2011.08/31 [Wed]
雑用紙の覚書 1
「民主主義」というものは、「性善説」であっては絶対いけない。「性悪説」でないといけないのだ。「人間」というものは、「神と人が監視(み)ていなければ、絶対に悪い事をする」のだという、深刻かつ峻厳な人間観が根底・前提に有ってこそ、「民主主義」は初めて成り立つ。
日本社会の「道徳」自体が、元来、「村社会」、「ひとと違うことをしてはいけない」、「ひとに不愉快な感じを与えてはいけない」、「内輪でしか通用しない論理」といったレベル以上のものではないから、(悪人、犯罪者の人数が特に多いわけでもないのに)肝心な時に倫理がきわめて脆弱なのだ。
多くの日本国民は、戦争中の時代の事を「苦労した、苦労した」としか言わない。吐き気がする!あたかも、天災だったか「ああいう時代だったから仕方なかったんだ」というような態度。自国民の「女子供」に対しても「悪い事をした」とは思っておらず、天皇に対してしか「悪い」と思っていないのだろう。
中国、朝鮮韓国などの近隣諸国民の近現代史から「反日」をとってしまえば「歴史ではなくなる」という事を、日本国民が認めること自体が国際的義務なのである。その事も知らない人間が増えてきたが、それは絶対に違うのだという事を、我々は言い切らなければならないのだ。
社民党が「反原発」であるなどと信用してはいけない。社民党も班目春樹の人事を承認していた。つまり、社民党もフクシマの破局について直接責任がある。
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社民党 原子力安全委員人事など同意
http://blog.goo.ne.jp/05a21/e/d0336e358e383e950011879e3ebc682f
政治の指導者が、科学の教師を気取って何になるというのか。共産主義者であるならば、「労働者階級の目で考える」―であろう。政治の指導者が語るべきは、己の信ずる"哲学"であって、「科学」ではない。
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ここでは―ネットで読む限り―(事故を起こさなくても存在する、いわば"人の命を食って"運転している)被曝労働について一言も触れられていない。
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「科学の目」で原発災害を考える
社会科学研究所所長 不破哲三
「しんぶん赤旗」2011年5月14日付
http://www.jcp.or.jp/seisaku/2011/20110510_fuwa_genpatsu.html
日本共産党は「ルールなき資本主義」を非難する。何を愚かな・・・"弱肉強食"が、資本主義のルールじゃないか。日本共産党の言うことは、カマトトの亜インテリとしか思えない。
3月19日に行われた救援連絡センターの総会では、シンポジウム「獄中者の権利と司法改悪」のパネリストとして、青木理と安田好弘弁護士がよばれたとのこと。両名とも佐藤優を擁護する"お仲間"そのもの。救援連絡センターには、本物と似非「反体制」の見分けがつかなくなったのか!「左翼」業界もこれでは将来が無い。
共産党・社民党が「領土問題」で政府と同じ立場に立って中国敵視を叫んでいたのだから、沖縄県知事選挙に負けたのも当り前だ。沖縄県の沖で中国との領有権紛争を煽れば基地反対の声も押え込めると考える政府の意図を、大衆的に暴露すべきだった。中国と歴史的・文化的関係がある"琉球"としての立場を沖縄はアピールすべきだった。
外道のネオコンにまで堕落しきった「新左翼」グループの第四インターは、"革命的な"言辞で以って粉飾しているものの、要するに、反米諸国によるリビア内戦の仲裁(※)が許せないと叫んでいるのだ。内戦の仲裁にすら「全面的に」反対するのが、ネオコン・「トロツキスト」の"革命的人道主義"だったのだ!実に有り難い事だ!民衆革命支持とは似て非なる立場=欧米型国家の優越性を心から信じて陶酔しきっている社会帝国主義者だ。
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かけはし2011.3.14号
声明 リビア革命を支持する!カダフィは直ちに去れ!
第四インターナショナル書記局
2011年3月3日
http://www.jrcl.net/frame110314a.html
「われわれはウーゴ・チャベス、ダニエル・オルテガ(ニカラグア大統領)、フィデル・カストロがとっている立場に全面的に不同意である。フィデル・カストロはリビア民衆の闘いを支援するのではなく、アメリカ帝国主義の介入の危険を非難している。」
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(※)カダフィ大佐の次男も、反体制派リーダーも拒否。チャベス提案 ほか
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/64a1f6e0e2fe67673a01ec0b93f97ba4
「2月28日に首都カラカスで行った演説で、リビアに平和的解決を支援するための国際調停団を派遣することを提案していたベネズエラのチャベス大統領。」
和田春樹が、"クリスチャン横田早紀江"という表象を、『ハンギョレ』で韓国左派に向けて宣伝する。
和田春樹は、"リベラルとして"、"善意で"、日本社会と"朝鮮"との橋渡しをするつもりなのか?そうであったとしても、"クリスチャン横田早紀江"という虚偽の宣伝を、韓国に向けて行うような欺瞞に基づいてはいけない。
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苦難起こった東北アジア 怨恨のりこえ共生へ 日本に希望を
ハンギョレ 2011年3月23日リレー寄稿
和田春樹
http://www.wadaharuki.com/
「津波はその海があらわす恐るべき破壊の力である。旧約聖書ヨブ記1章21節に「主は与え、主はとられる。」という言葉がある。これは拉致被害者横田めぐみさんの母、早紀江さんが大事にしている言葉で、彼女のことを考えるとき、いつも考えてきた言葉である。」
拉致被害者家族会というのは、シオニスト・イスラエル国民と同じ存在だ。そうなるに至った経緯については同情するべきでも。世界中で、あたかも自分たちだけが不幸であるかのように、独占的な宣伝をすることで、あらゆる暴虐と恫喝を聖化する。日本人や欧州ユダヤの命だけが尊いなどと、いったい誰が決めたのか!
拉致被害者本人と、極右団体「救う会」に洗脳されている家族とは―家族であっても―あくまでも別人なのである。"肉親の情"は時としてとんでもない反動的な役割を果たすことを軽視するような「左翼」は、その名に値しない、極右の暗黙の共犯者である。そもそも復讐感情が社会的に公認されるのは、文明自体の否定である
東京基督教大学は、極右団体「救う会」会長の西岡力を何時までも「教授」に召抱えているのを、"キリスト者の恥"と知るべきです(キリストが「復讐せよ」「差別せよ」と教えていたのであれば、"それも有り"といえるかもしれませんが、違うでしょう)。
恐ろしいことに、「北朝鮮」敵視運動は荒木和博のコネで、自衛隊基地構内で署名運動を行うことも認められている。
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陸上自衛隊広報センター前にて、拉致被害者救出!街頭署名
あまめいし要一郎の活動報告
2008/4/6
http://blogs.yahoo.co.jp/amame1968/31895980.html
今の"日本"は、和田春樹やそのほかの"リベラル"(および半端な「左翼」)があれやこれやの術策を用いてどうこうなるというようなレベルではないのだ。
やはり南北統一を早く急いでしないと、"日本"は"朝鮮"をとことんなめきって、再び(何度でも)"朝鮮"侵略を狙ってくるでしょう。
そもそも日本人が、朝鮮の南北対立に(和平の仲介をしようとするのではなく、片方に味方して)介入する権利がどこにあるというのか!?
朝鮮半島に不幸が起これば条件反射的にのぼせあがる日本人には、朝鮮を我が物のように眺める眼差しが、いまだ意識・無意識にあるのでしょう!
今の日本社会のレベルの"リベラル"に"橋渡し"をしてもらおうとすると、むしろ歴史的な存在としての在日朝鮮民族を解体することになるはずです(脱色された1"エスニック"にされる)。植民地支配という歴史的罪科の生き証人である在日朝鮮民族を抹殺したい(それができなければ、政治的・社会的に脱色させたい)執拗な願望が、陰湿な日本社会の本音なのですから。日本国家に"権利"を奪われただけでなく、日本の"リベラル"によって、"歴史"まで奪われてしまうでしょう。
自身が東アジア反日武装戦線爆弾実行犯の救援運動をしていたことを、ヒューマニストぶった『「拉致」異論』、『拉致対論』の中で全く触れていない太田昌国は、全く信用に値しない。
岩波書店はプライドばかりが肥大化し、一方では不当労働行為を居直る。"権威"によりかかるばかりで、実際のところ身近なところでは"言行不一致"なことをする、自称他称の「左翼系」を、「戦後日本」の膿としてそろそろ清算するときです。
問題は、日本人社会自体が極右やファシズムと峻別されていない――ということだ。政府・与党自らが率先して在特会に範を垂れている。
転向者同士が不潔にも傷を嘗めあい、転向者(愚か者)が転向者(愚か者)である権利を主張(要求)しているのが、日本という国。
丸山真男の言「・・・伝統への必死の抵抗として・・・生まれたものが、わが国に移植されると、古くからの生活感情に照応するため・・・意味が変化する」を思い出す。
戦争につながる"あらゆる行為"に対して、"無条件に"反対するのが、本当の"護憲派"である。たとえ「尖閣諸島」などが本当に「日本の領土」(であると言えるような場合)であったとしても、(日本が中国に対して帝国主義国であるという認識のもと)「領土問題棚上げ」だと叫ぶのが、本当の"左翼"である。
人間の悪いところは、適応能力がありすぎることである。
「肉のイスラエル」の存在に神意を求める「キリスト教徒」の魂は永遠に滅ぶことを信じて疑わず。「霊のイスラエル」しかキリスト者には有り得ない。「イスラエル」はユダヤ国家に非ず。家無き者、故郷無き者の共同体=不可視の教会が「イスラエル」なのである。
日本の「左翼」業界は、 「無血虫の陳列場」としかおもえない。
自分の旗の下で闘うことをしなくなった日本の新旧「左翼」は、いまやただの「家元左翼」です。「小沢一郎を首相に」という期待感を表明する、新社会党の反主流「左派」。直近の地方選挙で今なお社民党に投票している「革命的共産主義者」。みなみな、(無意識に)自分の旗の下で闘うことから逃げている!
近隣諸国(中国、朝鮮など)との間に、具体的な問題が起こったとき、政府に加担するか、屈服してしまうような日本の「左派」、「運動」とは一体なんなのか。
町内会館と同様に、民団・総連・華僑総会などの少数民族の会館も固定資産税の減免を受けて当然だ
今の日本のこれほどまでひどい現状には、[体制側からの改憲攻撃だけでなく]日本左翼の底知れぬ堕落と腐敗も大いに関係していると思っています。
自分の臆病さを「大衆」に投影し二言目には「大衆が…、大衆が…」と言う半端「左翼」活動家を唾棄せよ。近隣諸国との間に緊迫した「問題」が具体的に起こったとき、無条件の反戦を叫ばずにいて、いつ反戦運動ができるというのか。
他人の「絶対値」云々を公言できるほど夜郎自大な人間にはなりたくないものだ。
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佐高信さん、安川氏に反論不能だからといって肩書の名誉教授に八つ当たり。「名誉教授は不名誉教授」
http://ameblo.jp/sataka/entry-10719280693.html
人民戦線的に「9条を守ろう」とする「護憲運動」は、政治的緊張感の無さによって、(実質)解釈改憲派につけこまれる。社民党も、今や明白な解釈改憲派だ。
魯迅の言を思い出す(日本低国民の事で引き合いに出すのは、中国人に失礼だが)。「およそ愚劣な国民は体格がいかに健全であっても、いかに屈強であっても、全く無意義の見世物の材料になるか、あるいはその観客になるだけのことである。」(「吶喊」原序)
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