検証・大震災

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検証・大震災:砕かれた巨大防潮堤(6)伝承 8歳の体験、紙芝居で子供らに

 昭和の大津波以来、78年間ずっと手元に置いてきたリュックサックを手に取り、高台へ逃げた。8歳での体験を基にした自作の紙芝居で、小中学生に津波の恐怖と避難の大切さを伝え続けてきた田畑ヨシさん(86)。今は青森市の長男宅に避難している。「紙芝居の教訓は生かされただろうか」

 8人暮らしだった幼いころの田畑さん。明治の大津波を体験した祖父からいつも「地震があったら1人で山に逃げろ」と聞かされ、「また津波の話か。何度も聞きたくないな」と思ってきた。その言い聞かせ通り、昭和の大津波では家族と離ればなれになりながら1人で逃げた。

自作の紙芝居を子供たちに読み聞かせる田畑ヨシさん=宮古市提供
自作の紙芝居を子供たちに読み聞かせる田畑ヨシさん=宮古市提供

 多くの人々が細道に押し寄せ、倒れながら山に向かったが、登り口には大きな板塀があった。小さなくぐり戸の場所を知らなかった人は、ここで波にのまれたという。さらに進むと、畑の高い垣根が立ちはだかり、越えられない。「波にさらわれるのかな」とおびえながら、なんとかくぐり抜けて助かった。家族はそれぞれ避難していたが、母は両足の大けががもとで3日後に死亡。自宅の再建など重労働が重なった兄も、4年後に22歳で亡くなった。「もう田老にはいたくない」と思ったが、祖父から「墓を守ってほしい」と言われて従った。

 戦後すぐ、漁師だった夫と結婚。1男2女をもうける。地震のたびにリュックサックを背負って飛び出す田畑さんを見て、子供たちは「またお母さんの津波恐怖症が始まった」と言いながら後を追った。3人の子供は独立して田老を離れたが、79年には、高校教師として田老に赴任することになった夫とともに長女一家が戻ってきた。「孫に経験を伝えたい」。自分で絵を描き、文を付けた10枚の紙芝居を読み聞かせることにした。

 「山からおりてみると、みんな家はなく、海だけがたかく青くすんで、ざんがいといやなにおいがしていました。お寺の前には、なんにんもけがをした人たちがうめき、流れた人がそのままこごえて死んでいました」「心のなかでよっちゃんは『海のバカヤロー』となんかいも、なんかいもさけびました」

 評判を聞き付けた県内の小中学校や消防団から、読み聞かせをしてほしいと依頼が来るようになった。今でも年に数回は子供たちの前に立つ。最後に出してもらう感想文に「地震があったら高台に逃げます」と書かれていると安心する。読み聞かせを始めて30年になった。

 今回の津波で田畑さんは、貯金通帳や登記簿を入れてあったリュックサックを肩に掛け、近くの高台に住む妹宅を目指した。妹が心配してむかえに来てくれた。78年前は真っ暗闇で見えなかった津波を、妹の家から初めて目にした。

 1人暮らしの自宅は流された。離れて住む3人の子供に世話になることもできるが、「何ぼ津波が来ても、我が土地」という思いがある。同じ1人暮らしの妹の家で一緒に暮らせればと考えている。壊れた自宅から見つけた愛用のズボンを刻んで縫い合わせ敷物にするつもりだ。あの日を忘れないために。

2011年5月15日

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