土くれのフーケを捕縛し、破壊の杖の奪還に成功した。
その報告をキュルケ達が学院長室にて行っている最中、アンヘルに水のメイジによる簡単な治療が為されていた。とは言え、爆発もせぬロケット弾程度では、アンヘルにとってはダメージらしいダメージにはなり得ない。
学院からの思いもがけない厚遇に、アンヘルは逆に戸惑いを見せた。
「もうよい。この程度、怪我の内に入らぬ。ただの打撲に大げさなのだ。おぬしらも魔力の無駄遣いは止すがいい」
そう言ってメイジ達を下がらせたアンヘルは、周りから人が失せ、ようやく落ち着いたと、身体を横たえる。
思い返せば、よくよく自分は人間相手に甘くなっていると思う。
「使い魔の契約とやらが、我に何らかの変化を及ぼしたのか……」
前足のルーンを目に、何となしにそんな考えを抱くアンヘル。
元々、アンヘルの様なドラゴンは、人間を見守る役目を持たされた生き物だ。ある意味で、この世界に来てから行ってきた事は、その本能に根ざした物なのかも知れない。使い魔のルーンは、その後押しをしているのだろう。
「赤子は水浴びを喜ぶ。……いつまでもさせてやりたい」
アンヘルは、誰に言うでもなく、身に秘めた人間への想いを口走った。
最後の扉が開かれぬ限り、季節は変わらない。この世界にはそもそも、再生の卵は存在しない。故に、本能によって人を殺す事は、もうないのだ。
「これが、我の生きる目的か」
そう結論付けた所で、寮から二つの影がこちらへ向かってくるのが見えた。夕闇のおかげで、少し見えづらかったが、片方は見間違えようも無い。カイムの姿がある。では、もう一人は一体?
「おぬしが、アンヘル殿じゃな」
白髪の、ローブに身を纏った如何にも魔術師然した老人が、アンヘルの名を確かめる様に呼んだ。その後ろに付いて来ていたカイムは、そのままアンヘルの横に並んで腰を下ろした。
「如何にも。そういうおぬしは、この学院の院長、オスマンで合っておるな」
「何故私の名を?」
「カイムから聞いた」
そう言うと、オスマン氏はわざとらしく驚いた様子を見せ、アンヘルに尋ねた。
「彼とは意思の疎通が?」
「我等は契約者だ。お互い伝えようと思ったことは言葉にせずとも伝えられる」
「……その契約者、とは言うが、具体的にどういう物か、教えてはくれぬだろうか?」
どうやら、この老人は報告ついでに、サイトを呼び止め、別世界について聞いたりしていたらしい。アンヘルは裏でカイムとのやり取りをし、それを聞いていた。
そして、今度はこちらに白羽の矢が立ったと言う訳だ。カイムは言葉を話せぬ故に。
アンヘルの答えを聞かぬまま、オスマンは言葉を続けた。
「悪いとは思うたが、そこのカイム君とサイト君の剣の稽古、遠巻きながら見せてもらった」
「ほう?」
「生身の人間に、あの様な動きが出来るわけがないはずなのじゃ。伝説のガンダールヴである、サイト君であればともかくじゃが」
「やはり、あの小僧は何かしら特別な存在であったか。で、我等にも興味が湧いたと?」
アンヘルが尋ねると、オスマンは「そうじゃ」と素直に頷いた。
「どちらも、個人が持つにはあまりにも強大な力じゃ。その所在は明らかにして置きたい」
そう言うオスマンに、アンヘルはどう説明した物かと、困りながら言葉を紡いだ。
「恐らく、おぬしは我等がサイトとはまた別の世界から来たのは分かっていよう」
「…………」
「おぬしらの行使する術は、我等に行使できぬ。その逆も然りだ。それを前提の上で、言おう。我等は心臓を共有して生きておる」
「……何と」
「カイムは我と契約する事によって、燃え尽きかけた命を長らえ、強大な力を手に入れた」
その事実に、オスマンの目が見開かれた。
「だが、強大な力を得るには、得てして代償と言う物が必要になる。この契約を果たすに当たって、カイムが支払った物、それが言葉だ」
アンヘルの言葉を示す様に、カイムはオスマンの前でその舌を出した。そこには、言葉を封じる紋章が刻まれている。
「我等の契約とはそういう物だ。疑問は解けたかな?」
「……長々と話をさせてすまなかったな。老骨の知識欲を満たしてくれて、どうもありがとう」
「……それはよい。よもや、用はそれだけではあるまい?」
オスマンは頷いた。
「おぬしらがこの世界に来た意味は、分からぬ。分からぬが、きっと、あるのだろうと思う」
「…………」
「奇しくも、こうして我が学院の生徒の使い魔として呼び出されたのだ。その事実だけで、私は、おぬしらの味方だ。それだけは理解してもらいたかった」
「随分とお人よしな事を言う」
アンヘルは苦笑した。
「今回の件で、借りも出来たことだしのう」
「それが本音か?」
「否定はせんよ」
顔を見合わせて、今度は互いに笑い出した。
「そうそう、それでだ。今日は我が学院の行事の『フリッグの舞踏会』がある。今日の功績を称える為に、カイム君を出席させたいのだが、借りていってもよいかね? おぬしには今回特別豪華な食事を用意しよう」
「構わん。それと、食事はありがたく受け取ろう」
オスマンにそう返すと、隣にいるカイムにアンヘルは顔を擦り付けて言った。
「カイム、おぬしも、楽しんで来い」
「…………」
それを聞いたカイムは、ほんの少しはにかみながら、オスマンに付いて学院の中へと戻っていった。
それからしばらくすると、何やら校舎内から楽器の鳴り響く音が聞こえ始めた。どうやら、舞踏会とやらが始まったらしい。
カイムとキュルケは楽しんでいるだろうか? そんな考えをくゆらせながら、流れ出る音楽に身を任せる。
「きゅい、アンヘルお姉さまこんな所にいたのね」
そんな中、どこからやって来たのか、ぱたぱたと羽ばたきながらアンヘルの頭上にシルフィードが声をかけてきた。
「おお、おぬし。今日はご苦労であったな」
「シルフィは何もしてないのね。がんばったのはアンヘルお姉さまと皆なのね」
「謙遜するでない。おぬしはおぬしの出来る事をやったさ」
「きゅいきゅい」
そう言い合いながら、音楽を楽しむアンヘルとシルフィード。
そこで、シルフィードから思いもよらぬ提案が出された。
「きゅい! アンヘルお姉さま、せっかくだから、シルフィ達も踊るのね」
「何? おぬし、我等の体躯でどうやって……」
「こうするのね!」
言いながら飛び上がったシルフィードは、音楽に合わせ、夜空に様々な軌跡を描いて飛び回る。
「……やれやれ、幼子の遊びに付き合うも、年長の務め、か」
苦笑し、アンヘルはシルフィードに続いて上空を飛ぶ。
バルコニーからその様子を眺めていたキュルケとカイムは、夜空で戯れる二頭のドラゴンを、微笑ましそうに肩を並べて見守るのだった。