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スペシャル対談 田尻智さん(ゲームフリーク)VS石原恒和さん(クリーチャーズ)対談
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前編ポケモンを作る前に

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Q田尻さんと石原さんが一緒にゲームを作られたのは、『ヨッシーのたまご』が最初でしたね。
● 田尻>> そうなんですが、企画として立ち上げたのは『ポケットモンスター』の方が最初です。そもそも『ポケットモンスター』は、もっとコンパクトなゲームになる予定だったんです。
田尻さん最初、スクウェアさんの『魔界塔士SaGa』を見たときに「ゲームボーイでもアクションゲームじゃない分野を追求できるんだな」という可能性に気がついて、ゲームボーイなら半年くらいで作れるのではないかと思っていました。ところが、夢とか志がそのスケールの何倍もあったわけで、半年で完成させるのは難しいかもしれないっていうのは感じていたんだけど、やっぱりできなかったんですよね(笑)。ゲーム制作においては、たとえば「車をヒッチハイクしてA地点からB地点まで乗せてもらったらうれしいね」というようなアイデアが出た場合、いちおう作って確かめたくなるんですよ。そういう小さい実験を繰り返しているうちにすぐ半年くらい経っちゃったわけで。それで、石原さんの方から「まずは『ヨッシーのたまご』とか『マリオとワリオ』のような制作期間の短いゲームを作ることで会社の資金繰りやスタッフの能力といった様々な面を向上させて、それからあらためて『ポケットモンスター』に取りかかろう」っていう提案をいただいたわけです。

Q思い入れの強い『ポケットモンスター』を中断することに、すぐ納得はできたんですか?
● 田尻>> うん。僕なんかはむしろいい話だと思ってました。『ヨッシーのたまご』なんかはゲーム制作へのアプローチが『ポケットモンスター』と違うんですよ。『ポケットモンスター』の場合は自分たちが思い描く「こんな素晴らしいゲームを作ってみたいね」っていう動機からはじまっているんだけど、『ヨッシーのたまご』の場合は「ヨッシーというキャラクターで半年で1本作ってください」という、つまり与えられた宿題でどれだけいい点をとれるかという課題ですよね。だから、作る姿勢がまったく違うというのは、かえって僕にとっては並行してできるゲーム制作のやり方だったわけです。
石原さん● 石原>> その人の、それをたまたま担当した人生のなかでの年齢であるとか、経験してきたことの数であったり、そのチームの力量であったり、そういうものによってゲームの作り方はまったく違ってきます。チームによってこんなに作り方が違うのか、ゲームの作り方にはこんなにバリエーションが存在するのか、というような創作物って他にはあまりないじゃないですか。1人で作れてしまうかもしれないし、100人がかりで作るものもあるかもしれないし。そのときに、夢を追ってひとつのビジョンに向かって試行錯誤していく作り方と、ある課題に対してどこまで効率よく完成させられるかっていう作り方と、僕はいつもふたつくらい頭のなかにあった方が、それぞれが刺激し合って、より良いものが生まれると思うんです。
● 田尻>> 結果として『ヨッシーのたまご』は日本国内だけじゃなく、ワールドワイドな商品として売られていったので、非常にありがたかったですね。つまり会社が生きのびるための課題だったんだけれど、日本の外側でも売れてくれた分はオプションとして利益が入るわけで、会社の経営的にかなり助かったんです。それに、もともとテレビゲームって日本人が作ったものでも世界中のマーケットに売られて行くのが当たり前だったんだよね。そういう意味でも、ゲームの歴史の基本に忠実な商品として認められたというのが、僕はすごくうれしかった。


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