドセルは見当たらないし、編み上げブーツも履いてない。いわゆるギャルと呼べるであろう格好で、頭にはピンクのスヌーピーのキャップを浅く被ってた。漆黒の髪と色白の肌は健在で、それだけはギャルっぽい服装とギャップがあった。

 僕と九綱君は緊張してただろう。固唾を呑んだ。彼女の表情は、キャップとサングラスのせいでよく見えない。トレードマークの赤いランドセルがないため、ひょっとして人違いかとも思ったが、その場にいる全員が、なぜか彼女を倉下梓だと判断した。場の雰囲気が、彼女を梓だと主張したからだった。

 一瞬場は沈黙した…が、沈黙を破って、第一声を発したのは意外な人物だった。

「ははっ、おめー絶対胸そんなに大きくねーだろ!??」

笑いながら、彼女にそう言ったのは三巻君だった。

彼女はサングラスをパッと外して言う。

「し、失礼じゃんっ!!成長期なの!!最近Cカップになったの!!!」

三巻君は返す刀で、

「ねーよ、それはねーよ。元はAくらいだろが。何詰めてんだよ」

と、笑いながら言う。梓は、

「はぁぁ!!???Bありましたーー!!高校の時からBありますぅぅ~~!!」

と、眉間にしわを寄せて、三巻君に詰め寄る。彼は、

「ぶはははは」

と笑いながら、スパイクの台に百円玉を投入した。

「…ったく、久しぶりに会ったってのに何よ!超失礼じゃない!? ねぇ九綱くん!??」

と、九綱君に話題をふる。僕と山村君は、ゲームしながらも少し聞き耳を立てた。

「いやいや、お前の胸なんかどうでもいいから」

彼も笑いながらそう言ったが、笑いは演技だろう。もちろん彼女が見逃すはずもない。

「調子いい時は本当にBカップなんだから…、なんだったら今度目の前で測ってみせるわよっ!!」

彼女はまだプンプンとしている。

「本題に入るぜ」

九綱君はそう言って続けた。

「家森について話して欲しい」

「…別に、あなたたちに話さなきゃいけない理由なんてないじゃん。私のプライベートなことじゃない?」

こっちのプライベートを散々見ておいてそれはないだろう…と思ったが、彼女は誰のプライベートも聞きたがってないし、聞いてもいない。彼女は人のプライベートを、自ら組み立てることができるのだ。…しかもとても正確に。

「俺が言いたいことは一つしかない。お前は俺に、誰とも付き合うつもりはない。一人の男には縛られないとか言ってたよな。それが家森とはどうだ?…説明くらいしてくれてもいいと思うんだが。家森とは付き合ってんのか?」

彼女にふられた人を初め、そこにいる全員がそれぞれの事をしながらも、聞き耳を立てる。ただ三巻君だけが本当に、我関せずとゲームに興じていた。

「わっかんないなぁ~~?そんなの知ってどうすんの?あなたたちが聞いてもつまんないよ。私と雨樹人の話なんて」

彼女は悪びれた様子もなく、冷たく言い放った。

「つまらないかどうかは聞いた側が判断する。いいから話せよ」

 女だろうと殴りかねないという表情だ。拳は固く握られ震えている。九綱君からは怒りが溢れている。家森君…あの嘘つきで、皆に迷惑をかけたラ・サールの落ちこぼれ…。九綱君が最も情けない人間だと、嫌いだと思う人間を、自分の最愛の女性が選んだ。それは怒り狂うだろう。自らにも家森君にも、そして梓にも。意思が強い人としてのプライドもあっただろう。また、こんな状況にもかかわらず、家森君を下の名前で親密に呼ぶ彼女の態度にも、彼は苛立たされていたに違いない。

「おい、あいつキレたら止めてやれや、三巻」

山村君が三巻君に小声で言う。

「キレたらて、おまえな、…俺じゃあいつ止められんよ」

「マジですか…。あずさちゃん、ピーンチ」

山村君は小声でそう囁く。ゲームの音や有線の音が入り乱れるゲームセンターの中だ。小声はおろか、普通の声ですら注意しないと聞こえない。…が、梓は山村君を見ながらこう言った。

「いやぁん~~なんか梓ちゃん大ピンチって感じ!??」

山村君は少々驚いた表情をしたが、すぐに薄っすら笑いながらスパイクに戻った。僕は我関せずの態度を終始貫いているつもりだが…彼女の瞳にどう移っているかは定かではない。彼女とはまだ目を合わせていない。

「う~~ん、私…自分の話するのって好きじゃない。正直嫌いなんだけど…ていうか、私のこと…そんなに知りたいんなら、私に聞くんじゃなくて、与えられた情報を基にしてさ、自分で知って欲しいワ。自力で悟って欲しいの。…でもそれって、あなたたちは無理なんでしょ?できたらそうしてるもんね。そっちの方が断然楽だもの」

「…………そこまで知りたいんなら教えてあげるワ」

彼女はハァ…と軽く溜息をつきながら、手すりにもたれていた体を解放して、こちらに近づいてきた。

「九綱君? あなた、私を好きだって言ったとき、自分の身に何が起こったって言った?」

「……」

九綱君は黙ったままだ。ただ怒りは幾分か収まり、彼女の話に耳を傾けているように見える。

「雷が身に落ちたように…私を好きになったって言ったよね??それが一目惚れだって」

言って…続ける。

「…私の場合それが雨樹人なの」

 彼女は薄っすら微笑んで、九綱君のすぐそばでそう言った。手を出せば拳が当たる距離。緊張感が一気に走る。三巻君ですら、固唾を呑んでその場を見ていた。

 少しの躊躇もせずに彼女は接近した。…近い。…本当に近い。彼女は九綱君の両頬を両手のひらで優しく包むと、静かで優しげな声でこう言った。

「あなたは経験したでしょう?だから解る。私の気持ちが…。あなたの身に起こったこととオナジコトが私の身に起こった。あなたは身を退かない。決して私から身を退かない。…私も同じ。決して雨樹人から身を退かない」

 オナジコト…そこで僕は彼女を見た。言葉の節に違和感があった。彼女が見えた。その一瞬、一瞬の表情の違和感も感じ取り、僕は初めて…おそらくは最初で最後になるだろう、彼女を確実に見透かせた。…それは嘘だ。今のは嘘だ。

「…それは嘘だ。今のは嘘だ」

一瞬のゲームセンターのBGMの継ぎ間にタイミングが合い、思ったよりも声が響く。

梓も九綱君も…そこにいるグループ全員の目線が…僕に注がれる。

「あ…うーん、今、僕ちょっと声大きすぎたかな?」


「あんたって、ほんまアホやな?」

真剣に話を聞き入っていた高川が、我慢できず突っ込む。

「もう、ホント…、つい口に出てしまってん。本当にキレイに見えたもんだからさ」

「あんた、なんかたまに滅茶苦茶間ぁ悪い時あるもんなぁ」

「せやねん、仕事でもあんねん。たまにやねんけどな…。あっ、そう言えばこないだな…」

「いやえぇから、取りあえずこの話最後までして。仕事の話はまた聞くから」

と言うと、高川は滅多に出ない真剣な眼差しモードの表情になった。



[29581] 人間観察 編 vol.10
Name: antipas group◆e7e7618c ID:b5dd6933
Date: 2011/09/12 11:35
 梓はまた溜息をついた。

「ハァ…、そっか…緒山君いたんだっけか」

と言いながら、一瞬視線を宙に移して…すぐに九綱君へと戻す。

「でも、あなた…納得したでしょ?そして解ったでしょ?どう頑張っても、この状況は変わらないってことが。もうゲームオーバーなのよ」

と言って、今度はこっちの方を見る。山村君も三巻君も僕も、彼女が九綱君に近づいた辺りからゲームを放ってしまっていたため、ゲームオーバーになってしまっていた。

「このバカチン、早よ言えや」

山村君が梓に突っ込む。

 九綱君は納得してしまっていた。彼は、自分自身の中で絶大であった…他の何者にも障られない、自らの気持ちと同質のものに敵対していると気付いたのだ。その比類なき硬質の気持ちは、決して破壊できない。自らのそれが破壊されないのと同じこと。いや、たとえ破壊できたとしても、そこに何が残るのか?悲しみと苦しみが残るだけで、得られるものは何一つない。彼は頭が切れ、理解が早い人間である。梓の言葉を理解して、もうどうしようもないと悟った。すんなりと自覚した。

 …九綱君は、僕が見抜けた彼女の嘘を見抜けていない。いや、彼だけではない。そこにいる皆が見抜けていない。僕はどうすべきだろうか。彼女と話をするのか。このまま傍観するのか…。

(どうする……?)

 彼女はサングラスを手にして、その場を立ち去ろうと、階段の方へ向かう。…僕は梓を後ろから呼び止めた。

「…梓」

 呼び止めてしまった…。彼女はピタリと足を止める。まだ疑問がある。…最大の疑問だ。それを聞かずにこのまま別れるわけにはいかない。至って真剣に、僕は彼女に問う。

「最後にいいかな?」

 僕は彼女と勝負をする。心の読み合い。単純にただの勝負を。彼女は言っていた。知りたいのなら、当人に聞くのではなく、与えられた情報を基に自分で知って欲しい、悟って欲しいと。…彼女は片足を少し上げると、トンと降ろして、くるりとその場で回転して振り返った。

「なぁに?緒山君?私と勝負事でもするつもり?」

 いきなり手痛いジャブだ。思いっきり喰らってしまった。彼女はあくまで冷静沈着。調子も良いと見える。ガードしていては…勝ち目は万に一つもない。

「教えて欲しい。家森君に何を見た?」

一目惚れは嘘だ。その嘘を僕は見破った。彼女はもう嘘は吐けない。演技はできない。どう出る?倉下梓…。

彼女は眉一つ動かさず、僕の目を一直線に見ている。少々の間をおいて…彼女はその小さな口を開いた。

「女の子の心は…海より深いものなの。それは深くて、深くて、深くて、深くて、遠くにある…男性には到底見ることが出来ないもの…」

言って、

「特に私の心はネ」

そう付け足した。

彼女の台詞に嘘はない。だが情報は入ってきていない。…はぐらかされた。もう一つの大きな疑問…。場の空気のプレッシャーに耐えられなくなり、それを口にする。

「お前の目的はなんだ?これからお前はどうなる?」

今度は、彼女は即答した。

「あなたは私を見ることは出来ない。あなたでは私を知ることは出来ない」

 完敗…か。なぜか今は…もう表情が読めない。まるで見えない。演技なのか本当なのかすらわからない。

(彼女…ここにきてもう一つレベルを上げた!?)

と、思うくらい…何もわからなくなった。

(やはり・・初めから勝ち目などなかったか)

と思えてくる。

(・…九綱君と話した際に見せた、明らかな演技すら計算されたものだったのではないか…、僕か誰かが見抜けるかどうかを試したものだったのではないか…)

と、疑わしくなってきたと同時に、たくさんの細かい問いが頭を過ぎった…。

(梓、お前はなんでそうファッションに統一性が無いんだ?)

(梓、あんなにコロコロと服装は変えていたのに、なぜ赤いランドセルだけは変えないんだよ?)

(梓、そんでそのトレードマークのランドセル…、なんで今日に限って持ってねーんだよ!)

(梓、今時の女の子は誰でも茶髪にしてるぜ。なんでお前は真っ黒なんだよ)

(梓、お前、受験はどうするんだ?どこ受ける?一応受験生だろが)

(梓、お前は普段なにしてんだ?ていうか、逃げた雨樹人と再会したのか?)

(梓、お前は今何を思っている?何を考えている?)

 そう思い終わった瞬間に、梓は階段の方向とは逆、つまり僕らがいる方へ、ゆっくりと歩いてきた。…ゆっくり…ゆっくりと。そして、僕らの間を通る。本当にゆっくり。僕と擦れ違う瞬間、彼女は僕の耳元近くにまで顔を近づけて、そっと呟いた。

「そんなにいっぱい悩まれても…いちいち答えてられないわ」

彼女はそのまま、ゆっくりと僕らの間を通り過ぎると、振り向くことも立ち止まることもなく、二階の出口から出て行った。僕はその後姿を目を皿のようにして見た。だが、何も見ることは出来なかった。何も知ることは出来なかった。何一つわかることは無かった。

 三巻君がスパイクに百円玉を投入すると、山村君が中指を立てた。

「はいはい~、九綱の失恋残念でした飲み会兼忘年会に来る人、この指止まれ~~」

と言いつつ、三巻君に続いて百円玉を投入する。

「時間は九時からね。で、九時まで」

「オールかよ。受験生に優しくねぇな」

三巻君が突っ込む。

ゲームをしている三巻君と、その場に突っ立っている九綱君と、呆けている僕以外は、みんな山村君の指をつかんで賛同した。

 ゲームセンターの二階出口は駅構内に繋がっている。そこから出てしばらく進むと、エスカレーターのところに出る。いつぞやか、彼女が少年にぶつかって話をしていた場所だ。そのエスカレーターを降りて少し進むと定位置がある。いつぞやの定位置だ。僕はゲームセンターの二階にある大窓へ走って行って外を見た。定位置を見た。外は雪が降っていて薄っすらと積もっている。植え込みのそば…彼女はいない。結局…ゲームセンターを出て行く後姿が、僕が彼女を見た最後の姿となった。

 それ以降、グループ内で彼女を見たものはいない。


「で、どうなったん?」

「いや、話これで終わり。マジで」

「オチないやん。複線も回収なしやん」

「いや、だから最初からオチないって言ってたやん」

「で、家森君てどうなったん?」

「あー、それが彼はね、その年のセンター受けたんよ。そんで、結果がえらい良くて、京大の医学部を受験したって聞いた。受かったかどうかは知らん」

「え、めっちゃ頭ええ子やん。その時、梓って女とは会ってんの?」

「う~ん、後日…受験とか全部終わった後、平沼君に聞いた話では、
会ってるみたいだったね。沼ちゃんはさすがに今も梓と付き合いあるんちゃうかな。幼馴染だしね。そんで、彼、家森君と会ったみたいなんだけど、彼は平沼君に、梓と付き合ってるって言ったらしい。でも、いつ家森君と再会したのかとか不明」

「ほんで、その梓の人間観察の目的ってなんだったん?」

「いやそれはもう本当に解らず終い…。こっちが教えて欲しいくらいだわ」

「…あと、可愛いみんなのアイドル朱里ちゃんてなんやねん!!???」

高川の声が荒くなる。

「朱里ちゃんはなぁ…僕の初恋の人なんや」

「はぁ、ふざけんな!!こんな帽子いらんわ!!」

そう言って、高川はピンクのキャップ、梓と会った最後の時に、彼女が被っていたキャップを地面に叩きつけた。

「どうせやったらそのアイドルが被ってたキャップ持ってこいや~~!!」

 一緒に人間観察をしてるとき、肩を叩けば振り向いてくれる距離に…梓はいた。最後に耳元で囁いたとき、ピンクのキャップのつばが僕の頭に触れるほど…彼女は近くにいた。でも今は遠い遠い場所にいる。住まいだけでなく心もそうだ。

 今にして思えば、彼女の動作一つ一つ、言動一つ一つに、彼女を理解できるヒントが隠されていたはずだ。彼女は自分を知って欲しいと言っていた。だが、僕が考える限り、彼女を理解できる人間、彼女を見ることができる人間は、そうそうはいないだろう。家森君はその数少ない人間だったのだろうか。僕には…いや、僕だけでなく、皆にとってもそうは見えなかったはずだ。・・・・僕は本当に何も見抜けなかった。あんなにそばにいて、話もしたってのに。

「っさんじゅって~~んっっっ!!!」

高川が僕の耳元で大声で叫ぶ。耳がキーンとする。…近所迷惑だろが。
「…っていうか点数低」

その後、僕は高川の機嫌を直すのにさんざん苦労した。なにが悲しゅうて、プレゼントあげて、一番だと褒めて、長い長い話して…、機嫌を損なわれなければいかんのか…。




[29581] 空気感と雰囲気 編 vol.01
Name: antipas group◆e7e7618c ID:b5dd6933
Date: 2011/09/13 10:06
 小さい頃から…薄々と思ってはいたのだが、人にはオーラというものがある。雰囲気というか、印象というか、とにかくそんな感じのものだ。芸能人オーラとか。見れば一発で…こりゃ一般人ではないな、と思える極道の人とか。うまく口では言えないけれど、とても直感的というか、感覚的というか…、そんなもの。

 人間は、大なり小なり何かしらの雰囲気を放っているんだと思う。普通の人であれば何も雰囲気を放っていないというわけではない。普通の人は普通の雰囲気を放っているのだ。だから普通であると、その人は一般人であると判断できる。

 今、僕には意中の人がいる。同じ学校で、同じクラスになって友達になった。一度知り合ってからはすぐに仲良くなった。今ではまるで、何年も昔から友人だったような間柄だ。こうなってしまえば、恋心を抱くのはごく自然のことだろう。

 彼女…僕が好きな女の子はもちろん普通の人だ。普通のオーラを発していることが…多い。おそらくはただの一般人だ。だけど、何かどこかが違っている…と思うことが多々あった。例えて言えば、真っ白の絵の具にほんの一滴の墨を垂らして混ぜ込んだくらいのもので…、純白の一般人ではない…そんな違和感の存在がはっきりと感じられる。そう…、彼女はたまに、普通とは些細に違う空気感と雰囲気を生み出す時があるのだ。


 熊本は市内の中心部に位置する私立知恩高校。熊本県と言えば、まま田舎であるとの印象が強いが、九州では福岡県に次いでの大都市である。人口も年々増え、現在に及んでは政令指定都市になるのも近いと言われている。この知恩高校は高成績の進学校だとはお世辞にも言えない。しかし、普通科特別進学コース…三十五人編成のこのクラスだけは別だと言える。このクラスの平均成績は市内トップクラスの私立高校のそれと同じレベルにあった。

 僕、藤田正志は、県内トップの成績を誇る熊本高校や、他の私立高校の受験に失敗し、滑り止めとして受けた知恩高校特別進学コースに入学した。

 三十五人の人が集まれば、そこには色々な人間がいる。勉強熱心な人、街に繰り出して遊ぶのが好きな人、体を動かすのが好きな人、テレビゲームが好きな人、異性に興味がある人…。趣向だけの話ではない。内向的な人、人見知りしない人、話しやすい人、とっつきにくい人、一緒にいて自然な人、波長が合わない人、好きな人、嫌いな人…色んな人がいる。違いこそ人それぞれだ。十人十色とはよく言ったもんだ。

 僕はその人それぞれの違いを、その人の印象やオーラなどと表現できるようなものから読み取り、自分と波長が合うか合わないかを判断するのが得意だった。波長が合う人と合わない人、それぞれに適した付き合い方がある。これを円滑に行うことによって、人間関係がギクシャクしたりするのを防ぐことができる。

そして、空気。よく場の空気、場の雰囲気を読むと言うが…、これを感じ取るのも僕の得意業だ。僕は他人と自分とその場が織り成す空気感を、容易に敏感に感じ取ることが出来た。この生まれ持った特技のおかげで、僕は人間関係においてのトラブルは、まるで経験したことが無かった。お父さんは僕に何度となく、

「正志は世渡り上手だから感心するよ。俺はいつも会社で揉めてる。がははは」

と、お酒を飲みながらよく言っていた。


 四月某日。入学してから数日。半分くらいのクラスメイトの顔と名前が一致してきた頃、僕は彼女と初めて話した。

 その日の二時間目の英語の授業中、窓ガラスがカタカタと音を立てる。一番後ろの席に座っていた僕のすぐそばの窓だ。何の音だ?と思って見ると、一人の女子生徒が、鍵のところを指差して、

(あ~け~て~~~)

と、声は出さずに口を動かした。気づいた僕にニッコリ微笑んで、鍵を指差した右手を激しく前後させる。左手には学校指定のカバンを持っていた。

(…おいおい、今頃登校かよ。見たことあるな…。うちのクラスの人だけど、なんという名前だったかな??)

などと思い、彼女の仕草と笑顔に負けたからか、気の毒に思ったからか、焦ったからか…よくわからないが、僕は鍵を開けてやった。

 彼女は少しずつ…静かにばれないようにと、難しい顔で窓を開ける作業に集中した。そして先生が板書している隙に、窓から音もなく教室に入ってきたのだった。後ろの席の何人かの生徒が気づく。抜き足差し足忍び足の動作を行いながらも、

(し~~~~~)

と、人差し指を立て、

(お願い見逃して!!!)

と、言わんばかりの表情を作る。後ろの生徒がクスクスと笑うと、教室の雰囲気が変わる。ザワザワした瞬間に先生が振り向いて、彼女を見つけるのだった。

「おいっ!なんだお前は!!?」

「ひっっ、なんでもありません!!」

「なんでもないわけがあるか!どこの誰だ?」

「帯山中三年の倉下です!」

「??? なんで中学生がここにいる!その制服はどうした!?」

「あ、違う。ここのクラスなんです!出席番号は二十六番の…」

「倉下、お前は二十三番だろうが…」

彼女のすぐ横にいた男子生徒が、立て肘で明後日の方向を向いたまま、口を挟む。彼は、入学式の日に話した…平沼幸浩君だ。話しやすい性格だが、どこか人との付き合いに一線を引いている。外見は同じ年と思えないほど大人びていて、パーマでうねった髪はそこそこに長く、雰囲気は熱いロックミュージシャンって感じだ。身長も高く、百七十センチはゆうに超えているように見える。

「あわわわ、二十三番の倉下梓です。遅刻しました!ごめんなさい!!」

と、大きく体を九十度に曲げてお辞儀する。クラス中に笑いがドッと沸く。

 先生は出席簿で名前と出席を確認したあと、溜息をついて、

「わかった、いいから席に着いて教科書を開きなさい。黒川先生には言っておくからな!」

と言い、生徒を黙らせて授業を再開させた。

 彼女はここの生徒で、今は学校にいるから当然制服を着ている。制服はグレーのブレザーとスカート、白シャツというスタンダードなもの。胸には青くて細いリボンが添えられている。彼女の髪型はセミショートで、本当に真っ直ぐの直毛、髪の毛の色は透き通るような黒で、肌は白い。目は大きく、体型は痩せ型細身、身長は百五十センチちょっとという感じかな。ルックスは一見どこにでもいそうな感じではあるが、よく見ると各パーツが際立っていて、とても可愛いらしい女の子だ。第一印象は、普通の人、おっちょこちょい、お寝坊さんといったところ。僕とも波長が合う気がした。友達になれれば上手くやっていけると感じた。

 その日のお昼休み、平沼君と二人でいた彼女に話しかける。



[29581] 空気感と雰囲気 編 vol.02
Name: antipas group◆e7e7618c ID:b5dd6933
Date: 2011/09/14 10:48
「やぁ、今朝は大変だったね。朝寝坊?」

「藤田君か。こいつは朝が弱いんだ。俺、中学も一緒だったんだけど…ほんといつもこんな調子さ」

平沼君は笑いながら言った。彼女は僕に目を合わせた。…この瞬間、ほんの一瞬なにかの違和感を感じた。その場の空気がかすかに揺れた気がした。次の瞬間、彼女は表情を変えて、

(……???)

といった感じで、少し呆けたような目で僕を見る。それに合わせて空気感も元に戻る。そしてすぐに、

「あ~~、さっきは鍵空けてくれてありがとう!!!も~中学の時は三回に二回は誤魔化せたもんなのよ!風の梓って言ってねぇ~、いつの間にかねぇ、ちゃ~んと席にいるの!!」

「まぁ、沼ちゃんが毎朝教室の後ろの扉の鍵を開けておいてくれてたおかげなんだけどね」

「この教室一階のくせに、ベランダが無いんだからっ!入るのに苦労するわよ!!沼ちゃんも鍵空けてくれてなかったし!!長い付き合いじゃない!私がいない時点で、鍵くらい開けときなさいよ!!!」

彼女は怒涛のマシンガントークをして、プンプンと口を膨らませ、怒ったような表情をする。

「…いや、また寝坊だなとは思ったけどさ。まさか窓から入ってくるとは思わなかった」

平沼君は呆れたように言う。

「じゃあ、今度からは僕が開けておいてあげるよ」

「藤田君、やっさしぃ~~!!!」

怒った表情から一転させて、上機嫌な笑顔になり、名乗ってもいない僕の名前を呼んだ。

「あれ、まだ名乗ってないのに…僕の名前??」

「え?だって初めの日に自己紹介したじゃん」

確かに自己紹介はしたけど…そんなの緊張もあって、半分すら覚えてない。

「こいつ、バカのくせにそういうことはすごい記憶力なんだ。中学の時なんて、全校生徒の顔と名前と性格をほぼ覚えてやがったからな。しかも先生のもだぜ。異常だろ?」

「全校生徒ってすごいなぁ!記憶力すごくいいんだ?実はIQ百八十とかあったりして」

僕がそう言うと、平沼君は、

「あー、でもこいつ高校受験まで曜日と月の英単語書けなかったよな。人の名前は大切だけど、最低限の受験単語くらい知っとけよ」

と、笑いながら言う。

「バカって言うな!!バカって!!しかもなに!??英単語ぉ?ちゃんと言えますぅ~~!!!マンデイサタデイチュ-ズデイ、ジャンニュアリーフェビュリュアリーマーチアイプリルジュライ!!!」

彼女は大声で捲し立てるが、突っ込みどころは多い…。ルックスからは大人しめの性格をイメージしたが…明るくてテンションがとても高い人だ、と思った。

「鍵は藤田君に頼むからいいもんねっ!ふ~~んだ!」

「いや、ていうかもう遅刻すんなよ」

平沼君の冷静な突っ込みに笑いが込み上がる。居心地が良かった。波長が合うってのはこの感覚のことだ。会ったばかりなのに不自然な感じがない。自然に話が出来る。この二人とは仲良くなれる、親友になれる予感がした。


 ゴールデンウィークも過ぎ、少し暖かくなってきたある日。クラスはすでに馴染んでいる。三十五人の人間が集まると、そこには二、三のグループの構図が見えるようになる。それに属さない人も数人はいるが、理由は様々である。単に人との接触が苦手なことによる、つまはじき者になっていることによる、部活の人や地元の友達と遊ぶのが主であることによる、わき目も振らず勉学に勤しんでいることによる…など、本当に理由は様々である。

 僕も沼ちゃんも梓ちゃんも、特にこれといったグループには属していない。いわば中立派といった立ち位置にいる。しかし、梓ちゃんだけは少し異質で、とにかく親しみやすくて人見知りしない性格のため、毎日少しずつ男友達が増える。今ではクラスの男子全員と話すし、特進コース以外にもたくさん友達が出来ている様子だ。この調子だと、卒業時には皆と友達になっていても全然おかしくない。沼ちゃんが言っていた中学校の生徒全員の名前を覚えていたというのは、この社交性の高さによるのかもしれない。その反面、女子と話している姿はそれほど見ない。誰かと話しているのは、きまって男子であった。でも、最も多くつるんでるのは僕と沼ちゃんの二人で、傍から見れば、この三人で一つの小さいグループに見えるかもしれない。それほどよく一緒にいてよく話した。

「だから、漢文の構図は英語の文体構図に似てるんだって。SVなになに、習ったでしょ?英語は主語があって述語があって、その後ろに細かい情報が出てくるようになってるじゃん。漢文も同じ構成なんだよ」

僕が声を張り上げると、

「本当だな。だったら簡単じゃん。漢文の単語覚えれば、白文でもだいたいは読めるじゃん。一、二点とかレ点がある分、もっと簡単」

沼ちゃんが同意する。肝心の梓ちゃんは、

「ちぃっとも簡単じゃないわよ!英語できない私はどうなるのさ!自動的に漢文もできないことになっちゃうじゃん!!やばい、やばいわ~。こんな調子じゃクラス落ちしちゃうわっ!」

と大変に嘆いている。

「あ、それ置き字だから読まないよ」

梓ちゃんが悩んでいるところを指摘して言うと、彼女は、

「なにさ!?ぉきじ!!?なにそれ???」

と、目を白黒とさせている。

「英単語の中にも発音しない文字が含まれてることがあるでしょ?pingpongのgとかさ。それと同じ。漢文の中にも読まない文字があるの」

「はぁ??なんで読まないものを入れる必要あんのよ!!法則も無いし、いちいち覚えろっての?こんな文字使ってる人頭どうかしてんじゃないの!??」

「これからは梓読みでピングポングて言うことにする!」

「世界はあたしに従いなさいっ!!」

梓ちゃんの頭はパンクしそうだ。

「それについては俺も同感だ。読まない文字なんて省けばいいじゃん」

沼ちゃんが冷静に同意する。

 ここ知恩高校特進コースは、一年通しての成績が芳しくないと、学年が上がる際に普通コースに格下げされてしまう。逆に成績が最も良い普通コースの生徒と入れ替わりになる。はっきり言って、特進コースと普通コースの成績には雲泥の差があり、前例は滅多に無いそうだが…数年に一度は、入れ替わりの例が実際あったそうだ。

「数年に一度出るバカになりたくなけりゃ…勉強しろ」

沼ちゃんが、厳しく言い放つ。

「ゔぅ~~~、もうやだぁ~~」

梓ちゃんは頭を抱えて、髪をわしゃわしゃする。まぁ誰しもが勉強の時、どうしても理解出来ないことに遭遇すると嫌になるし、ヒステリックにもなるもんだ。


 一緒に過ごす時間が増えるにつれて、淡い恋心が育つ。前々から自覚していたが、僕は梓ちゃんのことが好きらしい。それが決定的に自覚できたのは、ついこないだ…ついこないだの放課後のことだった。

 沼ちゃんは僕の予想通りバンドをやっているらしく、学校が終わればすぐに帰宅する。一人で楽器の練習をするか、スタジオでメンバーと練習するかのどちらかなのだろう。学校に居残っている姿はたまにしか見ない。僕も帰宅部だ。これと言って趣味が無い僕は、家に帰ってテレビを見て、夕食を食べて勉強するというパターンが多い。梓ちゃんも部活には所属していない。前に二人にクラブ活動の話をしたことがあったが、

「俺はバンドが忙しいから無理だなぁ」

「私、すごい運動音痴なのよねぇー…もう少し体が思い通りに動けば、部活だって楽しいんだろうけどなぁ…」

と、二人とも部活には興味が無い様子だった。

 梓ちゃんは放課後はいつも校舎の屋上に出て、日が沈むくらいまでそこに居る。つい最近放課後は屋上に行ってるなと気づいたのだが…そこで何をしてるのかはよくわからない。ただ、毎日結構な時間をそこで過ごしているので、何か明確な目的があるのだろう。だが、僕はそれを想像することは出来なかった。

 知恩高校の校舎は四階建てだがそう高さはない。屋上からグラウンドが見渡せる。放課後はそこでたくさんのクラブ活動の様子を目にすることが出来た。

野球、サッカー、ハンドボール、陸上、学校の先生やOBの監督さん、外部の指導者など、高校生以外の人も多くいるし、ここ知恩高校の周囲には軽く数えて十ほどの高校が乱立しているため、練習試合目的で他校の生徒も多く出入りする。つまり、放課後のグラウンドは、学内学外学生非学生問わず、様々な立場の人がそれぞれのことを行う場所になるわけだ。

 ゴールデンウィークに入る直前のある日、僕は放課後、梓ちゃんが屋上に行ったのを確認してから数十分後、屋上に行ってみた。その校舎…二号館の屋上は、誰でも行き来自由になっている。お昼休みも解放されており、昼食を屋上で取る生徒も多くいる。放課後も昼食時ほどでないにしろ、数人の生徒が遊んだり喋ったりして、授業から解放された一時を過ごしている。

「いたいた…」

梓ちゃんは一人で、手すりに両肘をかけて寄りかかり、グラウンドの方を眺めている。ちょうど出入り口の前にいるため、彼女の後姿が見える。放課後の屋上といういつもと違う空間のせいか、スカートや黒髪が風でなびいてる後姿のせいかはわからなかったが、何故かいつもと違う雰囲気を感じた。異質な空気感。…しかしそんなことはほんの些細なことだ。僕は、後ろからワッ!と梓ちゃんを驚かしてやろうと、抜き足、差し足、忍び足でソロソロと近づいた。


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