和泉 春海<いずみ はるみ>。
年齢、2歳と半年と少し。
性別、男。
此処海鳴市の街の少し端に位置する和泉家に生まれた長男であり、一人息子。
それが『僕』だ。
生まれが海鳴でも有数の金持ちだとか、特別な異能を扱う一族の末裔だとか、不治の病を患っているだとか、そんな特別な事項は何もない。
ただ、これらの自己紹介では付け足していないことが一つだけある。
まだ誰にも話しておらず、そしてこれから先も誰にも話すことがないであろう『俺』のプロフィール。
唐突で脈絡なさすぎて実に申し訳ないのだけど、自分は『前世の記憶』というものを信じている。
というよりも、“信じざるを得なかった”と言うのがこの場合正しいだろう。
───なんたって僕自身がまさに『それ』を持っているのだから。
『僕』が『それ』を思い出したのは、生まれてから1年と半年が経ったある日のこと。
別段、生まれた瞬間から『前』の自分の自覚があったわけではない。
幼心に“自分”と“他人”というものの区別が付くようになるにつれて、だんだんと今世で自分が体験していないはずの記憶が浮かんできたのだ。
最初は、夢心地のようなまどろみに中で徐々に『前』の自分を自覚し。
次に、やや開けてきた意識の中で『今』の自分の状況の認識。
生まれて2年と少し経つ頃には、『前』と『今』の自分がパズルのピースのように上手く噛み合い絡み合い、違和感なく“僕”が居た。
その際に、記憶に対する混乱は自分でも驚くほど少なかったように思う。
「ああ、そんなこともあったな」と自分の経験として、それがしっくりきたというのも理由の一つかもしれない。
『前』の死因は本当に幽かにしか覚えていないものの、死んだことに対する恐怖や混乱もあまりなかった。
多分これに関しては「今の自分は生きているのだから関係がないこと」として、脳が『前』と『今』を切り離して判断しているからだと考えている。
というか、そうでなければ自分が死ぬ記憶なんぞ幼児の体には悪影響が過ぎる。
普通に考えてトラウマものだろう。
閑話休題。
まあそんな感じで子供の体に大人の意識という某少年探偵のような状況の『今』の僕は、かなり早い段階で親離れをしてしまったように思う(たぶん世界最速だろう)。
この辺りは、そんなひどく冷めたクソガキであっても気にせず育ててくれた今世の親に感謝の毎日である。
で。
そんなリアルコナン君な僕が現在何をしているのかと言うと、家の敷地内に建っている離れである蔵の中で自分が使用していた遊び道具探しである。
……先に言っておくが、自分が使うためではない。
前述したように僕には前世の記憶があるため、この手の幼児用の遊び道具は以前に少し使っただけで今の僕にはもう既に必要なくなっていた。
何せ中身は元大学生なのだ。
それに、混乱は少なかったにしても自分にとっては全く覚えのない記憶である。
当時は“前の記憶”と“今の記憶”の整合性を付けるために父親の読み終わった新聞や雑誌の類を読み漁って情報を整理することがしばしばだったと思う(幸い、親はそのときの僕が新聞を理解できているとは思っていなかったようだ)。
当然ながら遊び道具はすぐさま無用の長物に。
結果として自分の初の遊び道具や知的遊具は殆ど手を付けられることなくお蔵入りしていった次第である。
それなら何故自分がそんなものを今さら探しているのかと言うと、別に今になってそれらに興味が湧いた───という訳では断じて、ない。
では何故かと言うと。
妹が生まれるのである。それも双子の。
───現在、僕の母親はそのお腹を膨らませて二つの生命を宿していた。
いくら僕という子供が生まれたからといって両親も僕に掛かりっきりという訳ではなく、やることはやっていたというわけだ。
……というよりも、母親が妹をその身に宿したのは僕が2歳になって間もない頃なのだ。当然、そんな僕に一人部屋などあるはずもなく、寝室は両親と同じ部屋。
両親は僕が既に眠ったものと思っていたようだったが……まあ、一度だけしっかりと起きていた時があったのだ。
妹誕生の瞬間である。
と、そんな感じで子供が作られる過程を息子が目撃するという子供にとってのトラウマ家族イベントを乗り越えつつも、『前』を含めても僕にとって初めての妹である。
自分としても早い段階の親離れで両親には多少申し訳なく思っていたため、この妹の誕生は非常に嬉しいものがある。
勿論それだけでなく、単純に家族が増えるという喜びもあるけど。
そんなわけで、今は一度お蔵入りしてしまった新品同然の乳児用玩具を探索中。
父親はただいま会社に出勤しており、母親は大事をとっての自宅休養。
別に僕がわざわざ探す必要はないのだが、先ほど言った両親への申し訳なさもあり、妹のことに関しては両親を全力でサポートすると決めているのだ。
これもまた、その一環である。
そして僕は我が家の物置と化している蔵にやって来て、ムダに広い蔵に置いてある箱やら何やらをひっくり返しているのだが、
「あれー……見つかんねぇな……」
見つからない。
蔵には電気が通っていないため、光源は何箇所かに配置されている窓から差し込む太陽の光のみ。中は薄暗くて見え難いことこの上ない。
両親も蔵にしまったということ以外は忘れてしまったようで(まあ、そもそも僕が以前の大掃除の際に使わなくなったものとして間違って箱詰めしてしまったことが原因なのだけど)、正確な場所も分からない。
「無駄に広いんだよなぁ、ここ」
我が家は何代も前から代々受け継いでいるだけあって古めかしく、無駄に広い。当然それはこの蔵にも言えるわけで、幼児の体ではいささか辛いものがある。
それでも、このくらいなら大丈夫だと思っていたけど……。
「さすがに出直した方がいいかもな……」
探し始めて既に30分は経っている。
もう少し成長していればこのまま探し続けることも出来るのだが、今の自分があまり長く探していたら母親に心配をかけてしまう。
今日のところは止めにして、また明日探しに来よう。
そう結論付けて、出していた箱を壁際に寄せるためにグイグイ押していく(まだ持ち上げることが出来るほどに筋肉がついてないのだ)。
そこで、ふと気がついた。
「……何だこれ?」
今自分は蔵の中の壁の一角にいて、目の前には壁がある。それだけなら何ら気にすることではないのだが……
「……ズレてる?」
その壁の一部がズレているのである。
よく見てみるとそこは隠し扉のようになっているようで、指を引っ掛けると案外簡単に開きそうだ。
「そういえば、昨日の夜に地震があったって母さんが言ってたっけ……」
僕はそのとき寝ていたし、その地震も確か震度が1か2だったこともあってあまり気にしていなかったけど。おそらくこの隠し戸もその地震が原因でズレたのだろう。
まあ、ひょっとしたら僕が知らなかっただけで、この隠し戸自体は両親も周知だったのかもしれないが。
ともあれ隠し戸である。
当然この中に何が入っているのか気になる。僕にだって人並みのは好奇心もあるのだ。
『好奇心は猫をも殺す』とはいうものの、こんな自宅の蔵の一角に生き死に関わるようなものがあるとも思えない。そもそもそんな死の危険が身近にある家なんて嫌すぎるし。
そんな感じで僕は深く考えることなく戸の隙間に指を引っ掛けるようにして、その土色の扉を開いた。
今にして思えば、それが全ての始まりだったのかもしれない。
ひどく刺激的で、悲しいことも沢山ある、だけどすごく大切なものにあふれた、そんな物語の。
「……箱?」
果たして隠し戸の中にあったのは、少し大きめの木箱。別に封をしているわけでもなく、幼児の自分でも開けられそうだ。
という訳で開けてみる。
中にあったのは、ボロボロで端々が欠けている本、それぞれ紅・黒・黄・蒼・白色の5枚の御札、狐をかたどったお面、そして達筆すぎる黒字が満遍なく彫ってある盤だった。
それは別にいい。いや、正直何でこんなものが家にあるのか疑問ではあるが今はいい、些細なことだ。
それより問題なのは。
「き、狐……?」
───いきなり僕の目の前にデンと現れた、この真っ白な狐の方だろう。
(あとがき)
第一話はプロローグで、全部で3まである予定です。