次男は元々、頭が良くて、中学の頃から不登校経験がありながら、高校を首席で卒業。地元の公立大学に学校推薦までされたのに、面接で落とされた。高校も寮の関係者も「なぜ落ちたんだろう」と首を傾げた。
(疑いをかけられたことを)警察に言うべきかどうか悩んだ。しかし、大学推薦の際、印象が良くないのではないかと思い、当時は何も言わなかったという。
翌年、母親は次男を予備校に入れた。しかし、事件の後遺症のため、予備校に1日も出席できないまま、母親が引き取った。
家からうるさい音が聞こえると、近所迷惑だからと、周りに気を使う。だから、仁也さんは、部屋の窓を開けなかった。
なぜ津波襲来を知りながら外に出なかったのか
大津波より恐れていた“他人の目”
――弟さんは、なぜ津波が来ているのに 家から出て来なかったと思いますか?
「私は単に、いつも通り、外に出たくないんだろうなと思っていたんです。ただ、弟が親戚の夢に出てきて、“本当はあのとき、逃げたかったんだけど、外にはいろんな人がいると思うと、どうしても怖くて逃げられなかった”って、言っていたといいます。弟は対人恐怖症によって引きこもっていたので、他人の前には出られない。津波が来たとき、周りに誰もいない状況であれば、逃げられたと思うんです」
長男によると、仁也さんは、たまたま津波よりも人間のほうが怖かったのではないかという。仁也さんが逃げなかったのは、自らの意志だったのではないかと。
そして、こう続ける。
「もし、弟と母親のどちらかが生き残ったら、生きていけなかったのではないかと思うんです。弟と母親に関しては、両方生き残るか、両方死ぬかの選択肢しかなかった。私がいまこうして生きているのは、母に“生きろ”と言われたからです」
仁也さんの生活は、規則正しかった。朝食は取らず、昼食を多めに摂る。夕食は少なめに自制。入浴も夜10時からと、決まっていた。
「きちんとしていて、怠けていたわけではない。それなのに、社会に出られなかったんです」
引きこもりは、全体を総称した現象だ。引きこもるきっかけも状態も、社会に脱出する出口も、人によってそれぞれ違う。