■第56回/高等学校の部最優秀・内閣総理大臣賞受賞作品

「共存するということ」
 愛媛県立松山東高等学校 3年 川谷 真以

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 何気なく読み始めたこの一冊、『ハサウェイ・ジョウンズの恋』。その幻想的で美しい世界の中へと、心はあっという間に捕らわれてしまった。読み進んでいく私の耳のそばをローグ河の水は流れ、アメリカ西部の土地の匂いや風は私の鼻先をかすめ、頬を撫でていき……。そんな夢のような感覚に浸る私を現実に引き戻すかのように、事件は突如として起こっていくのである。それは、ハサウェイを取り巻くさまざまな人間たちの死であった。

 人間は自分のことについてどれだけ本当のことを知り、どれだけ知ったつもりになっているのだろうか。あるいは普段、どれだけ本当の自分と向かい合い、それを自分と認めて受け入れる努力をしているのだろうか。登場人物の大人たちに非合理な殺人や無謀な行動をさせたのは、まさにこの「本当のもう一人の自分」であったのではないだろうか、と私は思う。「建前の自分」と表裏一体をなす「本能的な自分」は、理性による制御が弱くなった場面で強烈に現れ、時に人々に取り返しのつかない過ちを犯させる。「動物は、こわくなかった。こわいのは、人間だった」と語るメイシェの言葉に私は深い共感を覚えた。

 もう一人の「本当の自分」は、今までその人が苦労して築きあげてきた他者との関係を一瞬で破壊しかねない。常に自分と共にあり、切り離すことのできない「自分」の存在をこの本から読み取り、私はひどく恐ろしさを感じた。それと同時に、私自身も過去を振り返り、反省させられた。私は今までどれだけの人々を傷つけ、それを知らぬままに過ごしてきたのだろうか。今現在の私の生活も、裏で誰かを傷つけるものとなってはいないだろうか。

 ハサウェイもこの不安を抱き、思い悩んでいたに違いない。物語で何度も生み出されるハサウェイの詩には、素朴ではあるけれどもハサウェイ自身の純粋な気持ちの揺れが表現されているように思う。「雨に濡れない男」にしろ「片手がいうことをきかない男」にしろ、ハサウェイの詩に出てくる人はいつもひとりぼっちだった。自分の恵まれた状況におごって周りの人間から疎まれたり、あるいは自分の欲求を抑えられず他人に迷惑がられている存在であったのだ。これは、ハサウェイ自身が恐れる自分の将来の姿ではないかと思う。この時ハサウェイはフロラと幸せな恋を育んでいた。でも、誰かが幸せになるためには常に犠牲となる他の誰かがいることを、ハサウェイは周囲の争いを目の当たりにする中で痛いほど学んでいたに違いない。また、フロラと関係を深めていくうちに徐々に強まる抑え難い欲望に怯えもしただろう。それらが結果的にもたらす、社会集団からの排斥や個人的恨み、そしてフロラとの関係の断絶への恐れはハサウェイを常に苦しめた。

 それではハサウェイは愛など知らなかった方が幸せだったのだろうか。私はそう思わない。愛することで受けた心の負担より、愛を知ることで得たものの方がずっと大きかったからである。確かにフロラの存在でハサウェイは孤独を知り、自己の内面と戦わなくてはならなくなった。しかし同時に、大切な人を守る勇気を得、自分に責任を持つ一個人として成長していったのだ。だからハサウェイが心の中で葛藤に苦しんだ時間は決して無駄なものではない。むしろ一人の人間としての自分のあり方を考える、貴重で価値あるものであったように思える。自分のことすらよく知らないのに、さらに他者の知らない他者自身についてまでも理解しようなど到底無理な話に聞こえてしまう。だが、分からないからといって逃げてはいけない。たとえ辛くても、私たちは正面から自分を見つめ直し、他人の思いを知ろうと努力しなくてはならない。何度も嫉妬や欲望とぶつかり、苦しみ、そして不器用なりに乗り越えていくハサウェイの姿は、私にそう語っているかのようだった。

 本来人間は無力な存在である。そんな人間が生き抜いていく力を獲得したのは紛れもなく、他者を愛し愛されるという行為からではないだろうか。そしてハサウェイにとっての他者は恋人のフロラだけでない。彼をいつでも迎えてくれる物言わぬ自然も、それによく似た父親もそうだった。普遍的な愛は私たちに安らぎを与え、私たちの存在を支えてくれる。最初は父親に反抗的だったハサウェイも、きっと最後の「戻ったか……」という父の言葉には、安心と感謝の気持ちを感じただろう。

  「共存」――これがこの本の主題ではないかと私は思う。他者のことを知り、思いやり、その存在へ感謝を忘れず「共に」生きていくことが、現代の人間性を疎外しがちな社会にも求められているのではなかろうか。もっと他人を尊ぶ気持ちを大切に、私はまず身近な友達や家族に感謝することから始めようと思う。自分の弱さを知り、また他人の大切さを知る人間として、社会の多くの人々と支え合って生きていくような人生を歩みたい。

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●読んだ本「ハサウェイ・ジョウンズの恋」(白水社)
 カティア・ベーレンス・著、鈴木仁子・訳

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