タイトル通りです。
犠牲となった方々にご冥福を。
今でも苦しみのさなかにある方々にお見舞いを申し上げます。
収束しない事態を前に、人間の無力さを思い知る日々ですが、それでも生きてゆくことが大切なのでしょう。
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書きたくなかったことだけれど、あえて避けずに書きます。
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前日からTwitterで相変わらずの者達が、わざわざアカウントを取得して
こちらに暴言を吐き、稚拙きわまりない事態がありました。
無視するのが通常でしたが、私の親族への営業妨害に相当するような件も多く、
証拠保存のRTしながら、何となく言葉を目で追ってみました。
その稚拙な言葉の群を。
同時に、昨日夜には鉢呂吉雄経済産業相が辞任の意を表明。
こちらも言葉からの問題。
記者クラブでの会見の様子をUstreamでしばし見ていました。
真実は藪の中なのかもしれません。
記者会見が済んだ後の、関西弁の記者が発した「結局なんで辞めたんかわからへん」が
耳についています。
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しかし、そもそも本当のことをいったい誰が完璧に把握できるのでしょう。
震災直後、各自が掴んだ生の情報を信じるしかない時。
例えば、私の友人のご家族が被災地で無事だったとの報。
これは友人が家族から聞いたのを伝えてくれたものでした。
それがその件では唯一の情報だった。
「無事」を信じる気持ちとしてこの真実を動かしたくないのは当然。
その後、確認できて「無事」でした。
だからこそ、もう一度思う。
あの時、政府を含め、いったい誰が本当のことを知っていたと言えるのか。
そして、現在も本当のこととは何なのか。
真実、正しさ、それらとも位相が違うものなのか。
そして。
人は自分の都合のよいように情報を得て、解釈するだけなのかもしれない。
内容が善であれ悪であれ。
この世の見え方は自分にかかっているということ。
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今日を刻みます。
Joaillerie
2011年9月11日記