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2011年8月30日 (火)

犬を飼育しているからと言う繋がりが親友を作るのかどうか?

犬を飼っている・・・ブログを持っている・・・そんな事で親友を得ることは不可能。

犬はその人の親友になれるのかどうかのきっかけにはなるかも知れないが、犬を介して親友になることは出来ないだろう。親友の定義とは・・・小学校の道徳の時間に親友とは?中学校でも親友とはなんだろうか?とその真髄を極めるのに多くの時間を費やしたのではないだろうか?

実際に親友というのは、自身の至らない部分、間違っている部分にも、適時適切に忠告を与えられるのが親友だと思うのだが、それは間違っているのだろうか?犬には基本的に理性は無いとされているが故に犬同士もしくは犬と人の間に親友という関係は存在しない。

まして、犬を介した親友などというのは、存在しないと断言しても良いのだと思う。親友と思っているその相手は・・・あなたに至らない部分を、間違っている部分を躊躇無く忠告してくれるだろうか?基本的に、他人から忠告を受けるのは、人として嫌な感情を持つので、忠告はなるべくしないようにと心の中に秘めた思いがあるのではないか?

だから・・・それ!ちょっと違うんじゃない?、それ間違っているよ!などとずけずけと言うことはタブーになっている。そしてそのタブーに反しないことがマナーだと言われるようになっている。それが当たり前の世の中になっているから、色々と問題が生じることになる。ずけずけとものを言うような連中は毛嫌いされる。動物が好きだから、同じ種類の動物を飼っているから・・・と何かしら同じ条件を探って知り合いになる。そして、ある程度お互いの理解が得られたと勘違いしたころで、いきなり親友ね!なんてなるのは今の通例なんだろう。そんな生易しい関係で親友になってしまう。

あなたに親友は何人いますか?という阿保らしい質問を時々目にするが・・・自分の人生が終わりを迎えようとはしていないのに、親友だと認識できる状態にないので何人だと明言することは出来ないのに・・・親友が0だと変人扱いをされるのを嫌って無理して〇〇人だと親友を無理やり作ってしまう。

親友と思しき人は、生きている間に何人か得ることは出来るだろうから、生きている状態で親友は〇〇人?と考えてしまうのではないだろうか?今いま・・・命を閉じようとしている時にあいつは・・・良いやつだったなぁ!あいつこそおれの親友だと初めて認識できるものが親友というものではないだろうか?

夫婦の間でも好きだとか愛しているとか日常散々言いまくるのだが、それこそあまり意味の持たない言葉であって、単に関係の表面を滑らかにしておく潤滑油のような物だと思っても良いのではないか?わが家の飼い主と嫁の間を取り持った仲人夫婦はこんな事を若い夫婦に言った・・・今は腫れた惚れたで好きとか嫌いとか言うかもしれない・・・でも本当の夫婦と言うのは、どちらかが先に命を閉じる時に初めて、お前と一緒にいれて良かったなぁと言えるように毎日の生活を送るんだぞ!その時がやってきた時に、一緒にいれて良かったと言えない様では、許さないからな!とこんなことを・・・。

もはやそんな言葉は・・・古臭い過去の遺物のように取られるかも知れないが、実際に人としてその事が実践できるのか?人それぞれの素養にかかっているのだと。人の基本的なものの考え方は、3歳になるまでに形成されると言われている。あとはその形成されたもの派生でしかない。三つ子の魂百までも・・・と言うが、わが家飼い主の両親は、死んでもその魂は変わらないとまで言って、わが家の飼い主に厳しい教えを残したことに感謝しています。そして・・・その魂は、敷かれた線路を右に左に揺れながらも脱線することなく生きている事に感謝です。

悪いことは悪いことであって、その性分を直すことが必要だということ、良いことは良いことだと素直に認めること。この考え方は普遍的なものだと私は思います。だからこそ・・・良い考え方をもった人との交わりを大切にし、悪しき考え方をもった人たちとは交わらないようにと決める心構えが大切なのです。

犬を介して知り合いになることは決して悪いことだとは言いません。でも、その人が犬を飼っているから良い人だという保障はどこにもありません。今は、ネットで何でも出来るような世界になっています。遠くの人たちとも、一瞬で特定の時間を共有することも可能です。しかし、この様子は、文字通りの共有ではなく、仮想現実におかれた共有であって、そのもの本来の意味するものは何もありません。

本当の親友を見つけること・・・難しいと思います。現在自身の周りにいる人たちが親友かどうか?は決定付けることは出来ません。ただ・・・良い人なのかどうか?ということを決定する因子位しか見つけられないでしょう。

今日、ある人と初めて電話で話をしました。とても当たりの良い人で、感覚的に良い人だと感じましたが・・・いきなり親友だと決定付けることは出来ません。私の今後生きていく上で、この人が親友になるのかそうではないのか?を考えながら良い知り合いということでお付き合いを始めるようにします。

何も相手を知らない・・・その中で、何か気にいらない事があれば文句言うのも人の勝手です。それは、そう言う魂を持ってしまったからなのです。文句をつけた相手は親友ではない。と様々な理由をつけて相手を評価してしまう。そういうのは、親友を探すことはおろか、良い知人を探すこともできません。もっぱら、親友になれる素養をもった知り合いを多く持つことが大切なのだと思いますよ。

犬はあくまでもきっかけであって、それが親友を決定付ける因子になり得ないことを十分に理解する事が必要です。

嫌いなら嫌いで結構・・・自分が嫌うなら、相手も間違いなく嫌うでしょう。人の感情なんてそんなに簡単に操縦できるものではありません。ありとあらゆる憶測が憶測を呼んで、知人になろうとするその衝動を妨げるかもしれません。でもそれは、致し方なくそれがあっての人だと思うのです。

正しいこと・・・は不変。正しくないことは・・・可変。正しくないことは、ありとあらゆる形、姿を変えて私たちの前に現れるのです。親友になるべき良き知人を探すように、正しき事柄を見据え、そうではないものを適切に選別する能力を磨いていかなければ、良き知人をたくさん得ることも叶わないことになります。

健全な身体に健全な魂が宿るとは当にこのことだと思います・・・。

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コメント

犬を飼っている事が親友を得る理由にならない?
それは、あなたの人格の問題では?
こんなブログしか書けない性格のせいでは?

犬を言い訳にせず、己を省みてはどうでしょう?
ここは、みにくい(醜い・見にくい)し、こんな文章を書く人は、
人に好かれなくて当たり前なのでは?

XXX さんへ
文章が読みにくいというのは、私の文章の感性に合わないと言うだけでしょう。誤字脱字もたくさんありますからね。親友という意味をあなたは良く考えていないのでしょうね・・・私は同じ犬を飼っているから親友ね!などという所謂極々薄っぺらな意味での付き合いのある人を親友と言うのは出来ないだろうと言う意味合いを含んだのであって、犬を飼っていること云々を理由にしているわけじゃない。
親友とはどういう存在なのかをあなたは、今まで生きてきた中で学んではこなかったのですか?そしてその定義を人の成長ともに見直しをかけたことは無かったのですか?
私には親友が出来ないのは、性格の問題と?こんな記事しか書けないからだと?
何を根拠にそんなことが言えるのか理解に苦しみます。
私は、親友になり得る良い知人はたくさんいます。がしかし、彼らが親友であるのか?そうでないかは、今の段階で判断は出来ないという事を伝えたつもりですけど、醜く、見にくい文章を書く奴だから・・・人に好かれないとあなたはそう言いたいのですよね?
では私もしっかりと言わせていただきます・・・こんな醜く、醜い記事を書くことしか出来ない私がはっきりと言います。
あなたのような、コメントを残す性格は、非常に醜く、捻じ曲がった性格です。あなたのような性格では、一生のうちに親友はいなかったなぁと最期の時に後悔します。あなたのそのやり方というのは・・・醜い私が見ても遥かに私の醜さを凌駕しています。
ひとの振り見て我が振り直せ!
よく考えてみること必要じゃないでしょうかね?
私はそう思います。

いつも読み逃げしていますが。。
私も。。この記事に同感です。

。。っというのも、リアルに体験したからです。

同じ犬種を飼っているキッカケで、友人になり、
結構、密な関係を築けたと思っていましたが、
元々の価値観など違うので、
最終的には手ひどい仕打ちに遭い、
人間不信に陥るほど、心が折れてしまいました。

犬をキッカケに親友になる事もあると思いますが、
難しいのではないかと思います。

犬を介しての付き合いは、
程々の距離感を保つのがベストのような気がします。。

たばさ さんへ
たまたま・・・友人の関係を蜜に発展させられなかっただけでしょうね。人が生きていく間には、様々な出会いがありますので、その出会いの一つの表現型であったと認識できれば良いと思います。

わが家のブログは、当たり前のことを当たり前に伝えようとするが故に・・・時として大きな反感をかうことだって承知の上です。ですから、今回の記事にしても、あちこちでキチガイがまたわめき散らしていると評判にもなるでしょう。
ただ・・・正しき事を正しきことだと認識してくれる人たちには、耳も目も痛くなることは無いのだと思っています。

犬との付き合い方を批判されたことを根にもって、仲間を募っては、キチガイ呼ばわりすのはどうかと思っています。文句の言われるような犬との付き合いは犬の為、飼い主の為にならないんだとそれを素直に忠告として受けられる素養を持つかどうかが・・・大切なのだと思っています。

ブログを通じて色々な情報を入手したいと思うのであれば、耳が痛いことでも、その言葉に耳を傾けるべし、目が痛くてもその文字に目を向けるべしと私はそう思うのです。
何も・・・誰かを陥れようとしているのではなく、正しきことが正しく行われれば・・・基本的には問題ありませんよね?
こう思ってくれる人たちがたくさん出てきてくれれば、問題の動物愛護だって変わっていけるのだと思います。様は・・・ものの考え方次第なんです。
仲間を募って、ブログが有名になる必要なんてありません。私のブログなんかは、見に来て欲しいと呼びかけなくても、毎日のように更新を楽しみにしている人たちだってたくさんいることを知っています。
数で勝負じゃないといいながら、現実問題ランクが上位にいるブログが正しいみたいな風潮になっていますが・・・ほとんどは、仲間内でのポチ・ポチ合戦です。私のブログでポチしてくださいなんてお願いしたことなんか一切ありません。
でも・・・どこかで気になって見てしまう人たちがたくさんいますし・・・時にはコメントも残してくれます。
私、一人で好き勝手にやっている独壇場だとは思っていません。私の記事に反応している人が見えなくてもたくさんいるということ・・・これってブログを公開するのに大切なファクターだと思います。
見せ掛けのポチポチなんか必要ないんです。
本当に感銘を受けた、納得できたというときだけのポチポチでいいと思います。
親友という定義を理解していただけたこと感謝したいと思います。
今後も、これに懲りずどうぞ好きなだけ読み逃げしてください。

題名に興味を覚えて
時々 読ませてもらっています。

私も 小型犬ですが 4年めの飼い主の一人です。
犬を通して・・友だち、は 出来たつもりでしたが
利用されて 終わりました。

また
1年目には 公園お散歩で 知り合った飼い主さんに
なぜか 無視されるようになって 
その子分的?な お仲間からも 無視されました。
現実には 陰で その飼い主さんの 陰口は 聞きましたけれど・・・


こういうのは よくあるんですよ。

自分に非は?
いろいろ 悩みましたが 
交わらばければ いい、と決めましたね。

親友なんて そう簡単にできません。怖くて。
自分の 心の根を話し合える人が 親友だと
私は 思います。
一人だけ います。ありがたいことに。

他人の文章に 醜いとコメントするかたは
初めてです。 

通りがかり さんへ
犬を介してと言っても・・・そんな程度なんです。今現状が友達として良好だからといって、将来的しかも近未来的に関係rが悪化する事だってあるんです。だから、その関係をよくよく監視していくことが大切なのです。
ネットの中でも、同じです。同じような考え方を持った仲間がたいした理屈も無く集まるのです。その集団が仲間同士で誰かが、あなたの悪口を言ってるよ・・・と囁くと瞬く間にその集団は狂気の集団と化してしまいます。

いまわが家のブログの包囲網ってそんなもんです。
わが家のブログが、犬に人格を与えるな!と言えば、それが気に入らない連中が仲間を募って・・・次から次へとブログでネガティブ合戦を開始するし・・・。

仲間を募らなければ・・・何も一人で出来ない。意見の表明も出来ない・・・こんな程度の集団なんですよ。それでも、親友などとのたまうのですからwww

私の性格では・・・親友など出来るわけが無いと豪語しているのもいるらしいですよ!そんなのは遠い将来に、あぁ・・・あいつにはやっぱり親友は出来なかったんだなぁと、お得意の仲間を募ってブログの記事にすればいいじゃないですか?なんて思ってしまいます。

ネットの世界なんて、気に入らないのがいれば、数でその相手を攻撃し、消えるまで止めないというのが鉄則です。こうやって・・・何人ものブロガーを叩きつぶしてきたのでしょう。
自分たちが犬を飼っている飼い主として100点だと思っているから批判を浴びるようなことがあれば許せないのでしょう。

生きているうちに親友を見つけられるのは、極まれなことだと思います。どうか、その親友を大事にしてあげてくださいね。

以前コメントをしたものです。

あの記事にコメントをしたときと、「犬として扱う」ことは同じ考えです。
また、ブログ村のシステムを疑問に思い、それを何気なく書いてしまったのも自分です。(犬種はラブでもゴールデンでもありません)

あとで読み返してみて、多くの方を不快にさせてしまったことを悔やみ、あちらにも謝罪のコメントを残しました。

私が言うのも変ですが、もう、この件に関しては終わりにはできないのでしょうか。
お互いに歩み寄れないのならば、そっと距離を置いてお互いに話題にしなければいいと思うのです。
もしも主張したいことがあるのならば、ブログではなく家族や親友に聞かせれば充分だと思います。

私はalbradaさんのブログを批判的には見ていませんし、ふんふんと思う記事もあります。いろいろな考え方を知れて、考えるきっかけにもなります。
そんな私でも、誰かを攻撃するような内容の文章を読むと、息が苦しくなってしまうのです。

自分自身の意見を貫くのはかっこいいのですが、そのために傷つく存在がなければ一番いいと思います。

どうかどうか・・・・・・誰もがみんな心穏やかになれることを願います。

義理でぽちっと押している、といった内容を書いたことで多くの方々に不快な気持にさせてしまったことを改めてお詫びいたします<(_ _)>謝罪とともに、この発言を取り消しさせてください。

いつも・・そうだなぁ~と同感してますが・・


私は、小さい頃から親友と言える友人が数人居たと思ってましたが・・
あっさり裏切られ。。原因は、男だったり・・お金だったり・・散々な目にあいました。。。

でも今お付き合いしている友人は、犬やブログを通じ知り合い、家族ぐるみのお付き合いをさせていただいてる友人が数名います。。
悪い事は、悪いとハッキリ言ってくれますし、私も言います!

年に数回犬連れて旅行にも行きます♪

私たちの暗黙のきまりって言いますか・・・お互い悪口は、直接言います(笑)

数年前にチョッとした事で、揉めた時もお互いハッキリ言い合ったので、『な~んだそんな事?』じゃぁ~こんな対処した方がいいんじゃないか?と良い方向に修正できました。。

年齢もバラバラですが・・嫌な事も言ってくれるし、言ってあげれる・・とてもいい友人にめぐりあえましたよ!

多分。。私達は、年齢もか離れてるし、みんなちゃんと聞く耳を持ってくれてるから上手くいってるんだと思います、、年齢が近いと・・こんなに仲良くは、慣れなかったような気がしますね。。


犬の飼い主 さんへ
私が意図するものは・・・どこぞのブログのオーナーを相手に叩いて楽しもうという意図はまったく無く、記事を掲載してからその後にまた記事を掲載して云々というような陰湿なことは無かったはずです。
ただし・・・どこかに腹の虫が治まらない連中がいて、私のあり方を批判しているようです。犬の飼い方云々ではなく、私の人間性、思考をひているような内容でした。
その記事を読んでみれば、思惑だらけの妄想でしかないと私は思えるのです。仲間を援護するその記事の内容には・・・ある程度の嫌気さえ覚えましたよ。

私は・・・記事を掲載してからは・・・放置してきたつもりです。
放置ということに何か怒りを覚えたのか?追撃とも言う内容の記事を掲載しているのは、私ではありませんよ・・・。

あのような醜い行動を執らせる集団心理というものが、ネットの混沌としていて、無秩序な社会にはびこっている現実だと言うことをたくさんの人たちは・・・そう認識できたのだと思います。

何も・・・先方のブログへ変な謝罪のコメントを残す必要性だって無かったと私は思いますよ・・・。
私のスタンスとしては・・・今までと変わらず、相手にしない。そして放置です。
何も新たな関係を持とうとは一切思いませんから・・・。

さっず さんへ
良い友達を見つけているようですね・・・
その良い関係から親友を見つける努力を惜しんではいけません。
いろいろなタイプの友達を作ること、それから、忠告を素直に置けいれること、忠告をためらうことなく発するその状況は、現在として一番良い状況ではないでしょうか?
理想形ですね。

あとは・・・どうその関係を維持発展させていくかが大切なのです。
私にはそのくらいのことしかわかりませんけど・・・。

何度もすいませんw

↑のコメ見て・・やはりそうだったんだぁぁ。。と今気がつきました!ww
某ブログにきっとココのブログの事かしら??ってな記事がありましたが・・

過去に盲導犬虐待と世間で騒がした某ブログですけど・・盲導犬虐待は、どうなったんでしょうかね??知ってますか??知ってたら教えていただけませんか??(笑)

私は・・犬は家族!とおもっておりますが・・・犬は、犬ちゃんと線引きしないといけませんよね。。。albrada さんがいつも言っている事は、とても良くわかります。。

でも・・実際理解できない方も多くいらっしゃるんですよ。。。(ってかちゃんと記事読んでないとも言うけど。。。)
だから集団で、叩こうとするんでしょうね。


さっず さんへ
盲導犬虐待の話題については・・・基本的に根拠、主義主張のなに連中がネタにしていることが多いので、興味関心を向けないようにしています。
ただし、私自身も、盲導犬ユーザーと知り合いですし、盲導犬ユーザーへ手助けをすることもありますので、ある程度の盲導犬のことについては知識を有しているつもりです。
私は記事にこそなかなかしませんが・・・盲導犬をはじめとする、補助犬や、聴導犬など所謂介助犬という犬たちが、社会の中から特別視されていることを知っていますし、その問題になる部分を解消しようと必死に抵抗することも実社会のなかであります。

きっと盲導犬虐待などというのは・・・私は掲載された記事の内容は知りませんが、ユーザーが虐待するなんていうことはありえません。何かの勘違いなんでしょう!盲導犬を虐待するというのは、社会がある意味、盲導犬を理解していないが故に、理由はわからなくても、知らないうちに虐待していると言うことはあると思います。

人ごみで、狭くあちこちに行き交う人の波に、盲導犬に導かれているブラインドの人がいました・・・それでも誰もそのブラインドの人に声をかけたり、手を貸したりしないのは・・・これ盲導犬ユーザーに対する嫌がらせと、盲導犬に対する虐待です。

こんな世の中なんです・・・。だから、集団で特定のブログを叩いていても、何も感じないのは必然ということなのです。
哀しいかな・・・これが現実です。理想なんかどこかへ吹っ飛んでしまうほど、巨大で醜悪な姿をした現実なんです。

私だって・・・きっと醜悪な姿をしたブログを公開しているのだと思います。人の振り見て我が振り直せってことです。

グロータッズの記事は書かないのですか。

盲導犬事件の結末についてお知りになりたければ、いつでもお答えします。
どうぞブログにメッセージを残してください。(ブログはすでにご覧になっていますね?)

協会からのメールも保存してありますので、メルアドを教えていただければ
添付してお見せしますよ。
結末を隠しているわけではありません。面白半分の連中に知らせる必要がないから
黙っているだけで、知っている人達は皆知っています。

グローリータッズさんの記事は、もうお書きにならないのですか?
あれだけ書いたのですから、最後までお書きになってください、

ターミ姉ちゃん さんへ
盲導犬の件に関しては、何も興味などありません。
タッズの記事が最後まで書いたら良いという意味がわかりませんね・・・
今後どのような展開になるか誰もわかりませんから・・・最後というのは
あなたが描く最後の姿を書けということでしょうかね???

事実として、保護しているから良いという評価を与えるそのロジックに異論を唱えて何が悪い?異論を唱えられたことに反証するという責任は法人として取るべき当たり前のことだと思いますよ・・・買い毛保の提示が一番の証明だと思いますけど
その買い毛保たるものの提示はいまだかって一度もありませんね。

あなたが望む最後は・・・私がブログを閉じるそれがお望みなんでしょ?
ブログが閉じられるまで、好きなだけ、あなた独特の毒舌で私のブログを揶揄すれば良いだけだと思います。

思う存分・・・揶揄すれば良いじゃないですか・・・

おしまい さんへ
今のところ・・・新しい情報が出ていませんので、記事掲載にはいたらないですね。
残念ですが、新しい記事は提供できません。

ハンドルのXYZですが・・・まぁまぁセンス良いじゃないですか?
私をおしまいにしたいから・・・アルファベットのおしまいの3文字を拝してZYXでお・わ・りですか・・・?
あなたも、愛誤の熱狂的信者ですかね???

あの愛誤団体の馬鹿詐欺夫婦だけは許せないです。
かなりの人間を騙したくさんの恨み辛みを買ってるので
いつか誰かにヤラレルと思っていました。

あのBBSも拝見してます。
このブログに対してかなりのいやがらせのような低脳な脅しで
奴等の取り巻くファミリーの実態が明らかになったでしょう。
低脳な奴等の低脳な脅しに負けないでください。
応援している方々がたくさんいますので。

正義は必ず勝ってほしいです。

応援してます さんへ
私は、特定の愛護団体が許せないとか、特定のどこかの団体に恨みがあるとかそういうのではないのです。ただただ、犬たちや猫たちを使って私腹を肥やそうとしているのが許せないだけなんです。

たいていの愛誤っていうのは、どこかからの恨みを買っているのだと思いますが、
実態を知るとか知ろうとしないのが、日本人の美徳みたいに勘違いしている人が
多いので、警鐘をならしたとでしたが・・・今のところ勘違いしたままの人たちが向こうを支援しつづけていますよね。


正義というよりは・・・当たり前のことが当たり前であってあって欲しいと思っています。
今後、近々にでも愛誤が愛護ではないと言う事が明らかになれば、自然に熱狂的な信者も消えるでしょう・・・。

某ブログのオーナーさんも『親バカじゃなかったら読まないでね』みたいなことを書かれていたので、『溺愛して、かわいくてたまらなくて、ワンコだけどワンコじゃないのよぉ〜♡』って、そういうお気持ちなんでしょうね。
それは、みな、根底部分の『愛おしくてたまらない』というところは同じだと思います。
だから読まなければよかったと思うのです(笑)。
「こうじゃなきゃいけないのよ」と書かれると、ね。
ただひとつ祈ることは、どこのお宅のワンたちも幸せであってほしい。ただこれだけです。
日々、「自分の飼い方は正しいんだろうか?リーダーとして守ってあげられているんだろうか?よかれと思ってしていることが間違っていないのだろうか?」と自問自答している飼い主さんもいらして、『ワンたちは守ってあげなくては自分で意見を言えないだけに責任を感じる』とおっしゃっている方もいらっしゃいます。
オテテだろうが、ご飯だろうが、そんなことはどうでもいいから、本当に幸せなのか?と試行錯誤して、いろいろ学ぶ姿勢を持ち続けたいですね。
あるブログでラブを飼ったものの、パピーの初期だけしかかわいくなくて、さっさと外に出し、鎖に繋がれ、そこらにウンチすると「汚い」とののしられ、裏の山に捨てに行こうか!とストレスを書き綴っていた飼い主さんがいました。
読むのが悲しくて、いろいろ具体的にアドバイスも書き込んだけれど消去されていて・・・。
親バカでも、どんな表現でもいいから、最期まで愛情をかけて欲しいと切に思います。
犬たちが笑っていられるように。
犬たちも飼い主さんたちも、一緒に暮らせてよかったと思えるように。

Dexママ さんへ
犬を飼っている人たちは、基本的に犬が幸せであれば良いと考えているはずです。
物言えぬ犬たちが、常に何を飼い主に求めているのか?を試行錯誤、いろいろと学ぶ姿勢を忘れてはいけないのだと思いますし、Dexママが求める姿そのとおりだと・・・。

犬たち、犬たち、犬たちと犬中心に考えられることはいろいろと世間にはあるのですが、人(飼い主)あっての犬ですから、まずは、人のマインドも変わっていかなければ、成長しつづけることも必要ですよね?

作られたネタの犬ブログには、人の目にとまらなければならないと意味が無いと思うような人たちもたくさんいますが、ネタは特に無くてもいいのだと思います。わが家なんか犬たちは、なかなかブログのネタなんか提供してくれませんし、あえて、ネタ作りに私は力を注ぐことなんかしません。

ネタ優先の犬ブログに基本的に、犬と共生するためのお勉強ネタなんかありません。
ネタを次から次へと探すことに夢中になるよりは、犬たちの気持ちに目を向けることが大事なんでしょうけど・・・そこに気がついていない人たちが多いのはちょっと残念な現実です。

言われるように、最期まで愛情を犬たちに注ぐことと・・・とっても大事なことを胸に
留まらせるように自分にも戒めが必要です。

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