2011年4月25日15時0分
若者の孤独と挫折をうたい、26歳で夭折(ようせつ)したロック歌手の尾崎豊さん。ファンが集う場所として知られてきた東京都足立区の「尾崎ハウス」が、20周忌となる25日、最後の公開を迎えた。小峰忠雄さん(71)が自宅の6畳間を開放してきたが、今年中にも家を改築するつもりだ。ほこりまみれのポスターや絵に囲まれて、ファンたちは別れを惜しんだ。
小さな町工場などが立ち並ぶ一角。都内の会社員大井輝さん(34)は昨年に続いて、2回目の訪問だという。「高校生のころから、束縛されない尾崎の生きざまにあこがれていた。サラリーマンになっても気持ちは同じです」
何とか残してもらえないか――。今年2月、小峰さんがテレビで閉鎖の意向を明かすと、区役所からもお願いされた。「でも孫と一緒に住もうと言われていて。尾崎ファンなら俺の気持ちを分かってくれるよ」。木造2階建ての自宅は築65年ほど。以前も建て替えを検討したが、ファンのために延ばしていた。
1992年4月25日。
自宅脇の敷地にフラフラになった若い裸の男が倒れていた。尾崎だった。死後、ファンが次々と花束を置いていく。泣いていた子を家に入れてあげたのが、「尾崎ハウス」誕生のきっかけだった。
きまじめそうな女性ファン、不登校の高校生、拘置所を出てきたばかりだという男……。約20年の間に様々な人がやってきた。小峰さんは、彼らの悩みを受け止め、ギターに耳を傾けた。「別に頑張ってそうしたわけじゃない。でもお金もとらずによくやるって、人には言われたよ」。かつて高校生だった女性が最近、突然来た。すし屋さんにお嫁に行ったと聞いていた。しばらくだなあと声をかけると「おじさんが元気で良かった」と泣かれた。
部屋には、ファンの感想ノートが山積みになっている。しかしここ数年、記述はまばらだ。妻の豊子さん(70)は「みんな羽ばたいていったんだよ」と言う。「ここで私たちに話をして、でも本当は自分に語っている。そして明日から頑張る。そういう場所だったんじゃないかな」(谷津憲郎)
事故調査機関はどうあるべきか。当事者の刑事責任を追及する警察などの捜査との兼ね合いや遺族・被害者への支援など、世界の取り組みを紹介しながら探る。