【日本の職人技】
日本の花火
━━━その歴史
- 日本の花火は世界一精巧で美しいと言われています。それは沢山の花火師たちが精魂を込めて、伝えてきた伝統技術があるからです。外国から伝わった花火の火術に、日本人が鮮やかな色を付け丸く開くようにしました。花火の起源はいろいろと伝えられていますが、阿波花火の場合は軍用火術であったと伝えられています。
- 日本に火薬が伝わったのは1543年、ポルトガル人が漂着した時に持っていた鉄砲の部品であったと伝えられています。その後、火薬は狼煙や火砲に使われますが、1613年に現在のような観賞用の花火を最初に見たのが駿府城の徳川家康だと伝えられています。
- また、最近になって徳川家康より24年前(1589年)に伊達正宗が花火を楽しんだという記録もあるそうです。そして世の中で鑑賞用の花火となって、多くの花火職人の手により現在の花火へと変化してきました。
━━━その形
- 日本の丸く開く花火(割物)の代表的な花火は、菊(きく)と牡丹(ぼたん)に分類できます。菊に使われる星を「菊星(きくぼし)」と言い、牡丹に使われる星を「牡丹星(ぼたんぼし)」と言います。菊はやや遅れて色が出て、牡丹は開いた直後から色が出ます。
- ■菊は花火の伝統技術を集めた花火で、星が丸く放射状に飛び散り尾を引きながら、菊花を描き出します。花びらの先の色が変わる場合は、変化菊といわれます。
- ■牡丹は菊と同様に丸く開きますが、尾を引かず、特定の色を出して花を咲かせます。迫力の点では菊には及びませんが、繊細な美しさがあり、菊より光が鮮やかに出ます。
- ■八重芯(やえしん)丸く開いた花火の中に二重の芯がある三重の花火です。三重芯(みえしん)は芯が三重ある四重の花火で、四重芯(よえしん)は五重になります。
- 世界でもこれだけ精巧な花火はなく、日本の花火師の最高の技術が活かされた花火です。当然のことながら芯が多いほど高い技術を要求されます。日本の花火の最高技能は7号(直径20.5)以上の八重芯物が打ち上げられた時にこそ鑑賞できるといえます。
- 現代の花火師たちは伝統の技術を受け継ぎつつ、打ち上げ方法の近代化やコンピュータシミュレーションを使った演出など新しい技術を取り入れながら、よりいっそう研究を行っています。
- 日本花火は海外でも人気が高く、世界の"日本花火"としてこれからも日本人だけでなく、世界中の人々に愛され続けることでしょう。
━━━その技
- 花火は、全ての星(火薬の球)が一斉に色を変え、一斉に燃え尽きるのが理想的で花火の印象を引き締めます。 星が途中で色を変えるのは、日本の花火特有の技術で、それぞれ燃えたときに違った色を出す混合剤が幾層かの同心球になっています。花火が開いたときに、星は外側から燃えて飛び散り、火薬の層の変わり目まで燃えると次の色の層に移り色が変わります。中心にある色ほど、花火の外側の色になります。
- しかも花火が開いて一斉に色が変わり、揃って消えるためには星の大きさや品質が一定でなければなりません。星の製造方法にはいくつかありますが、手間と時間のかかる掛け星は日本ならではの工夫と仕事といえるでしょう。外国の花火に多く使われる星は、一種の色の火薬のみを機械型で固めて作ります。量産が簡単で品質も安定していますが単色の星しかできません。
━━━その分類
- 日本の花火はその構造から割物(わりもの)とポカ物、そしてその中間にあたる小割物(こわりもの)の三つに分類されます。それぞれの違いは玉の割れ方と中身の飛ばし方にあります。
- 割物は玉皮は粉々になり、星を均等に遠くまで飛散させます。ポカ物は玉皮の張り合わせた所から二つに割れ、中身を放出します。小割物はその中間です。
- 割物(わりもの)
- 球形の玉の内側に星を並べ、中央に割火薬を収め、玉の外側を丈夫な紙で幾重にも張り固めて作るのが「割物」です。大きく丸く開く花火を生み出します。
- 小割物(こわりもの)
- 八方に小さな玉を放出して多数の小花を一斉に開かせるものを小割物と呼びます。割火薬は割物とポカ物の中間です。
- ポカ物
- 球体の玉皮がポカッと二つに割れて、星や細工を放出します。割薬も少なく、花火の拡がりも狭くなりますが、内包するものによって色々な機能の花火ができます。
- 運動会などでドンドンと音を出すものが代表例です。
間断紙(はさみがみ)
星と割火薬が直接接しないように遮断します。古来より和紙が最良として使用され、現在でも出来上がりにこだわる花火師は和紙や雁皮紙(がんぴし)を超える紙はないと支持されています。
文: 大塚光明