Q. |
何がここまで歴史教科書を悪くしたのか? |
A. |
第一が、米軍の占領である。占領期間中、GHQは、検閲の痕跡も残らない、巧妙なやり方で言論統制を行い、日本人自らが検閲を行なうよう指導した。
占領終了後も、自己検閲は日本人の習性となった。以降、大東亜戦争などの用語を使えなくなり、自らの歴史を自らの言葉ではなく、外国の言葉でしか語れない状況となった。
第二が、昭和五七年の教科書誤報事件に続く、「近隣諸国条項」である。
第三が、平成五年八月四日の宮沢内閣崩壊前日に行われた、河野洋平(現外務大臣)官房長官の、いわゆる「従軍慰安婦の強制連行」を認める談話である。現在、ほとんどの歴史教科書に、「従軍慰安婦強制連行」という虚偽がまかり通っている。 |
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Q. |
全ての歴史教科書に、いわゆる「従軍慰安婦」が書き始められたのは、いつか? |
A. |
平成六年以降の全高校教科書、平成九年以降の全中学校教科書に、「従軍慰安婦が日本軍によって強制連行された」という虚偽が書かれている。
平成五年の河野官房長官談話の結果、「慰安婦強制連行」が、全教科書に載るというひどいことになったのである。
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Q. |
平成五年八月四日、慰安婦の強制連行を認める、河野官房長官談話は、なぜ出されたのか? |
A. |
平成四年一月十一日の朝日新聞の第一面の虚偽記事が、そもそものきっかけであるそれは、「日本軍が、慰安婦を強制連行した」という内容のでっちあげ記事だった。宮沢首相は、この朝日記事が出た五日後の一月十六日に、最初の外遊先である韓国訪問を間近に控えていた。この朝日新聞の虚偽記事の真偽を知らない宮沢首相は韓国訪問して、韓国大統領とのたった一回の会談中、慰安婦について六回謝った。
実は、この首相韓国訪問の時点では、日本政府は「慰安婦問題」について何ら調査していなかったのである。
このことは、西岡力氏(東京基督教大学助教授)が、宮沢首相の謝罪の理由について外務省北東アジア課に尋ねた時、明らかになった。
(西岡氏の「宮沢首相は、慰安婦のどんな問題について謝罪したのか」という質問)西岡氏の質問「慰安婦問題というのは、貧困のために売春婦にさせられた人たちの問題なのか、あるいは、国家意志、権力によって強制的に慰安婦にさせられたことが問題なのか、宮沢総理はどっちを謝ったんだ。もしも、前者だとすれば、吉原に 売られた女性たちになぜ謝らないんだ」外務省北東アジア課担当官の回答「(宮沢総理が謝罪した『慰安婦問題』のどこが問題か)それはこれから調査する」つまり、宮沢 総理が韓国訪問して六回謝った時点では、日本政府は「慰安婦問題」の何が問題かも知らないままに、何ら証拠もなく、とにかく謝ったのである。
そして、翌年の平成五年八月四日の内閣総辞職前日、河野官房長官は、証拠がなかったにもかかわらず、「日本軍の慰安婦強制連行」を認めてしまった。 |
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Q. |
河野官房長官は、なぜ、証拠なしで慰安婦の強制連行を認めたのか? |
A. |
当時、官房副長官だった石原氏は、この河野談話が、韓国との外交上の取引の結果であったことを、桜井よし子さんとのインタビューで語っている。
石原氏は、当時、ら公文書を調べても、強制連行の証拠は全くなかったと述べている。
河野談話は、韓国政府と真剣に交渉することを放棄して、安易な妥協に走った宮沢内閣による過ちだったことがよくわかる。外交には、緊張に耐えぬく強靱な精神力が必要である。宮沢氏、河野氏は、「今の日本人が外交という緊張に耐えきれずに、簡単に相手に迎合し謝罪してしまう」短所を、外国に露呈した責を負うべきではあるまいか。宮沢総理以降、外国の対日外交のキーワードは、「謝罪要求」となってしまった。 |