ブックリスト登録機能を使うには ログインユーザー登録が必要です。
僕と彼女の妙な関係
作者:久保田
彼女を一言で表すなら天才。
それ以上の言葉を僕の少ない語彙からは選び出せない。 若干十六歳にして次に日本人からノーベル賞受賞者が出るなら、彼女だろうともっぱらの噂だ。
数々の特許ですでに億万長者。 それ一枚で戦車も買えるブラックのクレジットカードが財布から出てきた時は腰を抜かすかと思った。
彼女の頭脳を守るために二十四時間体制でSPが守っている。 むしろ、今もちらちらと、黒いスーツが筋肉ではちきれそうな方々が視界に入って来る。 夜道で遭遇したら多分、子供は泣くと思う。
そんな強面が彼女の視界には絶対に入らないくせに、僕の視界には入って来るのは、何の嫌がらせなんだ。

「どこを見ている」

正面に座る彼女から視線をずらしていたのが、お気に召さなかったのか。
少し、多分、きっと。 声のトーンが下がった。
「何でもないよ」と答えて、彼女に視線を移したものの、僕は身体は反射的にびくりと震えた。 筋肉ムキムキのSPの方々は非常に怖い。 けど僕にとっては彼女の方が万倍も怖い。

細い首に形のいい卵型の頭。 そこに誰もが美しいと思うようなパーツを乗せて行けば彼女が出来上がる。 真っ黒なおかっぱなロングヘアーは鴉の濡れ羽色とかそういう感じで、触ってみたいと思わない人はいないんじゃないだろうか?
スタイルだって抜群だ。 すらっと柳腰。 そのくせ僕の通う高校の野暮ったいセーラー服の上からでもわかる、日本人の平均を超える……その、あれ。 うん、おっぱい。
天は二物を与えるどころの騒ぎじゃなくて兎に角、与えられる物を全て与えてみましたという勢いの美人さんだ。 目つきが少し……かなり悪いのはご愛嬌の範囲だと思うのは僕の贔屓目が入っているのだろうか。
そんな完璧超人としか言いようが無い彼女と、進学校とも言えないけど、それほどランクが低い訳でもない、極々平凡な高校に一緒に通っているというのは奇跡ではないだろうか。
そして、奇跡がもう一つ。

「ふむ、君は私の胸に興味があるらしいな。 確かに私達は恋人として付き合っている訳だが、私とて羞恥心という物はあるのだよ。 それにそこまでじろじろと胸を見るのは多少、礼を逸してはいないか」

風の無い湖面のような無表情で彼女は言った。
そう、何の因果か平凡を絵に描いたような僕と、天才を絵にしたような彼女は、恋人としてお付き合いをしているのだった。

彼女と初めて出会ったのは、高校の入学式だった。
出会った、というのは正しくはない。 彼女を一方的に見ただけ、というのが正確な所だ。
目を奪われる、という言葉があるけど、それを実感したのは彼女と出会ってから。 入学式の間はずっと彼女から目が離せなかった。
何というか彼女は圧倒的だ。 同じクラスで並んでいた場所が近いとか、そういう問題ではなくて、一キロ先でもわかるくらい彼女は存在感の塊のような女性で、情けない話だけど、今も現在進行形で圧倒されている。
そして、その圧力は僕だけではなく、先生方にも影響しているようだ。
授業中、彼女の机の上にあるのはデスクトップのパソコン。 ノートを出すとかノート型のパソコンではなくて、威風堂々とデスクトップが鎮座している。
僕達のクラスの授業は先生の声と、彼女が打ち鳴らすカタカタというキーボードの音。 そんな彼女に先生は文句一つ言えない。

―――もし彼女の邪魔をして新しい発見を妨げる事があれば、科学の進歩が百年遅れると思え。

先生一人一人のご自宅に、丁寧に菓子折りを持った十人ほどのSPの方々が"ご挨拶"に伺ったらしい。

「満面の笑顔で言われたの……」

と、泣きそうな顔で僕に教えてくれたのは我らが担任である佐藤やよい先生。 今年、教師一年目で他の先生方から押し付けられたのだと専らの噂だ。
その噂を裏付けるように、佐藤先生はくりくりした瞳に涙を浮かべながら、いつも仕事を抱えている。 めげずに頑張って欲しい。
そんな先生方からしてみれば、厄介以外の何者でもない彼女ではあるけど僕達、生徒からしてみれば……これまた、なかなかタチが悪い。
初めに彼女の犠牲となったのは、イケメンで有名な三年の先輩だった。 美人さんの中の美人さん。 美人さんof美人さんと言っても過言ではない彼女を体育館裏に呼び出して、告白したらしい。
その告白の内容自体は噂では、はっきりしない。 だけど、彼女のリアクションだけは誰が噂を話したとしても変わらない。

「……………………………」

完全なる黙殺。 先輩の告白を聞くだけ聞いたら、そのまま無言のまま延々と睨まれたらしい。
先輩は泣きながら帰っていったそうな。
似たような話は大量にある。 お昼を一緒に食べようと誘ったクラスメイトを無言で睨み付け、泣かせた。 佐藤先生が話しかけたら、視線すら寄越さなかった(と、佐藤先生本人が僕に愚痴ってた)。
入学して三日。 彼女の悪名が学校中に轟くまでの時間。

「何を考えてるんだい?」

彼女の言葉に「何でもないよ」と応えながら、僕は現実に引き戻された。
日曜日の麗らかな昼下がり。 雰囲気のいい喫茶店。 向かいには彼女がいて、彼女の後ろの席にはSPの方々が四人掛けのテーブルに狭っくるしそうに座っている。
そのうち一人と目が合うとにかっと笑いかけられた。 正直、気持ち悪……いや、ボディービル選手権で優勝を狙える笑顔だ。
凡人の中の凡人たる僕が何故、彼女と付き合っているのだろう?
僕が彼女に告白して、彼女がそれに応えてくれた。
それだけの話ではあるけど、僕なんかが彼女に釣り合うとは全く思えない。 そんな風に自惚れられるほどお気楽でもない。

「ふむ……。 君は私に何か言わなければならない事があるんじゃないかな?」

そして、何より僕は最低の人間だ。










私の言葉に彼はびくりと身体を震わせた。
そうだろう。 やっと気付いたのかね? 私が髪を五ミリ切ったのを。
男子たるもの、女の僅かな変化に気付き、必ず誉めなければならない。 初めて聞いた時は何を馬鹿な事を、と思ったが恋人からの賛辞は学会で大喝采を浴びるよりも、私の脳髄を刺激する。
これから彼より送られる賛辞を想像するだけで、ポロッとアイディアの百や二百が生み出してしまえそうだ。

「うん、そうだね……。
君に話さなきゃいけない事がある」

ふむ、少し予想とは違う展開らしい。 だが、これも仕方のない事だ。
対人交渉という分野において、私のスキルは無に等しい。 今日はいい天気ですね、と言われても見てわかる事を、他者がわざわざ口に出すというのは、実は何らかの深い暗喩ではないのかと考えるのが私だ。
考え込み過ぎて、ぼんやりとしてしまう愚鈍な私に呆れるのか。 大多数の人間は返事も待たずに立ち去ってしまう事が多い。
その点、彼は私の言葉に耳を傾けてくれるし、彼の言葉は常に強い感銘を与えてくれる得難い人間だ。

彼と初めて出逢ったのは今から十年と三カ月と十六日前の14:47。
いや、出逢ったというのは間違いだ。 いつものように、某大学での研究を終えて車で送迎をしてもらっていた。 その帰り道の途中、公園で遊ぶ彼を一目見た瞬間、脳に私の人生最大級であろう衝撃が叩き込まれた。
時間にして一秒にも満たない、彼と私の視線が交差すらしていない中で、脳の処理能力を遥かに超えた衝撃により、私は気を失った。 そう、一目惚れという現象だ。
恐らく誰にでもある事であり、改めて他人に聞くのは恥ずかしいのだが、人間という物は恋をすれば圧倒的な情報量のために処理能力の限界を超え、コンピューターで言う所の処理落ちを起こす。 これは少女漫画というジャンルの文献でも類似した現象が確認出来た事からも明らかだ。
私の愚鈍な脳は他者よりも処理が遅かったらしく、一カ月も昏睡状態に陥ってしまったが誤差の範囲だろう。
目覚めた私は生まれて初めての経験をした。 彼を想う胸の高鳴りはユニークなアイディアを生み出すスパークに、持て余す感情は私の世界を秒単位で書き換えて行く。
LOVEのパワーは偉大だ。

しまった。 また考えこんでしまったではないか。
当時より身長や体重も成長した彼だが印象は大して変わっていない。
平均的な同年代の男子よりも、小柄で細身。 ふわっとした茶色がかかった髪(これを触るのが、今の私の目標だ)。
普段はぽやんとした表情を浮かべている彼が真剣な眼差しを私に送る。
これは私も真剣に聞かねばなるまい。

「何だい? 改めて私に愛の告白でもしてくれるのかな?」

お、これはなかなか上手く出来たジョークではないだろうか。 すでに恋人となった私達が改めて、愛の告白をしなければならないという迂遠さがいい。
……そう思ったのは私だけのようだ。 彼は苦虫を噛み潰したかのように渋い表情。
ウケなかった……。 落ち込む……。

「うん……。 いや、その前に謝らなくちゃならない事があるんだ」

彼が私に謝らなければならない事か。 ……そろそろ髪を切った事に気付いてもいいのではないだろうか。

「ふむ、話を聞こうか」

髪を切った事を今からでもいいから、褒めてはくれないだろうか? そう思いながら、私は答えた。

「僕が君に告白したのは、実は罰ゲームだったんだ!」

ふむ。



















「いや、それは知っている」

「えっ」

何をぽかんと口を開けているのだろうか?
むしろ、それが有ったからこそ、こうやって付き合う事が出来たのだ。 感謝こそすれ、非難する理由は無い。 理論的におかしな事はないはずだ。
罰ゲームを提案し、恋のキューピットとなってくれた彼の幼なじみには、キスの一つでもくれてやりたいくらいだ。 私の唇は彼の物だからしないがな!
私が彼への恋心を自覚して以来、二十四時間、私と同等の監視体制が敷かれている。 昨日の朝、何を食べたか。 女性への性的嗜好まで完璧に調査済みだ。
胸の大きな女が好きだと知って、私は人体に副作用が一切ない豊胸薬を開発した。 しかも、垂れない。
これで胸の大きな女が増えたら困るから流通はさせんがな。
十年もの間、そんな感じで満足してこれたが、彼と同じ学校に行くという事を思い付いてよかった。 まさにコペルニクス的大発見ではないか。 私史に残る空前絶後のアイディアだった。
彼を近くで見て、こうやって話す事も出来て、更に付き合う事も出来たのだから。
むしろ、そんな事よりも、まだ私が髪を切った事を褒めてくれないのか。 これは一体全体、どういう事だろう? まさか褒める価値もない。 そういう意思表示の現れか。





彼女は段々と不機嫌な顔になっていく。 普段より眉毛が二ミリ持ち上がっている。
そりゃやっぱり嫌な気分になるよな……。 罰ゲームとわかっていて、付き合ってくれていたという事は、彼女は僕をからかっていたのかもしれない。
でも、ちゃんと改めて僕は言うんだ。
「そ、その……!」と声が裏返ってしまう。 情けなさすぎる。

「……なんだね? どうせ私なんて……」

「これを受け取ってください!」

ポケットから取り出して、彼女の前に差し出したのは、小さな白いケース。

「……ふむ、中を見ても?」

彼女は太陽に当たった事もないんじゃないかと思ってしまうような真っ白で、すらっとした細い指で受け取ってくれた。

「うん、開けて欲しい」

彼女がケースを開けると中に、あまり飾り気の無いシルバーのペアリング。 僕の貯金を全て下ろして買ったペアリングだ。
物で僕がやった事を許してもらおうとは思わない。 だけど、少しでも誠意が伝わるように。
そして、僕の想いが伝わるように。

「これは……」

「僕は君が好きです。 付き合ってください」

嘘の無い関係を。 ここからリセットして新しい関係を君と始めたい。 その気持ちを、僕は彼女に伝えた。












現在の彼と私の関係を確認してみよう。
……うん、彼氏彼女の関係。 恋人、カップル、Lovers。 すでに付き合っている訳だ。 彼とてそれはわかっているはず。
つまり、付き合って欲しいという意味には何らかの隠された意味がある。 そのヒントは……指輪。
これはつまり、

「い、いいのかい? 私なんかで……」

「うん。 ……いや、君がいいんだ」

求婚という事か!?
まさか、恋人同士になっただけで望外の喜びだというのに彼から求婚してくれるとは!
計画では身体の関係に持ち込む事により、流行のできちゃった結婚を目指すはずが!
無論、私に否があるはずはない。 いや、待て。 一度、確認するべきだろう。 慌てるな、私は冷静だ。

「嘘じゃ……ないんだろうね?」

「今度は嘘じゃない」

今度? 私が気付いてないだけで、何か嘘をつかれたのだろうか。 まぁいい。 知らん。

「……し、幸せにしてくれよ?」

私は左手の薬指に指輪をはめた。





「精一杯、頑張るよ」

もっと気の効いた事を言えればよかったんだろうけど、これが僕の精一杯。
彼女の輝くような笑顔に、僕はやっぱり彼女が好きなんだと思い知らされる。





……ところでどうして彼女は左手の薬指に指輪をはめたんだろう?
評価
ポイントを選んで「評価する」ボタンを押してください。

▼この作品の書き方はどうでしたか?(文法・文章評価)
1pt 2pt 3pt 4pt 5pt
▼物語(ストーリー)はどうでしたか?満足しましたか?(ストーリー評価)
1pt 2pt 3pt 4pt 5pt
  ※評価するにはログインしてください。
ついったーで読了宣言!
ついったー
― 感想を書く ―
⇒感想一覧を見る
名前:
▼良い点
▼悪い点
▼一言

1項目の入力から送信できます。
感想を書く場合の注意事項を必ずお読みください。
+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。