お母さんからのメール
2011/08/19 (Fri)
助産院で出産したお母さんからのメールです。
琴子の母のブログについてお話したのですが。
彼女から以下のメールをいただきました。(長文で)
お話にあった「琴子の母」の内容を拝見した私の考えをお話しさせてください。
文面を読む限り、病院に勤務する医師・助産婦がメインで書かれている内容だとお見受けしました。
かなり酷い誹謗中傷であると感じました。
病院出産は胎児のために一生懸命につくす、助産婦は安全なお産だけを取り扱い、危険になったら病院に任せる発言他、一方的な見方をされているように感じます。
互いが理解し合えないのは互いの分娩方法が真逆で、それぞれの方法を知らないからではないしょうか。
産科医には男性が多く、男性は自身のことはわかっても、女性の内部については当事者ではないので体験できないのでわからないと同じように、助産院で出産した者と病院出産した者では、妊娠した始まりから考えが異なるため、わかりあえないのではないかと思います。
「どなたか医師になってから…」的発言をされている方もいらっしゃいましたが、上から目線で暴力的だなと感じました。
多くの助産婦は、産婦とともに隣で伴走します。
時に産んだ後も、おっぱいケアや新生児のケアの母子保健から更年期障害から老年期に至るまで関ります。
I助産婦やまた多くの開業されている助産婦の方々は、産科医の扱うお産に比べ数は少ないですが、経験上素晴らしい実績をお持ちだと思います。
開業助産婦たちの実績が解明されば、病院のお産よりはるかに、有意義なお産であることが証明されると思います。
「何かあったらどうする」発言が付き物ですが、助産院は「何かある」を前提に、そうならないように、産婦と産むその時まで連携を取ります。
女性の神秘を最大限引き出し、産んでいる過程でも産婦がリラックスできるように、コミュニケーションや体づくりを行います。
リラックスできることはとても大事なことで、出産中に産婦自身から脳内麻薬が出て、心地よいお産が出来ます。
しかし、そのお産になるためには「信頼」が大切です。
まず母体の産む力を信じること、子の生まれてこようとする力を信じること、新しい命を受け入れる家族を信じること、そしてともに伴走する助産師を信じること。
I助産婦はお産を人生と同じと例えました。私も同じだと思います。
お産を大学受験に例えるなら、どんな方法でもゴールにたどり着くことは出来ます。
進学塾に通い、私学1本で挑む方法、塾に通えず公立1本で挑む方法、大験で挑む方法など、それぞれで どの方法でも受験は可能です。
でも、受験に「NO」を突きつけられることだってある。赤ちゃんだって産まれるその先に恐怖を感じて、「NO」の答えを出すことだってあるんです。
命に100%安全の保証はありません。
だからこそ、いかに自分らしく納得のいくお産が出来るか、リラックスできるかということではないでしょうか。
それは短時間診療、ローテーション体制の病院、モニターや機械装着の中では助産院と同じように行きません。
でも、世の中にはこの部分が伝わらないために、助産院と病院の比較を安易にされている部分があるのではないでしょうか。
病院では「何かあったら、医療」でカバーするなり、責任転嫁(悪い医者なら)が出来ますよね。
私はI助産婦が命を張って私を守ってくれていると思えたからこそ、主人の転勤先の嘱託医に早産傾向だと言われながら、遠いI助産婦のもとに産みに帰れたのです。
ウイークリーマンションに1ヶ月滞在の間も、本当にお世話になりました。
そしてI助産婦の自身の出産体験で、U産科医の見守りを感じながら、安心されて赤ちゃんを自然に産んだ体験を聞き、信じることの強さを感じました。
私はあの体格で受け入れて下さったI助産婦に、なにより先生の手に安心感を覚え、私は我が子を信じて待てたのです。
病院なら自然に赤ちゃんを迎えることもカンガルーケアを思う存分することも、両家そろって笑い声をあげて赤ちゃんを包むこともできなかったことでしょう。
何せ、わが子が私の誕生日を選んで、遠くに住む実母の到着が間に合い生まれてくるなんて、誰が予測できたことでしょう。(母は定年退職の旅行中で家族で近県を訪れていました。)
途中休憩からの2時間半を入れても、初陣痛開始からたった4時間半のスピード出産。(助産院到着から3時間)
終止笑いながら、我が子の娩出過程を感じながら、発露では児の毛髪を触ることが出来ました。
それはまるで実母を待っていたかのようで、親子三代の同じ干支がそろって、頭を撫でることができたなんて、とっても幸せでした。
妊娠当初、体格・高齢を理由に断られ周産期医療を勧められましたが、89kg(妊娠前)から70kg(出産翌日)となり、まるでドラマを見ているような感動の出産体験ができました。
至れり尽くせりケアを受けることが出来たのも、I助産院であったからだと思います。
すべては助産院であったから出来たことで、初めに訪れた助産院やクリニックでは「NO」を出されました。
病院の分娩台で足を広げながら、検診から出産まで不安なく安心できたと話される方がどれほどいるでしょう。
ベルトコンベアーの様な機械的な病院の日常の中と、温かな家庭の中での出産がわかりあえるようになるには、宇宙に行くより難しいことかもしれませんね。
琴子の母さまや亡くした子の悲しみを受容できない方々の中には、そのまま悲しみだけを引きずり、自分自身の人生を怒りや悲しみを背負ったまま、過去に縛られる方が少なからずいらっしゃいますね。
この方たちが亡くされた子供たちの本当の気持ちを聞けるようになるまでには、多くの時間を要することでしょう。
彼女たちは伴走者となる助産婦とまたはわが子と、うまく「絆」を結ぶことが出来なかったことは、とても残念に思いますね。
私は多くの助産婦と出会う機会を頂きましたが、色々な方がいらっしゃいますし、これらすべての方が、産婦自身の心のケアを行き届かせることが出来るかどうかはわかりません。
数値重視な方もいらっしゃいますし、フィーリングのあう助産婦を探す難しさがあるのも現実です。
女性一人ひとりがこだわったお産が出来るためには、助産院の詳細をわからない女性が多くいます。
これは助産婦の大きな課題であるとも感じます。
これから出産をする女性たちに、お産の素晴らしさを伝え、自然に産める力が備わっていることを伝える必要性があることを強く訴えられていることとだと思うのです。
分娩台は医師が診察を行いやすいように作られたものですが、陣痛の際、体を拘束されることがどんなに苦しいことか、陣痛を体験したものでなければわかりません。
便の排出に臥位を取らないのも体の摂理によるものですが、産む姿勢が胎児の娩出時間の延長にもつながるのではないかと推測されます。
内診はその度にわが子は苦しいと1晩中、おなかの張りと強い胎動を感じておりました。
産婦は出産の知識に乏しく弱い弱者でありながら、医者の強気の発言やまたは産科不足による不安から、自然の摂理に逆行した不本意な検査・治療(会陰切開や胎児の娩出など)を、無理な納得をしてしまうことがあるのかもしれません。
肝心なのは、何らかの疑問を持った時、素人だからわからないからと臆することなく、理解しようと努力することが開かれる道の鍵かもしれませんね。
私は医療に携わっていたものの、出産には自然を選び、幸いにI助産婦と出会えたおかげで、素晴らしい時間と教訓を頂きました。
長々と読んでいただきありがとうございました。I助産婦から頂いた言葉の数々は私の心の支えです。
琴子の母のブログについてお話したのですが。
彼女から以下のメールをいただきました。(長文で)
****** ▼ 追記記事 ▼ ******
お話にあった「琴子の母」の内容を拝見した私の考えをお話しさせてください。
文面を読む限り、病院に勤務する医師・助産婦がメインで書かれている内容だとお見受けしました。
かなり酷い誹謗中傷であると感じました。
病院出産は胎児のために一生懸命につくす、助産婦は安全なお産だけを取り扱い、危険になったら病院に任せる発言他、一方的な見方をされているように感じます。
互いが理解し合えないのは互いの分娩方法が真逆で、それぞれの方法を知らないからではないしょうか。
産科医には男性が多く、男性は自身のことはわかっても、女性の内部については当事者ではないので体験できないのでわからないと同じように、助産院で出産した者と病院出産した者では、妊娠した始まりから考えが異なるため、わかりあえないのではないかと思います。
「どなたか医師になってから…」的発言をされている方もいらっしゃいましたが、上から目線で暴力的だなと感じました。
多くの助産婦は、産婦とともに隣で伴走します。
時に産んだ後も、おっぱいケアや新生児のケアの母子保健から更年期障害から老年期に至るまで関ります。
I助産婦やまた多くの開業されている助産婦の方々は、産科医の扱うお産に比べ数は少ないですが、経験上素晴らしい実績をお持ちだと思います。
開業助産婦たちの実績が解明されば、病院のお産よりはるかに、有意義なお産であることが証明されると思います。
「何かあったらどうする」発言が付き物ですが、助産院は「何かある」を前提に、そうならないように、産婦と産むその時まで連携を取ります。
女性の神秘を最大限引き出し、産んでいる過程でも産婦がリラックスできるように、コミュニケーションや体づくりを行います。
リラックスできることはとても大事なことで、出産中に産婦自身から脳内麻薬が出て、心地よいお産が出来ます。
しかし、そのお産になるためには「信頼」が大切です。
まず母体の産む力を信じること、子の生まれてこようとする力を信じること、新しい命を受け入れる家族を信じること、そしてともに伴走する助産師を信じること。
I助産婦はお産を人生と同じと例えました。私も同じだと思います。
お産を大学受験に例えるなら、どんな方法でもゴールにたどり着くことは出来ます。
進学塾に通い、私学1本で挑む方法、塾に通えず公立1本で挑む方法、大験で挑む方法など、それぞれで どの方法でも受験は可能です。
でも、受験に「NO」を突きつけられることだってある。赤ちゃんだって産まれるその先に恐怖を感じて、「NO」の答えを出すことだってあるんです。
命に100%安全の保証はありません。
だからこそ、いかに自分らしく納得のいくお産が出来るか、リラックスできるかということではないでしょうか。
それは短時間診療、ローテーション体制の病院、モニターや機械装着の中では助産院と同じように行きません。
でも、世の中にはこの部分が伝わらないために、助産院と病院の比較を安易にされている部分があるのではないでしょうか。
病院では「何かあったら、医療」でカバーするなり、責任転嫁(悪い医者なら)が出来ますよね。
私はI助産婦が命を張って私を守ってくれていると思えたからこそ、主人の転勤先の嘱託医に早産傾向だと言われながら、遠いI助産婦のもとに産みに帰れたのです。
ウイークリーマンションに1ヶ月滞在の間も、本当にお世話になりました。
そしてI助産婦の自身の出産体験で、U産科医の見守りを感じながら、安心されて赤ちゃんを自然に産んだ体験を聞き、信じることの強さを感じました。
私はあの体格で受け入れて下さったI助産婦に、なにより先生の手に安心感を覚え、私は我が子を信じて待てたのです。
病院なら自然に赤ちゃんを迎えることもカンガルーケアを思う存分することも、両家そろって笑い声をあげて赤ちゃんを包むこともできなかったことでしょう。
何せ、わが子が私の誕生日を選んで、遠くに住む実母の到着が間に合い生まれてくるなんて、誰が予測できたことでしょう。(母は定年退職の旅行中で家族で近県を訪れていました。)
途中休憩からの2時間半を入れても、初陣痛開始からたった4時間半のスピード出産。(助産院到着から3時間)
終止笑いながら、我が子の娩出過程を感じながら、発露では児の毛髪を触ることが出来ました。
それはまるで実母を待っていたかのようで、親子三代の同じ干支がそろって、頭を撫でることができたなんて、とっても幸せでした。
妊娠当初、体格・高齢を理由に断られ周産期医療を勧められましたが、89kg(妊娠前)から70kg(出産翌日)となり、まるでドラマを見ているような感動の出産体験ができました。
至れり尽くせりケアを受けることが出来たのも、I助産院であったからだと思います。
すべては助産院であったから出来たことで、初めに訪れた助産院やクリニックでは「NO」を出されました。
病院の分娩台で足を広げながら、検診から出産まで不安なく安心できたと話される方がどれほどいるでしょう。
ベルトコンベアーの様な機械的な病院の日常の中と、温かな家庭の中での出産がわかりあえるようになるには、宇宙に行くより難しいことかもしれませんね。
琴子の母さまや亡くした子の悲しみを受容できない方々の中には、そのまま悲しみだけを引きずり、自分自身の人生を怒りや悲しみを背負ったまま、過去に縛られる方が少なからずいらっしゃいますね。
この方たちが亡くされた子供たちの本当の気持ちを聞けるようになるまでには、多くの時間を要することでしょう。
彼女たちは伴走者となる助産婦とまたはわが子と、うまく「絆」を結ぶことが出来なかったことは、とても残念に思いますね。
私は多くの助産婦と出会う機会を頂きましたが、色々な方がいらっしゃいますし、これらすべての方が、産婦自身の心のケアを行き届かせることが出来るかどうかはわかりません。
数値重視な方もいらっしゃいますし、フィーリングのあう助産婦を探す難しさがあるのも現実です。
女性一人ひとりがこだわったお産が出来るためには、助産院の詳細をわからない女性が多くいます。
これは助産婦の大きな課題であるとも感じます。
これから出産をする女性たちに、お産の素晴らしさを伝え、自然に産める力が備わっていることを伝える必要性があることを強く訴えられていることとだと思うのです。
分娩台は医師が診察を行いやすいように作られたものですが、陣痛の際、体を拘束されることがどんなに苦しいことか、陣痛を体験したものでなければわかりません。
便の排出に臥位を取らないのも体の摂理によるものですが、産む姿勢が胎児の娩出時間の延長にもつながるのではないかと推測されます。
内診はその度にわが子は苦しいと1晩中、おなかの張りと強い胎動を感じておりました。
産婦は出産の知識に乏しく弱い弱者でありながら、医者の強気の発言やまたは産科不足による不安から、自然の摂理に逆行した不本意な検査・治療(会陰切開や胎児の娩出など)を、無理な納得をしてしまうことがあるのかもしれません。
肝心なのは、何らかの疑問を持った時、素人だからわからないからと臆することなく、理解しようと努力することが開かれる道の鍵かもしれませんね。
私は医療に携わっていたものの、出産には自然を選び、幸いにI助産婦と出会えたおかげで、素晴らしい時間と教訓を頂きました。
長々と読んでいただきありがとうございました。I助産婦から頂いた言葉の数々は私の心の支えです。
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