スイス西部の田舎町で7月27日、ハンガリー出身のフランス語作家、アゴタ・クリストフが亡くなった。享年75。第1作「悪童日記」が世界中で読まれた。原題は、素っ気なく「大きなノート」である。
盗み、恐喝、放火、殺人未遂……双子の少年が悪行の数々を記す。武骨な文章と酷薄な物語が話題を呼んだが、何も感じず何も考えず「ただ行為する子供たち」は、なぜそれをノートに書き留めたのだろう。
アゴタは21歳の時、ソ連の支配に民衆が蜂起し、鎮圧された「ハンガリー動乱」(1956年)で国外へ逃れ、亡命先としてスイスの田舎町をあてがわれた。結局そこに住みついて半世紀。そこで死んだ。
自伝「文盲」には、自分を一人の人間にしたハンガリー語への慈しみ、政治の事情で習得を強いられたフランス語への憎しみが、絞り出すうなり声のようにつぶやかれている。政治的にはフランス語がアゴタを救った。しかし、アゴタはフランス語を「私の母語を殺し続けている敵性語」と呼ぶ。フランス語で作家になってもなお、自らを「文盲」と名乗る。亡命作家と呼ばれるのを拒否し、難民作家であると言う。
双子は国境の町で、1人は国外へ逃れ、1人は国内に残る。3部作の続編を読み進むと、やがて2人は1人となり、死者が生きている。悪行は胸をむかつかせ、物語は不合理で訳が分からない。不幸な国で特異な経験をした偏屈者の小説である。
それでも世界は、この物語を読まずにおれなかった。敵性語でも、「たとえ誰一人興味を持ってくれなくても、ものを書き続けなければならない」と観念して書いた人に、引きつけられずにいられなかった。
インターネットに得々としてあふれかえるお気楽な電子文字では書けないものが、この世界には、まだある。(ジュネーブ支局)
毎日新聞 2011年9月13日 0時21分
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