事件【新章 東北学】赤坂憲雄(6)「福島」の不安と向き合う+(1/3ページ)(2011.9.5 07:40

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【新章 東北学】
赤坂憲雄(6)「福島」の不安と向き合う

2011.9.5 07:40 (1/3ページ)
福島県飯舘村(8月30日)

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福島県飯舘村(8月30日)

 最近、海外から帰ってきた研究者に「福島は終わったことにされている」と聞いて、ショックを受けました。世界のメディアにとっては、福島はすでに第二のチェルノブイリなのかもしれません。福島の声、東北の声、日本の声が、国際社会には届いていないのです。わたしたちが何を思い、何に苦悩し、何と戦っているのか、その姿がまったく伝わっていない。

 チェルノブイリ原発事故では、ヨーロッパ全土に汚染が広がりました。25年たっても、まだ高い放射線量を示している場所もある。いまも食品の放射線量を計測している。いわばヨーロッパの人たちは、ずっと放射能汚染とともに生きてきたのです。だから、チェルノブイリとフクシマとはまっすぐに繋(つな)がれたのでしょう。「ノーモア・フクシマ!」の声が、いくつかの国を「脱原発」へと舵を切らせました。

 ここで確認しておいた方がいいと思うのは、すでにわたしたちもまた、放射能汚染とともに生きざるを得ない状況にあるということです。チェルノブイリでは、周辺の住民を強制的に避難させて、大がかりな除染作業は行わずに自然に任せたらしい。旧ソ連のように広大な国ならそういうことも可能だった。ところが、この狭隘(きょうあい)な国土ではそういう選択肢はない。

 いま、汚染のひどい区域で暮らす人たちのうち、子供がいる世代がとくに追い詰められています。とどまるべきか、避難すべきか、究極の選択を強いられているのです。放射性物質が子供たちに及ぼすかもしれないリスクは避けたいけれど、生活基盤を捨てるリスクや家庭が崩壊するリスクもある。おそらくは、とどまっても、避難しても、解決策にはならない。不安を抱えて生きることを強いられ続けるのです。

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