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yuhka-unoの日記

2011-09-01

自分が嫌われないために気を遣う人は、身内を潰す。

20:27 |

相手のための気遣いと、自分が嫌われないための気遣い』に、予想外にブックマークが沢山ついた。で、

id:ekirei-9

理屈はわかるけど具体例がほしい

という意見を頂いたし、ちょうど書きそびれたなと思っていたこともあったので、続きを書こうと思う。

 

母は、家に人が来るとなると、家の中を完璧に片付けていた。私の担任になった先生は、大抵誰でも「yuhka-unoさんの家は綺麗だね」と言ったものだし、その中の一人は、「yuhka-unoさんの家は、生活感がない感じやね」と言った。

学校の先生が来る時に家の中を綺麗にするのは当然として、母は消防署の人が火災報知器の点検に来る時や、電気屋の人が家電を修理しに来る時でさえそうだった。

母が留守で、私が火災報知器の点検に立ち会うことがあった日、私は布団を押入れに仕舞わず、畳んで部屋の角に置いておいた。火災報知器は、押入れの中にも設置されているからだ。押入れに布団が入った状態では点検がやりにくいと考えた。だが、帰ってきた母は、布団を出しっ放しにした状態で消防署の人を部屋に入れたことについて、気に入らなかった様子だった。

 

宅配便が来たとき、私がすぐ行って玄関のドアを開けると、母に怒られた。玄関に出ている靴をきちんと揃えてから出るように、と。だが、宅配業者の配達員が、玄関の靴が散らかっているかどうかを、そんなに気にするだろうか。私が配達員なら、靴を揃えるよりすぐに出てくれるほうが有難いと思うのだが。他所の家の玄関の見た目より、外が暑かったり寒かったり雨だったり、荷物が重かったりするほうが、配達員にとっては重要な問題だと思うのだが。

 

引越し祝に、母方の祖母と伯母が新居に来ることになった。母は相変わらず家の中を完璧に掃除し、いつもより豪華な昼食を作った。昼食の内容は、ニシン丼と、3〜4種類ほどおかずがあった。

昼食の用意をする際、私は全員分のご飯を盛ってニシンを載せた。私は、他におかずが沢山あるのだからと、ニシン丼の量をいつもより少なめにした。

母は食べる段階になって、「ニシン丼の量少ないやん。もう、この子自分が食べる量で考えてるんやからー。もっとご飯入れたるわ。少ないやろ?」と言いながら、祖母と伯母のニシン丼に手を伸ばした。祖母と伯母は首を横に降って、「もうこれで十分やで」と言った。実際、二人はニシン丼のおかわりはしなかった。

母は、二人が帰ったあとも、ニシン丼の量について「あんたなぁ、いっつも自分の食べる量で考えるやろ、あれは少ないで」と言っていた。私は、他人の家でご馳走になる場合、最初から多めに盛られて残してしまうより、残さず食べられる量を盛られておかわりをお願いするほうが、心理的負担は少ないんじゃないのかと反論した。

 

お隣さんが「足を悪くして自治会の集会に行くのがしんどいのよね」と行ったところ、母は代わりに『私が』行くことを引き受けた。その話し合いの場に私はおらず、その取り決めの間、私に何の連絡もなし。別に代わりに集会に行くこと自体が嫌なのではない。私の行動を決めるのに、全く私の意思が入っていないことが嫌だった。母は、まるでお隣さんに親切に自分の「モノ」を貸し出しているような感覚なのだろうか、と思った。

ちなみに、そのお隣さんが『他人に対して気を遣って丁寧に接する母と、それができない私の話』で書いた、「お母さんよりあなたのほうが話しやすいわね。あなたのお母さん気を遣う人だから…」と言った人である。

 

その他にも、母の前で目上の人と話したときは、後から言葉遣いや言った内容について細かく注意されたり、親戚の集まりなどの場で気を配ることなど、様々あるものの、わかりやすい具体例はだいたい上記の通りだ。尚、来客がある時に家を片付ける作業は、私が小さい頃はもちろん母がやっていたが、私が成長するにつれ、その作業の大部分を私がやることになっていった。

母は、家の外の人に対しては親切に振舞ったが、私に対しては親切とは言えなかった。他人の評価目線から身を守るための「鎧」として気を遣っていた母にとって、家の中ではその「鎧」を着る必要はなかったのだ。他人と母とでは、他人が母を評価するという関係だが、母と子供とでは、母が子供を評価するという関係なのだから。

他人に対して気を遣ってしまうと言えば聞こえは良いが、そういう人は、自分がほぼ完全に支配下に置いておける人間に対しては、逆にほとんど気を遣わず、まるで自分に属する「モノ」のように、他人から良く思われるための道具にしてしまうという暗黒面があると思う。

 

母は上記のことを「普通」「常識」「皆こうしている」と言っていた。理想が高い人は、自分は理想が高い人なのだという自覚がない。私もまた、母の理想が普通の人と比べて高いことにはっきりと気がついたのは、成人してからだった。

私は元来マイペースな人間だ。幼稚園の頃、参観日に親が来ると、教室で私の姿だけが見えない。先生に尋ねると、私は別の部屋で一人で絵を描いていた。それくらいマイペースだ。そんな私に、両親(特に母)は「弟の面倒をよく見る、しっかりした良いお姉ちゃん」という、ものすごく高いハードルを要求した。我が家は、父、母、私、弟二人の五人家族で、こういう家族構成なら、普通は父母が親で私と弟二人が子供という立ち位置になるはずだが、我が家は父母と私が親で、弟二人が子供という立ち位置に近かった。そのため、本来なら親の責任や役割であるべきことまで、私が担わされることもあった。両親が離婚してからは尚更そうなった。

私は、頑張ってもなかなか母の言う「普通」のレベルに到達できなかったので、「私はどんくさい子なんだ」「私は、ものすごく頑張らないと、他人とちゃんと付き合えないんだ」という自己イメージを持つようになった。その一方で、「でも、そこまでする必要ないんじゃないの?」という疑問もうっすらと持っていた。

 

親子関係は人間関係の基礎だ。働くようになると、私は失敗する度、「こんなに失敗して怒られるのは、自分だけなんじゃないのか」「他の人は、きっと私より上手くできるんだろう」と思い込んだ。母に「あんたがそんな態度だと、私が悪く思われてしまう!」という恐怖感から怒られていた私は、上司や先輩に怒られる度、「私があまりにできないので、きっと、すごくイライラさせてしまっているんだろう」と思い込んだ。この頃が私の今までの人生の中で一番の暗黒期だった。

その後、お隣さんの「お母さんよりあなたのほうが話しやすいわね。あなたのお母さん気を遣う人だから…」という言葉と、カウンセラーの「気を遣う人に接すると、こっちも気を遣うからね」という言葉がきっかけで、母に植え付けられた洗脳を振り解き、新しく自分なりの他人との関わり方を構築し直すようになり、その過程で段々楽になっていった。「母は、他人に嫌われないために気を遣っているのであって、他人に対する思いやりからじゃない」ということに気付いてからは、「もっとテキトーに生きて良い」「母のように完璧にしようと思わなくて良いから、相手にとって居心地が良ければそれで良い」と思えるようになった。例えば、親しい友人が家に来た時などは、「喉乾いたら、冷蔵庫の中の飲み物、勝手に飲んで良いからね」で良いんだよね。

実際、悪くは言われないけれど、相手が気を遣ってしまうような接し方って、相手のためじゃない。本当は、相手に気を遣わせないようにするのが、思いやりってもんなんじゃないだろうか。素直で気さくな人のほうが接しやすいもんね。

 

そういう過程を経て、お客さんが来るときに掃除をするのは、相手にとって居心地良くするためであって、後で「あの人の家、散らかってたわね」と言われないようにするためではない。親業は、子供が自分の人生を歩んでいけるようにするためであって、「良い親」という自己イメージを保つためにするのではない。自分の知性を成長させるには、純粋に問題そのものに向き合い、好奇心や探究心で行動することであって、「頭が良い人」という自己イメージを保つことではない。良い作品を作るのが目的であって、その作品を作っている自分が良く見られることが目的ではない。というふうに考えるようになった。

 

で、「ちちんぷいぷい」の中で、大吉アナが失敗して怒られているのを見て、「ああ、ああいう失敗は誰でもするものなんだな。私だけじゃないんだ」と思えたこと。大吉アナを指導する上司や先輩たちが、本心から大吉アナを受け入れ、彼の成長を願っているのがわかったこと。色々失敗しても、その失敗が経験としてきちんと積み上がって、大吉アナが成長していっていること。これらのことが、番組を見ることによって、自分が自問自答しながら構築した認識や価値観が、客観的な視点から再確認できたことが、私にとっては発見だったので、ブログに取り上げることにしたのである。

 

まぁ、積み上がっていく失敗と積み上がっていかない失敗ってあるよね。私は母に洗脳されている頃、積み上がっていかない失敗ばかりを繰り返していた。母のやり方は、私を成長させる部分が多少はあったかもしれないが、それ以上に私の成長を停滞させることになった。

そりゃ、元来一人で絵を描いているようなマイペースな人間を、「弟の面倒をよく見る、しっかりした良いお姉ちゃん」に仕立てあげようとするなんて、最初から無理がある。母は私を褒めることはあったが、それは母の望む「良いお姉ちゃん」でいられた時に褒めていたのであって、それは褒めてはいるが私を認めてはいない。誘導するための手段として褒めているだけだ。だから私は、「褒めて育てる」という、一見耳に心地良い子育て法も、危うい面を持っていると思っている。

認めて育てるべきは、一人で絵を描いていたマイペースな私のほうだったのだ。だから私は、そっちの自分を自分自身の手で育てていくことにした。

 

 

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itiiti 2011/09/02 13:52 お母さんの呪縛から逃れられたことは、あなたにとってよかったことと思う。おめでとう。しかしいつか、あなたも母親となったときに、お母さんのことを思い出してあげてほしい。多分、あなたのお母さんは、祖父母・父親の援助がほとんどない状態で3人の子育てをされたのではないかと思う(違っていたら失礼)。あなたが道を踏み外さず、これだけの文章を書ける真っ当な人間に育ったこと。すばらしいことだと私は思う。いち母親として、私はあなたのお母さんを尊敬する。

きゃあきゃあ 2011/09/02 16:14 この記事から唐突に母親尊敬って??? 意味が判らない。文脈おかしくね?
というか、母上は祖父母・父親の援助はどうかしらんけど子供であるyuhka氏に親業分担させてたんでしょ。
助力の求め先がまずすぎる点、とても尊敬要素にカウント出来ないと思うけど。

「親が気をつけてさえいれば人は100%道を踏み外さずにすむ」ってもんではないのだから、育った子どもから無条件に親礼賛するのってキモチワルイゾ。報われたがりすぎ。

yuhka-unoyuhka-uno 2011/09/02 21:50 >itiさん
 
この手の話をすると、必ずと言って良いほどあなたのようなことを言う人が現れるので、これまで書かなかったんですよね。
あなたは、私の母を尊敬するというよりは、むしろご自身が尊敬されたいのではないでしょうか。そして、ご自身の親としての苦労をわかって欲しいのではないでしょうか。
私のことに関しては、どうぞご心配なく。私はむしろ、あなたとあなたのお子さんが心配ですね。
 
「困った親」ほど、「親に感謝するべき」「親を尊敬するべき」という美徳が大好きです。私の母もこの手の美徳が大好きで、一見正しそうなこれらの言葉を使って、私に罪悪感を抱かせ、縛り付けようとしました。
私のブログを読んで、私に対して何か言おうとするよりは、「自分も知らないうちに子供を傷つけているかもしれない」というふうに、自分のこととして考えて頂ければと思います。
あと、
 
>あなたが道を踏み外さず、これだけの文章を書ける真っ当な人間に育ったこと。
 
これは母の功績ではなく、私が自分で努力した結果で、私の功績ですので。

thorthor 2011/09/02 22:04 僕の父は自分が褒められたいから子どもの口を使って父は本当はすごい、えらい、と言わせる人だった。
僕自身は成人するまでそのことに気づくことがついぞ無かった。でも弟の話によれば、僕の実家は気持ち悪いと言われていたようだ。
僕は小学生の頃には家事をしないで一日中寝て過ごす母に代わって炊事をやるようになっていた。
そして母は狂ってしまった。
父は、もっと大変な家庭はいくらでもあるのだから、うちはまともなほうだと言っていた。
父は酒をよく飲む人だった。そして、自分が偉くて僕たち家族は出来が悪いといつも言っている人だった。
そして弟もまた、父からの暴力を含む虐待なども相まって、フィクションの中でしか見ないような人格障害を負ってしまった。
おそらくは僕も複数の人格障害を負っていたが、自力で克服してきた。
僕は実家とは縁を切っている。
だけど、僕は何も知らない他人から「あなたが真っ当な人に育ったのは親のおかげ」と言われる。
実は養育費の一部も狂った母の精神障害者年金などから捻出されていた。
だが父と最後に話したとき、父は「病気になるのは本人が弱いからだ、自分は強いからそんな病気にはならない」と言った。

itiさんは良い母親なのかもしれない。
でも、そうではない親は無数に存在する。
それを僕は誰よりも知っている。

yuhka-unoyuhka-uno 2011/09/02 22:44 >きゃあさん
 
こういう「意味が判らない人」は多いんですよ。虐待された子供や、機能不全家庭に育った子供に対する二次被害の典型例ですね。おそらく、私の母に似たタイプの人なんだろうと思います。だから私に、親を許したり感謝したり尊敬したりして欲しいんでしょう。それは本当は、自分が子供にして欲しいことなんでしょうね。

にゃこにゃこ 2011/09/03 16:47 私の親もyuhka-unoさまのお母様とほぼ同様の生き方の人です。
物申すたびに「仮にも親だ」と言われ続け感謝を求められました。
娘を置いて男と駆け落ちしたことや、就職して1年にも満たない娘のカードをブラックになるまで使い切ったことなどは、彼女の中ではなかったことになっています。
その狂った状況を認識しながらも、結婚し家を出るまで言いなりになっていました。
今は疎遠にしていますが、入院していると聞くと心が乱れてしまう自分に腹が立ちます。

こんな親を持って不運だと思っていましたが、自分だけではないことを知り、呪縛が少し緩んだように感じています。
ありがとうございます。
もしよろしければ、現在のお母様との関係がどうなっているのかお聞かせいただけませんか?

余談ですが、itiさまのようなご意見の方は、きっとある程度幸福な家庭に育ち、理不尽な思いをあまりされていなくて、状況を想像できないか若しくは信じられないのではないかと思うのです。
是非、反面教師という言葉を知っていただけたらと思うのでした。

今日は休み今日は休み 2011/09/03 17:52 話がズレますが、会社でも同様ですね。現場を考えずに、外面がよすぎる上司の下で働くと結構しんどい。
さて、iti さんのような親は最近多いんでしょうか。子供の気持ちや人生はさておき、親(自分)が尊敬される事を重視していくというのは、過去、自分が認められなかった事の昇華を求めているのでショウカ?
なんだか運命のループになって…もしやまどか☆マギカの世界?!(違

merumomerumo 2011/09/03 19:24 はじめまして。
いくつか記事を読ませて頂いて、お母様の性格に私の母親と共通するところが多く、というかほとんど同じで本当に驚きました。他にも家族構成、環境、境遇、筆者さんの性格に至るまで…苦しんできたのは、私一人じゃないもんだなと。

母の影響を受けて作られてきた世界観や自己認識のおかげで、私はたくさんあったはずの可能性をほとんどフイにしてしまったし、人生台無しになってしまいました。それはもう取り戻せないと思います。

親を恨むことは、自立に至る過程でとても重要なポイントなのだと思います。毒親なんかも、まずは親を恨む状態に至らせるための本だったと認識しています。

今振り返ってみるにつけ、母はただの子供の躾に厳しい見栄っ張りなだけではなく、やはり人並み以上に性格が悪かった。人間関係で常に問題を起こし煙たがられるような言わば困ったちゃんで、よそ様とも身内とも盛大な喧嘩をしては、相手に対する口汚い悪口、ありもしない私達に向けられた敵意の妄想を子供の私に吹き込んでいました。それを聞くたび、私は世間に対する不信感や恐怖感を募らせて行ったものです。

想像するに、彼女にとって世間というのはとても厳しく残酷で冷淡なもので、僅かでも隙を見せれば攻撃されたり追い出されかねないという恐怖を抱いていたのだろうと思います。だから自分の子供もそうされないように完璧な武装をさせると同時に、自分の味方にして置きたかったんだろうなとも思うのです。

若い頃(まあ今でも変わりませんが)の母も私と同じ様に、何も知らず何も分からず、人や社会への恐怖に脅え、同じように生きるのが苦手な祖母を恨み、それでも自分や子供にとっての最善を自分なりに考えて必死で生きて来たのでしょう。

そんな母にも僅かながら慕ってくれる友人がいるもので、あんなに難しい性格の母のどこが気に入っているのか、意外と理解できたりします。恨んでる時には見えにくくなりますが、良いところもたくさんあるのです。
恨んでる時はまだ、距離が近いのだと思います。自分の感情に、母親が大きく関わっているのです。母に分かって欲しい、変わって欲しいと思っている。どうしても母を好きになれない、その状態のまま人生を終えることもあったと思います。
母を良いところも悪いところもある凡庸な一人の人間として見られるようになるチャンスがあり、そんな邪悪でちっぽけなダメ人間である母を許したり、悪意に見えたものも本当は善意であったのだと誤解が解けたり、一生懸命で健気なところを尊敬したり、何より一人の女の人が私を育ててくれたこと、色々大変だったろうなと感謝できるようになりました。それは失敗ばかりの無能な自分や、母という人の元に生まれた運命みたいなものまで受け入れられるようになるのと同時だった気がします。そして、母を激しく恨んでいた時よりも、こっちの方が辛かった・・。でもそんな自由になれる機会が多くの人に訪れればいいなと、今は素直に思えます。赤の他人であるitiさんと同じ視点から母を見られるようにならない限り、まだ呪縛の内だったのだと思います。

長々と自分語りになってしまって失礼致しました。

wahoowahoo 2011/09/03 19:35 感じ方って、いろいろですね。
特に父親が仕事ばかりで育児をしない家庭だと、すべては母親のさじ加減で決まってしまいがち。それは仕方ないですよ。完璧な人間はいません。

地域や社会や父親や親戚ではなく、子育てのすべてが、母親一人に任されていた時代だったんだから、yuhka-uno世代の子供達で、同じようなトラウマを抱えている人は沢山いると思いますし、私自身もそうでした。
母親の価値観が、子供を支配してしまうのは、状況が同じなら必然といえるでしょう。

イクメンなんて、ここ数年の話ですよ。
母親一人に、育児を押し付けてきた社会が戦後続いたおかげで、精神的に脆弱な大人が増えてしまった。
だから、あわてて『イクメン』とか、ブームにして社会を立て直そうとしているわけです。遅いよね。


大切なのは、成人したとき、どんな親の元に育っていても、そのトラウマから抜け出し、自らのアイデンテティを構築できているかどうかでしょう。

私も、40歳まで自分の人生を『あんな母親に育てられ、虐待され、転校ばかりで学校ではいじめられ、助けてくれる人もなく、生きるのに必死だったから勉強どころではなかった。母親のせいで自分は人格障害なんだ。』と言い訳してきた。

だけど、同じ親に育てられ、現在は奥さんのヒモ同然の暮らしをしている兄は、
『オレがちゃらんぽらんなのは、70歳になったって、かわらないし、親のせいじゃない。俺の資質だ。母親だって、子育てに追われる人生でありながら、自分自身との葛藤の中、精一杯生きていたんだ。』と言い切っている。

ここで、yuhka-unoさんが日記に書くのも、トラウマから抜け出した自分を客観視するための、ひとつの確認行動として必要なんだと思う。

すでにトラウマから完全に抜け出してしまった人間は、記録に残すことさえしないものです。

mimimimi 2011/09/03 19:47 話ずれちゃうんだけどね。。。
うちの旦那さんは、宅配の配送をしています。沢山のご家庭を玄関から覗くお仕事です。
『日本人はきれい好きだからか、7割近くは玄関がきれい。玄関がきれいな家は、大抵、部屋もきれい。
しかし、玄関あけて、黴臭い部屋、狭い玄関に大量の靴が山盛りの部屋、どうみたって足の踏み場もない部屋、ゴミ袋だらけの部屋に遭遇するときもある。そういう部屋は、業者仲間では有名になる。こっちだって、そんな状況見たくねぇじゃん。客じゃねえが、最低限の対応ってもんがあるだろ。』
と言っていた。
私はあまり片づけを意識したことなかったけど、それからは、業者さんだろうが、お客さんだろうが、ある程度、きれいな状態で応対するようにしている。

招かれた人だって、気持ちの良いお部屋の方が、気持ちよく過ごせるのかと思いました。
程度の問題ですかね。

YoshiCivYoshiCiv 2011/09/03 19:56 「産んでいただいた恩」等というのはふざけたネタに過ぎませんからね
とまれyuhka-unoさんにお勧めの本があります
「空気の教育」という本です。あなたの考えを確信にしてくれるはず。

ふむふむ 2011/09/03 20:17 なぜこの手の話をするとitiさんのようなコメントがつくか?
答えは簡単。itiさんが正しいからです。
ただ、yuhka-unoさんが母親の呪縛から逃れられた、というところだけは間違いだったようで
残念なことになってしまいましたね。
itiさんドンマイ。

toutotouto 2011/09/03 20:57 うわぁ…ウチの親とおんなじだわ。記事は読みましたが、コメント欄は読んでないので被ってたら失礼。
自分がどうしたいのか・どういう考えを持っているのかより、相手にどう思われるかを気にする人はキツイ思いをしていると思います。
じゃあその辛い思いに吊りあうような、利益を得ているかというとそうでもない。他人からは”礼儀正しいのだけれど、何となく気持ちが見えない”、身内からは”こちらの気持ちを無視して、無意味に厳しい”という評価。
それでも自分が満足しているならまだ救いはあるのでしょうが、恐らくそれもないのでしょう。(ウチはそう。)
他人の目・評価を気にしないということは、他人を軽んじるということではない。自分を大切にできない人間が、他人を大切にできるわけがない。

chinu48cmchinu48cm 2011/09/03 21:07 ブログ記事には思うところがすごくたくさんあって面白く読みましたが、なんかコメント欄がちょっとおかしいですね。
ブログ主さんも含めてですが、誰かの生き方や行動を「正しい」「正しくない」で語るとおかしなことになりますよ。
相手のことを真に思いやって行動する、というのは確かに素晴らしい生き方なんですが、だからってそれができてない人の生き方も間違ってなんかいませんよ。
主さんの教育にはマッチしなかっただけだと思います。
みんな正しくてみんな間違ってるんですけどね。
みんな押し付けすぎだよ。

z1121z1121 2011/09/03 21:28 とても感動しました。
ほめることの難しさは、叱ることの難しさと同じですね。
何か避けたいと思っていたのは、(((誘導するための手段として褒める)))ことだと気づきました。
漠然とした不安を文章で整理してくれましたね。
((((認めて育てるべきは、一人で絵を描いていたマイペースな私のほうだったのだ・・・))))
すごくよくわかります。外面のよい自分ではなく、自分の素の部分って自分にとって一番大切なところですもんね。なんだかどんな人間も素の部分はおもしろいと思いませんか?たいしたことないのですが、娘が小さい頃本当に真面目で堅い子だったんで寸よ。もちろんそれは乳児期からの育て方のせいなのですが、小学校にあがった頃からだったでしょうか。ちょっとおもしろいところを見つけては、「「面白い子だねえ
面白い子だねえ。」」と呟いていました。今ではそれでよかったと思います。とても参考になりましたよ!

yukiyuki 2011/09/03 21:49 「身内は自分ではなく別人である」ことを前提に動ける親は多くないですねー。でも、親は最初から親だったのではなく、子どもが生まれて初めて親になっていくとか聞いたことがあります。もしかしたら親に「わたしはあなたとは別の人間なんだよ」と教えてあげられる可能性が、子どもにはあると思います。

あと、気遣いは「自分一人」が負える範囲で行うものですね。他人への気遣いを家族への気遣いより優先するのでは、元も子もないという感想を持ちました。

thorthor 2011/09/03 22:23 穿った見方をすると「itiさんは正しい」です。
僕は間違っています。

では「正しい」とは何でしょうか。
「ある特定の判断基準から導き出す答えと一致している」ということが「正しい」ということだと思います。
この場合の基準とは、世論や常識のことです。
「どんなことがあっても親を敬うこと」が常識ならば、そこにどんな言葉をぶつけても、僕やyuhka-unoさんは間違っていることになります。
そしてitiさんは正しいことになります。

法律の話をしましょう。
子殺しについて検索すると、以下のようなことが載っていました。
『旧刑法において、子が親を殺す犯罪には尊属殺人罪が適用され、通常の殺人罪よりも極めて重い死刑又は無期懲役が課せられていたが、親が子を死なせる犯罪にはほぼ全てに傷害致死罪が適用され、殺人罪が適用されるケースはほとんどなかった』
つまり、子は親に逆らってはいけないが、親は子に危害を加えても、子が親に危害を加えるほどには罰せられない、ということが、法律で決まっていました。
かつて日本ではそうしたシステムが常識であり「正しかった」ということです。

まあ、変な方向に誘導してしまいそうな書き方になりましたが、正しさというものに囚われて価値観を押しつけてしまうことは、実は他でもない、yuhka-unoさんのお母様がやっていたことなのだと思います。
だから、それを間違っている、と頭ごなしに決めつけて従わせようとすることは、同じことの繰り返しになると思います。

なんだかややこしくてすみません。
当方あまり頭が良くないので。

きゅうりきゅうり 2011/09/03 23:48 気を遣う性格って直らないですよね〜。
子供の頃から近所のおばちゃんや親戚の人から頂き物をすると母に軽く咎められることが多かったため、私も少し前まで誰かから物を借りたり貰ったりすることを断っちゃう癖がありました。たぶん遠慮するって事を教えたかったんだと思います。子供は遠慮しませんからね。
それに宅配業者や火災報知機程ではありませんでしたが、家庭訪問の日に母親が部屋をものすごく片付けておくっていうのも、そういえばあったなぁと思って笑ってしまいました。
ただひとつ言わせて欲しいのが、図々しいかもしれませんが洗脳っていうのはちょっと度が過ぎる表現かもしれないなと思いました。yuhkaさんがどの程度苦痛を受けたかは察しかねますが、お母様は仮にどれだけ自身のためと思ってなさっていても少なくともあなたの為だとも思ってなさっていた事なのでしょうから。
大変だと思いますが、頑張らず前向きに

rand005rand005 2011/09/04 00:30

体面ばかり気にする「世間知らず」な可能性が高いかも?
変な遠慮は人を曲がった方向へ導く事が多い

「他の人がそうだから」・・・

多くの理由が他人任せで自己の考えが無い

親と取っ組み合いのケンカをするべきだ!
それによって後悔することも多いだろう
親がまっとうな考えを持っているなんて甘い思いは禁物

多くの価値観と触れ合い多くのトラブルと融和を経て
強く優しい人になってほしい。

きゃあきゃあ 2011/09/04 01:14 穿った見方とかしなくてもitiさんは正しくないでしょw
正誤がどうこうっていうか、「アナタおかしいですよ」って感じ。
だってこの記事ですよ? 本当に読んだの? ってくらい話が飛んでる。
「まあ、そういう考え方もあるよねー」で流せるレベルを超えてる。
「いや、あの、そういう話じゃないんだけど、ちょっとアナタ大丈夫ですか?」みたいな。
今や「アナタ『方』」ですけどね。増えとる。
完璧な親なんていないとか、子どものためを思ってるからとか、そういう話じゃないんだと読んでましたけど。違うの?


yuhka-unoさん
>こういう「意味が判らない人」は多いんですよ。
ああ、やっぱり多いんですか。いや、ウチにもいるからw
いるからっていうか親戚が一族郎党そんな感じで、なんかひとつの価値観として確立されてる感があります。
一歩出りゃそんな絶対的なもんでもなくていろいろと留保つきなのは自明なんですけど、子どもは出られないからね。

sonoowasonoowa 2011/09/04 01:31 私もほぼ同じような母親に育てられましたので、ものすごく納得できました。
たぶんですけど、母性とか父性が個性とは別に存在しているという前提がありすぎな気がしてます。
幼児虐待事件を踏まえれば、そんなもの存在しない人間も子供はつくれるわけですから。

nanakonanako 2011/09/04 01:55 私も親に厳しくしつけられてきました。
来客があるときに部屋や玄関をきれいにするというのは、ただの常識であって、それ自体が間違っているとは思いませんが、
ここまで母親を恨むにはそれ以上のことがあったのでしょう。
私も一時期は母親を憎んだこともありました。
ただ、大人になるとわかりますが、母親も一人の人間なんですよね。
母親になったからといって、人格者になるわけではない。
いつか、自分が親になった時に、自分の母親をいとしく思う日が来ると思いますよ。

贋物贋物 2011/09/04 02:56 thorさんはきっと相対的な話をしてるんですよ。時代、宗教、国で正義は異なる。
人の数だけ違う正義がある。親が偉いという考え方は昔の正義だった。
昔は今より儒教が強かったですから。お母さんの世代がわからないのではっきり
したことは言えませんが、それが常識だと教わった世代かもしれません。
まあ地域でも違いますが。
あと人というのは悪口の共有をしたときが一番距離を縮められるというのが
あるようなのですが、コメント欄で相手が見てるのを期待してしてるのは見てて残念でした。
悪口を言うなとは言いません。陰口でしてほしかった。陰口も使い方では
嫌われないための手段ではなく、相手のための気遣いになれます。
絶対正義なんて無いんですからここで答えを急いでも傷つけあうことになってしまいます。
人は皆それぞれ色眼鏡を持ってます。正しい見え方も違うのは当然。
だから皆お互い様であり、妥協し合う必要があるわけです。どっちかが妥協するのではなく。
何事もバランスよく。

GG 2011/09/04 03:16 根本的な話をすると、貴方のお母さんは他人を気遣う人、というより外面を気にする人だと思うな。私の親父がコレだから。外面はいいけど自分の子供は完全にその為の手駒なんだよね。だから子供への連絡や承諾なく勝手に約束事を取り付ける。

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