東日本大震災

文字サイズ変更

東日本大震災:漁船の修理急ピッチ 漁師も共に汗…大船渡

再び漁に出られる日まで船の修理工として精を出す漁師の佐々木さん=岩手県大船渡市で2011年5月17日、曹美河撮影
再び漁に出られる日まで船の修理工として精を出す漁師の佐々木さん=岩手県大船渡市で2011年5月17日、曹美河撮影

 岩手県大船渡市の船舶販売・修理会社「互洋大船渡マリーナ」で、漁船の修理が急ピッチで進んでいる。津波で全壊した事務所や工場を約2カ月で再建し、従業員も震災前の2倍の26人に増やした。漁に出られない漁師も汗を流している。

 大船渡湾に面した作業場に、修理を終えた船のエンジン音が響く。津波で傷ついた船体が、修理工の手で鮮やかな青色に塗り替えられていた。「朝から晩までフル稼働だよ。一日も早く漁師さんに船を渡してやりたくてね」。社長の菅野亨さん(65)の声が弾む。

 同社は菅野さんが72年に創業。主に小型船の販売・修理を請け負いながら地元漁業を支えてきた。3月11日、海岸べりに建つ2階建て事務所は津波にのまれ、隣接する工場の機械類のほとんどが押し流された。従業員は全員無事だったが、菅野さんは母里子さんを亡くした。

 菅野さんは震災5日後、再建を決意した。「船がないと漁に出られない。魚市場も水産加工業も動かず、街全体が死んでしまう」。そう思ったからだ。友人らの支援で工場内のがれき撤去などを進め、5月6日から操業を再開した。

 大船渡市や隣の陸前高田市から修理を注文する約190隻の船が集まった。船を失い、海を離れようとする漁師も臨時に雇い入れ、従業員を震災前の12人から26人に増やした。

 修理工の佐々木学さん(27)も、津波で船を流された陸前高田市の漁師。漁を教わった祖父の健太郎さん(81)は波にさらわれ、行方不明だという。「自分を育ててくれたじいちゃんと、このでっかい海を離れるわけにはいかない」と初めての修理作業に精を出す。いつか再び漁に出て、長女彩波(さなみ)ちゃん(2)と長男櫂斗君(1)に「でっかい海」を見せたい。

 菅野さんは力強く話す。「ホタテやワカメの養殖作業が始まる盆までには、すべての船を返したい」。すでに数隻の修理を終え、所有者に手渡した。【曹美河】

毎日新聞 2011年6月2日 10時55分(最終更新 6月2日 12時31分)

東日本大震災 アーカイブ一覧

PR情報

スポンサーサイト検索

 

おすすめ情報

特集企画

東海イズム!チャレンジセンターの活動

対談第2回 チャレンジセンターで培う人間