〈知遊自在〉虚構に漂う現実の香り

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「聖地」の珈琲屋ドリ−ム。テレビの場面でSOS団が座った席とアイスエスプレッソ

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西宮北高の校門前の坂道。劇場版「涼宮ハルヒの消失」の世界改変シーンと重なる=いずれも兵庫県西宮市、滝沢美穂子撮影

■ハルキとハルヒ 阪神間文学の風2

 「アイスエスプレッソをください」。珈琲(コーヒー)屋ドリームでは、これと、裏メニューのメロンクリームソーダを頼む客が目立つ。

 兵庫県西宮市の阪急西宮北口駅から北へ数分。ライトノベルの人気作、涼宮ハルヒシリーズのファンには知られた店だ。ハルヒが結成した「SOS団」の面々がことあるごとに集まるたまり場。そのモデルになった「聖地」である。

 米国や中国のファンもやって来て、作中、ハルヒらが店で頼むメニューを味わっていく。自家焙煎(ばいせん)の本格コーヒーが自慢。阪神間を拠点に活躍した前衛美術家グループ「具体」の作品を掲げるギャラリー喫茶でもある。地元出身の作者、谷川流(ながる)は常連だった。

 大のハルヒファンで店に2年通うイラストレーター茶請(ちゃうけ)は言う。「原作に地名は書かれていないが、モデルらしい場所はわかる。アニメになったハルヒを見て、舞台はここかなと想像して探すのがおもしろい」

 5月にシリーズ最新作「涼宮ハルヒの驚愕(きょうがく)」が発売されたとき、ジュンク堂書店西宮店では100カ所以上の聖地を盛り込んだマップをおまけにつけた。ハルヒらが通うとされる県立西宮北高をはじめ、仲間で映画撮影をする県立甲山森林公園、阪急甲陽園駅……。そのマップを描いたのが茶請だ。

 ハルヒは2006年と09年、京都アニメーションの制作でテレビ放映され、昨年は劇場版「涼宮ハルヒの消失」が公開された。何者かによって改変された世界は超能力者のいない日常。元の世界を求め、ハルヒの同級生キョンが奮闘する。

 そのクライマックスは忘れられない。キョンたちは雪の舞い落ちる病院の屋上から、阪神間の夜景を望む。阪急、JR、阪神の電車が並行して走り、山裾に広がる家々の明かりが潤んで光る。作品の底に流れる青春の切なさが風景に重なるのだ。

 舞台と想定する場所に行き、克明に再現する手法で1年以上かけて映画にした。「そこにしかないナマの風景は作品に説得力を持たせ、地に足のついたものになる。3度4度と現場に通ううち、この場所にハルヒは立ったんだとイメージできた」と、「消失」の監督、武本康弘。時空を超えて日常と非日常を行き来する物語だからなおさら、背景となる土地の力がものをいうのかもしれない。

 「阪神間は坂道がいい。上下の空間の広がりが映像をドラマチックにする」。カメラのフレームで切り取った瞬間、特別な場所になり、その場所をファンは自分の足と目で確かめたくなる。

 「舞台をトレースできる魅力は大きい。京都アニメーションは、虚構の世界に現実の土地の香りをつけた」と、文芸評論家の福嶋亮大は言う。コンビニのようなツルッとした場所と、川や坂道というゴツゴツした土地。「清潔な消費文化を代表する阪神間だが、イノシシも出没する。そんな山と坂の自然を描きこんだ映像だから、共感を集めたのではないか」

 ファンでもある作家、嶽本野ばらは、若者ドラマの舞台の定番だった東京ではない地方都市を描いた点が大きいとみる。「それに、何よりも青春物語だから普遍的魅力を持つ作品になった」。電車を降り、坂道を登る通学風景には10代への郷愁がこめられている。

 ドリームにはファンが書きこむ雑記帳がある。その中の一文。

 「谷川君、夢をかなえたんだね。……アニメのハルヒを見ていると、あのころの気持ちを思い出して懐かしく楽しんでいます」

 谷川が西宮北高時代に所属した文芸部の一つ上の先輩と名乗る人がひっそり寄せたメッセージである。(河合真美江)=敬称略

■もっと知りたい

 ライトノベルはアニメの要素を小説にとりこんだもので、表紙や挿絵にアニメ風の絵が描かれることが多い。少女マンガやSF、ファンタジー、ゲームと親和性があり、キャラクターへの萌(も)えの媒体にもなる。最近ではテーマが日常へ回帰する傾向もある。桜庭一樹や有川浩ら型破りな作家が発掘されるジャンルだ。

 「涼宮ハルヒの憂鬱」は2003年にスニーカー大賞を受賞。シリーズ最新作「驚愕」は中国や韓国でも同時発売され、初版で100万部を超えた。シリーズ11作の累計は800万部にのぼる。イラストを描くのは大阪在住の、いとうのいぢ。

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