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【芸能・社会】

大竹しのぶ「愛の讃歌に救われた」 舞台「ピアフ」会見で明かす

2011年9月14日 紙面から

自身の人生と重ね合わせてピアフを語る大竹しのぶ=東京・丸の内で(石井裕之撮影)

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 女優の大竹しのぶ(54)が恋多き波瀾(はらん)万丈の人生を送った“シャンソンの女王”エディット・ピアフを演じる舞台「ピアフ」(パム・ジャムス作、栗山民也演出)の会見が13日、東京・丸の内の東京会館であった。大竹は「舞台で自分をさらけ出すところは私と同じ」とピアフへの共感を語る一方、かつて愛する人とのつらい別れを救ったのがピアフの『愛の讃歌』だったと明かした。

 「歌で救われたことはありますか」との問いに大竹は「20代のころ(他人に気づかれないように)シャワーを浴びながら大きな声で『愛の讃歌』を歌って助けられました…」といって静かにほほ笑んだ。「それはどんな時ですか」と重ねて聴くと、「好きな人がいなくなった時に」と率直に答えた。

 日本でもよく知られた同曲はピアフの作詞。大竹は「『もしあなたが死んでもおそれはしない。私だって死ぬから。私は大丈夫』という意味の歌詞を信じることができた」という。大竹は20代でTBSのディレクター服部晴治さんと結婚し子どもをもうけるが、服部さんを病気で亡くしている。大竹は今でもバスルームで大声で歌うことがあるという。

 本作でのピアフは街頭で歌っていた10代から、歌姫として華々しく脚光を浴びる一方、恋を重ね、47歳で亡くなるまでを描き、15曲が歌われる。

 実は大竹が二十歳の時、舞台で共演した中村勘九郎(現勘三郎)がピアフの本(『愛の讃歌』)を「これを読んで」とプレゼントしていたという。「それが34年たって演じられてうれしい。芝居で答えを出したい」と話した。

 勘三郎も大竹にピアフを重ねて見たようだが大竹も「舞台で(ピアフのように)『自分の全部を見て、私を見て』というところはあります」と深くうなずいた。

 共演はイブ・モンタンを田代万里生(27)が演じるほか碓井将大(19)、山口馬木也(38)、梅沢昌代(58)、高橋和也(42)。

 10月13−11月6日の東京・日比谷のシアタークリエ公演を皮切りに、11月29日の名古屋・中日劇場まで全国6都市で上演する。

<エディット・ピアフ> 1915年生まれ。本名はエディット・ガシオン。大道アクロバット芸人の娘として生まれ、10代から路上で歌う。19歳の終わりに高級クラブオーナーの目に留まり歌手に。142センチの身長から、オーナーに「小さいスズメ」の意味のピアフの芸名が付けられる。ピアフの戦中、戦後を通じた活躍と悲恋、そして63年に亡くなるまでが描かれる。

 

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