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« やっていますと言い訳をする環境省役人・・・やってますやってますは愛誤のスゝメ | メイン | 愛誤のカオスの狭間に真実を見つけろ!・・・信頼できる獣医師だからという理由は成り立たない »

2011年7月15日 (金)

愛誤のカオスに呑みこまれたわが家の飼い主・・・それでも愛護を貫けるか?

わが家の飼い主・・・愛誤のカオスに呑みこまれているかも。

・・・と正しく分析をしてくれているであろう、twitterのfollowerが、それって愛誤と同じじゃない?とわが家の飼い主の行き過ぎた、そして手荒で、稚拙な思考を訂正しようとしてくれたが、わが家の飼い主は、その本質を見抜くことが出来ずに屁理屈を捏ねているようである。実際には、屁理屈を捏ねた。

今回問題になるのは、通産省所管の福島県オフサイトがある意味特定の獣医師グループを公認としたことの真偽と、その公認に至るプロセジャーを問題にしているのであって、どこかの行政官を追及しようとか?自分に利益が出るようになどとする意図と当方にはなかった・・・。

どうも、行政側の理屈だけを重視して考える、または、市民としての理屈だけを重視して考えるなどと・・・どっちもどっち基本的には歩み寄る余地などどこにもないと冷静になってみれば考えられるのです。行政側の理屈としてみれば、いちいち詳細を伝えることはしていない、決定は決定という考え方なのだろう。そのプロセジャーとしては、公表の必要性はない。行政は間違った判断はしていないというその理屈が成り立つのだろう。

一方市民側の理屈としては、隠すその理由はない、基本的には、どの公務員であっても、市民の為にという謂わば、公僕という立場が与えられているだけで、その職に特殊性は無い。市民が知る権利を有しているのであれば、その問い合わせに真摯に応答するのが公務員の服務であるという考え方。

行政には、秘密にしておく部分もあるのだろう、その秘密にしなければならない理由を説明し、秘密ね!とでも言ってくれれば、凡そは理解を得られただろうが、後から調べてたり、裏を取るという事をされてしまえば・・・矛盾が現れるという事を知っておきながら、お茶を中途半端に濁すのは、上手ではないその判断であったと理解されてしまう。お茶を濁すのであれば、徹底的に、茶碗の底が見えなくなるまで濁すと言うのが鉄則だったはず。

愛誤には、彼らの既得権益というべく、支援金をHOLDすることが第一目的になっているが故に、愛誤に都合が悪ければ、どこにでも矢のような催促をしてい、都合の良い理屈を求めるのに必死になる。わが家の飼い主は、愛誤のカオスに多くの善良な飼い主たちが呑み込まれない様に、真実を追究してその真実を公表することが大切だと思っているが故、元来愛誤とは別物だと思っていた。

愛誤と同じ程度の行動であると評価するのであれば・・・わが家も今日から、新しい愛誤の熱狂的な信者の仲間入りと言うことになる。はたして・・・愛誤はわが家の飼い主を仲間として迎え入れてくれるだろうか?>>>きっとそれは叶わないと思う。

今現在、愛護という言葉に踊らされていて、愛誤のカオスに呑みこまれた多数の被害者とも言うべき、熱狂的な信者が存在しているのは周知。これ以上の愛誤の熱狂的な信者を増やさない具体的な方法はあるのか?それなりの判断力と知識を有しておけば、愛護なのか?愛誤なのか?を判断する事は可能だと思う。

ただ・・・すべての人がそうかと言うとそうにはなっていないのです。今週末の救出と言うのだって、その本質は誰にも分からない。集まった獣医師メンバーにおいてもその趣旨のコンセンサスは取れているとは言えないだろう。寄せ集めで、コンセンサスを・・・と言っても無理がある。その証拠に、主義主張のバラバラだった、民主党の成り立ちを見てみればよい。一枚岩と言えるだろうか?一枚岩であると言うならば、事態はこんなに混乱はしないはず。当時の社会党やら、自民党を飛び出した連中が集まった所で、何もコンセンサスなど取れていないいわば、数の集団だった。

だからこそ、このオペレーションの真偽、成り立ち、承認までのプロセジャーが明らかにされる必要性があると言うのです。各方面のブログの記事には、政府が動いて、このオペレーションの主導をしています・・・ブログ記事からの転載とばかり、転載という言葉で、自身のブログ記事への責任を放置しているではないか?

情報社会の中で、自分の発した情報は、自分が根拠をしっかりと持って、その根拠を他のネット記載事項に責任を転嫁するようでは、情報の垂れ流し、情報の不法投棄と理解されても仕方が無いのではとも考える。

とってもパスするのが難しい、国家公務員一種試験をパスして官僚になられたのでしょ?であれば、もっと前に今回のオペの思考が成り立ったのではないか?何故に今になった?と多くの人が疑問を持つことでしょう。

その疑問を払拭するのは、正しい根拠、正しい証拠でなければそれに勝るものはありません。ただ、言った言わないの世界では、通用しません。

ただ・・・この考え方思考そのものに問題があるというのであれば・・・私も今日から”一人愛誤”となることでしょう。愛誤のカオスに呑みこまれ、最終的に愛誤になったとしても、どこの団体とも交わることなく、自分の正しいと思われるその思考を根拠を持ってして、貫くことでしょう。

きっと・・・この記載を見てある人たちは・・・嗚呼、カオスに呑みこまれたね!ときっと声を上げるでしょう。

愛護を愛誤とするのか?そうでないかは・・・私自身の判断と思考です。まだ、私の脳みその中に、愛護がかすかに、わずかでも光を放っているのならば、愛誤を打ち砕くことが出来るかもしれません。私はそう期待を込めてこの記事を掲載しています。

ただ・・・その光が本物であるのか?どうかは。私にも分からないですし、誰にもその光の本質を見極めることは難しいと思うのです。

ただただ・・・かわいそうだからというのではなく・・・と思っていたことが、自分の飼い犬や飼い猫は自分で面倒見ろ!という、犬猫嫌いの淡い幻想だったのか?とある意味迷いも生じるのです。これが、愛誤のカオスに呑みこまれようとしている、一般飼い主の心の内面かも知れません。

さて・・・カオスの縁から生還できるのか?そうでないのか・・・

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