クリスチャンホームに生まれ、
父に勧められて洗礼(バプテスマ)を受け、
中高生キャンプによって、信仰を育てられていった私。
そんな私の信仰生活が、大きく変わるきっかけになったのは、恥ずかしながら失恋でした。
今振り返ると、私はとても恋多き子ども時代を過ごしていたと思います。
初恋は幼稚園の時で、それからは毎年のように、親しくなった女の子の友だちに心を惹かれていました。
すぐに好きになってしまうのです。
それも、決して軽い気持ちではなく、本気で。
そんな恋心を繰り返し抱きながら、中学生になると、何人かの方と交際をすることがありました。
その中で、相手を大事にすることの難しさを知りました。
恋愛において、どう頑張っても自分の自己中心的な部分が出てきてしまうことに気づきました。
そんな中、高校生になって、私は一人の女性を本当に好きになりました。
彼女は自分にとって大切な、信仰を分かってくれました。
体も心も弱く、誰かの支えを必要としている彼女。
私を理解してくれ、頼りにしてくれる彼女を、私は心から大切に思いました。
頑張って、自分の心を捧げて、この人を大切にしていこうと心に決めました。
しかし、別れは突然やってきました。
理由は分かりませんでした。
その時、私の中に湧き上がってくる思いがありました。
「どんなに愛しても、人間の愛は儚い」
「自分には、人を本当に愛する愛など無いのではないか」
「そもそも人間には、本物の愛など無いのではないか」
自分と相手。人間の愛に、絶望した瞬間でした。
しかしそれは、私の心をよりキリストに近づけるきっかけとなったでした。
父に勧められて洗礼(バプテスマ)を受け、
中高生キャンプによって、信仰を育てられていった私。
そんな私の信仰生活が、大きく変わるきっかけになったのは、恥ずかしながら失恋でした。
今振り返ると、私はとても恋多き子ども時代を過ごしていたと思います。
初恋は幼稚園の時で、それからは毎年のように、親しくなった女の子の友だちに心を惹かれていました。
すぐに好きになってしまうのです。
それも、決して軽い気持ちではなく、本気で。
そんな恋心を繰り返し抱きながら、中学生になると、何人かの方と交際をすることがありました。
その中で、相手を大事にすることの難しさを知りました。
恋愛において、どう頑張っても自分の自己中心的な部分が出てきてしまうことに気づきました。
そんな中、高校生になって、私は一人の女性を本当に好きになりました。
彼女は自分にとって大切な、信仰を分かってくれました。
体も心も弱く、誰かの支えを必要としている彼女。
私を理解してくれ、頼りにしてくれる彼女を、私は心から大切に思いました。
頑張って、自分の心を捧げて、この人を大切にしていこうと心に決めました。
しかし、別れは突然やってきました。
理由は分かりませんでした。
その時、私の中に湧き上がってくる思いがありました。
「どんなに愛しても、人間の愛は儚い」
「自分には、人を本当に愛する愛など無いのではないか」
「そもそも人間には、本物の愛など無いのではないか」
自分と相手。人間の愛に、絶望した瞬間でした。
しかしそれは、私の心をよりキリストに近づけるきっかけとなったでした。