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[28849] 【習作】 ドラゴンテイル 【オリジナル 異世界 ハイファンタジー】
Name: 猫弾正◆b099bedb ID:8b16bcf6
Date: 2011/09/10 03:18
始めまして

マリみてとムーミントロール読んでいるうちに自分でも小説が書きたくなって筆をとりました。

異世界ファンタジーです

以下のような方達にお勧めです


コナンと言ったら、未来少年でも、体は子供、頭脳は大人でもなく蛮人だよね
映画版は結構良かったよね!特にバレリア姉さん!


スティーブ・ジャクソン、イアン・リビングストンの名前に聞き覚えがある人
ようするにタイタンを旅した事のある人


馳夫さん、つらぬき丸を映画になる前から知ってた人


アリオッホ?
アリオッチ!アリオッチ! 御身に血と魂を捧ぐ!


クロムの長剣、イラニスタンの油を未だ所持している方
何時の日か、ファイヤークリスタルやムーンストーンを求めて探索の旅に出る予定の人


以上のような方にお勧め、とも言い切れませぬが楽しんで頂きたい。
此方がお勧めしているからといって、お勧めされた方が気に入るとは限りませんしね


HPにも掲載してます
続きを読んでみたいと云う人がいたら、此方でもブログでも感想書き込んでください


11年7月30日? 04話 設定を追加

11年8月3日 05話更新
ゴブリンから兎を買うだけの場面を8319文字。原稿用紙22枚分掛けて描写した。

ふふふ、満足だ。

11年8月11日 06話更新
個人的には、料理する場面を一番旨そうに描写したのはスタインベックの怒りの葡萄ですた
北方謙三の肉料理の場面なども読んでいると涎が湧いてきます
池波正太郎は、羅列される料理や香辛料が江戸時代中期の食文化であり、
今の私たちにとって身近な事もあって鮮明に脳裏に描けるので、別の意味で好きです
逆にアレグザンダー・ケントのボライソーなどで、帆船時代の水兵の食事を詳細に描写されると食欲が失せます
腐った肉ェ……

11年8月18日 07話を更新
何かしっくりこないので、6話を再び改訂
登場人物の性格が固まらない
当初は、主役にいくらかの性格的欠点を持たせようと考えたが、
捻らずに普通に好人物とした方がいいと思えて書き直した

11年8月21日 08話を更新
ヴェルニアは、古代や中世の日本より遥かに貧しくて残酷な大地です
民が困窮しているからと云って六年も無税にしてくれる帝はいません
階級の流動性の低さも一因ですが、主に生産力の乏しさなどから、
貧しい者が懸命に働いても大抵は報われずにより貧しくなり、
やがて十中八九が飢えと貧困に押し潰されて消えていく救いのない世界です。
さらに飢饉や凶作、異民族や異種族の侵攻が起これば、人心の荒廃もより顕著となります。
そんな中で、一部の賊徒や悪漢、性悪な乞食などは、生き延びる為に相互補助の組織を構築しました
彼等は互いを兄弟や姉妹と呼び、構成員は全土に点在していますが、
ネットワークとしての繋がりと纏まりは弱く、各地で勝手に小規模な犯罪を行っています

11年8月23日 09話を更新
戦闘時の罵倒、挑発、雄叫びや名乗りについて。
人一人を簡単に仕留められる銃火器が大量に運用されるようになった中世後半から近世以降の戦場においては、
戦闘時に声を張り上げるのは、一見、己の位置を敵に教えるだけの無意味な行為にも思えますが、
それ以前の弓や投石の達者も少なく、近接戦が戦場で一定の役割を担っていた時代や場所においては、
自己の闘争心を鼓舞し、敵の頭に血を昇らせる、或いは威圧する為の技術として有効な手段の一つでした。
現代からの視点では一見、愚の骨頂に思えても、当時としては理に適った行動の一例でしょう。
故郷の名前を叫ぶのも、味方の一体感を強め、士気を高めるのに有効な手法でした
ウィンターフェル!シャイア!キャリスターロック!ゴンドール!

2011/08/26 10話を更新
一般的に社会に優しさの成分が少なく、統治が公正から遠ざかるほど
アウトサイダーや無法者が反社会的な性格を帯びる傾向が在ります
ゴロン夫妻のアンジェリクなどでは、近世フランスを舞台にしていますが、
(夫妻は執筆に当たって、当時の資料に当たりながら歴史考証を行っています)
無法者がパリの一角に根城を形成し、強い勢力を保っていた様子が描かれており、
乞食や無宿者が裏社会の一部を形成しています。
乞食の組合などは日本でも存在しましたが、欧州では古来より遥かに裏社会に近い存在だったようです。
オデュッセウスの時代には、放浪者や外国人が人攫いや盗みをするのではないかと、
警戒されていたようですし、それが今ほど道徳的に悪とも見做されてなかったようです

2011/08/30 11話掲載 
何分にも素人のチラ裏ですので、構成力に不安が在ります。
誤字脱字だけではなく、物語の構成として11話までに幾度か手直ししてきましたし、
此れからも改訂する事が在ると思いますが、読者の皆様には何卒長い目で見て頂きたいと存じます

2011/09/06 12話掲載
2011/09/10 13話掲載



[28849] 01羽
Name: 猫弾正◆b099bedb ID:8b16bcf6
Date: 2011/08/03 21:48
寒々とした月の青白い光が、静寂に包まれた草原の街道を冷たく照らしていた。

季節は初冬。ヴェルニアでは、野宿するにもそろそろ冷え込みが厳しくなってきた時期だった。
折悪しく、その日は骨まで凍りつくような寒さで、街道沿いで行き倒れたのか。
道すがらの草叢には、息絶えた老いた乞食が行き倒れたがままに打ち捨てられていた。
歩き続けた街道の先に、やがて漆喰と木造で出来たうらぶれた家屋がぼんやりと浮かび上がった。
闇夜に浮かび上がった建物のうちでは、火が焚かれているのだろう。
木製の扉の隙間からは、微かな明かりが漏れて地面に奇怪な影を踊らせていた。



暖炉の傍らで椅子を温めていた肥満の主人が、扉を開けて入ってきた黒い影に不満そうに顔を歪めた。
女だった。
旅塵に薄汚れた躰、擦り切れた衣服、襤褸のような薄いマント。草臥れたサンダル。
到底、上客には見えない。
顔立ちは整っているようにも見えるが、煤に汚れた顔ではよく分からない。
主人が億劫そうと立ち上がると、体重に耐えかねた椅子がみしみしと厭な音を立てた。
床を軋ませながら客に近づき、分厚い掌を突き出す。
「寝台なら真鍮銭一枚。雑魚寝ならクルブ貨か、ミヴ貨幣で三枚だ」
唸るようなだみ声。個室や大部屋の事は切り出さない。

主人の吹っかけてきた途方もない値に、女は思わず鼻で笑った。
「値上げしたのかい?前は雑魚寝なら一枚だったろう」
声は意外と若い。穏やかだが、自信有りげな言葉に主人は女の顔を訝しげに見た。
エルフの血を引いてるのか。女はくすんだ緑髪をしていた。
見覚えはない。ハッタリかもしれないが、先客と違って少なくとも相場は知ってるようだ。
「毛布の貸し賃だ」
顔を歪めながらさらに硬貨を催促する親父のだみ声は、豚のいびきを連想させて女は僅かに微笑んだ。
この親父は何となく二足歩行した豚人に見えなくもない。
「毛布はいらないよ。マントに包まるから。ミヴ貨幣一枚でいいかい?」
「なら、クルブ貨で一枚。ミヴなら二枚だ」
「空いてる床に眠るだけだよ」
なだめるような口調で女は交渉する。
「床で雑魚寝する人数が一人増えても損にはならんし、まけてくれれば、また来た時にきっと此の宿屋を使わせてもらうよ。それに貧しい旅人に慈悲を掛ければ、神々もきっとあんたの行いに心打たれるに違いない。だが、此処で哀れな女に吹っかけるような真似をするなら……」
主は喉の奥から唸り声を発して女の長広舌を遮った。
「女め。よく口の廻る」
だが、確かに女の云う事も尤もに思えた。
一番近くの旅籠まで1リーグ(1.5キロ)はあるとは云え、他所に行かれたら一文にもならないし、床の場所を貸すだけだ。
「ミヴ一枚だ。さっさと寄越せ」
「有り難う」
女はにこやかに礼を言いながら、懐から布の巾着を取り出して中をまさぐった。
ろくに中身が入ってないであろう薄い巾着からミヴと呼ばれる小銭を取り出すと宿の主人に手渡した。
乱暴に引っ手繰った鉛の小銭を腰のベルトに結んだ革製の巾着に入れると、主人は暖炉の傍らにある椅子に戻って、再び船を漕ぎ始めた。
女は薄暗い室内を見回した。ちろちろと弱々しい炎の灯った暖炉だけが四方の壁を微かに照らしている。
隙間風に吹かれる度に揺れる暖炉の炎の照り返しが、薄闇に藁の転がる床の様子を浮かび上がらせた。
それほど広くない部屋に、放浪者や貧しい巡礼、自由労働者、乞食など、およそ社会の底辺を構成する連中が雑魚寝している。
中にはちらほらとゴブリンやドウォーフ、ウッドインプなど人族以外の亜人の姿も窺えた。
大半が死んだように眠る中、数人がギラギラとした白い眼で新参の女の様子を伺っていた。
卑しい顔つき、値踏みする目付きから、金と持ち物を奪う。或いは女自身を捕まえて犯すもよし、女衒に売り飛ばすものいいなどと考えているのだろう。
今の世の中、下衆な手合いは何処にでも溢れている。


警戒しながら、されどそれほど気にすることなく、寝るのに都合良さそうな位置を探そうとする。
辿り着いた時間が遅かったが為、既に暖炉の傍は少しでも暖を取ろうと身を寄せ合う先客たちに占められていた。
暖炉の真正面は杖や棍棒、短剣をベルトに挟んだ薄汚れた三人組の男女が陣取っていた。
その横、顔に刀傷のあるウッドインプに屈強のドウォーフが涎を垂らして寝息を立てていた。
やや離れた位置には、自由労働者だろうか。茶の皮服を着込んだホビットの娘。
くしゃみをかますと大きく身震いして、薄いマントを体に巻きつけてむにゃむにゃ呟きながら再び穏やかな寝息を立て始める。
熾き火から離れ、冷たい風が吹き抜けていく部屋の中央では、貧しげな巡礼の母子連れが抱き合って寒さに震えていた。
暖炉の傍に今から割り込める隙間はないし、起こせば嫌な顔もされるだろう。



扉。そして崩れかけた壁からは冷たい隙間風が間断なく吹き付けてくるが、それでも今の季節。
野宿や路傍に身を休めるのに比べれば、屋根があるだけ遥かにましだと割り切れる。
見知らぬ他人と身を寄せ合えば、物を盗まれ、或いは犯そうと試みるやもしれない。
厄介事を自ら呼び込むことはないと、出来るだけ人の少ない処を探しながら、
部屋の奥に視線を彷徨わせて丁度空いている箇所を見つけた。
皆、出来るだけ暖かな炎の近くがいいのだろう。
暖炉に相対した部屋の反対側は人気も少ない。
元は何色だったのかも分からないほど染みで汚れた漆喰の壁際には、木製の簡素な寝台が幾つか雑多に並んでいた。
中には足が壊れて斜めに歪んでいる寝台も置いてあった。
一番奥の簡易寝台の傍らは、近くに殆ど人もおらず寝転べるくらいの隙間が空いている。
暖炉から離れた位置ではあるが、同時に扉の隙間風からも遠い。
寝るにはいい位置に思えて、鼾を掻いているみすぼらしい老ゴブリンの上を跨いで寝台に近づく。
「……う、ううむ」
起きてしまったゴブリンが驚いたように身じろぎした。
文句を言いたげに藪睨みの目で睨んでくるのを無視して、寝台に近寄き、息を呑んで立ち止まった。


物影に、剣を抱きながら壁に寄り掛かるようにして身を休めている人影があった。
得物は剣。紛れもない剣だった。
どんな鈍らな剣でも、最低でも銀貨の5枚から8枚はする。
こんな汚い安宿に泊まるような人間が普通、持っていていいものではない。
金属が未だ稀少な時代。そして鍛冶の技を修めた者が未だ少ない土地。
剣と言うのは、取り分け高価で特別な武器だ。
槍や弓のように狩りに使う用途があったり、槌や殻竿のように本来違う使い方をされる為の武具とは違って、純粋に人を殺し、それ以外に使い道がない、戦う為だけに創られた純粋の武具。槍や鎌よりも良い鉄を多く使い、鍛えるのに手間隙の掛かる剣は、身分ある者が使うのが普通でもある。
故に人々は、剣にはある種の神聖で特別な力が宿っていると感じていた。
剣が象徴する闘争と殺戮の力に対する恐れと畏れが、剣を特別視させているのかも知れない。
いずれにしても長剣は危険な武器だ。
しかるべき使い手が振るえば、あっという間に人一人の命を奪う事が出来る。
まるで魔法のように命を奪う。その脅威は短剣や棍棒の比ではない。

背筋を毛の逆立つような冷たい感覚が走りぬけた。女は腰から棍棒を吊るしていた。
手頃な大きさの樫の棍棒で、上腕よりやや長く、杖にするにはやや短い。
重さも形もよく女の手に馴染んでいる。此れでコボルドの頭を叩き潰した事もあった。
使い慣れた武器のはずだったが、今は其れが酷く心もとなく感じられた。
自分をあっさり殺せる武器を持つ見知らぬ者の傍らで眠るのは気が進まない。
別の場所に行こうか。だが、他に場所もなさそうだ。
剣の使い手を怒らせたり、或いは絡まれるのは厄介だから、と、室内に視線を走らせて思案するうちに、
黒い影がもぞりと動いた。
「上手く値切るものだな」
話しかけてきた。
笑いを含んだ呼びかけは、微かに掠れていたが紛れもない女の声だった。
宿屋に灯る明かりは暖炉の僅かな炎だけであり、薄暗い室内に蟠る闇に人相は良く見えなかった。
「聞いてたのかい?」
肩を竦めながら、
「値切ったというよりは、相場で落ち着いたって処かな」


「あれが相場なら、あの親父め。私から随分とぼってくれたのだな。」
壁際に雑然と並べられた寝台を借りるには、最低でも錫貨一枚は必要だが、食堂の床に雑魚寝するならば、大抵は鉛の小銭で事足りる。
其れが相場というものであったが、皮肉っぽい声で呟いた女剣士はどうやらろくに宿代を値切りもせずにそのまま支払ったらしい。
「随分と吹っかけられたと思ったら……前の客が鴨葱だったから二匹目の泥鰌を狙われたのかな」

呟きながら、足元の半分腐ったような藁を足で遠くにどかして、埃っぽい床に座り込んだ。

剣士の様子を横目で観察しながら、素性を推察する。
赤く染めた目の細かい上物の上衣。灰色狼の毛皮のマント。
些か旅塵に塗れているとは言え、紛れもなく丁寧な仕立ての装束が良く似合っている。
低く見積もっても郷士。値切る事が下手だから豪族や騎士、下級貴族の出でも不思議ではない。

「あんたは余りこういう宿に泊まる人種に見えない。……普段はもっといい宿に泊まってるんじゃないのか?」

「他人の懐が気になるかね?」
くつくつと笑いながら此方を見つめる剣士の目は、だが笑っていない。
此方を警戒するように微かに細められた瞳からは、冷たい光が窺えた。

こいつは頭がいい。しかも嫌味で意地も悪いな。正真正銘の貴族だとしても不思議じゃない。
貧乏人の貴族階級への偏見を全開にして決め付けながら
「……場違いだよ。いい身なりをしてこんな安宿に泊まるなんて、余り感心できない」

「然り。だが、些か手持ちも乏しくなってきた故にな。止むを得なかった。
とは言え、それでぼられていては本末転倒なのだが……」
呟いて肩を竦めると、女剣士はもう此方への興味を失ったのか。話し掛けて来なかった。
荷物を枕に横になって目を閉じる。

此方の近づいた気配に気づいて起きたらしい。
いや、主人との会話を聞いていたという事は扉を開けた時に目覚めたのか。
気配に敏感なようだし、用心深いのは間違いなかった。
半エルフの娘に害がないようだと確かめて、再び眠りに付いたのだろう。
剣を抱いたまま眠る剣士の姿勢は、ひどく様になっているのが見て取れた。
長剣が躰の一部のように馴染んでる雰囲気とでも云えばいいか。

放浪の騎士かな。……如何でもいい事か。
女も剣士の素性への興味を失った。
寒さをやり過ごそうと薄いマントに包まると、堅い床へと寝転んで目を瞑った。
長旅に疲れた体は、すぐに泥のように深い眠りへと入り込んでいく。
「……空気が湿ってる。明日は降りそうだな」
意識が闇に落ちる直前、薄暗い室内で誰かがそう呟いた。





[28849] 02羽
Name: 猫弾正◆b099bedb ID:8b16bcf6
Date: 2011/08/31 18:12
目覚めは心地いいものではなかった。
外は薄暗い。雨音からすると小糠雨が降り注いでいるようだ。
鼻腔を奇妙な匂いが刺激して、意識が強制的に覚醒へと向かう。

親父がだみ声を張り上げていた。
「ミヴ貨幣二枚かクルブ貨たったの一枚で、バウム親父特製の粥が喰えるぞ!!
さあ、並んだ!並んだ!」
親父の隣では、昨日の夜は見かけなかった痩せた少女が、暖炉にくべられた土鍋から手際よく粥をよそっていた。

「さあ、旦那方。バウム親父特製の粥ですぜ。舌鼓を打つ事間違いなしだ。
竜の誉れ亭に泊まっておきながら、こいつを食い損ねたら一生の悔いだよ!」
こんな古びた旅籠に、よくもまあ大層な名前をつけたものだと感心しながら、欠伸を噛み殺しつつ起き上がる。


簡易寝台に眠った連中は、どうやら朝飯付きらしい。
横に肥えた親父が、獰猛な丸顔に似合わぬ笑顔を浮かべて愛想を振りまいている。
親父の傍らでは、下働きの少女が二十日鼠のようにちょこまかと動き回り、希望する客に粥を配っていた。


昨夜の女剣士も、金を払う事なく粥を受け取っていた。
一旦は簡易寝台の料金を払っておきながら、思い直して床に寝たのか。
だとしても不思議でもない。
朝の光の下で見れば、蚤か虱でも湧いていそうな不潔な寝台だ。
床に眠った方が幾分ましというものだろう。

客達はいずれも顔を顰めたり、渋い表情をしながら湯気を立てる木皿の粥を不味そうに掻きこんでいた。
僅かに野菜の混じった粥は、如何見ても美味そうには見えない。


意識せずに胃の腑が鳴った。
親父の粥は形容しがたい匂いを漂わせているが、体は食べ物と判断したようだ。

腹も減っていたし、雨天の野外に食べ物を探しに行くのも億劫。
手持ちの保存食も減らしたくなかったので、少女にミヴと呼ばれる鉛の小銭を二枚渡して粥を頼んだ。

茶色の粥は雑穀をとろとろになるまで煮込んだものだった。
干からびた蕪の切れ端が混じった粥は温かいものの、しかし、お世辞にも美味いとは云えないものだった。
古い雑穀が混ざっているのか、時折、やたらと固い粒が歯に当たる。
女剣士は一口食べて、食が進まない様子でハンケチーフで口を拭った。
「……まるで豚の餌だ」
腹立たしげな彼女の罵倒は、幸いにも宿屋の主人の耳には届かなかったようだ。

「口に合わないかい?剣士様」
微妙にからかいを孕んでの問いかけを、彼女は吐き捨てるように肯定した。
「こんな酷い代物をよく美味そうに食えるものだな」


腰につけた袋から若葉を二、三枚取り出し、
「ん、これを入れてみなよ」
女剣士は胡散臭そうに、差し出された葉っぱを眺めている。

「まあ、騙されたと思ってさ。試してみなよ。
どうせそのままじゃ、残すか捨てるかするんだろう?それなら、さ」

「……ふむ」
勧めてくる半エルフの旅人が自身でも同じものを食べているのを確認してから、女剣士は香草を受け取った。
相手がゴブリンやオークなら受け取らないが、曲がりなりにもエルフだ。
不思議と嘘つきや乱暴者が少ない種族だとは知っている。
「砕いてかき混ぜてみなよ」

「……ん、驚いた」
多少、苦味があるものの、香草の濃い味が粥を引き立てるし、粥自体も随分とまろやかになっていた。
湯気を立てる程の暖かさもあって、確かに食べられる食事になっていた。
「ちょっとの工夫で豚の餌でも結構食えるようになるものだろ?」
「ふむ。礼を云うぞ」
半エルフの娘の穏やかな笑みにうなずいて、しばらくは互いに無言で粥を啜る。


食べ終わった木皿は、走り回っている下働きの少女が回収していく。
暖炉の近くに固まっていた薄汚い男女は投げて返していた。
食器の乱暴な扱いに痩せた少女は不満そうに頬を膨らませたが、陰惨な顔つきの三人組に抗議はせず、背丈の半分くらいに積みあがった木皿の塔を器用に抱えて、宿の裏手へと消えていった。
宿の親父は下働きの少女に仕事を任せたまま、自分は椅子に座って行商の老いたゴブリンと何か会話している。


食後は暇なので世間話に興じた。
「剣士さまは、さ。巡礼かね?」
剣士は寛いだ様子で壁に寄り掛かっている。優雅な物腰は満腹になって御満悦な猫を思わせた。
昨日は分からなかったが、マントは灰色狼ではなく僅かに黒い。恐らく、より希少な黒狼の毛皮。
仕立ての丁寧な目の細かい布地に見事な赤染めの胴衣と青い糸の刺繍が為された黄麻の上着の二枚を重ねている。
股引も毛皮や革を使った丈夫な代物で、価値を値踏みしようにも見当がつかない。
いずれにしても相当に裕福な素性なのは間違いない。
「ま、そんなところだ。御主は?」
考え過ぎかも知れないが、何一つ詮索を許さずに切り替えしてきた。
「ティレーの町までね」

西にある大きな町の名前に、女剣士からは微かに苦笑の気配が伝わってきた。

「気の毒だが、しばらく西には行けんぞ。数日前から上流で雨が降っているとかで川が増水しているからな」
剣士の言葉に思わず舌打ちしそうになる。
「……なんてこった。ついてない」
安宿とはいえ、宿賃が重なると貧しい旅人には馬鹿にならない出費だ。
天候を司る女神イースを口の中で罵りながら、街道沿いのよさげな廃屋でも探して潜り込もうかと思案を巡らせる。
「私も昨日の昼頃から此処で足止めさ……そろそろ上流の雨も上がる筈だが」
女剣士の言葉には、予想というより多分にそうあって欲しいという希望的観測が含まれているのだろう。
上がる筈というより、上がってもらわねば困ると云ってるように聞こえた。


老いたゴブリンが、数枚の錫や鉛の小銭と引き換えに宿屋の親父に枯れ草を渡した。
受け取った草をパイプに詰めると、親父は味わうようにゆっくりと吸った。
老ゴブリンもパイプを取り出し、併せるように煙を吐き始めた。
湿った空気が扉から吹き付けて、安物のパイプ草に特有の嫌な匂いと混ざり合う。

窓からは暗鬱な灰色の雨雲が地平線の彼方まで広がっている様子が伺えた。
小糠雨の降り止む様子は、見えなかった。




[28849] 03羽
Name: 猫弾正◆b099bedb ID:8b16bcf6
Date: 2011/07/17 18:46
「艀は出ないよ」
船着場の小屋に住んでる老婆は、ぶっきらぼうな声で告げた。
太陽が中天に差し掛かる頃、雨はやや小降りになっていた。
当面の目的地が同じティレーの町なので、半エルフの娘と女剣士は連れ立って宿を出た。
河辺にある船着場に着くと、確かに対岸までの川幅は広くて流れもかなり早い。
レヴィナス川は轟々と音を立て、水流が絶え間なく岩に衝突しては水面を白く泡立たせている。
此れでは艀は出せまい。泳ぐのも、歩いて渡るのも無謀だ。


「出るのが何時になるか分かるかね?婆さん」
女剣士が訊ねるも、鶏がらのように痩せた老婆は曖昧な答えしか返さなかった。
「さてねぇ。明日、明後日になれば出ると思うよ」
「婆さん、あんた昨日もそう云っていたではないか?」
埒の明かない返答に苛立たしげに舌打ちするも、鈍いのか肝が据わっているのか、老婆は動じた様子を見せない。
雨が降っているのが婆さんの責でもなければ、婆さんを責めても状況が変わる訳でもない。


女剣士が老婆と問答しているその傍らで、エルフ娘は未練たらしく川の対岸を眺めていたが、それで流れが穏やかになる訳でもない。
やがて首を振ると、川沿いの集落とその近辺をプラプラと散策し始めた。
足止めされているらしい旅人たちが、所在無げに集落に屯っていた。
旅人や行商人の他、薄汚れた三人組の男女やホビット娘、ドウォーフの男など、昨日、安宿で見た顔もちらほらと見かけられた。


家とも云えない小屋が三、四軒建っているだけのささやかな集落。
一応、旅人が泊まる為の小屋も一軒あったが、五人も泊まればもう余裕はない。
既に足止めされている旅人や放浪者で一杯だった。
一リーグも戻れば、昨晩泊まった安宿もあるし、街道の途中には朽ちかけた廃屋も時折見かけた。
潜りこむ所には不自由しない。問題は食べ物だ。
本格的な冬が訪れるにつれ、野山で獲れる野草や木の実、小動物が加速度的に減っていく。
急ぐ旅ではないが、出来るだけ早く町へと入りたかった。
城市なら風雨を凌ぐ場所には困らないし、えり好みしなければ口を糊するだけの仕事も見つかるであろうから。


旅人の小屋で無聊を囲っていた行商人たちの会話を小耳に挟んだ所では、
上流では一週間ほど前から長雨が続いており、レヴィナス川も数日前から増水しているのだという。
北の山の峠にはトロル鬼が出没するだの、何処其処の街道にオークが出没しただの、王都では税が上がっただの。
話好きなのだろう。年配の行商人が、取りとめもなく埒のない噂を延々と喋り続けていた。
すぐに聞き飽きて、今度は小雨の降る中を河沿いの道を歩いてみる。


河辺に生えてる草木に食べられそうな木の実や葉、薬になりそうな草や苔などを探してみるが、やはり初冬に早々は見つからない。
漸く見つけた冬蔓も、さして腹の足しになる訳でもない。
とは云え、此れは此れで貴重な甘味である。そして女性の大半は甘味が嫌いではない。
幾つかは売る為に袋に入れたものの、残りは味わいながら歩いていると、釣り人が川魚を獲っていた。


甘蔓を噛みながら、土手に立ち止まって観察する。
粗末な服装からして近隣に住む村人だろう。
中々の腕前とみえて、魚籠には数匹の川魚が入っている。
魚。そういえば暫らく魚を食べてない。
眺めているうちに無性に魚が食べたくなり、財布の中身を確かめてから話しかけてみた。


釣れますか、上手ですね。そろそろ夕飯ですね。お腹が空いてきました。出来たら売っていただけないですか?
釣り人と話してると、ドウォーフの男が近づいてきた。
エルフ娘が段階を経ながら交渉しているのを横合いで黙って聞いている。
鮎を三匹。小銭で譲ってもらえそうになった所で、いきなり横車を出してきた。
曰く、倍を出す。
こっちが先約だと抗議するも、錫や鉛の小銭では真鍮銭には歯が立たないのが世の道理である。
おまけに相手は屈強なドウォーフで、喧嘩を吹っかけようにも体格でも歯が立ちそうにない。
「悪く思わんでくれよ、お嬢ちゃん。はっはー」
悪く思わない筈がない。
恨みがましく睨みつけるが、ドウォーフ族にとってはエルフ族の怨みなど蛙の面に小便のようなもの。
満面の笑みで買い取った鮎を懐に抱えると、ドウォーフは小走りで集落へと戻っていった。
小銭と引き換えに小屋で火を借りると、やがて香ばしい匂いが辺りに漂い始めた。






[28849] 04羽
Name: 猫弾正◆b099bedb ID:e2904fa0
Date: 2011/07/31 02:19
老婆との不毛な会話を打ち切って船着場のあばら家を出ると、その頃には外の風も大分、冷たくなっていた。
初冬の夕暮れは早い。あと二刻も経てば、周囲に薄闇が広がり始めるだろう。

灰色の空を見上げると、分厚い暗雲は未だ地平の彼方まで垂れ込めていた。
とは言え、高い空では風の流れも幾分か強いのだろう。
雨雲が所々烈風に切り刻まれて、切れ切れとなった雲の隙間には冬本来の無色の空が顔を覗かせていた。
恐らく夜半には雨も収まるに違いない。

降り続ける小雨に黒狼の毛皮のマントを濡らしながら、額に張り付いた前髪を右手でかき上げた。
上流の天候も、早く収まるといいのだが……さて、此れから如何しようか。
予定といえば、旅籠に戻って寝るくらいしかないが、そこで供される夕餉の質を考えると憂鬱にならざるを得なかった。


「夕食もあの粥か。気が進まぬ」
泥に塗れた黒い子犬と追いかける半裸の子供達が、苦々しく呟いた女剣士の横を駆け抜けていった。
跳ね飛ばされた泥に白い洋袴(ズボン)のすそを汚されて小さく舌打ちすると、鼻水を垂らした少女が立ち止まって不思議そうに女剣士を見上げた。
「……きれいなおべべ」
無邪気に笑みを浮かべた少女を怒鳴りつけるほど横暴ではなく、若干、不機嫌になりつつも眉を顰めて歩き始める。

河沿いの小村落に、多少でも気の効いた食事を出す店などないのは一目で分かった。
船着場の老婆に拠れば、近隣の村や旅籠も似たようなものだそうで、しばらくまともな食事にありつくのは望み薄そうだ。

寝る場所が酷いのは耐えられても、食事が不味いのには我慢ならなかった。
牛や豚のローストにワイン、ブイヨンの効いたポタージュとは云わないが、
出来うるなら、鳥の炙り肉と小麦パンくらいは食べたい。
最悪、温めた麦酒の中に焼いた屑肉と野菜を入れたスープと黒パンでもよかった。
酷い食事ではあるが、しっかり躰を温めてくれる分、今朝の粥よりは幾らか上等であろう。

小雨に泥濘んだ小道を、西の地平から雨雲を追い払った夕日が赤く照りつける。
村の何処からか、焼き魚の香ばしい匂いが漂ってきて食欲を刺激してくれた。
如何やら、村落の奥にある旅人の小屋から漂ってきているようであった。
そう云えば先程、船着場から河原にいた釣り人の姿が見えたな。
何か見繕えないかと村落を歩いてみるが、やはり碌なものはなかった。
しばらくして、見知ったばかりの半エルフの娘が村の小道を歩いているのに気づいた。
昨晩知り合ったばかりの浅い知己だが、悄然と肩を落としているのが妙に気に掛かったので話しかけてみる。
「やあ、元気がないな。如何したのだ?」
「ああ、剣士さまか。……実は魚を買おうと思ったのだけど、値が折り合わなくてね」
緑髪の娘のほろ苦さを湛えた表情に、先刻目にしていた河原での光景を併せて女剣士は事情を察した。
「ははん。さてはドウォーフに競り負けたのだね?」
エルフ娘が悔しそうな、恥ずかしそうな表情を浮かべた。
「見てたのか」罰が悪そうに呟いたので、
「見えたのだ」くつくつと笑い、訂正する。


「意地の悪いお人だな。からかうお心算か?」
蒼い瞳にやや剣呑な光が走ったのを見て、手を上げて怒れるエルフ娘を宥める。
「そう怒るな。私も魚を食べたいと思って村を廻ったが、ろくな物がなかったよ」
 見かけたのは燕麦の粥と小魚の干物。後は精々、黒パンくらいか……」

整った顔立ちで他意はないと微笑みかける。
胡散臭げな、だが何処か憎めない笑顔。
数瞬を如何しようか迷ってから半エルフは溜息をついて怒りを治めた。
「それでも宿の親父ご自慢の粥よりは、幾らか上等なのだろうけれど……」
「ふふ、御主も夕餉があの粥かと思うとうんざりするようだな。
 一応云っておくが、主のくれた香草は悪くなかったぞ」
その一言で緑髪の娘の強張っていた表情も幾分和らいだが、からかい過ぎたのか。
エルフ娘の視線にはまだ微かに不信と警戒が感じられて、女剣士は苦笑いを浮かべた。
「いずれにしても、ティレーに入るまでは碌な食事を期待できそうにない。
 川を渡れば、まっとうな食事を供する旅籠も在るかも知れぬが……」
勢いよく流れるレヴィナスの灰色に濁った川面をじっと見つめて、女剣士は気だるげに呟いた。



[28849] 別に読まなくてもいい設定 貨幣 気候について
Name: 猫弾正◆b099bedb ID:e2904fa0
Date: 2011/08/31 18:10
設定集とか世界観考察を読んでニヨニヨするのが趣味な人の為のものですから、
読まないでも全然平気です。たるい人は飛ばして下さい

貨幣の価値 
銅貨は、10円玉くらいの大きさに厚みが三倍の物が日本円にして大体3000円くらいの価値です。
真鍮銭は、大きさや欠損の有無、鋳造している国の経済力、銅の含有率にもよりますが、
大体、800円から2000円程度です。
無論、銅や真鍮のありふれた土地や、より稀少な土地に行けば価値も変動します。
探鉱、採掘、冶金技術。全て未熟な世界ですから、青銅、赤銅製の腕輪や指輪、真鍮の冑などに鋳鉄や銅を使った農具など金属製品は全般的に非常に高価です。


冒険の舞台であるヴェルニアでは、他にも錫、鉛、銀、青銅などが硬貨の材料として流通していますが、土地や貨幣の種類によって価値はまちまちです。
海を渡った南の土地では、銀は少なく、銅が採れ、真鍮を造れる冶金技術があります。
ヴェルニア内部でさえ、銅貨や真鍮銭が流入してくる南方の港町と、幾ばくかの銀が採れる北の山岳地帯では、当然、価値も異なりますし、多量の物資を買い付けた商人が多くの銀貨や銅貨を都邑などに持ち込めば、それだけで物価や貨幣価値も変動します。

物凄く大雑把な指標 
銀貨  銅貨30枚から36枚の価値 10万円 
銅貨  真鍮銭2枚の価値     3000円 
真鍮銭 錫貨6枚から8枚の価値  1500円 
錫貨  鉛貨4枚から5枚の価値  200円から250円 
鉛貨               50円から60円 

一回掘り出された金属は、蓄積されます。
金属は鋳直して形は変えても、その後もずっと使用されますから、多少の摩耗が在っても貨幣の流通量は次第に増大し、新たな用途が見つかるか、人口が急激に増えない限り、相対的に社会における貨幣価値は徐々に下がっていきます。

上記は貨幣が全て同じ大きさで、含有率も等しいと仮定した場合の数字です。
例えばコルブ貨は比較的小さな錫貨で、大振りな鉛貨であるミヴの倍程度の価値しかありません。
三話でドウォーフが鮎を買い取るのに使った真鍮銭も、恐らくは小さなコインでしょう。

土地によっては琥珀や翡翠、蜻蛉玉なども通貨となります。
鉄貨は、その多くがドウォーフ族の鋳造したもので、エルフ族は余り好みません。
ヴェルニアでは、錫と鉛、亜鉛、そして僅かな銀が取れますが、銅は乏しい為、
少ない銅貨で銀貨と交換できます。
対照的に海を渡った南の土地では、銅が多く採掘され、銀は滅多にない為、
銀を購うには多くの銅、或いは銅貨を支払う必要があります。

銅貨と真鍮銭は、商業の盛んな南方の国々で鋳造された信用度の高い貨幣。
云ってみれば円やドルのようなハードカレンシーで、大抵の土地で歓迎されます。
対して、錫貨や鉛貨にはそこら辺の小領主や都市国家が独自で鋳造したものも多く、それら私鋳銭の多くは、鋳造した土地から遠ざかれば遠ざかるほど、露骨に価値が落ちます。
河を渡ったら、持っていた鉛貨の価値が三分の二に落ちたったという事もありえるのです。
有象無象の土豪や小さな町の貨幣ともなると、地元を除いた殆どの土地で金属それ自体の価値でしか通用しません。


現在に比べて、貨幣の価値が全般に高い理由。
十円玉の銅としての価値とか付加された信用とかひとまず置いて、
現代日本では、単純に銅貨一枚で10円の価値を持つとしましょう。
採掘や冶金技術が未熟な時代では、当然、銅の生産量や精製量も大幅に落ちます。
仮に現代の一万分の一として、銅の価値は一万倍になります。
ですが、単純に銅貨の購買力が一万倍の10万円分とはなりません。
なぜなら、銅と同様。食料や衣服なども生産量が少なく、今よりずっと貴重で高価だからです。だから銅貨で大体3000円です。


冒険の舞台の気候。
小氷河期の中世欧州よりは温暖な、耕作に向いた気候を設定してます。
どちらかと言えば、ローマやギリシア全盛の古代欧州に近い気候です。
かわりに、放牧や畜産技術は余り発達していません。
耕作で充分に食べていけるのが一つ。
もう一つは人跡未踏の土地が多く、広汎な土地を確保する必要がある遊牧が難しいからです。
曠野や山岳、森林には未だ多くの害獣が群棲し、さらに狼や獅子とは比べ物にならないほど危険な魔獣や魔蟲、巨人族などが辺境を彷徨っています。
竜となると、駆逐するどころか最下級のドレイク種一匹怒らせただけで村や町一つが簡単に滅びに追い込まれる事もあります。
因みに上位種はゴジラです。日本版のブレスを吐く奴。魔法も使う。滅多にいませんけど
森の神フンババやもののけ姫の乙事主が実在する世界だと考えてください。
しかもギルガメシュのような英雄もおらず、文明は未だ黎明期。
一部料理や文学、哲学などを除いては紀元前のローマやペルシアにも及びません。
好戦的な亜人と争いながら、森を切り開くのは極めて困難な事業です。
此の世界の人族は、屈指の列強種族ではありますが万物の霊長ではありません。

ヴェルニアには人間並み、或いは人間以上の智恵や知識を持つ、しかも邪悪で強欲な魔獣も多数存在します。小氷河期になったら、人族や亜人は、魔獣によって全滅させられてしまうかも知れません。
ところで小氷河期って、鐘雹餓鬼って書くと仏典に出てくる敵みたいで強そうですね。


架空の古代や中世社会の階級や身分制。軍隊とか衣服、衛生、地図の精度、言語、遠隔地の情報の伝達、食文化、動植物の分布とか、妄想してにやにやするのが趣味です

そういう人って結構いるよね



[28849] 05羽 改訂
Name: 猫弾正◆b099bedb ID:e2904fa0
Date: 2011/08/12 17:58
他所との往来が乏しい僻地の集落や僅かな備蓄しかない寒村などでは、時として貨幣を使おうとしても拒まれる事がある。
河辺の村は街道沿いで艀の渡し場も設けてあるくらいだから、旅人や行商人もよく通りかかる。村の農夫たちとて貨幣の価値や使い道くらいは知っており、一握りの硬貨と引き換えに幾ばくかの食料を購える筈であった。


旅慣れた人々は、何かしらの保存食を持ち歩いているものだ。
代表的な物としては、燕麦のビスケットや日持ちするよう石みたいに焼き固めたパンなどがある。他にも木の実に干した豆。食べられる蔦を乾燥させ編んだ縄などだが、それらは到底、食の喜びを期待出来るような代物ではない。
二人とも一応の保存食は持っているが、これが今泊まっている宿屋の粥よりも不味かった。というより、長期間の保存と携帯に耐える代わりに最低限の味付けさえ放棄している。
どうせ人里にいるなら、せめて火の通った暖かな食事を取りたいと思うのが旅人ならずとも人の心の常だった。

腹を空かせた二人の旅人は、改めて何かないかと村の中を歩き回っていた。
革の長靴を履いた長身の剣士は、泥濘も苦にせず容易に踏み越えていくが、やや背が低いエルフ娘の履物は藁と革に木を編みこんだ簡素なサンダルで、どうしても少し遅れがちになってしまう。
村の周囲に広がるささやかな畑には、大麦の他に荒地でも育ちやすい燕麦に蕎麦などの雑穀や蕪などを見かける事が出来た。
畑で育てるあれらの穀類や野菜に河で獲れる魚介などが村人の主食なのであろう。
時に僅かばかりの兎や鳥の肉が食卓を彩るかも知れないが、やはり貧しい食事である。
「うあ……酷いものを食べてる」
あばら家の入口で小さな蕪を齧っている村人の姿に、エルフは微かに眉を顰めて呻いた。
同じ食べるにしても、スープにするなり、焼くなりすれば、味わいだって違うだろう。
勿論、世の中には生の蕪を好む人物とているが、中年の農夫は料理が下手か、或いは手間を惜しんだに違いない。
蕪をもそもそと咀嚼しながら、如何にも不味そうなしかめ面を見せてくれた。

此れは期待できないかもと、エルフ娘が微かに顔を曇らせる。
と、黒髪の女剣士が小道の途中で急に立ち止まった。
女剣士はエルフ娘に合わせて歩く速度を緩めていたから、追い抜いてしまった連れは困惑の表情を湛えて振り返った。

丘陵の傍らに建っている背の低い藁葺小屋は、周囲にぶたくさが生い茂っており、もし迂闊な者であれば見過ごしてしまうほどに、辺り一面の素朴な田園風景によく溶け込んでいた。
エルフ娘も遅まきながらに気づくと蒼い瞳を軽く細めた。
囲いもない村に迷い込んだ野の獣だろうか。或いは村人か。
藁葺き小屋の扉の前。草葉の陰に何やらもぞもぞと小柄な影が蠢いていた。

「ああ……今朝方、旅籠にいた老ゴブリンだね。此処に住んでいるのかな?」
今朝方に旅籠の親父にパイプ草を売ってた老ゴブリンが突き出した屋根の下に茣蓙を敷き、小雨にも関らずパイプを吸いながら旅人相手であろう慎ましやかな露店を開いていた。
客の来る様子も無いのに地べたに座り込んで平然とパイプの煙を燻らせているところを見ると、どうやら露店が本業という訳でもなさそうだ。

「オルの店にようこそ。何か買うかね?」
冷やかし半分で覗いてみると、木の実、干し魚や焼き固めたパンなど貧しげな食べ物の他にサンダルや皮袋なども売ってる。
老ゴブリンは、しばし女剣士の豪奢な装束とエルフ娘のみすぼらしい衣服を訝しげな眼差しで見比べていたが、兎にも角にも片方は金を持っていそうだと判断したらしい。
「取って置きの品があるよ。うふふ」
不明瞭な発音で喋りながら改めて小屋の奥から出してきたのは、変な色をした茸にパイプ草などゴブリンやホビットが喜びそうな食べ物やつまらぬ嗜好品だった。

新たに並べられた取って置きの品々とやらにエルフ娘はさしたる興味を示さなかった。
表面上礼儀正しく振舞いながら、安物のパイプ草だの魔法の茸を喜んで買い求める旅人なんてドウォーフ族みたいなチビの亜人だけに違いないと心中で意地悪く決め付ける。
「黒パンはないかな?」
大麦の黒パン自体それほど美味いものではないが、燕麦のビスケットや石のような固焼きパンに比べれば随分とマシである。
ゴブリンが首を横に振ると、元からさして期待していなかったのか。
次に魚の燻製の値段を訊ねて、幾らか値切ってから二人分を買い取った。
大葉に包んだ燻製が手から手へと渡り、半分を女剣士が受け取って自分の革袋に仕舞い込んだ。
半エルフが値切った方が安く上がると考えて、あらかじめ二人の間で取り決めていたのだ。

半エルフは早速、魚の燻製を口に入れた。久しぶりの淡白な魚肉の味。
濃縮された旨味が口腔に広がり、胃の腑に染み渡り、脳裏を痺れさせる。
唐突に子供の頃に故郷の森の泉で、双子の妹と魚を釣ったことを思い出す。
懐かしい郷愁。ほろ酸っぱい過去の情景が蘇り、エルフ娘はつかの間の郷愁に浸る。
あたしが釣った魚なのに、なぜか妹が母ちゃんに差し出して褒められてたな。畜生。
何処からか冷たい風が吹きつけて、薄いマントを纏っただけのエルフを軽く撫でていった。

「……さて、如何する?他でパンかなにか探すか、此れで済ませるか。
 どちらにしても日が暮れる前に食事をすませてしまったほうがいいよ」
小魚を齧りながら、無言で佇んでいる同行者にそう促したが女剣士は視線を釘付けにしたまま微動だにしない。
「……どうした?」
まさか、あの怪しげな色彩の茸を食べて、幻覚に耽溺する退廃的趣味でも持ってるのだろうか。
幾ばくの不安を抱きながら怪訝そうに訊ねるも、女剣士は沈黙を保ったまま老ゴブリンを。正確には彼の傍らにある一点を凝視している。


半エルフの娘は早速、鉛貨で買い取った小魚の干物をポリポリと齧っている。
しかし、女剣士の目を惹き付けたのは、小屋の壁に縄で吊るされている野兎であった。
黒髪の娘の視線が野兎に釘付けとなったのを感じ取ったのだろう。
「あれ、売りもんじゃない。わしの晩餐。槍で獲ったんじゃ」
如何やら老ゴブリンは中々の猟師でもあるようだ。
小屋の奥には、小さな手槍と短弓がよく手入れされ、置かれていた。
しわくちゃの顔に、嬉しそうな満面の笑みを浮かべている。
ところどころ歯の抜けた笑顔には、木製の入れ歯が嵌まっていた。
「久しぶりのご馳走じゃ」

「ふむ、冬にしては肥えている」
女剣士は兎に値踏みする視線を向けて、無遠慮にじろじろと眺めていた。
人族の娘の視線に穏やかならざるものを感じ取ったか。
或いは、嫌な予感が背中を撫でたのか。
老ゴブリンが軽く腰を浮かせて、警戒するように尖った耳を動かし始めた。

如何な金銭感覚をしているのか。女剣士がゴブリンの目の前に銅貨を放った。
「美味そうだ。売ってくれ」
「駄目。あれ、売り物じゃない。わしの晩飯」
老ゴブリンの方も皺だらけの顔に渋い表情を浮かべると拒否した。
黒髪の女剣士は目に見えてムッとした様子を見せ、冷ややかな眼差しでゴブリンを見下ろし始める。少しだけ緊迫した空気が漂い始める中、干魚を口にしたエルフ娘は、御座なりな気分で我関せずと事の推移を傍観していた。
兎一匹買うのに銅貨一枚払う金銭感覚は破綻しているが、裕福な貴族ならまあ不思議ではない。
兎だって次も運よく獲れるとは限らないし、売るのを渋るのも分からんでもない。
いずれにしても彼女にはどうでもいい事だった。

女剣士は喉の奥で小さな唸り声をあげてから、暫らく無言で何事か考えていた。
ゴブリンを眺め、半エルフを見つめると何故か頷き、それから再びゴブリンを見据えた。
やがて半エルフの形のいい尖った耳に口を寄せると、小声で囁いてきた。
「なあ、御主の口車で何とかならんか?」
唐突な提案にエルフ娘の返す声も自然と小声になった。
「口車と言われてもな……随分と渋ってる。
 それに今、買った魚は如何する気だい?」
「なに。明日の朝食でも構うまい。上手くいったら兎半分やる」
「……半分?」
「御主、交渉してみてくれ。駄目元で構わんから」
女剣士は黄玉の瞳を細めて、悪戯っぽい笑みを浮かべて顔を覗き込んできた。
云われて半エルフの娘は、微かに目を細めてみすぼらしいゴブリンの露天商を観察した。
此方を油断なく見据える老ゴブリンからは、警戒と微かな困惑の臭いが嗅ぎ取れた。

悪い話ではない。が、人の人生は顔に出る。
老ゴブリンは見るからに頑固そうな容貌をしていた。難しそうだ。

ゴブリンは茶色。或いは緑の肌をした比較的に小柄な体躯をもつ亜人種である。
手先の器用さや敏捷さにおいては人族にもそうひけを取らないが、反面、膂力に関しては比べるべくもなく劣っていた。
辺境を放浪しているのだ。強い者が弱い者から、力づくで奪う光景は度々、眼にしてきた。
ゴブリンの老人も、それを見てきた筈だ。
頑固そうだ。だが、辺境に住む小型の亜人の常として、力ずくで奪われる可能性も意識しているに違いない。
露骨に歓迎していない眼差しで女剣士と半エルフを睥睨していたが、女剣士を窺う藪睨みの瞳にはほんの少しの怯えと臆病さが浮かんでいた。

当惑して女剣士を見つめながら、エルフ娘は少し悩んだ。
高貴なる森の民としては、此処は連れを諌める場面ではなかろうか。
断ろうと口を開くも、瞬間、胃の腑が強硬な抗議の叫び声を上げた。
造反した胃の腑が高らかに奏で上げる空腹の唄声は、人族の娘の耳にも聞こえた。
頬を赤く染めて歪な彫像の如く固まっていたエルフ娘が動き出したのは、十を数えた程の時間が経ってだかろうか。

「やってくれるな」
「取り合えず、やってみるけど……」
結局、肉の誘惑には高貴な森の民の精神力でも勝てなかった。
いまだ頬を紅潮させながら、黒髪の剣士の耳元に口を近づけて囁き返した。
ぼそぼそ呟きあう怪しい二人組に、ゴブリンの翁は益々警戒の色を強めた。
「うむ、期待してるぞ」
「失敗した時がこわいなぁ」
ぼやきながら老ゴブリンに近づくと、エルフ娘は小さく咳払いしてから話しかけた。

「なあ、『翁』よ。銅貨一枚在れば、兎でも鶏でも二羽でも三羽でも買えるじゃないか?
 私たちは腹が空いている。如何かその兎を売ってもらえないだろうか?」
エルフ娘は精々親しげにゴブリン語での呼びかけを交えて話しかけたが、老ゴブリンの反応は、まるで腐れ銀を財宝と偽って売りつけに来たコボルドを見るような冷たいものだった。

「兎はおらの夕食だ。あんたらに売っちまったらおらは何を食えばいいだね?」
「銅貨一枚在れば、食べたいものを好きなだけ食べられるではないか?」
「……こんな村で銅貨なんか貰っても、使い道なんかねえだ」
慎ましい生活を好む素朴な農民と言った反応で、中々に付け込む隙が見えなかった。
「なら、そこら辺の町か大きな村の定期市へでも行けばいい。
 山羊の炙り肉でも豚の茹で肉でも、腹が裂けるほど食べられるぞ?」
「……そんなに喰ちまったら、また後で腹が減った時、よけいひもじくなるだけだ。
 それに、そんなおっきな町なんか、おら滅多にいかないだよ」
ゴブリンは存外と手強かった。或いは、予想通りと云うべきだろうか。
此れは無理かも知れぬと肩を竦めて女剣士を振り返り、首を振ったが、
拳を握って頷く様子に、諦めるな。或いは頑張れだろうか。
いずれにしても無言の応援が伝わってきた。

「……柔らかく煮たウナギなんか如何だ?美味いぞ。
 銅貨一枚あれば、たらふく食べられるに違いない」
「……おらはウナギはすかねえ」
見るからに不機嫌な様子で、むっつりと老ゴブリンは応えた。
色々、欲を煽ってみるが、老ゴブリンはどうにも反応が鈍い。
益々、胡散臭そうな者を見るようにつぶれた鼻をひくつかせるだけだった。
舌打ちしたくなる気持ちを抑えて、エルフ娘は唇の端を引き攣らせながらも笑顔を保つ。
端から売る気がない上に、金銭にそれほどの価値を見出してないのだ。
値を吊り上げる為の演技にも見えない。

銅貨一枚はそれなりの大金だ。
伝手も技能も持たない自由労働者では、滅多に手にできないくらいの価値は在る。
「貴方は体も小さいし、兎は細かい骨も多い。
 今してる木製の入れ歯だって、痛んでしまうかも知れない」
だからと言って、半エルフの言葉は完全に余計なお世話だった。
もし、ゴブリンに今の二倍の背丈とそれに相応しい筋骨があったら、目の前の娘達を怒鳴りつけたに違いない。が、現実には彼は老いた小柄な亜人に過ぎなかった。

老ゴブリンからは無言で佇む人族の剣士は恐ろしげに、そして凄く強そうに見えた。
町や通りかかった旅人に、傭兵やもっと大きな種族の戦士を見たことも在ったが、
目の前の娘の纏う気配は、昔、一度だけ草原で出会ったダイア狼を思い出させる。
ゴブリンなど丸呑みに出来そうな巨体の灰色狼で、実際、その時は狩りに同行していた友人が一口で丸呑みにされている。
哀れなボベジャン。長くは苦しまなかったのが唯一の救いか。
人族の娘。剣を持っている事を除けば見た目はただの小娘にも見えるが、黄玉の瞳で見つめられているとあの時の狼を思い出す。何故か腹の底から落ち着かない気持ちになる。
どうも背筋が嫌な風に総毛立つのだ。


地面で鈍く輝いている銅貨と兎。
そして長身の人族の娘と腰に吊るしている恐ろしげな長剣を見比べた。
女ではあるが、纏った雰囲気には如何にも剣を使い慣れている感がある。
若いだけに動きは敏捷そうだし、力とて老いたるゴブリンよりは強いだろう。
巧みに剣を使う人の剣士に力づくで来られたら、老いた小柄な亜人など一溜まりもない。
無法者には見えない。見えないが、もし乱暴をされたら如何するか。
人は見かけでは分からない。断れば無理矢理に兎も取り上げられるかも知れない。
世の中には、オグル鬼の略奪者や放浪の民の盗人のように、他人のものを力づくで奪ったり、盗んでも、それをまるで悪いと思わない輩も多いのだ。
若い娘たちだから、つい油断してしもうた。
いいものと見たら奪おうとする旅人がおるのを、忘れておったわい。

老ゴブリンは強情だった。兎のご馳走を凄く楽しみにしていたのだろう。
エルフ娘も、先ほど目前でドウォーフに魚を浚われたので気持ちは分からないでもない。
やはり気が進まないので、女剣士に向けて掌を横にひらひらと振ってみせる。
『難しい』
女剣士が奥の兎を指差し、左手で軽い円を描いてから右手で半分に割る。
『兎』『半分』
此方も強情で早々には諦めそうにない。
悟られぬように微かなため息を吐いてから、エルフ娘は交渉の切り口を変えた。

「本格的な冬の訪れが近いね。
 今年は寒かったな。作物の出来は如何だった?」
「……あんま、出来はよくねえ。
 だから、しっかり肉食って精をつけとかなきゃなんね」
黙殺すればいいものを、律儀に応えてしまう老ゴブリン。
根は人がいいのだ。そして素朴な人が、素朴なままに暮らせる土地でもある証だろう。

「冬越えに食料の備蓄は充分かな?
 鼠に食われたり、腐ったりしないかい?」
老ゴブリンの顔の色や感情の揺れ、思考の方向を洞察しながら、半エルフは説得の言葉を組み立てていく。
ゴブリンにしては人がいい、かつ欲では動かない。しかし頭は良くない。今度は不安を煽る言葉を巧みに織り交ぜて思考に毒を流し込んでいく。


「春まで持つかい?今年は酷く寒かった。作物の出来は何処に行っても酷かったよ。
 来年も寒さが続いたら、此れは飢饉になるかも知れないね」
元来、ゴブリンとはそれほど頭の切れる種族ではない。
まして老ゴブリンは、街道筋とは言え小さな村落に暮らす素朴な狩人に過ぎなかった。
相手の言葉に隠された意図を推測したり、己の思考が誘導される種類の遊戯には不慣れだったし、そもそも議論そのものに慣れていなかった。なんと言えばいいのか分からない。
反論すればいいものを黙り込んで、エルフの言葉の一つ一つに面白いくらいに動揺してしまう。
そして半エルフは、達人とまでは云えないがその種の遊戯に慣れた方では在った。

「貨幣は食べ物と違って、目減りも劣化もしない。
 銅貨一枚あれば、いざという時にけっこうな食べ物が買えるだろう?」
相手は小柄なゴブリンだ。喰う量も多寡が知れている。
銅貨一枚在れば、鶏でも豚でも好きな肉を好きなだけ食べられるに違いない。

良くない言葉の羅列で、朴訥で単純な村人の想像力を悪い方向に刺激してやる。
それだけで後は勝手に最悪の事態を想像して、己が想像力の産み出した悪夢に脅えて此方が差し出した手にすがり付いてくる。

揺れているな。剣士を恐がってもいる。
いい兆候だ。恐怖は思考を知らず知らずに縛り付ける。もう少し。
ひりつくような餓えを経験した事のある者なら、考えれば銅貨を取る。
だから、最悪の事態を連想させる言葉を与えて、己自身に何が良い選択か考えさせる。
今の場合、大切なのは嘘をつかない事。それが語り口から澱みを消して、言葉に真実味を増す。
嘘ではないからと云って真実ではないが、此の場合、ゴブリンにとっても悪い話ではないのは本当であるから、気が楽でもある。
不安そうな翳りに覆われ歪んでいくゴブリンの表情を観察しつつ、止めの言葉を突き刺した。
「ねぇ?よく考えてみなよ。金銭の蓄えがあれば、いざという時、他の町や村に食べ物を買いに行くことだってできる。銅貨一枚が命を繋ぐこともあると思うよ」

優しいとさえ聞こえる声で語り終えると、エルフ娘はそれきり沈黙した。
実際に、けして悪い取引ではないと彼女自身は思っている。
彼女含めた貧乏人に銅貨は貴重だし、一枚在るだけでゆとりを持って冬を越えられるに違いない。
云うだけの事は云った。だから、ゴブリンが答えを出すのをじっと待った。
此れで断るなら、彼女に出来る事はもうない。
女剣士は如何思うだろうか。
此の今の場面で力づくで奪う人物であれば、一緒に行動するのも考えものだ。
そう思って横目で様子を窺うと、黄玉の瞳に面白がるような光を浮かべて微かな笑みを浮かべていた。

渋っている老ゴブリンの前に赤茶色に輝く銅貨がもう一枚放り投げられる。
ゴブリンは真剣に思い悩む様子を見せていた。
地面に落ちている銅貨と兎を見比べて、それから剣士と半エルフに視線を移した。

半エルフは微かに首を傾げてゴブリンを眺めていた。
穏やかに微笑みを浮かべているが、切れ長の蒼い瞳からは何を考えているのか窺いようがなくてゴブリンの胸中に不安を抱かせる。
女剣士は、右手で剣の鞘を撫でながら、口を固く結んで老ゴブリンを見据えていた。
剣呑な硬質の輝きを孕んだ鋭い黄玉の眼差しは、野生の獣を連想させて見られているだけで背筋に寒気を催させた。

二人の娘の顔から、如何なる文字を読み取ったのだろう。
諦めが翁の顔に翳りを落とし、やがて立ち上がると奥に行って兎を持ってきた。
これ以上頑張っても、ろくな事にならないと悟ったのかも知れない。
実際、確かに兎一匹と銅貨二枚は悪い取引ではない。折れるのも有りだろう。
見るからに渋々と、渋々と差し出された野兎を嬉しそうに受け取ると、女剣士は満面の笑顔で振り向いた。
「さあ、肉だ」
半エルフが、微笑みを浮かべて女剣士に頷きかけた。

野兎は、村人たちと皆で分け合って食べる心算であった。
辺境の村落では、何時もそうやって助け合いながら暮らしていた。
人族でも、エルフでも、力の在る者は何時でも好き勝手に振舞うわい。
子供たちのがっかりする顔を思うと、老ゴブリンの心が痛む。
冬籠りの前に、僅かでも肉を食わせてやりたかったのう。
今度、町に行ったら子供らに玩具か菓子でも買ってやるかの。
地面に落ちてる銅貨を素早く拾い上げると、今度はさっさと懐に仕舞い込む。

他の旅人に見られてはなかっただろうか?
放浪の傭兵や蛮族なんて輩は、ゴブリンが銅貨を弄んでいるのでも見たら直ぐに取り上げようとするに違いない。
そして逆らえば、虫けらみたいに無慈悲に殺すのだ。
老ゴブリンは一瞬、猛烈な憤怒に駆られた。
この手槍を片手に、今から追いかけていって挑んでやろうか。
あの娘たちは、どんな顔をするだろうか。
情景を妄想してから、ゴブリンは直ぐに自嘲の感情を孕んで破顔した。
何を馬鹿な。それこそ老いたゴブリンなど一太刀で切り倒されてしまうに違いない。
娘の二人組と見て無用心に話しかけた自分が迂闊だったのだと、老ゴブリンは気持ちを落ち着けた。
それでも、まだ運が良かった。
一見、横暴に思えるし強引に取り上げはしたが、大枚を払ってもいる。
次の客人が、欲する品の代価を暴力で支払う輩ではないと如何して言い切れるだろう。
小柄で非力な亜人が用心と武装を忘れたら、辺境で長生きは出来ない。
だからといって、何処かに住み易い土地がある訳でもなかった。
大きな村や都邑なら弱肉強食の無法は罷り通らない代わり、支配者に相応の税を納めなければならない。

兎を如何料理すれば美味いか語りながら遠ざかっていく娘たちの背中を見つめて、老ゴブリンは、苦々しい憤懣とやりせなさを吐き出すように陰鬱に溜息を洩らした。



[28849] 06羽 改訂
Name: 猫弾正◆b099bedb ID:e2904fa0
Date: 2011/08/21 13:55
暗鬱な曇天から小雨がぽつぽつと降り注いだ。
時折、冷たい静かな風が吹き抜けては、泥濘んだ細い道を進む二人組の旅人のマントをはためかせていた。


世の殆どの人々にとって、銅貨一枚はそれなりの価値を持つ貨幣であった。
例えば貧しい放浪者からしてみれば、錫銭一枚の有無が其の日の食事の有無に繋がり、また真冬の最中に暖かな寝台での安らかな眠りと夜空の下での野宿を隔てる大きな違いでもある。
其れは即ち命を左右する差であり、そうした諸々を考えれば、女剣士の金銭感覚は殆ど驚くべきものではあったから、エルフ娘は呆れたようにぶつぶつと呟いていた。
「兎一羽に銅貨二枚とはね……幾ら持っているのか知らないけど、手元不如意になるのも無理はないよ」
賢しらげな忠告を、しかし女剣士は鼻で笑って気にも留めない。
「肉が食べたかったのだよ。にしても、御主は年齢に似合わず分別臭いなぁ」

「御主のお蔭で安くついた。それにしても上手く交渉するものだな」
自由労働者として長くヴェルニアを放浪しているうちに身につけた話術であろう。
エルフ娘の世知長けた交渉の手管は、傍から聞く分には中々に興味深いものだった。
「貴女の立派な服はそれだけで買い物には不利だね。
 貴種と見たら、行商人も農民もそれだけで吹っかけてくるだろうから」
「だからといってみすぼらしい服にわざわざ着替える訳にもいかんだろう。
 いや、意外と有りかな。其のうちに一度着てみようか」
楽しげに鼻歌などを歌いながら、女剣士はエルフの娘の智恵と口説を賞賛した。
「御主は、よく智恵が回るよ。口も巧みだ。
 それだけ舌が廻るなら、さぞ世を渡りやすかろう」
「……舌が廻るとは余りいい言い方ではないね」
女剣士は純粋に賞賛した心算が、何故かエルフの機嫌を損ねた。
「いや、弁論術を褒めているのだよ?そう拗ねるな。折角の可愛い顔が台無しだぞ」
「それが褒めている心算か?……ま、いいさ」
半エルフのほうは、女剣士を奇妙に苦手に感じていた。
嫌いと言う程ではない。
が、天然物の上から目線に加えて偉そうな物言いがほんの少しだけ気に障るのだ。
とは言え、身分の高い者など得てしてこんなものだろうとも思う。
幾らか無神経だが、悪気がないのは分かる。今のところは、卑しさや悪意も感じない。
少なくともその点では、女剣士は不愉快な同行者ではない。
富裕だからエルフ娘の僅かな持ち物を狙う事もあるまいし、同性だから襲われる心配もない。
ずっと同行する訳でもなし、些か偉そうな物言いも気にするほどでもないだろう。


土手道を少し曲がった先の河原に、料理の下拵えをするのに丁度具合の良さそうな空き地を見つけた。
雑草も生えていない剥き出しの地面には先ほどまで釣り人がいたが、夕暮れも近づいてきたからだろう。河原には既に人気もなく、荒涼とした侘しい風景が広がっている。
今朝からの小雨に増水した小川から水流が流れ込むうち、いよいよ勢いを増したレヴィナスが轟々と音を立てて時折、冷たい水飛沫を跳ね飛ばしているのを、余り近づき過ぎないように注意しながら二人の旅人は視線を交わした。

「料理は出来るか?」
問いかけにエルフ娘が頷くと、兎を手渡された。任せるという事らしい。
平らで大きな石を見つけると、エルフ娘は腰から小刀を取り出す。
無毒な大振りの葉っぱを見繕って幾つか摘むと、軽く洗浄してから石の上に重ねた。
小刀は普段革製の鞘に包んである切れ味のいい鉄製で、滅多にないが兎や鶏などを捌く時には重宝するのだった。
兎の背中を指で摘み上げると、まずは切り裂いて穴を開けそこから皮を剥いでいく。
手際よく全身の毛皮を取り除くと、頭部と四肢を切り裂いて捨て、腹を裂いて内臓を取り除いた。

「毛皮は如何しますか?」
切り取った頭から脳漿を取り出してなめせば、ちょっとした小遣いにはなる。
しかし、エルフ娘もそれほどなめしには詳しい訳ではない。
故郷の森にいた頃、皮革職人の知り合いもいたのだが、日常生活が植物性の布で充分に事足りていた事も在って習わなかったのだ。
持ち主の女剣士が面倒くさそうに手を振るので、臓物と一緒に草叢に投げ捨てた。

葉を並べた石に兎を乗せると肉をさらに切り刻んで、切り口に香草や食べられる野草などを味付けに挟んでいく。
「此の兎は若いね。凄く柔らかいよ」
感嘆の呟きを洩らしながら、金属性の串を数本、取り出した。
金属製品は全般的に高価な世間である。
金属製の串も例に漏れずに相応の価値が在る。色々な場所で貨幣として支払いや物々交換などに使用する事も出来た。
エルフ娘が手にしたのは比較的に安価な鉄製であるが、中には青銅や真鍮で造られた串もある。

興味深そうに手際よく料理する様子を眺めていた女剣士だが、エルフ娘が串を取り出した瞬間に、思い出したようにあっと呟き、慌てて腰の袋から何かを取り出した。
「使うがいい」
手渡されたのは、親指ほどの大きさの黒ずんだ結晶。岩塩の塊だった。
塩はありふれているが、そこそこ値の張る調味料でもあるから、顔を上げて視線でいいのかと訊ねる。
鷹揚に頷いている為、先端を削って表皮に掏り込んでいく。

岩塩を返し、下拵えが漸くに終わる。
料理の手際に満足したのだろう。女剣士はご満悦の表情で肯いていた。
切り落としを丁寧に葉を乗せた布に包んで、エルフの娘は兎の持ち主に告げた。
「後は、小屋で火を借りよう」
肉料理は焼きあがるのに結構な時間が掛かるから、小雨とは言え雨天の野外で調理は面倒だった。
冬の空は薄暗く、分厚い雨雲が高所で揺れており、空を仰いだ女剣士は目を瞬かせた。




街道を行く旅人たちに開放されてる藁葺き小屋は、長年を風雨に晒されてきた為に歳月を経た板壁は乾燥してひび割れ、屋根は破れたままに修繕もなされず、所々から雨漏りしていたが、金のない放浪者や自由労働者などには好んで寝泊りする向きもあった。

太陽が西の空へ大分傾いた頃。旅人の小屋へ入ると其処に十人近い旅人が屯っていた。
藁葺き小屋一つに此れだけの人数が寝泊りできる筈もないから、旅人の大半は情報なり物々を交換する為に集ったのだろう。村人らしき姿も在った。
夜になれば旅人の半数は近隣の旅籠に引き上げるか、或いは小銭なり労働なりの代価を払って村人の家に泊まるに違いない。

小屋の入り口の直ぐ外には、雨水を溜め込む為の大きな壷が置かれていた。
年代物の素焼きの壷で、陽に当たる側は変色して埃っぽい白に色褪せている。
時として、河の水には何らかの毒素や細菌、寄生虫などが含まれている。
地元の人間は兎も角、飲み慣れぬ余所者が口にすれば、病気になったり、腹痛を引き起こす事もあった。
だから、壷に溜まっている雨水は旅人の喉を潤おす為のものなのだろうが、濁った水の表面には羽虫の死骸が浮いており、此れでは川から生水飲むのとどっちが不衛生か分からない。
壷を覗き込んだ女剣士は不快げに眉を顰めて、何やらぶつぶつと文句を呟いていた。


扉から入って右隅には、陰惨な翳りを纏った三人組の男女。薄汚れた旅装に身を包んだ彼らは、低い小声で何やらボソボソと相談していた。
直ぐ傍には、小柄なホビットの娘が床に敷いたマントの上に気だるそうに寝転んでいた。
小屋の奥には、比較的、清潔な旅装を身に纏った行商人が数人、天候や城市の通行税について愚痴っていた。
その隣には貧しげな身なりをした子連れの中年女が座っている。
甘えるように膝に頭を乗せる幼子を抱きしめ、自分の口で噛んで柔らかくした木の実を与えていた。


部屋の中央にある囲炉裏には、枯れ草や乾燥した枝を薪に火が音を立てて踊っていた。
丁度焼きあがった所なのだろう。ドウォーフが美味そうに焼きあがった鮎を頬張っており、エルフ娘は一瞬、生唾を飲み込んだ。
ドウォーフの健啖振りを見てると、エルフ娘は何やら腹立たしくなってきて、苛立たしげに舌打ちしてしまう。
その仕草に気づいたのだろう、ドウォーフはにたりと笑うと、旅の連れであろうウッドインプに何か呟きかけた。
何かの冗談だったのか。それまで無表情に鮎の塩焼きを貪っていたウッドインプが、呵々と大笑し、ドウォーフの肩を親しげに叩いた。
「……ドウォーフなんか、土か岩でも喰ってればいいのに」
半エルフが忌々しげに呟くと、今度は女剣士が可笑しそうに笑った。


気を取り直して布から葉に包んだ兎肉の串を取り出すと、エルフ娘は囲炉裏へと近づいた。
肉というのは、最初は素早く表面を炙り、焼いて内部に肉汁を閉じ込める方法が一番、美味い。
その後は肉の種類によって異なるが、兎や鶏などは、概ねが強い火で一気に焼き上げるよりも、弱火で万遍なく炙った方がより味わい深くなるものだ。
だが、それはあくまでエルフ娘の考えで、世の中には肉汁の滴る調理法は下品で、
茹でた方がいいと考える者もいれば、強火で一気に焼いた方が美味いと考える者もいる。
兎に角、丁寧に炙るとなれば、此れは強火で焼くよりも余計に手間暇も時間も掛かる。
そのような事を告げ、早めに焼くのと、時間を掛けるのとどちらにするか訊ねる。
折角の肉であるから後者が良いと云うので、表面を素早く焼いてからは、丁寧に仕上げようと火の弱い処に当ててじっくりと炙り始めた。
「私の分は、よく焼いておくれ。その方が好みだ」
エルフ娘の手にした串焼き肉を窪んだ目でじっと見つめる痩せた旅人もいたが、人族の剣士が連れなので兎肉を取り上げようと試みるような輩はいなかった。

表面を焼けては回転させ、また裏返しにして、万遍なく肉に火を当てていった。
灰に脂が滴り落ちて、小屋に肉の焼ける香ばしい匂いが広がっていく。
焼きあがった物から、布に敷いた葉の上に並べていく。
奥にいた貧しげな親子連れの幼い少年が、涎を垂らしながら穴が開くのではないかと思うくらいに肉を凝視しているのに気づいたが、可哀想に思いつつも無視を決め込む。
一々、腹を空かせた子供に食べ物を分け与えていては、自分の分がなくなってしまう。


一方で女剣士は入り口近くの壁際に陣取って、剣を肩に抱えた楽な姿勢で座り込んでいた。
日干し煉瓦で出来た壁は漆喰も剥がれて大分劣化しているが、風雨を凌ぐには充分である。
楽な姿勢を取って料理が出来るのを待ち侘びながら、大地に当たっては弾ける雨音に耳を欹てて、楽しげに即興の歌などを口ずさんでいた。





[28849] 07羽
Name: 猫弾正◆b099bedb ID:e2904fa0
Date: 2011/08/21 13:14
軽やかな足取りでエルフ娘が近寄ってきた。
手に抱えた布の包みからは、肉の焼けた芳ばしい香りが立ち昇っている。
「待たせたかな」
「なに。こうして待つ時間も楽しいものだったよ」
緑髪の娘はふっと笑って布と葉っぱを広げると、香草焼きが湯気を立ち昇らせた。

自分で猟をしたり罠を仕掛けられる技を持つ者を別にすれば、旅の身空で、普通の庶民が肉を口にする機会は意外と少ない。
家鴨や鶏、豚を飼っている荘園で働くか、自然豊かな森や平原などに隣接する村へ滞在した時。あとは大きな町で祭りが行われた時くらいか。
そもそも家畜を潰すのは、そうした土地でも特別なお祝いの日くらいだから、裕福な旅人でもないと肉は中々に食べられない。
小屋で休んでいた旅人の幾人かは、露骨に羨ましそうな顔を浮かべてご馳走を眺めていた。

上手く焼き加減を調節したのだろう。
しっかり炙ったにも拘らず、肉の切れ目に挟み込んだ野草や香草は殆ど焦げていない。
刻んだ香草が表面に振り掛けられて、香りと味に深みを与えている。
唾を飲み込み、大き目の肉を手に取ると齧りついた。
噛むと口腔にじわっと暖かな脂の旨味が広がる。
黒髪の娘は思わず硬直した。目を見開いて絶句し、それからゆっくりと顔を綻ばせた。
「うむ。これは美味い」
岩塩もよく効いている。
肉に挟んだ香草は仄かな苦味があったが、其れがまた口の中で味わいを深めてくれた。
振りかけた香草の方は香り高く、淡白な肉の風味をより引き出してくれる。

「ああ、美味い。久しぶりの兎。此れでお酒と黒パンでもあればね」
エルフ娘が指をしゃぶりつつ、贅沢な事を云った時。
「黒パンは此処にありますぞ」
間髪おかず、唐突に横合いから話しかけてきたのは、行商人風の見知らぬ男だった。
先ほど、羨ましそうに兎を見ていた旅人の一人だ。
やや肥満した禿頭。質素な服装には僅かに旅塵の汚れもついているが、定期的に洗濯しているのか、気持ちのいい清潔感を保っている。
驚いているエルフ娘を尻目に、大きな顔に人懐っこそうな笑みを浮かべて、大きいが穏やかな声でお世辞から入ってきた。
「美味しそうですなぁ。
その肉をほんの一切れ頂ければ、お二方に黒パンを一つ、いや二つずつ差し上げましょう」
「いいだろう」
行商人の取り出したパンを見てエルフ娘が何事か云い掛けるが、口に出すよりも早く女剣士があっさりと了承してしまった。
「おおっ、ありがたい」
掌程の大きさの黒パンを押し付けると、串焼きを手にとって、
「食べ終わったら、串は返してね?」
「分かっておりますとも」
どこかむすっとした半エルフの言葉にも愛想よく頷くと、大きく肉に齧り付いた。

女剣士がエルフを見つめた。
「何を脹れている?」
「相当にお肉食べたがっていたから、少し粘ればパンを三つずつ貰えたかも知れない」
女剣士が天井を仰いで、可笑しそうにくつくつと笑った。
「細かいことなど気にするな。これでも飲んで機嫌を直せ」
口に運んでいた革袋を渡してきた。
「あ……これ。いいの?」
ワインだった。一般に大麦や雑穀を材料とするエールよりも高価である。
「遠慮するな」
エルフ娘はワインを口に含む。甘い。そして躰が芯から暖まるように感じられた。
喉を潤おしてから、大きく甘い息を洩らした。
「へへ、えへへへ」
「何だ、御主。笑い上戸か?」
「久しぶりにまともな食事ですよ。お肉なんて半年?一年だっけ?」
「私に聞かれても困る」

「美味い。こんなに美味い串焼きは初めてですぞ」
お世辞の心算か、商人がエルフを見て絶賛する。
食べるのが好きそうな見た目だから、本気かも知れない。
「木の実も程よく焼けて噛み応えがあり、柔らかな肉の味とよく合うな」
人族の剣士も賞賛し、緑髪のエルフ娘は満更でもない様子で照れたように笑った。
「ふふ……香草も木の実も、何でもいいと言う訳ではないんだよ」
小さい口で栗鼠のようにもきゅもきゅと肉を咀嚼し、ワインで流し込んでからエルフ娘は服の袖口で口を拭った。
「兎には兎、鳥には鳥。其々に合う木の実や野草、香草があるんだ」
「ほう?」
早くも肉を食べ終わった商人が、面白そうに耳を傾けていた。
無言だが肯いてる女剣士の反応もあり、話題に退屈してないと見てエルフ娘は言葉を続けた。
早くも酔いが程よく廻ったのか、頬を上気させて得々と講釈を始める。
「例えば豚なんかはハーブとしては肉を柔らかくし、躰を暖めてくれる効果の生姜がよく合うけど、鶏などは香りの高いタイムなどが風味を深めてくれる。今振りかけてある薄緑のそれね。
兎は肉自体が淡白な味わいなので、意外と甘い果実をソースにして掛けたものも美味しいですよ」
商人が生唾を飲み込んだのか。喉を大きくごくりと鳴らした。
女剣士が指についた脂を舌で舐め取りながら、エルフを見つめた。
「ふむ、話だけでも、とても美味しそうだ。何時かは食べてみたいな」


その後は、三人で各地の街道の様子や天候、作物の出来を話題にしたり、時折、旅籠の飯の不味さについて愚痴ったりしながら食事を楽しんだ。
名前を知らない商人は、中々に話し上手で聞き上手でもあったから、不快な相手ではなかったし、エルフ娘や女剣士とも結構、気があったのか。色々と話は弾んだ。


その見窄らしい三人組は、近づくのを躊躇わせる陰気な雰囲気を醸し出していた。
先ほどから顔を寄せ合い、なにやら奇怪な響きの言葉で何事かを囁きあってる。
近くにいる者がたまさか不快な響きの相談を聞き取っても、彼らの言葉は意味不明な単語の羅列でしかなく、意味を汲み取る事は出来なかった。
「『黒蜜蜂』は『蜜』をたんまり持ってるようだな」
「だが、『蜂』は鋭そうな『針』を持ってるぞ。ジャール?」
歯擦音の多い聞き取りづらい囁き声に応えたのは、鉄の錆びたような擦れ声だった。
「飾りだろ。けけけ」
ジャールと呼ばれたアイパッチの痩せた男が、残された左目に貪欲な光を宿してにやついた。
「あの『針』が飾りかどうか試してみるか?」
「いや、いいあれ自体はいい『針』だ。高く売れるぜ」
羽振りの良さそうな『獲物』たちの様子を、小屋の隅から剣呑な眼差しで窺い続ける。


「『頂く』のかい?フィトー」
「聞くまでもないだろ?ミュー」
短い赤毛をした若い女は、精悍な顔立ちだけは中々に整っていたが、頬に残る大きな切り傷と滲み出る卑しげな雰囲気が彼女の生まれ持った容貌を損なっている。
「余ってる所から足りない所へ廻してもらうんだ。罰は当たるまいよ」
鉄を軋ませたような擦れ声のフィトーは長身だった。
北国のヴェルニアには珍しい赤銅色に焼けた肌。隆々とした二の腕は、太く逞しい。
『獲物』を見定めている五つの瞳は濁ったまま。
『兄弟』や『姉妹』だけが使う独特の言葉は、隠語や暗喩が入り混じり、本来の意味とは懸け離れた単語が多用されている為、仮に周囲の者に聞きとがめられたとしても、外国人の言葉のように意味の分からない会話でしかない。

「それにしても、いい『肉付き』をしてる。『毛』もまるで鴉のような見事な闇色だ。高く『売れる』ぜ」
独自の符丁を織り交ぜ、淡々と呟く低い擦れた声からは感情の揺れは窺えない。
近くにいる行商人などが偶々耳にしたとしても、精々家畜の品定めをしているとしか思わないだろう。

「いい体つきは当然さね。あの服見なよ。餓鬼の頃から餓えたことなんてないのさ。しししっ」
二人の獲物は肉と黒パンに舌鼓を打ちながら、優雅に皮袋からワインを楽しんでいた。
食事を楽しむその姿が、己以外の全てに憎悪を抱いた歪んだ性根の連中には、また腹立たしく思える。

「……豪勢な飯だ。ご相伴に預かりたいものだな」
「この前の荘園で『頂いた』豚は、年寄りの上に臭くて固くて喰えたものじゃなかったな」
「まともな肉なんて何ヶ月も喰ってないよ」
「残しておけよ、そうすれば少しは扱いを優しくしてやる。よぉし、よしよし」
残した肉を皮に包むのを見て、ジャールが餓えた小声で呟く。

「俺は『緑兎』の方を『貰う』ぞ。
顔は汚いが『長耳』は久しぶりだぜ。例え、それが『合いの子』でもな」
痩せたのっぽのアイパッチが興奮した様子で卑しげな笑みを浮かべてると、赤毛の女がまるで気の毒と思ってない口調で囁いた。
「にしても少し可哀想だね。いかにも初心って感じだよ」
ニヤついてるアイパッチに、フィトーが錆びた掠れ声で告げる。
「『雪』が『純白』なら高く売れる。『踏む』前に確かめて『誰も歩いた事』がなかったらもう片方で我慢しろよ」
ジャールは太い腕をした頭目の言葉に目を剥いて何か言いかけたが、仲間二人の冷たい目つきに気づくと、不満げに口元を歪めながらも不承不承頷いた。
「……分かったよ、フィトー」
苛立ちの込められたアイパッチの言葉に残った二人が頷いた。

ミューが囁いた。無情な瞳。平坦な声で、口元だけが冷たく笑っている。
「『豚』は如何する?『銅』の『餌』をたっぷり腹に『貯めて』そうだよ?」
「村人の見てる『家畜小屋』には手を出さない方がいいだろう。
 まずは『蜂』と『兎』から頂く。『豚』はそれからだ」

『獲物』を品定めしながらフィトーは、硝子玉のような濁った瞳に油膜のように澱んだ欲望の光を宿らせ、厚い唇を歪めて獰猛な笑みを浮かべた。




[28849] 08羽 手長のフィトー01
Name: 猫弾正◆b099bedb ID:e2904fa0
Date: 2011/09/01 17:10
そうだ。もっと楽しめ。お嬢さん方。
人生、何が起こるか分かりはしない。
大いに食べ、飲み、歌い、踊り、人生を謳歌しろ。
今宵の晩餐が最後に味わう自由の味。
大事な箱入り娘も、おいらに目を付けられたが運の尽き。
窓から入ってかどわかし、銀と引き換え売り払う。
次に目覚めりゃ何処も知れぬ檻の中。哀れ、銅の小片で身を売る娼婦に転落さ。
見知らぬ娘さんにゃ気の毒だが、銀を片手においらは踊る。

―――街道の人浚いの唄 作者不明 


うとうとと気持ちよくまどろんでいたのに、突然に肩を強く揺すられた。
「うあ、なに?」
夢見心地から呼び戻されたエルフ娘が、乱暴な扱いに抗議の声を上げると、
「そろそろ起きなさい。もうじき日が暮れる」
耳元に女剣士の涼やかな声が囁いた。

不満げに唸りながら目を開けると、薄暗い室内に茜色の夕陽が差し込んで茶色い壁を照らしていた。
雨も大分、弱まった様子だ。外から聞こえる雨音も大分、小さくなっていた。
半エルフが目を擦りながら周囲を見回すも、肥満した行商人の姿は見当たらない。
「んむむ。あれ?」
「ああ、あの者は村人の家に泊めてもらうそうだ。
我らも、もう行かなくては夜道を歩くことになるぞ」

手元にあったワインの革袋を口元に運ぶと、女剣士が眉を顰めた。
「余り飲みすぎるな」
「あ、すまない」
他人のワインを飲みすぎたと考えて謝るが、別に物惜しみした訳ではないようだ。
「此れから宿まで戻るのに、足元がおぼつかなくなっては困る。
ワインはまた次の食事まで取っておいて、今は水にしておきなさい。ほら」
差し出された皮の水筒を見て、半エルフはやや疑わしそうな顔つきでまじまじと見つめた。
それに気づいたか、女剣士が苦笑する。
「安心しろ、湧き水で汲んだものだよ」
「湧き水?」
「街道近くに廃村があっただろう?」
「いや、気づかなかったな」
首を振ると、
「旅籠の向こう側だ。明日にでも場所を教えてやろう」
街道を行き来する旅人や放浪者にとって、井戸や綺麗な湧き水を汲める場所の情報というのはかなり重要な話だが、知る者が増えれば取り分が減る類ではない。
だとしても、人族の娘は案外、親切な性格をしているようだった。


ワインを飲んで渇いた喉に水筒の水は妙に甘く感じられ、砂に溶けるように体に吸い込まれていった。
「……なんか貰ってばかりだね」
口元を拭いながらのエルフ娘の呟きは、黒髪の剣士の耳には届かなかった。
大分、頭がはっきりすると、半エルフは鞄から数枚のローズマリーを取り出した。
ローズマリーの葉には、生姜などと同じく肉の腐敗を防ぐ効果が在ると云われている。
残った兎肉から串を引き抜くと丁寧に葉に包んでから、布に包んで紐で軽く結わくと革袋に仕舞いこむ。忘れ物もないようだ。
「では、行くか」

小屋を出ると、日暮れが近づいたからだろう。風は先頃よりさらに冷たくなっていた。
火の焚かれた屋内に比べて外気はかなり肌寒く感じられ、薄いマントを羽織った半エルフは小さく躰を震わせた。


「あ……待っててくれるかな。直ぐに済むから」
翠髪の娘が慌てて川原の方へと走っていった。
何をするかと見ていれば、鉄串を取り出すと水で洗って布で丁寧に拭い、尖った端に木蓋をつけて腰の革袋へと仕舞いこんでいる。

暇を持て余した女剣士が西の彼方を見ると、雨雲は完全に吹き払われて、地平に黄昏の夕陽が淡く輝いてた。
照り返す夕日に赤く染まった群雲へと向かって、天高く渡り鳥の群れが遠ざかっていく。
つかの間、陽炎を纏って揺れる初冬の情景に見入ってると、手早く洗い物を済ませたエルフ娘が駆け戻ってきた。泥濘んだ地面を踏みしめ、二人は村を出ようと細道を歩き出した。


村外れにある矮樹の近くで、胡麻塩頭の痩せた老人と何やら話している襤褸を纏った二人組の乞食とすれ違った。
乞食たちは歯のない口で何やらいやらしい笑いを浮かべると、二人の娘とすれ違い様に嫌な笑い声を上げた。

気に障ったのだろうか。女剣士が立ち止まって、乞食たちの後姿に鋭い視線を送った。
「如何した?」
「今すれ違った老人。小屋にいたな」
エルフ娘の問いにそれだけ呟くと、女剣士は肩を竦めて再び歩き始めた。


川辺の村落を出て、まだ四半刻(三十分)も経ってはいない。
恐らく日が暮れるまではあと半刻ほどの猶予が在るだろう。
街道を歩きながら、足を止めずに女剣士が口を開いた。
「さっきの商人の話ではな。少し歩くが橋が在るそうだ。
 古い橋だが、落ちたとの話は聞かない。迂回する価値は在るかも知れないぞ」
「しかし、そうなると……」
 気が進まないといった表情で半エルフは言いよどんだ。
「何が気になる?」
「北はオーク族が出没し始めてるとの話だよ。
 ……噂では、数十年ぶりの大規模な侵攻でクレインの砦が落ちたとか」
「噂が全て真実なら、クレイン城砦は五年に一度は落ちている事になる。
 それに橋が架かっているのは、下流。南の方だよ」

「渡る際に管理している村の衆だかに、幾ばくか通行料を取られるようだが如何かな?」
女剣士が黄玉の瞳に見つめると、エルフ娘は俯き加減の姿勢で暫し沈思してから頷いた。
「艀の方が安いけれど、食費や宿代を鑑みれば……此処で足止めされてるよりは確かに」
「一考の価値は在ろう?
 今日、明日のうちに天候がおさまる様子を見せねば、下流へ行く心算だが如何だ?」
「一緒させて貰うよ。私も早めにティレーに入りたいからね」
「うん……む?」

明日も一緒に行動するのなら、互いの名前くらいは知っていた方がいいだろうか。
今さらに聞くのは何だが、自己紹介するかな。
それとも、もう少し一緒に行動してからがいいか。
エルフ娘が変なことを少し迷ってから、自己紹介しようとした矢先、女剣士が冷たい笑みを浮かべて口を開いた。

「気づいたか?先ほどから後を尾けてくる者達がいる」
戸惑い、僅かに困惑の態を見せながらエルフ娘が後方を振り向くが、誰の姿も見えない。
「……まさか」
女剣士は低く、囁くような声で続ける。
「先ほどの小屋に此方の様子を窺っている者が何人かいた」
エルフの娘は無言。ただ目を瞬いて、黒髪の剣士の横顔を見上げる。
「腕の太い男と赤毛の女。眼帯をつけた黒髪の三人組だ」
「……いたね。やな雰囲気の奴等だった」

「あいつらの私たちを観る目だが、どうも気に入らなかった」
エルフ娘は、落ちつか無げに視線を彷徨わせてから、足元に長く伸びた己の影を見つめた。

「どちらかな?」
黒髪の人族の娘は黄玉の瞳を細め、楽しげに呟いた。
「どちらとは、どういう意味?」
「狙いは、私か。御主か。それとも両方かな」
懸念通りなら賊に狙われているというのにどこか楽しげでさえある女剣士に、呆れたといった様子で首を振った。
「如何にも金のあるところを見せつけてる、貴族の令嬢だと思うよ」
「半エルフの女なら、娼館にも高く売れるだろうな。きっと人気者になるぞ」
「……高貴な身から娼婦に転落した娘も、人気が出るでしょうね」

緊張した面持ちのエルフ娘とは対照的に、なにがおかしいのか。
女剣士はくつくつと笑っていた。

「貴女は随分、余裕が在るね」
「安心しろ。賊の三人くらいなら私一人で片付けてやるさ」
「……荒事は苦手だよ」
エルフ娘は呟いて、黒髪の剣士の様子を観察する。
大した自信だった。言葉の半分でも、剣の腕が立つならば安心できるのだけれどと思いながら、今度は足音を捉えて半エルフが立ち止まった。
目を閉じて、神経を集中するように尖った耳を微かに動かした。
小雨とは言え、雨音の中で聞き取れるのだろうか。
女剣士が小首を傾げて見ていると、エルフ娘は雷に打たれたように躰をびくっと震わせて、血の気のひいた表情で旅の連れを見つめた。

「奴ら、走り出した。近寄ってくる……四人、五人。いや、多分六人」

「六人?確かか?」
エルフ娘の言葉に、黒髪の娘の表情が微かに緊張に強張った。
「間違いなく五人はいる」
「思ったより多いな」
厳しい表情で舌打ちして、半ば駆けるように足早に歩き始めた。
「まずいな。三人なら、なんとでもなると思っていたが……」
空を見上げて灰色の雨雲を眺め、それから旅籠のある彼方の場所へと視線を走らせた。
染みのように小さく黒い影が、丘陵の手前に小さく佇んでいる。
「此処は丁度、村と宿の中間くらいの場所。いや、まだ村に近いな」
女剣士は視線を遅れがちなエルフ娘の足元に移し、彼女の履物を見た。

エルフ娘の顔色は悪かった。女剣士は長靴だ。
走れば賊徒から逃げ切れるかも知れないが、彼女の履いているサンダルに泥濘では、多人数から逃げ切るのは厳しい。



女剣士が急に立ち止まった。
呆気に取られているエルフ娘の前で、黒狼の毛皮のマントの結び紐を手早く解くと、草叢へと投げ捨てた。
「君は宿屋まで走れ」
意を決したように射抜くように鋭い眼差しで、エルフ娘を見つめた。
「貴女は如何する心算?」
「私は時間を稼ぐ。此処で足止めすれば逃げ出せよう」
「でも……」
見捨てるようで躊躇しているのだろう。翠髪の娘は立ち止まってグズグズしていた。
「五人相手は厳しいが、私一人なら何とでもなる」
黒髪の剣士は断言した。あながち大言壮語でもない。
賊五人に勝つ事は出来ずとも、負けないだけの手腕は持っていると自負している。
「……本当に何とかなるんだね?」
おずおずと尋ねるのに、堂々と言い切った。
「何とかする。逃げ切るだけなら自信はある。行くがいい」
「……分かった」
云って踵を返すが、半エルフは直ぐに立ち止まった。
「何をしている。早く行け、足手纏いだ」
人族の娘の苛立たしげな叱咤。
「そうもいかないみたいだ」
しかし、エルフ娘は、どこか虚ろな響きのする声で呆然と呟いた。


旅籠へ向かう街道沿いの草叢から、二人組の賊が姿を現していた。
重さを確かめるように棍棒を上下に弄びながら、にやにやと残忍な笑みを張り付けて、ゆっくりと二人に歩み寄ってきた。




[28849] 09羽 手長のフィトー02 改訂
Name: 猫弾正◆b099bedb ID:e2904fa0
Date: 2011/08/30 18:27
黒い眼帯をつけたのっぽは、旅人の小屋で厭な雰囲気を醸し出していた三人組の一人だった。
嫌な目付きをした小男も、先刻に小屋で見かけた顔のうちの一つで、行商人たちに近づいては盛んに話しかけていたのを覚えていた。
恐らくは旅人たちに入り混じりながら、適当な獲物を物色していたに違いない。

いずれも薄汚い風体をしており、棍棒を片手に街道を塞ぐようにして立ちはだかっていた。
露骨に値踏みする目付きでじろじろ眺めてくるのが、半エルフにはたまらなく不快に感じられた。

厳しい表情の女剣士は、西の方より歩み寄ってくるより一団の方が気に掛かるようで、剣の柄に手を掛けながら近づいてくる無法者の一群を睨みつけていた。

ゆっくりと歩み寄ってくる赤銅の肌をした男と赤毛の女。胡麻塩頭の老人に二人組の乞食。
赤毛の女は両手に短剣を持ち、カチカチンと刃を打ち合わせる音を立てながら、獲物の恐怖を楽しむように厭な感じの笑みを浮かべている。
老人と乞食の一人が節くれだった杖。もう一人の乞食の得物は扱いやすい短い棍棒。
赤銅の肌の男が手に持っているのは、異様に長く太い棍棒で、普通の人間の片足ほどもあるだろう。
重いだけに取り扱いの難しそうな武器だ。
自由に振るうにはかなりの膂力と技量を必要とするだろうが、あんな棍棒で殴られたら屈強な大男でさえ一溜まりも在るまい。
女剣士は無表情のまま、敵の大方の獲物と体格、年齢を素早く見て取り、素早い動作で剣を抜き放ちながら、此の世の終わりみたいに蒼ざめた顔で縮こまっているエルフ娘の傍らに立った。

前から二人、後ろから五人。
七人の賊徒は、思い思いの武装を手に、じりじりと獲物との距離を詰めて来る。
「……挟まれた」
掠れた声で絞り出されたエルフ娘の呟きに、人族の娘は穏やかとさえ言える声で応じた。
「だが、まだ完全に周囲を取り囲まれた訳ではない。
 打って出るなら、今のうちだな」
女剣士の言葉に含まれた落ち着いた響きが、半エルフの娘にも冷静さを取り戻させた。


前方と後方の街道を完全に塞いだ形になると、賊のうちから一人の男が前に進み出てきて自己紹介した。
「さて、お嬢さん方。俺の名はフィトー。人によっては手長のフィトーと呼ぶ者もいる」
一際長い棍棒を手にした筋骨逞しい男だ。赤銅の肌を持つこの男フィトーが賊徒の頭目なのだろう。
「お二人さんの新しい主人という事になる」
フィトーは顎を撫でながら、主が奴隷に決定を言い渡すように尊大な口調で宣告した。
「此れからお前さんらを新しい職場に案内してやるが……」
じろじろと二人の娘を見てから、にやりと笑みを浮かべた。
「自分からついてくるかね?
 大人しく武器を捨てれば、いい目を見せてやらん事もない。
 食事もそれなりのものを与えてやるし、お楽しみもあるだろう。俺は慈悲深い盗賊だからな」
最後に付け加えた言葉で、賊徒共がクスクスと笑った。
強弱のつけた喋り方が頭目の好みなのだろう。
優しげな口調から、一転、声の口調を荒げて、脅しつけるように言葉を続けた。
「だが、反抗的なじゃじゃ馬には鞭をくれてやらねばならん。
 新しい仕事を紹介してやる前に、好きなやり方を選ばせてやろう。
 お前さんらは優しく扱われるのが好きかね?
 それとも、鞭を喰らうまで己の立場を弁えない馬鹿な身の程知らずかね?
一言云っておくと、俺は無理強いは好かない。お嬢さん方が自分で決めるんだ」
賊徒はいずれも余裕のある表情をしていた。
もう既に、二人の娘とその財布を手中に収めたも同然と思い込んでいるのだろう。

覚悟を決めたのか。
黄玉の瞳に底光りする硬質の光を宿らせて、女剣士が野生の狼のように獰猛な笑みを浮かべた。
まともに聞いていたら付き合いきれないほどの厚かましい言葉を無視して、しなやかな動きで身構える。
降伏する気はないようだ。
女剣士の堂に入った構えを見て、痩せた老人が一瞬怯えた表情を浮かべたものの、数の優位を思い出したのか。直ぐに笑みを浮かべた。
「ほーい、黒髪のお嬢さんはやる気のようだぞ!」
胡麻塩頭の老人がおどけた叫び声を上げると、七名の悪漢共はげたげたと下卑た嘲笑を二人へと浴びせた。

女剣士は烏の濡れ羽色の前髪を右手でかき上げ、ゴブリン共の演じる寸劇でも目にしたように、つまらなそうな表情になって賊徒共を眺めていた。
毅然とした態度は、まるで汚らわしい賊など、自分に指一本触れさせないと無言で主張しているようにも思える。
まるで動揺した様子を見せない女剣士は半エルフには頼もしかったが、反対に盗賊の頭目にとっては気に入らない態度だったようでで、醜く表情を歪めると地面に唾を吐いた。
「息のいい獲物だ。どんな声で鳴くか今から楽しみだぜ」
手長のフィトーは鼻を鳴らして、手下の賊徒共に号令を下した。


「三人までなら切り抜けられるといったね」
半エルフが女剣士にだけ聞こえる程度の声で囁いた。
「ふふ……君が四人引き受けてくれるのかな?」
女剣士はからかうようにくつくつ笑った後、極度の緊張に引き締まったエルフ娘の表情を見て眉を顰めた。
「何を考えている?」
「さて、何人ついて来るかな。
 二、三人はひきつけられるといいんだけど」
呟くと、翠髪の娘はかもしかの如く駆け出した。


引き絞られた弓から放たれた矢のように飛び出した半エルフは、村の方でもなく、宿屋の方でもなく、盗賊の囲みを抜けるようにして、真横にある小高い丘陵の連なる草原を突っ切ってひたすらに全速力で駆けていく。

「逃がすな!」
頭目の大音声の号令に、足に自信が在るだろう。
真っ先にアイパッチが走り出した。賊徒が数人。釣られたように追いかけ始める。


目の前を数人の賊徒が走り抜けても動かず、じっとしていた女剣士が最後尾。動きの鈍い胡麻塩頭の老人に踊りかかったのはその時だった。
盗賊たちには、かつて餌食にした女たちと同じく、ただ脅えて竦んでいるようにも見えて油断していたかもしれない。
雷光のような突きをお見舞いする。
胸を刺された老人が、ぎゃっと怪鳥の如き叫びを上げ、きりきりと舞った末に地面へと倒れこむと、残った賊徒共の顔色が一斉に変わった。
「まず一人」
涼しげな表情で、女剣士は黄玉の瞳を細めて呟いた。
「このアマぁ」
喚きながら盗賊が跳びかかろうとするが、女剣士は囲まれぬよう、牽制の横薙ぎを放ちつつ軽やかにバックステップを踏んで、賊徒の間合いから距離を取っていた。
「さあ!掛ってくるがいい、悪漢共!」

フィトーからすれば馬鹿馬鹿しい限りだったが、大勢に囲まれても恐れを見せない勇ましい女剣士を前に手下の何人かは動揺したようだ。
舌打ちしながら細かく采配を下す。
「追え!ジャール!エルフが欲しいんだろうが!逃がすな!」
「……お、おう!」
一端、立ち止まっていたアイパッチと目付きの悪い小男が、エルフ娘を追いかけて駆け出した。

「こんないい女が相手をしようというのに、目移りとはつれないな」
獲物の分際で舐めた言い分に、賊徒の頭目はすうっと灰色の目を細めて手下に告げた。
「殺すな。……少々痛めつけても構わんが生け捕りにしろ」

乞食の一人と赤毛女が険悪な表情で女剣士を睨みつけながら挟み撃ちにしようと地面を蹴るが、女剣士は素早く足を動かして挟撃を許さない。
不用意に距離をつめれば鋭い一太刀をお見舞いして、数の不利をものともしない戦いぶりを発揮していた。

「じ、爺さん!」
乞食のもう一人は、慌てて老人に駆け寄って抱き起こすが既に事切れていた。
「……し、死んでる」
仲が良かったのだろうか。泣きそうになりながら表情を歪めて悲嘆に暮れた。
「畜生、なんてアマだ!」
他人に対しては残忍無惨な振舞いを平気で行う凶悪な賊が、身内の死に怒りを覚える身勝手さに、女剣士はくすりと笑った。

老人を抱きかかえていた乞食が、怒りの叫び声を上げて杖を振り回し、突っ込んできた
横薙ぎに加えた一撃で振り下ろされた棍棒を反らすと、乞食は大きく体勢を崩したが、もう一人が背中に回り込もうとしているのを見て取った女剣士は追撃しない。
斜め横に飛び込んで、回り込もうとした乞食に鋭い一撃をお見舞いする。
慌てて棍棒を掲げた乞食に、牽制の一撃は木片を撒き散らしつつも防がれたが、相手が慌てて跳び退った為に、再び形成しかけた包囲陣の一角を崩してしまう。

「……は!」
再び叫びながら突進してくる怒り狂った乞食へ牽制の突きを放ちつつ距離を取った。
別の乞食が棍棒を振りおろしてきた、だが、剣の間合いのほうが長く、早い。
余裕を持って躱しつつ、すれ違い様に腕を深々と切り裂いてやった。
悲鳴を上げて仰け反ったのを、しかし追撃する余裕はなかった。
短剣を両手に持った女が素早い動きで飛び掛ってくる。
上手く受け、返しに喉を切り裂こうと突きを放つが躱された。
首の皮一枚で逃げられて、舌打ちする。
賊にしておくには惜しいほどに俊敏な動きだった。
それとも日々の修練が足りなかったかな。

足元にも注意を払いつつ、包囲を受けないよう常に機敏に駆け続けながら小さく呟いた。
「さて、彼女が捕まるまでに何人減らせるか」



目前の賊に勢いよく切り込みながら、横目で一瞬だけ頭目の位置を確認する。
手長のフィトーは猿山のボスよろしく、後方で偉そうにふんぞり返っていた。
賊はギリギリで剣を受けたものの、獲物の樫の杖はボロボロで今にも折れそうだった。
軽やかな動きで横合いから振るわれた短剣を躱すと、再び攻勢に廻って剣を振るう。
よろしい。あの長い棍棒はどうも厄介そうだからな。
残りの女と痩せ犬二匹は勝手に動いて、てんで連携がなっていない。
もし、連中が呼吸を合わせて攻めかかって来れば、さしもの女剣士も無傷ではすまなかっただろう。
それが現実には未だに手傷ひとつ負わずに、どちらかと言えば三人相手に押してさえいる。
にも拘らず、賊の頭目は御山の大将でも気取っているのか、参戦してこない。
口元に冷ややかな笑みを浮かべて、女剣士は賊の手下共を翻弄していく。

今日此処で死ぬとしても、それもそれで悪くない。どのみち、人は何時かは死ぬ。
精々、出来る限り多くの賊徒を道連れにして、華々しく散ってやろう。
達観しているのか、自棄になったのか。
楽しげな笑みを浮かべて、女剣士は一心に体を動かし、剣を振るう。
命のやり取りは楽しい。
自分を殺そうとやっきになって喚き声を上げている賊徒の群れに対し、愛しさに近い感情さえ抱きながら、黒髪の剣士はくつくつと笑った。


短剣の一撃を躱され、それどころか首を跳ね飛ばされかけた。
紙一重で躱したが、大量の嫌な冷や汗が赤毛のミューの背中を濡らしていた。
「……どうも嫌な感じがするよ。こいつは」
目の前の女は何時もの獲物と違うような気がする。
既にゴル爺さんが殺され、ベッラは腕に手傷を負っている。
若く俊敏で、しかも技に長けた剣士なのは間違いない。
不利な戦いを楽しんでさえいるように見えた。
相手が手練である事は確かなのに、フィトーは偉そうにふんぞり返っている。
女だと思って、舐めてやがるのかい。
苛立たしげに視線を送るが、乱暴な頭目に何か言い出す勇気はなかった。
一党に加わってから、フィトーが頭に血が昇ると何をするか分からない所をさんざ見てきたからだ。

フィトーの機嫌を損ねるのは不味い。頭は悪くないが短気で暴君だ。
こっちは三人だ。こいつだって何時までも動き回れる訳じゃない。疲れてくる筈だ。
ジャール達だって、エルフ娘をとっ捕まえれば戻ってくるだろう。
だが、それでも一抹の不安は隠せない。
女剣士は動きやすい長靴を履いてるし、こっちはサンダルで雨で出来た泥濘に足を取られる。
どうしても動き回るには不利だし、回り込むには余計に動かないとならない。
おまけに長剣の間合いは長く、しかも女の一撃は重さには欠けるが充分に速くて鋭かった。
急所でも刺されたら、爺さんのようにあっさりとやられかねない。
実際、短時間の鍔迫り合いで幾度もひやりとさせられた。
よく引き締まった体躯は鍛錬の賜物だろう。若いから体力もあるに違いない。

今までの獲物に剣士がいなかった訳でもない。にも拘らず、こんなに苦戦した事はない。
よく考えれば、剣士って言っても強そうな奴は見逃してきて、何時も口だけの弱そうな連中を襲ってきた。
畜生、奪った剣を売り払わずにロレンソやベッラに持たせておけば、こんな梃子摺ることもなかったんだ。

女剣士がベッラの肩に一撃をお見舞いした。血飛沫が舞って乞食が悲鳴を上げる。
好機と見て反対から近寄ったロレンソが鼻に強烈な頭突きを喰らい、絶叫して仰け反った。
「腰抜けどもが、死ぬ気で掛って来い! さもないと地獄行きだぞ!」
女剣士の挑発に苛立ちを覚えながら、赤毛の女賊は舌打ちした。
こいつは強い。下手すりゃ三人掛りでも負ける。早くジャール達が帰ってくればいいのに。



エルフの娘は、枯れ草と青草のまだらに入り混じった草原を必死に駆け続けていた。
足元に蹴飛ばされた季節外れの花が、花弁を撒き散らして散っていく。
意外にもアイパッチは足が速かった。もう一人はそれほどでもないのが救いか。
半エルフは足の速さにそれほどの自身が在る訳でもないが、死力を振り絞っていた。
だが、長身の賊徒は明らかに彼女の上手をいっていた。
獲物を嗅ぎ付けた猟犬のように素早く、泥濘を軽々と越えて、逃げるエルフ娘に迫ってくる。
真っ直ぐに走っては、直ぐに追いつかれてしまうだろう。
まるで逃げる兎と追う猟犬のように、両者はジグザグに走っては、追いかけっこを続けていた。
勢いよく迫ってくる腕。その度に、心臓が破裂しそうに高鳴った。
延ばされる手を必死に掻い潜って逃れ続けるうち、やがてわざとだと気づいた。
アイパッチは狩りを楽しんでいた。
捕まえられそうなところでエルフ娘が辛くも身をかわし続けるたび、追っ手の賊は下卑た笑みを浮かべるのだ。

エルフ娘の体力が尽きるのを待っているのか、必死さを楽しんでいるのか。
いずれにしても悪趣味な奴だった。

片目の賊が獲物を追いかける事、追い詰めることを楽しんでいるのは明白だったから、舌打ちしそうになって、ならばそれでいいと思い直した。
出来る限り長く、逃げ続けよう。


二手に別れるのが、二人が共に生き残る最良にして唯一の選択肢。
あの時はそう思えた。
仮にエルフ娘が女剣士と一緒に賊を相手に戦っても、足手纏いにしかならない。
いてもいなくても同じだ。故に一緒に戦うという選択肢はない。
対して半エルフが逃げ出せば、賊の一人か二人は追って来るに違いない。
黒髪の剣士の自信が本物なら、人数が減った分、戦って生き残る目も増えた筈だ。
一方、半エルフにとっても、女剣士が大半の賊を相手にしてくれるから、後は追ってきた賊から逃げ切れば助かる事が出来る。

だが女剣士から見れば、半エルフが自分だけ置いて逃げたように思えたかもしれない。
好きになりかけていただけに、嫌われたかも知れないのは残念だ。
だが、今は考えても仕方ないことでもある。


間違えたか。
湧きあがる不安を押し殺して半エルフはひたすらに足を動かす。
二人追って来たからと言っても、街道には五人も残っている。
女剣士は、勝てるかどうかは分からないが五人なら何とか凌げると云っていた。
自信も在るようだった。
二人を遠くに引き離しておけば、きっと宿屋までは逃げ切れるだろう。
……本当に?
分からない。
宿屋まで逃げ込めれば、助かるだろうか?
旅籠の客には、傭兵や武装したドウォーフもいた。
賊が旅籠まで乗込むとも思えないが、かといって客が女剣士を守って無法者と戦うか?
それも分からない。
面子にかけて好き勝手させないような気もするし、関り合いにならないような気もする。
賊徒なんかに勝手に振舞わせては、増長して次に自分の財産や女が狙われたら困る筈。
でも、他者の災厄なら笑って見物しそうな気もする。


答えの出ない疑問がただひたすらと頭の中をぐるぐると廻り続ける。
息が苦しい。呼吸が乱れる。目の前が白くなってきた。
緑の草原と赤い丘陵、潅木の風景が、視界の中で悪夢の世界のように歪んで揺れている。
顔に雨が当たり続けて、呼吸が出来ない。息を吸おうと半エルフは大きく喘いだ。

何故、こんな事になったのだろう。
賊が七人というのは多すぎる。
村に網を張って、定期的に獲物を狩っていたのだろう。
旅人が大勢、犠牲になったに違いない。
だけど、それだけの旅人や行商人が姿を消せば、噂くらい流れないか?
いや、旅人が行き倒れるなんてよくある事だ。
私たちは、何も知らずに蜘蛛の巣に飛び込んでしまった蝶なのだ。
打開案を思いつこうと必死に考える。
日が沈むまで捕まらなければ、闇夜に乗じて逃げ切れる筈だ。
落日まで後どの位、掛かる?

初冬の大気の彼方で、西日は既に翳り始めていた。
地平線の彼方の空は茜色と紫の入り混じった美しい黄昏の極彩色が染め上げつつあったが、黄金の太陽は、なお西方山脈の波打つ稜線のかなり上で揺れていた。
夜の帳が空に舞い降りるまでには、まだ幾ばくかの時間が必要に思えた。

丘陵の頂に差し掛かっていた時だ。
走りながら、色々と考えていた責か。エルフ娘は泥濘に足を取られそうになった。
「……ふあ!」
疲労によるものか、気が散ったのか、いずれにしても一瞬、集中力を欠いたのは事実だった。
飛び越えようとして、勢いをつけ過ぎ、足を踏み外した。
そのまま丘陵の傾斜を勢いよくごろごろと転がり落ちていく。
斜面の裾まで転がり落ちると、ふっと躰が浮かんでから地面に強く叩きつけられた。
マントから服まで泥だらけになり、呻きながらも立ち上がろうとしてもがいている。

「……逃げないと」
よろめきながらも躰を起こすと、エルフ娘の腰骨が火傷を負ったように激しく痛んだ。
冷たい雨に濡れた躰に、腰から痺れるような嫌な熱さが広がった。
よりによってベルトに挟んだ自分の棍棒で手酷く打ちつけたらしい。
涙目で立ち上がる。小雨に咥えて、涙が滲んで目の前がよく見えない。
一端止まってしまうと、それだけで躰が休息を取りたがっているのが分かった。
弱い吐き気が胸を圧迫して、大きく息を吸い、必死に乱れた呼吸を整えようとする。

アイパッチの調子っぱずれな笑い声が近づいてきた。
逃げられない。走れない。戦わないと。
雨に濡れた迷子の子猫のように、半エルフは震えている。
棍棒を握ろうとするが、触れた途端に腰に酷い痛みが走って小さく悲鳴を上げた。
膝を折り曲げてしまい、蹲るような体勢になって呻き、喘いでいた。


それでも無理をして引き抜いた途端に、力強い腕で手首を掴まれた。
「さあ、お嬢ちゃん。追いかけっこはおしまいだぜ」
後ろで響いた声の調子で、アイパッチがにやけているのが見ずとも分かった。
「……ひっ!」
腕が廻って、後ろから胸を抱きかかえられる。
それだけで、あっさりと棍棒を取り落としてしまった。

いやだ、奴隷は……
かつて見た奴隷市の競り台に半裸で佇む娘たちの姿が脳裏をよぎって、エルフ娘は顔を青ざめさせた。
神様。森の神様イーシス様。助けてください。これからは真剣にお祈りしますから。
子供の時分以来、何年も真剣に祈ったことのない森の精霊神に祈りを捧げつつ、必死でもがいた。
喘いで、取り落とした棍棒を必死に手を延ばすが、反対側の地面へと体へと投げつけられる。
背中が地面に当たって、息が詰まった。直ぐにアイパッチが真上から伸し掛かってきた。
「……いやだぁ!はなせ、お前なんかに!」
「へっへっへ。大人しくしな。ウサギちゃん」
腕を押さえつけながら、躰を押し付けてくる。
「んんん、いい匂いだねぇ」
風呂にも碌に入ってないのか。押し付けられたアイパッチの垢じみた不潔な顔は饐えた悪臭を放っており、間近で臭気を吸い込んだだけでエルフの娘は胃が痙攣するほどの強烈な吐き気を催した。

アイパッチは膝で蹴ってくるエルフ娘の足の間を割ると、強引に躰を押し入ってくる。
半ば恐慌状態に陥ったエルフ娘は悲痛な叫びを上げながら、力なくもがき、圧し掛かってくる胸を拳で叩いたが、抵抗は残忍な片眼の盗賊の嗜虐心を刺激して喜ばせるだけだった。




[28849] 10羽 手長のフィトー03
Name: 猫弾正◆b099bedb ID:516c4752
Date: 2011/08/30 18:08
必死で抵抗する娘の頬を数発、平手で張り飛ばした。
強くはないが熱を持った痛みがジンジンと残る叩き方だ。
暴力に晒される事に馴れてない素朴な村娘などは、こうして叩けば直ぐに大人しくなる。
なお抵抗を止めようとしないので、ついで腹部。容赦なく拳が振り降ろされた。
エルフの娘もついに怯えを顔に浮かべ、涙目になって許しを乞い始めた。
「……うぐ、もう、許して。
 抵抗しないから 殴らないでください」
「ひひひ、分かればいいんだよ」
必要と在れば別だが、女を痛めつける趣味はジャールにはない。
エルフの薄布の上着を左右に引き裂いて、露わになった胸に顔を近づける。
意外にも、抜けるように白い雪のような肌だった。
思わず口笛を吹いた。
個人的には健康的な小麦色の肌の方が好きだったが、此れは此れで悪くない。
双丘に手を這わせ、桜色の乳首を弄ぶ。
最初はすすり泣いていたが、暫らく弄っているうちに肉体が反応し始めると、やがて開き直ったのか。エルフが微笑を向けてきた。
「……ねえ、どうせなら貴方も脱いで」
「何を考えてやがる?逃げられるとでも思ったら、間違いだぜ?」
「そんな……その方がお互いに楽しめるし、気持ちいいでしょう?ね?」
そっと伸ばした手で男の顎に触れ、次いで唇に人指し指を当てて、誘うように流し目をくれる。
「……へっ、へへっ、いい娘だ。気立てのいい娘っこだな。お前は」
エルフ娘がちろりと桃色の舌を出して、唇を舐めてみせた。
顔は煤で汚れているが、よく見れば顔立ち自体は悪くない。整っていると云っていいだろう。
背筋を震わせる程の強い欲望を覚えて、ジャールは息を荒げて衣服を脱ぎ捨てる。
エルフ娘が媚を孕んだ眼差しと優しい声で愛の言葉を囁きながら、そっと手を延ばして盗賊の胸から臍、脇腹と指を逸らせていった。柔らかく優しく腰近くまで愛撫していく。
「たまらねえな。畜生」
久しぶりに極上の感覚にジャールは舌を伸ばして、半エルフの頬を舐めた。
「……あ」
熱に浮かされたような掠れた声で呟くと、微笑を浮かべ、唇を半開きしてエルフ娘は口づけで応じる。
「……優しくしてやるよ」
「うん、優しくして」
エルフは耳元で呟きながら、片目の賊の頭を抱きしめるように両腕を廻してきて……
賊徒の左目に深々と鉄串を突き立てた。



賊徒たちにとっても、長雨に泥濘んだ大地は厄介だった。
長靴を履いた黒髪の剣士は俊敏に動き回っては、のろまな敵手たちに絶え間なく鋭い突きを見舞って素早く転進し、逃げると思いきやまたもや反撃に転じるといった様子で三人の賊を翻弄し続けている。
距離を詰めようと迂闊に近づけば、鋭い刃での一撃をお見舞いされ、廻り込もうとすれば今度は素早く逃げられてしまう。
女剣士が未だ無傷なのに対して賊共はいずれも出血し、或いは強烈な打撲に鼻の骨を折られるなど浅くない手傷を負っていた。
一党のうちで無傷なのは、未だに手出しせず傍観に徹している賊の頭目くらいのものだ。

女剣士は、絶えず賊徒たちに罵声を浴びせ、挑発し、その悪口雑言は、賊徒たちのトロル並の顔の造形のまずさからオークを思わせる体臭の酷さ、ゴブリンの如き血の巡りの悪さに、彼ら失敗作を世に送り出してしまった両親の恋人を選ぶ目の無さを嘆く所にまで及んだ。
遂に我慢しきれなくなった乞食が立ち止まって、苛立たしげに後ろに控えている頭目を睨みつけた。
「おい、手長の!てめぇは先刻から何やってんだよ!」
盗賊『手長』のフィトーは、灰色の瞳でじろりと喚いている乞食を見据えた。
「さっさとこっち来てこの五月蝿い娘を捕まえるのを手伝え!てめぇの抱えてるご大層な棍棒は飾りかよ!」
怒鳴っている乞食は、肩と腕からかなり出血していた。
身振り手振り交えて喚き散らす度、出血している箇所から派手に血飛沫が跳ね散った。
賊徒の頭目は、暴れまわっている女剣士に再び視線を戻した。
「もう少し疲れさせろ。俺の出番はそれからだ」
「……ああ!?」
激昂した乞食のベッラは頭目に詰め寄ろうとしたが
「ベッラ!戻って来い!助けてくれ!」
仲間の応援を呼ぶ声に苛立たしげに舌打ちした。
僅かな時間、険悪な表情でじっとフィトーを眺めていたが、フンと鼻を鳴らして再び女剣士へと立ち向かっていった。


杖で女剣士と戦っていた乞食が絶叫を上げた。
仲間に助けを求めた乞食のロレンソは必死で杖を振り回していたが、彼の得物は黒髪の娘が振るう長剣と打ち合わせるたびに、かなりの木片を撒き散らして削られていく。
ミューが横合いから必死で庇ってくれなければ、既に数回は殺されていただろう。

「……い、いい加減、観念しろってんだ!こっちは四人だぞ!降参しねえと後が酷いぜ!」
破れかぶれに吐いた脅し文句に、女剣士がぴたりと動きを止めた。
深い水溜りを前に、ちらりと地面を見つめてから面倒くさそうに前髪をかきあげた。
「ほ?……い、いい娘だ。そうやっておとなしくしてりゃあ……」
「ほら、おいで子豚ちゃん。首を刎ねてあげるから。
 その時は、いい声で啼いておくれよ?」
正面の敵を見つめると、女剣士は冷笑を浮かべながら、からかうように手招きをする。
「こっ、この糞アマが!」
鼻の骨をへし折られ、さらには露骨に馬鹿にした物言いに、いい加減に頭に血も昇ってきていたのだろう。
ロレンソは顔を真っ赤にして、喚き散らしながら殺気立った様子で黒髪の剣士に跳び掛かった。
「馬鹿!」
叫んだミューが制止しようとするのも間に合わず、水溜りに足を踏み入れたロレンソは、次の瞬間、派手にすっ転んだ。
踵が地面に沈み込んだ。そう思ったら転倒していた乞食の足が無様に空を掻いた。

待ち構えていた好機を見逃すはずもない。
間髪おかず、女剣士は渾身の力を込めて横薙ぎの一撃を放った。
泥濘に足を滑らせて転倒した所に、脹脛に強烈な一撃を喰らって乞食は絶叫した。
強烈な刃の一撃は、筋肉と脂肪を完全に切り裂いて、白い骨まで到達していた。


深々と切り裂いた手応えを味わいながら、女剣士は素早く距離を取った。
計略が上手くいったとほくそ笑む。
呪詛の言葉を喚いているが、乞食はもうお終いだった。
大量に出血しているし、足を殺して無力化した。
ようやく二人。
声に出さずに唇だけを動かして呟いた。
休みなく動き回っている為に、額には仄かに汗が浮かんではいたが、体力には余裕が在った。
呼吸も整っており、集中力も衰えていない。まだまだ戦える。
呼気は熱く、初冬の冷たい大気に触れて湯気のように白く立ち昇っては溶けていく。
頭目が参戦するか、エルフを追いかけていった二人が戻ってくる前にあと一人は仕留めておきたいな。
エルフ娘の事はあえて頭の外に置いている。心配しても無駄だからだ。
棍棒を振りかざしたもう一人の乞食が突進してきた。
振り下ろされる棍棒を鮮やかに躱すと、すれ違い様に脇腹を切り裂いた。


苦痛に顔を歪めながら、ベッラは躰を後退させた。
じりじりと遠ざかり、安全な距離を稼いでから指先で脇腹に触れてみる。
厚手の生地が完全に切り裂かれているが、その分、斬撃を受け止めてくれたのだろう。
傷は浅く、内臓までは達してない。
ホッと息を吐くと、次は段々と痛みが激しくなってきている左肩を調べる。
此方は深手で、ぬるりとした感触に眉を顰めた。
始めは痺れるようだった痛みが、時間が経つにつれて段々と激しさを増してきている。
乞食は棍棒を投げ捨てると、肩口を押さえたまま曇天を仰いで呟いた。
「……止めだ。付き合いきれねえ」

踵を返した乞食を、長大な棍棒を担いだ頭目が睥睨した。
「何処へ行こうってんだ?ベッラ」
「塒へ帰るのさ。フィトー」
投げやりな態度で答えると、棘を含んだ嘲りの言葉を掛けられる。
「仲間を置いて逃げようってのか?」
ベッラは怒りを爆発させた。
「ふざけんな。俺は手前の手下じゃねえぞ!
 儲け話だって言うから付いてきただけさ。てめえの命令を聞く義理なんざねえ。
 俺は降りるぞ!!見てないで手前が戦えよ!」

「……フィトー。こいつは強いよ」
取り成すように赤毛の女賊が頭目に話しかけるが、フィトーは険しい目付きで乞食を睨みつけたまま、強圧的に言い放った。
「俺に殺されるか、そいつを殺して生き残るか。好きな方を選べ」

「手前で戦え。付き合いきれねえ。俺は帰るぜ。ロレンソだって速く手当てしてやらなくちゃならねえ」
唾を吐き捨てると、ベッラは友達に肩を貸そうと踵を返した。
「後一つ言っとくがな……てめぇの冗談はすげえつまんねえからよ。余り勘違いすんな?」
無言で後頭部へ叩き付けられた巨大な棍棒は、一撃で哀れな盗賊の頭蓋を粉砕した。
ベッラの頭部はグズグズになるまで煮たシチューの具のようにひしゃげて、躰が力を失って雨に濡れた地面へと倒れこんだ。

仲間割れに馬鹿にしたように鼻を鳴らすと、女剣士は頭目へと向き直った。

「フィ、フィトー。あんたは……」
「下がってろ。役立たず」
赤毛の女賊には一瞥もくれず、長大な棍棒を手に前に進み出た頭目は、冷たい灰色の瞳で女のしなやかな肢体を値踏みしつつ、その呼吸が乱れているのを見抜いた。
女剣士は一見、まるで疲れていないように装いながらも、今も静かに呼吸を整えていた。
強かな奴だと口角を吊り上げる。
三人を相手して休みなく動き回っていたのだ。かなり疲れていると確信する。


「顔色一つ変えねえか?大した女だ。
 腕が立つし、度胸もある。気に入ったぜ」
いきなり何を言い出すのかと、疑わしそうに目を細めている二人の女の前で、フィトーは歯を剥き出しにした獰猛な笑みを浮かべた。
「俺の女になれ。たっぷりと楽しませてやるぜ」
「……フィトー」
赤毛の女賊は目をみはった。愕然とした表情で情人なのだろう、頭目の名を呟いた。

濡れた前髪をかき上げつつ、女剣士が艶やかな微笑を浮かべた。
フィトーがにやりと笑い返すと、女剣士は黄玉の瞳を頭目に向けて笑顔のままで
「牝オークとでも番ってるがいい。それが貴様には分相応というものだ」

つまらなそうにフィトーは、鼻を鳴らした。
「……馬鹿な女だ」
地面を見つめ、それからいきなり咆哮を上げて雄牛のように突進する。
勢いよく振り降ろされた棍棒は、当たれば確かに致死の威力を秘めていた。
紙一重で避けると、女剣士はここぞとばかりに電光如き一太刀を見舞った。
「ぬう!」
互いにすれ違ってから振り返った。今の一瞬で女剣士の全身からぶわっと汗が噴き出ていた。
対して濁った灰色の瞳の大男は、ふてぶてしい表情を崩さない。

「……躱したか。やるじゃねえか?」
「随分、余裕だな。痛くないのか?」
「……あ?」
鈍い痛みを感じたので右手を見ると、指の幾つかが切断されていた。
ちぎれた肉と軟骨が冷たい外気へ触れている。
傷を視覚で認識した瞬間、指先に感じる締め付けるような激痛に頭目の顔が醜く歪んだ。
「あーーーーーーーーーーーーー!!」
憤怒によるものか、驚愕によるものか。
指先から鮮紅の血潮を噴水のように噴き出しながら、眼球が飛び出すのではないかという位に目を剥いて半狂乱になって絶叫する。
黒髪の娘は、実に心地良さそうな表情を浮かべて、敵の苦悶の叫びに耳を傾けている。
「殺す。殺してやるぞ!きさ……あふん」
何事か喚いている最中に、一気に間合いを詰めると横薙ぎの一撃で大男の喉を切り裂いた。
フィトーの半ば切断された首が皮だけを残してぶらんと背中の方にたれ下がった。
街道に巣食って大勢の旅人を餌食にしてきた手長のフィトーの、それがあっけない最後だった。
「此れで三人」

「……フィトー?」
「……在り得ねぇ」
残された二人の賊が、呆然と呟いた。

いち早く正気を取り戻したのは、足を負傷した乞食の方だった。
後退りながら、必死に命乞いをしようとする。
「ま、待ってくれ!お嬢さん!俺たちゃ……」
「待たない」
地面に蹲っていたロレンソは、強烈な蹴りを顎に喰らって、仰け反った所を心臓を貫かれた。桃色の泡を傷から吹き出しながら、血液と共に生命力が乞食の体から抜けていった。
女剣士は死体にブーツを当て、胸を蹴り押して深く突き刺さった剣を引き抜く。
「此れで四人。後は、お前だけ」
返り血を浴びながら、黒髪の剣士は愉しそうに口の端を吊り上げて女賊を見つめた。
強い精気に満ちた黄玉の瞳が炯炯とした光を宿してミューを貫き、彼女の心臓を恐怖に締め付けた。

「……畜生。お前はなんなんだよ?こっちは五人いたんだぞ?」
赤毛の女賊は、顔面を蒼白にして、身震いしながら悲鳴のような声を上げた。

女剣士が愉しそうにくつくつと笑う。
「断罪者さ。お前らを裁く為に復讐の女神に遣わされたのだよ」
「ふざけやがって。このあばずれがァ!」
ヒステリックな金切り声で狂乱の態を見せる女賊に、
「清純な乙女に対して無礼な奴だ。その言葉は万死に値するぞ?」
貴族の娘は憮然とした表情で切り返しながら、剣を構えた。


眼帯の賊は絶叫を上げつつ、仰け反った。
手近な石ころを掴むと、エルフ娘は悲鳴を上げてる盗賊の鼻面に思い切り叩き付けた。
情けない悲鳴をあげ、目に鉄串を突き刺したままに地面を転がって喚いている。
翠髪の娘はよろよろと立ち上がりながら、あの鉄串はもう使う気になれないな。などと考えていた。
気持ち悪そうに唾を地面に吐き出してから周囲を見回し、もう一人の盗賊が近づいてくるのに気づくと、止めを刺すよりも此処は少しでも距離を稼ごうと考えて、急いで逃げ出した。

「ジャールの兄貴!大丈夫ですかい!」
「あの長耳野郎を捕まえて此処へ連れて来い!ぶっ殺してやる」
いかにも心配そうな声を掛ける舎弟に、ようやく鉄串を引き抜いた盲目の賊が怒鳴りつけた。
「……ああ。此れは此れは」
ジャールの負傷の程度を見て取った舎弟の声が、微妙に変化する。
「韋駄天ジャールともあろう者が、女に目潰し喰らうとはねぇ。情けないねえ」
「なに!てめぇ、ダーグ!誰に向かって口聞いてやがる」
明後日の方向へ吼え猛る盲目の男を侮蔑の眼差しで嘲笑う。
「凄んだって無駄だよ、兄貴。いやジャール。
 両目の見えなくなったあんたがこの先、どうやって生きていこうってんだ?」
裏社会の住人には仲間意識などない。少なくとも小男は芯まで性根の腐った人種だった。
周囲を手探りしながら地べたを這いずり回っている先刻までの兄貴分を露骨に見下した目つきで眺めながら、小男は表情を醜く歪めて嘲笑を浴びせかけた。
「まあ、あの女は俺がとっ捕まえて、たっぷり可愛がってやるぜ。
 あんたは其処で指を咥えて待ってるんだな。ジャール」
甲高い哄笑を上げながら小男は泥濘に足跡の続く丘陵の頂きを見上げた。

西方山脈の稜線の上、太陽の周囲に紫色の宵闇が広がりつつあったけれども、
夜のベールが世界を覆い尽くすまでには、今少しの時間が必要だろう。

必死に傾斜をよじ登っていく半裸のエルフ娘の背中を見つけると、ダーグは舌なめずりしながら猛然と追いかけ始めた。



[28849] 11羽 手長のフィトー04
Name: 猫弾正◆b099bedb ID:187efca1
Date: 2011/09/05 04:08
ヒースやコケモモが疎らに生い茂っている丘陵の起伏を、上着を破かれて上半身剥き出しになったエルフの娘が、荒い呼吸を繰り返しながら無我夢中に昇っていく。
棍棒に激しく打ちつけた腰骨が、体の何処かしらを動かすたびに酷く痛んだ。
打撲を庇いつつの歩調はどうしても遅くなりがちで、此れでは走って逃げ切るのは到底無理なようにも思える。
時折、ふらついては蹴躓き、足を滑らせては滑り落ちながらも、どうにか丘陵の頂にまで登りつめると、翠髪の娘は苦しげに喘ぎつつ夕闇の迫った四方の景色を見渡した。
隠れるのに良さそうな場所はないかと忙しく首を動かして探すものの、皮肉にも日没直前の今になって空を覆い尽くしていた灰色の雨雲が急速に散りつつあった。
その癖、剥き出しの白い乳房を濡らす小雨は、降り止む気配を一向に見せない。
初冬の冷たい雨滴が形のいい双丘の間を流れ落ちて、容赦なく半エルフの体温を奪っていった。
少しでも体温の低下を防ごうと擦り切れそうに薄いマントを体に巻きつけるが、如何ほどの効果を期待出来るだろうか。
風が殆ど吹かず、雨の勢いも弱まってきているのだけが救いだった。
「縒りにも拠って……忌々しい」
呟きながら、鵜の目鷹の目で周囲を見回しつつ、今度は慎重に丘陵の傾斜を降りていく。
周囲の潅木や岩、窪みなども奇妙に明るい夕陽の茜色に照らされ、人一人隠れるのさえ難しく思えた。
呼吸をする度に鈍い痛みを訴えてくる腰を擦りつつ地衣類を踏みしめて探し歩くと、ようやくにねじくれた柳の近くに、手頃な岩と大きめの草叢が幾つか連なっている都合のよさそうな箇所を見つけた。

幸いにして、翠髪の娘は半エルフ族としてはそれほど背の高い方ではない。
小柄な体は隠れるには有利に働くものだ。
岩も彼女が身を隠すに丁度よい大きさであり、また幾つかの草叢のいずれも充分に半妖精族の小柄な体躯を覆い隠してくれそうだった。
此処に隠れよう。そう思いついて、思わず顔を綻ばせながら駆け寄るが直ぐに思い直す。
盗賊だって馬鹿ではないだろう。私の隠れていそうな場所を探してまわるに違いなく、そうなれば此の場所も直ぐに見つかってしまう。
だが、他に良さそうな場所を探すだけの時間の猶予も、体力の余裕も、最早エルフ娘には残されてなさそうだった。
尖った耳の持つ優れた聴力が、後ろから着実に迫り来る盗賊の卑しげな笑い声を確かに聞き取っていた。
此処は一か八か。賭けに出るしかないようだと思い定めて、痛みを堪えながらエルフ娘はゆっくり岩へと歩み寄っていった。


「お嬢さん、何処へ行ったのかな?
 へっへっへっ、俺様からは逃げられないぜ」
小男は脅かすような言葉を周囲に大声で告げながら、エルフ娘が隠れているとおぼしき場所へと少しずつ近寄ってきた。
「なにしろ、このダーグ様は鼻が聞くんだ。特に女の匂いを嗅ぎ分けるのさ。
 くんくん。すぅーすぅーってな。今もお嬢さんのいい臭いがしてくるぜ」
黒髪の女剣士であれば我慢できずに吹き出してしまったに違いない小男の滑稽な脅し文句は、
しかし、非力なエルフ娘にとっては心底恐ろしい言葉だった。
寒さに耐えようと思ったのか。恐怖に持ち堪えようとしたのか。
隠れた場所で己を抱きしめるように腕を交差させると、半エルフは目を瞑ってキュッと身を縮こませた。

「くっくっくっ、近くにいるのが分かるぜ」
人が隠れる事の出来そうな大きな潅木へと忍び足で小男は近づいていく。
足音を忍ばせても声を出していては全く無意味なのだが、何故か気づいていないようだ。
「其処だ!」
さっと飛び出して潅木の後ろへと回り込むが、其処には誰もいない。
舌打ちすると誰に云うでなく失敗を取り繕う。
「へっへっへっ、お嬢さん。安心したかい。
 だが、残念ながらダーグ様は安心させて、じわじわと追い詰めるのがお好みなのさ」


半妖精の小振りな胸は、不安と恐怖に張り裂けそうに高鳴っていた。
賊の場所を探ろうとして澄ませている尖った耳が時折、無意識のうちに痙攣していた。
近づいてくる足音を耳に捉えて、棍棒を強く握り締めながらエルフ娘は強く歯を噛み締めた。
使い慣れた樫製の棍棒は、眼帯の盗賊の所へと置き忘れてきてしまった。
今、手にしているのは近くで枝を折って作った即席の棍棒で、どうも棍棒としては軽すぎるような気がしないでもない。
人は誰でも手持ちの札で最良を尽くすしかないのだ。
そう自分に言い聞かせながら、不安を押し殺していた。
隠れるより、距離を稼いだ方が良かっただろうか?
盗賊は思ったより、のろのろと近づいてくる。
普通に走ってれば、日没まで逃げ切れたかも知れない。

そこで過ぎた事を考えているのに気づいて、フッと笑って首を振った。
私の悪い癖だ。考えすぎる。
後は対決するだけだ。
意識して腹を決めると、対決の瞬間まで無言で耐えることにする。
片目の賊や筋骨隆々の頭目には、殺伐とした雰囲気が漂っていた。
此方を竦ませるような、逃げ切れないと思わせるような、そんな執念深げな恐ろしい迫力が、しかし小男には感じられなかった。
あいつになら、勝てる。そう自分に言い聞かせながら、
あの娘は、無事だろうか。
最後に想いを馳せたのは、街道に残って戦っているだろう黒髪の剣士の事だった。


エルフ娘は岩陰で蹲っているのだろうが、残念ながらマントの端が僅かに見えていた。
獲物の隠れているだろう場所を見つけて、小男はにやりとほくそ笑んだ。
「さて、何処かな。お嬢さん。へっへっへ。脅えているね?
 俺の鼻は、恐怖の臭いを嗅ぎつけるのさ。へっへっへ。恐怖の帝王なのさ。
 俺が恐怖を支配するんだ」
支離滅裂な下らないお喋りをぺちゃくちゃと口から垂れ流しながら近寄ってくる。
奇妙な話だが賊のお喋りの声が迫ってくるにつれて、エルフ娘は随分と頭が冷静になり、また気持ちが落ち着きを取り戻した。
追跡される場合は、追っ手が無言の場合の方がよっぽど恐い。
相手の意図を察することが出来ず、敵に対する恐怖に未知への畏れが加わるからだ。

「へへ、お嬢さん。かくれんぼはそろそろお終いだぜ。今度は別のお楽しみさ」
鼻息を荒げながら、エルフ娘が隠れている岩へと足早へ近寄っていく。
もう少しで、女を捕まえてやる。そうしたらお楽しみだ。ジャールの野郎の前で抱いてやろう。あいつはさぞ悔しがるだろう。
「それで隠れてる心算かい?……其処だ!」
舌なめずりしつつ、ダーグは岩肌から端っこだけ出ていたマントを掴むと、思い切り引っ張った。
岩に結ばれたマントはびくともしなかった。
「……へ?」

惚けたような間抜け面で立ち尽くす小男の背後。繁みのある窪地から泥中に隠れていたエルフ娘が、棍棒を手に無言のままに飛び出した。
上半身剥き出しで髪の毛から顔、胸、背中に至るまで泥まみれの半エルフは、突進した勢いをそのままに乗せた横殴りの一撃を小男の即頭部へと叩き込んだ。

非力にして急所も知らず、技も持たず体格も華奢なエルフ娘の一撃など、少しでも修羅場を潜るか、幾らかでも強靭な相手には通じなかっただろう。
少しでも戦い慣れた相手なら遮二無二に距離を取って改めて反撃を試みたに違いないし、屈強な相手なら殆ど痛痒を覚えないか、苦痛など無視してすぐさま飛び掛ってきただろう。
幸いにして、小男はそのどちらでもなかった。

小男の瞼の裏に火花が散った。
目が眩むような打撃に悲鳴を上げて、よろめき後退する小男を容赦なく追撃した。
ダーグも棍棒を振り回して必死に抵抗するが、首筋に再び強烈な一撃を喰らい、怪鳥の如き悲鳴を上げて仰け反った。
いまや狩る者と狩られる者の立場が完全に逆転した事を悟って、此処が先途とエルフ娘は死力を振り絞った。
小男も必死に獲物を捕まえようともがくが、エルフの振り下ろした棍棒のうちの一発がその手首を捉えると、枯れ枝をへし折るような音を立てて変な方向に曲がってしまった。
「ぎゃああ!折れた!俺の手首が折れた!止めてくれ!もう戦えないよ!」
ダーグは、今の今まで何をしようとしていたのかを忘れたように悲鳴を上げて逃げ始めた。

「ぎゃっ!」
背中を丸めて逃げ回る小男を、エルフ娘は必死で兎に角、滅多打ちに打った。
「やめっ!いでっ!たっ、助けてくれ!お願いだ!」
泥濘を転がり、這いずって遠ざかろうとし、それが叶わないと見るや、ついに命乞いを訴え始める。
地べたに膝をついて、ひいひい喚きながら、
「助けてくれ。俺は 助けて 
 参ったよ。降参だ。助けてくれ。命だけは。おいらが悪かったから」
エルフ娘はさらに数発殴りつけた。
手首や腕、顔が赤く腫れ上がって、小男は遂に啜り泣き始める。
どうやら本当に抵抗する力はなくなったようだ。
殴打が止まった。息を乱しながら、見下ろしている。
それでもエルフは油断せずに棍棒を構えていた。

「ひっ、命は、命だけは ほら、折れてんだよ?俺。もう戦えない。ね?」
何がおかしいのか、小男はへらへらと笑顔を浮かべて命乞いをしてきた。
或いは、此れで媚びてる心算なのだろうか。
エルフは顔に棍棒を叩きつける。
「ひい!」
悲鳴を上げて哀れっぽく啜り泣きを続けている賊を前に、翠髪の娘の荒々しい気持ちは薄れていた。
逃がしたらどうなるだろうか。
一度逃げて仲間を連れて戻ってくるとしても、その頃には自分は此の場所を離れている。
そして闇夜の下では、少人数の人間は逃げる半エルフを補足するのは難しい。
盗賊は媚びた醜悪な笑顔を浮かべ、ずるそうな眼で翠髪の娘の顔を窺っていた。
剣士はどうなっただろう。ぼんやりと考えながら、急に何もかもが面倒になった。
「行けっ!行ってしまえ!」
小男が飛び跳ねるように立ち上がると、何処にそんな元気があったのか、
飛ぶように走り出した。
「ひひひっ」
媚びたような脅えたような表情を浮かべ、小男が駆け去っていく。
酷く疲れた表情で棍棒を投げ捨て、半エルフは虚ろに視線を彷徨わせた。


まだそれほど遠くに行ってなかった小男が突然、叫んだ。
「おーい!ミューの姉貴!おいらだ!ダーグだ!」
近づいてくる人影を睨みつけ、其処に仲間の姿をを見つけた賊徒は、先ほどまでの屈辱を晴らしてもらおうと勢いよく大地を駆ける。
「ひっひひっ、お前はもうおしまいだぜ。ミューの姉貴はな。短剣使いよ。
 この前も生意気なドウォーフの戦士を決闘で仕留めた、凄腕なのよ」
半エルフを振り返って脅し文句を連ねると、エルフ娘は目を閉じて数瞬、苦い表情をした。
それから小男の走り去る方角をじっと見つめていたが、やがて一旦は投げ捨てた棍棒を拾うと据わった目付きでゆっくりと歩き始めた。


「嬲ってやる!嬲ってやるぜ!このダーグ様に楯突いたことを死ぬまで後悔させてやる!
 たっぷりと犯して、殺してくださいって懇願するまで痛めつけてやらぁ!
 この腕のお礼を……姉貴?ミューの姉貴?」
「……ジャールは?」
赤毛の女賊は尋常の様子ではなかった。血の気の失せた顔色に切羽詰った表情。
服はズタズタに切り裂かれ、全身あらゆる所が刺し傷や切り傷で肉が切り裂かれていた。
始めは夕陽の照り返しかと思ったほどに、全身が出血で赤く濡れている。
掠れた声で搾り出すようにようように眼帯の賊の行方を尋ねてくる。
「へ?ジャールのや……兄貴なら、あの娘に目を潰されて。
 そ、それよりも、その有様はどうしたんで?」
ミューの顔が強烈な絶望の翳りに覆われた。
顔が急激に蒼白になった。紫色の唇を動かして何か云おうとするが、声が出ない。
此処まで持たせてきた気力の糸が切れたのか。目から急速に光が消え失せていく。
聞く者の背筋を凍りつかせるような呻き声を喉から洩らすと、赤毛の女賊はそのまま大地へ崩れ落ちて、再び立ち上がることはなかった。

呆然と立ち尽くしている小男の耳に、楽しげに奏でているハミングの音色が聞こえてきた。
見上げると、仲間に包囲されていた筈の黒髪の女剣士が地面をしっかりと踏みしめながら、近寄ってくる姿が目に入る。
「……おめえ、何で此処に?」
湧き上がってきた恐怖に背筋を震わせて呆然と尋ねる小男に、女剣士が肩を竦めて答えた。
「足跡を追って。濡れた土だから助かった」
当たり前だろうと言いたげな呟きに、小男は全身を瘧のように震わせながら叫んだ。
「そんなことを聞いてるんじゃねええ!」
質問の意味をわざと誤解して応えた女剣士は、くつくつと笑いながら思い出したついでのように賊に仲間の末路を教えてやった。
「ああ、お前の仲間なら皆死んだぞ」
「死んだ?みんな?」
ヴェルニア語で話された単語が理解できないとでも言いたげに鸚鵡返しに呟く小男を、女剣士は鋭い視線で射抜いた。
「私が殺した。バラバラに切り刻んでやった。手応えの無い者共であったよ。
 あれならゴブリンの雑兵の方が幾らかマシというものだ」
無言で口をパクパクと動かしていた小男の顔芸は、顔色を真っ赤にしたり、真っ青になったりして中々の見物だった。
「……で、私の連れは何処だ?何があった?」
虫でも見るかのような冷たい瞳を向けて尋ねるが、賊は訳の分からない事を喚き続けている。
黒髪の女剣士は五月蝿そうに眉を顰めると、いきなり賊の太股を突き刺した。
「きゃ!」
さらに剣を振るう。小男の右耳が飛んだ。
「びあ!」
痛みに身を捩りながら、再び跪いて賊は無意味な命乞いをし始める。
「次は鼻を飛ばす。その次は目だ。さっさと質問に答えろ」

「あの女は無事だ……です。ジャールの兄貴もあいつにやられて。
 今頃は遠くへ行っちまったと」
「ふむ……お前たち二人を倒してか?」
「へっ、へえ」
何かに興醒めしたのか。黒髪の娘は奇妙に醒めた眼差しで丘陵の彼方を見つめていた。
散々に叩きのめされような小男の有様を見るに、どうやら事実を話しているのだろう。
「荒事は苦手……か。囮にされたのかな」
なぞるように呟いて、詰まらなそうに黄玉の瞳を細めた。
「……その……もう行っていいですかい?」
恐る恐る尋ねてみる。

背中に目をやる。一瞬だけ切れ長の瞳を軽く瞠ると、直ぐに小男に視線を戻した。
「ん?……ああ。私はお前の命などに興味はない。
 が、彼女は如何かな?」

背後に急速に足音が近づいてきた。直ぐに止まる。
小男の背筋を冷たい汗が流れた。
翠髪の娘は、氷のように冷たい蒼い瞳で賊を眺めると、おもむろに棍棒を振り下ろした。



滅多打ちにされて頭蓋を割られた小男が、地面で痙攣しながら大小便を垂れ流していた。
半エルフは、しばし荒い呼吸で肩で息をしていたが、
脳漿と血液と排泄物の濃密な臭気に、突然、こみ上げてきたのか。
中ほどから折れた棍棒を投げ捨てて、胃の内容物を吐き出した。
先ほど食べた黒パンと兎肉の吐瀉物を情けない思いで見つめ、涙を流しながら胃が空っぽになるまで蹲り、最後には四つんばいで吐き続けた。

身を守る為に戦った事は幾度かあって、相手が結果的に『死んだ』事もあったけれども、
明確な殺意を持って『殺した』のはエルフ娘にとって此れが初めてだった。
女剣士は、まるで死体が見慣れたものであるかのように濃密な臭気の中でも平然としていた。
口の端を吊り上げた冷笑から、一転、優しげな微笑に切り替えると
「よく頑張ったね」
女剣士はエルフの娘を優しく抱きしめた。

エルフの娘は酷い有様だった。彼方此方すりむいて上半身は完全に裸で泥だらけ。
下半身も股の辺りに襤褸切れを纏っているだけで全裸に近い。乞食よりも酷い格好だった。
髪も泥に汚れて、肌には複数のすり傷や打撲。鼻血も出している。
内容物を全て吐いてからも、胃が痙攣し続けているで苦しげに喘いでいた。
勝ったというより、機知なり機転なりを働かせて辛うじて危地を切り抜けたに違いない。
心身ともに疲れ切った彼女に、毛皮と人肌の温度はとても心地よい。
「……う、ああ」
女剣士の優しい暖かさに包まれて、泣き出しそうになった瞬間にエルフ娘は気づいた。
自分はぼろぼろだが、女剣士の方はまるで無傷だと
のそのそと離れると、なにやら疑わしげな目で人族の娘を見つめた。
「ん……どうした?」
「三人はなんとかなる。五人相手は厳しいと云ってたな」
エルフの視線に黒髪の娘は、何となく居心地悪そうに身動ぎした。
「……そうだったか?」
一瞬前まで自分も半エルフを疑っていただけに、女剣士はやや歯切れが悪くなる。
「……貴方は傷一つ無いように見えるのだけど」
「一つ誤まれば私がやられていても不思議では無かったよ?」
嘘か真か分からぬが、黒髪の娘は優しげな微笑を向けながらしれっとした表情で応えた。




[28849] 12羽 手長のフィトー05
Name: 猫弾正◆b099bedb ID:3ac7d629
Date: 2011/09/07 06:17
西方から射す夕刻の陽の光が茫漠とした丘陵地帯を茜色に染めていった。
黒髪の女剣士を会話するうちに、エルフ娘は膝から急激に力が抜けてよろめいた。
「……っと」
大地に膝つきそうになったところを、人族の娘が素早く腕を掴んで躰を支える。
「大丈夫か?」
半妖精の娘は礼の言葉を呟きながら、照れ臭そうな笑みを浮かべた。
「安心したら気が抜けた」
その表情は今なお幾らか強張っていたものの、蒼白だった顔色に大分血の気も戻ってきていた。

「……にしても、酷い有様だな。
 初めは泥男か、それに類する新手の怪物かと思ったくらいだ」
この軽口はお気に召さなかったようで、半エルフは蒼い瞳を向けて不満そうに眉を顰めた。
手近にあった灰色の岩にゆっくりと腰掛けながら、翠髪の娘は冷たく澄んだ冬の空気を大きく吸い込み、それから胸に篭った澱を全て吐き出すように長い嘆息を洩らした。
「……さんざ追い掛け回された挙句、泥の底に隠れたからね。……地虫のように」
呟いた声には疲れ果ててはいたが、力強い怒りが込められていた。

先刻までは必死で気にも留めなかっていなかったのが、口に出した途端に今更ながら自分の酷い格好に気づいたらしい。
「口の中がじゃりじゃりするにゃ」
エルフ娘が口腔の不快感に傍らに唾を吐き捨てると、小石の混じった茶色い唾液が緑の草を汚した。

腰に手を伸ばして、半妖精の娘は水筒を失ったことに気づいた。
逃げているうちにベルトにしていた腰帯がずり落としたのだ。
腰帯には、お気に入りの水筒だけではなく、小銭の入った巾着袋も結び付けてあった。

薬草や食べ物、その他に針や糸など細々した道具が入った背負い袋だけは掴んでいたが、それだけだ。
命だけは助かったが、衣服もない。財布もない。
焦燥に駆られ、途方に暮れた様子で周囲を見回した。
辺りは夕闇に包まれていた。
半エルフ族の視界でも、夕闇に包まれた丘陵の一帯から財布を探し出すのは困難だろう。
翠髪の娘は急にがっくりきて俯いた。
小さく呻きながら力ない視線を己の足元に彷徨わせる。
もしエルフ娘が一人旅だったら、貧しい者が乏しい財産を無くした時によくそうするように、日が暮れるまで意味なく岩の上に座り込んでいたかもしれない。

黒髪の娘が自分の水袋を差し出してきた。
「まず口を濯げ。飲むのはそれからだ」
「ん……ありがとう」
忠告通りに幾度か口を濯いでは吐き捨ててから、唇を湿らせる程度に喉を潤おした。
「こんな時代だ。女であれば、一度か二度はこんな目にも合うものさ」
「貴女もそうか?」
問い返された人族の娘が一瞬言い淀んだのを見て、翠髪の娘は口元に苦い笑みを浮かべた。
「……羨ましいな。私も己の身を守れる力が欲しいよ」
半妖精の娘の声は穏やかであったにも拘らず、黒髪の剣士はまるで理不尽な批難を浴びたかのように奇妙な怯みを覚えた。
二人とも何とはなしに黙り込む。
エルフ娘が押し黙ったまま迫ってきた冷気に肩を震わせているので、人族の娘は黄麻の上着を脱ぐとその肩に掛けてやった。
「……今日は酷い目に在った」
半妖精の娘は、ぽつんと呟いた。
「野良犬に噛まれたと思って、さっさと忘れてしまうのだな」
「……忘れる事は中々出来そうにないな。いろいろと刺激的な一日だったから」

黒髪の娘は一瞬、言い辛そうに何か躊躇してから再び口を開いた。
「……念の為に洗っておくか?」
「うん?」
「言い難い事だが、孕まずに済むならそれにこした事はないしな」
合点がいった。半裸になった翠髪の娘を見て、賊に強姦されたと思ったらしい。
半エルフは思わず吹き出した。
「え?」
予想外の反応に呆然とする黒髪の娘の前で、エルフ娘は唐突に笑い出した。
始めはクスクスと、やがてややヒステリックに、だが心底可笑しそうにエルフ娘は大きく笑い続けている。
緊張から解き放たれた人間が、時に奇行を行う事をよく知っていたから、黒髪の娘は慌てなかった。
かなりの間笑い転げていたエルフ娘も、やがて大分落ち着いたのか、涙目を拭きながら口を開いた。
「格好が格好だったからね……誤解するのも無理はない。貞操は守れたよ」
無言で見守っていた黒髪の娘が、それを聞いて小さな声で呟いた。
「乱暴されてない?」
「うん」
「ああ……そうか。それはよかった」
「それはよかったか。そうだね、命は助かった」
翠髪の娘は、まだ可笑しそうに肩を震わせていた。それとも寒いのだろうか。
「マントを拾って来ればよかったな。貸してやれたのに」
「此れで充分だよ。有り難く思ってる。……それよりも水浴びしたい」
全身が泥だらけなのが、辛いようだ。

太陽は西方山脈の稜線の僅か上で揺らめいており、黄金の色が地平線に繋がって段々と沈み込んでいく。日没までもう半刻(一時間)もないかも知れない。

エルフ娘の躰の汚れは、小雨を浴びてる程度では取れそうもなかった。
出来るなら川辺の村へ戻り、水浴びでもして泥を洗い流したかった。
「如何する?村へ戻るか?」
言外に自分も付き合うとの女剣士の提案に、半エルフは首を振った。
「今から村まで行って、旅籠に戻る頃には日が暮れているだろうね」
「では、どうせなら村に泊まるか?」
問いかけに少し考えてから、再び、首を横に振った。
村は足止めされた旅人で一杯で、今から行っても泊まれる場所があるか分からない。
旅人のあばら家よりは、宿の方がまだ幾らかは安全に思えると告げた。
「賊の仲間も残っているかも知れないしね」


「では、水浴びは明日の朝にでもするとして、今は取り合えず目立つ泥や汚れだけでも落としておきたまえ」
結局、取れそうなところだけでも泥と汚れを取る事にした。
「手伝おう」
人族の娘の言葉に頷いて、ありがたく受け入れた。
掌で、小雨と水筒の水で肌についた泥や葉、小枝などの汚れを兎に角、洗い流していった。
四本の手と襤褸布と化したエルフの服を引き千切って(こうなってしまえばどの道、服としては御仕舞なので)肩から胸、腹、腰、背中から尻に至るまでしっかりと拭い去っていく。

躰を洗い終わると、まだまだ汚れてはいるが大分さっぱりした様子だった。
吐くだけ吐いて、笑うだけ笑った事もあって随分と気持ちも落ち着いてきたのだろう。
借りた黄麻の上着を肩に羽織ったまま、エルフ娘は岩に腰掛けて身を休めた。
気力も使い果たし、体も酷く疲労しているからか。
絶えず眠気が襲い掛かってくるようで、今も生欠伸を噛み殺して、惚けた表情で夕暮れに瞬く星々を眺めていた。
時折、何するでもなく自分が殺した小男の骸をじっと眺めたり、暫らくすると飽きたように再び夜空に視線を戻してまた星を眺めるのだった。

黒髪の娘は、黙々と剣の手入れをしていた。
鍛鉄の刃にへばり付いた血糊を水筒の水で洗い流し、布で丁寧に水気を拭い去る。
それから剣を残照に翳して、黄玉の瞳を細めて状態をじっくりと見定めた。
賊の首を骨ごと切断した長剣には、しかし刃こぼれ一つ無かった。
満足げに微笑むと長剣を黒檀の鞘へと納め、今度は遠くを眺めている翠髪の娘の様子を気遣わしげに横目で窺いながら、何かを云おうか云うまいか迷っているように視線を彷徨わせている。

「……どうした?」
呆然としていたように見えるエルフ娘も流石に視線に気づいた。
尋ねられて、西の落日に視線を走らせた。
「日没までにまだ幾ばくかの時間がありそうだ。此れから如何するかね?」
「如何とは?やるべき事が終わったなら、早く宿屋に戻ろう。
 今日はもう疲れた。兎に角、早く横になりたいよ」
だるそうに呟いた半エルフの娘に、小首を傾げて尋ねた。
「では、戦利品は如何する?」
「……戦利品?」
「うん、折角の勝利ではないか。どうせ大したものは無かろうが、財布だけでも奪っておこう」
貴族の娘は、銀貨や銅貨に膨らんでいる財布を持ちながら、悪びれた様子もなく略奪を提案してきた。


まず赤毛の女賊の懐に手を突っ込んで財布を奪い、さらに青銅製の腕輪を奪い取る。
地面に落ちていた二本の短剣を拾い上げて、次に小男の死体を改め、首からぶら下げた巾着袋に気づいて紐を引き千切った。
小男の嵌めた銅製の指輪を奪う際には取れないので指を短剣で切り落とし「此れはいい物だ」切れ味に満足そうに呟いている。
まるで死者から戦利品を奪うのを数十回も経験して来たかの様に、黒髪の女剣士は手際よく持ち物を奪っていく。

昔から、貴族は最強の山賊海賊の成れの果てとも云われていた。
周辺の賊徒と喰い合った末に勝ち残った大山賊や大海賊の親玉が、子々孫々栄えて段々と勢力を拡大していくうち、貴族や豪族に成り上がった例もヴェルニアでは珍しくない。
やっている事は賊と同じでありながら、妙に堂々としている女剣士の振る舞いを見ていると、やはり由緒正しいヴェルニア貴族の血筋なのだなと、何となく可笑しく思いながらもエルフ娘は奇妙に感心した。

小男の財布をジャグリングの玉のように軽く宙に放り投げると掌で受け取る。
数回繰り返してから財布をしっかりと掴むと、女剣士は確かめた重みに満足したかのように口の端を吊り上げた。
それから少し考え込むように小首を傾げて二言、三言呟いたが、翠髪の娘には聞き取れなかった。
鋭い視線をエルフ娘に向けて何やら推し量るように見つめてから、大股に歩み寄ってくる。

「……な、なに?」
「ほら、御主の戦利品だ。勝者の正当な権利だぞ?」
云って、小男の財布と銅製の指輪を差し出してきた。
呼び掛けてくる言葉には親しげな響きが含まれていたが、素朴な旅人であるエルフ娘はびっくりして眺めた。
「わ、私はいらないよ?」
遠慮がちに拒否するが、
「どうせ悪事で得たものだ。我らが貰った方が世の為というものさ。
 さあ。遠慮なく受け取っておきたまへ」
ずいっと迫ってきた。
大きな声でも、激しい口調でもなかったが、言葉に秘められた何かがエルフ娘に明確な拒否を躊躇わせる。
恐くはないのに、何かを畏れて目を伏せた。
「でもね。殺した相手の持ち物を奪うというのは……」
「君は命を賭けた闘争に勝利したのだ。
 戦利品は、勝者にとって正当な権利であり報酬でもあるのだよ?」

「それに、もうじき本格的な冬の訪れだ。
 硬貨は腐ることもなければ、減る事もない。
 銅貨があれば、命が繋がるかも知れない……だろう?」
逃げ道を塞いでから、どこかで聞いたようなロジックを展開して黒髪の娘は人懐っこく微笑みかけてきた。
なお迷っていると、腕を掴まれて些か強引に重みのある戦利品が手渡された。
掌で押し付けられた財布がじゃらっと鈍い響きを鳴らした。
「君の財布については、明日にでも明るい時に探しに来ればいい」
片目を瞑って、ウィンクする。

結局は感謝して、貨幣に丸々と膨れた戦利品を受け取る事にする。
かつては小男の物で、今は自身の所有物になった丈夫な革の財布を開いてみる。
数枚の銅貨や真鍮貨の他、鉄銭や錫銭、鉛銭などかなりの小銭で茶色の巾着は一杯だった。
巾着の中身を覗いた半エルフは思わず溜息を洩らした。
そこら辺の町や農園で二ヵ月、三ヶ月畑仕事を手伝ったり、石積み、荷運びの仕事をしたとしても、到底、此れだけの貨幣は得られないだろう。
嬉しいような哀しいような何とも云えない曖昧な心持のまま、革袋へと仕舞い込む。
兎に角、此れで食べていく目星はついたようだった。

大方漁り終わった女剣士が、ふと思い出したようにエルフ娘を振り返った。
「もう一人の賊は?」
半エルフの娘に鉄串を突き刺して目を潰したとは口にし難く、一瞬迷って言い淀む。
「死んだのか?」
重ねて問うてきた。少ししつこかった。
「奇襲されるのも厄介だからな。君は言い難かろうが念の為、知っておきたい」
戦士の思考とでも云うべきだろうか。
女剣士の口にした理由に納得して、半妖精の娘は応えた。
「……死んだも同然だよ」
「……ふむ。では、やはり先ほどから其処に隠れているのは別の者なのだな」
黒髪の娘は野生の狼を思わせる鋭い視線をエルフ娘を。否、その背中に聳える大き目の岩へと注いだ。
「……え?」
翠髪の娘は、振り返るも其処には誰もいない。
耳を欹てるも、何の音も気配もしない。
勘違いではないのか。或いはからかってるのだろうか?
そう問おうとするも、女剣士は厳しい表情で岩へと向き直って、射抜くように鋭い視線で睨みつけている。
濡れた前髪を乱暴にかき上げると、切りつけるような口調で岩陰に呼び掛けた。
「先刻から影に潜んで此方の様子を窺っていた奴、出て来い」
大きくはないが鋭い声の誰何に応えるように、闇に影がぼんやりを浮かび上がって何者かが足音もなく岩陰から姿を現した。




[28849] 13羽 手長のフィトー06
Name: 猫弾正◆b099bedb ID:1f041ee4
Date: 2011/09/10 09:31
草と灌木の生い茂る赤土の丘陵を、西方から射す黄昏の残光が茜色と闇が彩るモノクロームに染め上げていた。

「其処に隠れている奴……姿を現せ」
エルフ娘は尖った耳を澄ませたが、何の音も気配も感じ取れない。
「出てこなければ、此方から行くぞ?」
何かの勘違いではないか?戸惑いを隠せないままに女剣士にそう告げようとして、
「……待って。今、其方へ行く」
黒髪の娘の誰何に応じるように、囁くような低い声が闇から響いてきた時、
半エルフは心臓の鼓動が跳ね上がるほど驚愕した。
かつてこれほどの近い距離で気配を悟れなかった事は、同族相手にすらなかったからだ。
岩陰からゆらりと影が浮かび出る。

小柄な影が音も無く草叢を踏みしめて、ゆっくりと姿を現した。
自分の耳に結構な自信を持っていたので、翠髪の娘は驚きを隠せずに目を瞠った。

「……ホビット?」
エルフ娘の半信半疑の呟きに応えるよう、揺らめく西日が照らし上げた小柄な影は、確かにホビットの若い娘だった。
炎を連想させる見事な赤毛の髪は、彼女の種族に多い柔らかな巻き毛で後ろで紐に纏めている。
仕立てのいい動き易そうな革製の上着を着込み、腰には女剣士のそれにも劣らぬ立派な拵えの小剣を吊り下げている。
小さな足は剥き出しの裸足。
ホビット族は足の裏に毛が生えており、音もなく歩くことが出来ると云われていた。
微かに垂れ気味の優しげな瞳に形のいい唇を持った穏やかな顔立ちだが、しかし、今はその目の底に警戒するような光を浮かべて、女剣士と半エルフの交互に隙なく視線を配っていた。

ホビットの瞳には僅かに険しさが含まれていて、その視線の強さに怯んだエルフ娘は僅かに後退って距離を取った。
ホビットの娘が赤毛の女賊。次いで小男の亡骸へと鋭く視線を走らせた。
「まずはお見事なお手並み。しかし、些か惨い殺し方をなされる」
赤毛の小娘の言葉に、エルフ娘は表情を強張らせて大きく躰を震わせた。
顔色が微かに翳り、思わず目を伏せたのを見て、人族の娘は鋭く射抜くような視線をホビットへ向けた。
「……ふん。一体、何人の旅人がこいつらの手に掛かったのか考えれば、呵責の必要があるとも思わんがね?」
黒髪の女剣士のホビットへ向けた声には、棘々しさが隠せなかった。
小人の偽善的な呟きにも増して、エルフ娘が苦しげな反応をした事がより強く彼女の勘に触れたのかも知れない。
「それより貴様、何者だ?随分と始めから様子を窺っていたようだが……」
眦を吊り上げ、敵意を隠そうともせずに女剣士は冷たい声で詰問する。

「……この娘。何時から?」
「最初からだ」
戸惑ったような半エルフが呟いた疑問に、黒髪の剣士は断言した。
「君の耳は合っていたぞ。
 こいつを入れれば確かに六人。こやつも小屋で此方の様子を窺っていた一人よ」
鋭い目でホビットを睨みつけた。
強く烈しい女剣士の眼光を小人は真正面から受け止めて、内心は如何あれ、表情には欠片も動揺を見せなかった。
「私が戦っていた時にも、影からこそこそと様子を見ていた。そうだな?」

「……お疑いのようだが、私は賊の仲間ではない」
ホビットは静かな口調で、女剣士を真っ直ぐに見つめた。
怯む様子は全く見えない。

「……ほう?」
口の端を吊り上げた女剣士が、不信を言葉に表さずに表明しながら、続きを促がした。
「小屋で盗賊たちが貴女達を狙っているのを耳に挟んで、いざという時は助太刀いたそうと思ったから」
「ほう?どちらに助太刀するつもりだったのか聞いてもよろしいかな?ホビット殿
 我らか?それとも彼らか?」
一番苦しい時に助けてくれなかった者が、実は助太刀する心算でした。など後から言い出したからとて信用する人間など何処にもいない。
慇懃無礼に揶揄する女剣士の言葉には辛辣さが散りばめられていた。
まして手出しする機会は幾らでもあったにも拘らず、傍らにずっと潜んでいただけなのだから。

「……小屋でそんな話聞こえてこなかった。耳はいい心算だけどね」
翠髪の娘も気を取り直したのか、ホビットに反撃する。
殺し方を咎められたのも、気に喰わなかったのかも知れない。
燃えるような赤毛のホビットに不信の眼差しを向けていた。
「隠語で会話していた。盗賊だけが理解できる外国語も混ざった仲間うちの言葉ゆえ、理解できないのも無理はない。
 普通の人が耳にしても、意味は聞き取れないだろう。
 そして二番目の問いだが、貴方に助太刀する必要があるとは思えなかった」

人族の娘は右手を上げると、旅の連れを指し示した。
「では、何故彼女を助けなかった?」
「悟られるぬよう、距離を取って賊の後ろを追跡していたのだ。
 見える場所で窺い始めた時には、既に貴方と四人の賊が戦い始めており、
 其処のお嬢さんが何処に行ったのか、皆目見当がつかなかった」

「戦っている最中、貴様の視線を感じた。
 物影に潜んで一部始終ずっと見ていたであろう?」
ホビットは、潜んでいた事自体は否定はしなかった。
「危地に陥れば、手助けしようと思ったと云った」
「では、何故出てこなかった」
「必要なかっただろう?」
同じ質問と同じ返答を繰り返し、そして二人の間で少しずつ緊張が高まっていく。
「そして姿を現さなかったのは、今のように疑われるのが厭だったから」
「……まるで信用ならぬな、御主が賊の一党ではないという証が何処にある?」
尊大な口調に怒りを込めて、黒髪の女剣士は赤毛のホビットを問い詰める。
「盗賊の言葉というものが在るというのは、戦の際に雇った忍びの者から耳にした事はある。
 だが、それを理解できるのは賊の一員だけの筈。
 さては御主も名うての盗賊の一人か?ホビットよ」
女剣士も半エルフも、今や不信と猜疑の瞳でホビットを見詰めていた。


黒髪の女剣士は、表情の読めぬホビット族の娘を何とも疑わしげに見ていた。
何とも喰えぬ奴。恐らくは、一味ではないというのは嘘では在るまい。
連中もこやつの存在は知らないようだったからな。
だが、と、ホビットが身につけている小剣に、それと悟られぬ程度に視線を走らせて目に留めた。
中々、立派な拵えをしている。鮮明な朱色に塗られた鞘。
真鍮製だろうか。金属製の彫刻がされた金色に輝く柄。
小剣とはいえ、一介の旅人が持つには不釣合いに立派な品物だった。
それに女剣士の詰問にも、まるで怯んだ様子を見せない。
気配を潜める技も、信じられないほどに練達だった。
微かな違和感と戦闘中に視線を感じなかったら、気がつかなかっただろう。
ホビットの話も、態度も、格好も、何かちぐはぐなのが女剣士には気に入らない。
全てが胡散臭く思えて、余計に不審と不信を煽った。

「或いは、我らが隙を見せるのを待っていたか?漁夫の利を狙って共倒れを待ったか?」
「……」
「応えろ」
黒髪の女剣士が威嚇するように、一歩前に歩み出た。

仮にホビットが困惑したとしても、彼女はそれを表には出さなかった。
首を微かに傾げて、踏み出した黒髪の人族の娘を茫洋として見つめていた。
女剣士がホビットを観察していたように、ホビットも人族の娘を推し量っていた。
まだ若い娘だが厳しく冷酷な性格は、真一文字に閉じた意志の強そうな口元、微かに細めた鋭い黄玉の瞳から、容易に読み取れた。
ホビットの間合いを測って踏み込んでこない用心深さから見ても、容易ならぬ百戦錬磨の剣士なのは間違いなく、戦うにしても説得するにしても骨が折れそうだった。

脅そうとしたのか、或いは胡散臭いホビットを追い払おうとしたのか。
女剣士が剣を抜こうと柄に手を延ばした次の瞬間、その喉元に白銀に輝く刃を突きつけられていた。
「……え」
傍目から見ていたエルフ娘が素っ頓狂な叫びを小さく上げた。
エルフ娘には、そして女剣士にも、ホビットの動作が見えなかった。
気がついたら、間合いのうちに入られていた。

女剣士の剣が疾風であれば、ホビットの太刀は迅雷とでも云うべきか。
黒髪の娘は避ける事も、剣を抜く事も出来ずに、死命を制された姿勢のままに、喉元にホビットの小剣を突きつけられていた。
さすがの女剣士が動けなかった。
柄に手を掛ける途中の姿勢で、避ける事も、剣を抜く事も出来ずに、黒髪の女剣士は歪な石像のように固まったまま、息を飲んだままに低く呻いた。
エルフは信じられないといった様子で、ただ目を見開いている。


ホビットの刃は黄昏の夕日を浴びて朱色に煌めいた。
「私が賊の一味であれば、此の侭貴女の首を跳ねるだろうな」
ホビットが低く囁いた。
「……くッ」
女剣士すらホビットの剣の軌跡を微かにしか捉える事は出来なかったし、半エルフにいたっては銀閃の残像すら見えなかった。
「……だが、幸いにして私は連中の一人ではない」
ホビットがじっと黒髪の女剣士を見つめた。
小人族の目から如何な言葉を読み取ったのか。
女剣士忌々しく思いながらも、人族の娘は微かに頷いた。
「……そのようだな」
赤毛の小人は剣を引くと、滑らかな動作で鞘に納めた。
女剣士は乱れた前髪をかき上げたが、額を濡らしていたのは雨だけではなかったかも知れない。
「……では」
ホビットが踵を返し、女剣士に無防備な背中を晒して立ち去ろうとする。

「待て。貴様の名は?」
ホビットが振り返った。瞬きしてから応える。
「……キスカ。キスカ・ロレンツォ」
「覚えておくぞ。キスカ・ロレンツォ」
冷たい声で告げた女剣士が名乗りを返す事はなかったので、ホビットはそのまま音を立てずに夕闇の中へと消えていった。

「ふん」
小人が立ち去ってから、黒髪の娘はつまらなそうに舌打ち一つすると肩を竦めた。
衝撃に顔を強張らせたエルフ娘が、ぼんやりとした口調で独り言のように呟いた。
「あのホビット。一体何者だろう?」
何かに聞かれるのを恐れるような、囁くような声だった。
「さてな。キスカ・ロレンツォとは聞かない名だが、存外、世に手練は多いものだな」
女剣士の秀麗な美しい声が、恐怖だろうか、憤怒だろうか。
微かに震えていたのをエルフの耳は確かに聞き取った。
整った美貌は冷たく無表情で、黄玉の瞳は燃えるように爛々と輝いていた。

「……貴女より早かった。あんな剣捌きは初めて見たよ」
「まあ、不意を突かれたし、私も疲れていたからな。
 次があれば、こうはいかんよ」
人族の娘は一つ肩を竦めると、燃えるような眼差しで蟠る闇を睨みつけていた。
エルフ娘は顔を伏せて首を振った。負け惜しみだと思われたようだ。
少し不愉快に感じたが、人族の娘は気にしないことにした。

ホビットの消え去った闇を鋭い眼差しで睨みつけて、黒髪の剣士は最後に一度だけ名前を呟いた。
「……キスカ・ロレンツォ」
忌々しげな囁き声は、冬の冷たい風に紛れて誰の耳にも届く事無く消えていった。



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