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2011年7月 2日 (土)

生きていていいのだよと言う言葉が本当に適切なのか?

よく目にする愛誤たちのブログには、”生きていていいんだよ”と、いい加減な表現でお涙を誘うことが綴られている。

本当にそう思っているのだろうか?本当のところは、”生きていてもらわないと駄目なんだよ”じゃないかなぁと私は思えて仕方がないのです。ありとあらゆる方面へ情報を発信して、ペットが飼い主と離れてしまった状況を解消しなければと思うなら、もっと強いメッセージでなければならないと思うのは私だけでしょうか?

”生きていなければならないんだよ”という表現を使わなければならなかったのではないかと・・・私はそう思います。ただ、この言葉を使ってしまうと、死んでしまった命はどうなる?とか大きな誤解を招くことが必至なので簡単には使えなかったというのも理由の一部かもしれません。

それでも被災地で生きている動物たちは、家族と離れてしまってそんな状況下でも生きていかなければならないのです。

”生きていていいのだよ”と言う言葉はなんとも当たりが柔らかくて、支援を受け易い、または、支援をしたくなるそんな言葉です。これを巧みに利用した愛誤は絶対に許せません。

今は・・・”生きていていいのだよ”と言う言葉が独り歩きして、その管理を誰もがしていない・・・握りしめていたものを一気に開放して、手から放した状態にあることを理解して欲しいのです。

サンクチュアリ獣医師は、自身のブログでこうも記しています。

http://blogs.yahoo.co.jp/shinjo_ah/62680735.html ボランティアってのはね。

の中で彼はこう言っています。

ボランティアってのはね。何かいことしようとするのではないんですよ。自発的に行動するのがボランティア。自分のためではなくて、誰かのためにするんです。自分の感情で動くのではなく、誰かを思ってするものです。一人一人の判断も時には重要かもしれないが、冷静であることがボランティアの条件かもしれませんね。感情的な熱い魂は、胸のうちだけでいいのかもしれません。そういう熱い心は、自然とにじみ出ると思います。

なんだかブレブレのような気がしませんか?この獣医師は、自分の名声のためにサンクチュアリファーム構想を打ち立てて、世間一般の飼い主を巻き込んで応援させたのではないですか?果たして、その煽った結果が見えない今、彼は当時の判断が正しきものであったと自信をもって言えるのでしょうか?

感情と熱い魂は胸のうちだけでいいのかもしれませんとも言っています。結果ありきで、結果が出てから公表したところで良かったのではないでしょうか?

自然ににじみ出る前に、結果煽ってしまいましたよね? こう言うことはブレブレじゃないのでしょうか? 私はそう思えてなりませぬ。

愛誤のクレクレ争奪祭り・・・熱狂中。

愛誤犬屋は、民主党の動物議員連盟の会合へ引っ張り出されては、なんだか理屈の通らない自論を展開したのですか?連盟の会合へ出席させた、国会議員のブログにもなんだか意味の分からない抽象的な記事が載せられています。有識者へ鋭い質問を矢継ぎ早にあびせました・・・。鋭い質問ってどんな質問ですか?矢継ぎ早に浴びせてなにか良いことはありますか?じっくりと議論するべきところを省略して、矢継ぎ早とはいかなるものか?

愛誤を擁護する国会議員に黒い癒着の痕跡が見え隠れしているような、していないような?合法ですか?非合法ですか?愛誤に芳しい鼻薬でも嗅がされたのでしょうか?前回も中途半端、今回も中途半端・・・中途半端議員だから、鼻薬の痕跡隠しもどこか中途半端ですか?

黙々と違法尽くしで作業を進める、ペテン師率いる愛誤の新しい(平/たいら)シェルターも・・・何から何まで違法尽くしではないですか?、ユニックから車両コンテナを下ろすその作業に、玉掛技能士はいないようです。吊荷の上に人が乗っていたり、吊荷が傾いていたり・・・玉掛技能士がいないと言うのは、火を見るより明らかです。

こんなことを黙々とやり続ける愛誤、とその熱狂的信者。獣医師、弁護士、国会議員を巻き込んでのクレクレ祭り、端から見ていると大盛況でこの上ないという状況ですね!!!

でも、こんな祭りをいつまでも継続させることは許されない。今許されているのは、”生きていていいのだよ”と言う魔法の言葉に騙されている熱狂的な信者が数多くいるからです。それを許さない、極々一般的で正しい動物との共生を模索している飼い主であれば、とうに・・・まやかしの言葉だと理解できているのです。

愛誤にとっては・・・この極々一般的な飼い主が声高に間違いだと言うのが、怖いのでしょう。だから、国会議員や弁護士などとにわかに協調してしまうのでしょうね・・・。

”生きていていいのだよ”と言う前に、”生きていなければいけないのだよ”と言える活動ありきでしたね。カネに目が眩んで愛護ビジネスに突っ走った報いはどこかのタイミングで清算しなければならないのです。

新たなマジックワード ”生きていていいのだよ”ではなくて”生きていなければならないのだよ”として欲しいものです。

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