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ようこそ折出 健二(おりで けんじ)のホームページへ

アクセス・カウンターが1998年1月4日からスタートして、
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最終更新日:2011年9月5日


★ 3.11大震災後、死者・行方不明者合わせておよそ2万900名(11.7.11の時点で)。尊い いのち が絶たれたことに謹んでお悔やみ申します。また、行方不明の方の一日も早い発見を。
避難所の方々、原発で住み慣れた土地を離れざるを得ない方々の心中をお察しいたし、迅速な全ての情報公開、子どもの安心安全の第一優先を要望します。 ★


◇◆◇ September News ◇◆◇

このページは「最新の記事」に続いて、前半が「TODAY'S MESSAGE」、後半が「副学長だより 保存版」で構成されます。

このトップページの後段に、多様なコーナーを集めた「常設 2011」があります。

レギュラー記事の以前のものは、「常設 2011」の「以前のメッセージ&情報」に、「副学長だより」(116)〜(221)は「常設」の「副学長だより保存版」にそれぞれ移しました。2010年12月31日をもって、「以前・・・」の構成を大幅に組みかえました。
このホームページについて、なにかご感想・お気づきやご質問・お問い合わせがありましたら、どうぞ。

メールはこちらへ




◇◇◇ 最新の 記事 ◇◇◇

                 


TODAY'S MESSAGENEW

◇◇ 金沢で学会 △△

9月3日〜4日、金沢大学人間社会学域の校舎で日本生活指導学会の全国大会が行われました。「全体会 生活指導と発達支援」で、指定討論者を引き受けたこともあって、二泊三日で参加してきました。

「全体会」は、テーマが広いのとメインの提案者の説明が長くなって、論点の主旨が伝わりにくかったようです。それに私を含む三名(教育学、福祉、矯正教育)の指定討論の報告がつづき、3時間半の枠内でフロアとの討議は1時間弱となりました。フロアからは、「developmentは経済開発でも使われるが、そういう右肩上がりの意味でいいのか」「支援は、支配になる怖れもあるのではないか」「本日の発言者に共通して《生活》が語られないのはなぜか」など、参考になる点はいろいろありましたが、それでも、それらは問題の内在的な提起ではなく、外から眺めている見方、問題の中に入り込んでの築き上げていく論点とは言い難い、という印象が強かった。

中でも「生活」云々の「質問」は、「生活を語れど生活が見えず、生活は語らざるが生活をとらえている」ということが発言者自身によくわかっておられないようです。生活=活動を扱えば、それを語れば、「発達」が見えてくるか。そうではありません。その活動のなかにどのように「自己他者関係」が織り込まれ、当事者の行動を通してどうそれが編み直されているのか。そこを見ずして「生活」を語っても、結局、「生活」を論じる者の定型的な価値(生活観)を外側から表明していることにほかなりません。

なぜ、そのような論理がわかっていただけないだろうか。提案や報告の中に「足りない部分」を探してやろう式の目線で、物事を見ているからそういう問いになるのであって、もっと自身の論理をきちんと提示して建設的な議論を起こしていくことを望みたいものです。

前日の2日の夜、以前、金沢大におられた方の紹介で知った「F」という料理店に、「折出ゼミ」のメンバー計4人で行ってきました。新鮮な魚料理と銘酒「銀嶺立山」を食して堪能しました。(11.9.4. 9/5一部補筆)

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副学長だよりNEW

「副学長だより」(233)

 保護者懇談会 

国立大学としてはあまり例がないらしいのですが、9月18日(日)、名駅前のウィンクあいち(旧中小企業センター)大ホールで、保護者懇談会を開きます。

勤務先としては初めてです。松田学長の意向で、やはりまずは保護者の方々に国立大学の現状や学生生活について知っていただきたいし、その機会を大学が進んで設けるべきだ、となってこの企画が立ち上がったわけです。

あいにくと適正な施設が空いていなくて、800名規模の大ホールとなりましたが、最初は参加がどうなるやら、と案じられたのですが、出欠の返信はがきの集約結果、約300名以上にはなりそうです。どうにか形になります。

10月23日(日)には、大学を会場にして、第二回目を行います。両方参加の方も多数おられます。思った以上に関心が高い。(11.9.1.)

「副学長だより」(232)

 労基法学習会

22日、午後2時〜4時、附属岡崎小学校の会議室で、岡崎労基署監督官、戸嶌浩視氏による労基法の説明・学習会を行いました。参加は、附属三校(小・中・養護)の教諭・校長・副校長・教頭あわせて60名。国立大学法人側から、理事(折出)、附属学校部長、同課長、人事課人事係長が出ました。

約80分、監督官が、憲法論にはじまり、自由と義務の検討も経て、労基法とは何か、それが「強行法」(任意法ではない)の性格をもつのはなぜかなどを、相当量のPPTのスライドシートで説明しました。

質疑では、「公立学校教員と附属学校教員とでは(勤務の仕方で)どう違うのか、そこがよくわかならない」「(自主的な)研修の部分をどう考えたらいいのか」「労基法はそもそも『労働』をどういうように規定しているのか(折出)」などの論点が出され、監督官が、「法人の職員としては労働形態の問題は企業体と一緒で、国家のウォッチングを受けている」「業務につながる活動は全て労基法の言う労働だ、と考えている」などと応答しました。(11.8.23.)

「副学長だより」(231)

 業務実績ヒアリング

お盆明けから「平成22年度に係る業務の実績に関するヒアリング」がすべての国立大学法人に対して行われており、私どもは18日、午前11:10から約45分、この場に臨みました。法人評価委員会の三名の委員からの質問にこちらが答えるかたちです。

質疑の詳細は割愛します。ヒアリングの性格上、アンフェアと取られてもいけませんので。

質疑ではほとんど松田学長が的確に応答していましたが、わたしも三件くらい、答えました。

それにしても、東京の霞ヶ関のあたりも屋外に出ると暑いですね。しかも文科省のビルも、正門につながるエスカレーターは節電のため止めているし・・・・。いま、霞ヶ関を子どもたちが見学するイベントをやっていまして、たくさんの家族連れが文科省を訪れていました。(11.8.19.)

「副学長だより」(230)

 大学敷地周辺で火災 

8/17に開催の学長・理事懇談会で,一斉休業に入った初日の12日に、勤務先の附属高校南側の竹藪で火災があったとの報告を受けました。不審火らしい、ともあったので、現場に行って視認しました。

高校側の南門を出て,その路地が自動車道と交差するT字路にあるこじんまりした竹藪。路地を隔てて高校のすぐ側とも言えます。また、数メートル離れて民家があります。

少し離れた二箇所に大きく燃えた跡があり,それぞれ竹の根元のあたりが大きく焼けており,自然発火ではなさそう。またタバコの不始末ではない様子(専門家ではありませんが)。現場の燃え具合からは放火の疑いが濃厚かと思います。

別記の8/8の学内火災との関連はまずないであろうとは思いますが、学内ではその火災の直後から、防火の呼びかけ、消化器の点検と(古いものの)更新などを徹底しております。(11.8.18.)

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TODAY'S MESSAGE:Current Topics

◇◆◇ お盆 雑感 △▲△

勤務先の科室(プレハブ)の出火・全焼など、あわただしい対応の日々が続いて、やっとお盆を迎えました。

しかし、そのくらいはまだいいほうで、1つは東海テレビの「テロップ問題」、今1つは、京都の五山送り火での陸前高田の松(護摩木用)にかかわる問題など、世間では、厳しい世論にさらされて責任問題を突きつけられている人たちも居ます。

テロップの事案は、試写用につくったフレーズ自体が、あまりにも現実無視・無知の、悪ふざけを通り越したものであって、岩手の人々ならずとも怒りと抗議が起きるのは当たり前でしょう。

なぜ、放送前にチェックできなかったのか。この経緯の検証を『朝日新聞』名古屋本社版がかなり力を入れて記事にしていましたが、そうした職場の体制の問題の底流に、最近の日本社会の傾向があると思えます。それは、「笑い」「ギャグ」を大衆の価値ありとする風潮の中で、相手を思いやる他者感覚の欠如が、おもに言葉を使う現場で歯止めがきかない程に深刻になっているのではないか、ということです。

東海テレビと同じ系列のフジテレビでは、側聞するところでは、先の大津波の中継中にリポーターたちの「もういい加減飽きたね」の声が入ったり、先日のサーカー・松田選手の急逝の通夜中継の際に女性リポーターが自分の映り方を茶目っ気で語る場面が放送されたりするなど、たんなる「ゆるみ」を超えた、言葉をゴミ捨てのようにその時その場の雰囲気でまき散らす文化問題が図らずも現れています。

2つめの京都の五山送り火の件も、底流には「他者感覚の欠如」という共通する要素があります。
発案者とされる大分の美術家F氏と、NPO法人「ふくい災害ボランティアネット」の福井市議でもあるG氏とが協力する形で進んだようですが、そもそも、京都の保存会に初めからそのアイデアを持ち込んできちんと五山の連合会に諮ってもらうなどの手続きを踏んでいれば、ここまで混乱は起きなかったでしょう。それを、自分たちでさっさと話をまとめ、すでに陸前高田の松を使った薪を取り寄せてつながりをつくっていた上記のG氏の介添えで、現地の被災者の思いを記した護摩木に見立てた薪をつくりはじめた。そうしておいて、いわば下地をつくった上で保存会に話を持ち込んだ。「がんばれ日本」のこの国を挙げてのムードの中で、五山の保存会も、引くに引けない世間の空気があって、何とか受ける方向で動きかけた時に「放射能被爆」が問題になった。以後は、ご存じの展開です。

はじめから段取りを立てて進めれば、〈今年の五山送り火で被災した松を護摩木に流用して使う意義、それに使用する松の放射性物質の科学的な検査、専門家の所見、こうした制度面での京都市の援助体制、これらの発展としての陸前高田と京都の市民の交流〉と、むしろ市民社会の結束・交流をしめすほどの大きな取組になり得たはずです。

補注:以上の京都の件は、この事案を時系列で細かくまとめたサイト(URL=http://www14.atwiki.jp/kyoto-henkouhoudou/pages/1.html)を参考にしました。ただ、このサイトの発信責任者が不明で、よくつかめず、上記の元の発案者たちを山師・ペテン師、メディア報道のことを「偏向報道」などとかなりキツイ悪罵も散見されるので、あまりお薦めはできません。

話を戻して、こうした一見すると別々に起きた事案が、実は、いまの日本という国の浮き足だった現実、他者の存在を感覚するという市民社会の基本中の基さえもあやふやな状態で、言葉を商売とする方々が平気でその空気に乗ろうとして「軽いのり」的な言動をする。そして、ひとたび市民からメール等で抗議が入り話題になると、一気に、ブログ、ツイッターで広がり、当事者のHP・ブログが瞬く間に炎上してしまう。これは、インターネット用語で、蜂の巣をつつくように集中的におこなわれるので「バジング buzzing」といいますが、結局、当事者が謝罪して一件終わったかに見える。しかし、この2つの事案もそうですが、そこから何も社会自体が学び取らないで、先へ先へと進んでいく。この無責任・他者欠落・流動社会、まさに日本のリキッド・モダニティの現実こそ、今回の2つの事案を生み出した本質なのではないでしょうか。(11.8.14.)

【補注】上記の「リキッド・モダニティ」(liquid modernity)は、ポーランド出身の社会学者, ジグムント・バウマン(Zygmunt Bauman)が原著、2000年の同名の書物で提起した新しい概念です。(11.8.14.)

◇○◇ 民主党代表選という物語 ◇●◇

この話題は「副学長だより」でアップするといささか物議を醸しかねないので、HPライター個人としての意見で。

お昼の休憩時に、ラジオで五名の方の演説の一部を聴きました。決選投票の結果、ご存じの結果となりました。しかし、私見では、厳しい今後が予想されると思います。

(1)来年度の概算要求について、今年度比での1割削減案などが取りざたされている中で、この原案の出所と、これまで財務大臣を務めてきた新代表・野田佳彦氏とは財務の関係で深いつながりがあること。(2)29日、民主党両院議員総会での最終演説で、野田氏は、「国会議員定数」「公務員定数」「人件費」の削減に全力を挙げ、国民の負担もお願いする「覚悟で政権運営に当たる」と述べていること。(3)以前からの増税論者である氏が首相職に就けば、早いうちに「復興税」などの名目でそれを打ち出してくること。(4)8月の「終戦記念日」にあたり、靖国神社に祀られている「A級戦犯は戦争犯罪人ではない」(『東京新聞』8月17日付、ウェブサイト報道より)と、公言したこと。

そのほかにもあるでしょう。たとえば、普天間基地問題には五名のうち誰一人として言及しなかったこと。これはこれで一国の首相就任が予定されている者として、政治家として、とても奇妙です。沖縄問題は五氏にとっては視野の外なのでしょうか。

話を戻して、野田氏自身が演説で語った「(「金魚」に比して自分をたとえた)ドジョウ」だからというわけではない、「ドジョウ」の振りをしながら、実はオオサンショウオにもワニにも匹敵する権力を発揮するだけの、信念と開き直りと行動力を持っているから怖い存在なのです。それは時として「金魚」を圧倒する場合もあり得ます。

たとえば、「金魚」に類すると目される鳩某氏の言動を観れば、「金魚」系の危うさがよくわかります。最高の地位について、困難に遭遇すると「もうやらない」と言い出して、そこから降りる。本当にもう政治の第一線から身を引くのかと思いきや、その舌の根も乾かないうちに、早くも「政局」に口出しをして、「金魚」ぶってみせる。

それに比べればまだ・・・・、と妥協してはだめ。と、わたしは思います。経済は疲弊している。そこへどのような名目であれ増税が持ち込まれれば、貧困格差は今以上に広がり・深まり、もっと暗澹たる社会に転じていきます。アジアが日本の動向を今まで以上に見ているのは、氏も百も承知。それでもあのような発言をして隣国を刺激するとは。外交センスとしては、ゼロに等しい。

50代半ばの人物が新首相の座に就くこと自体は、世界の趨勢から観ても何よりも歓迎すべきことなのですが、それが野田氏個人となると、そのナショナリズムを含めてとても危険な要素だと思います。(11.8.29.)

◇◇ 箸休め その11:「世界遺産」の北京へ ◆◇

8月下旬にやっと休暇を取って、二泊三日で北京に行ってきました。青島経由で約4時間半(トランジットを含む)。

頤和園、万里の長城、故宮博物院(注記:台北にあるのは実際の青磁などを所蔵しているので博物館)、そして天壇公園と四カ所(いずれも世界遺産)を観て回りました。そのほかに、オリンピックメイン会場となった「鳥の巣」も。またオプションで、本場の京劇も観てきました。

市内は予想以上に、都市化しており、夜の9時台でも片側三車線の大きな道路が車両(公共バス、自家用車、自転車)で一杯でした。また、立ち並ぶ高層マンション群と、いずれは取り壊し・排除されるらしい平屋のママの旧市街区の共存。そして、公称では人口13億だが、出産しても「一人っ子政策」で届けないために戸籍登録等のない人がそのほかに約1億人(中国人ガイドの話)という、一国家の実態など、短時間でしたがとても興味ふかいことばかりでした。

万里の長城では、現在観光の対象となっている八達嶺に行きました。傾斜60度という急勾配の石畳(通称、女坂)をどうにか登って、二番目に高い地点のもと軍事台地(見張り所)にまで行ってきたので、後悔はなし(とは言うものの、ほとんどの方が登っていました(笑))。(118.29.)

◇○◇ 大阪の教育はどこへ向かうのか:「民意」の悪しき利用 ◇●◇

大阪維新の会・大阪府議会議員団のHP(あいち民研,大橋研究部長の情報提供。)によれば,「教育行政に民意を反映させるため、教育基本条例案を提案」するとして,その趣旨を「教育行政そのものからすら、政治が過度に遠ざけられてきました。その結果、民意を教育行政に十分反映することができてい」なかったので,「大阪の教育行政のあり方に民意を反映し、大阪の子どもが適切な教育を受ける事ができるよう、大阪維新の会議員団は教員基本条例案を9月定例会に提出」するとしています。

「条例案の概要」として,(1)政治の教育への関与,(2)新しい校長像,(3)学校間競争の促進,(4)保護者への要請などをあげています。

これを見る限りは,「政治」と言っている中身は,憲法でも保障されている市民の参加権・知る権利を前提とするそれではなく,特定の立場にあるものが特定の目的の下に公権力をもって統治して良いとする,市民不在のファッショ的な支配体制を指している。

具体的には,大阪府・大阪市の教育委員会並びにその監督下にある校長の権限を強化し,従来の「特別権力関係」(特定の目的のために特定のものが特別に公権力を行使してその関係するものを服従させることができる,とする法条理の理論)を多少衣替えをして,府下全般に行き渡らせ,首長やその意を受けた教育委員会の指揮命令に従わない教員は排除し(「日の丸・君が代」の不斉唱・不起立への処分も相まって),一糸乱れない,と首長側が考える「大阪の教育」を実現していく。こういうまさに政治的野望を述べたものとしか理解できません。

たとえば、「大阪府教育基本条例案」の第9条は、「教員は、自己の崇高な使命を深く自覚するとともに、組織の一員という自覚を持ち、府教育委員会の決定、校長の職務命令に従うとともに、校長のマネジメントにも服さなければならない」とあります。いかなる決定か、どのようなマネジメントか、という質の理解と判断を抜きにして「従う」ということは、専門職者であるならありえないはず。これは中学生でも分かる問題です。それが、「条例案」では、はじめに服従ありき、になっています。

しかも,学校間競争や家庭教育の統制までもして,「教育行政への民意の反映」と言いつつも,実は,民主主義教育では根幹にある私事的教育への公の介入・関与なのではないでしょうか。「民意」を反映させる,その仕掛けの逆ルートで「民意」に首長およびその支持政党の政策的意図を反映させていく。この相互浸透のからくりこそ,同「維新の会」の本心ではないかと読み取りました。(11.8.24. 一部補筆)

◇○◇ 研究の面で ◇●◇

立秋もすぎて朝夕は涼しい感じさえしますが、いよいよ読書や文化、学術の秋ですね。いまは原稿の執筆からも遠ざかっていますが、以下は最近の研究面の仕事です。

あいち県民教育研究所の20周年記念シンポジウムの記録集を発行することになり、パネリストとして報告した内容の原稿を校正して、担当の大橋研究部長さんに送りました。「あいちの子どもと民研」と題して。近日刊。

『生活指導』(明治図書刊)11月号に掲載される「今月のメッセージ」を書きあげ、編集部に送りました。「希望を持って再スタートを」と題して。10月中旬の刊行。

9月3日〜4日に金沢大学で日本生活指導学会が開かれますが、その全体会(3日)が「生活指導と発達支援」のテーマですが、そこで指定討論者として教育学の立場から発言します(10分の時間をいただいている)。「発達を関係性・他者・自立の観点から読みひらくとき」と題して。

9月には22日、26日、29日と変則ですが、京都府立大学の大学院で集中講義を行います。「社会福祉論研究」の科目です。同大学の築山崇氏からの依頼によるもの。拙著『市民社会の教育』創風社をテキストにする予定。

10月1日〜2日、秋田大学で日本教育方法学会が開催されます。その全体会(1日)で「秋田の学力問題」をとりあげ、その司会役(二人で担当)を委任されました。

10月には、定例の「折出ゼミ」を開きます。

研究活動は地道に継続してこそ、その真価が発揮されるものなのですが、なかなかそうはいかないところが悩みの種。いまは、理事の仕事に忙殺されようとも、研究を掴んで離さない、といったところでしょうか。(11.8.22.)

◆◇ 京都教育大学集団準強姦容疑事件(その2) ▲△

【その後】判決文は閲覧制限がかかっているので,ネット上の発言者たちもそれぞれが入手した断片情報でこの事件について言い合っている。その様なときにちょうど,原告・男子学生側の代理人である大阪の弁護士(女性)から,わたしのデスクに電話があり,一度,詳細を説明したいといってこられました。それはこのHPの記事がどうこうではなく,わたし自身が一定の影響のある立場にもあるので、あくまで法的立場から真相を伝えたいというご主旨です。

過密日程で,すぐに時間が取れるかどうかはわかりませんが,あくまで研究者個人として,ご説明を聞きにうかがうことも考えています。

そこで,この記事については、当初のアップを圧縮し,集会の様子と,私見のみに絞って再掲しておきます。(11.8.24. 一部加筆・削除して補正しました。)

【付録のことば】

わたしは、こうして名前を明かして公開の場で自分の考えと見方を開陳している。これに異論・反論・疑問があるなら、この頁のトップにメールアドレスがあるのでそこからメールでわたしあてに、お名前を明かして議論を挑んでくださればよい。いつでも受けて立ちます。ただし、【そのやりとりはこの場で全て公開する】と。

【元の発信:圧縮版】8月7日、大阪のドーンセンター(府立女性センター)で、標記の問題についての緊急学習会が開かれました。会場は地階の多目的ルームでしたが、狭い部屋に多くの人が参加し、消防法で椅子を制限されているため床に座る人もかなりいました。

弁護士の養父知美(ようふ・ともみ)氏が、「判決に見る偏見と無理解」と題して約90分話して、あと1時間質疑・討論でした。

この事件は、2009年の2月、京都教育大学の体育学科(所属名は訂正しました。8/24注記)の卒業生追い出しコンパが終了後、その中の一人の女性(当時19歳)を別の部屋に連れ込んで、4名が強姦し、2名が体に触るなどの性的暴力行為に及んだものです。女性の訴えを受けて、大学は、同年3月19日より無期停学という処分を教授会で決定しました。それは、女性が卒業するまでのあいだ、男子学生との接触をさせないという目的も含んだ「無期停学」であった、と会場の発言から知りました。

その後、男子学生側は09年8月以降に処分取り消しの提訴をおこし、事件から丸二年以上が経過した、7月15日、京都地裁は「女子学生の同意があったので、本件は集団準強姦事件ではない」「男子学生の言い分を考慮しなかった処分は無効」として、性暴力行為に及んだとされた4名全員の処分無効を下しました。

養父弁護士の論点は、地裁が「集団準強姦事件ではない」としたその認定に対する疑問を過去の同類の判例も引用しながら立論し、要するに、男子学生の言い分を根拠にして女性側に「同意」が見られた、よって「事件」自体が不成立であっては処分は無効、とするのは、これまでにも繰り返されてきた男性側に偏った性暴力の認識が根底にあり、この地裁判決そのものがきわめて憂慮すべき問題だ、とするものでした。

生活指導や懲戒を扱ってきた研究者個人としての私見では,今回の「事件」には二層あるのです。(1)根底には同じ大学の上級男子学生による下学年の女性に対する集団による性暴力行為があったこと。この刑事事件的側面は、「同意はなかったのに、それがはあったものと勘違いして行為に及んだことは謝罪する」と男子側が述べて示談が成立したから、集団準強姦としての起訴はなされなかった(会場発言によると、起訴しても、被害者側が証言を拒むなど公判を維持できそうにないと判断した面もある)。

第二層として、(2)大学は、この事件において被害者の「同意」があったかどうかも含め、いかなるものと判断されるかは司法に委ねるが、居酒屋という公衆の場で見張りまで立てておこなった当該の男子学生たちの性的行為は「本学の学生の本文に著しく反する」ので無期停学の処分を決めたこと。この懲戒権行使は、わたしは妥当であるとおもいます。

会場で報告された最新の情報では、京都教育大学は「無効判決」後に教授会を開いて、処分は有効であると確認した。また、同大学は京都地裁の判決には控訴して大阪高裁で争うことになった、ということです。

△▲ 66年目の「原爆の日」 ▲△

6日、被爆から66年の「原爆の日」を迎えた広島・平和記念公園で、「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」が営まれました。2011年の市長選で自公の推薦を受け前市長秋葉氏後継者を破って就任した松井一実市長は、ご自身が被爆二世ということもあって、「平和宣言」起草に当たり市民から被爆体験を募ったそうです。

被爆当時、中学生や女学校生であった方の生々しい体験を引用し、実感に訴える「宣言」でした。現場で苦しむ人を助けられなかった罪悪感、身内の中で自分だけが生き延びたことの苦しみなど、被爆者の心情に深く寄り添った、戦後生まれの初の広島市長らしい内容であったと思います。

これまでの秋葉・前市長の国際的な視野に立った理念的な「宣言」とはやや対照的ですが、現市長の思いは十分に表現されていました。政治的立場の違いはあっても、やはり、こと平和希求に対しては広島の市長はこうあるべきです。最後のくだりでは、市長は「エネルギー政策の早急な見直し」を政府に要求しました。

菅首相の表情は硬く、式辞も、あまりインパクトはありませんでした。内閣支持率が12%当たりまで落ち込んだ今、市民の中からあるいは抗議の声とか批判が会場からも出る可能性もあったかと思いますが、SPの警備に守られ、無事に進行しました。

子ども代表の「平和への誓い」のほうが、新鮮で、訴えるものをもっていました。改めて、時代の空気を吸い込んだ、ほんらいのリーダーの「言葉の力」とは何か、を考えさせられました。(11.8.6.)

◆◇ 京都教育大学集団準強姦容疑事件 ▲△

これについては、原告四名の学生の(京都教育大学による無期停学という)処分の無効を決めた京都地裁判決を問う「京都教育大学集団準強姦容疑事件に関しての京都地裁判決に対する緊急声明」(2011年7月25日)が出され、すでにその賛同者が600名を超えるほどになっているようです。

2011年8月2日付の『朝日新聞』関西版によると、セクハラ問題を考える「キャンパスセクハラ全国ネット関西ブロック」が8月7日、大阪市内で緊急学習会を開きます。その主旨は「学生らが不起訴となった後も無期停学処分を解かなかった同大学に対し、京都地裁が出した処分無効の判決について、問題点などを検討する」点にあります。

わたしも、大学の総務担当理事としてこの「事件」には関心があり、一般論として、今後のキャンパス運営にも係わる事案なので、上記の「学習会」に参加します。(11.8.3.)

○◇ 箸休め その10:「会食」プラスα ●◇

ある国立大学の理事の方でお酒のとても強く嗜好もゆたかな方がおられ、以前からも私的に交際しております。今回も、年下のわたしに「一杯、どうですか」と声かけがあり、出かけてきました。名古屋市内東区泉にあります「料理 川由」です。差しで飲みました。

事前にネットで見ますとその店は「おこぜが有名」とありました。その通り、おこぜが姿造りで出ました。まず刺身をおいしくいただき、次に、他の背の部分は揚げ物で出てきました。さらに、最後の食事の際に、お吸い物の中に尾の部分も全て入っていました。味わいのあるお汁です。

その理事が「折出は酒にうるさいから」と気を遣って、「常きげん」4合瓶を持ち込んでくださり、これをいただきました。そうこうするうちに、店のご主人が出てこられ、なんと、わたしが広島出身と聞いてらしく、所蔵されていた銘酒「雨後の月」4合を提供してくださったのです。これは広島の呉のお酒です。知る人ぞ知る銘酒の中の銘酒。めったに手に入らないのをあるルートで入手なさって、いままで保存しておられたらしい。ありがたく、一献一献を味わいながらいただいたことは言うまでもありません。

※ さすがにこの銘酒は、(酔った目分量では)半分程いただきましたが、あとはご主人に返しました。(11.8.20.)

○◇ 箸休め その9:「ネルとも」 ●◇

連日の猛暑、いかがお過ごしですか。

12日から孫たちが来ております。4歳(男女2人)と小2(女)の子どもたちは、家にじっとしていなくて、愛知万博跡にある子ども公園のプールに行ったり、近くの小高い山に虫取りに行ったり、なかなか活動的です。そして、汗を一杯かいてかえってきてはシャワーを浴びています。三人はちょうど年齢的にも合うのか、家の中でもわいわいと追いかけっこをしたり、テンションが下がりません。

まだ9ヶ月のCさんは、ハイハイもできるし、お兄ちゃんたちの遊ぶのを見ては何か声を発しています。しかし、まだ乳児なので、よく寝ます。そんなとき、つきあうのがわたし。みんなが出かけた時、彼女の横で、子守りも兼ねて寝ています。これを「メルとも」(メールともだち)ならぬ「ネルとも」(寝るともだち)と言います(笑)。連れ合いが名付けた新語。

フローリングに敷物を引いた上で寝ている時は、足がフロアにあたると気持ちが良いのでしょう。右足をぶらぶらと床にこすりながら、寝ています。乳児にしてから、寝る時にさえなにか楽しんでいるようで、おもしろい。

たぶん、皆さんはこんなイメージでは。大きな象のそばで、かわいい子鹿が寝ている感じかな・・・・・。では、この辺で。(11.8.15.)

○◇ 箸休め その8:「舟を刻みて剣を求む」 ●◇

最近、名古屋市内で大学の事務関係者のセミナーがあって、勤務先の職員A氏もそれに参加した。そのとき、この春、近隣の国立大学に異動されたB氏も参加していた。B氏が、折出に伝言を、と言ってある言葉をA氏に託した。それが、標題の言葉なのです。

これは、中国の古典『呂覧』に出てくる言葉です。古語的には「舟に刻して剣を求む」です。楚の国の武人が河を舟で下っていたときのこと。その大事な剣を河に落としてしまった。彼は、舟のへりに刻みを入れて、ここで我が剣を落としたと言い、舟を止めさせた。そして刻みの場所を目印に水中に入ったが、もはや剣はなかった。という寓話から来ている言葉だそうです(『中国古典名言事典』講談社学術文庫、668頁)。

この戒めの言葉を、わたしは、今年の新春での事務職員を前にした恒例の役員挨拶の時に引用して、「ここでわたしは仕事をしたのだ、と刻みを入れても、どんどん情勢は動いている。その刻みの場所に自己の栄光を探しても、もはや遅い。情勢をしっかりとつかんでのアクティブな仕事が必要です」という主旨の話をしました。

B氏はこの4月1日の異動ですから、おそらく、新春の時のわたしのつたない話の中で、その標語的なことがらを聞いて、覚えておいてくださったのでしょう。そして、異動先の大学はかつての古巣らしいのですが、そこに戻ってみたところ、「刻み」の場所にもはや自分の誇りとする業績も場も見あたらない、という主旨を込めての「伝言」だったのではないでしょうか。

確か、B氏は、有名私学を出ておられて、教養のある方。その言葉に託して、あと数年で定年を迎えるのだが、かつて若い頃にバリバリ仕事をした、その「剣(つるぎ)」にあたる光り輝くもの・自己の栄光は、いまは「そこ」を探しても見あたらないという、悲哀といいましょうか、事務職員の方のある種の宿命と言いましょうか、それをわたしに伝えたかったのかな。間違っているかも知れません。

ただ、わたしとしては、その言葉を受けとめて胸にとどめてくださったことに、ちょっとジ〜ンときました。(11.8.2.)

◆◇ DV加害者プログラム参加者からの聴き取り:日本女性学会ワークショップ ▲△

7月30日・31日と、2011年度日本女性学会大会が、震災の影響で日程と会場を変更して名古屋で開催されました。会場は名古屋市男女平等参画推進センター「つながれっとNAGOYA」。

その二日目の午後、あいち民研の所員でもある岩瀬祥代さんが担当するワークショップ「僕たちが気づいたこと:DVのない社会づくりをめざして」が組まれていたので、午前中のオープンキャンパスの全体会のあと大学を出て、こちらに参加しました。職場でのハラスメント問題、ハーマンの『心的外傷と回復』で学んだ対人関係性など、この問題につながることを今まで考えてきていたので関心があったからです。

もちろん、女性学会に参加するのも初めてです。

その会場(多目的ルーム)には、15名くらいの参加があり、男性はわたしともう一人若い方の二人。そして、報告者の男性二人。彼らは、39歳、40歳で、いずれも既婚者で、それぞれ子どもさんが3人います。名古屋にある「DV防止教育センター」に通って、「DV加害者プログラム」に参加し、DV行動に気づき乗り越えてきた体験者ということで、このワークショップに招かれたわけです。岩瀬さんはそのセンターの主宰者です。

語られた内容をワークショップ外に断りなく持ち出すのは、こうした聴き取りが主体となる研究会のルールに反するので、ここでは扱いません。

彼らの報告を受けて質疑が行われた後半の内容から学べる点を、いくつかあげておきます。1つは、DVとは親密なものとの間で行われる暴力ですが、その暴力とは殴る・蹴るなどの身体的な行為だけではなく、相手への暴言・執拗な追い込みなど精神的な攻撃も含むと言うことです。報告者も、「DVという話題は知っていたが、自分は『手を挙げている』わけではないし、DVとは無縁だと初めは思っていた」と話していました。このことが印象的でした。

2つめに、DVは、暴力を介在させて相手をコントロールする負の関係性を象徴する加害行為です。ということは、暴力を介在しなくても、相手を引き留める、相手からどんどんこちらに係わってくれる、相手からの親密な感情が感じ取れる関係が日常的に得られることが実践できれば、それを乗り越える可能性は十分にあるということです。その合い言葉が「相手の尊重」「信頼」です。

3つめに、DVが継続している時には、職場での対人関係でも、相手に対する攻撃的な態度や威圧的な行為が繰り返されることはある。このことも、お二人の報告から感じ取れました。職場の労務管理サイドからは、単にハラスメントの表面的な解決だけではなく、中には、その人の家庭関係も含めた、きめ細かなケアが必要となる場合もあることを示唆しています。(11.8.1.)

◆◇ これが本当に民主主義(民が主人公)の国の姿だろうか ▲△

7月29日の『朝日新聞』をはじめ各紙報道のように、九州電力の「やらせ指示」事件を契機に、総務省が「過去5年、計35回の国主催の原子力関連シンポジウムについて、電力7社に調査を指示」したところ、中部電力と四国電力が「経済産業省原子力安全・保安院から、推進側の参加者動員や発言を指示されていたことを明らかにした」ということです(URL=http://www.asahi.com/national/update/0729/TKY201107290669.html)。
  

原子量発電所の継続・推進を公的な場で問いかけて、その責任主体が「原発推進・肯定」を言わせるべく裏で動員等の画策をしておく。これが、21世紀を迎えた先進国日本の行政の姿であって良いのでしょうか。

九電の場合は、一社単独で行った、企業幹部も関与している疑いのあるきわめて反社会的な行為ですが、上記の場合には、国の機関、しかも原子力行政の安全と点検を託された機関が、「やらせ指示」の母体であった。こんなことを、いったい、わたしたちは次の世代の若者や子どもたちに、どう語ればいいのか。

自分たちが(教師や親の目を盗んで)弱いものいじめをさんざんしておいて、クラスで「いじめ」問題が取り上げられると、裏で手を回して、「いじめはなかった」「いじめをみなかった」と多数に言わせる。中には「(いじめグループの)○○君たちは、(いじめられる)△△君といつもなかよくやっている」とまで言わせる。

「原発」と「いじめ」でテーマは違うように見えるが、そのやりかたの卑怯さ・非業では、同じ構図ではないでしょうか。

しかも、保安院の多くは「技術者」「科学者」を社会的に名乗ってきた人々。いったい、あの初心であったはずの真理の探究、客観的な論理の優先はどこへいったのか。そんなにも早く「科学的探求心」は腐り果てて、権力におもねるように変質するものなのでしょうか。

他方、こうした構図の上に原子力行政を推進してきた当時の旧政権党は、こうした事態に対してどう説明をするのでしょうか。「知らぬ・存ぜぬ」では済まないと思います。(11.7.30.)

                                *      *                              


副学長だより 保存版


「副学長だより」(229)

 学内施設の火災 

8月8日、勤務先の施設から発火、全焼しました。大学のHPに載せたその広報記事です。

平成23年8月8日  総務担当理事 折出健二

平成23年8月8日(月)13時28分,愛知教育大学内にある特別支援教育専攻学生控え室において,火災が発生し,建物平屋プレハブ88平方メートルを全焼しました。消火活動中,生協職員が煙を吸ったことにより救急車で搬送されました(軽い炎症と診断)。現場検証を済ませましたが,原因については現時点では不明です。

−−−以上が広報の記事です。地域の皆様にはお騒がせしまして、申し訳ありませんでした。(11.8.9.)

「副学長だより」(228)

 オープンキャンパス 2011 

7月30日,31日の両日,標記の行事を行っています。第一目は,担当課によりますと,1,957名の方が来学されました。本日(31日)も,講堂は全体会の開演前から一階席,二階席共に満席となり,松田学長の話が始まる頃には,両サイドの通路にも参加者がぞくぞくと入ってこられて,申しわけないが立って聴いていただくこととなりました。

休日と言うこともあるのでしょう,友人同士以外にも親子連れが目立ちます。(2011.7.31.)

【追記】担当課の速報によると、二日間で、なんと4,400名余であったそうです。過去最高です。参加された高校生、保護者の皆様。ありがとうございました。(11.8.2.)

「副学長だより」(227)

 新規(2012年度)採用の面接 

主に2012年度4月付で採用する新規職員の採用面接を7月28日、行いました。総務担当理事として、面接官を引き受けました。

東海地区の国立大学法人職員採用選考で、学科試験をパスした方のうち、愛知教育大学を志望される方が三桁の人数でいまして、すでに人事課がグループ面接を行い二桁の人数に選考を絞りました。採用選考に係わるので、この場での詳細な数字は避けますが、新卒・既卒あわせての人数です。

28日に実施したのは、その二桁の人たちに対する第二次面接(役員が行う最終面接)でした。朝9:00から始めて(一人当たり20分を目安とした面接時間)、お昼の休憩をはさんで午後の5:30に終了した、と申せば、おおよそ何人くらいであったかはお察しの通りです。

自分の質問に対してだけではなく、他の面接官の質問への答え方もきちんと受けとめた上で総合的に採否の判断をしますので、結局、上記の時間帯をずっと神経を集中させていたことになります。

面接は、こちらが相手を選抜するのではなく、志願者が「ぜひ入りたい・採用されたい」と思うような面接にするのが、コツのようです。要は、面接者が面接されるのです。本学を志願してくれている彼や彼女は、暑い中、リクルートスーツで本学に来ていますから、わたしも、クールヴィズスタイルではありますが、夏用のジャケットを着てポケットチーフも添えて正装に近い雰囲気で終始応対しました。

約20分程度ではあっても、出会い・質疑応答・意思疎通のこの関係性の弁証法に身を置きますと、確かに緊張はしますが、まさにすばらしい人間関係の世界。そして、どんな書物にもない、まさに臨床の最高のテキストです。良い勉強をさせてもらいました。志願者の皆さん、お疲れ様でした!!(11.7.29.)

「副学長だより」(226)

 スーパー・クールヴィズ(愛知教育大学グッズ) 

猛暑の時期に入り、勤務先でもスーパー・クールヴィズを9月末まで実施しています。その一環で、リサイクル・エコロジー・ポロシャツを大学生協のご協力で制作し、販売をしています。わたしも、ライト系のグリーンを1着買いまして、使用しています。販売当初の特価は2,700円でしたが、いま定価の2,900円です。

ポケットの部分に、大学のシンボルである「かきつばた」(キャンパスのすぐ近くに有名なカキツバタの群落があり、名勝地にもなっている。)をあしらったマークが小さく入っています。

ペットボトルを再利用して繊維に組み込んだ造りなので、軽くて、さらっとしています。ご関心のある方は、下記のアドレスにお問い合わせください。
E-Mail:coop@coop.aichi-edu.ac.jp

折出から紹介された、と言ってくださって結構です。(11.7.21.)

「副学長だより」(225)

 個人情報の入ったUSBメモリーの紛失 

このたび、本学職員の不注意により、学生及び教職員の個人情報を保存したUSBメモリーを学内で紛失するという事態が生じました。

紛失したUSBメモリーの個人情報は学生217人,大学教員21人,職員13人の計251人分の氏名,所属,メールアドレスなどで,教員の一部については,住所,生年月日,経歴等も記載されていました。7月11日(月)に職員が紛失に気づいたものです。本日現在,情報漏洩などの事実は確認されておりません。

該当者の方々には、ここに謹んで深くお詫び申し上げます。

今後は、情報セキュリティ対策として、(1)学外に持ち出すノートPCやUSBなどの情報保護対策を集中する、(2)学内使用のノートPCやUSBなどの紛失・盗難対策を強化する、を共に一層徹底して、管理と意識の浸透に心がけるようにします。(11.7.12.)

「副学長だより」(224)

 公立高校で「教員養成」の授業 

7月12日に,名古屋市立緑高校の「進路指導ガイダンス」の一環で,「教員養成」について授業をしました。1コマ目が38名,2コマ目が24名でした。いずれも60分の授業。

「教員養成で何を,どのように学ぶか〜愛知教育大学を例に〜」と題して,後半は教員養成課程の詳しいカリキュラムや教育実習の話を重点にしました。

イントロダクション風に,「大学で学ぶこととは」を話しました。以下が,その部分のレジュメです。生徒たちは,静かに,熱心に聴いてくれました。

大学で何を身につけるのか。それは,存在・本質・概念の三点セットをしっかりと踏まえた思考力である。

これは今回の私の講義の一番の隠し味です。(11.7.12.)

【なぜ、大学に行くのか】
◇「これが好きだから行く」という、あなたならではものを大事に。
◇偏差値、大学名がすべてではない。「何をしたいか」が、あなたにとっての大学の決め手。
◇人生の中で、「自分の成長のために使える唯一の時間」=大学生活。→ どう成長していきたいのか。
◇日々の高校生活の充実が、大学選びの土台に。

【大学で何が身につくのか】

(1)物事・ひとに対する見方、考え方(思考、認識の方法)を獲得する。
個別の存在・現象、その目には見えない本質、
これら存在と本質を統合してつかむ概念。
→ この三点セットが、人生を、仕事を切り開く上でとても重要な主体的力量(思考力)となる。
→ 全体的思考、未来志向、意味づけ
 

(2)多様な個性との交流・出会い
  異質な個性との共同、創造の体験
 

(3)専門の知識・技術の修得

「副学長だより」(223)

 オープンキャンパス 

愛知教育大学では,7月30日(土),31日(日)と,標記の行事を行います。下記のサイトでご覧いただけます。

オープンキャンパス

今年は,土曜・日曜に実施しますので,昨年に増して参加者が多数来学されると予想し,『大学案内2012』など説明用資料も十分にお渡しできる部数を用意しています。

「副学長だより」(222)

 PISA問題から見える日本の課題 

6月30日(木)10:00〜12:00、名古屋大学 シンポジオン・ホール(名古屋大学東山キャンパス)において、「アンドレア・シュライヒャーOECD事務総長教 育政策特別顧問講演会」がありました。PISA問題もさることながら国際的な高等教育の情勢を知る上でも聴講したいので、参加してきました。

A.シュライヒャー氏(Andreas Schleiher)については,ハンブルグ大学を卒業後、1989〜92年の間、「国際教育到達度評価学会(International Association for the Evaluation of Educational Achievement)」の分析責任者を経て、94年からOECDの仕事に従事し、97年、PISA 総括責任者、09年12月からは事務総長、そしてドイツの教育改革にも貢献しているということです。

講演と質疑で約2時間。繰り返し氏が強調したのは、世界の労働市場が大きく変化していること。routine manual(単純認知作業)が(市場の評価としては:折出補注)下がり、非単純・分析作業が上昇している。前者は、コンピューターがこなしてくれる。「既知から、これを批判し応用できる力へ」という変化がどうしても必要だ、ということです。以下は、印象的であったいくつかの要点です。・・・・・

◇PISA結果のトップとなった上海(中国の他の都市は、PISAの求める基準に達せず、公表からは外されている。)は、行政が優れた校長を問題の学校に送り込んで教育システムの質を問うた事例。日本・韓国・フィンランドは、教員の資質向上に投資しようとしている点ではほぼ共通している。

◇PISA結果を見ると、「読書を楽しむ」では、2000→2009の順に、OECD平均は69→64と推移しているが、日本は、45→56と上昇している。同じく、教師が教えたことの子どもの理解度は、OECD平均65→68、日本50→63と、上がっている。

※ 折出注記:しかし、そもそも、二つの項目共に日本はPISAの平均以下であることが問題であったのではないか。

◇15歳の能力は19歳になって就職・進学の時に、大きく作用する。この発達を支えるには、教育への社会全体のコミットメント、メタ認知のコンテント(中身)を教えること、が大事だ。

◇フィンランドの成功要因は、研修機会の保障、インセンティブを与える(問題の学校に就任し改革すれば、その校長に特別の評価が与えられる。)、イノヴェーション、他教員から学ぶ関係性、をあげることができる。

◇学校を工場に見立てて運営するのはテーラーイズムであって古い。これからは、学校が教育改革の担い手で、政府・行政がこれを支えるモデレーターでなくてはならない。

※ 上海、シンガポール、カナダの事例がDVDで少し紹介された。

◇教育改革のためには、(1)全ての生徒に高いレベルを習得させる、(2)学び続ける動機づけ、(3)教えることの地位向上、(4)労働力、(5)説明責任という要素を持たねばならない。日本はこの10年、これらの課題に取り組んできており、うまくいっている。

以上の講演を受けて質疑が行われました。例えば、日本の校長にはUSAと比べて「裁量権 school autonomy」があると見て、その上で「何を、どう教えるか」が課題となっている、といった氏の見解は、現場の実態からはかなりかけ離れた認識ではないか。そうした疑問点は他にもあったが、まさに国際的な動向を知る上では参考になった講演でした。(11.7.1.)



レギュラー記事および「副学長だより」の以前のものは、「常設 2011」の「以前のメッセージ&情報」「副学長だより保存版」に移しましたので、そちらをご覧ください。
(11.1.1.)

                             *      *                          

新著刊行

2010年に、日本生活指導学会編『生活指導事典』(エイデル研究所)を刊行し、共同執筆者の一人として「いじめ」「生活指導における場と関係性」の項目を執筆しました。

わたしが編者をお引き受けして共同で執筆した教師教育テキスト『特別活動』(学文社、2008年)の二刷が2010年に刊行されました。普及と活用に感謝いたします。

                             *      *                          

2009年に、哲学の学会である全国唯物論研究協会の三十周年を記念して「哲学から未来をひらく」三巻本が企画され、その第二巻『生きる意味と生活を問い直す〜非暴力を生きる哲学』が刊行されました。豊泉周治・佐藤和夫・高山智樹編著、青木書店刊、同年7月23日発売、定価 3800円+税

全11章の論集のかたちです。わたくしも、「市民的自立の学校〜関係性の再構築」という論題で書きました。他に片岡洋子さんや佐藤和夫、後藤道夫さんたちが書いています。

以下は、2009年度に公表した論文です。
「原則と柔軟さ」愛知生活指導研究会(全生研愛知支部)40周年記念誌(2009年7月発行)。
「競争的自立観の矛盾と混迷を超えて」『生活指導』2009年5月号、明治図書、78〜83頁。
「道徳教育とアザーリング」民主教育研究所編『人間と教育』62号、旬報社、09年6月刊。
「道徳教育とは何か」開隆社編『KGKジャーナル』09年5月中旬刊。
 


常設のトピックス&情報 2011

(更新情報 2010.12.30.)「副学長だより保存版」を新設しました。(2010.12.31.)
「以前のメッセージ&情報」、「生活指導 ナウ」、「教育改革とわたしたちの研究・実践課題」を更新しています。










以前のメッセージ&情報 THE FORMER MESSAGES & INFORMATION

以前のメッセージ・情報(パートU) 副学長だより保存版 
THE FORMER MESSAGES & INFORMATION U; ARCHIVE of NEWS ON VICE PRESIDENT WORKS

いじめについて語る SOBA(Symposium of Bullying in AICHI/ SPEAKING ABOUT BULLYING)

新刊 わたしの書評 BOOK REVIEW

生活指導 ナウ JUST NOW LIFE GUIDANCE STUDIES

教育改革とわたしたちの研究・実践課題 PROBLEMS TO BE SOLVED AND EDUCATIONAL REFORM

わたしの生活指導研究関連著作 MY WORK ABOUT LIFE GUIDANCE STUDIES

プロフィール MY PROFILE〔縮小版〕


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全国生活指導研究協議会(新ホームページ)のホームページにつながります。

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