次男(29歳)も2階から降りてきたので、母親が「津波が来るから逃げよう」と声をかけた。しかし、次男は何かを言って、再び2階に上がっていった。
長男は、いつでも逃げられるよう、車のエンジンをかけて待つことにした。しかし、母親が家からなかなか出て来ない。
津波は、予想した以上に大きかった。自宅は、海岸から2キロほど内陸部にある。しかし、長男が見たときには「拡大コピーしたような」大波が、家々を飲み込みながら、すぐそこまで迫っていた。
「津波だ!逃げろ!」
長男が、そう叫ぶと、母親だけ家から飛び出て、長男めがけて駆け寄ってきた。
「津波が来たら、もう車では逃げられないと思っていたんです。母親はそれまで、家の中にいました。でも、(逃げようとしない次男を)説得していたのかどうかは、私にはわかりません」
飼っていた柴犬の手綱を引っ張り、10mくらい走って、ちょっとした高台に駆け上った。高台に向かう途中、犬は高台とは別の方向に逃げて行った。
振り返ると、波は左右から土煙を舞いながら押し寄せていた。高台から母親に手を差し出して、足を取って引き上げた瞬間、波が母親のすぐ足元を通り過ぎて行った。
その高台に古い家があったので、長男は母親と一緒に窓を開けて、家の中に飛び込んだ。すでに家の住人は逃げた後だった。
しかし、水位がどんどん高くなって、身体が水に浮かんでいく。長男が屋根裏に頭突きすると、木が割れて、屋根の上に首を突っ込んだ。後を追うように母親も頭突きして、屋根に上がることができた。
2人は、ひと息ついて、屋根の上で話をした。長男の目の前で、次男のいる家は、波に飲まれて崩れていった。
「じゃあ、仁也は死んだね」
「竜馬(飼い犬)も死んだね」
そんな話をしながら、2人は家ごと沖のほうへと流されていった。