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創価学会ノート

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2011-08-15

もはやオモチャとなった創価の本尊

 創価学会が乱発し続ける「お守り御本尊」というのがある。正規の曼荼羅本尊を貰う人が少ないので、家族や友人に隠れてでも拝めるようにと、コンパクトな本尊を販売している。先日、このお守り御本尊を文字通り「お守り」としてカバンにぶら下げている人を見た。このようなケース(http://www.sgibutsudan.com/item_komono/omamori-kurisutaru.html)が売られているので、これに御本尊を入れて、キーホルダーのように付けていたのである。日蓮正宗の頃は考えられなかったが、創価流ともなるとこれもOKだということなのだろう。

 この種のグッズは様々売られており、もはやオモチャとしか呼べない仏壇(http://www.seikido.jp/category/komono/goods/01C10135.html)や何の目的で作られているのかわからない「お祈りクマさん」なるものもある(http://www.hakubun-eikodo.jp/products/detail812.html)。こういうものを喜んで買うのも学会員の特徴だ。

まりぃまりぃ 2011/08/16 01:41 カバンにつけていたと書かれていますが、中身がお守りご本尊様であったことを確認されたのでしょうか。

おもちゃみたいな仏壇は、長距離トラックの運転手さんなどには必需品です。

お祈りクマさんは、一人暮らしを始めた人にはなかなか心強い同士になれると思います。ご紹介ありがとうございます。

ganba8823ganba8823 2011/08/16 11:33 大衆に迎合しながら、かつ組織のMCだけは維持したいのですね。
ここまで日本仏教を利用して欲しくありません。

覚悟の志士覚悟の志士 2011/08/17 00:27 お守り御本尊は、かつて信心強情な学会員さんに下付されていました。小さな巻物で金属製の筒の中に入れられていました。そう簡単にお開きできるものではありませんでした。実家にもありますが、仏壇のご本尊と共に御安置しています。
それが、宗門から離れた後、まずは支部幹部級からの下付が始まり、内には私と妻の分2体あります。(信心がないので、拝む気になれなれまさんが)その後、青年部の折伏戦にお守り御本尊を下付する戦いがあり、わが支部の男子部は県でとトップの成果をあげました。
その後が酷い。勤行指導はしない。信心指導はできない。入信した人たちも学会員としての自覚がない。もう、不良統監が不良債権のごとく、毎回の統監で処理されております。
折伏を推進した男子部の活動家は、上の幹部に煽られただけです。本尊流布のたんびに、自腹で5千円を払っていた部長は、経済破綻。活動家はみな支部からなぜか姿を消さねばならない状況に陥ってます。その折伏成果でおいしい思いをしたのは、職業幹部だけです。その成果をもって昇進。あほらしい。
煽られて折伏に走った部員さんを踏み台に、自分の地位だけを上げたんです。
まぁ、おもちゃと言われだしたので、区幹部級には巻物風のお守り御本尊を下付し始めています。(苦笑)

zadia1906zadia1906 2011/08/17 23:40 覚悟の志士 様

おっしゃるように、依然は非常に丁重にご本尊を扱っていましたね。しかも、お守りご本尊には、授与者の名前も刻印されていました。創価が何を本尊にしても自由ですが、本尊はその宗教の命です。それを粗末に扱うのはどういうことでしょう。

ganba8823様が抗議されていますが、もはや創価が仏教と呼べるのかもわかりません。私は、ここまで曼荼羅本尊をいい加減に乱発するのは、やはり将来的に「池田本仏」を確定するからだと思います。もちろん、題目は唱えるでしょう(苦笑)。いま、「そんなことあるか」と嘲笑されている方も多いでしょうが、末端会員が考える以上に、中央は「トンデモ」な策を考えています。

覚悟の志士覚悟の志士 2011/08/18 23:52 『池田本仏論』には、はなはだ疑問を感じます。たしかに、現在の創価学会は、教義的バックボーンに揺らぎを抱えています。必殺技だった大御本尊を一大秘宝として展開される日寛教学を止揚しながら、日寛上人の御本尊を拝まなくてはならない。しかし、六巻抄・文段は、意図的に一切勉強させません。
池田先生の立正安国論講義も、全集では大幅な修正が加えられ、御義口伝講義に至っては封印されています。
末法の御本仏であられる日蓮大聖人の上に、スーパ仏陀としてどうやって、池田先生を本仏にする理論的根拠をどこに求めることができるのでしょう。
池田先生亡き後、池田先生書写の御本尊でも飛び出してくるのでしょうか。(苦笑)
創価学会が、宗教ビジネス化していることには認めます。本当に上手く出来上がってしましました。
しかし、池田先生のリーダシップがあったからこそ、戸田先生亡き後の学会が、会長就任12年で750万世帯を成し遂げ日蓮正宗を日本一の教団に押し上げたのではと思います。
まぁ、その後がいけなかったのは重々承知しております。会長就任50周年で814万世帯ですからね。
総体革命・舎衛の三億・1000万とのプロパガンダは、全て頓挫しました。
今は、2030年・創立100周年・青年学会とのプロパンガンダですが、現場は閉塞感に覆われています。
中央が、『トンデモ』な策を考えているなら日蓮仏法を奉じる者として、戦わなくてならなくなりますね。

zadia1906zadia1906 2011/08/19 01:18 覚悟の志士様

池田先生が卓越した指導者であることについては、まったく異論を挟む余地はないです。池田先生あっての発展です。「池田本仏論」に疑問を持たれるのもよく理解できます。言うまでもなく、日蓮本仏論は興門流=日蓮正宗の教義ですね。学会は宗門と手を切ったのに、教義は継承している。ここが弱点です。ここを克服するためには、学会の独自の教義が必要です。以前UPしましたが、主師親の三徳を具現化しているのは、池田先生であるという指導が昭和40年代に「大白蓮華」に掲載されています。(学会の)教学としては違和感ないんですね。ですから、死後、世俗的には「池田思想」という方向で、教学的には「池田本仏」と解釈されるでしょう。宗門が何と言おうが、多くの学会員は意に介さない。学会による宗門弱体化は成功していますし、“邪宗”ですから(苦笑)。ストレートに先生を拝むとか、先生の写真が本尊となるというようなことにはすぐにはならないでしょう。但し、今後、本部による先生の墓や遺骨の扱いは注目です。

創価学会は「池田思想」を広める団体として歩まざるを得ません。すべてそのための布石を打ってきました。日蓮仏法を池田思想から見ると“文底秘沈”という感じになるでしょうか。私はこの方向性が正しいとは思いません。覚悟の志士様のような、物事をよく考える方たちはどう整理をつけるのか、真剣に興味あるところです。

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