-大臣辞任は自分から野田佳彦首相に言い出したのか。
「そうです。あの日は工場視察に出かけるとき、記者が宿舎にたくさん集まっていた。そのとき、どういう気持ちだったかといえば、これから視察に行くわけですから(辞任の意思はなかった)…。ただ工場視察を終えて、午後7時から総理にお会いするときは腹が決まっていた」
-首相から辞任を求められたのではないか。
「それはない。私はまず一連の事実経過を説明し、そのまま話を続けて、辞める意志を自分で伝えました」
-ずばり聞くが「大臣は経済産業省にはめられたのではないか」という説がある。これをどう思うか。
「それは憶測でしょう。私は推測でモノは言いたくない」
-役所と対立したことはなかったのか。「鉢呂大臣は幹部人事の入れ替えを考えていたらしい」という話も流れている。
「幹部人事をどうするか、だれかと話したことは一度もない」
「原発反対派を加えて、賛成反対を半々にするつもりだった」
そして、ここからが重要な部分である。
-脱原発依存やエネルギー政策はどう考えていたのか。
「政府はエネルギー政策を大臣レベルの『エネルギー・環境会議』と経産省の『総合資源エネルギー調査会』の二段構えで検討する段取りになっていた。前者は法律に基づかないが、後者は法律(注・経産省設置法)に基づく会議だ。調査会は今年中に中間報告を出して、来年、正式に報告を出す方針だった」
「このうち総合資源エネルギー調査会は私が着任する前の6月段階で、すでに委員の顔ぶれが内定していた。全部で15人のうち3人が原発反対派で残りの12人が賛成派だ。私は事故を受けて、せめて賛成派と批判派が半数ずつでないと、国民の理解は得られないと思った。それであと9人から10人は反対派を加えて、反対派を合計12、3人にするつもりだった。委員に定数はないので、そうすれば賛成と反対が12人くらいずつで半々になる」
-それには役所が抵抗したでしょう。
「役所は『分かりました』という返事だった。私が出した委員候補リストを基に人選を終えて、後は記者発表するばかりのところだった」
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