『女神の杵』亭へのチェックインを済ませた一行は、一旦荷物を各々にあてがわれた部屋へと置くと、食事を摂る為に一階の酒場に集合していた。
「豪華だなぁ」
「貴族向けに経営してる、この街で一番上等な宿だからな」
物珍しそうに一枚岩から削り出された、ぴかぴかのテーブルをこつこつと叩きながら言うサイトに、ワルドはにっと笑って返した。
そのテーブルの上には、学院での食事に勝るとも劣らぬ豪華な料理の乗った皿が並べられている。無心でそれと格闘するタバサとカイムの姿を、キュルケがまるで保護者の様な笑みを浮かべて眺める。
「人間の使い魔、と聞いて色々と気になってはいたが、そう言えばサイトもカイムも、特別に人と変わった所が見当たらないね」
一足早くに食事を終えていたワルドは、不意にそんな事を言い出した。
人の事を珍獣か何かと勘違いしてたのか? と、サイトは露骨に顔をしかめてワルドに視線を向けた。
「ちょっとサイト! ワルドさまに何て目を向けてんのよ!」
「別に? 元々俺はこんな目つきですけど?」
「ああ、いや、いいんだルイズ。今のは少し僕の言葉が悪かった」
ワルドに対して抱く嫉妬や劣等感のせいか、常よりもサイトの態度が目に見えて悪くなっている。悲しいかな、その様な心の機微を感じて取れないルイズなだけに、二人の間の空気が険悪な物へと変化するのにそう時間はかからなかった。
微妙なムードが漂う中、平和なのは我関せずを貫き通すカイムとタバサの二人だ。
「これ、食べる?」
「…………」
「おいしい?」
「…………」
何気なくはしばみ草をカイムに勧めるタバサ。
渋い顔をしながらも、それを素直に食べ終える彼の姿を見て満足そうに頷くと、再びタバサは残りの料理を平らげていく。
「…………」
「どうしたの? カイム。水? ああ、はしばみ草ね……独特の風味だから、苦手な人も多いんだけど、タバサったらちょっとした好物みたいでね……」
平和と言う意味では、二人に目を向けているキュルケも平和ではあった。
ギスギスした空気に胃を痛めるギーシュには、それが羨ましくて仕方がない様子である。何度か三人に対して助けて! というポーズを見せていたが、キュルケ達の誰もそれに反応しなかった。
「……さ、さて。そろそろいい時間だ。お先に失礼させていただくとするよ」
ギーシュはいい加減いたたまれなくなったのか、若干どもりながら言って席を立ち、胃の辺りを押さえながらそそくさと部屋へと戻っていった。
ワルドも場の空気の悪さは感じていたのか、ふむ、と一つ頷いて立ち上がり、ルイズの手をそっと取って言った。
「僕らもそろそろ部屋に戻ろうと思う。さ、ルイズ、おいで」
「え、ええ……」
「はいはい、おつかれさーん」
サイトは部屋に向かっていく二人の背に、わざと悪ぶって投げやりに言葉を投げかける。
「……サイトのバカ……」
「何か言ったかい? ルイズ」
「別に……」
そんなやり取りも聞こえてはいたのだが、本格的にへそを曲げているサイトは忌々しげに舌を打つばかりだった。
「婚約者っていう名目と、あの積極的な態度。サイト、あなたそんな風に拗ねてるだけじゃ、子爵にルイズ取られちゃうわよ?」
「うっせぇなぁ! 拗ねてなんかねぇよ!」
親切心からアドバイスをしたものの、取り付く島がない。
キュルケは溜息を吐いて、グラスになみなみと注がれたワインを一息に飲み干した。
そして、カイムに目配せをする。
「…………」
カイムはそれを受け、立ち上がって腰に差した剣の柄を、サイトの目の前でこんこん、と叩いて見せた。
これは、二人が剣の稽古を始める際のちょっとしたサインだった。
「おう、相棒。しけた面してるくらいなら、身体でも動かしてそれを紛らわせようや」
ようやく出番か、と気を良くしたデルフが、かたかたとその身を震わせてサイトに言う。
「……あー、確かにイライラもすっ飛ぶかもなぁー」
サイトは席を立ち、大きく伸びをした。それを肯定の意と取ったカイムは、先んじて宿の外に向かう。
「って、稽古なんて出来る場所なんてあるんかな」
「まぁ、そこらでやってもいいんじゃない? あなた達の腕前なら、見世物にしてお金でも取れるくらいよ? 適当に言い訳すれば捕まったりはしないでしょ」
「……そんなアバウトでいいのかな」
多少迷いを見せたものの、素直にキュルケの言葉に従い、サイトもカイムの後を追った。
キュルケはそれを見送ると、空になったグラスにワインを注ぎ、くいっと煽る。
「単純っぽいからね、彼は。すぐに元通りになるでしょ」
キュルケは呟き、アルコール混じりの息をほう、と漏らして思った。どうも最近アンヘルの影響で、世話焼きになりつつあるなぁ、と。
結果的に言うと、カイムとサイトが見つけた人気の無い物置らしき場所での稽古は、その派手さから人が人を呼び、キュルケの言ったとおり、ちょっとした見世物の域にまで達していた。中には二人を対象に賭けを始めた者もいたくらいだ。
いつもの様に、カイムの勝利で終わった二人の手合わせだが、サイトの顔は晴れやかな物だった。適度な運動が、ストレス解消に繋がっただけではない。純粋に、キュルケとカイムの気遣いが嬉しかったのだ。
喝采に包まれた二人に、ギャラリーの面々から大小様々なコインが投げかけられる。
見世物を提供したつもりではなかったが、人に喜ばれては悪い気がしないサイトだった。周りに頭を下げたりしながら、「どもっす、どもっす」と口にして行く。
カイムは剣を収め、壁にもたれかかって、ぼんやりとその光景を眺めている。
一通り皆に頭を下げ終わったサイトは、カイムと肩を並べ、壁にもたれかかって息を吐いた。
「けど、やっぱ、まだ敵わないかぁ、やっぱカイムは強いわ」
「相棒、そう簡単に剣の腕前が上がるなんて思ってたら、大間違いだぞ」
「…………」
デルフの言葉に、カイムはくっと押し殺した笑いを漏らす。
「あ、何がおかしいんだよ! くっそー!」
「相棒はまだまだ未熟、経験不足なんだよ。今後ともよろしく頼むぜ、カイムの旦那。どうせなら俺も、強い使い手に扱われたいんでなぁ」
「デルフ……いつか見てろよ……おまえ」
「それはカイムの旦那に言ったらどうだい?」
「お、おう。いつかあんたから一本取ってやるからな!」
そんな風に話している間に、ギャラリーはサイトらに向けて、口々に賞賛の言葉を残しては雑踏の中に消えていく。その中の最後の一人が消えた頃、ぱちぱちぱち、と物置に拍手の音が鳴り響いた。
「なかなかいい試合だった」
物置の入り口付近から掛けられた声に、二人が振り向くと、そこには既に宿で眠っていると思われていた、ワルドの姿があった。
「少しいいかな?」
一体自分達に何の用があるのだろう? サイトとカイムは顔を見合わせて首を傾げた。