照の日記

  • 思いやる
    <2011.9.12>
    ご自分のお子様が何を考えているか分からないって、当たり前の事ですよ。
    だって、ご自分が今、何を考えているのかさえも整理が付いていない時の方が多いでしょう。
    お子様だって同じです。
    親は子供の事が分からなくなる時って、お子様も考えがまとまっていない時なのですから、心配顔ではなく「いつでも話してネ」の顔の方が、親子で未来が見えると思います。

世 見

  • 陸前高田に入って参りました。(2)
    <2011.9.12>
    今迄流してきた涙が何と幼き涙だったのかと思えるくらい狂おしく、大声で叫びたくなる思いでいっぱいになりました。私がこれ程までの思いを抱くのです。「大切な方との永遠のお別れ」さぞ辛かった事でしょう。
    いえ、今もその思いでお過ごしの事でしょう。
    私ごときはこの現状を見ると泣く事しか出来ず、呆然と佇む事しか出来ませんでした。その時、私と年齢が同じくらいのご夫妻が遠くの海を見ながら、「此処に来たら孫に会えるかもしれない」と言って泣いておられたお姿には今も思い出すと涙が溢れます。

    「涙って、なんなのでしょうネ。泣いた数だけ苦しい気持ちを洗ってくれるのなら、泣いて 泣いて 泣いて・・・」
    こんな事を思いながら前方を見ると、奇跡の一本松と名付けられた松が必死に生きようと海辺で淋しげに海を見ていました。私はその松に一歩、一歩近付くと、こんな思いが広がったのでございます。
    「人は死んだら何処へ行くのだろう?前世があると云うのだから、来世もきっとあるのだろう。これ程までの体験をした人々は、次の世でどんな思いを抱くのだろう。」
    と穏やかな海に向かい、心の中で誰とはなく尋ねると、
    「生きておられる人々の苦しみや悲しみ以上のものはなく、こちらに帰依した人々には苦しみや悲しみは与えられる事はありません。」
    こんな声が、何処からともなく聞こえました。
    「地球の営みで帰依した人々には、こちらでは安らぎの場にて光に包まれて過ごします。」とも言われます。

    そう云えば、見渡す限りの空地や人々の生活の残骸の山々からも、何も無くなっている。病院や学校、ホテルや家々からも苦しみや悲しさは感じられません。きっとこれ程までに丁寧に整備された人々の思いが、この地を清められ、犠牲に遭われた人々をあの世とやらでの地位を上げたのではとも思ったのです。
    きっと、これからは犠牲に遭われた人々は私達の心の中を見つめながら、次の世でのご自分の使命を考えてお過ごしになられるのでしょう。

    そうそう、こんな事も聞こえました。
    「幼くして帰依した人々は、こちらではすぐに成長して、大人としてあなた方を見守っています。」と。
    私にはあちらの世界が存在するのかさえも実感は今の所ありませんが、犠牲に遭われた皆様が苦しむ事無く安らぎの場で、私達を見て下さっている事だけは信じたのでございます。