慰安婦(従軍慰安婦) |
大師堂経慰(元朝鮮総督府地方課長)正論 2003年3月号 (1)平成4年1月11日、朝日新聞は「軍の関与を示す資料発見」と報じ、さらに「従軍慰安婦」の用語解説の形で「太平洋戦争に入ると主として朝鮮人女性を逓信隊の名で強制連行した。その数は8万とも20万ともいわれる」と報じた。 (2)この報道に驚いた宮沢内閣は、報道の根拠や事実関係の確認も行わずに謝罪することを決定し、二日後の13日には加藤鉱一官房長官の謝罪談話を発表した。 (3)その直後に訪韓した宮沢首相は、17日の盧泰愚大統領との会談で、謝罪と反省に8回も言及し、さらに同行記者団との会見では、「あったことは、あったこととして次のジェネレーションに正確に伝えていかなくてはならない。教育は確かにその一つ」と語った。 以上の経緯を見ると、「8万から20万の女性を挺身隊の名で強制連行した」という新聞報道を日本政府が事実と認めて「公式に謝罪した」ものと誰でもが受取るのは当然でしょう。これは当時の主務官庁であった外政審議室の不勉強、責任感のなさがもたらした軽率な措置であったと言わなければならない。このときの外政審議室長は後に、インド大使、中国大使を歴任した谷野作太郎である。 |
村田 昇(滋賀大学名誉教授 教育学博士) ・女衒に売られ公娼として業者によって戦地に連れられていった女性がいたことは事実であるとしても、それに日本政府が関わったことは絶対にない。 |
黒田勝弘 産経新聞論説委員 ・この問題における内外の支援団体及び韓国の世論(マスコミ主導)が、問題の早期解決より日本糾弾に快感を感じているからである。この日本糾弾運動は、従軍慰安婦問題を日本という国家、民族の「道徳的弱点」と思っている。反日運動にとって日本の「弱点」はそう簡単に解消されては困るのだ。 ・韓国人はよく日本に対し「過去を直視しろ」というが、韓国人自身が自らの過去を直視したくないため、ひたすら「日本による強制」で過去を語ろうとするのである。 ・韓国の国定歴史教科書(一種類しかない)の日韓過去史に関する記述は「強制」と「抵抗」で溢れている。韓国人としてはそう考えたい。これは韓国人としては当然、そうだろうと理解はできる。しかしこれはあくまで韓国人の歴史認識である。 ・「歴史建て直し」というからには当然、歴史は立て直すことができるという前提がなければならない。過去に起きてしまった出来事の記録である歴史を立て直すことができるとなると、それは結局、過去を現在の時点で別のかたちに記録するということになる。端的にいえば、過去を現在の価値観で裁くということである。 ・あれほど気軽に「歴史建て直し」とか「過去の精算」といっている韓国人をみると、歴史(過去)をそんなに重視しているとは思えない。重視しているとすれば、それは現在の自らを有利にするためであって、過去(歴史)をあるがままに認識するためではない。彼らが重要視するのは今の自らにとって都合のいい清く正しく美しい歴史であって、それ以外はいつも、すべて「精算」の対象なのだ。 ・日韓関係においても実は、日本の方が過去にこだわっているといえるかもしれない。なぜなら、日本人は断絶史観の韓国人のように、過去をあっさり清算したり否定したりできないからだ。 ・韓国人のように、現在の自らに都合の悪い、気に食わない過去(歴史)はできるだけ日帝や旧政権など「他人」のせいにして精算、否定しょうとする断絶史観はわれわれにはなじまない。 ・日本社会には先の戦争に対して「一億総懺悔」という言葉があったが、こうした発想は韓国人にはありえない。韓国においては歴史に対する「懺悔」は他人がするものであって、自分がするものではないようにみえる。 「われわれの国恥について日本帝国主義だけのせいにするのでなく、当時の国際情勢に暗かった我々、国内的団結力を期することができなかった我々、そして国力が弱かった我々一人ひとりのせいであることを、峻厳に自責する姿勢を待たなければなりません」。『8.15光復』が連合国の勝利という民族外要因でもたらされたことをはっきりと指摘しながら、「過去を真実以上に美化することによって空虚な自尊妄大に陥ってはならない」(全斗喚大統領1981年8月15日の「光復節」での演説) ・日本人化した韓国人を本当の韓国人に作り変えるために、過去をすべて否定し、日本のすべてを悪とし、日本への協力の歴史を排除して抵抗史観に基づく徹底した反日教育を断行する必要に迫られたのだ。したがって韓国の反日感情、反日情緒は、日本支配への「協力」と日本人化という痛切な事実のために、解放後にむしろ強調され、より強化されたのである。 |
前野 徹著 「第四の国難」 扶桑社 より ・「第二次世界大戦中、慰安婦や女子挺身勤労隊員として強制的に働かされ、戦後も精神的・肉体的苦痛を受けている」として、韓国人女性十人が、国を相手取り損害賠償を求めた元慰安婦訴訟において、二審の広島高裁の川浪利明裁判長が下した逆転判決である。 ・一審の山口地裁下関支部:「戦後、慰安婦の被害回復のために特別立法をすべき憲法上の義務を怠った」と、国の「立法不作為」を認定し、原告側の請求を一部認めて、韓国人女性三人に各三十万円の国家賠償Lを命じた。 山口地裁が、慰安婦問題は国の責任と認めた根拠は、平成5年に「慰安婦の強制連行」に言及した当時の官房長官、河野洋平の談話である。河野洋平の元慰安婦問題に関する談話自体、一切根拠がない。その談話をもとに国に責任を認めた一審判決は、そもそも本末転倒だが、このような判決がまかり通るところが今の贖罪国家・日本を象徴している。⇒こんな奴が衆議院議長をしているのが日本の政治レベルである。 ・広島高裁の川波裁判長は、この一審判決を破棄し、原告側の「国は憲法に示されている道義的国家たるべき義務に基づいて賠償すべき」との主張について、「憲法が過去の戦争と植民地支配の被害者に対する贖罪や損害賠償の個別的具体的な義務を国に課しているとは解せない」と退けた。 最大の争点となっていた「立法の不作為」については、「いわゆる戦争損害に対する補償の要否およびそのあり方は、十分な資料を基礎とする立法府の裁量的判断にするのが相当」とする昭和43年の最高栽判例を引用、戦後補償問題の対応は、立法の判断にゆだねられているとはねつけ、山口地裁下関支部の判決は「最高裁判例が定めた基準を無視し、立法と司法の関係をまったく解しない独善的判断で、国家賠償法を認めるに至った論理も著しく論地矛盾と言わざるをえない」と斬って捨てた。 それにしても、川波判決は日本の国にとって大きな意味を持つ画期的な判決にも拘らず、多くの新聞は社会面で小さく報じただけである。一面で大々的に報道したのは産経新聞一紙しかなかった。 |
キム ワンソプ 評論家 諸君 平成15年7月号 ・日本軍は1894年の日清戦争と1899年の義和団事件による北京出兵で「外部に被害を与えない歴史上初の軍隊」として、世界各国の称賛を受けた。 ・日本軍は海外遠征軍に慰安婦を送ったことで、軍人と現地住民双方に配慮したといえよう。これは世界戦争の歴史に例のない立派な発想であり、当時の日本軍が侵略軍ではなく、名実ともに“アジアの解放軍”であったという証拠になる。 |
木佐 芳男 ジャーナリスト 諸君 平成15年7月号 ・慰安婦問題をILOに持ち出したのは韓国労働代表で、96年のことだった。ILOは本来、現代の労働問題を担うが、慰安所設置など強制労働は今に引きずる問題としてあえて持ち出された。以後、ILOを構成する政府代表、使用者代表、労組代表のうちのひとつ労組作業委員会内部で激しい議論が交わされながら、日本をふくむ諸国代表の反対で総会の正式議題とされることは、見送られてきた。今年議題とされるのは、『日本の労組代表(連合)が条件付で容認したため』とされる。 ・日本は、1952年に発効したサンフランシスコ平和条約にもとづいて、個人への補償ではなく、国と国との間での国家賠償を行ってきた。フィリピンなど東南アジア4カ国に賠償し、韓国、中国などには経済的協力で賠償に代えた。 ・日本にあってドイツにない特徴としては、『問題がまず国内から持ち出される点』があげられる。ふり返れば、慰安婦も国内で問題とされた。慰安婦の多くは日本人だったとされるが、日本国内から持ち出された補償問題では『日本人の慰安婦が無視されている』。政治的意図があるからである。 |
石川 水穂 産経新聞論説委員 正論6月号 平成16年 ・河野談話は「いわゆる従軍慰安婦」の募集について「官憲等が直接これに加担したこともあった」として「強制連行」があったと認めています。しかし、それまで約1年半かけて日本政府が集めた200点を越す公式文書の中で、日本の軍や警察が強制連行したことを裏づける資料は一点もなく、談話発表の直前に行われた韓国の元慰安婦16人からの聞取り調査のみに基づいて「従軍慰安婦の強制連行」を認めたのです。このことは、当時の官房副長官、石原信雄氏の証言や平成9年春の国会質疑などで明らかになっています。 しかも、「従軍慰安婦」という言葉は戦前、戦中の日本にはなく、戦後の造語です。当時「従軍記者」や「従軍看護婦」という言葉はありましたが、「従軍慰安婦」なる用語は使われていません。「従軍」は軍属を表す言葉ですが、慰安婦は軍属ではありませんでした。 |
小野田寛郎 小野田自然熟理事長 正論1月号 平成17年度 ・大東亜戦争時、戦場には「慰安婦」は確かに存在した。当時は公娼が認められている時代だったのだから至極当然である。 野戦に出征した将兵でなくとも、一般に誰でも「従軍看護婦」と言う言葉は常識として知っていたが、「従軍慰安婦」と言う言葉は聞いた者も、また、使った者もいまい。私も聞いたことがない。それは日本を貶める為に後日作った造語であることは確かだ。 ・・・証拠も不完全になっていることを幸いに、今更これを問題にして騒ぎ出す者たちの狙いは何なのか。言えることはただ一つ、不完全だからこそ喚き散らしていれば、何かが得られると狙っているということだ。 ・「異常に多くの実を結んだ果樹は枯れる前兆」で「種の保存の摂理の働き」と説明されるが、明日の命も知れぬ殺戮とした戦場の兵士たちにもこの「自然の摂理」の心理が働くと言われる。 ・「従軍慰安婦」なる者は存在せず、ただ戦場で「春を売る女性とそれを仕切る業者」が軍の弱みにつけ込んで利益率のいい仕事をしていたと言うだけのことである。こんなことで騒がれては、被害者はむしろ高い料金を払った兵士と軍の方ではないのか。 |
高市早苗氏 近畿大学教授 正論3月号 平成17年度 平成3年12月、元慰安婦だという韓国人女性が、謝罪と損害賠償を求めて日本政府を提訴した。 当時の内閣官房長官だった石原信雄氏によると、この直後から翌年にかけては、毎日の様に元慰安婦と称する人々とその支援団体が謝罪と損害賠償を求めて内閣外政審議室に押しかけ、通常業務に支障が出る状態だったと言う。「元慰安婦の支援者として社会・共産両党の女性議員らが同行していたため、強制排除も出来なかった」と当時の混乱を振り返る。 平成4年1月には、前月に第一次政府調査が開始されたばかりであるにも拘らず、早々と加藤紘一官房長官が談話を発表した。「従軍慰安婦の募集や慰安所の経営等に旧日本軍が何らかの形で関与していた事は否定できないと思う」と、「従軍慰安婦」という造語を公式に使用して謝罪している。そして、この直後に訪韓した宮沢喜一総理は、植民地問題も含めて、慰安婦問題への反省と謝罪の記者会見を行なった。 同年六月に終了した第一次政府調査会の結果を受けて、7月に加藤官房長官談話が発表された。調査資料を配布した上で、再度「お詫びと反省」を表明した簡単なものだった。加藤は慰安所の設置や経営等に軍の関与を認めたものの、本人の意に反した「強制的」募集が行なわれたとは認めなかった。 この時期、一人の日本人弁護士が韓国に出向いている。元慰安婦とされる人々に名乗りを挙げる様に勧め、日本政府への要求の仕方を指南し、現地の反日感情に火を付けて回ったと聞く。そして、日本のマスコミが「政府調査は不十分なのではないか」と騒ぎ出した。震源地は日本人だったのだ。 もともと個人の名誉やプライバシーに関わる慰安婦問題に積極的でなかった韓国政府も、騒ぎが大きくなった事で動かざるを得なくなる。日本政府に対して、「強制募集が無かったという結論には納得できない。元慰安婦の証言を聞いて欲しい」との申し入れがあり、平成5年7月、第二次政府調査として元慰安婦16名から聞取り調査が行われた。 調査終了を受けて、平成5年8月4日に河野洋平官房長官談話が発表された。「その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人達の意思に反して行われた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあった事が明らかになった」、「我々は、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を長く記憶に留め、同じ過ちを繰返さないという固い決意を改めて表明する」というものだ。政府調査終了が7月30日だから、この談話は僅か4日間で作成されたことになる。既に宮沢内閣退陣が決定していた時期でもあり、官邸が政治的決着を非常に急いだことがわかる。 当時の外政審議室幹部によると、官房長官談話の取り纏めに当っては、政府調査で、「官憲等の加担」や「強制性」を示す公文書は一切見つからなかったにも関わらず、「強制を認めて欲しい」という韓国への外交的配慮から「強制連行を認めたほうが良いだろう」という政治的判断に達したのだという。何の証拠もなく「官憲」とされた人々の名誉を損ねた上、何を血迷ったか、「慰安婦問題を日本の歴史教育に反映させる事」まで約束してしまったことには驚きを禁じえない。 その結果、何が起きたか。平成8年には、中学歴史教科書全7社の本に「従軍慰安婦」という用語が登場したのだ。 当時、社団法人教科書協会会長を務めていた丁子惇東京書籍代表取締役は、「官房長官も教育を通して記憶にとどめる、教育で扱ってほしい、扱うんだというようなお考えを述べられているわけで・・・」と、「従軍慰安婦」という用語の教科書掲載に至った理由を述べている。同時期、文部省の遠藤昭雄大臣官房審議官も、検定過程で「従軍慰安婦強制連行」を表す記述が容認された根拠が河野談話である事を明言した。 ところが、翌平成9年の3月13日の参議院予算委員会で、平林内閣外政審議室長が、政府調査では慰安婦の強制連行を裏づける資料が発見されず、元慰安婦証言の裏づけも取れていない旨の答弁を行なう。 そして平成11年には、再び中学歴史教科書から「従軍慰安婦」という用語が消滅した。 ところが、高校歴史教科書では依然この用語を使用しており、平成15年検定でも「従軍慰安婦強制連行」と記述した教科書が合格した。平成16年には、大学入試センター試験問題にも「強制連行」が史実として出題される等、この用語の扱いに関する文部科学省の方針には一貫性が見られない。 日本政府のスポークスマンである官房長官が、確証もないまま「強制連行」を認めた行為は、「歴史の捏造」に他ならない。河野官房長官によって世界中に発信された日本の野蛮な犯罪行為は、国連人権委員会やILOで取り上げられ、日本国民全体の名誉が損なわれてしまった。 |
西尾幹二 評論家 正論3月号 平成17年度 兵隊と性の関係が戦争と戦後においてやむを得ぬ現実であることはあらゆる国の大人の常識である。いいことでなくても、現実を動かすのに必要なことはどの国にも存在する。終戦後の日本にも、アメリカ進駐軍用の役二十万人ともいわれる日本人娼婦がいて、オンリーとかパンパンと呼ばれていた。ベトナム戦争では韓国人兵士がベトナム女性との間に約七千人の私生児を残したといわれる。ナチスドイツは性病で兵力の殺がれるのを恐れて、軍統制の完全な管理売春を運営していた。東欧からの素人女性の強制徴発は歴史的証拠が残っている。ナチスのホロコーストの巨悪の影に隠れて、そんなテーマは問題にもされない。 なぜ日本だけが問題にされるのか。なぜ子供向けの教科書にまでそんなテーマを記載することを「戦争への反省」とか「過去の償い」の名で呼ぶのか。これはきわめて日本的な現象、今の日本人に特有の問題である。私は四年前、未知のある韓国の知識人から、「韓国が頼んだわけでもないのに、教科書に兵隊と性の話をのせるなんて、日本も変な国になったものですね」と書かれた手紙をもらったときの強い印象が忘れられない。 あれから四年経って「ジェンダー・フリー」と「過激な性教育」の推進者を調べていて、従軍慰安婦の教科書記載を擁護した勢力とぴったり同じ勢力、同じ名前であることに気がついて、成る程と何か謎が解ける思いがした。それは両者に政治的に繋がりがあるという単純な話ではない。それだけのことなら非常に分かり易いし、そこで話は終り、それ以上論じるに値しない。 彼らは民族を衰退から守り、その生命力を蘇らせようと志す人々とはまったく正反対の方向に顔を向けている。彼らにも道徳感や倫理観があるとしても、自分一個の生命、個人の自由、個体の利益だけが道徳や倫理に関係している一切だと信じきっている。 彼らにも勿論民族への異属感はある。けれども世界の戦争の歴史の中でいくらでもあった普通の事柄、しかも半世紀以上も前の出来事を非道徳、ないし犯罪として告発することで、民族を黒く染めることにより、自分一個は限りなく白くなり、浄化されると信じている。そういう形で白くなった人々の輪を広げて、連帯し、その同心円を民族と同一視しょうとしている。 しかしこれには無理がある。共同体や民族の罪を鳴らし、それを限りなく黒くすることで、自分を限りなく白くし、浄化し得ると考えるのは、自分が共同体や民族の一員であることを見失っている証拠である。 確かなことは「娼婦」は存在したが、「従軍慰安婦」は存在しなかったことだ。旧軍によるいかなる強制行為、強制連行もなかったことだ。にも拘らず愚かな宮沢内閣、河野洋平官房長官の不用意な謝罪発言によって、二十五万人もの朝鮮の処女たちが奴隷狩りのようにトラックに載せられて、南の前線に連行され、強姦され、売淫を強制されたというデマが尾鰭をつけて、世界のマスコミに流れた。私はドイツの新聞でこの内容のいくつもの告発記事を読んでいる。国連が調査に動き出した。民族の過去を黒くすることで自分を道徳的に白く美化できると思い込むあの日本国内の勢力が、国際機関で暗躍した。心ある日本人はデマを耳にし、怒りに打ち震えた。自国の歴史が汚されたことが耐えがたいと思うこの感情こそ、自民族を衰亡から守ろうとする生命力の発露である。 「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」と題された、慰安婦制度の責任者を裁く模擬裁判、それが放映対象である。何のことはない、“裁判ごっこ”である。「国際法廷」などというのも白々しい、法的に根拠のない、世界の過激派が集った政治ショーである。弁護人も反対証言者もゆるされていないやりたい放題の糾弾集会である。主催者は知る人ぞ知る朝日新聞記者、かの故松井やよりを代表とする「戦争と女性への暴力ネットワーク」。もう四年も前の当日の催しを傍観した桑原聡氏の貴重な記録(『正論』平成13年2月号)によると、会場名は秘匿され、特定の登録をした者にしか教えられない。趣旨に賛成し、録音録画をしないとの誓約を書かされた者だけが入場を許される。桑原氏は考え方の違う者を排除して開く裁判を「暗黒裁判」というのではないか、とまず疑問を投げかけている。 会場は九段会館が選ばれていたが、それは悪の根源である皇居のすぐ傍らにあるからという理由だそうである。主に朝鮮の民族衣装の老女たちが「昭和天皇に極刑を」のプラカードを押し立てて続々集合。最初にビデオが流される。「日本の責任者を処罰しろ」と叫ぶ老女たちが日本大使館に向って抗議するシーンが写された。ビデオの最後は、木に縛り付けられた昭和天皇とおぼしき男性に朝鮮の民族衣装の女性がピストルを向ける画像で終わっているそうだ。 それから戦犯法廷に向けてのシンポジュウムが開かれる。従軍慰安婦制度が今までに徹底的に批判され審判を受けていたら、その後の世界の性暴力はなくなっていただろう、との結論が謳われる。ユーゴにおける民族浄化、殺戮と強姦までが日本の責任であるかのようた論法が延々と展開されたようだ。 被告人は今や地上にいない昭和天皇、東条英機以下の旧日本軍人。弁護人なし。弁護側証人なし。検察官は二人いて、黄虎男、鄭南用といい、どちらも北朝鮮の工作員と認定されていて、その後日本からビザが発給されていない人物だと聞く。最後にこの模擬裁判の裁判官が「天皇明裕には性犯罪と性奴隷強制の責任により有罪の判決を下す」というと、場内は拍手のウエーブと興奮の坩堝の中で歓喜に包まれるという仕組みになっていたそうである。恐ろしく幼稚かつ露骨なアジテーション・プログラムに過ぎない。 試写会で番組を見たNHK幹部が「おまえ達に嵌められた」「このままではアウトだ」と言ったそうだが、当然である。修正し、カットして放映したNHKの措置に、主催者は裁判で訴えた。裁判所は最終的にNHKの「編集権の範囲」と言ったそうだが、これまた当然である。すでに見た通り、内容は左翼っぽいという程度ではなく極左である。日本の体制転覆の思想を意図している。自民党政治家にいわれるまでもなく、NHKの幹部は慌てて、弥縫策に大わらわであったであろう。 問題の第一はこんなばかげた幼い過激派に番組を自由に作らせてきたNHKの不見識である。第二は、朝日の体質がほぼ同じ幼い過激派であるがゆえに、番組内容に疑問を抱かなかった点である。むしろ番組に共鳴し、安倍、中川両議員の政治介入という形式批判がこれでできると思い込んでしまった朝日新聞記者の世間知らず、情勢判断の甘さである。 ------------------------------------------------------- ◆ ----------------------------------------------------------- 「正論」 産経新聞 平成19年4月27日 最初に首相の為すべきは「日本軍が20万人の女性に性奴隷を強要した事実はない」と明確に、後からつけ入れられる余地のない言葉で宣言し、河野衆議院議長更迭へ動き出すことであった。 |
高山正之 帝京大学教授 諸君3月号 平成17年度
慰安婦問題にしろ、北朝鮮の核問題にしろ、背景の黒幕は中共であり、日米分断を図ってまずは「台湾侵略」の機会を狙っている。世界各国の中共大使館は中国人スパイの巣窟であり、本国政府の命令一家一糸乱れず行動している。この力は今やかってのコミンテルンを凌駕する「工作能力」を持っているのである。 中共が反日のマイク・ホンダに金をばら撒いて反日活動をやらせているなら、日本は対抗措置として亡命中国人(民主化活動家)の支援をしなければならない。それが「戦略的」関係だ。漢民族の建前(友好)と本音(反日)をわきまえて対応していかないと日本は痛い目にばかりあう。近隣諸国と仲良くやらないのは中韓、日本の足ばかり引っ張ろうとしているのが中韓、反日を政治的に利用しているのが中韓、という“イメージ”を徹底的に世界にわからせればいい。それにしても政府よりの強力なまともなマスコミが欲しい。以下引用。
<日本がアメリカを冷静に根気よく説得する時代だ!>
だいたい非人道的に極みみたいに朝日新聞が報じる慰安婦とは何か。 |
石井英夫 産経新聞論説委員 諸君3月号 平成17年度 金完燮の『親日派のための弁明2』(扶桑社)の中には、「性奴隷」というのは反日キャンペーンのために発明された用語だと出ています。彼は、軍隊という血気さかんな若者の集団にどうやって性欲を発散させるかは、どの国の軍隊にとっても重要な問題で、日本軍における慰安婦制度というのはむしろ日本軍のヒューマニズムの精神を象徴するものだと言っています。私はとてもそこまで言う勇気はありませんが、テレビで涙を流すようなひ弱な日本のジャーナリストには、とにかく金完燮の本を読んでもらいたい。 ----------------------------------------------------- ◆ -------------------------------------------------------------- 「正論6月号」 平成19年度 これは『蛙の遠めがね』でも報告したが、終戦2日後の8月17日に発足した東久邇内閣の初仕事は、占領軍のための慰安所設置、すなわち「外国駐留軍施設等整備」である。1億円を投じて「特殊慰安施設協会」(RAA)が発足し、その指示の下、神奈川県だけで23ヶ所の慰安所が設けられ、852人の従業婦が用意された。わがふるさとと横須賀は昭和20年8月15日よりヨコスカへと変貌する。米海兵隊が上陸してきたのは8月30日で、横須賀の中心地・日の出町には一夜にして米兵慰安所が出現したのだった。 「横須賀警察署史」はこう記している。 「横須賀市二於ケル慰安諸施設ハ・・・・安浦私娼組合(88軒)ヲシテ日ノ出町海軍士員宿舎(5軒208室)ヲ集団営業施設トシテ組合接客婦約170名ヲ出張セシメテ急速ナル営業開始ヲナサシメ、皆ヶ作私娼組合(45軒約90名)ヲシテ現営業場二於テ要求ニ応ゼシメタルニ、進駐軍側ニアリテモ積極的ニ協力シ・・・・・」「進駐ト共ニ米軍将兵ハ慰安ヲ求メテ公私娼街ニ殺到・・・・・」(内務省への報告)。こうしてヨコスカでは上陸直後から358人の接客婦が米兵相手の慰安活動を開始した。料金は「1回ニツキ10円」だったという。 |
韓昇助 高麗大学名誉教授 正論4月号 平成17年度 水準以下の左翼的な心性の表れのひとつに従軍慰安婦の問題がある。共産主義世界では、性も革命の武器として活用せよという言葉がある。 太平洋戦争中に韓国人女性が日本軍の性的慰安物として利用されたといって、謝罪と賠償を要求し続けている様は、日本を奈落に突き落としてしまおうとした自分たちがむしろ先に落ちるという「邪悪さと愚かさ」の代表例ではなかろうか。 戦争中に軍人たちが女性を性的慰安物として利用するのは日本だけのことではない。日本が韓国の女性を戦争中にそのように利用したということも、戦争中の一時的なものであって例外の現象だった。そうした戦争の犠牲者が数万、数十万だったのであれば5W1Hの原則に従った明確な証拠を探し出し、正式に議論しなければならなかった。 しかしそんなに多い数ではなかったのに、そのような辱めを受けたと云う老婆を引き連れてきて誇張した事実をふりかざし何度も賠償金を要求する。こんなことが高尚な民族のふるまいといえるだろうか。 韓国の新聞や放送は何故このような老婆たちの行動や反日感情を刺激する記事を熱心に報道するのか。性の問題は金にかえらえぬことだというのに、なぜ金の問題と結びつけてまで恥さらしを続けるのか。このような恥さらしをしてどうして偉大な民族であると言えるのか。 |
森 光弘氏 元会社員 埼玉県所沢市・80歳 ≪もういい加減にしろ≫ 私は戦前、韓国の大田市という所に在住して、当時の旧制大田中学校で昭和15年から19年、2年生から5年生までの約4年間を過ごしました。当時、大田中学校は1学年3組あり、各組三分の一位は韓国出身者が在籍していました。2、3年前まで毎年交互に同窓会をそれぞれの国で開いて来ました。 大田市は当時、忠清南道という日本でいえば県に当る地方の道庁所在地で、知事は韓国出身者でした。知事の息子も私達と机を並べていましたが彼は今でも健在で、同窓会にはいつも顔を出しています。 私が言いたいのは、今盛んに言われている、戦時中の日本軍隊が、従軍慰安婦という当時の私達は聞いたことも見たこともない、韓国人の女性達を強制的に戦地へ連行して日本兵の慰安に供したという事や、韓国人男性を強制的に内地の工場へ連行して労働に従事させたというような事は、彼らは一言もいったことはないし、また認めてはいません。それらは皆事実に反するからです。 もしそのようなことがあったら、当時韓国出身の知事や配属将校達が黙っていなかったでしょう。また女性が体を売る売春行為は、当時の日本では国が認めていたことですし、当然大田市にもそのような場所があって休日には駐屯していた軍の若い兵隊達が出入していました。私達同級生の中の韓国人も、日本軍隊へ志願して戦場へ赴く人もいたのです。私も陸軍特別幹部候補生第一期生として終戦は満州で迎えましたが、特攻隊要員の私達の仲間にも韓国出身者がいました。 一方的な韓国人元慰安婦の偽りの言い分を真に受けて、慰謝料を払う愚を行っている一部民間の団体や左翼の連中を断じて許せない、平和ボケの日本人はもっと正しい歴史に関心を持ってもらいたいと思います。 |
加藤談話要旨 産経新聞 平成17年8月3日(水) 「今回発見された資料や関係者の方々の証言やすでに報道されている米軍などの資料を見ると、従軍慰安婦の募集や慰安所の経営などに旧日本軍が何らかの形で関与していたことは否定できないと思う。この機会に改めて、従軍慰安婦として筆舌に尽し難い辛苦をなめられた方々に対し、衷心よりおわびと反省の気持ちを申し上げたい(平成4年1月13日)」 |
河野談話要旨 産経新聞 平成17年8月3日(水) いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。 今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設置されたものであり、慰安所の設置、管理および慰安婦の移送については、旧日本軍が直接、あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。 なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。 いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機械に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申しあげる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。 われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰返さないという固い決意を改めて表明する。 なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。(平成5年8月4日) ------------------------------------------------------ ◆ ------------------------------------------------------------ WILL編集部 「WILL5月号」 平成19年度 河野さん自身が自分の講演の中で、やはり平成9年にこのように言っています。 「女性が強制的に連行されたものであるかどうかということについては、文書、書類ではありませんでした。女性を強制的に徴用しろといいますか、本人の意思のいかんにかかわらず連れてこい、というような命令書があったかといえば、そんなものは存在しなかった。調べた限りは存在しなかったということは申しあげていいと思うんです。『資料がなかった』ということは事実としてはっきりさせておかなければいけない」 従軍慰安婦を裏付ける文書はないとはっきり言っているんですね。 |
西岡 力 東京基督教大学教授 救う会常任理事長 諸君 平成18年4月号 「従軍慰安婦は日本軍に強制連行された」と言われたら ・朝日新聞の植村隆記者が同紙平成3年8月11日に、キーセンになるために人身売買された元慰安婦・金学順氏を「『女子挺身隊」の名で戦場に連行された」と真っ赤な嘘を大きく報じた責任は重大だ。実は植村は日本政府を相手に補償を求める裁判を起こした韓国の太平洋戦争遺族会幹部の娘と結婚している。自分の義理の親の裁判を有利にする嘘の記事を書いたのだから許し難い。 ・制度上も実態でも、挺身隊は軍需工場などへの勤労動員であって慰安婦とは一切関係ない。 ・「軍慰安所従業婦等募集に関する件」(昭和13年3月4日、陸軍省兵務局兵務課起案、北支那方面軍及び中支派遣軍参謀長宛て)は、軍が警察と協力し、業者による強制連行を、犯罪とみなし止めさせようとしていたもの。 ------------------------------------------------------ ◆ ----------------------------------------------------------- 「正論11月号 平成18年度」 ・事態をここまで悪化させたのは、慰安婦問題についての米国内での議論で、日本外務省は「慰安婦20万人という数字は間違っているとか、日本政府は元慰安婦に謝罪している」などと説明するだけで「朝鮮人慰安婦の国家権力による強制連行はなかった」と事実関係に踏み込んだ反論を回避してきたからだ。 ------------------------------------------------------ ◆ ----------------------------------------------------------- 「WILL 5月号 平成19年度」 「すべては朝日新聞の捏造から始まった」 ないはずの「慰安婦問題」がいつから出てきたかと言えば、1980年代からです。韓国の政権はずっと反日だったと言いますが、一番激しい反日だったのは李承晩政権です。そのため李承晩政権は日本と国交正常化しなかった。そして、日本に対して多額の賠償請求をしていました。 その李承晩政権ですら、外交交渉の場で「慰安婦問題」を持ち出したことは一度もありません。その時代の人たちは「慰安婦」の存在は知っていましたが、それを「問題」化して外交交渉の場に持ち込めるとは思っていなかったのです。 李承晩政権が日本に要求していたのは、徴用された人と徴兵された人たちの補償と未払い賃金です。徴用と徴兵というのは権力によるものですから、外交交渉で補償を求めるのは当たり前です。 しかし、いわゆる「強制連行」というものについても、官斡旋や自由募集については補償を求めていなかった。そもそも李承晩政権が日本政府に過去の清算としての要求を網羅的にあげた「対日請求要綱」の中でも「強制連行」という言葉は使われていません。この言葉も当時、なかったものです。 そして「慰安婦問題」についても、「対日請求要綱」の中にはまったく出てきません。李承晩政権は反日だから、日本と国交正常化しない。日本からの援助は一切求めない。本当の反日というのはこういうものでしょう。 そして、朴政権になって、植民地支配に対する反感はあるけれども、いまは反共が大義であってアジアの自由主義陣営は団結すべきだという立場から、日韓国交正常化をしたわけです。日本も釜山に赤旗を立ててはいけないということから大規模に援助した。 その後、1965年から82年までの間は、歴史問題を理由にした反日デモが起きたことはないし、歴史問題で外交交渉をしたこともありません。すでに清算はすんでいますから当たり前です。韓国は反日で、ずっと「慰安婦問題」について言ってきたような印象がありますが、そんなことはない。すべては82年から始まっているのです。 <きっかけは朝日の大誤報> ではなぜ、80年代になって「慰安婦問題」が出てきたのか。一つには戦争中のことを知らない世代が出てきたということがあります。そしてもう一つ、1982年の第一次教科書問題があります。 日本の教科書が「華北への侵略」を「進出」と書き換えさせられたという朝日新聞の大誤報があり、それを韓国の新聞が引用する時に「中国・韓国への侵略」と追加の誤報をしました。 当時、全斗煥大統領は日本に60億ドルの経済協力を求めていたのですが、それは安保経済協力といっていました。共産主義陣営の南下を押さえて、韓国が日本の安保の砦になっているから、韓国の軍の近代化費用の三分の一位日本が持てという論理です。それは日本は呑めないと断って膠着状態になっていました。 そんな時に新聞の大誤報があって、中国共産党政権が先にそれを取り上げた。それを見て全斗煥政権が歴史問題を使えば日本を追い込むことができて、協力をとりつけることができると考えたわけです。 ここから、全斗煥政権が中国共産党と手を組んで、日本批判をして援助をとるという対日歴史糾弾外交を始めます。そして日本発の根拠のない反日の題材を韓国と中国の政権が外交交渉に使うという構造が始まったのです。 これは私の師である田中明先生の意見ですが、全斗煥政権以降の韓国の反日というのは「引き寄せる反日」です。反日、反日といいながら、金やモノ、技術をくれと言う。歴史を外交のカードにし始めたのです。 しかし、このような82年の状況の中でも「慰安婦問題」はでていませんでした。(中略) 1989年に吉田清治の本は韓国で翻訳出版され、これを読んだ韓国の済州新聞の女性記者がその本に出てくる日時と場所について現地取材をします。すると、吉田の証言は全くのデタラメであることが判明し、女性記者は吉田証言を全面的に否定する記事を書いています。 <朝日記者の裏の顔> <事実確認前の「加藤談話」> 金学順さんの提訴、朝日新聞の金学順さん「身売り」の事実隠し、同じく朝日新聞の「慰安所への軍関与」という捏造記事という流れのなかで、まず、当時の加藤紘一官房長官が「お詫びと反省」を発表し、誤ってしまった。1991年1月13日です。事実を調べる前に、まず謝った。(中略) 問題なのは、「これから調べる」ということについて、加藤官房長官、宮沢首相が先に謝ってしまったということです。(中略) 連れて行かれた後、ひどい目にあったという話は皆、たくさんする。しかし、どう連れて行かれたのかという話になると、はっきりとしたことを言わない。よく聞いてみると女衒が絡んでいる。当時の朝鮮の農村に日本人が入れたと思いますか? <弱者救済が弱者を貶める> 高木(金学順さんの弁護士)は「あれ(金学順さん)は玉が悪かった」と言ったという。そして、「今、次のいいのを準備している」と言ったという。(中略) 朝日新聞に一番問いたいのはこの点です。弱者の立場に立つと言いながら、弱者を貶めているのです。女性の人権を守ろうというのではなく、朝日新聞は単に日本が悪ければいいのです。 <韓国の調査でも事実はない> 韓国のソウル大学の韓国史学者として著名な安乗直教授(現名誉教授)がキャップとなって挺身隊研究会というプロジェクトができ、当時、「慰安婦」として名乗り出ていた40数人の人たちに本格的な聞き取り調査を行いました。(中略) これは40人を対象にしている調査でしたが、本にまとめることができたのは19人でしかなかった。半分以上の人ははじいたのです。しかも、その中でも自分で「強制」だったと言っている人はたった4人です。4人のうち、1人は韓国の釜山で「強制」され、もう1人は日本の富山県で「強制」されたと言っている。しかし、戦地でない所に軍の「慰安所」はありませんから、それだけでこの証言がおかしいことがわかります。 後の2人は、日本政府を相手どった裁判で訴状を出しているのですが、訴状ではいずれもキーセンなどとして「身売り」されたと書いている。つまり、過去の証言と違うことを言っているのです。この2人の証言者のうち、1人が金学順さんです。 この『証言集』と日本政府が行った聞き取り調査とは、だぶっている部分もあります。しかし、日本政府は誰に聞き取り調査を行ったかということを明らかにしておりません。 安教授の行った聞き取り調査の『証言集』を韓国の外務省の課長が日本の外務省の課長に「これに全部入っています」と、いわばお墨付きで渡しています。韓国が自信を持って渡した「証言」でさえ、このようなものです。 <役人が国を滅ぼす> 加藤紘一官房長官が謝罪をし、宮沢首相が謝罪をした後、韓国で「慰安婦問題」が加熱する中で、私はまだ道があったと思います。 「誤解である。調べてみたけれど権力による『強制連行』というものはなかった。ただ慰安所というものがあって、貧困に窮する人たちが業者によって人身売買させられたということはあった。そのような人権侵害については、道義的な責任は感じるし、当事者に対しては同情もする」と言えばよかったのです。(中略) 頭のいい役人というのは全くすごいことを考えます。韓国との関係上、「強制」は認めたほうがいい。しかしそういう「事実」はない。どうするか。そこで彼らは「強制」の意味を広げればいいと考えました。つまり、「権力による強制」ではなくても、「本人の意志に反したことは強制」だとした。 本人にインタビューすると皆、ひどい目にあったと言っている。だから、「本人の意志に反して」慰安婦になったことを「強制」とし、定義を拡大したのです。「本人の意思に反して」貧乏な家に生まれ人身売買されたかもしれないし、「本人の意志に反して」女衒にかどわかされたかもしれない。しかし、「本人達の意思に反して」慰安婦となったなら「強制」と解釈するということです。これが安倍総理が今言っている広い意味での「強制」です。しかし、公権力による組織的な「強制」はなかったという事実がある。(中略) 政府は新しい談話を出す前であれば、前に談話を踏襲しなければなりません。「加藤談話」があり、「河野談話」があったのですから、「塩崎談話」「安倍談話」があってもいい。しかし、まだ談話を出す前ですから、政府見解を引き継ぐと言っているのです。 私は「河野談話」を読んだ時、「強制」の定義を拡大したのだと感じましたが、まだ片足は土俵に残っていると思っていました。しかし、「河野談話」の中には、「慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意志に反して集められた事例が数多くあり、さらに官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった」という一文があった。 これは権力による「強制」を認めたことになるのではないか。安倍総理が今言っている狭い意味での「強制」もあったとこの談話は認めたことになるのではないか。そこを政府はきちんと説明しなければいけないと思います。(中略) 「河野談話」が出て5年くらいたった時、中川昭一さんが会長となった「日本の歴史教育を考える若手議員の会」が「慰安婦問題」の検証作業をしました。私も出席したいたのですが、外政審議室の人が出てきていたのでその人に、「この『河野談話』の官憲等という記述は何なのか。この記述が問題だと思う」と言ったら、「これはインドネシアにおけるオランダ人を慰安婦にした事例だ」と言う。 調べてみると、数ヶ月ですが本人の意志に反してオランダ人を慰安婦にした事例がありました。しかし、その軍人らはインドネシア駐留軍の上部から軍規違反で処罰され、慰安所は閉鎖になった。処罰されたということは、組織として「強制」していないということです。しかも戦後、その軍人らはBC級戦犯として死刑などになっています。 よくよく調べてみると、こういうインドネシアのオランダ人の事例が一件あった、しかもそれは戦争犯罪だったということですが、この一件しかなかったのだと談話には明記すべきでしょう。 「慰安婦」の人たちに人権があるように、当時の官憲にも人権はあります。たった一つの事例であたかも官憲が組織だって「強制」したかのように受け取られるのは、官憲の人権侵害です。 「河野談話」の中では、「官憲等が直接これに加担したこともあった」という記述からわざと段落を変え、「なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別にすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、(中略)総じて本人たちの意志に反して行われた」と書かれています。つまり、朝鮮半島の事例については広義の「強制」としか書かれていない。 <政府一体で全力対応を> ------------------------------------------------------ ◆ ----------------------------------------------------------- 「日本の正道」(PHP) ・日米同盟で日本もテロと戦っている。それに対して、相手が仕掛けてきたのが慰安婦問題である。日米同盟が強められると困るから、過去の慰安婦問題を彼らは持ち出してきたのである。慰安婦問題の後には、実は北朝鮮、韓国の左派、そして中国共産党がいる。 ⇒自衛隊のインド洋沖派遣延長中止⇒日米同盟の弱体化⇒どこが喜ぶのか? ・アメリカでは反論しなければ認めたことになる。官民一体で中国に倍するような運動をやる必要がある。慰安婦問題は日米同盟を弱体化させるための金正日や中国の陰謀である。説明できるような関係を作らなければならない。 |
黄 文雄 評論家 WILL11月号 平成18年度 Q:「従軍慰安婦は日本軍に強制連行された」 A:これは既に虚言であることが実証されています。朝日新聞が得意になって使った吉田某の話などは全くデタラメだったことを秦邦彦さんが済州島に現地調査までして論破しています。それに対して朝日新聞は一度たりともお詫びも訂正もしていません。 1996年には、日本の全ての歴史教科書に従軍慰安婦の強制連行の記述がありましたが、2003年の教科書検定以来、すでに日本の歴史教科書から削除されています。 「強制」を認め「謝罪」した1993年8月4日の、河野洋平官房長官の談話は全く根拠のないもので、日本の恥といえるでしょう。 |
櫻井よしこ ジャーナリスト 「週刊新潮 2007.3.22」 <歪曲された歴史的事実> 日本国政府と日本帝国陸軍が若い女性達の「組織的誘拐を許可した」と非難するが、実態は逆である。たとえば、昭和13年3月4日に出された「軍慰安所従業婦等募集に関する件」(陸支密第745号)は、「軍部諒解等の名義を利用し」「軍の威信を傷つけ」「一般民の誤解を招く」ような不法な女性の集め方をしている業者が「警察当局に検挙取調べを受けている」事例を警告し、素性の明らかな斡旋者のみを許可せよと指導する内容だ。 また、13歳の少女さえも強制的に慰安婦にしたと、米国の選良たちは主張し、その一方で、この酷い非難の根拠も示してはいない。 だが、これも事実とは異なる。昭和13年2月23日の「支那渡航婦女の取扱いに関する件」(内務省発警第5号)は、慰安婦として渡航するには「現業が娼婦、年齢が21歳以上」でなければならない、身分証明書の発行には近親者の承認を要するとし「婦女売買又は略取誘拐等の事実なき」ことを求めている。米議会は、日本政府の姿勢と当時の事実を一方的に歪曲するのか。(後略) <理不尽な非難に屈するな> 東京裁判においてさえも詰め切れなかった日本の“人道に対する罪”を、今、米国議会が糾弾するというのなら、一般民衆を無差別に殺した東京、名古屋、大阪など諸都市への空襲はどうなのだ。広島、長崎はどうなのだ。 敗戦によって受け入れざるを得なかった一連の理不尽な対日非難を、これまで私たちは受け入れてきた。それは、敗者は言い訳しないという日本文明の根底をなす価値観ゆえだ。しかし日本文明の美徳とする沈黙も、日米関係を重視するが故の理性も、米国が余にも理不尽な非難を、一方的に展開するのであるなら、崩れ去ることもある。そのとき、両国は深く傷つき、双方の国益は損なわれる。日本政府は米国の良識ある人々にそのように訴えよ。 ------------------------------------------------------- ◆ --------------------------------------------------------- 「週刊新潮 2007.3.29」 ・これだけ広く深く浸透した汚名をそそぐには、個々の政治家や少数の言論人の力だけでは不足であろう。拉致問題で行ったのと同じ手法で安倍首相の下に力を結集し、対策本部を設置するしかない。その上で、冷静で理性的な、事実に基く反論を、5年でも10年でも粘り強く展開しなければならない。 ------------------------------------------------------- ◆ --------------------------------------------------------- 「WILL 5月号 平成19年度」 <戦略的互恵関係ー言論の自由・結社の自由> 「慰安婦問題」については、最初から結論ありきで、日本政府は韓国政府の入念な準備の下、嵌められたのである。アメリカにとっては日本も韓国も同盟国であるので日本が「判りやすい」説明をしない限り日本だけの味方をするわけにはいかないのだろう。「当時、売春は合法だったのだから、軍隊は拉致(強制連行)という犯罪など犯す必要はなかった」と。 「騙すよりも騙される方が悪い」とする文化の民族とは付き合えない。又、外務省の無能さ・レベルの低さがありありと出ている。 民主主義の言論の自由、結社の自由を最大限活用して仮想敵国を貶める、これが中共のやり方である。ならば日本も中国内とか米国内でやるべきだ。ホワイト・プロパガンダで・・・・・。 中・韓・朝・露は根っからの敵性国家。もともと体質的に合わない人間が島国日本を形成しているのではないのか。「自由」「民主」「人権」「法の支配」の共通の価値観を抱く台湾、オーストラリア、インドとガッチリとスクラムを組むべきだ。以下「WILL 5月号 平成19年度」に載った櫻井よしこ氏の論文からの引用です。 <強制連行を認めた河野氏> (略) <公表できない調査内容> 宮沢内閣の力を結集して集めた歴史資料は膨大な量にのぼり、その中には、日本軍による強制を示す資料はただの一片もなかったとされている。にもかかわらず、なぜ、政府は強制を認めたのか。私は考え得る当事者たち全員に取材を申し込んだ。 そして取材を一旦受けながら、直前に断ってきた宮澤首相を除き、河野氏、河野氏の前に官房長官を務めた加藤紘一氏、官房副長官の石原信雄氏、外務審議室長の谷野作太郎氏、武藤嘉文外相、駐日韓国大使の孔魯明氏、駐韓日本大使の後籐利雄氏らの話を聴いた。 その結果確認できたのは、河野談話には根拠となる事実は、全く、存在せず、日韓間の交渉の中で醸成されていったある種の期待感と河野氏自身の歴史観が色濃く反映されていたことだった。氏の歴史観、戦争に関する極めて否定的な想いは、宮澤氏のそれと多くの共通項を有してもいた。(中略) 石原氏が口ごもったのは、女性たちへの聞き取りが尋常なものではなかったからである。第一に、日本側から女性たちへの反問も検証も許されなかった。加えて、韓国政府の強い要望で実現した聞き取り調査は、日本政府が、女性たちは生活やお金のために慰安婦になったのではなく、強制連行されたのだと認め、謝罪することにつながるべきだと、韓国政府が要求していたことである。 事実、聞き取り調査の始まる前の7月14日、孔大使は日本記者クラブで会見し、元慰安婦の名誉回復のため、強制連行だったと日本政府が認めることが第一条件だと述べている。女性たちの証言は日本政府が聞き取りをすると決めた瞬間から旧日本軍による強制連行の証拠となるべき運命だったといえる。 <韓国人でも証言に疑問> 韓国政府は日本政府より一枚上手だった。彼らは日本側の懸念を見通し、日本政府が強制を認め易くするために、日本には金銭的補償を求めない。補償の必要があれば、韓国政府の責任に置いて行うと明言したのだ。こうして、懸念が取り除かれた日本政府は強制連行を認めるべく、背中を押されていった。 <13歳の少女まで> 石原氏は「女性たちの名誉が回復されるということで強制性を認めたのであり、国家賠償の前提としての話だったなら、通常の裁判同様、厳密な事実関係の調査に基いた証拠を求めていたはずだ」の語る。 <検証もせずに批判> (略) <河野談話が全ての原因> (略) <証拠ない、と安倍首相> 宋旻淳外交通商相は2日「健全で未来志向の日韓関係を築く共通の努力の助けにならない」と不快感を表明。有力紙『中央日報』は下院公聴会に関連して「日本は恥ずかしくないのか」との見出しをつけた。 河野談話は「女性たちの名誉を守るため」に「善意」で出されたはずだった。それがいま反対に、恥を知れと日本に突きつけられる。にもかかわらず、つい先頃までの日本政府、外務省の対策は信じ難くもお粗末だ。 たとえば、米国下院の対日非難に対し、駐米大使加藤良三氏はこの数ヶ月、何をしてきたが。たしかに氏は、下院宛に書簡を出した。だがそこには、日本が謝っていないとするのは正しくない。日本はこれまで謝罪を重ねてきたと書かれているのである。事実関係を争う文章は一行も見当たらない。 但し、加藤氏の名誉のために付け加えれば、氏は2月の公聴会の直前、「決議案は事実に基づいていない」とする声明を出した。出さないよりも出した方がよかったとはいえ、公聴会直前の簡単な声明がいか程の説得力を持つのか。なぜこれまで、下院の動きに対して、事実に基づく抗議も説明もしてこなかったのか。 ホンダ議員についても、外務省は調査してこなかった。同議員は、中国の反日勢力と深く結ぶついている。そのことを明らかにしたのは産経をはじめとするメディアである。それはメディアの責任である以上に、駐米大使加藤良三氏以下、ワシントン大使館の外交官の責務であるはずだ。日本の名誉を汚し、国益を損ねる理由なき外国の主張に、反論もしないのは、責任放棄であり国辱外交である。 <反日団体と密なホンダ> ホンダ議員が中国系反日団体、「世界抗日戦争史実維護連合会」による全面支援を受けていることも、すでに明らかにされた。右の連合会には、中国共産党政府の資金が注入されていると考えるべきであり、一連の展開は中国政府の長年の、そして数多くの反日活動の一環だと断じざるを得ない。 <誇り高く事実を語れ> 下院の決議案は紛れもなく、中韓両国による反日連合勢力の結実で、その中に米国が取り込まれつつあることを物語る。だからこそ、彼らの反日の意図、空恐ろしいほどの反日戦略を読み取り対処すべきなのだ。沈黙を守れば消え去り、忘れ去られるような生易しい脅威ではない。(WILL5月号 平成19年度) ------------------------------------------------------- ◆ --------------------------------------------------------- 「文芸春秋 2007.8月号」 ・民主主義が有効に機能するために、言論・思想・学問・信条の自由が保障され、国民一人ひとりの的確な判断が重要です。 そのために、もっとも大切なことは、「事実」にもとづいて考え、結論を導くことです。虚偽や歪曲、偏向、事実誤認からは正しい結論は決して生れません。 ・沈黙を守ることはそれらの間違い、意図的な歪曲、捏造としか思えない“事実”を真実として受け入れることだ。 ・マイク・ホンダ議員が強制の根拠とした河野洋平官房長官(当時)談話は、93年8月4日、宮沢喜一政権の総辞職前日に出された。同談話は、閣議決定でも国会決議でもない。しかし、同談話は今日まで深く禍根を残しており、その後、中韓などから相次ぐ日本の戦争責任をめぐる非難の根拠とされてきた。 ・当時の政治状況として、韓国政府が慰安婦の女性たちの「名誉」を尊重するために「強制」を認めて欲しいと強く要請していたというのだ。韓国政府が選んだ16名の女性たちの証言を聞いたあとでも、日本軍の直接の強制があったとは納得できなかったけれど、政治的に“強制”を認めざるを得ないような雰囲気があったというのである。また、日本政府には、ここで日本政府が強制を認めさえすれば、韓国側は慰安婦問題を未来永劫持ち出さない、経済的な賠償請求も起こさないという暗黙の了解があったと考えたという。しかし、その“暗黙の了解”が、文書化されているわけでもない。こうして、女性たちの証言を公正に検証することもなく、日本政府は、日本が譲歩すれば事はおさまるとの甘い考えで強制を認めていった。結果として、いまや河野談話が“強制”の証拠だとして逆に日本に突きつけられている。 ・私は今でも、首相は二つのことをいうべきだったと考える。第一に、どんな時代背景があったとしても、またどんな個人的事情があったとしても、慰安婦として働かざるを得なかった女性たちには、心底、同情し、気の毒に思うということだ。それがほぼすべての日本人の想いであると伝えることだ。そのうえで第二点として、当時、日本政府や軍が強制した事実は無いのだと、言うべきだったのである。 |
石原信雄 当時官房副長官 「週刊新潮 2007.3.22」 石原:「官邸主導で、警察庁、防衛庁、外務省、文部省、厚生省、労働省などが調査を命じられた。調査の対象は、地方の行政機関や各種の資料舘、研究所、図書館など広範囲に及んだ。調査期間は、平成3年12月から翌年6月まで。従軍慰安婦に関する旧軍の命令書などの資料は合計で約130件集まった。」 「官庁のものは全て当たったし、アメリカの公文書館にも人を出して探させたりしました。その中で、例えば軍が慰安婦の移送や慰安所の設置に関わったことを示す命令書は出てきたのです。でも、女性を強制的に連行したということを示す資料は出てきませんでした」(中略) 平成5年7月26日から30日にかけて、外政審議室の担当者がソウルに赴き、元従軍慰安婦16人の聞き取り調査を行った。その結果が河野談話に反映された。だが、問題がある。16人の氏名や証言内容は非公開で、その証言を裏付ける調査は全く行われなかったのである。 |
秦 郁彦 現代史家 諸君5月号 平成19年度 ・単純明快に「官権による強制連行はなかった」だけで押し通すほうが、メディア戦略としてはベター。 ・まちがいだらけなので私なりに訂正すると、「慰安婦の総数は2万人以下で強制的に徴用した例はない」「最多は日本人女性」「多くは親が業者に売ったか、業者の募集に応じた者で、だまされた者もいる」となる。ついでに慰安所の生活条件は、平均してベトナム戦争時の米軍慰安所とほぼ同じと付け加えたい。 そして内外の運動家たちには、中国だけで半年間に救出した誘拐や人身売買(多くは強制売春)の被害者は11万人以上とチャイナ・デイリー紙(2000年9月17日付読売)が伝える現在の性犯罪根絶へ向け、奮闘してもらいたいと願う。 |
大師堂経慰 元朝鮮総督府道地方課長 正論5月号 平成19年度 <公娼制度> ・昭和32年に売春防止法が施行されるまで、日本では娼妓の登録制、稼業場所の許可、健康診断の義務など一定の規制の下で、売春は合法であった。⇒合法の売春と違法の拉致を相殺するな! <河野談話公表に至るまでの推移> ・吉田清治は強制連行の場所について、具体的に済州島の城山浦の貝ボタン工場と述べた部分があったために、嘘がばれることになった。 <加藤紘一官房長官の謝罪談話> ・政府の関与を示す資料とは、慰安婦募集に関わった業者の一部にトラブルを起こしたりしたことがあったため、「慰安婦の募集は適正になすように業者を指導せよ」と軍の中央から出先に宛てた通達であり、常識的なもので、特に取り上げて問題にするほどのものではなかった。 ・韓国政府も調査報告で、挺身隊と慰安婦は無関係であると述べている(日帝下軍隊慰安婦実態調査中間報告書)。 <河野洋平官房長官談話> ・韓国政府は、平成4(1992)年7月31日に「日帝下軍隊慰安婦実態調査中間報告書」を発表している。(中略)当時、韓国内では戦時中を体験的に知っている人がまだ多数おり、この人達の目撃証言こそ実態究明の決め手となり得るものであったが、この中間報告では強制連行の根拠をそこに求めた記述はなく、強制連行の根拠として説得力のある記述は全く見当たらない。注意深く読むと、この報告書は強制連行の立証に確信のないことを、実質的に認めたものと判断できる内容であった。 ・第一次調査報告は、防衛、警察、外務、文部、厚生、労働の各省庁の保管する資料を調査し127件の資料が発見された。これを平成4年7月6日の記者会見で、資料を配布して加藤官房長官が説明、公表した。この中には慰安所の設置、慰安婦の募集取締り、慰安所の築造、慰安所の経営監督、慰安所の衛生管理、慰安所関係者への身分証明書の発行などの資料があり、政府の関与は明らかになったが、韓国政府が問題にしていた強制徴用の裏づけになる資料はなかった。 ・第二次調査はB四判30頁の資料で、この中にも強制連行を証するものはなかった。(中略)このように日本政府の二度にわたる、手を尽くしての調査によっても強制連行の証拠、証言は得られなかった。しかし、韓国政府は加藤官房長官の謝罪談話や宮沢総理の盧泰愚大統領への謝罪、さらには同行記者団との懇談における発言などを「質」にとり、日本政府が自発的に強制連行を認めるよう外交攻勢をかけ続けていた。 ・平成5年2月11日の読売新聞は「今までのところ強制連行の十分な裏づけ資料がなかったからといって、突っぱねるだけでは解決しない、との意見が強まっている」と報じ、さらに「政府は第二回調査結果公表のさい、従来の方針を転換し、旧日本軍が朝鮮人慰安婦を強制連行した可能性について言及する方向で検討に入った」と報じている。そして、3月4日の同紙では、「政府はこれまでの姿勢を転換して、強制連行の事実を認める方向で検討に入っているが、その証拠となる資料が発見されないことから、対応に苦慮している」と報じている。外務官僚はこの段階で既に、たとえ証拠、証言があろうがなかろうが、強制連行を認める方針を決定していたのではないだろうか。⇒解決しなくても突っぱねる所は突っぱねる。そのうち相手は諦める。証文を取られたらどれだけ痛い目に遭うかがわかっていないのだ。 <河野談話の検討> ・募集段階での強制と移送、管理段階での強制はその性格を全く異にするものである。これを一括して強制性があったというのは誤解を招く。募集段階での強制は公娼制度の下でも違法な犯罪行為である。併し当時、判例は娼妓に関し身体の拘束を目的とする契約は公序良俗に反し無効、従って娼妓には廃業の自由はあったが、前借金契約は有効との立場をとっていた。前借金契約を結んだ娼妓にとって、契約に基く借金返済義務のあることは当然である。借金の返済を終えた娼妓が自由になり、戦地からも帰国できたことは平成5年8月4日の政府調査報告でも明らかにされている。 ・募集段階での強制、強制連行はなかった。これが判っていて、なお移送、管理段階での強制があったという主張は公娼制度についての批判である。 <強制連行の根拠についての責任者の説明> 石原信雄元官房副長官は、「結論として、強制連行を裏付ける資料は見つからなかった。談話発表の直前に行った韓国での元慰安婦16名からの聞き取り調査が決め手になった。この調査については裏づけ調査はしていないが、当時の状況ではそれはできなかった」と語り、「裏づけ調査はせずに河野談話を決定したことに異論のあることは承知している。決断したのだから弁解はしない」とも語っている。事実この姿勢には異論もあり、若手議員の会の安倍晋三事務局長は、平成9年6月17日の勉強会で、「元慰安婦16名のインタビューに裏づけを取っていないというのは、被害者だからそんなことをすべきでないということも分からないこともないが、ただ国家として態度を決めるからには、やはりそれをする必要があるんだと私は思う」と述べている。 <「河野談話」を如何にして取り消すか> ・取り消しの具体的な方法の第一は、政府で再検討する方針を決定し、委員会でも設置してその答申を得て処置することであろう。第二は国会での質疑に対する政府答弁で実質的に河野談話を取り消す方法であり、第三は河野談話取り消しを求める訴訟を提起して、判決によって取り消す方法等が考えられるのではないだろうか。 <おわりに> 朝鮮人の女性を8万人とか20万人とか強制連行したとすれば重大問題である。それを目撃した人は百万人を超えているはずである。強制連行が事実だとすれば、民衆から敬愛の目で見られていた学生達が先頭に立って抗議運動を展開していたはずである。戦後47年間、日韓間で何も問題にされないことなど考えられるであろうか。 また、昭和40(1965)年に締結された日韓条約の長期にわたる交渉過程でも、問題にされていない。強制連行があったとすれば、それに続いて、或いは戦後早々から展開されて当然と思われる事象は何一つ起きていない。 ----------------------------------------------------- ◇ ----------------------------------------------------------- 「正論別冊」09 「慰安婦問題を放置してはならない」 −黒白をつけることを無用とは・・・いつまでその場しのぎを続けるのかー ・アメリカ下院での非難決議に関連して、提案者でもあるマイク・ホンダ議員は、フジテレビの報道2001(平成19年2月25日)で、「日本政府が謝罪していること自体が、避難され、謝罪を要求される所業があった証拠ではないか。間違ったことをしていないのなら、どうして謝罪する必要があるのか」と述べた。このホンダ議員の発言は間違っていない。 ●慰安婦問題にあたっての中心課題は、「やりもしなかった強制連行をやったことにさせられている誤解を解消すること」であり、「この誤解によって傷つけられている日本の名誉を回復すること」である。誤解がここまで拡散している以上、この問題は根本まで遡って経緯を明らかにすることが必要であり、問題についての認識を内外で共有することができるまで実態を詳細に説明することが必要である。この問題についての責任者である宮沢元首相は亡くなられたが、加藤紘一元官房長官、河野洋平元官房長官、その間、事務方の責任者であった谷野元外政審議室長は健在でおられる。これらの人々の真摯な協力が得られれば、この問題についての誤解を解消することは十分可能であると思う。 1.慰安婦問題の誤解を創作した宮沢内閣と朝日新聞 2.朝鮮からの慰安婦強制連行はなかった その理由の第一は、当時の施政の基本方針である。戦後、朝鮮統治について批判されることも多いが、総督府の施政で最も気を遣っていたのが民心の動向であった。内鮮一体、皇国臣民と呼び、戦争遂行に大きな協力を求めながら、他方で誇りを傷つけ民心を踏みにじるような「慰安婦にするための強制連行」など、許されるはずがない。 根拠に第二は、目撃者が存在せず、目撃者の証言が全くないことである。もしも、8万とか20万の女子の強制連行があったとすれば、それを目撃した人は百万人を超えているはずである。このような事態が起きれば全鮮の家庭に緊張が走り動揺が起きて、それが私達の耳に入らぬはずはない。また、必ず学生の抗議運動が広く展開されたはずであるがそれも聞いたことがない。 根拠の第三は韓国国民からも、韓国政府からも戦後47年もの間、全く問題にされたこともない事実である。昭和40年に成立した日韓基本条約の、あの難航した交渉の中でも、慰安婦強制連行の問題等持ち出されたこともない。強制連行の事実があったとすれば、このようなことは考えられるだろうか。 3.政府の調査報告を全く無視した河野談話 日本政府による調査では強制連行の存在を示す資料はなかったが、韓国政府が平成4(1992)年7月に作成した報告書、「日帝下軍隊慰安婦実態調査中間報告」で明らかになったのは、この問題が日本発であり、韓国発でないことである。韓国政府は「これが強制連行の証拠だ」とか「これが裏付け調査を済ませている証言だ」という提示をする形で日本政府を追及したことはなく、専ら日本政府が自発的に調査して強制連行を認めるよう要求し続けたのであった。 結局、韓国政府の強い要請に応じて、談話発表の直前にソウルで行われた16名の元慰安婦の証言、密室で行われ、公表することも、裏づけ調査をすることも許されない証言を基礎にして河野談話は作成されたのであった。この経緯を知った国民が河野談話に不審を抱くのは当然ではないか。 4.岡崎久彦氏の見解に疑問 5.根深い海外での誤解 誤解を解消するには平成4年まで遡って、問題の全てを明らかに内外に、特に非難決議をした国の政府や議会に詳細な説明をすることが必要であろう。その前提として、日本政府は宮沢内閣のとった措置を政府として再検討して、それは間違いであったことを公式に確認する必要がある。 6.解決への道筋 ●これまで慰安婦問題といえば、先ず河野談話を検討の対象とすることが多かったが、平成4年1月の新聞報道、加藤官房長官の謝罪談話、その直後に訪韓した宮沢首相の韓国での言動を対象にした検討を先行させる方が一般の理解が得やすいと思う。強制連行の誤解はここから生まれたからである。その上で翌年8月4日の河野談話が公にされるまでの経緯を明らかにすればよい。 「朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は8万とも20万ともいわれる、という新聞記事の取り消し」を求める訴えと、「慰安婦にすることを目的とした挺身隊の名による強制連行不存在確認を求める」訴えた受理されて、法廷でこの問題が審理されることになれば実態の究明は確実に進み問題解決の道が開けると思う。(大師堂経慰 元朝鮮総督府道地方課長 正論5月号 平成19年度) |
呉 智英 評論家 「SAPIO 2007.5.9」 韓国や支那、さらには北朝鮮のこうした日本非難への対応措置は、唯一「言うべきことは言う」に尽きます。ただ、そのためにはちゃんとした歴史知識を身につけておかなくてはなりません。幸いにも、日本では学問研究の自由、言論の自由が認められており、どんな知識・情報にもアクセスできます。知的好奇心を満足させる楽しみという観点からも、歴史認識を深めていくのが一番です。 <朝鮮人衆院議員の存在が示唆する「強制性」への疑問> 朝日新聞社から1990年に刊行された『朝日人物辞典」をパラパラとめくっていて、偶然こんなことを読んだからです。 それは朴春琴という朝鮮人政治家の項目でした。1891年に慶尚道に生まれた朴は、16歳で渡日。保守系の日本人と交流を深め親日融和団体の指導者となり、昭和7(1932)年には衆議院選挙に立候補して当選します。そのため、戦後は、民族の裏切り者として指弾されることになります。 これを読んだ時、私は、自分があいまいにしか知らなかった歴史の姿が鮮明に見えてきたような気がしました。明治43(1910)年、日本は朝鮮を植民地化します。これは世界的にも珍しい併合という植民地化でした。つまり、朝鮮人を日本人化するわけです。言い換えると、この時から、朝鮮人というのは国民名ではなく、岩手人とか広島人とか北陸人とか九州人とかいう一種の県人名のようなものになったのです。そして、実質的な差別はあったにしろ、形式的には同じ国民としての権利が保障されることになります。普通選挙が実施されれば、原則的には、日本国民として選挙権も、被選挙権さえも持つことになるのです。だからこそ、戦前に朝鮮人の国会議員がいたのです。 付け加えておくと、朴春琴は朴春琴のままで、日本風の名前を名乗らず国会議員になっています。日本名の強制が世に言われているほどの強制ではなかったことの証拠です。 され、国会議員まで出している人たちの娘に銃剣を突きつけて連行し、売春を強制する、なんてことが、普通考えられるでしょうか。形式的とはいえ、同じ日本国民なのです。軍という国家機関がそういうことをする可能性は低いと言わざるをえません。 <外務省は「倭寇」の名称変更を検討せよ> 最近の日本非難の中には、近現代史の枠を超えて、何百年も昔から日本は侵略的であったとするものも見られます。以前にも時々あったのですが、最近また現れたようです。 その一つが倭寇非難です。倭寇というのは、13世紀から16世紀にかけて日本の九州などを含む東アジアの沿岸部を荒らしまわった海賊集団のことです。「倭」は日本人を蔑視した呼び方ですから、「倭寇」は日本野郎の海賊といった意味になります。この倭寇に顕著なように、日本人は強暴で侵略的だ、これについても反省しろ、という声が出ているのです。 まことにひどい話で、これは外務省あたりにも少し考えていただきたい。被害者と加害者が逆になっているからです。 倭寇は、実は中心になっていたのは支那人なのです。「日本野郎の海賊」ではないのです。とりわけ後期の倭寇の構成員はほとんどが支那人です。手元にある大型国語辞典、例えば『広辞苑」などで、王直という支那人名を調べてみて下さい。明の海賊で倭寇の頭目という記述があるはずです。支那人の海賊による掠奪行為が日本人によるものになっているのです。 このことについて、40年以上も前に歴史学者石原道博はこんな説明をしています。 支那沿岸部を海賊たちが襲うと、役人たちは警備不十分の責任を問われる。そこで、あの海賊たちは強暴な日本野郎なので自分たちの手に負えなくてもしかたがないという話をつくり上げた。本来なら、日本人にとって不名誉な「倭寇」という名前なのだが、明治以降、大陸雄飛の時代風潮の中で、逆に倭寇が日本人の勇猛さのシンボルとして積極評価されるようになった。こうして、倭寇=日本人の海賊、という見方が二つの方向から固定されてしまった。 西日本の沿岸部も倭寇の被害にあっているのに、それを日本人の海賊と名付けるのはひどいでしょう。しかも、倭寇を理由に日本非難をするなんていうのは、いいがかりも甚だしい。名称の変更も検討していいんじゃないでしょうか。日本にとっては冤罪、ぬれぎぬなんですから。 朝鮮の場合は、豊臣秀吉の朝鮮侵略の例がしばしば持ち出されます。これについては事実は事実として厳粛に受け止めるべきです。しかし、これをもって日本人の侵略性、残虐性の証明ということにはなりません。 秀吉の朝鮮侵略の三百年前には、日本は支那・朝鮮連合軍の侵略を受けているのです。いわゆる元寇です。文永・弘安の二度の元寇による戦費・防衛費の捻出で鎌倉幕府は著しく疲弊し、幕府崩壊の原因となりました。尊皇意識の強い右翼の人は認めたがりませんが、私は、鎌倉幕府は実質的に一つの王朝だったと思います。その王朝が支那と朝鮮の侵略軍によって滅ぼされたも同然の目に遭ったのです。しかし、右翼的な皇国史観では、日本は神国であり、神風が吹いて侵略軍は撃退された、皇国は安泰であった、と解釈したがります。 ここでもまた、右翼的であるが故に、支那・朝鮮の侵略責任を問いにくくなる、という皮肉が現れます。イデオロギーや先入観にとらわれることなく、歴史を見てゆかなければなりません。 私は、韓国や支那が歴史カードを切ってくるのは、いろんな意味で日本にとって好機ではないかと思います。 日本人は日本の歴史を知らなすぎます。まず歴史の事実を知らず、その解釈についてはなお知らない。植民地責任、侵略責任を問われ、それでやっと勉強するというのでも、知らないよりどれだけいいかもしれません。山野車輪『謙韓流」(普遊舎)が売れたのも、日本非難が高まったからです。その内容については不十分であっても、この本で歴史を知る糸口をつかんだ読者もいるでしょう。軽んじることはできません。 また、近隣諸国との付き合い方を学ぶ機会にもなっているように思います。国際社会では、自らの非は非として認め、その上で、言うべきことは言い、主張すべきことを主張しなければ、相手にいいようにあしらわれ、友好さえ築くことはできません。戦争をせずに外国と競い合ってゆくのには、こうした外交能力が必要です。それを鍛える好機が今来たと考えたいのです。 |
古森義久 産経新聞ワシントン駐在編集特別委員 「WILL 5月号 平成19年度」 「マイク・ホンダの正体」 <中国勢力から献金> 中国系勢力との結びつきが異様なほど強いのである。しかも中国当局とのきずなを保つ在米の中国系反日団体の幹部たちから集中的に政治献金を受け、慰安婦問題のような戦争がらみの案件での日本叩きでは緊密な連携を続けてきたのだ。(中略) アメリカには「ワシントン慰安婦連合」という組織があって、韓国系米人の女性が頂点に立って長年、宣伝やロビー活動を展開してきた。だが政治献金の面からみると、ホンダ氏の選挙運動や政治活動を支えるのは、もっぱら中国系が多いことが判明したのである。 <反日組織からも支援が> ホンダ議員の場合、異様なほど中国系勢力からの献金が多いのである。2006年のCRPの記録を見ると、ホンダ議員は同年に個人からの政治献金として合計449人、金額で合計約37万ドルを受け取った。そのうち中国系個人からは94人、約11万ドルだった。比率でみると、中国系からの献金が全体に対し人数で21%、金額で30%となる。 ホンダ議員のカリフォルニア州第15区はアジア系住民が多く、全体の29%を占める。そのうち中国系住民は全体の9%である。だが政治献金となると、ホンダ議員はその全体の3割を中国系のみに頼っているのだ。 慰安婦問題では本来、大きな役割を果たしているだろうと見られた韓国系住民からホンダ議員への献金は2006年には人数でわずか10人、金額の合計で7,000ドルほどに過ぎなかった。中国系の10分の1にも満たない献金額なのである。 ホンダ議員への政治献金のもう一つの特徴は、州外からの献金が多いことだった。カリフォルニア州の他の連邦下院議員たちの場合、個人献金の州外からの分は一般に10%ほどだが、ホンダ議員は40%にも達し、全米各地の中国系住民からの寄付が多いことを示した。 さらに注視すべき点は、ホンダ議員への献金がきわめて反日傾向の強い中国系団体の幹部から多くなされている事実である。それら中国系団体はみなアメリカ国内に本拠をおき、幹部たちもすでにアメリカ国籍、あるいはアメリカ永住権を取得した中国人たちである一方、それら組織は影に陽に中国当局と結びついている。 2006年のホンダ氏への政治献金だけでも、以下のような団体の幹部が名を連ねていた。それぞれ数百ドルの献金だった。 ・中国系の世界規模の反日組織「世界抗日戦争史実維護連合会」の会長アイビー・リー氏。 ・中国共産党下での全国協調組織の「中国人民政治協商会議」広東省委員会顧問のフレデリック・ホン氏。 ・日本の「残虐」「侵略」を恒常的に糾弾する反日団体「アジア太平洋第二次大戦残虐行為記念会」事務局長のチョファ・チョウ氏。 ・「南京虐殺」の記念館を首都ワシントン地区にも開設しょうという運動を続ける中国系組織「中国ホロコースト・アメリカ博物館」役員のビクター・シュン氏。 こういう中国系活動家たちがホンダ議員の資金面での支持者としてずらりと名前を並べているのだった。 <不公平なプレゼン> そもそも講和条約や軍事裁判で処理され、懲罰されたことを、あたかもこれまでなんの措置もとられなかったかのごとく糾弾されるのは不当である。現在の日本国民の大多数がまだ生まれてもいない時代の出来事をなぜいま責められ、謝罪を迫られるのか。 <60年前にすでに断罪> 彼女の証言などにより、日本軍の上層部の方針に違反してオランダ女性を連行し、慰安所に入れた日本軍の将校と軍属計11人が1948年3月に有罪を宣告され、死刑や懲役20年という厳罰をすでに受けているのだ。オハーンさんは今回の公聴会で日本側が責任をとることを求めたが、責任者は60年近く前にすでに罰せられている。 日本政府には批判的な立場から慰安婦問題を研究した吉見義明氏も、著書『従軍慰安婦』のなかでオランダ政府の報告書などを根拠にスマラン慰安所事件の詳細を記述している。同記述では、オハーンさんらオランダ女性を連行したのはジャワの日本軍の南方軍幹部候補生隊の一部将校で、(1)軍司令部は慰安所では自由意志の者を雇うようはっきりしていたが、同将校たちはその指示を無視した、(2)連行された女性の父のオランダ人が日本軍上層部に強制的な連行と売春の事実を報告したところ、すぐにその訴えが認められ、現地の第16軍司令部はスマラン慰安所を即時、閉鎖させた、(3)同慰安所が存在したのは二ヶ月間だった、(4)主犯格とされた将校は戦後、日本に帰っていたが、オランダ側の追及を知り、軍法会議の終了前に自殺したーなどという点が明記されている。 つまり、オハーンさんの事件は当時の日本側の規則や方針をも破る犯罪行為としてすでに懲罰を受けていたのだ。しかもその事件は日本軍が上層部の方針として「慰安所は自由意志の女性だけを雇うようはっきり指示していた」ことを立証していた。だが今回の公聴会ではこのへんの経緯はまったく知らされなかった。きわめて不公平なプレゼンテーションだったのである。 アメリカでは「一事不再理」あるいは「二重訴訟の禁止」は憲法にまではっきりうたわれている。一つの事件が裁かれ、判決が確定した場合、その同じ事件について再び公訴してはいけない、追求してはならない、という原則である。オハーンさんが被害者となり、証人となった「スマラン慰安所事件」はすでに裁判が開かれ、判決が確定しているのだ。 それをまた60年後のいま、あたかもなんの懲罰もなかったかのように白紙からやり直そうというのである。 |
前線地区での日本軍売春宿 (産経新聞 平成19年5月18日) ・同報告書はその契約条件について次のように記していた。 「個々の慰安婦は総売上の50%を受け取り、無料の移動、食料、医療を与えられた。移動と医療は軍から供与され、食糧は慰安所経営者が軍の支援を得て、購入していた」 「経営者たちは衣類、日常必需品、更にはぜいたく品を法外な値段で慰安婦たちに売りつけ、利益をあげていた」 「慰安婦の女性がその家族に支払われた金額を利し付きで返済できるようになれば、朝鮮への無料の帰還の便宜を与えられ、自由の身になったとみなされることになっていた。だが戦争の状況のために、このグループの女性は誰も帰国を許されなかった」 「この日本人が経営した慰安所では女性一人の二ヶ月の総売上は最大1,500円、最小300円程度だった。個々の女性は経営者に毎月、最低150円を払わねばならなかった」 以上のように、この報告書は慰安婦の「雇用」や「契約条件」を明記するとともに、慰安婦だった女性は一定の借金を返せば、自由の身になれるという仕組みも存在したことを記し、「軍の強制徴用」とか「性的奴隷化」とは異なる認識を当時の米軍当局が有していたことを証している。 |
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