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2011年7月 1日 (金)

犬を扱う素養がない・・・それでも愛護活動と言われる

こんな人たちにでも愛護活動推進派と言われるのはどこに理由があるのだろうか?

サンクチュアリファーム構想という名前ばっかりで、その中身がはっきりしない阿保らしい構想を提唱していている、何とかっていう獣医師とそれを支持する熱狂的なキチガイ信者。サンクチュアリファームとは英語で理解すれば、聖域的な牧場とでも翻訳をすればいいのだろうか?考え方としては、問題になっている20KM圏内の家畜を一箇所にまとめるという構想なんだろう。最近は、この構想が声高に言われることが聞えなくなってきている。当初は、ドイツだどこの学者だと・・・その相手をしている獣医師の話が良く聞えてきたのだが、趣旨がはっきりしていないがために、なんだか尻切れトンボになっている。ドイツの犬猫たちのためのティアハイムのシステムをサンクチュアリファームに応用したかったらしいが・・・そんなのは、日本人に、ドイツの税の仕組みが理解できていないのにハイムの仕組みをあてがうのはそもそも無理があった。この獣医師は、ドイツの税の仕組みでどのように愛護活動がまかなわれているのか?理解ができていなかったのだろう。本業を疎かにしていては、何も始まらないし、成就しないというのがはっきりと証明された。

どさくさに紛れて、動物愛護法改正の署名活動を展開する、胡散臭い弁護士の活動も鼻につく。福島を代表選手とする岩手、宮城で被災したペットたちの取り扱いについて何だかんだと横から口を出す”ペットなんとか塾”ペットのためにある法律は日本には一つも存在していません。なにせ、法律は飼い主のための法律でありますから・・・この弁護士の活動は中途半端でどこに焦点が合っているのかわからない。20KM圏内で活動が出来るようにと嘆願書を一部の愛護団体と連携して作成したようだがその後はどうなったのか?その結果が報告されていない。ペットのための法律塾など言う看板を掲げるのであれば、状況の回復が見込めない飼い主のために、方法を探ってはその解決策を見つけることに焦点が合っていなければならないのではないのか?どさくさに紛れて、今年の愛護法改正で自身のライフワークとも言うべき掲げている改正ポイントを盛り込んでもらおうと、自身の人気UPを震災プレミアに依存しているのが目に見える。

こんなことをしていても・・・結局は多数の支援者がとりまきとなれば・・・大義名分も整った、この活動は正しいと日本の愛護では評価されてしまう。こんな連中は、動物たちを扱う資格はあったとしても、素養はまったく無いと私は考えるのです。この連中も間違いなく愛誤に加担する熱狂的信者かもしれません。もしかしたら、愛誤そのものかもしれません。

気にかかることは、愛誤そのものの活動が停滞気味になっていることです。ペテン師率いる愛誤は、福島県に新しい拠点を設けたとある。彼らのブログを見てみると何ともおぞましい場所に犬たち猫たちを移動させているみたいです。地図で場所を確認しましたが、海岸からの距離はどのくらいあるのでしょうかね?大体直線距離で500M弱ですね。海岸段丘で標高はある程度高くなっているのでしょうけど・・・防波堤もなくなってしまって無防備な場所へシェルターを建設するなんていうことは・・・この団体の暴挙であって、それ以外理由はどこにもないと思います。新しいペテン師の被害者が存在してしまったのではないか?と私は疑ってしまいます。川の近くですし・・・。海岸の近くに住む人がこの土地を提供するでしょうか?まして、命を扱うというその理由に賛同できるでしょうか?私は、この地権者は許可しなかったと思いますよ。今後の地震(余震)が想定されている中で、施設を護る術が無いのに・・・標高の高い場所を選びなさいとアドバイスをしたのではないか?と容易に想像できます。ペテン師率いるその団体は、ブログでは、土地のオーナーが快く貸してくれた(快諾)と言うがその裏側には、脅しとも言うべき闇に隠さなければならない何かがあったのかも知れません。海岸に住む人たちは、地震=津波を頭に常においています。山の中から出てきたペテン師たちにその理屈は理解できるかなぁ?

相変わらず・・・人手が足りないといい続ける、犬屋が営む愛誤はどうかと言うと、こいつらの理屈だって筋の通るものになってない。人手が足りないから助けに来てくれとは、どの面さげて言わなければならない?もう自身のキャパシティーは超過しましたと表明しているだけで・・・今後の救援活動なんてものは幅を広げることは出来ないはずです。常識的に考えればね。それでも・・・まだまだ救援しなければならないという理由はどこにも無いはずです。だって・・・レスキューが本業ではないでしょ?今のあたなたたちがやらなければいけないことは・・・ブリーディングじゃないの?犬たちの世話はどうなっている?レスキューで集めてきた犬たちがプレミアでカネになるからそのプレミア犬をいじっているほうがよろしい?

自分たちの本業を疎かにしているキチガイに、被災した飼い主と動物たちのケアをする資格と素養はどこにも認められません・・・。クレクレの温床になっているとしかいい様がありませんな。しこたま集めた支援金で、人を雇ったらいかがですか?クレクレじゃなくて、支援金で不足物資を購入したらどうですか?何か考え方が間違っている。カネは、物資でまかなえないものに自由な形に変わる支援だという理解はどこにも無いのだろうか?

愛誤を代表する巨塔にはそれぞれ・・・どこか理屈に筋を通せないところをそれぞれに持っているようですが、この問題を解決できないと今後もいろいろな問題が噴出して、愛誤崩壊の道を辿ることになるでしょう・・・。もう飼い主たちはだまされないぞ!愛誤には独特の腐ったにおいがするものです。あなたたち団体からも腐ったにおいがしています。

支援が先細りしてきて・・・もはや”チョロチョロ”ではないのですか?だから、焦っては、支援してください!とお願いモードになっているのですね。哀れな姿です。紫式部はどうにもならない心の様子をこのように和歌に詠んでいます。

入る方は さやかなりける 月影を うはの空にも 待ちしよひかな

沈んでいく方角ははっきりしている月を上の空で心落ち着かずに待っていた宵でしたという意味なのですが・・・なんとなく言わんとしている事はお分かりですよね。

人の財布を期待してみたり、自分のライフワーク成就のために人心を掴もうとああでもないこうでもないと煽ってみたりすることは、例え動物たちを扱う資格を持っていたとしてもその資格は無効であって、無効とされるその理由は素養を持ち合わせていないといういわゆる倫理的な部分で評価されることが必要だと思われる。

倫理で今まで論議されてきた愛護だから、決着は倫理でつけようか?といわれたら当然受けて立つだろうな?

倫理観と言うのは・・・結局は諸刃の剣だったと言うことです。

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