おいでバンビ 最終話


「適当に座れ・・・つっても、んな場所もねぇか。何飲む?」

 どこにいればいいのか、戸惑いを見せる小太郎に千明は呟いた。

 2DKの部屋はひとつが寝室、あとのひとつは書斎代わりだ。料理などは殆どしないからカップラーメンで済ませることが多いため、キッチンにはわずかな調味料しか置いていない。どうせ一人だから食卓もいらないだろうと千明が購入したのは自分の身体でもゆったりと座れるソファーで、テレビを見るのも食事をするのも学校から持ち帰った仕事をこなすのもここだった。そして今そのソファーの上は物置となっている。キッチンから扉を挟んだ続きの寝室は窓際にベッドがあるだけだ。せめて寝るときだけは落ち着きたいと、余計なものを入れていないせいで他の部屋は壊滅的に乱雑なのだ。

「俺がしますから・・・ちあ・・設楽先生は座っててください」

 律儀に名前を呼びなおし、小太郎は千明の手の中にあるマグカップを柔らかく奪い取った。千明の怪我に相当な責任を感じているだろうことは想像するに容易だ。

 だが、千明が何を言ったところで小太郎はおそらくそれを改めないだろう。

 小太郎が千明のために動くことで気が楽になるならば、それも仕方ない。言葉で言ったところで素直に応じ、あれは事故だったと割り切ることなど彼の性格上できないのだろう。

「名前でいい。・・・・そこの棚にインスタント珈琲と冷蔵庫にミネラルウォーターしかないからな」

「珈琲いただきます。ち、あき・・先生はミルクなしの砂糖半分、ですよね?」

 疲れている時はブラックよりスティックの砂糖を半分。それが千明の好みだ。よく気がつくもんだと頷き、千明は洗濯物や脱ぎ散らかしたものだの雑誌だので座る場所もない二人がけのソファーの上をあけた。

 ようやく疲弊していた身体を落ち着けると、じん、とした痛みが足首に走る。興奮していたのか運転している時は足の痛みなどすっかり忘れていた。

「千明先生・・・?痛みます?」

 湯気の立つカップを二つ持ってきて、小太郎はごく自然に千明の隣に腰掛け気遣う視線を寄越す。

「散らかってるだろ、悪いな」

「・・・・いえ、千明先生が綺麗に片付けてるっていうのもちょっと想像できないし」

 もともとだらしなさは知っていると言われてしまえば返す言葉もなく千明は笑った。

 ゆるく首を振って、埃だらけの背広を脱ぎ、胸のボタンを二つまで開く。パサリと乾いた音を立ててソファーの下へと落としたジャケットを小太郎は拾い上げ、丁寧に皺を伸ばしてハンガーにかけた。どちらが子供か全く分かったものじゃない、と千明は苦笑した。おまけに胸ポケットに突っ込んでおいたネクタイまで綺麗にかける。

「すこしあつい・・・?窓、開けましょうか」

 篭もった空気にベランダへと向かおうとする小太郎の手首をふと捕まえた。千明自身、それは無意識の行動で驚き二人の間には一瞬の緊張が走った。

「まあいい、座れよ。聞きたいこと、いろいろあるんだろ。この際全部話してやる」

 ぐしゃりと自分の髪を乱し浮かせかけた腰を強引にソファーに沈めて、千明は言った。一体わけのわからないこの展開で何をどこから聞けばいいのかと躊躇う小太郎に煙草を取ってほしいと頼む。吸いすぎだと、小太郎は言ったがそれに逆らうことはなかった。

「実花とは・・・実際、二年前から別れ話はしてたんだ。さっきも言ったが、その時に俺は設楽の家を出た。運の悪いことに職場が一緒だからな、名前はそのまま使わせてもらってるが」

「二年も・・・前から」

 己の言葉を繰り返し呟き、小太郎は驚愕に目を瞠る。どうして、と視線と首を傾げる仕草で問う小太郎にまだ分からないのかといっそ呆れた。

「お前と会ったからだろう、この俺が」

「・・・・・え?」

「はっきりいえば分かるか?お前を抱いたあとから実花に勃たなくなった。あいつとは今までずっとセックスレスだ。この二年、俺が抱いたからだはこれ以外ない」

 どんなぞんざいな物言いかと、自覚しながら眉を顰めた。えらそうに言えることかと思ったのは小太郎も同じだったようでその分だけ沈黙が流れた。

「指輪・・・は、いつから?」

 小太郎と別れてすぐに取り外したリングの跡をなぞるように小太郎は千明の手に躊躇いがちに触れてきた。綺麗な指先は、細かい傷にすっかり荒れてしまい酷く勿体無いと思う。

 そして痛々しい肌理細やかな肌に残るうっすらと赤い傷跡は、どこか猥褻に見えた。ぞくりと背中に走る理性を侵食しかねない暗い衝動を視線を少しそらすことで散らす。

「あんなのは形だけだろう?」

 千明にとって指輪など単なるお飾りでしかなく既婚未婚の区別以外に何の意味ももたらさない。が、小太郎はそうではないのだ。プラチナリングが肌をすべるたびになにか痛みを堪えるような顔をしていたのが蘇ると千明は至らない自分を責めた。

 そして同時にそんな小さなものにまで傷つきやすい繊細な心を痛めていたのかとうしろめたいような喜びさえ沸いてくるのだ。

 束縛されて嬉しい、というような感性は今までの千明にはなかったものだが、この心に澱のように淀む嬉しさはそれと似ているのだろうか。心臓に一番近いとされるこの指に所有の証を刻み込む。だとすれば、次にこの指先を預けるのは小太郎になるだろう。

「ここまで言わせて、俺のことどう思ってんのか、とか聞くなよ」

 ――――とっくに、好きだ。

 聞かせろ、とせがむ前に言ってやった。

 ふいうちの告白に小太郎は嬉しそうな泣き出しそうななんともいえない複雑な表情になって、くしゃりと顔を歪めた。

「               」

 小太郎の小さな声は震えて、何を言っているかはよく聞こえなかった。けれど千明は唇の動きで小さかった少年の言葉を確かに受け止めた。

 ――――先生を愛してる。

 胸が痛いほどの感動を覚えると、今すぐにでも抱きしめてすれ違いの多かった心と身体を繋げたくなってどうしようもない衝動が千明を走らせた。 

「・・・・あとは気になってることはないな?」

 華奢な小太郎の薬指を己の口に運び、軽く歯型を残して訊ねると小太郎はうなじを赤く染めながらこくりとひとつ、小さく頷いた。


「あっ・・・あの・・っ、もうひとつ、聞いてもいいですか?」

 たっぷりと唇をあわせ、重ねているだけにしては濃厚なそれに息もあがるころ、小太郎は千明の胸を押し返しながらすでに情に乱れた瞳で問いかけた。

 揺らぐ視線は、すぐにでも欲しいと訴えるくせに堪えてまで何を話せというのだ、とかまわず小太郎の細い肩先を抱きしめる。首筋を感じるところを知り尽くした舌でねぶると、濡れた吐息を落としつつ首をすくめて千明から逃げた。

「なんだ、今更。言っておくが余裕ねぇからな。大人が余裕なくすと怖いぞ」

「っふ・・・・っ、もう!だか、らわけわかんなくなる前に」

 どんっと胸を叩かれ突き返されてしまっては、これ以上強引に迫るわけにもいかない。

 年甲斐もなくがっついているとは思っているからなおさらだ。慎重で傷つきやすい小太郎の瞳に気の強さがにじむのはこんな一瞬だ。別れを切り出したときも頼りないくせに意思だけははっきりしていた。思い出して、小鹿と評する小太郎のファンの気持ちも分かると思った。一見儚げに見えるが、実は力強い。

 笑うと再びからかっているのかと問い詰められそうで千明はわざと顔を顰めた。

「あの・・どうしてするとき、いつも・・・・・」

 楚々として綺麗でまるで淫らなこととは無関係のような顔をして、濡れた唇からは「する」と即物的な単語が飛び出てくる。それはミスマッチなようで小太郎の声には馴染み甘い熱を孕んだ。

「ああ、バックからやんのかって事か?」

 それ以上は口に出せず、うなじから鎖骨をほのかに色づかせた小太郎に酷薄な笑みを浮かべる。

 問いながらするすると背中から尻のまるみを掌で撫でつけながら脱がしていく。埃にまみれたシャツが、床に落ちた。視線と己の手に晒される小太郎の足の間はおそらく千明と同じ熱を覚えている。証拠にびくびくと腰を震わせ、駆け上るように襲いくる波をやり過ごそうとしている。

 こんな状態でまだ話す余裕があるのか、と指先を双丘の狭間に潜り込ませ、まだ固く閉じる蕾のふちをなぞった。

 この乾いたところが、千明の手練手管によってどれほど淫らにほころぶのか自分は知っている。

「っふぁ・・・っ、や、あの・・・ちあ、き先生・・・えっと、うしろ、からは」

 おずおずと小太郎は言葉を紡ぐ。唇からはもう絶えず短い呼吸が溢れ出す。小太郎がその体位を好きではないらしいことを知ったのは随分前だった。

 千明は自分の顔というものがどんな効果を齎すものかよく知っていた。暗く淀んだこの瞳は、ある特定の嗜好を持った者の色欲を酷く刺激する。

 高校生にはさぞ荷が重いだろうに、時折意識的にベッドの中でしか見せない凶悪的な色を滲ませ揶揄う視線を向けても、小太郎は視線からも決して逃げなかった。

 ただ、諦めたように微笑んでいるか俯くだけだった。

 だが、しかし千明はうぬぼれだけでない己の顔の使い方と共に、よく知っていることがあった。

 小太郎も、千明と同じ人種だということを。

 ひとたび悦楽を覚えれば、瞳の色は変化し誘うものへと変わる。暗い淵に引きずり込むような甘い毒のある濡れた唇。

 同じようで異なる媚薬を秘めた者同士が、交わればどうなるのか。千明には想像がついていた。

「・・・・やめろって言われたってやめないぞ」

「やめてって言っても離さないでくれますか?」

 逆に問われて千明は言葉に詰まった。ああ、こんなところが凄く好きなのだろう。

「知らねぇぞ、ほんとに。・・・・おいで」

 だから、闇に飲み込まれる際どいところで付け足した千明にしては優しい一言が残る理性のひとかけらだったのだろう。

 差し出した手は、甘い抱擁になって返ってきた。





「待って、待って・・・っ」

 重なりあう吐息は二人同じように乱れている。パイプベッドへと互いの服を落としながらもつれ込んで、食い散らかすように小太郎の滑らかな肌に唇を滑らせる。

 二人分の体重に耐えられるように作られてはいない華奢なつくりのベッドは大きく軋む。

 いつものように、後ろから背骨のくぼみを舌先で擽ったとき、小太郎は身体をよじって抵抗した。もう、指だけの愛撫は一時間以上続いている。

 嫌がる小太郎を今日は生身で感じたいからと風呂場に引っ張っていき強引に中を洗った。そうしたケアを始めて千明自ら行った。面倒な準備を全て小太郎任せにしていたことを反省しながらも、泣きじゃくっても許さずあますところなく、舐めまわした。頭の中が獣になってしまえば、足の痛みなど感じなかった。

 白い肌はお互いの体液に濡れ、あたたかく粘る。

 生々しい音と昂ぶる体温が部屋の室温を高くし、こもった湿気のせいですえた臭いが鼻につく。

 甘いフレグランスと煙草のにおい、それだけじゃない。

「あ・・・っ、ふぅっ。い、や、やぁ・・・っ」

 制止も聞かず、ただ己を見つめるその瞳に囚われ、千明は薄く笑った。くちゅっと濡れた音を下肢から響かせる。唾液に濡らした指先を何度も何度も突き入れた。まだまだ少年らしい細く若い肢体はそんな千明のしつこさに耐えられず泣き出し腰を揺らす。顔を見せて、というからこうして覗いてやっているのに、見るなと何度も訴えられた。

「そ・・・ん、なカオ・・・ぁっ」

「だから今まで我慢してやったんだろ、俺はお前を泣かせたくてしょうがない」

 もうだめ、と本気で死んでしまうと訴える切ない声にもっと啼けばいいといっそ残酷なことを思う。抑えていたものを全て吐き出して全身で欲しがって魅せろ、と傲慢な欲望はとめどなくそれは挿入欲すらも凌駕した。先にそうしろといったのはどのみち小太郎だ。文句を言わせるつもりもないし、耐えていた激情をぶつけてほしいと願ったのは小太郎自身だ。

「ゆびでも充分良さそうな顔をする」

 指摘してやると、あまりに過ぎた悪戯に焦点を失っていた瞳がわずかにぶれた。

 揺れる腰を止められず、はしたないその格好がひどく小太郎にはよく似合っている。禁欲的にみえて実は熟れた肉体を持つこの少年のアンバランスさが千明を虜にしてやまない。つい先日までリングの埋まっていた指先に小太郎の肉は絡みつき吸い取ろうとする。

 その姿はなにもかもを諦めたような表情を裏切って貪欲だった。

「っふ・・・あぁっ、やめ、や・・・ぁっ千明、せん・・・ぁふっ!」

 憎んでくれたらいっそ楽だった。憎まれてしまえば良かった。

 それなのにこんな自分をどこまでも許し深い愛を与えようとするから、千明は己の醜い部分をさらけ出してしまう。小太郎がいくら泣いてもやめられない。

(もっともっと、俺の腕の中で泣いてくれ)

 自分のせいで泣いてほしくはない。だが、自分の腕の中で自分のために涙を見せろと思うのは強欲だろうか。思えば最初から、初めて会った時から千明は小太郎の涙を見たかった。執念に近い黒い感情だ。

(俺のために)

 あの日、額から血を流した小太郎に衝動的に声をかけ、そして己の言葉によって流された涙は千明の心に痛いほどに棲みついた。

 数年後に逢ったとき、あの時の少年と笑顔を作るのが上手い彼とは矢張り違うのだろうとも思えた。そこに何の感傷もなかった。

 今、ここにある小太郎に魅了されているのは今の自分だ。

「っふ・・おねが・・・・っ、も・・っゆる、して・・・」

 断続的に送り込む刺激は、小太郎の瞳から涙を溢れさせた。縋るように千明の肩にかけられた手にもう力はこもっていない。奥の膨らみに指の腹をこすらせたとき、小太郎は酷く痛がった。逃げようとする腰を押さえつけ、千明は長い指を埋もれさせかき回した。こうして心の奥まで自分にひっかきまわされて犯されてくれ、と願うように。足を大きく開かせ、中心を視線でいたぶる。

 鋭い眼差しはこういうとき、猥褻に凶悪になることを小太郎は知らなかったのだろう。

 怯えたように逃げようとする膝頭を乱暴に開かせ、震える内股に口づけた。ここにも、千明の残した痕は散らばっている。赤く鬱血したところを舐め、軽く歯をたてると小太郎は背をしならせ触ってとせがむような動きをみせた。

「俺のやらしい顔を見ながらやりたかったんだろ?認めろよ」

 求めたのはそっちだろうとそして彼の無垢な唇から肯定する言葉を聞いてみたい。

「見な、・・で。っや・・・ぁ、も、ほしっ・・・!」

「今は教師じゃねぇよ、名前でいい」

「ち・・・あき、さん?」

 己の名前を呼ばれた瞬間、愛しさで心が満ちてゆく。ぎゅうっと心臓を素手でつかまれたような甘い痛みがそこにはあった。

「小太郎・・・・好きか?」

「すき・・・っ、すき。ちあき、さ・・・っんん!っふ、やめ・・っゆび、やめてっ・・・!ゆび、しない、でっ!」

 じゅくじゅくと溢れる音を体内から零し、そして三本をまるっと飲み込んだ。しないでと言いながら飲み込み離さない淫乱な身体はどこまでも千明を増長させる。

「すごいな、前。触ってもいねぇのにちろちろ出してんの。可愛い・・・」

 ぬる、と勃ちあがりきって苦しそうな彼自身を腹の筋肉で軽く触れた。先走りが自分の身体を濡らして粘った音を聞かせる。指をばらばらに動かして刺激してやるともう耐えられないと小太郎は首を振り懇願は甘い悲鳴となった。

「ん、あぁっ、は・・・うんん・・っだめ、もうだめっ・・!きて・・・っ!」

 痛い、とまた小太郎は言った。過ぎた摩擦はもしかしたら痛むことがあるのかもしれない。このあたりで苛めもほどほどにしなければ、嫌われそうだと内心うそぶいて後ろに押し当てると媚肉は欲しがってきゅうきゅうと収縮した。

「――――いくぞ」

 低音の囁きに小太郎はこくこくと千切れそうなほど首を縦に振って、そしてずるっと奥までくわえ込んだ。膝の間に腰をしっかり挟まれて、胸を合わせて鼓動をひとつにした。本来の恋人同士なら絶対にしたことのある体位が嬉しく、切なかった。小太郎の瞳に惑わされ、泣かせたいと思うくせに泣かれるとどきりと心臓が騒ぐ。自制心などとっくにどこかに置いてきた。

「あぁぁぁ・・・・っ!」

「・・・・っふ、う。凄い、ことになってんな・・・なか」

 たっぷりと時間をかけて愛して、舐めて濡らしたそこはとっくに熟れた果実のようにじゅぶりと千明に絡みつきそして与えられたものを離すまいとしがみつく動きを見せる。小太郎の濃すぎる愛情に感動すら覚えて千明は呟いた。 

「うぅ…んっっ痛、、・・・っふぁ、いいっ、気持ちい―――っ」

 体はずるずるに濡れて、するっと奥まで簡単に深くを飲み込んでしまうくせに、小太郎は同時に酷く痛がった。

 感じきった前は張りつめて、ぼとぼとと濡れた蜜を垂らしているくせに、その体は震えている。

「ん、あぁっ、は…っ、うん…っあああっだめ、だめ…っしないで…」

 まるで人形のようなガラス玉のような、美しい瞳に千明をうつし溢れそうな涙を溜めて小太郎は訴える。それを聞いてやらずに、体を揺すり始める。ゆるやかな動きは、小太郎を気遣ってのものだった。

「あぁ・・・んんっ、、壊れちゃ・・っう、いや・・・っ、いたっ、だ、め!」

「壊れるか、こんくらいで。ぬれぬれにしてるくせに」

 今まで傷つけたことはないだろう。それに大体、この身体は過去に知らないほどに濡れている。

 千明が押し込めば、その分だけ体液がじゅくっと溢れ出す。

「いや…っ濡れてない…、ぁぁあっ、動いて…っ」

 どうしてだ、と千明は苛立った。此程に体は馴れて濡れてそうして奥はびくびくと振動しながら受け入れてそれを舐めしゃぶるように淫猥に絡みつくくせに。

 千明の舌打ちに、小太郎は誘う言葉を口にしながら怯えて泣いた。

 綻びきったそこは、濡れて少しの抵抗もみせない。

 痛い、と訴えるくせに、入り口に触れてみるとそこはやわやわと熱く、指さえも飲み込んでしまいそうなのに。

 それなのに、小太郎は痛がって泣く事と同時に欲しがることをやめない。

「だめ、ちあき・・さんっ・・・いい・・そこ、そこぉっ・・・!」

「もう、痛く・・ないな?」

 入り口を指でなぞり、くわえ込んでいっぱいになっている広がった皮膚をあやすように愛撫した。くい、と押してやるとあまりの愉悦に小太郎は首を振って歓んだ。

「…ああっ!あ、あっ―――・・・ううんっ!ちが、痛っ・・・!」

「どっか痛くしたか?」

 それでも尚、良さそうな顔をするくせにあまりにも痛がるからもしかしたら、千明は押し倒した際にどこか痛めてしまったのか、と不安になって尋ねた。その綺麗に伸びたすらりとした足も、手も千明に縋り付いて助けを求めている。

「い、や・・・・・・っだめ、あ、っふ、ああぁ・・・っ」

 ぐぷ、と奥まで埋め混んだ瞬間に、小太郎はのけぞり爪先をぎゅうっと丸めた。

 びくんびくんと痙攣した震えは、その間にいる千明にも伝わる。

「動いて、やめない・・で。・・いた、くて。しんじゃう・・・」

 か細い声は今にも消えいりそうに震えている。伸び上がって顔を覗き込むとそこにはただ、不安そうに、しかし酷く傷ついた瞳があった。

「抜くか」

 仕方ない、と千明は少し動こうとした。それにさえ細い悲鳴をあげて小太郎は目を瞠る。そして腰を突き出し、縋るように抱きついてきた。

「・・・・どこが痛い」

 尋ねる声音にすこしでも気遣いが伝わったか、と千明が背にふれればその指先にでさえ、小太郎は痛いと泣いた。

 流石に心配になって、千明はルームランプを点けた。明るくなった室内で小太郎の体を見渡す。が、どこも傷ついている様子はない。

「やめて・・見ないで・・・」

 あるとすれば、今にも死んでしまいそうな顔色だけだ。頬には悦楽を滲ませ紅潮して短い吐息は薄い胸の上で跳ね上がる。部屋を明るくすると視線から逃れるように涙を滲ませた。

 啜り泣きが混じりはじめ、細い腕が千明の頭を抱きしめ胸へと押し付けた。荒い呼吸を楽にしてやろうと口づけする。

「乱暴だったか?」

 抜かないで、と抵抗した小太郎に優しい声音で尋ねると、首を振って否定するくせに、体に伝わる震えが病むことはない。

「だったら何だよ」

「ちが・・・・っ、怒らないで」

「怒ってねえ、心配してる。何がいたいのか、言わなきゃわかんねぇだろ」

「・・・・いた、くて。ずっとこのへんが」

 掻きむしるように薄い胸の上に小太郎は掌を置いた。泣き濡れた瞳で、けれど助けを求めるのは千明だ。

 千明しかこの痛みが消せない事を、本能がしっている。

「千明さん・・と、逢った時からずっ、っとそうで。でも触られるとずっとずっと痛くなって・・・この目が俺を見てると・・」

 二年前から抱えていた愛しすぎた痛み。

 逢いたくて苦しくてもどかしい。身体を繋げるしかひとつになれなくて、心が見えないから不安になる。

 心が壊れてしまいそう、だと語る胸は本当に皮膚を引き裂かれるような痛みを覚えているようだ。小太郎は目には見えない流れる血を抑えるように泣く。

「愛してるのに・・・痛くて。―――でもさわられてる・・と気持ちよくって・・・」

 だから、お願いだから。この胸は膨らみすぎた愛情に息が苦しくなるほど辛いから。もっと愛して、もっと撫でてなだめて―――。

 うまくそれを表現する言葉をもたなくても、千明には伝わった。

 それは聞いたことのないほど胸を打つ愛の言葉だった。

「やめない・・で」
 
 声を切らせ、はやく胸をあわせてほしいと願う小太郎に千明は応えた。たどたどしい願望だけの小太郎の言葉を本気にするなら、容赦するのは違う気がした。千明の好きなようにするのが、小太郎の望みなら叶えてやろう。

「もう、一人でいたがらなくていい・・・」

 愛している。

 言葉は果たして、届いただろうか?
 




 ざわざわと風の音がする。

 千明のアパートの前は並木道でその下に川が流れている。学校から近いそこは矢張り裏手に林があり、そのせいだろう。

 ざわざわ、とまだ夢見心地で身体が揺れているような気がする。

 うっすらと目を明ける。

 どこだろう、とうつろな目線が千明を探した。けれど不安にはならなかった。ポットが湯を沸かしているのだろうか。キッチンからはコポコポと小さな音が聞こえてくる。 千明は起きたばかりなのか、シーツがまだ暖かい。吸いかけの煙草が灰皿からゆるりと紫煙を昇らせた。気配がそこにあるだけで愛しい人の目覚めを隣で感じなくとも小太郎は孤独ではなかった。

 こめかみの裏側がしくりと痛んでいる。泣き疲れて頭痛がするのは生まれて初めての経験だ。

 だが、何故泣いたのか小太郎は少しの間思い出せなかった。ただ、何だろうこの心の奥の清浄な感じは。霞がかっていた目の前が不思議と澄んでみえる。

 まっさらになって少しあたたかい。

 薄いカーテンからは闇に混ざって細く日差しが入り込んできた。

 手を伸ばして自分の肩幅の分ほど少しカーテンを引いた。

 暗闇の向こうがわずかに白い。夜明けだ。

 丘の上に立つアパートから望むことができる白いビルのふちが朝一番の日差しにさらされてきらめいてふんわりと輝く。眩しい。けれど小太郎は目を細めることなく、その光景に見入った。吸い込まれるようにゆっくりと身体を起こす。
 
(こういう感じ、かもしれない)

 今の心境はその小さな感動に似ていた。ガラスには自分の顔がうっすらと映っていた。その頬に小太郎は手をやる。千明が昨夜口づけたところだとも自覚しないまま、首筋から腕、背中、胸・・・ぺたぺたと生まれかわったばかりの自分の身体を確かめるように辿る。

 痛みはまだそこにあった。

 下肢のだるさは抜けず喉は嗄れている。胸の奥は何故か千明の長い指にくすぐられている様に落ち着かず、身体はひどく重たいのに、心だけが宙にふわりふわりと浮いている。

 決して格好が良いわけではない。痩せ型でお世辞にもスタイルが良いとは思えないし、綺麗だといわれても自分のどこがその単語に当てはまるのか相手の美的感覚を疑問にさえ思う。

(だけど千明先生は愛してくれた)

 胸の奥が少し痛い。きん、と響くそれが嬉しい痛みだと自覚しないまま、自分の身体を抱きしめる。

 昨夜、まるで苛められるように抱かれそして、しないでと泣き喚いた自分を千明は決して離さなかった。みっともなく喘ぎ腰を振り痴態を晒しながらやめてほしいと言いながら求め、受け入れられて愛されて見捨てられぬまま過去の自分は殺された。

 本当に死んでしまった。

 そして何度も愛を注がれたこのからだになった。千明の欲と愛情を一気に吹き込まれ、そして細胞が生まれ変わった。


 ――――――愛しい。


 感じた瞬間ひりついた瞼から熱いものがこみ上げてきた。泣き過ぎて腫れあがった眼球は少しの痛みを感じるが、胸の奥はそれ以上に熱かった。

 何故涙が出ているのか分からない。溢れる水はあたたかく、そして小太郎の頬を伝って落ちる。ただ、感じているのは愛しくてたまらなかった。

 なにに、と聞かれてももう分からない。自分が、千明が、今ここにいることを教えてくれる煙草も、この窓から見た夜明けもすべてが愛しいと思った。その様子を窓硝子に透かして見て小太郎は泣いた。


(愛されていた・・・)


 思うように気持ちが伝わらず、千明の愛情を信じられず傷ついてすれ違い、手を離しそうになったけれど、こんなにも愛されていた。


 かみしめるのだ。


 この幸せをきっと一生忘れない。


 ぎゅっと痛むからだを不自由だとは思ったけれど小太郎は精一杯抱きしめた。この気持ちを教えてくれた千明を愛している。だからこのことは忘れてはいけない。何年たとうと、これから先なにが起ころうと。

 決して綺麗ではなかったけれど、無自覚のまま自分はうっすらと笑んでいた。

 涙は零れるに任せて、少し浸っていたい。

 窓硝子に額を押し付け、擦りよるようにして小太郎は泣いた。指先に感じる冷たい温度が小太郎の体温に暖かくなってぬくもっていく。

 幸せすぎて、気がつかなかったけれど硝子に映っているのは多分初めて見る自分の笑顔だった。





 千明は自分の本質を理解していながら、その正体を目の当たりにしたのは初めてだった。

 たがが外れた自分がどれほどの澱を抱え込んでいるのか、知っていたつもりだった。

 理性をかっさらわれて思うがまま散々にただの獣になり果て、白い肌を貪った。気がついた時はすでに遅く、小太郎も自分もいつ取り替えたのか分からないまっさらなシーツの上で横たわっていた。

 腕の中に目の淵を赤く染めた小太郎がいた。

(折角逃げられたのになァ、小太郎・・・・お前もとんだ獣をしょいこんだな)

 怖がられるかもしれない覚悟をしていたというのに、小太郎は最後まで逃げず怯えながらも自分の手を取った。

 身体と身体、指先と指先を隙間もないほど絡めあわせて眠っていた。熟睡というよりも昏睡と言ったほうが正しいのかもしれない。昨夜の記憶は朧げだ。腕の中の体温はひたすらあたたかに千明の全てを受け入れ包み込もうとした。自分よりもずっと年下の小太郎は、千明の記憶する母親よりも愛情深く、父親よりも強い。聖母のようだと千明はひとり思った。

 そのうつくしい象牙のような肌に自分の残した痕を目にして千明は目のやり場に困った。

 ひとつではない、己の醜い独占欲をそのまま形にしたような口づけの痕や噛み跡。昨夜の情事をまだ肌に残しているかのようなしっとりとした感触はただひたすら何にというわけでもなくうしろめたい。綺麗なものを汚してしまった、それだけだ。

(まるで無垢なガキに手、つけた犯罪者だ)

 だが、うしろめたさを覚えても後悔はない。今の問題といえば千明の勝手な罪悪感よりも、からみつくからだの誘惑に昨夜あれほど挑んだというのに再び震えそうな情熱を覚える自分だ。

 疲れきって眠る小太郎にこれ以上なにができるのだろう。千明は苛立つようなため息を残してベッドから抜け出した。くてん、と落ちた小太郎の腕が愛しい。身体の力が入らないようだった。すやすやと穏やかな寝息をたてる小太郎の寝顔を煙草に火をつけて鑑賞した。もう急がずともどこもかしこも、これは自分のものなのだ。そう思うと自然と笑みがこみ上げてきて千明はふっと表情を和ませた。

 別れた妻が見れば、生徒への恋に狂ったこんな馬鹿な男に無駄な時間を費やしてしまったと後悔するだろう。無性に可笑しくなってきた。気がつけば勝手に小太郎へと腕が伸びており、柔らかな髪の感触を指先に馴染ませていた。

(俺は馬鹿だろう、小太郎。流石に分かったか?)

 愛している、その一言がなかなか言えずにいた自分はおろかだと思う。呟くように呪文のように何度も繰り返して告げた愛の言葉を千明は思い出し一人笑った。

 立ち上がりポットに水を入れる。毎日繰り返している日常的な行動のひとつひとつが酷く新鮮だ。ポットの前で水が沸騰するのを待つ。珈琲を飲もうとしているのは自分のためではなく恐らくかなり喉を傷めているだろう小太郎のためだ。

 だがそれならば水のほうがいいだろうと思い直して冷蔵庫からペットボトルとグラスを手に取り、腫れてしまった瞼を冷やすためのアイスノンを持って千明は再び寝室へと戻った。

 そして、目に焼きつく勢いで飛び込んできた小太郎の姿に言葉を失った。

 そこにいた小太郎は静かに座っていた。

 なめらかな背中に接吻けの痕を残しているのに酷く処女的なうつくしさで外を眺めて泣いていた。

 自分自身を抱きしめ、千明の残した感触を慈しむような仕草で身体を撫でながら涙を零していた。

 言葉がかけられなかった。

 とめどなく溢れる涙は、千明が今まで瞳にうつくしいと感じた全てを凌駕した。

 白いシーツを腰にまとわりつかせただけの、露な肌に優しい朝の光が降り注ぐ。肌の淵、輪郭がふわりと濁り曖昧にさせる。夜が朝に生まれ変わるように小太郎も変化した。なんて綺麗な生き物だろう。

 千明は小太郎に見惚れている自分を自覚した。瞬きすら忘れ見入る光景は、瞳どころか心を疼かせ染み渡っていく。どこかいたいのか、と気遣う日本語を思い出したのは小太郎の視線がふっと自分を捕らえたからだ。

 そして千明は一生その顔を忘れないだろう。

 ―――――泣きながら、小太郎は微笑んでいた

「何で泣く」

 われながら馬鹿な質問をぶつけたと思う。瞳の中に吸い込まれそうだ。

「・・・・嬉しくて」

 近づくことさえできないと一瞬でも感じた小太郎がふと自分の中に戻ってきたような錯覚に陥り、千明は内心慌てそして閉じ込めるように腕を伸ばし抱きしめた。

「ただ、千明先生の傍にいられることがうれしくて・・・」

 そしたら涙が出てきたのだ、と小太郎は言った。

「・・・・・目、痛ぇだろ?」

 気の利いた言葉ひとつかけてやれない千明に小太郎は視線だけで頷いた。恥らうように伏せられた睫を労わりたくて口接ける。あんまりそんな顔をするな、とアイスノンで瞳を塞いだ。

「千明先生は足、大丈夫なんですか?」

「昨夜無茶したからちょっと痛むな」

「・・・・病院ちゃんと行ってくださいね」

「ああ」

 しばらくの穏やかな沈黙が流れた。

 小太郎の涙で手を濡らし、そしてひそやかな懺悔を千明はしていたのかもしれない。

 昨夜までの出来事が怒涛のように押し寄せ、そしていっそ懐かしいほどに遠ざかっていく。そうして小太郎をさんざん傷つけた過去だけ手元に残った。

(それだけは忘れるな)

 涙に濡れた手を、ぐっと強く千明は握り締めた。いずれ時が経てば薄れてしまう記憶に強く刻み付ける。

「よく我慢したな」

 千明に触れられると痛いと泣いた小太郎。傍にいると辛いとうつむいた小太郎。

 そして、抱くたびに傷つき諦めたように遠くを眺めていた小太郎。

 今までどんなことにもひとりで耐えてきた小太郎に、もうひとりで苦しむな、と告げる。髪を撫でると形の良い額が目に入る。

「・・・お前、笑ってるほうが可愛いよ」

 気がつくとほろりと甘い言葉が溢れていた。

 ひどく懐かしい気がした。

 肩を抱き、肩手で覆った小太郎の額から一筋の赤い傷が見えた。それは古く今では痛むことなどないだろう。

 わかっていながら、綺麗な肌にひきつる跡は痛々しく、千明はそっとそこに触れた。

 ふっと淡い情景が重なった。

「・・・先生、もしかして」

 はっとしたような透明で優しい声がした。

 それからはゆっくりとゆっくりと小太郎のてのひらが千明の頬に伸びてきた。そっと、そして恐る恐る、どんな顔を千明がしているのかと触れる。

 頬を撫でる指先はたどたどしく、何か言いかけた唇を千明は奪い去った。一晩明けると呼び方は元に戻ってしまったが、もう無表情な子供はこの手のなかにある。そんなものはおいおい教育していけばいいだろう。千明の頬にも自然と微笑が浮かんた。





 先生、もしかして――――――


 俺と先生はむかし逢ったことがありますか?








                                                          END 


感想などありましたらゼヒ。


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