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糸里が生きた「輪違屋」の魂(高橋利樹×浅田次郎)
浅田 尊皇攘夷で一変した島原ですが、今年はまた大きな変化が訪れたんじゃないですか。
高橋 だれも歩いとらんような島原に、毎日千人も観光客が来はんのやもん。すごいわ、NHK(笑)。京都市観光協会は、昨年からノリノリやから。
浅田 島原が吉原みたいにならなくてよかったですよ。昔の吉原のことをずいぶん調べました。その縁で島原にも興味を持つようになり、二つの花街の違いにも注目してきました。
高橋 昭和二十八年にはまだ太夫道中があり、大門からの道筋には桜、柳、桜、柳と木がずらりと並んでいました。歌舞伎の舞台で描かれる吉原の背景と同じです。
浅田 主人公の糸里は、僕好みの女性に描いたのですが、ご主人の話を聞いているとどんどんイメージが膨らんできて、もっと太夫道中の場面を書き込みたい気持ちになってきました。こうなるともうきりがないのですが(笑)。
高橋 糸里みたいな女性は……どうでしょう。ただ昔は、たいてい借金の抵当(かた)で売られてきた子ばかりですから、どんなことでも辛抱できます。今どきの子はお客さんに、「俺がついてないとダメだ」なんて思わせられません。彼女たち、一人で生きていけるもん。
浅田 お客にそう思わせるかどうかは大きな違い。そこが昔と今のサービス業の違うところですね。
高橋 お座敷ではすごいご馳走が出て、歌って踊ってお酌してパーッと盛り上がる。ところが華やかな宴が終わって、奥座敷の行灯(あんどん)が消え、表の提灯(ちょうちん)も消えて大門が閉まるとき、お客さんを見送る彼女たちの肩にフッとさびしさが出る。「お父ちゃん、お母ちゃん、どないしてるやろ。病気は治ったやろか」「今日のご馳走、国においてきた弟や妹に食べさしてやりたいな」とか。今どきの子にはそういうのがありまへん。
浅田 なるほど。そこでお客が「俺がついてやらなければ」って思うんですね。
高橋 「こいつはわしが面倒見てやらなあかんな」と思わさなあかんのに、今は思わさへんのばっかりや(笑)。
浅田 実は、糸里が輪違屋にいたのか、それとも他の置屋にいたのかはっきりしないのですね。
高橋 なんにも記録が残ってませんね。
浅田 糸里という名前は、子母澤寛の『新選組始末記』以外の文献には出てこない。永倉新八も糸里という人物がいたとは証言してはいますが、やはりはっきりしない。糸里の親友で桔梗屋の吉栄(きちえい)という芸妓にしても、どこをどう探しても史料には見当たらない。
高橋 桔梗屋という揚屋はありました。僕が生まれるずっと前です。でも、桜木太夫はうちにいたんですよ。
浅田 桜木太夫の伝説は残っているんですか。
高橋 ええ。幕末の名妓で、最初は桂小五郎の、次は伊藤博文の二号さん。最後は尼さんになりました。桜木太夫が和歌を詠むっていうシーンが出てきますが、あれは……。
浅田 あの歌は僕のオリジナルでございます。オチをつけたつもりなんだけれども、こちらにご迷惑を……。
高橋 まさか。どんどん作って(笑)。最近では、うちの太夫に先生のご著書に出てくる言葉使わせていただいてます。「置屋にお礼するなら、あなたのいちばん大事なものを差し上げてちょうだいよ」って。
浅田 おなごの大事な……。
高橋 体しかないやんね。今の時代は冗談ですけどね。
浅田 跡取りは、やはり子供のころから芸事をしなければならなかったんですか?
高橋 はい。座敷に挨拶に出なければならないですから。大きな揚屋やお茶屋と呼ばれるところは、だいたい男が芸を継いでます。
浅田 代々受け継がれてきたお名前はありますか?
高橋 ありますよ。何やったか忘れてしもうたけど(笑)。難しい名前なんです。祖父が継いではりました。父は養子やさかい、名前も芸も継いでません。
浅田 名前を守っていくというのは、自分で何かを作り上げるよりもずっと大変なことですよね。環境がどんどん変わっていく中でこちらでバーを開業されたとき、周囲からの反対や抵抗はなかったんですか。
高橋 全員反対! そのとき島原の歌舞練場で臨時の寄り合いが開かれて、「芸妓さん、太夫さんがいなくなったとき、歌舞練場がうちの面倒見てくれはりますか」と訊いたら、だれも返事をしなかった。「そな、させてもらいます」って帰ってきて。以来、三十三年。結局、うちみたいな店が他に三軒もできました。みんなうちが成功したのを見て商売するんです。で、うちが潰れたら笑いもん。
浅田 よくご決断なさいましたね。そうでなければ輪違屋を維持していけなかった。
高橋 島原の芸妓衆はみんな六十代。おばあちゃん芸妓衆です。昭和十八年生まれの最後の芸妓さんは、男の子ばかり生んで、娘に継がせることができなかった。娘がいれば、六つの六月六日からお稽古始めさせたんでしょうけどね。
浅田 芸妓さんを世襲というと不思議な感じを受けますが、考えれば当たり前ですよね。子供を産んでも、旦那さんの家で育てられるわけじゃないんですから。
高橋 女の子は芸妓さんにして、男の子なら里子です。
浅田 でも、こういうところで働けるというのは幸せですね。京都の文化の真っ只中ですよ。
高橋 角屋さんはほんまの美術館やけど、うちとこはまだ生きてる美術館ですから。
浅田 輪違屋の魂が、やっぱりご主人の中にあるのかな。いかに建物が立派に残っていても、ご主人でなければ輪違屋の精神は伝えられなかったかもしれませんね。輪違屋は過去だけでなく、今も呼吸を続けているからこそ心を衝(つ)き動かされるのです。かつて光彩を放った建物でも、それを残そうとする人間の意志が途切れてしまっては魂が抜けてしまう。僕は、今も太夫さんがいるこの家の持っている空気を小説に書きたかった。この今いる場所から歴史をたどれたから、小説を書くことができたんです。
高橋 なかなか島原を描ききれる作家の方はいないんですよ。
浅田 たぶん僕は島原を描くことができたぎりぎりの世代だと思う。よく残していただきました。日本国民を代表してお礼を申し上げます。
高橋 これ、映画化されますか?
浅田 あるかもしれません。
高橋 糸里役しようかしら。
浅田 ハハハハ。
高橋 音羽太夫じゃ、出た瞬間に殺されなならんしなあ。もし映画化されたら、時代考証に行きますよ。
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