
室生川に沿ってどれくらい歩いたろうか、1時間半か2時間はかかったと記憶しているが、室生寺に着いたときは、日も昇り、観光客もちらほら見うけられた。入り口には「女人高野室生寺」という石碑が立っている。これは、その昔、高野山が女人禁制であったために、室生寺は女人が参詣できるような体制がとられたためだそうである。つまり、室生寺は真言宗に属する。
室生寺で有名な建物は、なんといっても金堂と五重塔だ。金堂は藁葺きで、瀟洒な造りでこころをなごませる。、五重塔は小ぢんまりとしているが、その造形が美しいことで知られる(先年、台風の被害を受けたことは記憶に新しい)。
そしてもちろん、仏像も。もう、詳細は忘れたので、いま美術書を頼りに確認してみると、室生寺は平安時代の創建らしい。金堂安置の十一面観音像、十二神将像、弥勒堂の弥勒観音像など美術史上でも有名な仏像は貞観彫刻に位置付けられている。
したがって、室生寺は奈良時代のお寺より遅れて建てられているのだが、平安時代の寺院は密教系が多く、いずれも山間に建立されているのが特徴的で、室生寺も晩秋には境内の紅葉が可憐な様を見せ、なにかしら古今集の世界に引きこまれそうな感覚に襲われる。有名な写真家の土門拳も魅入られて、1冊の写真集を作ったほどだ。
ずいぶん昔だが、室生寺の執事をつとめたお坊さんが、こんなことを書いている、「しかしあまりに天下に喧伝されて室生の良さが減らされぬよう、殊に真言宗の全僧侶が毎朝、室生の御山に向こうて拝礼し念誦する信仰対象のありがたさが失われぬよう…」。
この文が書かれたのは、いまを去ること40数年前だ。由緒寺院が観光化されて物見湯山の対象となるのと、信仰の主体として純粋さを維持していくのは二律背反の問題で、いまなお相克として悩んでいるお寺も多いと思うが、ぼくが訪れたのはそれから10数年後。当時はそのお坊さんが危惧したほど俗化した印象はなかったが、それ以来訪れていないからどう変容したのか知らない。
しかし、いまの時代は、格別関心がなかったのが、「世界遺産」に指定されたとたんに、われもわれもと観光客が押しかけ、「世界遺産」指定地がかえって観光化していって、環境が悪化するなど予想外の事態も生じるくらいだから、考えものだ。室生寺が俗化を免れて、平安の古きたたずまいがそのまま残っていることを願うばかりだ…。
さて、室生寺をお昼過ぎに退出したあと、ぼくは次の目的地、長谷寺に向かった。同じ路線(近鉄大阪線)で室生口から2駅目だ。ここも真言宗のお寺だが、このお寺も境内の紅葉の美しさは室生寺に劣らぬほど見事で、たいへん感銘を受けたのだった。