盛岡タイムス Web News 2011年 5月 25日 (水)
■ 〈東日本大震災〉Jポップバンドが歌う「海嘯鎮魂」 田老の語り部の詩に曲
田畑ヨシさん(写真奥左)の「海嘯鎮魂の詩」に曲を付けて歌った
磯部俊行さん(同右)らサスライメイカーの3人
津波の語り部で知られる宮古市田老の田畑ヨシさん(86)が作った「海嘯(つなみ)鎮魂の詩」に、Jポップ・バンド「サスライメイカー」が曲を付けて歌にした。21、22日に雫石町と田老でその歌が披露された。1933年の昭和8年三陸大津波と3月11日の東日本大震災津波。二度の大津波を経験したヨシさんの海と犠牲者への思いが歌い継がれることになった。
「突然襲う大つなみ/永久(とこしえ)忘れんあの怖さ/家と流され諸人(もろびと)は/海の藻屑と消えゆきて/無念の涙ほほつたい/今、静かなる碧き海/悲しき海よ、ふるさとの海」。鎮魂の詩は全3番。ヨシさんが三陸大津波から75年目に、犠牲者の供養のために作った。
サスライメイカーはボーカルの磯部俊行さん、ギターみつをさん、ベースたがみさんの3人組。ヨシさんの娘で滝沢村在住の高橋美恵子さんの息子、匠さんがプロデュースした映画の主題歌を歌った。これが縁で昨年雫石町と宮古市でコンサートが開かれ、ヨシさんと出会った。
その後震災が発生。3人は被災地の支援のため義援金や支援物資を集め、まだ交通状況の不便な中でいち早く本県入り。義援金を集め続けている。
高橋さんは「3人の若者の思いを届けるだけではもったいない」と考えた。3人にヨシさんの鎮魂の詩に曲を付けて歌ってほしいとリクエスト。いとこで雫石町の上野初子さんや昨年のコンサートの協力者と実行委員会を組織。雫石と田老でチャリティーライブ開催に向け取り組んだ。
21日夜、雫石町の野菊ホールのライブには町内外から約200人が集まった。昨年のコンサートの縁で、被災した宮古市からもファンが駆けつけた。
第1部はヨシさんが津波の怖さを孫たちに伝えようと79年(昭和54年)に自らの経験を基にした紙芝居を公演した。第2部でサスライメイカーのライブが行われた。この中で鎮魂の詩が初めて演奏された。アンコールでは会場全員で「ふるさと」を歌った。
磯部さんは「自分はヨシばあちゃんより長生きする。この詩を受け継いでいこうと決心した。忘れちゃいけないということを忘れちゃいけないと思う。それを音楽を通じて届けることができる。届けないといけない」と会場と約束した。同日募った寄付金は被災地での耕耘機購入費用に充てるという。
ヨシさんは「詩は自分の心の中で歌ってきた。やっぱり本職が歌うと違うものだ。もっとみんなに聞いてもらえたら」と話した。詩には同時に母なる海、恵みの海も描いており「夫も海で生活してきた。恵みがあり、たまに牙をむくもの」と思いを語った。
鎮魂の詩は22日に田老の2カ所の屋外チャリティーライブでも披露された。
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