政治政界の頂点に立った「松下政経塾政権」 前原氏もパシリ扱い+(3/4ページ)(2011.9.3 22:34

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政界の頂点に立った「松下政経塾政権」 前原氏もパシリ扱い

2011.9.3 22:34 (3/4ページ)
衆院選で初当選、松下政経塾OBと記念撮影する野田佳彦氏(中央)=1993年、国会(野田佳彦事務所提供)

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衆院選で初当選、松下政経塾OBと記念撮影する野田佳彦氏(中央)=1993年、国会(野田佳彦事務所提供)

 入塾後の首相はこんな理想を仲間に熱く語っていたという。しかし、「経済や外交で議論したことはほとんどない」という、今では信じがたい証言もある。

 故松下幸之助氏が創設した政経塾だが、首相をはじめ松下翁から直接薫陶を受けた初期の世代と、その後の世代とでは、塾から得たものは相当違うようだ。

 2期生の元杉並区長、山田宏日本創新党党首は「幸之助さんは3期ごろまで毎月のように塾に来ていた。『私はいつ死んでもええ』と悲壮な気持ちで語りかけていた」と話す。

 その後、松下氏は病気となり、国の行く末を憂える「幸之助イズム」を伝授する機会は減った。8期生の徳永久志参院議員は「1、2期はひざ詰めで指導を受けたから、そのプライドがあるのだろう。僕らは講義録の資料でしか読めなかった」と語る。

 首相が今回の民主党代表選で争った前原誠司政調会長は8期生。前原氏の出馬で一時は「当選圏外」とまで言われながら、首相が意志を曲げなかったのは、1期生としての自負だったのかもしれない。

× × ×

 ここに1枚の写真がある。国会議事堂を背にして中央に立つブレザー姿の男性が若き日の首相だ。撮影されたのは平成5年の衆院選直後。細川護煕元首相率いる日本新党や新党さきがけなどの新党ブームに乗り、政経塾出身議員は一気に15人に増えた。写真には、自民党の逢沢一郎国対委員長のほか、前原氏や樽床伸二幹事長代行、玄葉光一郎外相、長浜博行官房副長官の姿が見える。

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衆院選で初当選、松下政経塾OBと記念撮影する野田佳彦氏(中央)=1993年、国会(野田佳彦事務所提供)

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