開 眼 供 養

(ネット界の電網法華講衆の法太郎様より戴きました!H19:10)

昔からいろいろな雑宗でも「ホトケ作って魂入れず」といえばマヌケな野郎をいうことはごぞんじと思います。古来からの仏教の化儀として開眼供養は御本尊にとって必随する化儀なのであります。

日蓮大聖人は「撰時抄(861)」に
「天台の座主を真言の官主となし、真言の鎮護国家の三部とて今に四百余年が間、碩学稻麻のごとし渇仰竹葦に同じ。されば桓武・伝教等の日本国建立の寺塔は一宇もなく真言の寺となりぬ。公家も武家も一同に真言師を召して師匠とあをぎ、官をなし寺をあづけたぶ。仏事の木画の開眼供養は八宗一同に大日仏眼の印真言なり」
といわれ、古くから造立の開眼供養は真言を用いてきたと述懐されています。

日蓮大聖人の仏法においては「祈祷抄」(御書624)に
「此の経の文字は即釈迦如来の御魂(ミタマ)なり。一々の文字は仏の御魂なれば此の経を行ぜん人をば釈迦如来が御眼の如くまほり給ふべし」
とあるように、法華経の文字のいちいちが「仏の眼」であり、正しい法華経でなければ成仏は出来ません。日有上人が古くからの化儀として謗法の経を読んではならないとご指導されているとおりであります。

日蓮大聖人は「木絵二像開眼の事(638)」に
「法華を心得たる人、木絵二像を開眼供養せざれば、家に主のなきに盗人が入り、人の死するに其の身に鬼神入るが如し。今真言を以て日本の仏を供養すれば、鬼入りて人の命をうばふ。鬼をば奪命者といふ。魔入りて功徳をうばふ。魔をば奪功徳者といふ。鬼をあがむるゆへに、今生には国をほろぼす。魔をたとむゆへに、後生には無間の獄に堕す。」
といわれています。本尊造立にさいしては開眼供養は必須の条件であるという御指南ですね。

御本尊に関するすべては日蓮大聖人より血脈の法主上人の権能であることは日有上人の[雑々聞書]に
「一、大石寺は四帖の聖教とて先師の作之レ有り、此の内・日目の耳引法門と云ふ事之レ有り・本尊の大事なり三箇の秘法なり、其の中には本門の本尊なり是レ教主の依用なり・大小共に二仏並出を許さず、去れば此ノ大事は門徒の首長計リ伝へて本尊を書くべし余は書くべからず二仏並出と云々、去れば一切の仏をば無作の一仏とし・一切の菩薩をば上行の一菩薩とするなり云々。」(富士宗学要集二巻・一六三頁)

とあります。すなわち、大石寺には日有上人以前の上代から四帖にまとめられた聖教があり大石寺の法則(化儀)が残されていて、その中には日目上人にまつわる本尊の大事が相伝されていて、本尊の大事は首長(貫主・法主)のみ書写することが決定されているといわれているのです。日蓮大聖人の御書から御本尊の書写には開眼供養が必随することは当然です。当たり前のことはわざわざ文書にしないのはあたりまえです。日蓮大聖人の御書に起床時間や就寝時間などは書かれていませんからね。(笑)、


日蓮大聖人は御自身を「法主」と呼称されていますね。「滝泉寺申状(御書1401)」です。

「法主聖人 時を知り国を知り、法を知り機を知り、君の為民の為、神の為仏の為、災難を対治せらるべきの由勘へ申すと雖も御信用無きの上、剰へ謗法の人等の讒言に依って聖人頭に疵を負ひ、左手を打ち折らるゝの上、両度まで遠流の責めを蒙り、門弟等所々に射殺され、切り殺され、殺害・刃傷・禁獄・流罪・打擲・擯出・罵詈等の大難勝げて計ふべからず」といわれています。

すなわち、傷を負い、左手を打ち折られたというのは小松原の法難であることは明白ですのでここで大聖人がいっている「法主」とは御自身を指していっていることがおわかりでしょう。

また「法華本門宗血脈相承事(一六八○頁)」には
「然りと雖も仏は熟脱の教主、某は下種の法主なり。彼の一品二半は舎利弗等の為には観心たり、我等凡夫の為には教相たり。理即但妄の凡夫の為の観心は、余行に渡らざる南無妙法蓮華経是なり」
という御書でもご理解出来たと思います。

日興上人も大聖人を法主と呼称されているのが「辨阿闍梨御返事」というお手紙で、
「御状 法主聖人 御~殿奉備進候了。恐々謹言。」(歴代法主全書1巻133)
と表現されているので日蓮大聖人を<法主>ということはキマリですね。意味は弁阿闍梨様からの手紙を御宮殿(御影堂における御影様の厨子のこと)に備えたという意味です。

日興上人のもとで学頭を勤めていた三位日順(さんみにちじゅん)師も
「謹んで伝教大師の灯明記を披くに・八種の譬喩を挙げ・末法に名字の法師を出だす、法主聖人の五品鈔を見るに三学の廃立を明して、今の時は信を持つて恵に代へよと云々、」(富士宗学要集2巻18)
と、あります。五品抄とは「四信五品抄」のことですからここで日順師が釈尊ではなく日蓮大聖人を<法主聖人>といわれていることはおわかりと思います。

日順師には他にも
「法主聖人 内証秀発の上・経釈の明鏡を出して観心取要に載せ、滅後を以ッて之を論ぜば正法千年・像法千年は尚傍なり、末法を以つて正と為す等御抄の始終其の理顕然たり、」(富士宗学要集2巻42)
とあります。「観心取要」とは観心本尊抄と法華取要鈔のことですからここでも「法主」とは釈尊ではなく大聖人であることは決定的であります。


日有上人の時代にはすでに歴代の貫主上人、または首長の歴代聖人を「法主」とされていました。「百五十箇条(日叶師)」には
「当門流に大聖人以来は日興を以て・法主とせり・是も元意の本尊なり、何の門徒も貫主法主と云フ事有り、夫レが教主の習ヒ有リて下種の妙法を授るなり、さてこそ惣別の中に別して法主計り受授の導師となると申シ伝エたり、」(富士宗学要集2巻182)
とありますので、大聖人の後は日興上人が法主であり歴代(受授の導師)の貫主上人を「法主」であると申しております。

御本尊に関することは、上に挙げた種々の文証にあるように、すべて歴代の法主にあることは明白であります。ただし、日蓮大聖人の御命令により富木殿の釈迦仏造立には六老の日頂師に急いで開眼供養するよう指南しています。

「真間釈迦仏御供養逐状(426)」には
「但し仏の開眼の御事は、いそぎいそぎ伊よ房(日頂師)をもてはたしまいらせさせ給ひ候へ。法華経一部、御仏の御六根によみ入れまいらせて、生身の教主釈尊になしまいらせて、かへりて迎ひ入れまいらせさせ給へ」
とあります。

この「真間釈迦仏御供養逐状」には開眼供養の意義が明確に御指南されています。すなわち木・画によって造立された仏の造形はそのままでは単なる木像・画像にしか過ぎないので、この仏の形像に法華経を読み入れることによって生身の釈尊と成るのであり、ここに開眼供養の重大な意義が存するのであります。


結論をもうします。仏(本尊)を造立したときは法華経をもって開眼供養することが文底仏法の法則であり、日蓮大聖人以前には仏教の各宗派は真言をもって開眼供養の経としてきましたが、大聖人の下種仏法では大聖人の法華経(妙法)をもって開眼供養することが正しいのであります。これは仏法批判の三原則のうち「道理」をもって論じました。


ここで「文証」と「道理」の次元の違いを述べれば、『持妙法華問答抄(御書294)』に
「天台は「若し深く所以有りて、復修多羅と合する者は、録して之を用ふ。文無く義無きは信受すべからず」と判じ給へり。又云はく「文証無きは悉く是邪謂なり」とも云へり」
とあり、また『衆生身心(御書1216)』には
「随って善無畏等・玄奘等、弘法・慈覚・智証等種々のたくみあれども、法華経を大日経に対してやぶりたる経文はいだし給わず。但印と真言計りの有無をゆへとせるなるべし。数百巻のふみをつくり、漢土日本に往復して無尽のたばかりをなし、宣旨を申しそへて人ををどされんよりは、経文分明ならばたれか疑ひをなすべき」
とあり、

大聖人が「文証」といわれたときは、通常は「経文」を云っているのであり論旨の「道理」に優先するものではなく、優先すべき思考は「道理」である。

『四条金吾殿御返事(1179)』には
「きたはぬかねは、さかんなる火に入るればとくとけ候。氷をゆに入るゝがごとし。剣なんどは大火に入るれども暫くはとけず。是きたへる故なり。まえにかう申すはきたうなるべし。仏法と申すは道理なり。道理と申すは主に勝つ物なり」
と御指南されているとおりです。

『三三蔵祈雨事(874)』には
「日蓮仏法をこゝろみるに、道理と証文とにはすぎず。又道理証文よりも現証にはすぎず」
とある御指南は、日蓮大聖人の仏法とは「道理」と「文証」とには過ぎないとの仰せになられ、この正しい道理・文証によって得られた現証こそ「仏因=仏果」を云っているのであります。「三三蔵祈雨事」では具体的にいう現証とは「立正安国論」の預言の的中をいっておられるのであすから、凡夫の得果をもって現証は道理・文証よりも勝れていると考えるのは過ちであります。


さらに大聖人の滅後では歴代の上人が法主であり、本尊書写の第一人者でありこれは異流義の要法寺でも日目上人の弟子であった日尊の弟子である日大が書き記した『日尊実録』に、

「本尊書写ノ事 日尊の仰せに云はく、大聖人の御遷化の後、六老僧の面々は本尊を書写し給えり、然るにその意義無く、その後面々の末流において初心や後心の戒行の有無なくかってこれを糾明すること無しと云われた、此れらの次第はかつは法滅の因縁か、五老方はしばらくこれをさしおく、富士門徒は付弟の一人が書写し奉るべし。この由を日興上人は御遺戒なりといわれた。その故は法灯を賞(証)してもって根源を立てんがためなりといわれた。これによって本尊の銘に云わく、仏滅後二千二百三十余年之間一閻浮堤内未曾有大曼陀羅也云々、私もまた此の義を存するところ、日興上人が御入滅の後には門跡に於いて面々諍論が出来して互いに偏執をなして多く邪論を起こして人びと面めんに本尊を書写し奉るといわれた、然るにすなわち仏意を測ることは難かしく聖意は恐れが有るが、所詮はわが一門に於いては本義の如く一人がこれを書写し奉ることが正しいのだ云々」(日蓮宗宗学全書2巻428)
原文は漢文です。

とあり、要するに日蓮大聖人の滅後には六老門流がめいめいかってに本尊を書きだしたが、富士門流においては相伝の一人が書写するのが正しいのである、と日尊(日目上人の弟子)が云っていたと述懐しています。


この、御本尊の意義にまつわる一念三千と木画の開眼供養について御指南されたのは日寛上人であります。日寛上人は『観心本尊抄文段』に以下のような御指導をされています。

「凡そ草木成仏とは、一往熟脱に通ずと雖も実は文底下種の法門なり。その故は宗祖云く「詮ずる所は一念三千の仏種に非ずんば有情の成仏・木画二像の本尊は有名無実なり」と。一念三千の法門は但法華経の法門寿量品の文底に秘沈し給えるが故なり。末師の料簡は且く之を閣く云云。今謹んで諸御抄の意を案ずるに、草木成仏に略して二意あり。一には不改本位の成仏、二には木画二像の成仏なり。(−中略−)

二に木画二像の草木成仏とは、謂く、木画の二像に一念三千の仏種の魂魄を入るるが故に、木画の全体生身の仏なり。二十八・十三、四条金吾抄に云く「一念三千の法門と申すは三種の世間よりをこり乃至第三の国土世間と申すは草木世間なり乃至五色のゑのぐは草木なり画像これより起こる。

木と申すは木像是より出来す、此の画木に魂魄と申す神を入るる事は法華経の力なり天台大師のさとりなり、此の法門は衆生にて申せば即身成仏といはれ画木にて申せば草木成仏と申すなり」と云云。文の中に「此の法門」とは一念三千の法門なり。

また三十一巻二十骨目抄に云く「三十一相の木画の像に法華経を印すれば木画の全体全身の仏なり、草木成仏といへるは是なり」と云云。若しこの意を得ば、答の大旨自ら知るべし。

またまた当に知るべし、若し草木成仏の両義を暁れば、則ち今安置し奉る処の御本尊の全体、本有無作の一念三千の生身の仏なり、謹んで文字及び木画と謂うことなかれ。云云」(観心本尊抄文段・470)

日寛上人の御指南されている開眼供養の意義とは、「一念三千の仏種を入れる」といわれていてこれが草木成仏の大旨でありこれによって安置するところの御本尊は「生身の仏」であると仰せになられています。


最後に開眼供養にまつわる御本尊の問題について総本山第55世・堀日亨上人の御指南を述べさせて頂きます。

「曼陀羅書写の大権は唯授一人金口相承の法主に在りて、敢えて沙弥輩の呶々する事を許さんや、故に今唯文に付いて愚註を加ふ、元意の重は更に予の窺ひ知る所にあらざるなり。

「曼陀羅書写本尊授与の事は、宗門第一の化儀なり、仮令意に妙法を信じ口に題目を唱へ身に殊勝の行ありとも、当流にては対境の本尊を授与せられ示中の人とならざれば、信心決定即身成仏と云ふこと能はざるなり、故に当宗は濫りに曼陀羅を授与し給はず、開山は曼陀羅転授に就いても之を鄭重になし給ひ、尊師は宗門未有の弘通者なれども自ら曼陀羅を書写せず、然るに余門流の僧侶不相伝の儘猥りに曼陀羅を書き散して、僭越の逆罪とも思はざるのみならず、雑乱滅裂全き形式をだに得たるものなし、無法無慙の甚だしきもの八大地獄は彼等の為に門を開けり、慎まざるべけんや、

然るに本尊の事は斯の如く一定して・授与する人は金口相承の法主に限り授与せらるる人は信行不退の決定者に限る」
(有師化儀鈔注解・富士宗学要集1巻112)

本尊を書写することは、再度云いますが開眼供養が必随します。以上の「道理」と「文証」の原理は正しい本尊の書写には正しい開眼供養があり、これによって正しい功徳が生ずるのであるというこでありますが、これが理解出来ないのであれば、

@本尊書写は誰が書いても良いという御書の文証の有無については如何?
A形木本尊は在家でも下附出来るという御書の文証については如何?
A本尊造立もしくは下附にまつわり開眼供養は必要無いという文証については如何?

という反論に明確に応えるべきである。過去に日達上人の時代に「特別御形木御本尊」に限り、創賊の会館において創賊の幹部より一般会員に下附されていたが、これは<日達上人の御裁可>によって創賊の申請による本尊下附が行なわれた行為であり、創賊主導のものではない。あくまでも総本山の御法主の裁可によって実現が可能になったのである。


(捨遺)

御本尊様と御守り様に関し、末寺の住職さんが書いたり御形木を御造立して開眼供養をしていた時期はありました。これは日有上人の化儀鈔にも許可されていたことが書かれています、日興上人の時代にも讃岐の日仙師が数幅の御本尊を書いていますし、御本尊を書いたら開眼供養をするのは上記の文証にあきらかであります。

これは交通不便のおり「花押」は許されないがこれ以外は御形木本尊として御本尊を書くことは許されていましたし、近年では末寺でにあっては有縁の上人や、または有縁の宝物として格護している御本尊様を写真製版して御形木本尊として開眼供養して下附していましたが、日達上人の時代に現在のように総本山で一括下附することで統一されました。

当時の末寺では下附する御形木御本尊を三宝に載せて、寺院の御本尊に捧げて開眼供養をして信徒に下附していましたが、現在では総本山の丑寅勤行のとき三宝に乗る十数体ずつ御法主上人が開眼供養をされています。

いじょうです。いじょうクドグトともうしましたが、要するに「法主の開眼供養の無い本尊はただの魔仏である」と申せましょう。

よく考えると創価学会のニセ本尊が、開眼供養が無いから謗法だというのはおかしいと思います。なぜなら創価学会は「血脈断絶」の謗法であるいじょう、たとえ池田大作が開眼供養したとしても大謗法であるからです。

以上。 

                                       (ありがとうございました:管理者より)
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