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お話し 池田恵理子さん wam(アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」)運営委員長
於 豊島区立勤労福祉会館内エポックテン
●"wam"とは
・戦時性暴力の被害と加害の資料を集めた日本初の資料館
・「女性国際戦犯法廷」関連、「慰安婦」裁判関連、発掘された日本軍関係などの資料、
支援団体のミニコミ誌などを収集・整理・保存・公開
・活動の中心はパネル展示による特別展(年1〜2回)
・「慰安婦」ホットライン・調査・国連でのロビーイング他多岐にわたる活動、女性・人権・平和・反戦・戦後補償等運動との連帯活動
・日本が自国の戦争加害と向き合わない中、wamの活動は海外から注目され、カトリックのノーベル賞とも呼ばれる「パックス・クリスティ平和賞」を受賞
池田恵理子さんのお話
□素人による記録
「慰安婦は民間業者が連れ歩いたもので、軍・政府は関与していない」という日本政府の国会答弁があり、それを聞いた金学順さんが1991年に旧日本軍の元「慰安婦」として名乗り出たのを契機に、日本軍「慰安婦」制度の被害者が各地から次々と名乗り出、裁判も起こされてきました。
国際的にも、ILOやクマラスワミ報告による勧告などで「慰安婦」問題は日本の人権問題として指摘されるようになり、国内でも「河野談話」や「村山談話」が出され97年には「慰安婦」問題が教科書にも載る流れができました。ところがこれに右翼や歴史修正主義者が危機感を強め、「新しい歴史教科書をつくる会」をはじめ右派政治家・文化人・学者らによる「事実」の抹殺が始まり、マスコミまでもがこれに口をつぐむようになりました。
元「慰安婦」として、被害女性たちが行った勇気ある証言をマスコミが取り上げないのならば自分たちが記録するしかないと考え、証言の聞き取りと同時進行で撮影・編集もするサークル(「ビデオ塾」)が生まれました。「女性国際戦犯法廷」もこのメンバーが全てを記録しインターネットで世界に映像を配信しました。NHK番組改ざん訴訟の法廷で、この私たちの自主映像とNHKの番組映像を証拠として双方比較して観たとき、素人のつたない映像であっても自ら確保しておくことの重要性を確信しました。被害女性たちが高齢化していくなか、今後いっそう貴重なものとなっていきます。
□女性国際戦犯法廷
司法は「慰安婦」裁判で原告の請求をことごとく棄却し、時効や国家無答責を理由に国の責任を認めようとせず、行政も「女性のためのアジア平和国民基金」を中途半端に終了させたまま公式の謝罪をせず、国会では「戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律」がいまだ成立していないというのが日本の状況です。
このままで20世紀が終えるなら、渾身の思いで告発し証言してくれた被害女性たちに対し日本の女性としていったいどう応えればよいのかと私たちは悩み、また「女性たちへの性暴力被害」は加害者責任を問わずして解決はないのではないかと、北京国際女性会議以降考え始めていました。
そこへ松井やよりさん(元朝日新聞記者・VAW―NETジャパン代表)が「国がやらないのなら民衆の手でやるしかない」と98年に民衆による法廷を提案、被害各国の女性たちとともに2000年の「女性国際戦犯法廷」に向けての準備が始まりました。
「女性国際戦犯法廷」は実現し、成功し、判決で天皇の戦争責任までも認定されたのは実に画期的なことでした。しかしこの「判決」に法的な力があるわけではなく、「法廷」の成功で即「慰安婦」問題の解決とはなるわけではありません。
松井さんは、被害女性たちが忘れようにも忘れられずに半世紀持ち続けてきた記憶こそが重要な第一級の証拠であり、自身を世間にさらしてまで闘った裁判の記録は何としても後世に残すべきものと考えていました。「戦犯法廷」後、松井さんは癌の告知をうけて余命何ヶ月といわれる中、仲間たちに「女たちの戦争資料館」の建設を強く託しました。
□記録と記憶の拠点
資料館が活動の拠点になるためには、誰もが立ち寄れる便利な場所に、そしてその建設は2,3年以内にと主張していた松井さんの遺志に押されて建設委員会が立ち上がり、05年8月、東京・西早稲田にようやくwamが完成にこぎつけました。
被害女性たちには証言や裁判資料、ビデオ、写真など、それぞれ膨大なデータがあり、その完全データベース化を目指して現在も鋭意進行中です。例えばwamに入館されて、ある一人の被害女性のことが気になると、データを呼び出してその方の置かれた辛い状況を知り、そこからさらに連帯と和解へと切り開かれた道のりも見え理解が深まるというかたちで、ひとつの出会いが体験できる。しんどい写真も目にするが元気をもらって帰れる、そんな場となることがこの資料館に対する仲間たちみんなのコンセプトでした。
wamには膨大な数のパネルがありますが、これを右翼に衝かれる隙のない正確なものに仕上げるためには支援団体に学者や弁護士もまきこんだ共同作業となり、おのずとネットワークが広がっていきました。また、パネルはいろいろなグループの要請をうけて各地を巡回展で巡り、国内のみならずEU議会や韓国・チモール・中国などかつての被害国内での展示がこれまでに成功しています。
「権力」というものは民衆に対して下した暴力の「事実」を消そうとするものですが、「記憶こそが民衆の武器である」というチェコのミランクンデラという作家の言葉があって、これは、権力は人々のアイデンティティを壊す手段としてその記憶や記録を消そうとするのだから、民衆がそれに対して「事実」を自らの手で記録して記憶を継承しようとすることがさらなる権力の介入を阻む力となる、そういう決意を示す言葉です。その「決意」は、被害女性の方々が語り始めるプロセスそのものにも含まれていたと痛切に感じます。
wamのようなミュージアムの重要性は今、アジアの各地にも共有されつつあります。韓国のナヌムの家やフィリッピンのロラマシーンセンターなどにつづいて台湾やインドネシアなどでも建設の動きがあり、「記憶の暗殺者」たちに対抗するために、wamとアジア各国市民との連帯が始まっています。wamのこうした活動は海外では評価されていますが国内メディアには無視されている。そのことが「右翼からの攻撃」よりずっと身に応えますが、何とか多くの方々に知ってもらえるよう活動を続けています。(文責・小林)