地区では1896年の三陸津波でも1859人(不明者含む)が犠牲になった。昭和三陸地震の大津波も経験し、世界に類を見ない防潮堤を築造した。高さは海側と陸側それぞれ10メートル、合計の総延長は2.4キロに及ぶ。
しかし今回、海側の防潮堤は崩壊。60年のチリ地震津波の被害を最小限に食い止めた陸地側の防潮堤(高さ10メートル)も、乗り越えられてしまった。
「津波は二重の防潮堤をあっさり越えた。考えられない」。宮古市田老総合事務所の上屋敷正明所長が言う。過去の教訓から田老地区は防災意識が高く、2003年には「津波防災の町」を宣言。避難訓練も定期的に実施してきた。
「できる限りの対策を講じてきたが、自然の前で人間は無力だった。今はもう、どうしたらいいか分からない」。上屋敷所長のうつろな表情が、衝撃の大きさを物語る。 』
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同じ日の朝刊にもう1つ、地元の人の思いを通しての記事を、別の記者が書いていました。
『 東日本大震災/悪夢再来に無力感/昭和三陸津波体験、紙芝居で伝え30年宮古・田老
宮古市田老地区を中心に30年間、自作の紙芝居で小中学生への津波防災啓発活動を続けてきた田畑ヨシさん(86)は今、自然の猛威の前で無力感を味わっている。
田畑さんは1933年、旧岩手県田老町で911人の死者・行方不明者が出た昭和三陸津波を8歳で体験した。生き残った者として「語り継ぐ教訓こそが住民を津波から守ってくれる」と信じ、50代後半から小中学校で紙芝居を上演してきた。
あの惨劇から78年。変わり果てたわが街の姿を目の当たりにし、「昭和三陸大津波の時よりもひどい。みんな助かってくれるといいんだが…」と立ちつくす。
田老では高さ10メートル、総延長2433メートルの防潮堤を越えて津波が押し寄せ、国道45号沿いの商店街や住宅地は跡形もなくなった。田畑さんは自宅近くの高台にある妹(81)の家に避難。自宅は流れてきた家屋に押しつぶされ、逃げ遅れた近所の人も多かったという。
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