ロス・バン・バンのディレクター フアン・フォルメル氏に電話インタビューしました。
(2005.7.1)
グループの名前を付けられる時に、このバンドがこんなに長い間活躍することに なると想像されましたか? いえいえ、全然ですよ。 私個人としては、キューバダンスミュージックは色々な 意味でとにかく変えていかなければという思いがあったんです。 自分ではその場しのぎに過ぎないのかなと思っていたのが、気付いたら35年ですよ。でもまあ、人生ってそんなものですよね。 いろいろなことがあったと思うのですが、現在のメンバーとなってから、つまりこの10年の間に、”Van Van”はどんな変化を遂げたのでしょうか? あまり大きな変化はないと思いますよ。というのは、私がイメージ構成して、そこから作曲、編曲、そしてバンドの特徴的なサウンドを作ってきているので、そういう点では変わっていないと思います。 テクニックの面では、César Pedroso, Pedro Calvo やJosé Luis Quintana“Chaquito”のような質の高いミュージシャンが加入してますから、侮れないですよ。新加入メンバーは、特別な元気というか、勢いがあるんです。私は、メンバーが持っているその素材を活用しているに過ぎないんです。でも、サウンド自体は変わっていません、実際のところほぼ同じです。 変化を遂げ、新メンバーを加入して、掴んだ成功についてお話していただけますか? その秘密はなんでしょう? 秘密ですか? そうですね、一番には、やはりダンサーの視点から見る、またその助けを借りて、活動を続けるということです。 私にとって、重要なのは人を踊らせる、それも質の高いダンスをさせるということなんです。新規加入メンバーにも、ダンサーを満足させるという気持ちを見失わないように、教えこんでいます。その舞台イメージの演出は、私がたとえその場にいなくても、ライブでしなければいけないことは、私のコントロール下にあります。 “Los Van Van”のトラデイショナルな成功は常に観客に受け入れられてきましたが、それは、キューバの観客にも言えることなのですか? J.Formell: そうですね。ここキューバでは、時に最新の何かを求められることもありますが、国際的なステージでは、もっとずっと広いレパートリーでありながら、いつもの曲は全く同じ調子で何ら変わりなくオリジナルに忠実にやっています。これらの曲ではステージ上何のミスも無いように気を遣います。 最新アルバムの事ですが、“また街にいる”というのは具体的には何を意味するんですか? ああ、それはボーカルが言うフレーズなんですよ。バンドに新メンバーが加わり、もう同じ音じゃないだろう…、バンドは、今までの“Los Van Van”じゃないんだ…と疑問思われていたいう事なんです。 ところが、Los Van Vanは、また街にいる(以前と一緒)と。それがフレーズの意味ですよ。 キューバ音楽に関して伺いますが、“Los Van Van”と今の他のバンドとの違いは何でしょう? そうですね、“Van Van”は常に違ったバンド構成、私達は金管楽器や弦楽器を一度に使うことで、違いを出してきました。私は、バイオリンとトロンボーンの調和を図るんです。トロンボーンは金管楽器ですが、弦楽器のバイオリンと関われるよう、アグレッシブにはしないんです。皆が聞けばすぐに、“Van Van”と分かるリズムが響くサウンドなんです。 個人的にはリーダーとしてこの35年間で何が一番大変だったでしょうか? 難しかったのはやはり35年間維持してきたという事ですよ。キャラクターも違う各メンバーと、それぞれが抱えている現実を踏まえて、全員団結させ、それを維持するのが最も難しい事です。 他の国で音楽作りをしようと思った事はありますか? この長い年月、私の曲作りでして思ったことですが、私達の社会について記録をし、その事を伝えるにはやはり、そこに住んでいなければいけないということです。キューバのような複雑な社会、私もその一員なんですが、そこで常に住み、分かち合うことが必要なんです。私は個人的には満足していますし、他の場所で音楽をしようと思ったことはありません。 ではVan Vanは今もその日常から育まれ続けているのですね…。 勿論です。話し方、逸話、出来事、そんな政治と交わらない、まあたまには政治的なことが混ざることもありますが、そんな社会の記録なんです。先程話したように、ダンサーの役割りが常に優先されます。 世界中で成功を収めてきたわけですが、それはダンスが共通言語となったおかげと言えるのでしょうか? 特にこの音楽で期待するのは、拍手より何より、観客が踊りたくて、一時も座ってはいられないほどに、踊ってくれることなんです。 日常を反映したというキューバでの成功ですが、大手音楽業界の手を借りずにどのようにして世界レベルにまでなったのでしょうか? 私が思うには、バンドのライブやそのステージを通じてだと思います。そのお陰で世界中に世代を受け継いだファンができたのだと。 数多くのライブを行っていますが、行く度にそこで、私達とその音楽を覚えていてくれる人たちがいて、親から子へと受け継いでくれているのです。 “Los Van Van”は年平均してどの位ライブ活動を行っているのでしょうか? キューバでのライブ、そして世界ツアーを数えると、年に100回は超えているでしょうね。 3日に1度はライブをしていることになりますね。 信じられないですね!ご自身のルーツに関してお尋ねしますが、先祖はヨーロッパ人でしょうか? そうですね、私の苗字からしてカタルーニャ、南ヨーロッパがルーツのようです。でも混血の土壌ですから、きっとアフリカの祖先もいるはずですよ。 私達“テイエンポ・イベロアメリカーノ”は、この混血の概念を、ラテンアメリカ全体が世界の人種の統合地域であると提唱しているんです。“Van Van”とそのメンバー達はこの35年間、人種統合をどう捉えてきましたか? アフリカ起源の音楽をするのに自分のルーツがヨーロッパであるということが問題になった事はありませんか? それはありませんよ。 カリブという地域は昔から黒人と同化し、かつヨーロッパ文化のなごりをとどめているのです。 キューバは昔からその地理的条件から、各国の船舶の通過地となり、それぞれの文化がすぐに混合されてきたのだと思います。キューバは音楽大国ですが、それはまさに混血文化とアフリカそしてヨーロッパ、世界各地の音楽ジャンルの統合文化のお陰なのです。 人は、よく自分の文化を守るのに“生来の血筋”があるという言い方をしますが、あなたの場合はアフリカ先祖の血が受け継がれているのでしょうか? そう、もちろんですよ。 リズムだけでなく曲のテーマとしてもでしょうか? そうです。勿論私の見解が入っていますが、アフリカ文化を表現してきました。 キューバでは自然なこの融合を、ラテンアメリカでもこれに習い、さらには近い将来より国際的な社会にあてはめて見たときに、これら全ての文化を私達の血の中に取り入れて生きて行けるのでしょうか? 勿論ですとも。人間はそういう向かっているんだと思います。 日本でのステージについて具体的にお聞かせ下さい。初の全国ツアーとなりますが、どのようなビジョンをお持ちですか? 何がおきるか期待でいっぱいですよ。日本の観客の皆さんがこの音楽を愛してくれていて、ビデオなどで私達が知られていることも知っています。だからこそ、これから日本でどんなことが起きるのかなと期待しているんです。 コンサートに来る観客は何に出会えるんでしょうか?“Los Van Van”がこのツアーで計画していることはなんでしょうか? 70年代初めのポプリーから初めて、90年代の曲に近づき、そしてグラミー賞受賞ディスクから最新盤“Chapeando”へ。 パノラマ的なステージで、リクエストにもお答えしていけたらと思っています。 数年前に亡くなられた日本人コメディアンのいかりや長介さんは、“Los Van Van”の大ファンであったと聞いていますが、いかりやさんについての思い出をお聞かせいただけますか? 彼との思い出はたくさんあります。私達を日本の観客に紹介してくれ、その大きな扉を開けてくれた方なんですから。 35年、そしてchapeando依然として山への新たな道を切り開いていますよね。この意味はとても大変だということですよね。でもどうして、船旅でさまよいながら、という表現ではいけなかったんですか? つまりフォルメル氏はお疲れになりませんか? それは違います。Chapearという動作は山であり、私達は畏敬の念を持っているのです。それは、神社のようなものであり、69年に私達のグループが誕生したときに神とファンタジーの世界に入ったように思えたのです。そうしてその後、又閉ざされてしまい、今もまたもう一度開けるためにchapearなのです。 |