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〔上〕 心神喪失 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
名古屋地裁で開かれた模擬裁判は、刑事弁護に熱心な若手弁護士に危機感を抱かせた。統合 失調症の男による殺人事件がテーマ。9人中6人が「犯行時は妄想に支配された心神喪失状態」と 無罪の意見を述べる中、裁判員役の女性が、有罪の主張を貫いたからだ。 刑法39条は「心神喪失者の行為は罰しない」と規定する。心神喪失とは「精神障害で善悪の判断 ができないか、その判断に従って行動できない状態」。1931年の判決で示されてから、ずっと受け 継がれる定義だ。 なのに「各地の模擬裁判でも、心神喪失を認めながら有罪を主張した人がいる」。この弁護士は そう話す。 社会を震撼させた幼女連続誘拐殺人事件の宮崎勤(右)、池田小児童殺傷事件の宅間守(左)の 両元死刑囚などの裁判では、結局認定されなかったが、弁護人は「犯行時は心神喪失だった」と して、無罪を主張した。 なぜ心神喪失だと罰しないのか。逆に、どんな場合に罰することができるのか。端的に言えば 「踏みとどまることができたのに、自分の意思でそうしなかった場合」である。 これが刑事責任を問えるかどうかを判断する際の基本的な考え方となる。精神障害による妄想に 支配されて人を刺すなど、大惨事を生んだ犯罪でも、自分の意思でその行動を止められない状況 だったら責めることはできない、罰しないというルールだ。だが、被害者から見れば、犯人の事情は 関係ない。 「人を殺しても無罪になるなら、被害者は『やられ損』。無罪にはしたくない」。冒頭の裁判員役の 女性が述べたように、刑事責任の考え方を理不尽だと感じる人がいても無理もない。裁判員裁判 では、ルールが守られずに被告が不当な罰を受けるのではないか。そんな懸念が浮かぶ。 |
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刑事責任能力を争う事件の弁護をテーマに論文を執筆した弁護士の金岡繁裕はこう指摘する。 「個々の裁判を担当する裁判官と検察官、弁護士が話し合って刑事責任についての説明文を作り、 審理や評議で繰り返し理解を求める必要がある」 「責任なければ刑罰なし」。この格言が示す刑事責任の考え方を裁判官が裁判員にどう説明し、 裁判員がどう理解するか。それは結論に影響する大きなポイントになる。 (敬称略) |
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法廷で頻繁に飛び出す「刑事責任」という言葉。「妄想に支配された犯行で刑事責任はなく、罪に 問えない」などと使われるが、この「責任」のとらえ方が腑に落ちないという人もいるだろう。精神の 障害や病気について知識も経験もない市民が、そうした判断を迫られ得るのが裁判員裁判だ。 制度の開始まで1月半を切った。「裁判員を担う」第四部からは、現場の法廷などから浮かび上が った課題を探る。(中日新聞2009/04/09Thu.) |
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〔中〕精神鑑定 | ||
3月31日、東京高裁で、東京・渋谷の夫殺害・死体遺棄事件の控訴審の初公判が開かれた。 被告の女に出廷の義務はなく、証言台には弁護側が推薦した精神鑑定医の男性が1人。1審の鑑 定で被告を「心神喪失」とした診断について質問を受けていた。 夫を殺し、切断して捨てたとされる被告は「(犯行時に)血を流す女性の姿が見え、声が聞こえた」 などと幻覚を訴えた。1審も2審も、争点は責任能力の有無となった。 裁判長の出田孝一が尋ねた。「自分が手をかけたけれど、別の自分がやったと思い込もうとして いるのではないか。自己防衛本能の働きでは?」。医師の木村一優は「そういう自己防衛は起きて いない」と反論する。犯行と向き合いたくない気持が幻覚を作り出したのではー。繰り返し問う出田 に対し、木村は懸命に詐病の可能性を否定した。 1審では木村だけでなく、検察側推薦の鑑定医も心神喪失と診断した。だが判決は「精神障害は 責任能力に問題を生ずる程度ではない」として双方の鑑定結果を事実上否定し、懲役15年とした。 この日の公判で、出田は最後に「職権での再鑑定を考えている」と表明。「1審で生じた鑑定結果 と有罪判決との間の溝を、2審で埋めようとしているのはないか」。傍聴席からはそんな声が漏れ た。 1審判決について、ある鑑定医は「動機が了解できるとか隠蔽工作があったとか、すべてを統合 して責任能力に問題ないと判断したと思う」と評価する。「責任能力の有無は鑑定医が決めること ではない。鑑定医が決めるのであれば有罪、無罪を決定付けることになるから、鑑定なんて怖くて 出せない」 しかし、裁判員を担う素人の市民が、専門家の意見を覆してまで自らの結論を導き出せるのだろ うか。 責任能力が争われたある傷害致死事件で、東京高裁は、心神喪失とした医師の鑑定結果に反し て、有罪の判断を示した。しかし昨年4月、最高裁はこの判決を破棄し、高裁に審理を差し戻した。 「専門家の意見は、公正さや能力に問題があるなど採用できない合理的な事情がない限り、十 分に尊重すべきだ」。精神医学のプロとは言えない裁判官の「独善」を戒める、初公判の結果だっ た。 「判断が難しい精神鑑定について、裁判員が混乱しないよう配慮したのだろう。だが、司法の世界 でも精神鑑定の位置付けについて合意していないのに、裁判員に判断しろというのは負担が大き すぎる」と、刑事責任能力の問題に詳しいジャーナリストの佐藤幹夫は指摘する。 被告の心のありようをどう見るかは、職業裁判官でさえ悩み、迷う難問だ。しかし、裁判員になれ ば短時間でその問いへの答えを求められる。(敬称略) |
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中日新聞2009/04/10 |
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〔下〕責任能力判断 | ||
「被告人はジョギングするふりをして追い掛け、顔をつかんでキスしようとした・・・」。今年2月、 大阪地裁での強制わいせつ致傷事件の公判。弁護士の最終弁論のさなか「プシーッ」という声が 響いた。被告の男は体を揺らし、ブツブツつぶやいては叫ぶ。 被告は十数年前から統合失調症を患っていた。通勤途中の女性会社員に抱きついて押し倒し、 けがをさせたとして起訴された。だが裁判の進行を理解していない様子だった。 もう過ちを繰り返さないか、裁判長に問われても「お父さんが怒る・・・」とかみ合わない。しびれを 切らした裁判長が「君なあ、また女の人を襲うかどうかや。やるかやらへんか、どっち?」と迫ると、 ようやく「やりませんよ、はぁー」ともつれた口調で答えた。 こんな様子に傍聴人からは「裁判長の話が本当に通じているのかなぁ」との声が聞かれた。それ でも、被告の精神鑑定の結果は「完全責任能力あり」。判決は責任能力を認め、執行猶予付きの 有罪だった。 見た目では判然としないのが責任能力の実像。その有無が争点ともなれば、裁判員はどこに 判断のよりどころを求めればいいのか。 担当弁護士は「裁判官ではなく普通の人だったら、あの様子で責任能力があると思うだろうか。 むしろ市民の方が鑑定にとらわれず、自分の目で見て判断してくれるのではないか」と、手あかに まみれていない素朴な感覚に期待する。 一方で、そうした感覚が逆の結論を引き出すこともある。昨年秋、東京地裁で開かれた模擬裁 判。母親を殺した被告がうつ病との設定で、責任能力が争点となった。鑑定は、病気のせいで突然 興奮する発作が起きて殺害に及んだと指摘した。 この発作は「無気力になる」といった典型的なうつ病の症状とは違うため、裁判員は評議で次々 と違和感を口にした。「私が聴いていたうつ病のイメージがかみ合わない」「うつ病の症状がひどい ときは自殺もできないと聞いた。人を殺せるなら病気ではないのではないか」・・・。そして6人中5人 の裁判員が鑑定結果を否定し、完全責任能力を認めた。 模擬裁判に参加した弁護士は「うつ病は身近な病気というイメージが強いだけに、攻撃的になる 発作について理解されにくかったのかもしれない」と振り返った。 名古屋大大学院准教授の津田均(臨床精神医学)は「裁判員は医学的な知識が裁判官以上に 少ない。病気を理解できないと、感情に動かされて判断してしまうのでは」と懸念する。障害者支援 団体からは「障害者の言動から偏見や誤解が生まれ、裁判員の判断を狂わせないか心配だ」との 声が上がる。 裁判員の理性と感性を損なうことなく、法の理念である「責任なければ刑罰なし」をどう理解し、実 践してもらうか。さらなる工夫が求められる。(敬称略、北島忠輔、出田阿世が担当しました) |
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中日新聞2009/04/11 |
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関連;「5月から裁判員制度 精神障害と責任能力」 |
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