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きょうの社説 2011年9月3日
◎野田政権発足 「実務型内閣」とは言い難い
被災地の復旧・復興が遅々として進まず、世界経済の失速が懸念される非常時に、野田
内閣が船出した。新たな船長の下で荒波に乗り出す「日本丸」は、華やかさには欠けるが、これまでより重心が低く、シケには強いかもしれない。攻めより守りを重視した内閣と言えるのではないか。思えば、船長失格のらく印を押された前任者2人のかじ取りはあまりにもひどかった。 自らを「ドジョウ」と呼ぶ野田佳彦首相は、自己評価ばかり高くて、中身に乏しいリーダーに嫌気が差していた国民にも好感をもって迎えられたことだろう。腰が低く、言葉遣いは丁寧で、雄弁とはいえないまでも演説に味がある。少なくとも周囲の意見を聞かず、独りよがりの思い付きを突然ぶち上げる破天荒な行動を取ることはなさそうだ。前任者2人を反面教師にして、劣化が著しい「日本丸」を立て直してほしい。 官房長官に就任した藤村修氏は会見で「野田氏が組閣にあたって重視したのは、適材適 所と思う。泥にまみれて汗をかいて仕事をし、政治を前進させていく観点だ」と強調した。だが、内閣の顔ぶれを見ると、必ずしも「適材適所」とは言い難く、自民党政権時代の派閥均衡型人事に近い。各グループのパワーバランスに配慮し過ぎたために、これまでの経験や専門知識と連動しない起用が目立ち、個人の能力を最大限に引き出す配慮に欠けているように思える。 例えば、財務相に起用された安住淳氏は、閣僚経験もなく、それほど経済・財政分野に 通じているわけでもない。適材というより、増税路線に反対しないという物差しで選ばれた印象がぬぐえない。財務相と並ぶ重要ポストの外相に登用された玄葉光一郎氏も、2年以上も続く外交の実質的な「空白」期間を埋めるだけの経験や人脈を欠いている。両者とも適性を評価されたというより、野田首相との距離の近さと、代表選での「論功行賞」の色合いがにじむ。 また、野田首相は、山岡賢次、一川保夫の両氏を閣僚に迎えることで、小沢一郎元代表 の意向を反映させた。だが、政治資金規正法違反罪で強制起訴された小沢氏の初公判が10月に開かれる状況下で、山岡氏の国家公安委員長起用はあらぬ誤解を招きはしないか。 石川県から6年ぶりに入閣した一川氏は、得意とする農林水産行政の知識を生かせる分 野ではなく、畑違いの防衛相だった。普天間基地の移設問題は鳩山政権以来の「負の遺産」であり、1人で背負うには重過ぎる荷物だ。政治家としての経験を生かし、困難な任務に取り組んでほしい。 野田首相率いる「ドジョウ内閣」は、その名の通り、どこかつかみどころがない。それ でいて、安定感があるのは、あくまで前政権との比較論であって、中身が空っぽの「パフォーマンス政治」に飽きた世論の安堵感が反映している。党内融和を尊重し、反目していた乗組員を曲がりなりにも一つにしたことで、小沢グループの離反の芽を摘み、代表選の最中に「解散はしない」と明言し、浮き足立っていた若手の動揺を抑えたことも安心感の広がりにつながった。 ただ、そうした内向きの安定感が荒波を乗り越えていく推進力になるかどうかは別問題 である。野田内閣がまず成すべき課題は、本格的な震災対応のための第3次補正予算編成を野党の協力の下で早期成立させ、復旧・復興事業も軌道に乗せることだが、対話を重視し過ぎれば党内に不協和音を生じ、党内融和を優先すれば野党との対話が進まなくなるジレンマを抱える。掛け値なしの「実務型内閣」を構築できなかったツケが後々、ボディーブローのように効いてくるかもしれない。 谷垣禎一自民党総裁は党首会談で、復旧・復興には協力するとした上で、第3次補正予 算成立後の衆院解散・総選挙を求めた。野田首相は会見で「来年以降も政治空白をつくれる状況にない」とかわしたが、自民党政権時代に、政権の「たらい回し」をさんざん批判してきただけに、今度は自分たちが「政権の正統性」を問われるのは当然ともいえる。与野党協調路線を定着させ、そうした声を封じるのは容易ではない。
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