ダイヤモンド社のビジネス情報サイト
カラダ講座
「引きこもり」するオトナたち
【第80回】 2011年9月8日
著者・コラム紹介バックナンバー
池上正樹 [ジャーナリスト]

ともに生き残るか、それとも一緒に死ぬか――
大津波の犠牲になった引きこもり母子「究極の選択」

previous page
4
nextpage

 次男は元々、頭が良くて、中学の頃から不登校経験がありながら、高校を首席で卒業。地元の公立大学に学校推薦までされたのに、面接で落とされた。高校も寮の関係者も「なぜ落ちたんだろう」と首を傾げた。

 (疑いをかけられたことを)警察に言うべきかどうか悩んだ。しかし、大学推薦の際、印象が良くないのではないかと思い、当時は何も言わなかったという。

 翌年、母親は次男を予備校に入れた。しかし、事件の後遺症のため、予備校に1日も出席できないまま、母親が引き取った。

 家からうるさい音が聞こえると、近所迷惑だからと、周りに気を使う。だから、仁也さんは、部屋の窓を開けなかった。

なぜ津波襲来を知りながら外に出なかったのか
大津波より恐れていた“他人の目”

――弟さんは、なぜ津波が来ているのに 家から出て来なかったと思いますか?

 「私は単に、いつも通り、外に出たくないんだろうなと思っていたんです。ただ、弟が親戚の夢に出てきて、“本当はあのとき、逃げたかったんだけど、外にはいろんな人がいると思うと、どうしても怖くて逃げられなかった”って、言っていたといいます。弟は対人恐怖症によって引きこもっていたので、他人の前には出られない。津波が来たとき、周りに誰もいない状況であれば、逃げられたと思うんです」

 長男によると、仁也さんは、たまたま津波よりも人間のほうが怖かったのではないかという。仁也さんが逃げなかったのは、自らの意志だったのではないかと。

 そして、こう続ける。

 「もし、弟と母親のどちらかが生き残ったら、生きていけなかったのではないかと思うんです。弟と母親に関しては、両方生き残るか、両方死ぬかの選択肢しかなかった。私がいまこうして生きているのは、母に“生きろ”と言われたからです」

 仁也さんの生活は、規則正しかった。朝食は取らず、昼食を多めに摂る。夕食は少なめに自制。入浴も夜10時からと、決まっていた。

 「きちんとしていて、怠けていたわけではない。それなのに、社会に出られなかったんです」

 引きこもりは、全体を総称した現象だ。引きこもるきっかけも状態も、社会に脱出する出口も、人によってそれぞれ違う。

previous page
4
nextpage
カラダ講座
ダイヤモンド・オンライン 関連記事

DOLSpecial

underline
昨日のランキング
直近1時間のランキング

話題の記事
Information

池上正樹 [ジャーナリスト]

1962年生まれ。大学卒業後、通信社の勤務を経て、フリーに。新聞、月刊誌、週刊誌で、「心の問題」「住環境」などの社会問題をテーマに執筆。1997年から「ひきこもり」を巡る取材を始める。著書は、『ドキュメント ひきこもり~「長期化」と「高年齢化」の実態~』(宝島社新書)、『「引きこもり」生還記』(小学館文庫)など。2011年6月には最新刊『ふたたび、ここから~東日本大震災、石巻の人たちの50日間~』(ポプラ社)を上梓。


「引きこもり」するオトナたち

「会社に行けない」「働けない」――家に引きこもる大人たちが増加し続けている。彼らはなぜ「引きこもり」するようになってしまったのか。理由とそうさせた社会的背景、そして苦悩を追う。

「「引きこもり」するオトナたち」

⇒バックナンバー一覧