【日本の職人技】
風鈴
━━━その歴史
- 日本に仏教などと一緒に風鐸(ふうたく)が渡来してきました。お寺の四隅にかかっている風鐸がそれです。風鐸のガランガランと鳴る音が厄除けとして使われ、その音が聞こえる範囲の住民には災いが起こらないといわれました。平安、鎌倉時代の貴族の間では縁側に下げて、外から疫病神が屋敷の中にはいるのを防いだと書物(六学集)には、書いてあります。法然上人絵巻には銅製の風鈴が描いてあります。形は今現在のものとは少し違います。ガラス製の風鈴が出始めるのが、文献には享保年間(1700頃)とされています。長崎のガラス職人がガラスを見せ物として大阪、京都、江戸にて興行しながら伝わります。その頃の価格は今のお金に換算すると、およそ200万~300万円ぐらいと言われています。昔から、ガラスでできた「江戸風鈴」、南部鉄でできた「南部風鈴」、金属を火箸状にした「火箸風鈴」などが有名です。明治維新後、外国の大量生産技術も取り入れ、明治20年代には風鈴が一世風靡を巻き起こしました。
- 江戸中期
- 長崎ビードロ師が江戸でビードロを実演します。
- 江戸末期
- 江戸の問屋が長崎で技術習得。安価でガラス風鈴の発売を始め江戸中に拡まります。
- 昭和初期
- 篠原儀治氏 父又平氏より江戸風鈴の技術を習得。以後、技を磨き、第一人者となります。
━━━江戸風鈴の名称の由来
- 篠原儀治は先代から受け継いだガラス風鈴を、昔の東京(江戸)で、江戸時代から作られていたことから昭和40年頃、「江戸風鈴」と名付けました。それ以後江戸風鈴の名称が拡まっています。
━━━【江戸風鈴】
- 江戸風鈴には、輸入品と明らかに違う特徴があります。垂直断面が不均一で、下側の開口部も滑らかではありません。均一に仕上げられたものは音が単調ですが。江戸風鈴の音色は多彩でいろいろな表情があります。工業製品としては一見雑な仕上がりですが、ここに江戸風鈴の音色の秘密があります。垂直断面が不均一だと、共鳴周波数が一様でなく、倍音の分布が複雑で、音の伸びも一様ではありません。もちろん下手な細工では濁った音になったり、強度が落ちたりしますが、独特の澄んだ音色と強度を両立させるのは熟練の技術と勘がすべてです。また、未仕上げの開口部の引っかかりが音色に多彩な表情を与えている点も見逃せません。
━━━【南部風鈴】
- 岩手県を代表する伝統的工芸品であり、岩手県盛岡市と奥州市水沢区でその歴史を刻んできた南部鉄器です。JR東北本線水沢駅ホームに南部風鈴が沢山飾られ、日本のいい音色百選のひとつに選ばれています。
━━━【火箸の風鈴】
- 兵庫県、姫路の代表的工芸品にも指定されている明珍火箸は、由緒ある甲冑師(かっちゅうし)の明珍家で作られていました。甲冑師とは、鎧や兜を作る職人のことです。48代目まで甲冑を作っていましたが、明治維新後、武士の時代が終わると火箸作りに専念するようになりました。昭和30年代に入り火箸の需要が落ち込むと51代目の宗之氏が火箸を組み合わせて作った風鈴とドアチャイムを考案しました。甲冑と同じ鍛え方で、火箸1本を千回叩くといいます。こうして精魂こめて鍛えた火箸は、高く澄んだ音を出します。
文: 大塚光明