2008年08月21日(木)

人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し  3年木下悠貴

テーマ:ブログ

kinosita

左が木の下。 右:かわかまい(3年)


こんにちわ。日本で先輩を褒める事に生き甲斐を感じている人といったら、僕か、ローサかと言うのはいいすぎでしょうか。

埼玉県の遥か遠くから毎日はるばる東京を乗り越え、毎朝東浦和始発5時5分の電車に揺られ、乗り換え4回、1時間45分という、往復を含むともしかしたら一日の半分は電車に乗ってるのではないかと錯覚に陥る毎日でございます。副都心線に東浦和の名前がなかった時はもう、神様はなぜこうも東浦和住民をいじめるのかと毎日枕を涙で濡らしたものです。

それに最近埼玉県民の権力が薄れてきたことに悲しみを覚えています。あの偉大な宮本さん、川北さん、池田さんと県民としての権力を欲しいままにしていた先輩方も今では、誰も僕の味方をしてくれません。志木高仲間の高見盛、村端も今では完璧川崎住民ぶってます。

彼らにはもう志木高としてのプライドはないのでしょうか。

しかしながら最近になって樫村さん、松崎さんというとても心強い味方が県民になってくれたことは、九死に一生を得た思いです。

どうもみなさんこんにちは。

木下悠貴です。

名前だけでも覚えて帰ってくださいね。

身長180㎝、体重74㌔志木高出身。

この身長、この体重にもってくるのには長い年月がかかりました。

小さい頃から丈夫に育てと言われてきた僕は、少しは親孝行できたと思います。

実は僕小学校中学校と、常に整列の時は前習えで、腰に手をあてる人の後ろの後ろの後ろくらいでした。

今思えば、ついカルシウムという言葉に異常に反応してしまうのはあの頃の名残でしょうか。

大学入学当初、身長は変わっていないものの、体重は57㌔と今思えば爪楊枝っていえば僕かアンガールズかってくらい細かったんです。最近になって読んでいる雑誌が着れない服ばっかって気づいたときはちょっぴり嬉しかったもんです。

そんな僕をこんなにも大きな人間に育ててくれたのは、もちろん両親の愛情、宮本さん、ひげとら、さんチャンあっての事ですが、僕が体を大きくしてやると心に決めた、決め手となった事件はやはり異国の地アメリカでの出来事ではないでしょうか。

あれはそう忘れもしない2006年冬、高校3年生。志木高みたいな附属高は、春休みが長いので、ミーハーな僕は、「よーし、ここはアメリカでいっちょ大きくなってやるぜ!!」

と意気込み、アメリカコロラド州の高校に体験入学みたいな形で、短期留学した時のことです。そう亜米利加です。その高校に古くからのアメリカ人の友達もいたのですごい安心して、自己紹介に及んだときでした。。。。。

ジャップ「こんにちは。日本からきたジャップです。みんな仲良くしてね!!」

決まった。これで俺もインターナショナルや!と思った次の瞬間でした。

アメリカガール「きゃはは、なにその体、子供みたい~」

サノバビッチ!!!!!!!!!!!!!!!

ここにねこの写真があったがのせられんかった。きのしたどんまい

凸!!!!!!

ジャップの心のポエム(お前だってとんかつみたいな体しやがってちきしょう!!!!)

しかし心のやさしいジャップは何も言えず、それ以来体を大きくしようと、

ジョイフィット東浦和店の加圧式トレーニングレギュラー会員を申し込みましたとさ。チャンチャン。

とこんな僕ですが、どうぞみなさんよろしくお願いします!!!!

次は次の走者はぼくが尊敬してやまない偉大な先輩桑名さんです。公私共にブイブイいわ
せておられる素敵な方です!!!!

では、桑名さんよろしくお願いします!!!




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コメント

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1 ■さすが

やっぱ木下さんはおもしろいっすね!!

2 ■無題

死ねや糞ガキ

3 ■お前の先祖は済州島から来たんだろう

出てけよ白丁。寄生してんなよ。

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