『北朝鮮を擁護する』
 北朝鮮に行ってきました。といってもほんの5日間の滞在。それも当然ながら一人で自由に行動できたわけでもなく、平壌を中心に、板門店、妙香山と、これまで凡百の評論家、観光客が行ったコースで、私が独自に発見したものは何もありません。
 しかし、私は、これまであまりに北朝鮮を誹謗する本ばかり読んできたせいもあったのか、かなりイメージが変わりました。いわゆる北朝鮮側の組織である総連サイドにたった本は読んだことがないので、私の述べることが真新しいのかどうか分りませんが、私は、北朝鮮は仕方がないと思えるようになったのです。北朝鮮があのような国になったのは、外圧のせいだと思うようになったのです。北朝鮮は、今も、時代に取り残されるのを恐れずに戦っている哀しい国だと思えるようになったのです。
 よく、あの国を評して、戦前の天皇制のようだという言い方があります。この言い方に対して、日本の民族派がなんと言っているのか知りませんが、それは違うと思いました。確かに金日成や金正日は神格化されています。人々は、といっても、私たちが接触できる人間に限りますが、口々に、偉大なる指導者、偉大なる革命家と敬愛してなりません。
 だが、少なくともあの国は、他国を侵略したことはありません。朝鮮戦争はどうだという意見があるかもしれませんが、あれは他国を侵略したことにはなりません。朝鮮は元々一つの国です。それを統一しようと、たとえ戦争になってもそれは侵略ではありません。ベトナム戦争を北が南を侵略したとは今では言わないでしょう。
 戦後、国が二分された。それを統一しようとして戦争が起こった。それなのに、ベトナムに対する好意的な見方に比べ、北朝鮮に対する蔑みにも似た敵意は一体どうしたことでしょう。
 勿論自由はないでしょう。日本人が自由に取材することも許されません。
 しかし、あの国は今も戦時下にあるのです。あの国にはこの百年間、占領下か、戦時下しかありませんでした。
 戦時下の国がどうして自由に取材などさせるでしょうか。それはアメリカだってそうですし、戦争をしている国はどこでもそうです。しかも日本は、敵国アメリカの軍事同盟国です。先ごろ判明したように、アメリカは、北との戦いには事前協議なく核を使えることになっています。それを許している非核三原則の国が日本です。
 また国民の自由はどうでしょう。百年前には、日本にだって、国民の基本的人権、自由などありませんでした。あの国には、まだ基本的人権が確立していないだけです。まだあの国の多くの人民は、基本的人権について知らないのです。いや、一部のインテリがもしそれを知っていたとしても、自国を守るためには、時期尚早と思っているに違いありません。その前に占領下からとにかく民族を解放しようと思う事が間違いでしょうか。北の人は、南が占領中であると思っているのですから。しかもそれはあながち間違いではありません。
 当然、北朝鮮にも体制に不満を持っている人はいるでしょう。しかし、自国に不満な人間がいない国なんてありません。その人たちが、自由に発言できるか出来ないかはその国の事情によって違います。
 こうしたことから、北朝鮮を遅れていると見下しても、それはあの国の責任ではありません。
 回りは、他国を侵略することにおいては、数々の歴史的実績をあげている国ばかりです。中国、ロシア、日本。それに、何故か、こんなに遠いアジアにまで、アメリカが最大規模の軍事力を持って包囲しています。金日成の共産主義思想を育て応援したソ連は、その思想をとっくに放棄しています。
 そうした中、ある民族が、その民族の土地を守ろうとするならば、どうして一致団結しないわけがあるでしょうか。日本が自存自衛の戦争をしたかどうかは議論の分かれるところですが、私は、北朝鮮にこそ、自存自衛の錦の旗があると思います。その為には国民に我慢してもらう。逆らってもらっては困る。だって、これは民族の存亡を賭けた戦いなのだから。そう思う指導者がいても到って当たり前だと思うのです。
 拉致事件があります。拉致事件に巻き込まれた家族の悲しみは想像を絶するものがあるでしょう。しかし、交戦中の相手国の人間を拉致し人質にすることは、一つの戦術です。
 時代が変わっても、肉親を奪われた悲しみは、両方の人ともに同じ悲劇ですが、国家というものは、時として肉親を奪われた者の悲しみを無視します。これは北朝鮮に限ったことではありません。
 自存自衛の戦いをしているうちに、世界から取り残されてしまった。戦争を放棄してしまったら、民族が全滅してしまうという恐怖から、少しでも敵国からの脅威を防ぐために一番安上がりの人質作戦、それが拉致かもしれません。
 北朝鮮が、日本がかつて強制連行していった数百万の朝鮮人は拉致とは言わないのかと反撃した場合、交戦中と見られている日本としては、なんと応えられるのでしょうか。
 もう一度言います。北朝鮮は、今も戦争をしている国です。それが休戦中ということなのです。そうさせたのは誰か。それを考えないで、あの国を、遅れた国と誹謗することは許されません。
 北朝鮮は、いわば、イジメられっ子です。イジメたのは誰か。それを考えないわけに行きません。いじめられた者は頑なです。
その北朝鮮の人間に「日本はいじめがあって大変ですね。わが国ではありません」と言われてしまいました。
 私は北朝鮮という国のあり方を全面的に肯定しているわけではありません。がしかし、この国を否定することも出来ないのです。この国が、今なけなしの愛国心で、毅然として時代遅れとも思えるスローガンで一致団結しようとしているのをみると、そのけなげさに打たれるものがあるのです。
 北朝鮮は、民族の誇りを守るために孤立を恐れずに戦っています。
 私は、なぜ、日本の民族派や、ナショナリスト石原慎太郎のような人が、この国に連帯の挨拶を送らないかがよく分りません。ひょっとしてあなたたちの敵は同じじゃないですか。それは、民族の絆というデリカシーを失った輩ではありませんか。
 そうなると、この不幸な国を作ってしまったのは誰かということは明らかです。
 それは民族よりも、イデオロギーを尊ぶ国家たちです。
 そういえば、アメリカと言う国は、もうとっくに民族浄化を成し遂げた国でした。
 そこには民族の誇りなど存在しないし、民族そのものが存在しません。アメリカ民族なんてありませんものね。
 人類のある部分の人が、国家よりも民族を大切にする人々であること、それを決して理解しない人々が世界の支配者になろうとした時代はいつから始まったのでしょうか。
 それに逆らうのは苦しい戦いです。今地球上でその絶望的な戦いをしているのは、おそらく、北朝鮮と、パレスチナ民族と、ロマ民族だけのように思えるのです。
 私は決して北朝鮮を賛美はしません。しかし、あと数千年たった後に、この地球上にいた数少ない不満分子が評価される可能性もあると思っているのです。
 その頃、国家なんてものは消滅していて、民族を超えた者同士が互いにそれぞれの民族名で呼び合い、それぞれの故郷を住処として、独自の民族性と文化を自在に交流させていることでしょう。
 何ですって、それは古代そのものじゃないかって。
 あっ、人類って、進化してたんじゃなかったの?