原発施設での避難生活明らかに
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原発施設での避難生活明らかに

9月10日 19時11分 twitterでつぶやく(クリックするとNHKサイトを離れます)

東日本大震災が発生した際、宮城県女川町では、津波から逃れた住民およそ360人が、高台にある原子力発電所の中に避難していました。前例のない原発施設での避難生活とはどのようなものだったのか、NHKが入手した住民たちの日誌や関係者の証言から、初めて明らかになりました。

住民が避難したのは、東北電力の女川原子力発電所です。地震の激しい揺れで緊急停止し、今も被害の全貌が把握できないまま、停止した状態が続いています。この女川原発で、津波から逃れた女川町と石巻市の住民およそ360人が最長で80日余りにわたって避難生活を送っていました。今回、NHKが入手した避難した住民たちの日誌や関係者の話から、前例のない避難生活の状況が初めて明らかになりました。原発は高台にあり、周辺の道路が寸断されて孤立状態でしたが、避難してきた人を収容するため、原発3号機のすぐ裏にある体育館を避難所としました。受け入れの直後に、福島第一原子力発電所で事故が発生。その様子が避難所のテレビに映し出されていました。避難した塚浜地区の区長、木村尚さんは、東北電力の社員に女川原発は大丈夫なのかと尋ねましたが、「女川の原子炉は冷却ができているので心配はない」と回答されたと言います。原発の中での食事は、最初の半月は1日に2回で、パンかおにぎりと、自衛隊がヘリコプターで降ろした缶詰を分け合ったということです。施設の内部では火は厳禁で、炊き出しはできず、たまに差し入れがあったときには喜ぶ様子が日誌につづられていました。人の出入りの管理は厳重で、避難した人の親族でも身分証明書がなければ中に入れませんでした。このため、ほかの避難所に比べてボランティアが訪れることが少なく、ゲートまで来て中に入れずに帰った人もいたということです。暖房はありましたが、水が少なく、風呂や洗濯機もなかったことから、住民の中には敷地内の側溝で服を洗ってしのいだ人もいました。震災から1か月近くたった4月7日に宮城県内で震度6強の最大余震が発生した際には、体育館の壁の一部が壊れました。津波を心配して、住民たちは急きょ体育館を出て高さ60メートルのところにある関連会社の施設に避難したということです。避難した女性は、日記に、感謝の気持ちと同時に、原発は身の丈に合わない技術なのではないかという複雑な気持ちを記しています。避難生活のあと、原発から2キロの場所で生活を再開しようとしている木村さんは「ここで無事に漁業をしていけることを願っている」と話しています。女川原子力発電所の遠藤淳一所長代理は「前例のないことだが、避難してきた人への対処が最優先と考え、受け入れを決断した。福島第一原発の事故の際には詳細な情報は入手できていなかったが、事故の影響で健康に影響を与えるレベルではないものの、空気中の放射線量が若干、上昇したということをお知らせした」と話しています。