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[22387] 永宮未完 迷宮探索物
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:4e98e308
Date: 2010/11/03 01:54
 以前投稿していた物の書き直し……というか主要キャラの掘り下げで過去から始めたためにほぼ新規となります。
 序をとっとと終わらせたら、迷宮やら冒険物にする予定となっています。 
一応迷宮物でありますが、地下やら古城は勿論の事として、やたらと広い砂漠やら湖等も少し設定を加えて迷宮化させた物とする予定です。
 
 稚拙かつ遅筆な物語ですが僅かでもお楽しみ頂き、お付き合いいただけましたら幸いです。



[22387] 序 ①
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:4e98e308
Date: 2011/01/26 18:20
 轟々と鳴り響く風の音。夜空をぶ厚く覆う黒雲からはまるで礫のように大粒の雨粒が降り注ぎ地上を激しく叩く。
 天を切り裂く幾筋もの雷光と鳴り止まぬ雷鳴は、まるでこの世の終焉がすぐ其処まで迫っているかのようだ。
 冬の終わり。
 春の到来を告げる春嵐は、毎年同じ日に大陸の南方海で発生し大陸各地に被害をもたらしながら、3週間かけて徐々に北上していく。
 小国なら丸々一つを覆ってしまうほどの大嵐はやがて海から遠く離れた大陸中央部の険しい山岳地帯へと至り忽然と消滅する。
 通常の嵐では有り得ない動きと規模。
 これは嵐が消滅する山岳地帯に原因があるとまことしやかに囁かれる。
 その地には遙か過去に大陸に君臨した龍王が居を構えていた迷宮があり、主が滅んだ今も生き続けている魔法陣によって大嵐が発生し引き寄せられているからだと。
 二千年以上も定期的に続く大嵐の真相を究明しようと現地調査の申請をする者の後は断たない。
 だが極一部の例外を除き山岳地域への立ち入りが許可されたことはない。
 龍の秘術が解析され拡散する可能性や、調査によって予期せぬ事態が起きる懸念がされた事情もあるが、一番の理由は別にある。
 それは彼の地が聖地であるからだ。
 聖地と定めしは、迷宮を征し龍王を討ち滅ぼし勇者によって建国されし王国。
 後に王国は南方大陸統一を成し遂げ統一帝国としてさらに勇名を馳せることになる。
 討ち滅ぼし龍王の名を受け継ぎ『ルクセライゼン帝国』の聖地である古代迷宮は『龍冠』と呼ばれ、国母たる代々の皇太后が守として余生を過ごす離宮が迷宮への入り口を塞ぐように建てられていた。





 



 
 







  
 
 春嵐がもたらす激しい雷雨。 
 ただでさえ見通しの悪い夜の森。
 降りそそぐ雨がさらに視界を塞ぎ、針葉樹林で構成された森を縦横に走る遊歩道は長雨の影響で所々が冠水してまるで川のように水が流れている。
 嵐に晒される森。
 その森に張り巡らされた遊歩道を、水に沈んだ根や段差をカンテラや魔術の灯りに照らし出し何とか避けながら懸命に走る幾人もの騎士達がいる。。
騎士達がいるこの森の中心部にルクセライゼンの聖地である古代迷宮『龍冠』が存在する。
 龍達の長。龍王がかつて居を構えていたという伝説が残る【龍冠】は、人里から遠く離れた山岳地帯にある。
 夏でも山頂付近に真白い雪が残る高い山脈に周囲を取り囲まれ、その姿がまるで王冠のように見えることから、龍王の王冠『龍冠』と古来より謳われていた。
 山裾の隙間を縫うように流れる谷沿いに狭い道が一本あり、そこを通り山脈を抜けると巨大な盆地へ出る。
 盆地の南側には古代樹が群生する森林、北半分には周囲の山々からの雪解け水で作られる冷たく透き通った湖。
 湖の中央には湖水から垂直に伸びる断崖絶壁の高い崖で周囲から孤立した島が一つ。
 島の天頂には針葉樹林の森が広がり、中央部には古めかしく荘厳な空気を醸し出す石造りの宮殿と広大な温室庭園が存在する。
 この宮殿の直下にこそ龍冠の本体ともいうべき迷宮への入り口があった。
 生物の侵入を拒む高い山脈と湖中央の切り立った断崖絶壁の島に存在する『龍冠』。
 険しい山々を越えるのは夏期でも非常に困難であり、雪が根深く残る春を迎えたばかりのこの時期には不可能といっても過言ではない。
 地上からの唯一安全なルートは湖から海へと続く谷川沿いの狭い道しかない。だが谷沿いには厳重な警戒網を誇る砦が幾つも設置され、人と物の出入りは厳しく検査されている。
 もう一つルートもある事はあるが、それは飛竜などの騎乗生物を使う空からの山脈越えとなる。だがこちらも常に監視がされており、しかも今は威力が強く巨大な春嵐の発生期。空路の山脈超えなど無謀の極み。
 外部からの進入は事実上は不可能であるはずだ。
 しかし今宵は違った。
 地下倉庫に設置された探知結界が警報を奏でたのは今より一時間ほど前。
 警報直後に倉庫から走り去った茶色い外套の不審人物を追いかけ騎士達は嵐の森の中へと踏みいる羽目になっていた。







『反応を拾った! また森の中を移動してやがる!』


『無茶苦茶だ! なんて野郎だ!』


『場所は!』


 騎士達の襟元につけた魔術具より侵入者発見を伝える声が響く。
 次いで舌打ちと苛立ちを抑えきれない忌々しげな声や、苦しげな呻き声がいくつも聞こえてくる。
 遊歩道を走るのがやっとな騎士達を、まるであざ笑うかのように森の中を軽々と移動する侵入者に何度も囲みを突破され騎士達の苛立ちは募っていた。


『25番を南方向に抜けていった! 回り込める奴は回り込め! 何とか足を止めろ!』


 指示の声に森に散らばっていた騎士達が一斉に動き出す。
 近くの者は侵入者の進行方向を先んじて抑える為に直接的に回り込み、離れた場所にいた者は囲みを突破された場合に備え外側に回り込んでいく。
 しかし騎士達の数は二十人にも満たず、いくら相手が一人といえど移動速度が段違いでは捕らえるのは至難であった。
 現状は南側にある下の湖に通じる唯一の階段回廊は別働隊が封鎖し、残りの者達が北側にある離宮へと再度近づけぬように囲みを徐々に狭めながら退路を塞いでいくのがやっとだった。


『23! 姿は見えない!』


『こちらは27! 同じく確認できない! 22の方か?! 気をつけろ! 相当速いぞ!』


 近くを通ると予測される分かれ道に着いた騎士が次々に発見できずと報告をあげていく。
 直線的に森を抜けてくる侵入者に対して遊歩道沿いの回り道しかできない騎士達では、一度侵入者を見失うと再発見は容易なことではなかった。


「22分岐についた。了解」


 22番分岐路へと走り込んだ騎士は同僚の忠告に小声で答えながら、敵からの目印となるカンテラの火を消して近くの木の陰に身を隠し走り通しで荒れる息を整えつつ細身の長剣を引き抜く。


「ちっ……やりづらい」


 雨で滑らぬように柄に巻いた荒縄の感触に違和感を覚えた騎士は舌を打つ。
 強い風と雨を伴う嵐に森の樹が盛んにざわめき、音がかき消され気配が探りにくい事も苛立ちの要因だろう
 

「太后様がお留守のこの時期に……まさか狙いは」


 この時期に現れた侵入者の狙いを推測した騎士は、緊張を押し殺そうとゴクリと息をのむ。
 離宮の主である皇太后がここより遙か南方にある帝都にて執り行われる春迎の祭典に出席する為に、例年この時期は離宮から離れていることは周知の事実。
 龍冠が存在する山脈への無断侵入は未遂であっても大罪。ましてや離宮にまで辿り着いたのであれば、背後関係を徹底的に調べるために拷問。その上での死罪は確実。場合によっては反逆罪で一族郎党にまでその責は及ぶ。
 其処までの危険を冒して主不在の離宮へと侵入する理由として予想できる物はいくつか騎士にも思いあたる。
 龍冠はその成り立ちから曰くのある場所で、帝国が抱える幾つもの機密情報が眠っていると民の間でも噂され、実際にそれは真実である。
 今騎士の心に浮かんだのは、その中でも、もっとも隠し通すべき一つの秘匿存在であった。
 下手にその存在が明るみに出れば、帝国の崩壊と終わりの見えない戦乱を招きかねないほどの危険を含むモノ。
 四年も侍女として潜伏していた間者によって、その秘密が暴かれかけたのは僅か半年前。
 その時は一人の犠牲と情報操作により秘密は辛うじて守る事ができたが、身辺調査と選別が厳重に行われていた離宮の侍女に間者が潜伏していた事実は、現皇帝とその側近達に衝撃を与えることになる。
 表向きには皇太后を狙った暗殺未遂事件として処理しつつ、情報拡散を防ぐ為に元々少なかった離宮詰めの騎士と従者にさらに徹底した身上調査と思考調査が行われた。
 これによって騎士と従者はより厳選された極少数となり、調査によって僅かでも不安要素がある者は任を外され、秘匿存在に関する記憶封印がされ別地へと異動させられた。
 結果離宮の守りは薄くなったが、代わりに山脈外周部及び回廊である谷には兵力が倍増され、さらに新たな砦が幾つも設けられて守りをより強固な物へと変貌させている。
 ネズミの一匹たりとも見過ごさないと言っても大袈裟ではない警戒網。それをすり抜けてきたとは考えにくい。ならば……
 

「まさか他にも内通者が居やがったのか? っ。捉えれば判る」


 一瞬浮かんだ猜疑の念を即座に首を振って否定した騎士は自らを鼓舞し剣をしっかりと握り直して周囲の気配を探り続ける。
 だが風雨の影響もあって侵入者の姿は見えず気配も感じ取ることは出来ない。この嵐は侵入者にとっては心強い味方。騎士達にとっては最悪の障害となっていた。


「まずいな」


 このままでみすみす見逃すと判断した騎士は、口笛のような音を一つ鳴らして高圧縮した詠唱を唱える。
 詠唱によって発動した術は生体感知。有効範囲はさほど広くはないが、魔術師が偵察用使い魔として使う小鳥程度の大きさの生命体も感知できる術になる。
 周囲の木々がうっすらと光り出し輪郭を描き出し、幾つもの光点があちらこちらに浮かんでくる。
 木の洞や太い枝の根元辺りに浮かぶ光点。それらには動く様子も見えない。おそらく森に住み着いている小動物が嵐が去るのを耐え忍んでいるのだろうだろう。
 しかし暗闇の森の中に一つだけ別の動きをする反応がある。騎士が思わず驚くほどの速さで森の中を動く生命反応。
 その主はでこぼこした地面を避け木の枝や幹を次々に蹴りつけながら宙を跳び、騎士の隠れる方向へと段々と近付いてくる。
 距離はそれほど遠くはない。このまま真っ直ぐ進めば数十秒後には騎士が隠れている樹の近くを通り抜けていく。おそらくこれが侵入者であろう。
 迷い無く真っ直ぐ進む侵入者の足取りに、隠れているこちらの存在には気づいていないと騎士は判断する。
 
  
「発見した。仕掛ける」
 

 即断した騎士は小さな声で味方に伝えると、周囲を探る魔力の流れから存在気取られぬようにと探知術を切ると、浅く深く息を吸ってピタと止めて左足を半歩前に踏み出し半身体勢となる。
 天を駆ける稲光に刀身が反射しないように侵入者が来る方向に対して己の身体に巻きつけるような右下段の腰構えで剣を隠し、左手は柄頭の近くを順手に握り、開いた右掌を鍔近くに押し当てる。 
 踏み込みと共に身体全体のひねりを解放し同時に右手を突き出す事で電光石火の一撃となす、初手を重視した独特の構え。
 多数の追っ手に対して逃亡を図る侵入者が足を止めて戦闘をするとは考えにくい。故に交差はほぼ一瞬のみ。すぐに侵入者は逃亡を再開する。当たろうとも外そうとも次手を繰り出す余裕はない。
 情報を引き出すためにも生きたまま捕らえ無ければいけない。相手は地より僅か上を跳んでいる位置関係と目的からも狙うべきは足。
 足を殺して機動力を削ぐ。
 情報と状況を整理し予測から目標を定めた騎士は息を押し殺し最適のタイミングを伺う。
 天を引き裂く雷光と雷鳴。轟々と唸る風。枝葉をかき鳴らしざわめく木々。気を抜けば足を掬う勢いで流れていく水。


 ・ッ! ザッ! ザッ! 


 自然の猛威が不規則な音を奏でる中に微かな足音を騎士の耳が捕らえる。計ったかのように一定のタイミングで鳴る足音。
 騎士はそっと顔を出し侵入者を目視しようとした丁度その時、雷光が煌めき黒い影だった侵入者の姿が一瞬だけ照らし出される。
 姿があらわとなったのは僅かな瞬間だが、広い国中から選抜された高い実力を持つ騎士にとってそれだけあれば十分だ。侵入者の体格、武装、身のこなしを確かめた騎士は内心で僅かに驚く。
 樹を次々に飛び移り身が軽いとは思っていたが、侵入者は騎士が想像していた以上に小柄だ。人間種の子供ほどの大きさしかなかい。
 特徴のない茶色の外套を纏い、フードを目深に被ったその顔を窺い知ることは出来ない。騎士から見て反対側の右肩には、布でくるまれた持ち主の倍ほどの長さの棒のような物を担いでいる。長柄の先は大きく膨らんでいる。槍の類だろうか。
 小柄で森の中を自由自在に動き回れる長柄使い。
 人の子ほどの背丈と聞いてまず思いつくのは精霊族の一部だが、代表的な者に限ってもハーフリングやハイゴブリン等が幾つもあげられる。 
 これに魔族や獣人など他系種の者達も含めればその候補は数百にも及ぶだろう。たったこれだけの情報では相手の正体を絞り込むことなど出来ない。
 背後関係を探るためにも是が非にでも捕らえなければならないが、侵入者の動きを実際に目の当たりにして、相手が高い技量を持つことを確信した騎士の鼓動は緊張で僅かに速くなる。
 この森は全ての木を一定間隔に植え整備して作った森ではなく、元々あった森に少しばかり手を加えたに過ぎない。
 法則性もなく乱雑に生える木々を速度を落とさずに次々に一定のリズムで跳び移るには、先の足場を見極め続ける事が出来る頭脳と、思い描いたとおりに瞬時に身体を動かす高い身体能力が必要となる。
 侵入者の技量はおそらくは自らよりも上。そんな相手が逃亡中だというのに隠れている追っ手の騎士を見落とすだろうか。
 ひょっとしたこちらの存在に気づいていないと思わせられているだけではないのか。
 不意に弱気な考えが騎士の心に浮かび上がる。
 しかし迷いは剣を鈍らせる。
 騎士は不安を無視してぐっと足に力を込める。騎士の間合いまで敵は後二歩まで迫っていた。


 ザッ! 


 柄の握りを強め身体を僅かに前方へと倒す。後一歩。


 ザッ!


 枝を蹴りつける足音を意識が認識する前に騎士は左足を滑るように水を切りながら踏みだし隠れていた木陰から飛び出す。
 空中を跳ぶ黒い影が視界の真正面に一つ。騎士に対して左側面を晒す侵入者が其処にいた。
 宙を跳ぶ侵入者の体勢が僅かに乱れた。水を蹴った踏み込みの音でようやく隠れていた騎士の存在に気づいたようだ。
 慌てて音が聞こえる方向に顔を向けながら、右肩に担いでいた長柄を僅かに持ち上げ迎撃の構えを取ろうしている。
 察知能力と判断能力は騎士の予想以上に速い。だが足場のない空中でもたついて意識に身体がついていかないようだ。
 大きな隙が出来た侵入者。手練の騎士がその隙を見逃すはずもない。騎士は腰構えにしていた長剣を握る左手を一気に振り上げ、柄に当てた右手に捻りを加えながら強く打ち込む。
 剣は一拍の間も置かずに最高速に達し、侵入者の左足首に食らいつこうと襲いかかる。
 その時騎士の背後の空でまたも天を切り裂き雷が一つ奔る。刀身が雷光を受けて光輝いた。
 文字通りの閃光の一撃となったその一振りは、騎士の非凡な才能と何千何万と振った型の上に身についた必殺の一撃。
 だが刀身を輝かせた雷光は同時に、フードを被った侵入者の顔をも照らし出していた。
 雷光を受けて形を現したのは黒髪と黒目のまだ幼い少女の顔。
 それは騎士のよく見知る者……この瞬間に絶対にこの場にいてはいけない者の顔だった。
 自分が剣を振るったのが誰なのか瞬時に気づいた騎士は、とっさに狙いを逸らそうとする。しかし最速で振り出した剣は騎士の思うとおりにはならない。。
 非凡な才能を持つ騎士の腕を持ってしても、その速さを僅かに弛める程度のことしかできない。
 騎士のとっさの動きも無駄となり少女の足首はばっさりと斬り飛ばされている…………はずである。普通ならば。だがこの少女には騎士が作り出したその刹那の遅れで十分だった。
 少女が長柄を持つ右手を下に振りながら掌の中で滑らして足下へと柄を伸ばす。同時に伸びた柄を左足で絡め取って足首の後ろ側へと回した。
 次の瞬間、金属同士がぶつかり合う高音が嵐の森に高らかに鳴り響く。
 少女の足首を切断するはずだった刃を長柄の柄がガッチリと受け止めていた。布にくるまれていてその材質までは判らないが少女の持つ長柄にはよほど硬い金属が使われているようだ。
 必殺の一撃である騎士の剣を長柄が容易く受け止め、そして跳ね返してみせた。
 しかし剣に乗っていた力まで相殺されるわけではない。
 宙に浮かんだ状態で足下に強い一撃を受ければ小柄な少女の身体では衝撃で弾き飛ばされるだろう。
 しかしそうはならない。剣と長柄がぶつかり合う衝突音が鳴るとほぼ同時に少女が足を上げ下半身を丸めながら、左手を後ろに振り上半身を反らして横向きの衝撃の力をその体捌きのみで円の力へと変えるという離れ業をやってのけていたからだ。
 騎士の全速攻撃を受けたというのに、少女はまるで猫のように空中で一回転してスタッと地面に降り立った。
 剣を放った体勢のまま凍りついていた騎士だったが少女に怪我が無かったことにほっと胸をなで下ろしかけて、


「って! そうじゃなくて! なんで貴女がここに!?」


 すぐに今もっとも問題にするべき事があると気づく。
 なぜここにこの少女がいるのか。しかもなぜ侵入者として追われていたのか?


「驚かすなっ!!」   


「おぶっ!」 


 問いただそうとした騎士に対して少女がもたらしたのは不機嫌な怒鳴り声……そして先ほど剣を防いだ長柄であった。
 溜めや構えを悟らせることなく不意に繰り出した少女の一撃。
 油断していたために攻撃をまともに頭部に受けることになった騎士が最後に見たのは布がほどけて顔を覗かした三つ叉にわかれる長柄の先端と、周囲に飛び散る妙に白い破片だった。
     



[22387] 序 ②
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:4e98e308
Date: 2010/10/22 23:08
「デュラン! デュラン! …………駄目だ。反応がない。まさかこの短時間でやられたというのか。あのデュランが?」

 
 何度呼びかけても通信魔具から返答の声が聞こえてくることはない。
 部下の一人が侵入者と接触すると連絡を入れてきたのはつい先ほど。その直後に連絡は途絶していた。
 離宮守備隊に選抜される騎士は優秀な人材で固められている。特に半年前の事件の後も残った者達は少数ではあるが国内最精鋭といっても過言ではない。
 それがたった一人の侵入者に手玉に取られ、その中でも実力者のデュランが連絡を絶つ異常事態。
  

「22分岐付近の者は引き続き侵入者の現在位置確認! 発見してもうかつに仕掛けるな! 他は近くの者と二人パーティ形成。再度包囲準備! 足止めし連携戦に持ち込む! 相手は上位の探索者かも知れん! 包囲完了しても油断するな!」


 離宮直衛守備隊の長を務める中年騎士は、侵入者が驚異的な実力を持っていると判断し緊迫した声で指示を下す。
 守備隊に属する騎士達は特別顧問の師事の元、迷宮で誕生した剣術を身につけている。生物として上位存在である迷宮の怪物達を相手取るために生み出された実戦的な迷宮剣術は単独戦闘を基本とするが、パーティによる連携戦も派生技法として重要視され一対多であるこの状況には適しているといえるだろう。
 ただでさえ広い網の目をさらに広げる事にはなるが、各個撃破され食い破られるよりはマシだという決断であった。
 しかし守備隊長には一つ懸念がある。
 侵入者の正体が北大陸に存在する迷宮。世界で唯一の生きる迷宮群である【永宮未完】を踏破し神の恩恵である身体能力強化【天恵】を得た者……それも最高峰の上級探索者だったらという恐れだ。
 天恵強化は迷宮外では著しく制限されるが、それでもある程度の効力を発揮する。そして時間制限はあるが迷宮内部と同等の超越した力を解放する切り札【神印開放】が探索者には存在する。
 能力開放状態の探索者に対抗する術は一つだけ。同様に能力解放した探索者を当てるしかない。
 だがそれについては問題はない。
 ここルクセライゼンにおいて正騎士へと任命されるには、準騎士としての経験とは別に中級以上の探索者である事が必須条件となっている。
 守備隊に籍を置く者は全てが正騎士にして中級探索者。非常時用に自ら得た神印宝物や国より下賜された物を常時その身に帯びていた。 
 
 
「侵入者が神印開放を行った場合は私が対処する! お前達は即時待避し離宮に残る者達と防衛に専念」


 守備隊長も若かりし頃は一人の探索者として鍛錬を積み重ねてきた。その証ともいうべき物が右腕で燦然と輝く銀製の精巧な飾りの施された腕輪だ。
 蔦薔薇をモチーフとした腕輪に咲くのは赤い宝石によって再現された一輪の花。石の中央には森を司る中級神の印が刻み込まれている。


「侵入者が陽動であり伏兵の恐れも考えられる! 伏兵が存在した時は合わせて順次解放! 帝都に連絡! 下の砦に救援要請も出せ! 私が許可する!」 


 切り札である腕輪に無意識に触れながら、侵入者警戒時よりもさらに引き上げた準戦時対応へと移行する指示を守備隊長は下す。


 ルクセライゼンは大陸を丸々一つ支配下に置く大帝国である。だがその実態は一枚岩ではなく、むしろ無数の国が集まって出来上がった寄り合い所帯ともいえる。
 これは南方大陸統一の理由が、当時北大陸で起きた世界的異変に対抗するための緊急的な意味合いが強かった所為だろう。
 その脅威も既に過去の物となり200年以上。平穏な時代での商業的な発展が行き詰まりつつある中で、広大な帝国のあちらこちらで戦乱の火種が燻り始めている。
 その中でもっとも大きな火種となり、そして現皇帝にとって最大の弱点である者が龍冠には存在する。
 警戒厳重な龍冠。その最深部まで潜入を果たした侵入者に対して守備隊長が過剰ともいえる反応を示したのは、いつ内乱が始まってもおかしくない空気を常日頃より感じ取っていたからであった。
 ……彼がこの判断は全くの見当違いであり、むしろ押さえつけられていた火種自らが燃え広がる切っ掛けとなるただの家出だったと知るのはもうしばらく後であった。
















「ぅ……変わった」


 雨の森の中、次々と木や枝を飛び移りながら目的の場所を目指していた少女は周囲の気配から騎士達の配置が変わった事を敏感に察知し、太い枝の上に着地して一端立ち止まり荒れていた息を整える。
 いくら枝その物は太くても、風は強く吹きあれ、雨に濡れており滑りやすく、ましてや右手には先ほど騎士を殴り倒した自分の身長の倍もある長柄を担ぎ、左手で幹を掴んだだけの不安定な体勢。
 だというのに困った顔を浮かべる少女の姿から木から落ちるというイメージがわいてこない。
 不安定な足場でも微動だにしないバランス感覚の良さもあるのだろうが、どうにも野性的な雰囲気が少女からでている所為だろうか。


「これでは半年がかりの私の綿密な計画が台無しだ……無駄に動いてお腹も空いたな。休憩だ」


 待ち望みようやく訪れた春嵐。だが逃亡計画がのっけから躓いたことに少女は不機嫌そうにつりめ気味の目をさらに尖らせて眉を顰めたが、胃がキューと小さく鳴って自己主張したことに気づき息を吐いて少しだけ気を抜く。
 現在位置周辺には木が生い茂っており少し離れている為に遊歩道からは生体探知されずらく姿も見えないと、周囲を見渡して考えた少女は小休止と決めて立っていた枝に腰を下ろす。
 頭と右肩で長柄を押さえつけると、外套の中に左手を突っ込みごそごそと漁る。懐から取り出した少女の手には大きな林檎が一つ握られていた。

 
「むぅ。失敗だったか。もう2,3個持ってくれば良かった。まさか家を出る前に食べることになるとは思わなかったな」


 幼い外見には似合わない尊大な口調で真っ赤な林檎を残念そうに見た少女は雨に濡れる事も気にせず林檎にシャリッとかぶりつきその甘さに今度は年相応の無邪気な笑顔を浮かべる。


「ん。やはり美味しい……探知結界に察知されたのは誤算だったが忍び込んで正解だったな」


 わざわざ地下倉庫に林檎を取りに行かなければ察知される事もなく、もっと楽に逃げ出すことが出来ただろう。だが少女にはそんな考えは毛頭ない。
 旅立つ前に一番の好物である中庭の庭園で採れた林檎を持っていきたかった。これが全てである。
 現にこうやって林檎は手元にあるのだから、その数と早々と食べてしまう事に対する不満はあるがそれ以外は特に気にしていない。
 良く言えば大らか、悪く言うなら大雑把。あまり細かい事にこだわらない所がこの少女にはあった。


「それにしてもどうするか……さすがにさっきみたいな不意打ちは二人相手では無理だな……捕まればミュゼに叱られるし、お祖母様が戻られたらお仕置きされてしまう……大願成就のためにも戻るという選択はありえない……かといって階段回廊の方から人が廻ってくる気配もないか」


 林檎をしゃりしゃりと食べながら少女は捕まった時の未来を考えた。
 従者にして従兄弟の姉に怒られるのもさることながら、普段が優しい祖母が怒るともう一人いる厳しい祖母以上に恐ろしい。その事をよく知る少女は怒りの様を想像しびくっと背筋を振るわす。ましてや守備隊の一人を思いっきり殴り倒した事が知られれば過去最大の怒りを買う事は必須。 
 先の事を考えるなら、今回は諦めて次の機会を伺うという選択肢もあるのだろうが、叱られたくはないという子供らしい思いが少女にもう後には引けないと決意させていた。
 だがそう易々と思うようにいかない事も少女は重々承知している。
 不意をつけたのはあくまでも先ほどの騎士が少女の存在に驚き油断していたからにすぎない。逃げるだけなら後れを取る事はそうそうないが、直接的な戦闘では守備隊騎士達には到底及ばない。
 逃げ続けて引っかき回していればそのうちに業を煮やし下の湖へと続く階段回廊を封鎖している騎士達の一部も追跡に来るだろう。その隙に突破すれば良いという予測も外れてしまった。
 唯一少女にとって有利なのはまだ自分の正体がばれていない事くらいだろうか。
しかし先ほど倒した騎士は通信魔具は壊して縛り付けて森に放置したがいつ目覚めるか判らない。騎士の口から正体がばれたら追っ手の騎士達も、相手が少女なら多少のことなら大丈夫だろうとある意味遠慮が無くなってくる。
 もっと早く階段回廊に近づけていれば他の手もあったかも知れないが、まだここは離宮と回廊の中間点ほど。突破しても突破しても回り込んでくる巧みな騎士達の配置で思った以上に南に下れなかったのが痛かった。


「バレイドめ。頭は硬いがやはりお祖母様が選んだだけあって優秀だ。しかも勝負に出たな」


 騎士達の配置が換わったのは必要以上にこちらを警戒し森に騎士を分散させるのを止めてパ-ティによる連携戦を仕掛けてくる兆候だろうと、守備隊長の慎重でありながら必要とあれば大胆な手も打つ性格から少女は予測する。
 一対多の状況になれば不意を突くのは難しく早々に捕まるのは必至。だが網の目が広がり立て直しが出来ていない今この瞬間が最後の好機である事も事実。


「ん……仕方ない。抜け道と潜伏でいくか……登ったことはあっても降りたことはないが、まぁ私なら何とかなるだろう。ちょっとお腹もふくれたし全力だな」


 まだ幼くあるが明晰で回転の速い頭脳を持つ少女は活路をすぐに見いだし、芯だけになった林檎を名残惜しそうに見てから口に放り込むと立ち上がる。
 目指していた階段回廊へのルートをあっさりと見限り、林檎の芯をポリポリと囓りながら、先ほどまで引っかき回す為にわざと抑えていた移動速度を全力にし、包囲網が再度配置される前に抜けようと強い風が吹き荒れる中を西へと向けて突き進み始めた。


















 
『再発見! っ! さっきよりも速いぞ!? 猿か!?』


『西に向かってる! あっちは崖だぞ!?』


 通信魔具から次々と上がる部下達の驚愕の声に守備隊長は忌々しげに眉を顰めながら水をかき分ける足を速める。
 風雨はますます強くなっている。春嵐本体がもうすぐ其処まで迫っているのだろう。
 先ほどまでは何とか南に抜けようとする様子が見られた侵入者の動きは急に変わった。 こちらが再包囲を完了する直前に姿を現し動き始めたかと思うと、まったく別の方向へさっきほどよりも速い速度で動いている。南側へ抜けるルートへと重点的に配置していた事も裏目に出て網を完全にすり抜けられ追いかける状態。
 だが侵入者が一直線に向かっているのは西側……そちらは断崖絶壁の崖しかない袋小路だった。


『ひょっとして何も知らないで浮遊か飛翔で崖を降りる気なのか?!』


『馬鹿野郎! 魔力吸収域のことなら俺んとこの三歳のガキでも知ってる! そんな訳あるか!』


 龍冠に立ち入る事ができる者は極限られている。しかしその大まかな風景や特徴等は始祖の英雄譚や過去の皇族が描いた風景画等である程度は知られ、魔術が使用できない湖を龍を迎え撃ちながら越えていく始祖達の苦難は吟遊詩人達によく謳われる場面である。
 湖の上空に雲まで届くほどの高さで広がる特殊な領域【魔力吸収域】。ここではよほど膨大な魔力量を持つ存在。それこそ龍でもなければ魔術行使は不可能。そんな事は子供でも知っているといえる。
 浮遊も飛翔も使えず高い崖から身を躍らせるなど無謀の極み。もし無事に降りれたとしても深い為に凍る事はないが雪解け水で出来た湖水は容易く人命を奪うほどに冷たい。


「落ち着け! 逃げられないと悟りを背後関係を探られないために自ら命を絶つつもりやもしれん! それに上級探索者であればこの程度は何とかなる! むしろ森を抜ければこちらの物だ! 油断せずに追い詰める事に専念しろ!」


 慌てふためく部下達に守備隊長は叱咤の声を叩きつける。
 森から崖の間には僅かだが開けた平地があり其処ならば数の有利が最大限の力を発揮する。侵入者の思惑は予想通りなのか、それともまったく違うことか。だがどちらにしてもやる事は変わらないと守備隊長は左腰の鞘を抑えながら森の出口へと続く遊歩道をひた走る。


「……っ! 危ね! 根が張り出してる! 後ろ! 気をつけろよ!」


「……っちだ! 違う! 左前方! そっちの裏側に抜けた!」



 徐々に森の木々の向こう側に幾つもの灯りが浮かび、通信魔具越しではない怒声や罵倒が聞こえてきた。
 森の出口へと近付く事に徐々に騎士達が集結している。それは侵入者が徐々に近付いているということでもある。
 走りながらも息を整えいつでも抜刀できる体勢を作った守備隊長は森を抜ける。 
 防風林である森を抜けると風はより強く吹き荒れており、木々に遮られていた大きな雨粒が音を立てながら守備隊長の軽鎧にぶつかっていく。途切れなく落ち始めた雷光が周囲を真昼のように明るく染め始めている。
 天候は最大に荒れ始めている。大陸中を蹂躙した春嵐がついに龍冠直上に到達したのだろう。
 

「其処までだ! 動くな!」
 
 
 崖の直前で足を止めて立ち止まり雷光に照らし出される小さな侵入者の背中に向けて守備隊長は抜刀して警告の声を発する。
 だが侵入者は守備隊長の警告には何の反応もせず長柄を肩に担いだまま湖を見ている。
 諦めたのか、それとも何か企てているのか。
 その背中からは窺い知ることは出来ない。


「半包囲陣! 距離はこのまま!」


 彼我の距離は20歩ほど。距離を保ちながら守備隊長は侵入者の出方を見る。
 次々と森を抜けてくる騎士達は守備隊長と同等の距離の半円形の配置についていく。多方向からの同時攻撃を捌ける者などそう多くはいない。
 最後の騎士が森を抜けて配置につき包囲網が完成する、と同時に侵入者が突如振り向いた。
 騎士達が一斉に身構える中、侵入者の声が響き渡る。


「ん。やはりお前達は優秀だな。ここまで追い詰められるとは思わなかった。これなら安心して去ることが出来る。だから褒美だ。ミュゼに手紙を残した以外は誰にも何も言わないつもりだったが別れの挨拶をする事にした。感謝しろ」


 雷鳴轟く中にも朗々と響く幼くも通る声とそれには不釣り合いな傲岸不遜な物言い。
 それは騎士達にはあまりにも聞き覚えのある者の声と話し方だった。その正体に誰もが一瞬で気づき呆気にとられ声を失う。
 彼等が必至で隠し通してきた秘匿存在。帝国の命運を握るといっても間違いではない少女。
 予想外の事態に守備隊長も動けずにいる所で侵入者は顔を隠していたフードを脱ぎ捨てる。
 黒檀色の艶のある黒髪と少し吊り気味の勝ち気な目に浮かぶ同系色の瞳で騎士達をぐるりと見回すその顔には楽しげな笑顔が浮かんでいた。


「私の事情は皆知ることだな。だからあえて何も言わん。とにかく私は生まれ変わることにした。だからこの姿で会うのはこれで最後だ。バレイド。お祖母様達のことは任せたぞ。お前なら信頼できる。あぁ、それとデュランは森に転がしてあるから拾ってやれ。武器代わりに持ち出した燭台で思いっきり殴り倒したが、蝋がクッションになったから死んではいないだろう」


 妙にサバサバしているが遺言めいた物を一方的に言い切った少女はくるりと騎士達に背中を向けると遙か眼下の湖へと目をやり、そしてあっさりと崖に向かってその身を投げ出した。


「「「「「「「っ!」」」」」」」


 予想外の事態に固まっていた騎士達が思わず息をのみ、幾人かはとっさに少女が身を投げた崖に駆け寄ろうとする。その先頭は守備隊長である騎士バレイドだ。
 何としても助けようと自然と身体が動いていたのだろう。


「くっ!」


 しかし突如目の前が明るく染まったかと思うと間髪入れずに衝撃を伴う轟音が響き渡り、バレイドの身体は吹き飛ばされていた。


「っ! なんだ今のは!?」


「お、おそらく。雷です! けが人はいるか?!」


 とっさに動かずにいたために被害を免れた騎士の一人が答え、同僚の無事を慌てて確かめる。
 少女が身を投げ出した崖。まさにその位置に巨大な落雷が降り、騎士達の接近を阻んでしまったのだ。
 

「雷だと。なぜこの瞬間に」


 衝撃で痺れる身体を無理矢理に力を入れて立ち上がったバレイドは空を見上げる。
 いつの間にやら雨は止んでいる。それどころか天を覆い尽くしていたはずの黒雲は忽然と姿を消し、雲一つ無い満天の星空と白く染まる月に照らし出される夜空が姿を現していた。
 嵐の残滓は周囲に残る水と未だ強く吹き荒れる風だけ。今年の春嵐も龍冠直上で忽然と姿を消してしまった。
 それと同じように少女もまた目の前から姿を消してしまった。
 

「なぁ……夢じゃねぇよな。あれって。まさか絶望して命を断たれたってことなのか」


 誰もが続いた異常事態に呆然とする中、腰が抜けたのか座り込んでいた一人の騎士が声をあげる。
 少女の最後の物言いと状況は自殺したと思わせる。だが言葉を発した騎士本人も信じられないといった表情を浮かべていた。


「んなわけあるか! 自分から命断つような性格か!?」


 同じように倒れていた隣の騎士が立ち上がりながら怒声をあげる。理不尽すぎる状況に抑えきれない怒りがわいているのだろう。


「だがよ。ここ一年間の間に起きたこと考えてみろよ。お母上亡くした上に出生の事まで知ったんだぞ。その上魔力も瞳の色も無くして、かなり落ち込んでただろ……万が一って事も……悪い。やっぱ無いわ。そうなると何時ものアレか」


 倒れ込んだ拍子に泥だけになった軽鎧を手で拭う騎士が溜息混じりの声で呟くが、少女の性格を思いだしたのか途中で意見をひるがえし、ある事に思い当たる。
 一応は不敬罪に当たるので言葉を濁しているが、それは少女の代名詞ともいえる特徴だった。


「アレだろ」


「アレだな」


「どうにかならんのか突き抜けたアレっぷりは。つーか助かる目算あったのか。ここから飛び降りて」

 
 ここにいる者達は皆、幸か不幸か少女の能力と性格をよく知っている。
 傍若無人で傲岸不遜。常に強気一辺倒で引くことを知らない猪突猛進ぶり。そして年齢離れした異常なまでの戦闘能力と、それすら霞むほどの異常思考。
 世界に絶望して死ぬくらいならば、世界中の自分が気にくわない者を全て斬ればいいと真顔で宣う少女ならば、どのような状況であっても自ら命を絶つという事は有り得ない。
 崖から飛び降りても助かる確信か方法があったのだろう。少女だけに通用する思考の中では。
 ここにいたり少女が何時もの特徴的な行動に出たのだろうと全員が一斉に考えどうにも抑えきれない溜息を一斉に吐き出すとバレイドに目をむけた。


「すぐに帝都の陛下……はまずいな。カヨウ様に詳細連絡。ケイネリア様が過去最大の”アレ”な事をしでかしたと。それで伝わる」       


 少女の特徴。それは常人離れした肉体能力と卓越した頭脳を持ちながらある事情からあまりにも一般離れしてしまった思考に基づき、他者には理解できない独特的すぎる行動を起こす事にあった。
 端的に言えば少女は”バカ”である。それも過去に類を見ないほどの。

























 初めましての方。お読み下さりありがとうございます。
 そして旧作より引き続きご愛顧いただけます方。誠にありがとうございます。
 掘り下げが足りないと消去して再投稿という更新停止フラグが立ちっぱなしですが何とか序は終わりました。
 いろいろ設定が出ていますが細かいのは作中でそのうちに。
 キャラだけ掘り下げるつもりが、世界設定を掘り下げたり、統一言語の設定やら広がった理由、金銭価値の見直し等々と全体的に手をつけた上に、異世界物の別作も書くと趣味全開になっておりました。
 序①の誤字脱字の山に脳が止まってるなと思いつつ、ご指摘に大変感謝して修正いたしました。今後も容赦なくご指摘いただけると助かります。

 次は迷宮のある大陸へと移動して本格スタートの予定です。
 タイトルは【剣士と薬師】の予定で砂漠迷宮が舞台の話となります。
 旧作をお読みの方なら誰が出てくるか何となく判ると思いますが突っ込みは無しの方向でw
 もう一人の主人公。女主人公に匹敵する天才にして遙かに上を行く異常者たる鍛冶師見習いのエピソードもいくつか入れつつまったりいきますのでお付き合いいただければ幸いです。


 稚拙な小説ですがお読み下さりありがとうございます。
  



[22387] 剣士と薬師 ①
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:4e98e308
Date: 2010/10/16 23:14
 太古の神の一柱にミノトスという神がいる
 生命に試練と褒賞を与える迷宮を司るミノトスは常に悩みを抱えていた。
 いかに趣向を凝らした悪辣な罠を仕掛けようとも凶悪なモンスターを徘徊させようとも一度踏破されたダンジョンはその意義を失う。
 難敵を攻略する為の情報が飛び交い迷宮の秘密は暴露され略奪された宝物が戻る事はない。     
 何千、何万の迷宮を製作し、やがて彼は一つの答えに到達する。
 そしてその答えを、長い年月をかけ、形として作り上げた。
 それこそが『生きる迷宮』 
 街を飲み込むほど巨大な蚯蚓が複雑に入り組んだ主道を作る。
 地下を住処とする種族がその穴を通路へと変え、末端を広げていく。 
 迷宮から持ち出された宝物は、所有者の死亡や物理的な消失に伴い、神力、魔力の粒となり大気へと消えやがて、風や水に運ばれて迷宮に再び舞い戻り宝物として再生する。
 神域へと近づいた職人や理を知る魔術師。異なる世界を観る芸術家。彼らによって生み出された新たなる宝物には、神印と呼ばれる記章が浮かび上がりやがて運命に導かれるように迷宮へとたどり着く。
 数多く存在する宝物が放つ神力、魔力に魅了されたモンスターが自然に集まり、大規模な群れを形成し異種交配を重ねて新たな種族が生まれていく。
 その存在が世に知れ渡って既に千年以上。 
 いまだ拡張を続け、古き宝物が戻り、新しい宝物が発生し、太古より生き続ける伝説のモンスターが徘徊し、日々図鑑にも載っていない未知の種族が生まれる。
 世界で唯一の生きたダンジョン。そこは【永宮未完ミノトスの宝物庫】


















 トランド大陸は世界でもっとも大きな大陸である。
 北は年中凍りつく極寒の海に接し、南は赤道を少し超えて南方のルクセライゼン大陸との間に狭い海峡を作るまでに南北は長く、東の端から西の端まで歩けばそれだけで世界を半周した事になるほど長大だ。
 広大と呼ぶのが馬鹿馬鹿しくなるほどにひたすらに広い広いトランド大陸。ここは別名【大陸迷宮】とも呼ばれている。
 その理由は数多くの迷宮があるから…………ではない。厳密に言えばトランド大陸に現存する迷宮は一つしかない。その迷宮こそが【永宮未完】と呼ばれし迷宮神ミノトスの手による迷宮である。
 大陸の隅から隅まで根を広げる永宮未完は、地上、地下だけでは飽きたらず果ては天空までも迷宮化させ、日々拡張し形を変え続けている。その規模は大陸その物が迷宮と言ってもあながち大袈裟な表現では無い。
 大陸のあちらこちらに特徴が大きく異なる迷宮が群をなし、到る所に迷宮への入り口が口を開いている。
 迷宮への入り口近くには迷宮探索によって富や名声を得ようとする者達、所謂探索者達が集まり、彼等に物資を売る商人や武具を整備する職人達が商店や工房を開き、彼等が持ち帰る迷宮資源による利益によって其処に街が出来て、やがては国へと発展していく。
 迷宮に隣接し発展していった拠点都市は大陸中に数え切れないほどある。
 トランド大陸内陸部。世界地図でも下手な島より大きく描かれるほどの砂の大海【リトラセ砂漠】と其処に存在する砂漠迷宮群に隣接したオアシス都市ラズファンもそんな拠点都市の一つである。
 南方の山岳地帯で降った雨が地下に染み込み長い年月をかけて岩砂漠の一角に湧き出る。湧き出るその水量は年に雨の降る日が一,二回という極乾燥地帯にあるラズファンに【水都】と異名を与えるほどに膨大であり、過去にはこの都市の所有権を巡り幾たびも戦争が起きている。
 だがそれも昔の話。今はラズファンとその周辺地域は戦争という一点のみで考えれば平和その物といっていい。
 その理由は全世界の国家に対して大きな影響を持ちつつも国の大小に関係なく中立的立場をとるある組織がこのオアシス都市を運営管理しているからに他ならない。
 組織の名はミノトス管理協会。迷宮へ潜る探索者達の支援及び迷宮資源を一元的に管理する巨大組織である。
 迷宮資源の転売や高い加工技術による商品製造などで潤沢な資金を誇る管理協会直下のラズファンでは税率が極端に下げられており各種娯楽施設も豊富な事もあって、探索者のみならず個人旅行者や団体観光客、大陸中を行き来する交易商人や大キャラバン隊が日々訪れる活気ある都市としてますます発展していた。
 そんなラズファンの南噴水広場は夕食一回分ほどの手数料を払えば、誰でも三日間の間店が開ける自由市が開かれている。
 自由市といっても馬鹿には出来ない。日中は外を出歩くのも嫌になるほど熱くなる砂漠の都市にとって、露店商のチャンスは朝と夕方の涼しい時間帯に限られる。
 短い時間に少しでも多くの客が来るようにと皆が考えるために多くの商売人が集まり、この自由市には日用品から食料品、そして砂漠越えのための道具や武器防具などまで多種多様の商品が並んでいる。
 そしてファランズの自由市には店を開く資金は持たないが目利きの若手商人が仕入れてきた値段が安い割りには優良な品や、新進気鋭の職人が作り出した新規技術を用いた試作品等、所謂掘り出し物が時折出てきたりもする。
 その反対に低品質な品や形だけ似せた模造品がゴロゴロしているといった一面もあるが、だからこそ白熱した値段交渉や、喧嘩腰の真贋論争が市場のあちこちでやり取りされ、ラズファンの中でも、もっとも活気に溢れている地域の一つといって良いだろう。
 そんな市の北の角。武具を売る者達が自然と多く集まって、まるで世界中の武器を集めた展示会の様相を呈している見た目から通称【武器庫通り】と呼ばれる場所に店を開いた一軒の露店の前でも、朝も早くから店主と客が激しいやり取りを繰り広げ衆目を集めていた。




 
「てめぇには無理だ! こいつは売る気は無いって言ってるだろうが!」


 周囲一帯に強い怒鳴り声が突如響く。
 その怒鳴り声に露店を息子に任せて、奥の方で折りたたみの椅子に腰掛けうつらうつらと船をこいでいた老人が目を覚ます。
眠りを妨げられた老人は凝り固まった肩をごきごきとならしてからタバコを取り出し火をつけると、聞こえてくる怒声を肴に煙を上手そうに吸い始める。


「またクマの所か。あいつ客の選り好みが激しいからな。商売気あるのかね。ふぁぁぁ……あいつの顔で怒鳴られたら客が逃げるじゃねぇか」


 聞こえてくるのはクマという通称にあった外見を持つ交易商人仲間の声だけだ。
 相手の客の声が聞こえてこないのは怖がって声も出ないのだろうと老人は欠伸混じりに煙を吐き出しながら考える。
  

「商売気って人の事は言えんだろ親父。居眠りしてる暇があるならクマさん所にいって仲裁してきてくれ。あんまり騒ぎ起こしてるとうちの商隊そのうち出入り禁止になるぞ。店は俺が引き継いだけど商隊長は親父だろ」


 メモを手に客の応対をしていた二代目である老人の息子が持っていた鉛筆を振って、とっとと行ってくれと催促していた。 
 店主と客の喧嘩一歩手前の交渉は市の名物だがあまり度が過ぎると警備兵に目をつけられる。
 人脈を財産とする交易商としては大店との取引だけでなく、こういった市での個人客との関係も大事だと息子達に教えたのは老人自身であった。
 その手前、市の出入り禁止も困るし自分の客をほっぽり出して仲裁にいけとは息子や近くの仲間にも言えない。


「やれやれしゃあねぇな。いってくらぁ」


 結局半隠居状態の老人本人しか適任がいない。タバコの煙と溜息を吐き出すと老人は面倒そうに立ち上がった。




 

 





「おう兄ちゃんごめんよ。関係者だ。通してもらうよ……っておいおい。なんだよクマの奴は。あんなおちびさん相手に大人気ねぇな」


 飄々とした態度で騒ぎが起きている露店の前にできた見物人をかき分けて一番前に出た老人は、その喧嘩を見て咥えタバコで呆れ顔を浮かべる。
 投擲用、狩猟用と用途別になった各種ナイフや革製の小手が移動式のケースに並び、その横の簡易台には長さと太さが微妙に違う一般的なロングソードや、小さめのスモールシールドの類。
 後ろの方にある頑丈な作りの組み立て台には長槍やぶ厚い両手剣が立てかけられている。
 露店の一番手前には簡易机とその上には商隊が共同で借り受けた短期倉庫に預けてあるかさばる防具や武具の記載されたカタログが置かれたオーソドックスな構成。
 そんな武器露店の真ん前で四十ほどの日に焼けた浅黒い肌の店主が額に青筋を立てて怒鳴っていた。
 筋肉質の大男で獣の爪痕の二筋の傷が頬に平行にはしり、その体格と爪痕から仲間内ではクマと呼ばれており、体格に似合った大きすぎる声はよく響き騒々しい武器庫通りでの客寄せには良いが、喧嘩となると途端に悪目立ちしていた。
 一方その相手はというと砂漠越えの旅人によく使われる日避けの厚い外套に全身を覆い隠している。
 全身が隠れているために種族は判らないが、身長は怒鳴っている店主の半分ほどしかない。それほど小さい。いくら店主が大柄と言ってもあまりに差がありすぎる。
 成人しても人の子と同じ大きさにしかならない種族は数多くいるが、長年交易商人として数多くの種族と関わってきた老人の勘が、その立ち姿から想像できる骨格や見せる仕草で中身は人間だと言っている。
 人間であの大きさではまだ中身は年幼い子供だろう。
 己の技量を考えずに高い武器をほしがる子供は武具一筋の店主が一番嫌うと知っている老人だったが、もう少し穏便に諭せないのかと呆れていた。


「あーそうでもねぇぞ爺さん。あれが相手じゃ怒るの無理ねぇわ。むしろ殴らねぇから人間種は我慢強いって感心してた。俺等の種族ならとっくに殴り合いだ」


 老人のぼやきを聞いた隣にたつ獣人の若者が話しかけてくる。
 どうやら若者は最初の方から見ていたらしいが客よりも店主の方に同情しているようだ。


「どういう事だい獣人の兄ちゃん?」


「見てりゃわかるよ」


 尖った爪先で獣人が指し示した小さな客は、店主が浮かべる剣呑な色を含んだ鋭い視線に臆する様子も見せず真正面から向き合っていた。
    








「とっと失せろ!」

 
「お前が売ったらすぐに去るぞ。急いでいるからな。それとさっきから気になっていたんだがあまり大声を出すな。周りに迷惑だぞ」


 大の男でも震え上がりそうな店主の怒声に対して、小さな客はまったく動じる様子もなくむしろ煽るような内容を口にする。
 客の声は口元に巻いた砂避けのスカーフでくぐもって濁り男女の区別がつかない。だが煽るというよりも本人的には本気で忠告しているような雰囲気が声の何処かにあった。
 それがさらに店主の怒りを刺激する。


「ぐっ……迷惑なのはてめぇだ! あぁ! どう考えてもでかすぎるだろうが! 無理に決まってる! さっきから延々言ってるだろうが! 商売の邪魔しやがって!」


「邪魔ではない。お前の店で買ってやろうというのだぞ。感謝してとっとと私に売れ」


「く、口の減らないガキが!」


 何を言ってもすぐに言い返してくる相手に店主は苦々しげに歯ぎしりする。
 恐ろしいのは傲岸不遜すぎる物言いに人を小馬鹿にしていたり、無理して使っている感じがない事だ。
 普段から素にこのような傲慢な口調を使っている子供など大貴族の子弟でもそうはいない。よほど甘い親に我が儘放題に育てられたのだろう。
 しかし貴族の子弟と考えるには妙な事もある。その服装はいつ洗濯したのかも判らないほどの汚れた外套。とても金を持っているようには見えず、これだけの騒ぎになっているのにお付きの従者の姿も見えない。
 その事から目の前にいるのは没落した貴族の子弟ではないかと、怒り心頭ながらも商人として何とか残していた冷静な一面で店主は勘ぐる。
 迷宮で一旗揚げて没落したお家再興でもしようとしている世間知らずの元貴族子弟と予想していた。
 ここで一つ言っておこう。この店主は別に貴族が嫌いで武器を売らない訳ではない。
 武具を扱う交易商人として各国を回る店主もお得意様としての貴族も僅かながら抱えている。
 そして潰れた家の復興を他人に頼ったり神に祈るのではなく、自ら頑張ろうとする貴族がいれば応援しようと思う熱苦しい昔気質な所がある男である。
 ではなぜ売らないのか?
 それはこの男が武具商人として、一端の矜持を持っているからに他ならなかった。


「おうクマ。あんまり騒ぎなさんな。良い気持ちで寝てたのが叩き起こされたじゃねぇか」


 どうすればこの生意気な客をやり込めるかと沸騰していた頭で考える店主に対して、ゆったりとした落ち着けと言わんばかりの声がかけられる。
 それは店主が所属する商隊の長であり商売の師匠でもある老人の声だった。











「親方! あんたからも言ってくれ! この糞ガキにてめぇじゃ扱えないって!」

    
「む……おい。お前はこの男の知り合いか。私は忙しいんだ。早く剣を売るように言ってくれ」


 相手の怒りを意にもしない客に良いように振り回されている店主を見かねて声をかけた老人ではあったが、老人の顔を見るなり懇願してきた店主と、店主の糞ガキ呼ばわりに多少気を悪くしたようだがあくまでも剣を買う事にこだわる客が同時に詰め寄ってきて、二人の圧力を持った真剣さに思わず後ずさる。


「まてまて。クマもお客さんも。俺は今来たばかりでさっぱり見当がつかないんだがどれを売る売らないで揉めてるんだい? 店頭のかい。それともカタログかね」


 まずは何で揉めているのかしっかり聞き取らないと仲裁のしようもない。店主は弟子であり商隊仲間でもあるが、なるべく中立な仲裁役に徹しようと二人を落ち着かせるために老人はわざとのんびりとした声で尋ねる。


「「あれだ!」」


 老人の問いかけに二人が異口同音で答えて店の奥を指さす。
 二人の指さす先には組み立て式の頑丈な台に立てかけられた剣が一振り。
 片手持ち、両手持ち両用剣バスタードソードであった。鋼で出来た鈍く輝く長い刀身は斬り突きの両様に適した形状となっており、持ち手に合わせて柄も長くなっている。


「…………あれか」


 剣をまじまじと見た老人は客を見て、もう一度剣を見る。
 生粋の両手剣であるクレイモアーやトゥハンドソードに比べれば、バスタードソードは多少は短いが、柄から切っ先までの長さを合わせれば目の前の客とほぼ同等の長さはあるだろうか。
 しかも重さもそれなりにある。ただ持ち上げるだけならともかくとして、それで戦闘をやるとなればかなりの筋力を必要とする。外套に隠れて見えないとはいえ、どう見てもほっそりとした……幼児体型といっても差し支えないその身体に必要な筋力があるとは思えない。
 目の前の客がもしかしたら駆け出しの探索者であれば、闘気による身体能力強化で振り回すことは出来るのだろう。しかし身長と同等の長さの剣は扱いやすいのかと聞かれれば、商人としての絶対の自信を持って否定できるほどに無謀だ。
 つまりこの客には両手剣の類はもっとも不釣り合いな選択肢といっていい。
 そしてここの店主は客に会う武具を売る事を信条としている。どう言っても売らないだろうし、老人が同じ立場であればもう少し言い方を変えて別の剣、体格に合った小振りなナイフやショートソードを勧めている。
 周りで見ていた見物人が店主に同情的なのも、どう考えてもこの客の方が無理難題を言っていると判るからだろう。


「あれはそこそこにいい品だ。この店の質も他に比べて大分良い方だ。だからここなら良いと思い買おうとしたのに店主が売ってくれなくて困ってるんだ。説得してくれ。あの剣がほしいんだ」


 しかし唯一この客だけはそうは考えていないようで、本気でバスタードソードを欲しがっているのが老人には判る。
 店主もそれが判っているのか、どうにかしてくれと目で老人に訴えかけている。
 本人が欲しがっているなら何でも売ってしまえばいい。それは利益だけを求める二流の商人がやること。これが老人の商売学であり彼等の商隊での教えである。
 あくまでも顧客に適した物を。それが武器防具と直接命に関わる物ならなおのことだ。それで売った客が死んだとあれば、商人としての名折れであり信頼にも関わってくる。
 あの商人は欠陥と判っていて客に売ると悪評でも立てられれば、失った信頼を取り戻すのにかかるのは膨大な時間と手間が掛かる。
 売らないという店主の選択は老人的にも正解なのだが、この客はそれでは納得できず、店主と揉める事態になったようだ。
  

「お客さん、一応尋ねるんだが誰かに頼まれたのではなくて、ご自分でお使いになるおつもりかい」


「当然だ。自分の命を預ける剣を自分で選ばない剣士がどこにいる? 私が使うに決まっているだろ。細い剣だと私はすぐに叩き折ってしまうから頑丈そうなあの剣がほしい。ん……そうだ。出来れば二本くれ。予備だ」


 至極当たり前とばかりに小さな客が胸を張って答える。
 長年客商売をやっている老人は相手の話し方だけでその真意や嘘をある程度なら見分けることが出来た。   
この小さな客はほぼ本心で喋っている。身の丈ほどもある剣をちゃんと使う事ができてしかも頑丈でぶ厚い剣でないとすぐに叩き折ってしまうと困っている。本人が妄想の中だけで信じ切っているだけなのかも知れないが。


「あー…………長くて重すぎないかね。あれは」


「む。お前も同じ事を聞くのだな。だからこそ良いのではないか。私は背が低くて手足もまだ短い。長さの分だけリーチが伸びるし、重さがあれば斬る時に力を込めやすくなるからな。丁度良いあの剣がほしい」


 老人の問いかけに対して客からは先ほどからほしいの連発の即答が続く。
 ここまで来ると嫌がらせや冗談の類では無くて、この客は本気で欲しがっており、無理だから諦めろと説得するのは難しいと認めるしかなさそうだ。


「判った。少し待ってもらえるかいお客さん。売ってくれるようにクマを説得するんで」
 

「いいのか。助かる。礼を言うぞ。ありがとう」


 愛想笑いを浮かべる老人が快諾したと思ったのか小さな客は深々と頭を下げて礼を述べる。口調は傲岸不遜だがその謝辞の礼儀は何処か堂々としていてかつ上品であった。 
 だがそれでは納得がいかないのは店主の方であった。味方になってくれると思った老人がまさか売れと言ってくるとは思わなかったのか慌てて詰め寄ってくる。


「親方! 説得ってどういう事だ! いくらあんたの仲裁でも今回ばかりは」


「判ってるよ。耳貸せ…………この客の説得は無理だ。搦め手でいくんだよ。教えただろ」


 咥えタバコの老人は慌てるでもなく店主の首を掴むと耳打ちする。


「クマ。お前さんは値札を出してなかったよな。ちゃんと武器の価値を見られる客に売りたいなんて青臭いこと言ってよ、交渉ん時の初値を客に決めさせてたな」


「あぁ、そうだけど勿論赤を喰うような商売はしてねぇからな。才能ある若いのにはちょっとばかし安く売ってやるだけだぞ」


 客自身にまずは値段を決めさせて、その提示した値段から客の武器を見る目やどのくらい欲しがっているのかを判断して、それから値段交渉に臨むというのがこの店主のやり方。
 だから店に並ぶ商品もカタログにも値段の類は一切提示されていない。
 これでは客が寄りつきにくいとは思うのだが、店先に並ぶのは店主が選んだ良品ばかり。自然と目の肥えた価値の判る客が集まり、半年に一回で廻ってくるこの自由市でもそれなりの常連を掴んでいた。
 

「あんまり客を選り好みしない方がいいんだけどよ。それはともかくだ。俺の見たところあの剣の仕入れは金貨で四枚って所か? それで何時ものお前さんなら交渉で十枚前後辺りの売値にするだろ。だが今回はお前が値段を決めろ。買う気が起きなくなる程度の高値でな。買う気だけはあるお客を商売を妨害されたって警備兵に突き出すわけにもいかんだろ。自分からご退散願うのさ」
 
 
「なるほど……さすがは親方。面倒な客の扱いは慣れたもんだな」


「てめぇが下手なだけだ。この程度そこらの若造でもすぐ思いつくんだよ。とっとと騒ぎ納めろ。それとあとで周りに詫び入れとけよ。同業に恨まれると商売がやりづらいからな」


「任せろ親方」


 吹っ掛けて追い払っちまえと囁く老人の言葉に合点がいったのか、店主は小さく頷くと内緒話を切り上げて客の方へ向き直る。


「ガキ。売ってやる……ただし共通金貨で百枚だ。一枚たりともまけねぇからな」


「おいおい。いくら何でもそいつは」


「共通金貨が百もあったら一年は遊んで暮らせるぞ」


「……吹っ掛けすぎだ。相手が買うのを諦める程度に抑えろってんだ馬鹿野郎が。それじゃさっきまでと同じだ」


 買える物なら買ってみろと言わんばかりの獰猛な顔で睨みつける店主の口からでた値段に周囲がざわつき、背後の老人がこりゃぁ長引くなと煙と共に溜息を吐き出す。
 トランド大陸のほぼ全域で使われる共通金貨だが、それが百枚などよほどの高額取引でも無ければ出てくる金額ではないし、人混みに溢れたこの自由市でそんな大金を持ち歩いている不用心な者がいるはずもない。
 店主の発言は売る気はないと言ってると同じような物である。
 一方肝心の客の反応と言えば提示された値段に腕を組んで何も答えようとはしない。異常すぎる高値に呆気にとられているのか、馬鹿にされたと怒りのあまり声も出ないのだろうかと反応を見守っていた誰もが思った。だが違った……


「ん、百か…………二本は無理か…………それに足が無くなるが、何とかなるか。よし買った。丁度百枚入っているから受け取れ」


 少しだけ悩んだ素振りを見せていた客はあっさり頷くと外套の中に手を突っ込み腰に下げていた革袋を二つ取り外して簡易机の上にどかっと乗せる。
 二つの革袋には大陸全土で信頼のある銀行の屋号焼き印が刻印され、共通金貨五十枚と書かれた保証書付きの封印が厳重にされていた。


「一つ開けるから中身を確かめろ」


 客は躊躇う様子もなく革袋の一つに手をかけるとびりびりと封を破って口を開く。ずっしりとした重そうな革袋の中に満帆に詰まっていたキラキラと光る金貨が机の上に音を立ててこぼれ落ちていく。
 無造作に置かれた大金に店主は声もなく固まり、周りの見物人も静まりかえる。飄々としていた老人も口に咥えていたタバコが地に落ちたのに気づかず唖然としていた。
 老人もやり手の交易商人として長年商売をやっているが、いくら良品とはいえ魔術付与もされていないただの新造剣に金貨百枚を出すような者は見たこともなかった。 
 みすぼらしい外套を纏った客が惜しげもなく大金を支払う。誰もが白昼夢を見ているかのような現実感の無い光景に言葉を無くす。


「もらっていくぞ」


 しかし当の客本人は平然とした涼しい声で言い切ると、固まっている店主達を尻目に勝手に露店の奥へと進むと、背伸びして手を伸ばし棚のバスタードソードを外すと、横に合った付属の鞘にボタン式のベルトで固定する。


「まったく余計な時間を食った。剣を一振り買うだけで何でこんなに苦労しなくてはならないのだ」


 身長ほどある剣を背負うのは無理だと判断したのか柄を右手に持ち肩に担ぎあげ、ようやく用事が終わったと文句をぶつぶつと言いながら早々に去ろうとする。その背は何処か急いでいた。
 

「ま、まて! おい! 勝手に! 持ってくな! 偽金かどうか確かめてもねぇぞ」


「クマ……こりゃ本物だわ。革袋も中身も。あの銀行は協会関連で管理がしっかりしているから偽が混じることもない。共通金貨で一袋五十。2つで百。きっちりあるぞ」


 慌てて呼び止めようとした店主の横で、未開封の革袋とこぼれ落ちた金貨の一枚を手にとってしげしげと見ていた老人が驚きの声を上げる。
 身につけている外套は薄汚れているが、どうやらこの客は相当な金持ち……それもバカな金の使い方をする放蕩家なのかもしれない。


「本物なのは当たり前だ。その銀行は信頼があると聞いている。それに先ほど開店と同時に受け取ったばかりだからな。一枚たりとも使っていないぞ」


 呼び止められた客は振り返る。疑われるのが心外だと言わんばかりに答える胸を張ったその様子は小さな体格に似合わず何処か偉ぶっているようにも見える。


「くっ! 自分の姿を見てみろ! あんたはそいつを肩に担ぐのがやっとじゃないのか?! 使えない武器を持ってて死なれたとあっちゃ売った側の俺が商人として納得いかないんだよ! だから頼む! その剣はやめてくれ! 他のあんたの体格に適してる剣ならいくらでも安く売るからよ!」


 使いこなせるはずもない長大な剣を売るなど出来ないという商人としての矜持が頑固な店主に頭を下げ、先ほどまで怒鳴っていた客に対して頭を下げ懇願するという最後の手段を使わせる。
 しかしそんな店主の言葉に顧客は少し不機嫌そうなうなり声を上げた。
   

「む……しつこいぞ。私の技量を疑っているのか。なら良い。見せてやる」


 客は左手を外套に突っ込んだかと思うとごそごそと漁って何かを取り出し、店主に向かって見せつけようとその手を突きつける。
 客の手の中には硬い殻に包まれた小さなクルミが一つ握られていた。
 このクルミで何をしようというのか? 
 店主や老人。そして周囲の見物人の疑問の視線がそのクルミに集まるなか、客は手首のスナップで小さなクルミを高々と真上に放り投げる。
 周囲の者達の目が思わずそのクルミの動きに合わせて上空を見上げた瞬間、バチバチと何かが弾け飛んだ音が聞こえる。
 それは剣を固定していた鞘のベルトを留めるボタンが弾ける音。店主や老人達が音の正体に気づくのよりも早く彼等の視界の中を黒い影が走り抜け、微かな風斬り音が響く。
 圧倒的な速度で通り過ぎる影が空中に浮かんでいたクルミを真っ二つに断ち切った事に気づいたの者は、数多くの見物人のなかでも動体視力のよい獣人や現役の探索者達などごく僅か者達だけだ。
 大半の者は次に響いた声で何が起きたのかを知る事になる。
 
 
「まったく……私の腕を疑うとは失礼な奴だな」


 幼くもよく響く声が響く。
 その声の主はいつの間にやら抜き身となったバスタードソードを右手一本で軽々と構えた小さな客。その左手には真っ二つになったクルミが握られていた。


「……お、女?」
 
   
 剣を振るった勢いで外套のフードが外れたのだろうか、露わとなった客の素顔をみて見物人の一人が唖然と呟く。
 少し吊り気味の勝ち気な黒眼と、あまり手入れをしていないのかぱさぱさした質感の長そうな黒髪を首の襟口から無理矢理外套の中に突っ込んでいる。
 口元に巻かれた砂避けのスカーフの所為で下半分は隠れているが、十代前半の少女……それも整った造型の見目麗しいというべき顔が姿を覗かせていた。


「これで今度こそ文句はないな。私は忙しいんだ。余計な手間を取らせるな」


 左手で掴んでいた真っ二つに割れたクルミを机の上に放り投げた少女は地面に落ちていた鞘を拾い剣を鞘に仕舞っていく。
 机の上に置かれたクルミの殻にはヒビ一つ無くただ真っ二つに断ち切られている。
 小さく硬い殻に包まれたクルミを叩き割るのではなく綺麗に両断し、しかも弾き飛ばさず真っ直ぐに手元に落として見せた。それも自分と同じ長さの剣を用いて。
 その卓越した腕と人混みで混雑した通りのど真ん中でいきなり剣を振るう非常識さと合わせて信じがたい物であり、誰もが凍りついて何の反応も示すことが出来ずにいる。


「だがやはりそこそこに良い剣だったから特別に許してやる……ん。そうだ店主。ついでに一つ忠告をしてやろう。心して聞け」


 右肩に剣を担ぎ直した少女は凍りついた周囲の様子を気にも止めず去ろうとしたが、一端立ち止まって呆然としている店主の顔をまじまじと見つめた。
 



[22387] 剣士と薬師 ②
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:4e98e308
Date: 2010/11/16 23:07
「赤毛の姉ちゃんよぉ。俺はよまだ街で店を構えてないが交易商人として真面目に真剣に商売してたんだよ……それがよぉ、あんな小娘に虚仮にされたんだぞ。判るか俺の無念さ…………クソ。全然酔えねぇ……マスター! もう一杯!」


 酒場奥のカウンター席に腰掛けて赤ら顔でオイオイと男泣きしながら愚痴をこぼしていた酒臭い大男は大ジョッキをの麦酒を一気に煽り飲み干して、空になったジョッキを叩きつけるように置いて次の酒を注文した。 


「しかもよぉ。最後の最後に吐きやがった捨て台詞! 何つったか判るか姉ちゃん?」


「あぁー…………はいはい。なんて言ったのかお教え願えますか?」


 泣く子と酔っぱらいには逆らうな。
 理屈が通じない相手に対してはともかく合わせてしまえと、右隣に座る赤毛で長身痩躯の女性がうんざりした顔でおざなりながらも大男に続きを促す。


「『武器屋として大成する気ならば人を見る目を養った方が良いぞ』だ! 俺の半分も生きてなさそうな小娘だぞ! 俺は十六の時から三十年、三十年だ! 武器屋として客に関わってきたんだぞ! 少しでもそいつに適した武器をって何時も考えてるんだよ! それがそれが…………くぅぅぅっ! 畜生が……あんな小娘に……」


 憤懣を抑えきれない男は店員が持ってきたジョッキを引ったくるように掴みアルコールの強い蒸留麦酒をまたも一気に煽り飲み干したかと思うとカウンターに突っ伏して呪詛やら怨念めいた言葉を吐き出し始める。
 大人。しかも筋肉質で人相も凶悪な大男が人目もはばからず酒場のカウンターで泣きながら荒れ狂う。人の注目を集めそうな光景だったが、酒場にいる百人近くの客や店員達二は気にした様子もない。
 たまに新しく店に入ってきた新規客が酒場中に響く大声にぎょっとした顔を浮かべるが、入り口近くに陣取っている常連らしき客から簡単な事情説明をされて同情的な視線を女性に僅かに送るくらいで後は極力無視している。
 男の大きな声の所為で店内にいれば男の身に起きたのか嫌でも聞こえてくるのだから、下世話な好奇心は満たされるし、何より下手に関わってあの延々と続く愚痴に直接巻き込まれてはかなわない……あの赤毛の女性のように。それが店内にいる全員の共通認識となっていた。 


「なぁ赤毛の姉ちゃん聞いてくれ! 俺ぁよ武具を扱う交易商人なんだがよ…………」


 カウンターに突っ伏して昼間のことを思いだしている内に男はまたも怒りが貯まってきたようで、先ほど話したことも忘れて一番最初から一音一句同じ愚痴というには大きすぎる声で捲し立て始めた。


「……いつまで続くのよこの無限ループ。もう六回目」


 燃えるような赤毛と女性としては長身の痩躯が特徴的な女性は溜息を吐き出した。
 女性の腰ベルトには薬らしき錠剤と液体が入った小さな薬瓶がいくつかと大型ナイフを納めた鞘が一つぶら下がっている。
 ナイフの柄頭には小振りの小さな宝石が填められ、柄にも幾つもの印や魔術文字が刻み込んであり、魔術杖としての機能ももつ儀式短剣だと見て取れる。
 典型的な魔術師スタイルをしたこの女性は大男の偶然横に居合わせただけでまったく面識はなかった。
 だが隣でがばがばと酒をあおっていた男がいきなり泣き出したのを見て話しかけたのが運の尽き。後は延々と愚痴を聞かされるはめになっていた。
 相手にしないか店を変えればいいのだが、基本的に面倒見がいいのと、ちょっとした頼み事をこの店の店員に依頼していた為に女性としてもここを離れるわけにはいかず、早く頼み事が終わることを祈りつつ仕方なく大男の相手をしていたというわけだ。
 




 



 男泣きして愚痴をこぼす男を見て、泣き出したいのはこっちの方だと心中で女性が思っていると、男の向こう側からワインの瓶が一本差し出される。


「いや七回目だ。お嬢さんも人が良いねぇ。まぁ感謝の気持ちだ。もう一本開けたから飲んでくれ」 


 男を挟んで反対側にいる白髪で初老の男が話が巻き戻った回数を訂正しつつ、空になっていた女性のグラスに大男の背中越しに新しく封を切ったスパークリングワインを注いでくる。
 濁りのない透き通った透明さはまるで水のよう。だがグラスの底から微かに沸き立つ小さな泡が弾くその香りは芳醇で、口に含めば微かな甘みと心地よい酩酊を覚えるほどに強いしっかりとしたワインである事が判る。
 あまり酒には詳しくない女性でもその価値が一口で判るほどに相当な上物のようだが、すでに一本を開けてさすがに飽きてきたのと、愚痴を延々と聞かされる今の状況と釣り合うのかと聞かれると首を横に振るしかなかった。


「お爺ちゃん。この人そろそろ止めたら? 飲み過ぎに見えるんだけど……後あたしばかりに聞き役やらせないで貴方も聞いてくれませんか。そちらの連れでしょ」


 もう相手が聞いているのかどうかすらも判らないほどに酔っぱらっている男が、先ほどと同じ話をしているのをちらりと横目で見た女性は老人へと忠告する。


「問題無い問題無い。酒にはドワーフ並みに強いが鳴き上戸なんだよクマは。それに俺なんぞここの前の店で何度も聞いてそらで言えるくらいで飽き飽きしてるんだわ。悪いがもう少し付き合ってくれ。ここの代金は持つから。何なら土産もつける。ここの砂トカゲ照り焼き串の持ち帰り専用タレはピリ辛で絶品だ。ほれこれもくってみな。ここのオアシス湖でだけ捕れるラズ蟹を使った蒸し焼き。高級珍味ってやつだ」


女性の言葉を軽く流すと老人は蟹の載った皿を差し出す。
 男の相手は面倒だから女性に押しつけてしまえ。判りやすいほどに判るわざとらしい態度の老人は酒のつまみのような感覚で今の状況を楽しんでいるようだ。
 女性が老人を睨みつけるが、まったく意味をなしておらず、むしろその視線が心地良いかのように口元に人の悪い笑みを浮かべている。


「……このクソジジィ、見ず知らずの他人に身内の愚痴をおしつけるんじゃないわよ。ったく。こうなりゃあたしのやり方でやらせてもらうわよ」


 飄々とした老人に腹立たしさを感じた女性が舌を打つ。
 腰ベルトに下がった薬瓶へと右腕を伸ばした女性は、中から小さな赤い丸薬を一つ摘み取り出すと、自分のグラスの中へとポチャンと落とす。
 底から浮き上がってくる泡を受けてゆらゆらと揺れる丸薬は、女性がパチンと小さく指を鳴らすとあっという間にグラスの中のワインに溶け込んで跡形もなく消えてしまう。
 グラスを見てにやりとほくそ笑んだ女性は、左横で延々と大声で愚痴を続けている男の肩を叩く。


「だからよ!あの小娘の体格じゃ、ショートソードかナイフが精々なんだよ! 普通はそうなんだ……なんだ赤毛の姉ちゃん?」


「あーはいはいおじさん。麦酒だけじゃ飽きるでしょ。こっちも飲んだ飲んだ。嫌なことは飲んで忘れるのが一番だって」


 話を途中で遮られた男が不機嫌そうな声をあげるが、女性は愛想笑いを浮かべてグラスをその手に押しつける。


「おいおい。お嬢さん。今何を入れたんだい……って飲むなよクマ」

 
 怪しげな薬入りの酒を見て老人が慌てて止めようとするが、その前に男は女性から受け取ったグラスを一気に開けてしまう。
 すぐ横で行われていた行為にも気づけないほどに泥酔していたようだ。


「否! 忘れようとしても忘れられる訳がねぇんだよ! だから俺は……ぁ……の小娘……探しだ……ほんと……………」 


 忘れるという言葉に反応した男が立ち上がって今までとは違う行動を取り始める。だがすぐに呂律が回らなくなり力なく椅子に倒れ込むと、そのままがくんとカウンターに突っ伏し高いびきをかき始める。
 どうやら一気に深い眠りに落ちたのか、老人が男の肩を揺すってみるが目を覚ます様子はない。


「酔っぱらいを強制的に眠らせるのと二日酔いの症状を抑える効果をもつ魔術薬よ。ちょっと調整したから明日の朝にはすっきりした目覚めを保証するわ……すみません新しいグラス一つ。後、頼んでた旅客便の空きってどうなってます? 特にこれって目的地はないからどこ行きでも良いんで」


 警戒心のなさ過ぎる男に呆れ顔を浮かべていた老人に対し、薬を盛った女性は悪びれる様子もなくその正体を明かすと、カウンターの向こう側にいた店員にグラスと本命の用事はまだかと催促の言葉を投げかける。
 ここは酒場でもあるが、ラズファンを囲むリトラセ砂漠を通行し他の土地へと人や貨物を運ぶ旅客貨物の砂船や、大陸中央部へと抜ける近道である砂漠迷宮ルート越えのために護衛の探索者を募集をする代理申込所としても機能している。
 旅人である女性もラズファンから他へ向かうために、旅客便の空きを探しにこの店へと訪れていた。


「しゃあねぇな。後で若い衆に運ばせるか。ご主人。お嬢さんの勝利祝いだ。レイトラン王室農園の赤。開けてくれ……それにしてもお嬢さんただの魔術師じゃなくて職持ちかい。しかも薬師が当てもなく放浪旅とはまた珍しい」


 男を起こすのを早々と諦めた老人は肩をすくめると、有名酒造が集まる西方のレイトラン国の中でも最高級品の一つである王室謹製ワインをマスターに注文する。
 連れの愚痴に付き合わせた迷惑料としての意味合いもあるが、男を一気に眠らせた薬を作った制作者の腕に対する商人としての興味と老人個人としての賛辞の意味合いもあった。


「別大陸の出身なんでコネがなくて。適当な所で拠点作って工房を開いても良いんですけど。どうにもしっくり来なくて、材料見聞がてら大陸中をフラフラと廻ってるんです。ここにも水を見に来たんですけど何か違うなって」


 基本的に薬師は拠点とする街を決めてしまうとそこから動くことはあまりない。
 これは彼等が使う器具が大がかりな物になりやすい事と、材料が同じ種でもその土地土地によって特性が変わる事に大きく影響している。
 特性が変われば微妙な調合分量や場合によっては調合方法まで変化する為に、なるべく同じ土地。同じ水を使い同じ空気の元。同じ材料で調合を行う事が均一の効果を持つ薬を作る基本とされている。
 だから基本薬師は師事を受けた者の工房を受け継ぐが、近隣に新しく工房を立てるのが通例。たまに請われて遠く離れた土地へと赴く事もあるが、その場合は特性の違いを見極め調整するための慣れが必要となってくる。
 その為に薬師があてもなくフラフラとしているのはそれなりに珍しい事であった。


「お待たせ。レイトラン宮廷酒造の三十年物の赤。にしてもいいのかい先代。若いお嬢さん相手にこんな高い酒を奢って。二代目にまた愛人を作る気かって疑われんぞ」


 金糸で細かな装飾が施されたラベルのついたワインとグラスを二つを持ってきたマスターが倒れ込んだ大男を挟んで座る孫と祖父ほど離れた二人を見て、本当に狙ってるんじゃないかと顔なじみの老人に疑惑の眼差しを向ける。


「そらいい。お嬢さん。どうだい?」


 楽しげ笑った老人はマスターからグラスを二つ受け取ると、女性に手渡しながら尋ねる。
 その顔から本気ではなくて、女性がどんな反応を返すのかを楽しんでいるのがいわずとも判ってしまう。


「冗談。性悪爺の話相手は師で懲りてるんで勘弁願います。それよりマスター。旅客船の空きの方ってどうなんですか?」


 これ以上下世話な冗談に付き合ってられるかと憮然とした顔を浮かべた女性は、精神衛生上この見るからに高そうなワインの値段は気にしない方が良いと思いながら、差しだすグラスに茶色味の強い赤い液体を丁寧な手つきで注ぐマスターへと尋ねた。
  

「悪いなお嬢さん。探してるんだが予約で一杯でなかなかな。一週間前に『始まりの宮』が終わって止まっていた流通も動き出して丁度混雑している時期なんだよ。それでも何時もならここまで混むことはないんだが、今年はリトラセ砂漠迷宮群に『拡張』が確認されてな、大陸中の有名探索者パーティやら中堅所も続々集結中で大手の運送業者だけでなく個人所有の砂船まで貸し切られてるのが多いんだよ。一月もすれば多少は落ち着くはずだが、一応キャンセル待ちに登録しておくかい?」


「はぁ。ミスった。ケチらず往復で買うんだった……じゃあそれでお願いします。後仕事の紹介ってありませんか? 出来れば短期。接客とかの経験もあるんで何でもやりますから」


 ここに来る時に片道で砂船の乗船券を買うのではなくて元の街に戻る事になっても往復にするべきだったと後悔しながら、手持ち金の残りを簡単に計算した女性は多少の心元の無さを覚えて仕事の紹介を頼んでみる。
 ここが森林地帯や草原地帯ならば薬師として材料採取のための野営経験があるので狩りをしていれば何とかなるのだが、岩砂漠地帯ではそれも難しい。何かと金が掛かる街で一月も足どめになると出来たら住み込みがあればと考えていた。


「そうだな……先代。薬師関連で当てがあるかい」


 商売柄マスターも顔は広いが、それ以上に長年の交易商人としての人脈で遙かに多くの人と繋がっている老人に尋ねてみる。


「そりゃ幾人か心当たりはあるが……」


 蟹を摘みながら高級赤ワインを楽しんでいた老人はしばらく考えるとからポンと手をうつ。なにやら思いついたようだ。だがどうにも人の悪い笑みが唇の端に浮かんでいる


「お嬢さん。いっそのことうちのキャラバンに同行するかね? 三日後に北の迷宮特別区を抜けて中央部へと戻る予定だ。料金は迷宮越えルートの公共乗り合い砂船の半分。格安にしておくよ」


「……ご迷惑では?」


 老人の突然の申し出に女性は疑いの眼差しを浮かべる。
 酒場で偶然隣り合っただけで少しばかり関わりが出来たが、知り合ったばかりの相手に何でそんな申し出をするのか。しかも相場の半分という安さが余計に怪しい。


「お嬢さん。この先代は性格的には食えない性悪ジーサンだが、商人としては真っ当で信頼は出来るよ。金を取る以上絶対安全だ。まけた以上、裏はあるだろうがな。先代真意は?」


 訝しむ女性の反応を楽しんでいる老人にマスターがいい加減にしてやんなと視線でいいながらまけた理由を尋ねる。


「人を金の亡者みたいにいわんでほしいな。キャラバンには小さな子供もいるからきつい砂漠越えにただで使える薬師がいりゃ便利だと考えてるくらいだ。後、新進気鋭の薬師と人脈が作れりゃ後々おつりがくらぁ」


 タバコを取り出した老人が上手そうに煙を吸いながら喉の奥でわらう。これが本心なのか他に何か考えがあるのか女性には見分けることができない。


「師なみに性格悪……確かにこっちとしては大助かりだし、調子の悪い人の面倒くらいはみるわよ。まったく。それじゃお願いします……って、そういや名前も知らなかった。迂闊」


 海千山千の交易商人の腹を探るなんて出来るはずもないかと女性は諦めると、同行させてもらおうとしてはたと気づく。
 相手の名前も知らず、自分から名前を名乗った記憶もないことに。
 大男の愚痴を散々聞かされていたので相手の職業やどこの街を拠点としているとかなどは判っていたので、そう言った基礎的な情報が抜け落ちていることに女性は気づいていなかった。


「グラサ共和国の『ファンリア商隊』の商隊長ギガゾラ・ファンリアだ。お嬢……お客さん」


 人の悪い笑みを浮かべる老人の方は、互いに名乗りがまだである事をどうやら忘れてはいなかったようだ。
 女性が名乗るよりも先に自分の名と商隊名を告げるとカウンターで寝込む男の頭越しに右手を差しだした。 
 

「ルディア。北大陸ベルグランドのルディア・タートキャス。ご承知の通り薬師よ」


 名を名乗った女性……ルディアは相手のペースに巻き込まれすぎて自分のペースが崩れていると反省しながら、老人の手を握り替えした。



[22387] 弱肉強食①
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:4e98e308
Date: 2011/02/02 20:11
 大まかな形でいえば逆台形となるリトラセ砂漠は北部と南部でその性質が大きく違う。
 南部は草一本生えない巨大な岩山が幾つもあり大小様々な岩と礫と砂の混在した大地となった岩石砂漠。
 しかし逆台形の中心点となるオアシス都市ラズファンから北にかけてはさらさらとした砂で大半が構成された砂砂漠となっている。
 この性質の違いは気候風土など自然環境の違いによる物ではない。
 一面の砂の海である北側を作り出したのは、大陸全土の地下を今も掘り進め埋め立て続けている巨大サンドワーム類。
 彼等の繁殖地、そして幼生体の育成地としての一面が北リトラセ砂漠にはある。
 サンドワーム達が幼生体の生活環境に適した土地へと変化させる為に大半の岩を砕いてしまい、北リトラセ砂漠は非常に細かな砂で形成された砂漠となっている。
 そして北リトラセ砂漠とは地上部だけを差す名称ではなく、その地下に十数層に形成される世界でも珍しい階層型砂漠全体を差す名称であり、常に変化を続ける世界で唯一の生きた迷宮永宮未完に属する『砂漠迷宮群』を指す名称でもあった。
 また北リトラセ砂漠には昼夜の区別が無いことも大きな特徴の一つとしてあげられる。
 燦々と輝く灼熱の太陽の光も熱も、白く淡く光る月や星の柔らかい灯りも、この砂の海に降りそそぐ事は無い。
 その空にはぶ厚い砂の層。通称『砂幕』が広がり、まるでカーテンのように天を覆い隠している。
 今から300年近く前に起こった世界的異変。迷宮異常拡大期とそれに伴う迷宮怪物増大期。所謂『暗黒時代』に発生し、砂漠中心部で今も猛威を振るう砂嵐によって作られた砂幕が、北リトラセ砂漠を熱を失った恒常寒冷砂漠地帯へと変化させていた。









 
 吐き出す息が一瞬で凍りつくほどの寒さと暗闇の中、右肩に身の丈ほどの両手剣を担いだ少女は、暗い遠くの空に浮かぶ点滅する灯りを目印にひたすらに砂の海を真っ直ぐに進む。
 肩に担いだバスタードソードを握る右手には革紐が括り付けられその先にはカンテラが吊されている。
 漆黒の闇の中ではカンテラの灯りはか細く弱々しく僅か先を照らし出すのが精々。だが少女にとってはこのカンテラが命綱であった。
 砂の海といってもここは平坦な場所ではない。砂で出来た山があり、その周囲には急な坂や谷があり、蟻地獄のように底なしかと思わせる砂の沼もある。
 僅かでも先が見えれば、獣じみた少女の反射神経を持ってすれば対応にそうは苦労はなかった
 むしろ今の少女にとってこの砂漠での一番の難敵は砂漠の砂そのものである。
 サンドワームによって細かく砕かれてさらさらとしている砂は、ちょっと立ち止まっただけで容易く膝近くまで飲み込んでしまう。
 悠長に歩いていれば、あっという間に砂の中に身体を引きずり込まれ、藻掻けば藻掻くほど脱出に苦労する事になる。
 その事は身を持って体感済みだった少女が選択したのは、著しい生命力消費と引き替えに砂に足を取られずにすむ特殊な歩法であった。
少女の右足が地に触れた瞬間、手を打ち鳴らしたような小さな炸裂音が静寂に包まれた砂漠に響く。その音と同時に足元で砂が弾け飛び、その衝撃に撃ち出された少女の身体が前に跳ぶ。
 左足。右足。左足。
 少女が一歩踏み出す度に音が立て続けに鳴り響き、小さな少女はまるで水切りの小石のように砂の上を次々に跳ねて驚異的な距離を一歩で稼ぎ出している。


「次の岩場まであと少しか……お腹も空いてきたな」


 小高い砂丘となっていた斜面を登り切った所で、少女の腹が小さくなって空腹を訴える。
 生命力とは生命を動かす力。世界を変える力その物。その生命力を肉体能力強化に特化した力『闘気』へと変換し少女は特殊歩法を行っている。
 その恩恵で砂に足を取られることはないのだが、その反面すぐに疲労はたまり生命力も低下してくる。
 長距離となる砂漠越えに対して少女は、少し疲れてきたら短時間の休憩と水分補給の小休憩を取り、小休憩を四回行ったら、その次は食事と仮眠を取る大休憩というローテションを決めていた。
 北リトラセ砂漠の迷宮特別区に入ってから既に一日ほど。取った休憩は小休憩を四回。次は大休憩を取る番だ。
 だが、ただ立っているだけでも引きずり込まれそうになる、こんな砂漠のど真ん中で休憩など取れるはずもない。
 少女が目指しているのは、サンドワーム達に砕かれないように魔物避けの魔術印を施した人工の岩場。ミノトス管理協会が過去に砂漠越えをする探索者や商人の為に用意した休憩所である。
 近年は比較的安価な大型砂船の登場もあり、徒歩での砂漠越えをする者はほぼ皆無となり休憩所を利用する者などもほとんどいないというのが現状である。
 だが休憩所の目印としてその直上に輝く光球は、この昼夜を問わず暗闇に覆われる砂漠において灯台としての役割を持つために、今も灯台兼緊急避難所として維持され続けている。
 北リトラセ砂漠全体でその数は五百以上にも及び、個別認識するためにそれぞれの光球が別のリズムで点滅しており、すぐに地形が変わってしまう砂漠において絶対的な目印として重要な役割を持っていた。 
 

「あそこが南の323番だろ…………ん。まだ一月半はかかるか。水は手持ちの水飴で足りるな。問題は……」


 山の頂点を超えて今度は下りとなった急斜面を周りの砂と滑るように駆け下りていく少女は、ラズファンの街を出る前に覚えてきた北リトラセ砂漠地図と休憩所の発光パターンをを頭の中に思いだす。
 五百を超える休憩所の位置と目印であるそれぞれの光球の発光パターン。その全てが少女の頭の中には叩きこんであり、もっとも効率的な進行ルートを既に決めてあった。
 現在目指している休憩所の位置から一日で進むことが出来た距離を計算して、残りの行程にかかる日数を大まかに考えた少女はフードの奥で眉を微かに顰める。
 進行速度は少女が思った以上に芳しくなかった。原因は足を取られやすい砂と起伏に富んだ地形にある。その所為で速度が上がらず、上り下りばかりで平面の地図で見た距離の数倍を走る羽目になっていった。
 当初は三週間ほどで砂漠を突破出来れば上出来だと考えていた予定を、倍の日数へと修正せざる得なかった。
 砂漠では水分が一番重要と考えて、水を固定凝縮した魔法薬『水飴』を60粒ほど購入してあったのは幸いだと少女は考える。
 ”飴”と名付けられてはいるが無味無臭のこの薬は口の中で転がしているだけで元の水に少しずつ戻っていき、その水量は一粒で人間種成人男子が一日で必要な水分量とほぼ同量という非常に携行性に優れた魔法薬である。その分些か高価である事が唯一の難点だが、これで水についての問題はない。
 もっとも飴なのに甘くないと店員と一悶着を起こした極甘党の少女的には、無味無臭である事が一番の問題点なのかもしれないが。
  

「っ!?」


 斜面を下りきった少女は周りより一団低くなった盆地に足を踏み入れて悪寒を覚えう。。
 周囲は静寂に包まれ静かな暗闇があるだけ。だが少女の勘が殺気を感じ取っていた。
 日程や食糧事情を考えていた通常思考から、より高速に物事を考える戦闘思考へと即時に切り替える。
 少女が思考を切り替えるや刹那、目の前の地面の砂が不自然に盛り上がり、次いで少女の腕ほどの太さで鋭い先端を持つ何かが飛び出してくる。
 それが何かを意識が認識する前に少女の身体は動く。
 カンテラの紐を左手に掴み上空へと放り投げながら、バスタードソードの柄を握る右腕を左下方向へ一気に降りさげる。
 僅かに斜めの角度をつけた鞘に入ったままの剣の腹に刺突攻撃が打ち込まれ、ついで剣を納める革製の鞘が焼け付くような音を立て鼻を突く刺激臭が漂う。
 クルクルと回りながら地上を照らし出す微かなカンテラの明かりの元で、砂の中から飛び出してきた物の正体を少女は見る。
 擬態色となった砂色の甲羅に覆われた幾つもの節に覆われた長い尾。尾の末端は少し膨らんでおりその先端は赤黒い毒針となっている。針の先は鞘を焼いた毒液で怪しく濡れている。
 受け流した尾が再度振るわれる前に少女は後方に飛び下がりながら、左手で鞘から垂れ下がる紐を掴む。
 少女が地に足をつけた瞬間、目の前の砂が大きく盛り上がり倒木ほども大きさがある巨大なサソリが砂の中から姿を現す。
 地上を駆ける足音に引かれ餌を求め攻撃を仕掛けてきたのだろう。サソリが少女の頭を目がけて尾と同色の右蝕肢の先についた巨大な鋏を突き出す。
 だがその攻撃は少女の予想範囲内である。少女は即座に左横に跳び鋏を躱す。
 避けるのが一瞬でも遅れていれば、鋭いその切っ先が少女の顔面を抉っていたのは間違いない。 
 間一髪致命的な攻撃を避けた少女は左手に握った紐を引っ張る。すると剣を固定していた鞘のボタンが弾け飛び、観音開きのような形状の鞘から鈍く光るバスタードソードの刀身が姿を現す。


「はぁっ!」


 標的を失い空を彷徨う蝕肢に向かって、少女は裂帛の気合いと共に右腕を振るいバスタードソードの刃を叩きつけた。
 刃と蝕肢を覆う頑丈な殻がぶつかり合い重く鈍い音を発し、鋼鉄の板を叩いたような痺れを伴う衝撃が少女の右腕を駆ける。


「む…………反動が返ってくるか。私もまだまだ鍛錬が必要だな。投擲は少し技量が上がったかな」


 剣を振り切った体勢のまま後方に下がった少女は不満げに呟き左手を上へと伸ばす。その手の中に先ほど宙へと投げ飛ばしていたカンテラの紐が丁度落ちてきた。
 とっさに投げたが大体思った通りの位置に落ちてきたことにフードの中で満足げな笑みを浮かべながら紐を掴みカンテラの灯りで前を照らし出す。
 灯りの中に右の蝕肢が千切れかかったサソリの姿が浮かび上がる。
 サソリは威嚇するかのように残った左手の鋏をカチカチと打ち鳴らし、毒針のついた尾を逆立てて怒りを露わにしている。
 しかし少女は動じる様子もなくサソリを見つめ、僅かの間を置いて合点がいったのか小さく頷く。


「ん……蟹か海老みたいだな。よし今日のご飯はお前に決めた……待てよ。その前に足にしてやろう」


 カンテラを再度宙へと放り投げた少女はどんな味がするのだろうと楽しみに思いつつ、サソリへと斬りかかっていった。






















 




『ん~……今ひとつだな。しかも硬すぎるぞおまえの殻は。苦労して割ったのだから、もう少し中身があっても良いだろ。これは毒腺か? ん。さすがに食べられないかこれは?』


 背中に乗る化け物が不満げなうなり声をあげたことに恐怖を感じながら彼は必至に足を動かし前に進む。
 先ほどから背中では化け物が食事をしながらぶつぶつと呟き、時折唸っている。
 彼とこの化け物では、種がまったく異なるために意思の疎通ができるはずがなかった。 だがそれでもこの化け物が何を考えているのか簡易ではあるが彼には伝わってくる。
 理外の存在である化け物に、彼は徹底的に打ちのめされていた。
 同族の中でも鋭く硬い鋏は獲物を容易く切り裂き、長く鋭い針のついた尾は強力な毒をもっていった。
 だが両腕の鋏も尾の毒針も今の彼には無い。背中の化け物に総べてて叩き斬られてしまったのだ。
 武器を無くし半死半生となった彼に対し化け物は、鈍く光る銀色の一本爪で空に浮かぶ光の方向を指さしてから彼の背中に乗ってきた。


 あそこに迎え。さもなくば殺す。

 
 彼の背中をコツコツとその爪で叩いた化け物はそう命令を下した。声に出したわけではない。意思疎通が出来たわけでもない。だがその存在が、気配が、何を彼に望んでいるのかを雄弁に物語っていた。
 死にたくないという生物としての本能的な欲求から、傷ついた身体で必至に光の方向へ向けて走り始めると、この化け物はすぐに食事をはじめた。
 化け物が食しているのは彼の自慢だった鋏や尾。硬い殻を爪で叩き切り、殻を無理矢理こじ開けてその中身を食しはじめたのだ。
 自分の背中に自分を食する化け物が乗っている。もし彼に高度な知性があればこの状況に恐怖のあまり狂っていただろう。
 だが幸か不幸か、彼が感じているのは本能的な恐怖だけだった。
 その本能に動かされるままにただひたすらに足を動かし前に進む。化け物が望む場所へと連れて行かなければ殺されるという恐怖が彼を縛り付けていた。
 そしてその恐怖が彼の命運を断つ事になる。
 いきなり彼の足下の砂が柔らかくなり彼の身体が沈み込みはじめる。突如彼の直下に穴が開き周囲の砂ごと彼を飲み込みはじめたのだ。
 穴を作り出したのはこの砂漠の地上に君臨するサンドワームの幼生体が開いた口蓋。周囲の砂事獲物を取り込む豪快な食事法である。そして幼生体といえどその大きさは彼の数倍はある。
 地下には彼等を遙かに凌駕する化け物達が腐るほどいるが、地上部分においてはサンドワームの幼生体は絶対の捕食者であった。
 以前に何度も襲われ死の恐怖を感じながらもなんとか逃げ切った彼だったが、今回は注意が散漫となっていたた為にその口の中にまともに飛びこむ事になり、しかも傷ついた身体では逃げる事など出来そうもない。
 だが実際に死を前にしても彼の中にサンドワームへの恐怖がわき上がってくる事は無かった。


『む……サンドワームか。休憩所に着いたら身体の方を食べるのを楽しみにしていたのに横取りしおって…………まぁいい。あまり期待できなかったからな。お前の方はどうだ?』


 彼がサンドワームの口蓋に飲み込まれた瞬間、その背を蹴り上げて脱出した化け物の声が明朗と響き渡る。
 お前も食べてやろう。
 そう宣言する化け物に比べればサンドワームから感じる恐怖など無いに等しかった。 
   



[22387] 剣士と薬師 ③
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:4e98e308
Date: 2011/02/02 20:11
「北停泊地の47番は…………あっちか。にしても、やっぱり朝方っていっても内門を出ると熱いわね」


 道路の端に立てられた標識を見上げたルディア・タートキャスは自分の目的地を探し当てると、左肩の荷物を担ぎ直すと熱さに辟易しながら歩き出す。
 二日前にひょんなことで知り合った交易商隊のファンリアという老人から渡されたメモがその右手には握られている。
 メモに書かれているのは停泊場所と船名、出航時間だけでなく、砂漠越えに必要になるであろう雑貨品や薬師であるルディアにとって必要な材料を扱っている店が記載されていた。
 メモに書かれていた店をいくつか周り、其処の店主などから得た情報で老人の人柄や率いる商隊の評価を知る事はできた。
 ファンリアという老人は結構な食わせ物であるが、商売相手としては信頼は出来る。要するにイイ性格をしていると。


「知り合いって事で多少はおまけしてもらった上にファンリア商隊についても聞けた。これは名刺代わりで不信感を払拭させるには十分……何であの手の年寄りばかりに縁があるんだろうあたし」


 故郷の師と同様のどうにも勝てないタイプ。だが他にこの街から早めに出る手段が無い以上は好意に甘えるのが無難。
 軽い溜息をついてメモをポケットに仕舞うとルディアは騒がしくなり始めてきた周囲へと目をやる。
 砂を高圧縮して作ったブロック状の人工石で作られた高い外壁が街への砂の流入を防ぎ、同じ人工石を使っているが鮮やかな染色と細かな装飾が施された内壁が殺風景な砂漠を超えて飽き飽きしていた旅人達の目を楽しませ、同時に高い技術力と資金力を示している。
 ルディアの歩く道路からは本来の地面より高くなった脇道が桟橋状となり何十本も伸びており、桟橋には砂漠を行き来する大小様々な砂船が停泊する。
 物資を満載した木箱の積み卸しや乗客達の誘導をする船員や作業員達の声がひっきりなしに響き渡る。
 ここには海はないがその雑多な雰囲気は貿易港その物。その光景にルディアは故郷の港町を思いだしていた。


「ん!? おぉ! 赤毛の姉ちゃんじゃないか。道に迷ったのか」


 微かな感傷に浸りかけた矢先にルディアの背後から大声が響き渡る。聞き覚えのありすぎるその声だけで誰かは判っていたが、ルディアは無視するわけにもいかず渋々ながら振りかえる。
ルディアの後ろには二日前に散々愚痴をこぼしてきた日焼けした浅黒い肌の巨漢武器商人が立っており、その横では荷運び用に時間貸しされている貸しラクダが中型の荷車を引いていた。


「……どうも」


「今日は素面だから警戒すんなって。どうにも酒癖が悪くてな。絡んじまった詫びと姉ちゃんの薬のおかげで二日酔いにならなかった礼を言わなきゃならねぇと思ってた所に丁度見かけたって訳だ。すまねぇな姉ちゃん。んであんがとよ」


勝手に薬を飲まされて眠らされたことは微塵も気にしていない様子の男は、多少引き気味のルディアの態度に対して申し訳なさそうに頭を下げる。


「と、そうだ……こいつは感謝の気持ちだ。冷えてて旨いぜ。ガキ共に頼まれた物だが大目に買ってあるから気にせず飲んでくれ」

 
 荷馬車に手を伸ばした男は一番上に積まれた袋の中から掌大の物を一つ掴むとルディアに向かってふんわりと放り渡してくる。それはラズファンの広場などでよく売られている水と果実の絞り汁を混ぜ合わせ甘味付けして凍らせたジュースの入った革袋であった。
 買ってきたばかりなのか受け取ったルディアの手に心地良い冷たい感触が伝わってくる。


「ご馳走になります……ルディア・タートキャス。貴方のおかげで砂漠を越える足が出来たから私からもお礼を言うべきでしょうか?」


 甘い物はそんなに好きではないが、熱さに辟易していた所に冷たい飲み物は正直いえばありがたい。封を切って一口飲んで冷たいジュースで喉を潤してからルディアは名乗る。
 ファンリア老人には名乗ってはいたが、その時は男は横で高いびきをかいていたので改めて自己紹介をすると共に、長時間絡まれたことに対する軽い意趣返しも籠めた意地の悪い言葉をつづける。


「勘弁してくれ。礼はいらねぇっての。クレン・マークス。通称クマ。武器商人だ。親方から聞いてる。後ろに荷物をのせな。砂船の所まで距離が結構あるから運ぶぜ」


 冗談半分なルディアの問いかけに対し、獰猛な笑顔で答えたマークスは荷車の後ろを指さした。 
 
 


 





「へぇ。姉ちゃんは北大陸の出で工房を開く場所を探してるのかい。そんじゃあここらの熱さは堪えるだろ。慣れてる俺等でも真っ昼間はきついほどだからよ」


 彼等が借り受けた砂船へと向かう道すがらラクダの手綱を引くマークスは厳つい外見に反して話し好きなのかいろいろと尋ねてきて、その横を歩きながらルディアは質問に答える形で雑談に興じていた。 
 

「そうですね。この熱さの中で仕事なんてあたしには無理だって判りました。水が合わないってのもありますけど、住むのはちょっと遠慮したいです」


 オアシスからの豊富な水。一年中ほぼ変わらない気候。迷宮に隣接した都市であり、協会直下であるために税金の類が安く迷宮素材がそれなりに手に入れやすい。
 事前に聞いてた情報からラズファンを訪れたルディアだったが、砂漠の乾燥高温気候は寒冷地である北生まれにはきつすぎると見切りをつけるには一日あれば十分であった。
 もっとも工房を開く条件が何かと聞かれてもこれという答えがなく、何となく理由をつけて先延ばししているだけだと言われれば否定はできないが。
 

「ここらの連中も日が一番高い時は、昼寝やら酒盛りする習慣があって仕事は休むくらいだからな。まぁそうなると姉ちゃん的にはこれから入る北リトラセ砂漠の方がまだ過ごしやすい気候なのかもしれねぇな、あそこは骨まで凍えるほど寒いぜ。寒冷地用の衣服がここらでもよく売れる理由だな」


「……別名『常夜の砂漠』でしたっけ。子供のころから御伽噺には聞いていたんですけど、旅をしているとトランド大陸は無茶苦茶だって改めて思います。普通じゃ有り得ない地形や気候が多すぎて」


 先ほどもらった革袋のジュースで喉を潤しながらルディアはここまで歩いてきた地方を思いだして呆れ顔を浮かべる。
 ある上級探索者が巨大な岩山のど真ん中を、反対側まで剣の一突きで掘り抜いたというドラゴンも通り抜けれそうな巨大で真っ直ぐなトンネル。
 凍りついた湖の湖底に存在する水棲種族の都市。
 まるで雨のように四六時中落雷が降り注ぐ山岳地帯や、一日ごとに場所を変えていく森。
 勿論普通の地方もあるのだが、変わった場所の印象が強すぎてそればかりのような錯覚を抱かせるには十分であった。


「迷宮大陸トランドだからな。それでも俺らが見れるのはその極一部。特別区って表層的な部分でその奥に広がる迷宮本体はもっと無茶苦茶らしい。武器商人って商売柄探索者の知り合いも多いが、話半分で聞いても法螺話としか思えないのが多いからな」


「そうらしいですね。上級探索者の英雄譚に出てくる溶岩内での戦闘やら巨大船も引き裂かれる大渦の探索とかまで来ると想像がつかないんですけど」


 初級、下級、中級探索者辺りならばルディアも幾人かは話した事もあるが、最上位の上級探索者ともなるとそのほとんどは伝説やら御伽噺の登場人物と変わらない。
 現役であれば大陸中心部の上級迷宮が近隣に数多くある迷宮内部地下都市に大半が常駐し、引退した者や休止中の者はトランド大陸に限らず世界中の王宮や貴族、大商人等に仕え文字通り住む世界が違う。
 派手に脚色された英雄譚や数多くの眉唾な噂は世間によく広まっているが、その計り知れない実力や実態等を実際に知る者は一般人には少ない。それが世界中に数十万人いるとも言われる探索者の中でも、4桁にも満たない上級探索者達である。


「俺もさすがに上級の知り合いはいないから、ミノトスの神官らの叙事詩で聞いたくらいだな。本物を遠目に見たことくらいならあるけどよ。有名ところじゃ管理協会現理事長の『樹王』ミウロ・イアラス、ロウガの『双剣』フォールセン・シュバイツアーやら『鬼翼』ソウセツ・オウゲン、あとは芸術家としても有名な『黒彫』レコール・イノバンとかだな」


 指折りながら数えるマークスがあげた名は、別大陸出身者であるルディアでもその功績をよく知るほどの名を馳せた上級探索者達であり、同時に比較的世間一般にその姿を知られている者達であった。 


「イノバンって300年近く一人で山奥で岩山を削って石像を掘ってる人ですよね。本来の寿命だと満足な作品が作れないから不老長寿の上級探索者になった変わり者って」


「おうそれだ。400年以上は生きてる変人で暗黒時代も我は関せずってばかりに岩山を掘ってたらしい。管理協会本部に顔を出したのも数回だけらしいんだが、たまたまその時に見たんだよ。ぱっと見は20中盤の優男なんだが、遠目でも何つーか雰囲気はあったな。嘘みたい話だがありえるんじゃないかって思わされた」

  
「……何かますます現実感が薄くなってきました。もっとも工房も持ってないしがない薬師のあたしには、上級探索者なんて一生縁はないでしょうけど」


「いやいやわからねぇぞ姉ちゃん。世の中ってのは何があるか判らないからな。ひょんな事から知り合ったり、ひょっとしたら姉ちゃん自身が上級探索者になったりするかもしれんぞ」


「そりゃどうも。でもあいにくなことに上級どころか今のところは探索者になろうって気は皆目ありませんよ。工房を開く開店資金が不足なら考えなくもないですけど、そこら辺は薬師ギルドの低金利で借りた方が安全でしょ。探索者みたいにハイリスク、ハイリターンなのはちょっと」


 笑うマークスに対して、ルディアは興味がないと肩を竦めて答える。
 自身の本分は薬師であり、魔術はあくまでも薬剤調合補助と精々材料採取時や旅の途中で身を守る為の護身技能程度。
 魔術師としては平凡な才能しかない。要領だけはそこそこ良いのである程度まではいけるだろうが、壁にぶつかればそこで止まってしまう。それが自身に対するルディアの分析であった。
 

「堅実だな姉ちゃん……俺の所のバカ息子も見習ってほしいくらいだ」


 ルディアの回答を聞いたマークスが微かに眉をしかめて羨ましげな目を浮かべて、悩みを聞いてほしいそうな表情を浮かべる。
 その様子からまたも愚痴が始まりそうなことをルディアは敏感に察していた。


「息子さん……ですか?」


 だが話の発端を開くよりも聞き役に回り情報を集める癖や、基本的に面倒見のよい性格が災いし、その話題に触れないようにしようとする理性よりも先に口が開き続きを促していた。


「おうよ。今年でもう13になるんでそろそろ商売について覚えさせようって今回の商隊に見習いとして参加させたんだが、武器商人をやるよりも武器を振ってる方、探索者になりたいとかぬかしやがってんだよ。だから剣術道場に通わせろって最近五月蠅くてな」


 マークスが溜息と共に吐き出したのは世によくある親の嘆きだ。
 若年。特に男子となると華々しい探索者の英雄譚に心を引かれ憧れから探索者となる者は数多い。だがその大半は早々と諦めるか、運が悪ければ心なし半ばで命を断たれる事になるだろう。
 類い希なる才能と時流に乗る強運。
 探索者に限らず世に名を馳せる者達とはこの二つを持ち合わせている。どちらか片方を持つだけでもまれなのに、その両者を持ち合わせる者など本当に一握りの特別な者。
 しかし自分がそんな特別な者だと思う若者は数多い。こればかりは親や周りが口で言っても、挫折するまでは自らは認めようとはしないだろう。


「よくある話っていえばそれまでだけどよ。男親としちゃ、てめぇの商売を継いでほしいってのもあるんだが女房が心配性でな。俺が砂漠越えの商隊に参加してるだけでも結構気苦労をかけてる所に、これでバカ息子が探索者になったら心労で倒れちまうんじゃないかってな」


「ホントよくある話ですね。でも13なんですよね。そのくらいの年齢の男の子じゃ麻疹みたいな物だと思えば。もうちょっと大きくなれば現実が見えるんじゃないですか。それに不謹慎な話かも知れませんけど『始まりの宮』が終わったばかりで、これから怪我人や死亡者も増え照るみたいですし、目の当たりにすれば気持ちが変わるかも知れませんよ」


 探索者となるには半年に1回大陸中に出現する特別な迷宮。別名『始まりの宮』と呼ばれる迷宮を踏破しなければならない。
 そして今期の始まりの宮が終わってまだ十日ほどしか経っていない。だが既に誰それが大怪我しただのどこぞの新米パーティが壊滅しただの噂話をルディアは耳にしていた。
 迷宮群に隣接し始まりの宮が近隣に出現する為新人探索者が多くいるラズファンにとって、新人探索者の怪我人や死亡者の増加は半年ごとに起きる性質の悪い風物詩といえるのかもしれない。


「そうだといいけどな。失敗した奴等の話よりも、成功した奴らの話に食いつきそうなガキだから。んなもん少数の稀有な例だってのに」


 赤の他人であるルディアに話した所で何も解決するわけではない。
 だが愚痴とは基本的に誰かに吐き出して気分を紛らわせる物。その事を判っている両者はあまり突っ込んだ話をせずに、ありきたりな話にありきたりな言葉を交わす。


「商売の楽しさってのを理解するにはまだガキでな。今日も俺が貸倉庫から運んでる間、商品積み込みの確認をやらせてるんだが真面目にやってると…………すまねぇ姉ちゃん。ちょっとこいつの手綱を頼めるか」


 愚痴をこぼしていたマークスが急に黙り込んだかと思うと、いきなりルディアにラクダの手綱を押しつけてきた。
 突然の事にルディアは声をかける間もなく、だだっと走っていたマークスを目で追いかけると、彼は少し先の桟橋へと飛びこんでいく。
 その桟橋にはには些か古い様式だが頑丈な砂船が停泊しており、他と同様に木箱や荷車を使って荷物の積み卸しをしている。
 その隅っこの方で剣を振り回していた少年へと駆け寄ったマークスがいきなりその頭に拳骨を落とした。
 


「てめぇ! 商売物を勝手に振り回すんじゃねぇって何時もいってんだろうが!」


 ルディアの所にまで聞こえるほどの大きなマークスの怒声が辺りに響き渡る。殴られた少年の方はよほど痛かったのか頭を抑えてしゃがみ込んでいた。
 

「あれが件の息子さんであっちがこれから乗る船って訳ね。賑やかな船旅になりそうね……ところでさぁ、あんたから動いてくれない。馬ならともかくラクダの手綱なんて引いたことないっての」


 マークスの怒声で驚いたのかピタと動きを止めたラクダに対して、ルディアは声をかけるがラクダは歩き出す様子はない。下手に手綱を引いて暴走されても事だ。
 結局マークスが息子に対して説教を終えるまでの10分間、ルディアはそこで待ちぼうけを食らわされる羽目となった。
   



[22387] 剣士と薬師 ④
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:4e98e308
Date: 2011/01/26 19:48
 砂漠を行き交う砂船。
 水上で用いられる船と構造が似ているために同様の名で呼ばれているが、その下部構造や稼働原理は水上に浮かぶ船舶とは些か異なる。
 どちらかと言えば雪山などで使われるソリを想像した方が判りやすいだろう。
 平坦な船底には魔力伝達のために生体素材が使われ、魔法陣が刻まれた石版が幾つもはめ込まれている。
 石版に刻まれた浮遊陣が船を僅かながらも浮かし、同時に出力比や角度を変える事により前後左右への移動を可能とし、舳先を覆うスカートと呼ばれる金属版で障害物を排除しながら砂の上を滑るように船は進んでいく。
 浮遊陣で船全体を高く持ち上げるには魔力消費が激しく、巡航速度時では浮くといっても人の拳一つ分ほどの隙間を作るのが精々だ。
 その為、起伏の激しい地形や固い岩盤の土地では船底が傷つきやすく、すぐに使用不可能になってしまう事もあり、砂漠地方のみで主に用いられる交通手段になっている。 
 多数の魔法陣を稼働させるのは船中央に積まれた転血炉。
 迷宮モンスターから採取した良質の魔力を含む血や樹液を加工処理し固形化した【血石】を動力源とする転血炉は、暗黒時代前は協会と少数の大国だけが持つ極秘技術とされていた。
 しかし暗黒時代を迎えた事で事情は変わる。迷宮モンスター群に劣勢を強いられていた各国に対して、滅ぼされた大国の術者や家臣達が次々に技術解放を行っていたからだ。
 技術解放と同時に各地で研究改良が行われ、より小型高性能の転血炉が次々に試作、実用化されていったのは皮肉だろう。
 暗黒時代が終焉を迎えたのも昔となった今では、軍事用だけではなく民生品としても取引が行われている。



 
 
 永宮未完特別区北リトラセ砂漠迷宮群。
 通称『常夜の砂漠』に四時間ほど前に進入した船の周囲は、まだ昼過ぎだというのにすっかりと闇に覆われている。
 遠くの空には灯台としての役割を持つ灯りがいくつか浮かび、それぞれに違うタイミングで点滅を繰り返す。
 船の周囲にはまるで蛍火のように浮かぶ光球が先を照らすと共に、己の場所を他船に知らせて衝突防止に一役を買っていた。


「こいつの船体と炉は20年前の型だが、元々は中級迷宮での拠点用に建造された船だからともかく頑丈だ。重い武装を外したからそこそこ速度も出るんで輸送用にはもってこいって訳だ。ちょっと取り回しやら調整が難しいがその辺はご愛嬌だな」


「それにしたって余剰魔力が随分あるんですね。各部屋個別の室温調整機能とか、よっぽどの高級船にしかないって聞いたんですけど」


 元探索者だったという中年船員の説明に耳を傾けながらルディアは肌を切るような寒さに身をさらしていた。
 先ほどまでは与えられた船室で、魔術に用いる触媒の下処理をしていたのだが、材料を入れたフラスコを火に掛けてあとは放置となった所で、突然船長と商隊長であるファンリアから呼び出されていたからだ。
 安全上の措置としてか客室と船の運航を司る区画は直結されていない為、一度船尾の階段から甲板に出て、それから再度船内に入らなければならず、せっかく暖まっていた身体を寒風にさらす羽目になった。


「あれな。実は出力調整用なんだわ。ほれさっき武装を外したって言っただろう。元々ついてたのが常時低稼働待機型の砲台でぶっ放さなくても魔力を結構食う。輸送客船には無駄だし重いから取っ払ったはいいが、今度は魔力消費が下がりすぎて普通に船を動かすだけだと炉が安定しなくなった。仕方ないから馬鹿食いする室温調整をつけたって訳だ。そんなわけでお客さんも気にせずどんどん使ってくれ。それで停泊状態でもようやく炉の最低出力に達して安定状態になるんでな」


「贅沢なんだか無駄なんだか。光球を発生させている魔法陣が防御結界と兼用になってましたけど、あっちも稼働可能って事ですか……結界が必要な怪物でも?」


 船壁に刻み込まれた魔法陣は構成自体は基礎的な物で読み取る事は容易い。一部分が輝き光球を発生させているが、大部分は光がない非稼働状態でその部分は対大型種用の防御結界の記述となっている。
 特別区と呼ばれる表層部分は迷宮外とさほど変わらない低危険度の地区。
 些か大袈裟にも思えるが、光球の光が届かない闇の中に未知の怪物が潜んでいるような錯覚をルディアは覚えた。


「陣の消去と再設置には触媒やらで費用も時間もかかる。だから探索船だった時の陣をそのまま使ってるだけ。心配しなくても特別区じゃその結界が必要になる奴や、まして旧式とはいえ中級迷宮探索船の結界を破る奴なんぞ出てこないよ。たまに獲物と間違えた馬鹿なサンドワームが砂を飛ばしてた時に使うが、それもあとの掃除が大変だからってくらいか……って言いたい所なんだけどな」


 ルディアが僅かに不安を除かせていた事に気づいた船員が心配ないと笑ってみせたが、急に表情を改めると声を潜めた。


「この間の始まりの宮が始まる直前くらいからだな。砂漠入り口のここらで小型船が何隻も行方不明になってるんだよ。運悪く谷に落ちたのか運悪くモンスターにでもやられたか判らないが破片の一つも見つかってない。でだ、薬師のお客さんを呼んで来いってのもこいつがらみっぽい」


「随分物騒な事で……たんなる薬師のあたしに何しろと?」 


なぜ呼ばれたのか判らないルディアが船員へと問いかけた所で、前をいく船員の足が扉の前で止まった。
 扉の横にはハシゴがかかりその上には見張り台らしき櫓が組まれている。
 どうやらここが目的地のようだ。
 船員が扉を開けると中から暖かい空気が流れ出してきた。ここも温められているらしい。


「そこらはファンリアさんか船長から詳しく聞いてくれ。中でお待ちだ。俺はこれから上で見張り再開。案内はここまでなんで」


「ありがとうございました。見張り頑張って下さい」


 仕事がある人間をいつまでも拘束しておくのも悪い。
 ファンリア達に聞いた方が早いだろうとルディアは案内してくれた船員に軽く会釈をしながら扉を潜った。
 室内は小さめの小屋ほどの広さ。魔法陣の調整をするための水晶球がいくつか、壁にはリトラセ砂漠全体を描いた大きな地図がかかっている。
 部屋の中央には卓が置かれその上には魔術道具である立体地図が広げられ、船が進むのに合わせて地図が描き出す起伏が変化している。


「寒い中わざわざ悪いねお嬢さん。どうだい駆けつけ一杯。温まるよ」


 地図を見ていたファンリアが入ってきたルディアに気づいて、右手に持っていたワインの瓶を掲げる。
 ファンリアが掲げる瓶にはつい先日、酒場でルディアが奢ってもらった王家の紋章が入っている。どうやらこの間と同じレイトラン宮廷酒造製の品のようだ。
 卓の横には船に乗ってすぐに紹介された口ひげを生やした船長の姿もある。船長は眉を顰め難しい顔を浮かべていた。
 室内には他にも三人の船員がおりそれぞれ作業をしているが、何処か落ち着きがないように見える。 


「真っ昼間から飲む趣味はないんで。それよりどうかしたんですか。何か問題でも?」


 怪我人や病人が出たので薬師として呼ばれたにしては操舵室と言うのも妙な話。
 自分がなぜ呼び出されたのか判らないルディアは酒の誘いを軽く断ると単刀直入に尋ねてみる。
  

「船長。お嬢さんに説明をたのまぁ」


 素気なく断られたファンリアはあまり気にした様子もなく、後は船長に任せるとグラスを煽った。


「判りました。申し訳ありません。わざわざご足労を。先ほど先行している先守船から連絡があったのですが……」


 ファンリアから丸投げされた船長だが嫌な顔一つ浮かべずルディアに一礼してから説明をはじめる。
 ルディアよりも船長の方が倍以上年上のはずだが、乗客相手だからだろうかその言葉遣いは極めて丁寧だった。
 先守船とは本船より先行して進む事で、谷や山など地形の確認を行い本船へと情報を送り、時には障害となるモンスターを他所へ誘導したり排除したり、他船が出した先守船や小型砂船と接触し情報交換を行う役割を持つ。
 昨日どころか、つい一時間前まで無かったはずの砂山が突如隆起していたり、通行可能だったはずの場所が巨大な谷に変化しているなど日常茶飯事。
 刻々と地形が変化するリトラセ砂漠迷宮群において、小回りも制動も容易い小型船ならともかく、中型以上の砂船が遭難も事故も起こさずに安全に進む為には先守船の存在は必要不可欠と言える。
 その先守船が通常の点滅の合間に異なる点滅を挟んでいる灯台の存在に気づいたのは、つい30分ほど前。
 元々は砂漠を進む者のための休憩所として作られていた灯台だが、乗り合いの大型砂船が定期的に就航する今は徒歩や騎乗生物を使って砂漠越えをするような者はおらず、緊急時の避難所として使われている。
 そして灯台の設置された岩場に半日以上連続して、人、獣人、竜人、魔族などの生体反応を感知した場合にのみ非常を知らせる点滅が自動点灯、救助要請の点滅が発せられる。
 救助要請を確認した先守船は本船に連絡後、すぐにその灯台へと向かい意識を無くして倒れ込んでいた人物を発見。
 ぶ厚い外套に身を包んでおり種族や性別は判らないが小柄で、ひょっとしたら子供かも知れない。
 とりあえずは極寒の岩場よりはマシだと船内に運んだ所で異変が起きた……


「背負っていた船員が船に辿り着くなり急に倒れました。幸い意識ははっきりしていますが、手足の末端に麻痺を感じて動かなくなったそうです。症状的にはこの辺りの砂漠に生息する大サソリに刺されたのとほぼ同じようなのですが」


 困惑した顔を浮かべている船長の事情説明が終わると、酒をちびちび飲んでいたファンリアが卓の上にグラスを置いてルディアへと向き直る。


「サソリつってもここは迷宮内。人よりもでかい奴でな。さすがにそんなのに刺されたんじゃすぐ気づく。船員本人も痛みもなかったそうだ。一緒にいた他の奴等は無事。原因がよくわからねぇから薬師であるお嬢さんの意見を聞こうって訳だ」


「意見って言われましても……状況的に考えるならその救助者ってのが怪しい事この上ないみたいですけど。救助者に接触したのは倒れた方だけなんですよね」


 実際に見てみない事には詳しい事は判らないが、倒れた本人に刺された自覚もないというのならば、原因は助けられたその人物にあるように思える。
 救助者が何かしようとしたのか、それとも救助者の衣服についていた毒物が皮膚から浸透したのか。
 通常の薬物、毒物ではそう易々と皮膚から体内に浸透する事はないが、浸透しやすい即効性の薬品を作る事はそう難しくなく、ルディアもいくつかは製法を知り所持もしていた。


「船員の一人が倒れたあとは誰も救助者には直接接触しないようにしています。大サソリの毒であるなら解毒薬は常備してあるのですが、判別が出来ない現状では投与はさせていません」


 船長の判断は妥当だろう。
 自身も同じ立場なら同様の判断をしているだろうとルディアは思う。
 薬と毒薬は紙一重。
 症状が似ているとはいえ、もし違った場合は解毒薬を与えた影響でより深刻な事態を招きかねない。
 

「調べてみないとあたしからも何とも言えません。すぐに戻って来るんですか?」  


「いえ、倒れた船員がマッパーだった事もあり安全のために先守船は灯台に停泊させ、本船が合流のために南323灯台へと向かっています。あと30分ほどで合流予定です」
 

「設置には十分か……船長さん。解析用の陣を設置したいので何処か開いている部屋はありませんか。できたら平面でそこそこ広さがあると助かるんですけど」


 ファンリアからは薬師として船に乗る事を条件に乗船賃をまけてもらっている。
 これも仕事の一つだとルディアは考えながら、解析用魔法陣制作に必要な図形と触媒を頭の中に思い浮かべる。


「それならここはどうでしょうか。今はただの船倉ですが元は簡易工房です。魔法陣設置設備もあったはずなので使用可能です。炉からも魔力を引く事が出来るはずです」

  
 卓の引き出しから船の見取り図を取りだした船長が最下層の一室を指さした。
 作成した陣への魔力供給が可能ならば、作成維持のために使う触媒の量はかなり減らす事ができる。
 勿論頼まれ事なので、使用した触媒代をファンリアか船長に請求可能だが使わないですむならそれに超した事はない。
 ルディアとしても異論はなく船長へ了承の返事を返しながら先ほどの会話を思いだす。
 操舵室へと来る途中に聞いた小型船が連続で姿を消したという話。
 それが件の遭難者と関係あるかは判らないが、どうにも厄介な事になりそうだと予感を覚えていた。    



[22387] 剣士と薬師 ⑤
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:4e98e308
Date: 2010/12/22 22:06
 貨客船として使われているルディアの乗る中型船の構造は大まかに前後と上下5層に分けられる。
 最上層に操舵室及び見張り台等航行関連設備や光球や結界などを発生させる魔法陣が刻まれた装甲に覆われた甲板。
 船首側前半分の最下層と下層には砂船を浮かせるための転血炉等の動力機関が設置され、中層と上層には砲台設置区画を改装した大型船倉。
 船尾側は上層、中層が客室や食堂等の客船区画となり、下層が船員室や厨房。最下層は積み荷に合わせて室内調整が可能な中型、小型の船倉が連なる。
 乗員人数は交代要員と護衛である戦闘員を含め20人。乗客は最大で80人前後。
 動力炉である転血炉の魔力変換効率改良や、探索者の増加による血石の安定供給が可能になったのに伴い徐々に大型高速化していく最新型と比べると、旧式となったこの船は多少見劣りするが、元々の設計段階で余裕を持たせてあるのか十分な性能といえるだろう。
 そしてルディアが船長より借り受けた旧簡易魔術工房は、現在は最下層にある中型倉庫の一つとして使われていた。

 
 
「積み荷の運び先は間違えんように! ごっちゃになると後が面倒だ! そっちは右隣の中倉庫へ! 大型は冷気対策の布を巻いた後は運び出さずにずらして中央を空けるように! 外扉から直接ここに運び入れるんだからその通路も忘れんようにな!」


「第4小倉庫に少し空きが出ました。中型木箱6はいけます」


「裏側もっと力入れろ!」


「この酔いどれ共! ちんたらしてると邪魔だよ!」


 積み荷の札を確認して帳面に移動先や元位置を記載しながら指示を出すファンリアに、各倉庫の空き状況や積み荷の配置を変えて何とか空きを作ろうとしていた若者が状況を伝える
 大木箱を何とか持ち上げて部屋の隅にずらそうとする男達の大半は赤ら顔だ。出航早々にやる事もないからと酒盛りでもはじめていたのだろうか。
 その横で大きな布袋を次々に手渡して運び出す女性陣が情けない連れ合いに発破をかける。
 自室に魔法陣形成に必要な道具を取りに戻ったルディアが倉庫のある最下層へと降りてくると、低く重く響く転血炉の稼働音に混じって、ファンリア商隊の者達が騒がしいながらも実にてきぱきとした動きで積み荷の運び出しをおこなっている所だった。


「すぐ場所を空けるから、すまないけどもう少し待ってもらえるかいお嬢さん」


 鞄を持ったルディアに気づいたファンリアが帳面から顔をあげて呼び止める。


「すみません助かります。でもそんなに場所は取りませんから少し空けていただければ十分ですよ」


「あーそれがそうも行かなくてね。冷気に弱い商品があって外気が入ってくることも問題なんだが、それ以外にもちょっと厄介な物があるんでね」


 頭を下げ礼を述べたルディアは申し出てみたが、ファンリアがやんわりと断ってくる。
 

「ここは簡易とはいえ元魔術工房だろ。魔力の漏洩対応処理が完璧なんで仕入れた魔力吸収特性を持った原料類を置いてあってね。お嬢さんの方もせっかく作った魔法陣がすぐに消失したら困るだろ。箱の方にも処理はしてあるが念には念をってことだよ」


 ルディアの表情に浮かんだ疑問に気づいたファンリアが荷札のチェックをしながらその理由を伝えてくる。 
 

「魔力吸収特性……カイナスの実とか、リドの粉末とかですか?リドの葉の香りがしますけど」


「お嬢さん良い鼻してるな。うちの女衆が運び出している大袋に乾燥リドが詰まってる」


 苦みが混じったような香りに覚えがあったルディアが問いかけると、ファンリアが軽く頷いて答える。
 ルディアがあげた二つは大陸南部の特定地域で採取される物で、砂漠の中継都市であるラズファンを経由して大陸中央の工房で精錬、そこから遠方へと運ばれていく輸出品の類だ。
 これらを特殊な方法で精製し純度を高める事でより多くの魔力を吸収させ、魔力剣や魔具などに用いる素材へと加工する事になる。


「未精製なんで魔力吸収の力は弱いが量が量。しかもうちが直接取引する訳じゃないが最終納品先がドワーフ王国エーグフォラン。職人気質のドワーフ相手に混じりの生半可な物を仕入れる訳にもいかなくてね」


「ご商売の邪魔するわけにもいきませんから大人しく待ってます」


 魔力吸収特性を持った物質は一度魔力を吸収してしまうと再吸収は不可能。
 結果、未精錬で低度の魔力しか吸収していない素材の価値はほぼ無になるといっていいだろう。
 だからこそ運搬には外部からの魔力を遮断する専用の箱や袋を用いるのが最低限の備えとなっている。
 少量とはいえ船の炉から魔力を引いて解析魔法陣を展開しようというのだから、ファンリアの用心は当然の物だろう。
 説明に納得したルディアは荷運びの邪魔にならないように、その長身痩躯を廊下の壁に預けた。
       





 倉庫の中心部分に立ったルディアは鞄を置いて片膝を付くと床板を右手で撫でる。すぐに指先が僅かな取っ掛かりを探り当てた。
 指先に僅かな魔力を込めながら船長から聞いていたリズムで軽く床板を4回叩くと、その部分の床板が僅かに沈み込んで横にずれる。
 掌ほどの大きさで開いた床の中には鈍く光る銀板が姿をみせた。模様にも見える彫り込みは魔力供給を司る術式を現している。これが船長の言っていた魔法陣設置用の設備だろう。 
 
 
「これがこうだから…………」


 彫り込みを指でなぞりながらそこに刻み込まれた術式を読み取り、自分が展開する魔法陣への魔力供給の手順をルディアは確認する。
 幾つもの国が滅び、多数の種族が壊滅に近い状態まで追い詰められた暗黒時代は膨大な負の遺産を今も残しているが、同時に幾つもの発展をもたらしていた。
 主立った物では異なる種族、異なる国の者達が共同戦線を張る為に新設された共通言語、物資のやり取りを迅速に行う為の共通貨幣。そして魔具分野の急速な進歩である。
 各系統の著名な魔術師達が幾人も集まった共同研究により、低位魔具の規格統一が行われており、船の炉から魔力を引くこの術式もその一種だ。


「ちょっと薄めるか」


 使用に問題はないが供給される魔力の最低量は思っていたよりも多い。これなら触媒を少し減らしたほうが上手く作ることが出来るだろう。
 小さく呟いたルディアは鞄の中から、鮮やかな赤色の液体が少量と水が入った薬瓶を床に置く。
 次いで手提げの木箱を取り出して留め具を外して蓋を開く。木箱の中は三段に分かれ一段目と二段目はそれぞれが小さな枠で区切られている。枠には小袋に入れられた粉や小瓶の練り薬、丸薬が種類別に整頓され制作日や購入日の印したメモが貼り付けてある。
 一番下の三段目には、計量用の器具がまるで新品のように磨かれて納められている。
 燃えるような赤毛で女性にしては長身の派手で目立つ外見ながらも、中身は几帳面なルディアの性格が判るような中身だ。
 まずは水が入った瓶の蓋を外すと水を計量瓶で計ってから細長い瓶へと移し、そこへ同じように計った赤い液体を少量足し入れる。
 木箱から丸薬を二種類取り出して瓶の中に入れ、煎った種子を磨り潰した黒い粉を指先の感覚で一つまみ。
 指で蓋をしてシャカシャカと瓶を軽く振って中身を混ぜると、丸薬と粉が液体の中に溶け込んでいき、中の液体が赤から灰色へと変わりどろっとした粘りのある液体へと変化していく。
 ルディアが作り出したのは術構成を手助けする触媒液だ。
 触媒を単体で使うよりも効率よく短時間で術を形成する事ができるが、その反面術に合わせた適正な触媒液を作るにはある程度の専門知識を求められる。もっとも薬師が本分であるルディアにはこの程度はお手の物だ。
 右手の人差し指と中指を伸ばし指先で触媒液をすくい取ると、先ほど開いた穴を中心にして指を筆代わりにルディアは大人の両手を広げたほどの大きさで円形の陣を描きはじめる。   


「手慣れたもんだなお嬢さん。絡み酒のクマを潰した手腕も見事だったがたいしたもんだ」


「親方勘弁してくれ。あん時は鬱憤が貯まってたんだよ。確かに一瞬で潰れたがよ」


 澱みのないルディアの手際を見たファンリアがタバコを吹かしながら褒める横で、醜態を思いだしたマークスが溜息を吐く。
 荷運びを終えたファンリア商会達の者は休憩をかねてか、倉庫の隅に集まってルディアの作業を見物している。
 見られているルディアとしては少しやりづらいのだが、娯楽の少ない航海中という事や同乗させてもらった恩義もあり仕方ないと諦めていた。


「そりゃ良い。うちの軟弱亭主が酒盛りをはじめたらお嬢さんに頼んでクマさんみたいに潰してもらおうかね。お酒代が半分以下で済みそうだよ」


「ちょ! 母ちゃん。そいつは勘弁してくれ」


 マークスの言葉に恰幅の良い中年女性がしみじみと呟くと、大荷物を運んで疲れたのか横でへたれ込んでいた夫とおぼしき男性が情けない声をあげ、他の者達から笑い声が上がる。
 さっきの荷運びの時もそうだが、このファンリア商隊はそれぞれの仲がよく結束力も強く一種の家族のような関係を作っているようだ。
 気ままではあるが孤独な一人旅を続けるルディアはそれが多少羨ましく、故郷の家族や師の事が一瞬脳裏を掠める。
 早く工房を開く場所を決めて自分も腰を落ち着けるべきか。柄にもない事を考えながらもルディアの指は迷い無く陣を描いていき、一分ほどで陣を完成させる。
 立ち上がったルディアは触媒液の付いた指先をハンカチで拭い、広げていた道具類を片付けてからファンリア達の方へ振り向く。  
 

「完成したので試します。一瞬強く光りますから直視しないように気をつけて下さい」


「はいよ。ほれお前ら目をそらしときな」 


 ファンリアが周りに注意を促して自らも吸いかけのタバコを携帯灰皿に仕舞ってから眼を細める。
 周囲の大半は顔を逸らしたが、ルディアの手腕に興味深げな幾人かは顔の前に手を掲げたり、ファンリアのように眼を細めている。
 術の続きを見物する気のようだ。


「お嬢さん。準備良しだ。ぱーっとやってくれ。かかった触媒や薬の代金はこっちに請求してくれていいからよ」


「助かります。実費にしておきますから」


 費用的にはたいした額ではないが持ってもらえるに超したことはない。
 ファンリアに軽く謝辞を述べてから、ルディアは陣に向き直ると一歩下がり左腰に下げた鞘から直両刃の短剣マンゴーシュを左手で引き抜く。
 籠状になったナックルガードには銀で作られた魔術文字の飾りが施され、柄頭には小振りの緑色の宝石が一つ。どちらも魔術補助の役割を持っており、防御短剣であり魔術師の杖でもある短剣は、旅に出る時にルディアが師から譲り受けた物だ。
 高名な刀匠の作ではないが良品でルディア自身との相性も良く、術の構成や維持をする際には心強い相棒といえるだろう。
 ルディアはゆっくり深く息を吸ってから左手の逆手で短剣を引き抜いて胸の前で構え、右手に印を作って柄頭の宝石へと指先で軽く触れ、いつも変わらない冷たく硬い石の感触を感じ取る。
 吸った息を今度はゆっくり長く吐き出しながら、緩やかに脈打つ己の心音へ意識を集中する。
 己の持つ生きる力【生命力】を魔術使用に適した形に変換する事で生まれる力こそが魔力である。そして強い魔力は心臓より生まれる。
 最初にルディアが師より授かった魔術師としての基礎。
 心臓で発生した魔力が血の流れに沿って全身に拡散し蓄積されていくイメージを描き出すと共に、ルディアの体内で魔力が急激に発生し高まっていく。
 高めた魔力を右手の指先へ。指先から柄の宝石に。そして宝石から短剣のナックルガードの魔術文字へと伝わり微かに光り出す。
 陣の起動に十分な魔力が貯まったことを経験で悟ったルディアは、短剣の切っ先を先ほど描いた陣の中央へと向ける。
 図形は正確に描き、十分かつ制御しやすい形で魔力は蓄積されている。この上で補助としての詠唱を行う必要はないだろう。
 強い光で目が眩まないように軽く瞼を閉じてからルディアは簡易な命令を放つ。
 

「……起動」


 閉じた瞼の上からでも判る強い閃光が一瞬輝き、次いで薬品が焼ける微かな刺激臭が漂う。
 ルディアがゆっくりと瞼を開くと床へと目をやると、先ほどまではくすんだ灰色で描かれていた魔法陣が、深い緑色光を放っている。
 描いた図形や放つ光に異常は見られず、中心にある銀板からの魔力供給も問題無く追加の魔力を供給しなくても大丈夫なようだ。


「問題はなさそうかねお嬢さん?」


 ルディアがほっと一息を吐いた所でその様子を見ていたファンリアが声をかけてくる。


「えぇ。無事完成です……といってもここまでは教えられた通りにやるだけですから。こっからです。解析して毒の判別。場合によっては解毒用に薬を作らないといけませんから」


 ここからが本番だとルディアは握ったままのマンゴーシュを鞘へと戻して意識を切り替える。
 この魔法陣で出来るのはあくまでも毒の解析だけ。解毒ができるわけではない。
 船長達の言っていた通りに大サソリの毒であるならば、解毒剤もあるとのことなので問題はないのだろうが違った場合はまた厄介な事になる。
 手足が麻痺したという船員。
 倒れていたという謎の人物。
 故郷を出てからいろいろな地方を周りつつ、時には薬師として旅費を稼いだりもしてきたが、こういった非常事態に遭遇するのは初のことだ。
 自分が柄にもなく緊張している。
 その事に気づいたルディアが小さく息を吐きだしながら呼吸を整えようとした所で、船倉全体が微かに揺れはじめた。
 
   
『先代。すぐに南323灯台に到着します。整備された港と違うので停船時に大きく揺れます。そちらの倉庫の扉は操舵室側で開けますので付近から離れていて下さい』


 船内側の扉付近に取り付けられた伝声管から船長の声が聞こえ、砂船が急速に速度を落としていく。
 それに平行して徐々に揺れが強くなっていき、ルディアは僅かに歩幅を広げて衝撃にそなえた。ファンリア達も床に直接座ったり、近くの壁に手をかけてバランスをとった体勢となっている。
 しばらくして船全体が一度大きく揺れてからようやく震動は収まる。倉庫に響いていた高稼働状態の転血炉の重低音も小さくなっていた。
 どうやら目的地である灯台近辺へと到着して完全に停船したようだ。


『扉を開けます。外気が入ってきますので防寒着を着用して下さい。先守船は扉直下にいますのですみませんが引き上げをお願いします』


 船長の指示にルディアは赤髪を纏めて羽織っていたマントの中にしまい込み、ボタンを留めて頭をすっぽりとフードで覆う。
 荷物の運び出しで薄着となっていたファンリア商隊の者たちも隅に置いてあった防寒着を各々身につけるとロープや釣り下げ板の準備をしはじめる。
 完全停止状態から再始動する場合は中型船ではどれだけ急いでも10分ほど必要になる。
 魔物避けの術が施された灯台近辺で低危険度の特別区といえども、すぐに動け無い以上襲撃警戒を厳重にするに越したことはない。
 ただそちらにほぼ全ての船員を廻した為に、高さの違う先守船から本船側へと倒れた船員や意識を失っている救助者を引き上げる為の人手が足りなくなり、暇をしていたファンリア商隊の者達がその役目を引き受けていた。
  
       
「船長。準備ができたぜ」  
 
 
 老体ながらも自ら引き上げに加わるつもりなのか作業用の手袋を身に着けたファンリアが伝声管越しに船長へ合図を送る。


『開けます』


 搬入口の横に取り付けられた大きなベルがガンガンと打ち鳴らされ注意を促しはじめる。
 外気を隔てる為に二重となった厚い扉が左右に開き始め、隙間から肌を切り裂くような冷気と共に細かな砂粒が倉庫の中へと吹き込んでくる。
 光を放つ灯台が近くにある為か外は満月の夜と同じくらいには明るい。
 

「随分明るいが一応カンテラを先端につけて降ろせ。相手は病人だ。高価な荷物を扱うつもりくらいに丁寧な作業でな」


 ファンリアの指示に商隊の者達は各々答えると、慣れた手つきで扉近くの床や壁に埋め込まれていた滑車の着いたクレーンや留め具を引き出して、直ぐ下に止まっているであろう先守船へとロープで結んだ板を降ろしはじめる。
てきぱきとした手際と連携の良さにルディアは手伝える事もなくただ見ているだけだったが、下に待機している船員達も熟練なのか一人目の引き上げが始まるまで1分もかからなかった。


「……判ったまずは倒れていた奴からだな!…………右手が固まって柄から離れない? 判った気をつける! よし引き上げるぞ!」

 
 扉から外に顔を出して下の船員と大声で手順を確認していたファンリアの息子だという中年男性が後ろの仲間に指示を出す。
 ガラガラと滑車が鳴り釣り上げ用と予備件姿勢補助用の2本のロープがゆっくりと引かれて救助者が乗せられた板が上がってくる。
 作業の邪魔にならないように気をつけながらルディアは扉から僅かに顔を出して下へと目をやる。 
 板の上に仰向けに寝かされた人物は薄汚れた外套に身を包み意識がないのかぴくりとも動かない。その身体はまだ子供かも知れないと思うほどに小柄だ。
 右手には小さな体格にやけに不釣り合いな大きな柄が握られている。根元から折れているがその切断面からみても随分大きな刀身が付いていたようだ。
 先ほど確認していた中で上がった右手に気をつけろとはこのことだろう。硬直して離れなかったのだろうか。
 完全に上がった所で鈎付き棒を使って船内へと板が引き入れられる。
 近くで見ればやはり小柄なことがよく判る。ルディアが長身な事もあるがその背丈は半分くらいだ。外套から出ている砂にまみれた腕はほっそりとしていて女性的だ。
 接触した船員が倒れたと聞いているので不用意に触れる事はできないが、フードに隠れた顔だけでも見ようかとルディアが近付いた所で大声が上がる。


「こ、こいつまさかあん時の!?」


 声をあげたのはこの船にルディアが乗り込む事になった原因のマークスだ。どうやらかなり驚いているようで唖然とした顔を浮かべている。
 後ろの方でロープを引いていたマークスからは完全に引き上がるまで姿が見えなかったのだろう。


「マークスさん知り合いですか?」


 ルディアはマークスに問いかけて見たが驚愕しているのか反応はない。
 

「ほれお嬢さんがクマに散々聞かされた件の娘さんだよ……顔も間違いないな。まいったね。こりゃ」  


 固まっているマークスの代わりにファンリアが問いに答えると、素手で触れない為か、鈎棒を器用に使って倒れていた人物のフードを取り去り素顔を確かめて小さく頷く。
 その顔はまだ幼さを色濃く残した10代前半の少女。
 青白い顔に気が強そうな少し吊り気味の目もとを苦しそうに歪めている。
 極寒の中に晒されて血の気が失せた唇の端は僅かに切れて血が凍りついている。
 あまり手入れがされていないのか硬そうな長い黒髪は砂まみれだ。
 だがそんな状態でありながらもこの少女の素顔は人の目を引く所がある。
 

「この娘ですか…………大剣を軽々と扱ったっていう」


 散々聞かされた愚痴からルディアが想像していた姿は、子供と言ってももっと荒んだ者であった。
 だが目の前に倒れているのは、同性であるルディアの目から見ても、美少女だと断言できる風貌をしている。
 そんな少女に対するルディアの第一印象は予想外。その一言に尽きる。
 その風貌もさることながら、まさかこんな状況で散々愚痴で聞かされた少女に会うことになるなどルディアは微塵も考えてはいなかった。
 
 



[22387] 剣士と薬師 ⑥
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:4e98e308
Date: 2011/01/26 19:35
 凍てつくような寒さを運ぶ風にはリトラセ砂漠北部特有の細かな砂の粒子が混じる。
 そんなリトラセ砂漠を旅する者は防寒と砂よけをかねて、肌の露出を減らした厚着の上に全身を分厚い外套で覆うのが昔からの習わしだ。
 それは旅人達の移動手段が徒歩や騎乗生物から、防砂防寒対策の施された砂船となった今でも変わらない。
 特に先行偵察を行う先守船に乗り込む者には未だに必須といえるだろう。
 先守船は役目の性質上、索敵地形確認を行いやすくする視界の確保と迅速な戦闘移行のために、小型水上船とよく似た屋根のないむき出しの大きさと構造となっている。
 そんな典型的な先守船の舳先に立ち、これまた典型的な分厚い外套に身をくるむ二十をすぎたばかりの若い男性探索者は、頭上で行われる母船への収容作業を見守りながら周辺警戒を行っていた。 
 僅かに青白い肌の右手には鋭い穂先を持つ長槍。背中はコウモリのような形の翼が生えている。
 その姿は高魔力地帯に適応進化した人種の出身。俗に魔族と呼ばれる種族の青年だ。


「いつもなら母船が見えると安心できるけど今日は不安しかねぇな。ファンリアさん。手早く頼むぜ」


 寒さが堪えるのか身体を小刻みに揺らしながら若者が祈るような言葉を発する。
 小さな先守船を木の葉一枚だと例えれば、母船である貨客砂船は中型と言ってもそれこそ巨木だ。
 巨木の真ん中ほどに開かれた下部倉庫への搬入口からは滑車が姿を見せ、遭難者を乗せた吊り板がゆっくりと持ち上げられている。
 分厚い砂の幕に閉ざされ暗闇と極寒が支配する木田リトラセ砂漠迷宮群においては、その城塞のような巨体は頼もしい限りだ……普段ならば。
 異常を知らせる灯台で発見した遭難者。
 遭難者をかつきあげて船まで運んだ後に倒れてしまったパーティメンバー。
 砂漠内では襲撃を避けるために本来は昼夜を問わず走り続ける母船の完全停泊。
 こうも立て続けに想定外の事態が起きたとなると、この先もまだ何かあるかもしれないと警戒して彼が不安を覚えるのも止む得ないだろう。


「特に問題無く収容完了……」

 
 搬入口の前に吊り板が届いた所で、中から鈎棒が出てきて吊り板を手早く収納され始めると、船体中央で下から指示を出していた女性が安堵の息を漏らす。
 先端に女性的なデザインの施された飾りを持つ身の丈ほどの長い魔術杖を左手に構える典型的な魔導師スタイル。
 こちらも防寒用のぶ厚い外套を纏っているが声の感じからまだ年若い事が判る。おそらく青年と同年代。もしくは少し下だろうか。


「ご苦労さん。お嬢。ボイドの固定は大丈夫か? 手足が麻痺してるからちゃんと固定してあるよな」 

 
 青年は問いかけながら女性の方を見る。
 視線の先には先ほど遭難者をつり上げたのと同じ吊り板がもう一枚あり、その上には重鎧の上に同じく外套を纏った大柄の男性探索者が寝かされロープで固定されている。
 彼が前衛を務めるパーティリーダー兼マッパーのボイド。
 魔族出身の魔術戦士で哨戒役のヴィオン。
 そしてボイドの妹である魔術師兼先守船の操舵士であるセラ。
 この3人の下級探索者達が貨客砂船護衛探索者Bチームとなる。
 彼等は護衛ギルドに所属し、同じく前衛後衛三人で構成された同ギルド所属のA、Cの三チームでの八時間交替での護衛任務へとついていた。
  

「問題ないない。大丈夫ちゃんと縛ってあるから。探索者なら用心深く慎重に行動しろっていつも口うるさい癖に、遭難者に迂闊に触れて倒れましたって笑えないっての馬鹿兄貴」


 痺れて動けないボイドの身体を、杖の先端で突きながらセラはわざとらしく溜息を吐いた。
 

「うっせぇ愚妹。目の前で女子供が倒れてたら無条件で助けるってのが漢ってもんだ」

 
 ボイドはフードの奥から妹をぎらりと睨む。言葉の呂律ははっきりとしており痺れているのはどうやら末端の手足だけのようだ。


「はいはい。そう言う台詞は妹の手を煩わせて無いときに言ってよね」


 前衛専門であるボイドがまともに動けない状況で、さらに意識のない遭難者を抱えて特別区とはいえ迷宮内で立ち往生。
 船を寄せていた灯台に魔物避けの結界が施してあると言っても、その周辺に砂漠の魔物が絶対に出ないというわけでもない。
 張り詰めていた気をようやく弛めることが出来たセラの声には多少の疲れが混じっている。


「そこまで二人とも兄妹喧嘩は後にしとけ。今は仕事なんだからよ……よしAとCの連中も出てきたみたいだな」


 いつものじゃれ合いに近い口げんかを始めた兄妹に呆れ顔を浮かべていたヴィオンは、他の護衛チームが船体周囲に展開を終えたのを見て長槍を肩に担ぎ直した。


「お嬢ここは任せる。本船の結界もあるしミッド達もいるから大丈夫だろ。俺は灯台岩の周辺をざっと見てくる。他の遭難者が近くにいるかも知れないからな」


 いつまでも危険な迷宮内で本船を停泊させているわけにはいかない。
 周囲を探索し他の遭難者を捜す事ができる時間はボイドの収容が終わり本船が動き出すまでのごく僅かしかない。


「ヴィオン。わりぃ。あの子の握っていた剣の本来の持ち主を見つけてやってくれ」


「気をつけて。難破した砂船が近くに有るかもしれないから砂山の影とかも確認してみて。それとここから離れる前に光球を上空に上げて知らせるからすぐに戻ってきてね」


 助けた少女がきつく握りしめていた柄は大剣の物だ。折れた刀身がどのくらいの大きさだったかも想像するのは容易い。常識で考えればそんな大剣をあんな小さな少女が使うわけもない。
 だとすれば本来の持ち主が(あれほど強く握り締めているのだからひょっとしたら少女の知り合いか肉親なのかも知れない)いるはずだ。
 それにこの常夜の砂漠を移動するなら砂船を使うのが常識。おそらく事故か襲撃で砂船を放棄せざるえなかったのだろう。
 そして外見から見てもまだ10代前半。下手すれば一桁台の少女が歩ける距離などたかが知れている。
 セラの言うとおり動けなくなった船が近くに有る可能性は高い。
 なぜ少女がたった一人であそこに倒れていたのか疑問も残るが、探してみることは無駄ではないはずだ。


「おう。ざっと見てくる」


 左手をあげて二人達に答えると、凍てつく冷気で固まっていた背中の翼を一度動かし砂を振り落とし魔力を込めてから軽く船体を蹴ると、翼の持つ魔術特性『浮遊』が発動し、ヴィオンの身体は音もなく宙に浮かんでいく。
 途中で先ほど回収されたばかりの少女を中心に人だかりができ、ざわめきが起きている搬入口の横を通り過ぎる。
 一瞬で通り過ぎた為によくは判らなかったが、あのざわめきはまさかあそこまで幼い子供だと思っていなかった事で起きたのだろうか。 

 
「驚いてるな。まだ小さな子だもんな……まずは灯台岩の周りをぐるりと飛んでみるか」


 あっという間に本船の見張り台よりもさらに高い位置へと浮かび上がったヴィオンは、上空からざっと周囲を見回してから、左手で魔術触媒である黒い小石を懐から取り出し、鋭く細い口笛のような短縮詠唱を鳴らす。
 左手の小石が砂へと変わると、ヴィオンの周囲で強い風が巻き起こりその背中を押し始める。
 空中高速移動を可能とする高位魔術と違い、浮遊はただその場でぷかぷかと浮かび上がる事しかできない。
 だがこれに風系の魔術を組み合わせることで、自由自在にとまでは行かなくとも帆に風を受けて奔る帆船のように動ける。
 もっとも系統の使う魔術を同時に操るには、高い才能か長い修練が必要となる。
 だがヴィオン達のような稀少特性、翼のある魔族や翼人達。翼その物が魔具のような種族は別だ。
 僅かな魔力を翼に通すだけで浮遊が発動し、比較的楽に空中移動を可能としていた。







 

「ちっ……砂に足を取られないのは良いがやっぱ見えづらいな。だからって光球をばらまくと余分な物も呼び寄せるかも知れねぇしな。灯台の灯りがあるのが唯一の救いか」


 空を飛びながらヴィオンは小さく舌を打つ。
 短時間で少しでも探せる範囲を広くする為にはなるべく高い位置を飛ぶしかないが、この暗がりの中で地上の痕跡を発見するのは容易ではない。
 それに北リトラセ砂漠のモンスターはその大半が地上や地下を住処とするが、空を活動の場とする物も僅かにいる。
 そして砂漠特有の砂で出来た起伏に富んだ地形は、幾つも大きな影を作り出し見通しを悪くしている。
 大型の砂船であれば発見も用意ではあるが、あの少女の乗っていた船が小型であれば見落とす可能性は高い。
 灯台の設置された岩場を中心にしてゆっくりと飛び、上空からの襲撃を警戒しながら、灯台からの僅かな灯りを頼りにヴィオンは真っ暗な地上へと目をこらしていく。
 だが見える範囲内に動く人影や砂船らしき形を発見することが出来ない。
 なにも発見出来ないままヴィオンは灯台岩を半周して、本船が停泊している反対側へと出てしまう。
 残り半周でもなにも発見出来なければもう少し範囲を広げてみるべきか。まだ本船が動き出すまでは時間はあるはずだ。
 
 
「まだ動き出してないよな…………ん。あれは?」

 
 セラからの合図が無いことを確認する為に後ろを振り返ったヴィオンは違和感を覚えて足を止める。
 暗がりとなっていた為に判りづらいが灯台岩の岩壁で何かが一瞬だけ光った。
 何らかの手がかりになるかと先ほどとは違う触媒を一つ取り出して、再度口笛のような短縮詠唱を唱える。
 ヴィオンが術で呼び出したのは小さな光球だ。それを先ほど何かが光った位置へと放り投げる。
 淡い光に浮かびあがったのは、白くぶよぶよしたミミズのような形の長い身体を持つモンスターだ。しかしその大きさはミミズなどとは比較にならない。
 ヴィオン達の乗る先守船すらも一飲みにする事が出来そうな巨大な口蓋に、巨木のような太い胴体。ここ北リトラセ砂漠特別区に君臨するサンドワームだ。
 だがこの大きさでもこれは幼生体に過ぎない。
 老体まで成長すれば街一つを飲み込んでしまうほどまでに巨大化し、大陸の地下に広がる迷宮を拡張、再建、改造していく代表的な迷宮モンスターになる。
 そんな巨大なサンドワームがまるで昆虫採集された虫のように岩壁に縫い止められて息絶えていた。
 ヴィオンは下降して壁に近付いてみる。
 サンドワームが縫い付けられた壁にはよほど強い衝撃が加わったのかヒビが入っている。ぐちゃぐちゃに砕けたサンドワームの頭部には折れた大剣が一本突き刺さったままだ。
 刀身だけが残り柄は姿形もない。その折れ口は先ほど助けた少女が強く握っていた柄の折れ口とそっくりだ。おそらく両者はピタリと合わさるだろう。
 そしてサンドワームの下からは砂漠に向かって巨大な何かを引き摺った線が色濃く残っている。
 ヴィオンが目で追ってみると線は途中で途切れており、先端には何かを引き抜いたようなくぼみが出来ている。
 状況から予測するに、強烈無比な突きでサンドワームの頭部を貫き勢いそのままに引き抜いただけでは飽きたらずそのままの勢いで壁に打ち付けたのだろうか。
 

「……おいおい。どれだけ力任せだよ」


 呆れながらも感嘆の成分が混じった感想がヴィオンの口から思わず漏れる。
 どれだけの力があればこんな芸当を可能とするのだろうか。 
 力業が得意なボイドでもこの足場が悪い砂漠において、能力開放状態は別としてもこれほどの膂力を発揮できるかは微妙だ。
 それ以前にサンドワーム相手に近接戦で挑もうと思う事自体が間違いといって良いだろう。
 弾力性の高い肉体は生半可な斬撃を軽く受け止める。
 巨体にもかかわらず高い敏捷性と砂の下を自由に動ける特性。
 自然とこちらの攻撃機会は少なくなるサンドワーム相手の戦闘は距離をとりつつ顔を出した所で遠距離攻撃がセオリー。
 そうでなければ逃げの一手がもっとも無難な選択肢になる。
 周囲には矢等の飛び道具や魔術が使われた跡を見る事はできない。
 この剣士は近接戦闘で倒しきるのは難しいサンドワームを剣一本で倒しきったというのだろうか?
 
 
「と、感心してる場合じゃないな。まだ砂に跡が残ってるって事はこれやった奴が近くにいるか」


 どんな人物だろうかと想像を始めようとしていたヴィオンだったが、探索が先だと思考を打ち切る。
 リトラセ砂漠の砂は細かい。僅かな風でその形をすぐに変えてしまう砂漠にここまでくっきりと虫を引き抜いた跡が残っているということはまだ戦闘が行われてからそう時間は経っていないはずだ。
 この周囲を地上から探した方が見つけやすいかも知れない。翼に込める魔力を減少させてヴィオンは一気に下降する。


 ――シャリ


 砂漠に降り立ったヴィオンの足下で軽い抵抗と共に、まるで冬場に霜を踏んだかのような音が一瞬だけ鳴り響く。
 違和感に膝を着いて足下の砂を掬ったヴィオンはフードの奥で眉を顰める。
 本来はさらさらと手からこぼれ落ちるはずの砂が掴めてしまう。表面の僅か下。極浅い部分だけだがどうやら水分を含み凍りついているようだ。
 その上下は本来のさらさらとした砂地のままだ。
 二、三歩歩いてみると同じように軽い抵抗と共に氷を踏み抜く音が響く。


「なんでこんな所で……この辺り一面そうなのか」


 表面を普通の砂が覆っているので気づかなかったが、凍りついているのはヴィオンがたまたま降り立ったここだけではなさそうだ。そして新たに砂が覆っているということは戦闘が行われてからはそれなりに時間が経っているはずだ。


「跡が残っているのは時間が経ってないからじゃなくて、凍って形が崩れなかっただけ……っ!?」

 
 どうするべきかと考えていたヴィオンは氷が割れる僅かな音に気づく。本能がならす警鐘に従いヴィオンは翼に魔力を込めて一気に空中に飛び上がる。
 ヴィオンの身体が地から離れたその刹那、先ほど立っていた場所から僅かに離れた砂漠が盛り上がり巨大な何かが姿を現した。
 光球の灯りにうっすらと浮かび上がったのは白い頭部と固い岩盤を容易く砕くぶ厚く頑丈な放射状の歯。
 

「サンドワームか!」


 崩れてた体勢を空中で直しながらヴィオンは右手で槍を握り左手を外套の中に突っ込む。
 砂漠を行き交う商船護衛で幾度も戦闘経験のあるサンドワームだ。次に何を繰り出してくるかなど予想するのは容易い。
 ヴィオンが取り出したのは鉄のような硬い鱗をもつ剣魚の牙。
 魔術触媒を左手に構えたヴィオンの口から簡易詠唱が放たれると同時に、サンドワームの口蓋から空中を飛ぶヴィオンに向かって圧縮された砂の固まりが撃ち出された。
 元が砂といえど硬く固められた硬度と勢いは鉄の塊が飛んでくるのとさほど変わらない。まともに当たれば骨は砕け肉は引きちぎれるだろう。
 しかしヴィオンの術発動がほんの一瞬だが勝る。
 間一髪ヴィオンの目の前に薄い白銀色の六角状の幕が広がって、寒気を覚える勢いで迫っていた砂弾を受け止めた。
 幕にぶち当たった砂弾は弾け飛びヴィオンの周囲に渦巻く風に乗って漂いはじめる。漂う砂は、外套から飛び出てむき出しになったヴィオンの翼にも纏わり付いてくる。
 砂弾を受け止めてみせたのはヴィオンが唱えた剣魚の牙を触媒として発動した魔術盾だ。
 魔力で作られた盾は打ち消し合う為に魔力攻撃には弱いが、物理攻撃に対しては極めて有効的な術。
 そしてサンドワームの砂弾は硬さと勢いは砂船の装甲版を貫くほど強力だが魔力を持たない。
 サンドワームからの攻撃を受け止めつつ、長槍に風を纏わせた遠距離攻撃で仕留めるのがヴィオンのいつものやり方だ。


「なっ!?」


 だが今回は勝手が違う。
 ヴィオンの顔と声に驚愕の色が浮かぶ。
 砂弾を受け止めた魔術盾が魔力攻撃を受けかき消された時のようにスーッと消失していく。
 砂弾の一撃で魔術盾が消失したことなどこれまではなかった。
 狼狽しながらもヴィオンは状況を手早く判断する。
 術の詠唱に間違いはない。触媒も管理協会公認の工房で作られた高信頼度の物。術は完全に発動しているはずだ。
 そうなればサンドワームの吐き出した砂弾を疑うしかない。
 迷宮モンスターは常に同じ能力を持っているわけではない。
 個体が突然変異で特異能力を持つこともあれば、種族その物が進化しまったく違う特性を持つ事もざらにある。サンドワームが魔力を持つ攻撃を繰り出したとしてもおかしくない。
 明確な確信は持てないがいつもとは違う相手の攻撃に策もなく挑もうと思うほど、ヴィオンは無謀ではない。
 だが逃げるわけにも行かない。攻撃の質も見極めないままこのまま本船に戻る選択は有り得ないからだ。
 ヴィオンの作りだした魔術盾とは規模も出力も違うが、本船の防御結界も同様に魔力を用いた術。万が一だがかき消されないとも限らない。
 幸いサンドワームの敏捷性は、砂から飛び出てから砂弾を吐き出すまでの時間から見て、いつもとさほど変わらない。 
 ここは距離をとりながら砂弾を回避。サンドワームが何をしたのか見極めるべきだ。


「嫌な予感が当たりやがったか! っっておい!」


 こうも立て続けに想定外の自体が続く事にヴィオンは悪態を吐きながらも、背中の翼にさらに魔力を込めて高く飛び上がり距離をとろうとし、またも驚きの声をあげる事になった。
 翼に思うように魔力が込められない。
 ヴィオンにとって翼は生まれたときからある物。手足を動かすのと同じくらいの気安い感覚で魔力を通すなど造作もないはずだ。
 だが今は違う。魔力を送りこんでも翼に貯まっていかない。魔力が送れていないのではない。
 まるで穴の空いた桶に水を汲んでいるかのように、翼に留まるはずの魔力が外に抜けていく。
 
 
「ちっ! やるしかねぇか!」


 このままではすぐに魔力は尽き浮遊の効果は切れてしまう。あとは地上に叩きつけられるだけ。
 いくら下が柔らかい砂地とはいえ、この高さから落ちたのではダメージは免れない。
 絶対的な有利である空中を即座に捨てる決断をしたヴィオンは地上にむけて一気に降下した。   



[22387] 剣士と薬師 ⑦
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:4e98e308
Date: 2011/01/26 19:33
 二人目がつり上げられてすぐに搬入口の扉が閉められ凍てつく外気は遮断された。
 同時に操舵室に収容完了の連絡が伝わり、待機状態だった転血炉が出力を上げ始めて再出航の準備が始められていく。
 このまま何事もなく無事に動き出せば良いのだがと皆が思う中、備え付けられた温度調整装置が冷え切った船倉に温かい風を送り始める。


「始めますか」


 ぼんやりと光る解析用の魔法陣の上に、外套を身につけた少女が横たわったままの吊り上げ板が静かに置かれていた。
 薄汚れた外套を着込んだその身体はまだ幼い子供といって良いほどに小さい。
 その右手には不釣り合いな大きな折れた剣。
 少女の意識はほとんど無いというのに、その手は柄をきつく握り大人の力でも引きはがすことができない。
 見た目からは想像できないほどの膂力を有しているのだろうか。
 剣を握ったままなので外套を脱がすことが出来ず、その上に毒を帯びているかも知れない少女の身体に迂闊に触れる事もできず、とりあえずはこのまま診断するしかないだろう。
 解析陣の前に立つルディアが指を一つ打ち鳴らす。
 大抵の魔術師は魔術を操る際のキーワードとなる特定の簡易動作を持つ。
 ルディアのそれは指を打ち鳴らす事だ。
 魔法陣が淡く放つ光が一瞬強まり、少女の身体が光に包まれる。
 解析の魔法陣は毒の有無や種別判断に用いられる低位の術。毒の反応があれば目に見える形、煙として結果を示す。
 毒の強さを示すのは色と濃さだ。弱ければ緑色。そこから濃度や有害度が強まるほどに徐々に濃度を増しつつ黄、赤へと変化し、致死量になれば黒へと変わる。
 解析陣が放つ光が収まると少女の身体からすぐに煙が浮かび上がってきた。煙は赤と黄の二種。ほぼ全身を覆っていた。
赤くなっている部分は二カ所。一つは胸の上。胃の辺りだろうか。もう一カ所は左手。
 跡は右腕を除いて同じ濃さの黄色を示している。


「…………」


 解析結果を見たルディアが無言のまま口元に手を当てて僅かに眉を顰め、困惑の色を浮かべる。


「姉ちゃん。クソガキの状態はどうなんだ? そんなにまずいのか」


 ルディアの背後にいたマークスが少女の安否を尋ねてくる。
 この少女に散々やり込められたというが、厳つい外見のわりにはマークスは人が良い部分があるのかクソガキといいながらもその表情は少女の安否を心配しているのがよく判る。
 

「たぶん大丈夫……だと思います。毒が全身に廻ってはいますけど命に別状はないかと。ただ変なんです」


「変ってのは?」


「赤くなっている部分が毒の濃い場所。これが2カ所です。左手と胸の部分。ここから体内に毒が回ったっていうなら濃いのも判るんですけど、他の部分が均一すぎるんです。通常なら血液の流れに沿って広がっていくから、接触部分から離れれば徐々に薄くなっていくはずです……それに右腕だけまったく毒に犯されてないってのが」


 どうにも不気味な予感をルディアは感じ取る。
 ほぼ全身に毒が広がっているが、その所為で毒素は各臓器に致命的な症状を与える致死量には到らない程度に薄まっている。
 そして右腕だけは麻痺性の毒の影響を一切受けず剣を強く握れる状態を辛うじて維持している。
 ルディアの知る毒物知識の常識では考えられない少女の状態。
 未知の毒物とは思いにくい。
 誰かが人為的にこの状態を作り出したと判断するのが妥当だろうか。誰かがこの少女に治癒を施したのか……それとも。
 しかしいくら思考してもルディアにとって未知の答えが得られるわけではない。仮説を立てるのが精々だ。
 それよりも今は優先すべき事がある。


「とにかく治癒を先に行います。毒の特定をします」


 口元に当てていた手を離してルディアが再度指を打ち鳴らすと、今度は魔法陣が激しい勢いで点滅を繰り返していく。
魔法陣が既存の毒物であればさほど時間もおかず特定し、未知の毒物であっても類似した物を提示してくる。
 後は解析結果に合わせて解毒薬を製作すればいい。
 ルディアの師であれば一瞬で特定し治癒も同時に行う高位の魔法陣を製作できるのだが、独り立ちしたとはいえルディアもまだ新米薬師でしかなかった。


「毒が大サソリの物ならすぐに血清を打ちます。他でも低度な毒物なら特効薬を調合できます。私の手に余る物でなければ良いんですけど……クライシスさんでしたっけ? この子の身体のどこに触れたか覚えていますか。触れた部分が強く痺れるとかあれば」


 特定が出来るまでは僅かだが時間は空く。
 今のうちにもう一人の患者の状態も把握しておくべきだろうと、少女の後に引き上げられた護衛の探索者へとルディアは目をむける。


「触った場所か……呼吸を確かめる為に触った顔だな。剣をはがそうとした右手と、脈を診た左手は素手で触ったな。後は肩に担ぎ上げた時の腹の部分やらいろいろだ。正直どこって聞かれても答えようがねぇ。痺れの方は末端の四肢だ。無理すりゃ動けるけど力が入らない感じだ」


 自分は症状は軽いから後で良いと断っていたボイド・クライシスは横になったまますぐに答える。
 こちらは少女とは違い意識もはっきりしており受け答えも普通にできる。
 

「何か変な所とかありました?」


「変といってもな……そういや顔なんかは氷みたいに冷たくなっていたのに、脈を確かめた左手だけは妙に温かったか。汗ばんでいるみたいに少しだけ濡れていた」

   
 反応が濃くなっている部分である左手がおかしかったと聞き、何気なく少女の左手に目をむけたルディアはすぐに違和感に気づく。
 先ほどよりも左手の煙の色が赤黒くなっている気がしたのだ。
少女の左手へ目をこらし、それは気のせいではないとルディアはすぐに結論づける。
 けばけばしい赤から黒みをました不気味な色へと目に見えて変化していく。


「毒が強まっている……わけじゃなさそうね」


 船倉内が暖まってきたことで毒が活性化したかと一瞬疑ったルディアだったが、すぐにそれを否定する。
 左手の煙が色を増すに従い、全身を覆う黄色い煙が僅かずつだが薄くなり始めている。
 それだけではない薄目の防寒用手袋で覆われた左手が水に濡れたかのようにうっすらと滲み、青白かった顔には血色が戻り始め、苦しげだった呼吸も安定していく。
少女の変化にルディアの周囲で経過を見守っていたファンリア商隊の者達も気づきざわつき始める。
 何が起きているのかは判らずとも、ルディアの表情や雰囲気から通常では有り得ないことが起きている事に気づいたのだろう。


「お嬢さん……こいつは?」


 ファンリアの声にも不審げな成分が強く混ざる。
 ルディアはまだ治癒を施していないというのに、どう見ても回復し始めているようにしか見えない。
 

「仮定なんですけど……この子自身が毒を左手から無理矢理体外に排出しているとしか」


 ルディアは少女の左手を指さす。左手を覆う手袋は表面から水滴が滴り落ちるほどに濡れ始めている。
 


「はぁっ!? そんな事出来るのか?」


「おいおい。ってことは左手のそれは毒かい?」


 自信なさげにルディアが答えると、ファンリアやマークス達が唖然とした表情を浮かべる。
 身体を活性化させて毒を体外に排出する。それ自体は不可能ではない。ルディアも知識として知っている。
 だがそれほどの高度な肉体操作を行える者は極限られている
 竜種などの上位怪物種。もしくは肉体操作に特化した力。所謂闘気を操れる、それもよほどの熟練者が使う高位技法しか思いつかない。
 そんな事を人間種にしか見えずまだ幼いといえる少女が行えるのだろうか。しかも意識がほぼ無い状態でだ。
 ルディアの理性はそれに否と即答で返してくる。
 それがルディアの知る常識。薬師としての当たり前の世界というものだ。
 だがそのような当たり前の常識をあざ笑うかのように、少女の身体からは急速に毒が抜けていく。


「……結果が出ました。やはり大サソリの毒みたいです」


 解析結果を知らせる表示が魔法陣の上に浮かびあがる。
 砂漠に生息する大サソリの毒もしくは類似した毒。これならば砂船に備え付けの血清で十分事足りるだろう。通常ならば……


「強制毒排出かよ。何者だこのお嬢ちゃん。まさか上級探索者か?」


 探索者であるボイドはこの技のことを知っているのか他に比べて多少驚きの色は少ない。
 最高位の探索者。上級探索者。
 数多の迷宮を踏破し、神の恩恵『天恵』を幾つも得た彼等は超常の力を有すると同時に、不老長寿の存在となる。
 中には見た目が20代でありながらも、既に数百年近く生きている人間種も存在するという。
 見た目が幼く見えるだけでこの少女もその一人なのだろうかとボイドは予測を口にする。


「否それはないだろうよ。こんだけ見た目の若い上級探索者がいれば存在が広まってるはずだ。だが眉唾な与太話以外じゃ俺も聞いたことがねぇな……少なくとも普通じゃないのは間違いないがね」


 だがファンリアがすぐに否定する。
 見た目が子供の上級探索者。
 これほど特異な探索者がいれば交易商人として大陸中の情報を集めているファンリアの耳に入ってこないはずがない。


「私もファンリアさんと同意見です。私は上級探索者を直接は知りませんが、師から大サソリ程度の毒ならば、上級探索者と呼ばれる者達は無効化、吸収するのが当たり前と聞いています。この子の場合一応は影響を受けているようですから……正直黙って見ていた方が良いのか、血清を打った方が良いのかも判りません」


 普通の者であれば大サソリの毒は命に関わるほどだろうが探索者達は違う。
 その身に宿した天恵が、彼等の基礎能力を底上げし通常では有り得ないほど強靱な肉体を作り上げる。
 現にボイドが良い例だろう。おそらく彼も少女を通して大サソリの毒に蝕まれているはずだが、受け答えが出来る程度の影響しか受けていない。
 一方で少女は意識をほぼ失っている。毒の量が多いのかも知れないが、それでもただの大サソリの毒。噂に聞く上級探索者と考えるのは難しい。
 しかし少女が一体何者かと問われたとしても答えは浮かんでこない。
 ルディアにとって未知の存在としか言うしかなかった。
 判断が付かずルディアは口元に手を当て思わず爪を噛む。
 悪癖だとは判っているがどうにも行き詰まった時に出るルディアの癖だった。 

 
「何者かは後で確認するとしてだお嬢さん。こちらのお嬢ちゃんの意識はすぐに戻りそうなのかい?」


 考えあぐねているルディアの様子を見かねたのか、ファンリアが助け船を出してくる。


「確約は出来ませんけどたぶんす……」


 ――バンッ! 


 ファンリアの問いかけに答えようとしたルディアの言葉は、突如響いた破砕音、次いで起きた砂船全体を揺らす震動で遮られる。
急な震動にバランスを崩したルディアはたたらを踏み、長身痩躯が祟りそのまま強く尻餅を打つことになる。
 

「っぅ……今度は何?!」


 痛む尾てい骨を擦りながらルディアは身を起こす。
 その間も破砕音は連続して鳴り響き、船全体を揺らす震動が起き立ち上がることもままならない。
  
 
「船長! 何があった!?」


 震動の中を踏ん張って堪えていたファンリアが、震動が一瞬だけでも収まったとみるや老体とは思えない機敏な動きで伝声管へと飛びつく。


『サンドワームの砂弾です! 防御結界で防いでいますが着弾箇所から出力が急激に低下して結界が相次いで消失! 直撃を受けています! 護衛探索者にガードさせていますが砂弾の数が多く手一杯です!』


『……転血炉……最大まで……結界維持を最優先! ……』


 早口で答える船長の声に混じり、機関士とおぼしき船員の怒鳴り声が聞こえてくる。切羽詰まった声が事態の緊急性を嫌が上でも認識させる。


「結界消失っておい! 大丈夫なのか?」


「っていうかここもやばいんじゃないか! 搬入口だから装甲が薄いぞ!」


 元中級迷宮用拠点船である砂船の防御結界は、特別区においては破格とも言える防御力を有している。
 その事はこの貨客船を馴染みの船としてよく利用するファンリア商隊の者達もよく知ることだ。現に今までは襲撃があったとしても船体が直接被害を受けたことは皆無だ。
 不測の事態に動揺が広まりかけた中、鋭い声が響く。
  
 
「落ち着け!」


 声の主はファンリアだ。
 普段の飄々とした老商人としての表情は消え失せて、幾多の修羅場を抜けてきた交易商人としての一面が顔を覗かせる。


「船長俺等が直衛に出るから、護衛の探索者達は迎撃に出してくれ! 若い連中は女子供を船体中央に避難させろ! クマ! 目眩ましなんかの威嚇武器でいいから在庫から引っ張り出してこい! サンドワームを追い払うぞ!」


矢継ぎ早にファンリアが指示を下すと、浮き足立っていた者達の動揺が一気に収まった。ファンリアが商隊長としてどれほど信頼されているのかよく判る光景だ。
 次いでファンリアは未だ座り込んだままのルディアへと目をむける。


「お嬢さんはボイドの兄さんの毒を抜いてくれ! その兄さんは強いんでな! 出てくれればなんとでもなる! 腰が抜けてるなら手を貸すがね」


 にやりと笑う顔には動揺の色は微塵の欠片もなく、絶対に何とかなると雄弁に物語っている。
 ならばルディアとていつまでも動揺して倒れ込んでいるわけにもいかない。
 戦闘は向いていないが自分にやれることをやるだけだ。
 ルディアは勢いをつけて立ち上がる。
 
 
「判りました! 怪我人が出たらあたしの所に。医者のまねごとくらいなら……」


 ――ヴォゴッ! 


 薬師として簡易治療ぐらいは出来るとルディアが答えようとした瞬間、それまでで最大の破壊音が響き渡る。
 一瞬遅れて強烈な衝撃と震動が船倉を襲いルディアは再び床に打ち付けられていた。







 気がつくとルディアの目の前には真っ暗になった船倉の床があった。どうやらほんの一瞬だが意識を失っていたようだ。

 
「……っ……っぅ……」


 倒れ込んだときに頭を打ったのかズキズキと痛むが、身体の方は軽い痛みだけだ。
 痛む側頭部を抑えながらルディアは身を起こし周囲を見渡して、先ほどまで船倉を煌々と照らしていた光球が消滅している事に気づく。
 外側の船体には大穴が空き、そこから微かな灯台の灯りが入り込むと共に、冷たい外気が吹き込んでくる。
 破砕音は未だに鳴り響き続けていた。


「……っ……」


 さほど離れていない位置から人の呻き声が聞こえてきた。
 

「だ、大丈夫ですか!?」
  

「……な、なんとかな……姉ちゃんの方は大丈夫か? 


 ルディアの問いかけに答えたのはマークスだ。姿はよく見えないが彼も倒れ込んでいるようだ。


「口を開くと砂が入って来やがるな……ち、直撃……でもうふぇふぁのふぁ」
 
 
 最初は普通に答えていたマークスが急に呂律が回らなくなってくる。


「ちょ、ちょっとマークスさんどうしたんですか? 大丈夫なんですか?!」


「…………」


 ルディアは再度声をかけてみるがマークスからは明朗な返事が返ってこない。ただ言葉にもならない呻き声が返ってくるだけだ。
 不安を覚えたルディアがそちらに寄ろうとした所で、反対側から急に声が聞こえてきた。


「ん。心配いらないだろう。サンドワームの砂弾だ。奴等の砂弾にはサソリの毒が混じってるみたいで触れてるだけで毒が回ってくる。周囲に飛散しているから吸い混んだのだろうな。私は慣れたからこれくらいなら大丈夫だが……それにしてもサンドワームめ。せっかく温まってきたというのに穴を開けて冷気が入り込んで来るじゃないか。まったく迷惑な奴等だ」


 何処か傲岸不遜な幼い声が明朗に響き渡る。
 不機嫌そうなその声は、この異常事態に対してもまるで近所の野良犬が五月蠅いという世間話をしているかのように軽い。
 驚きのまま振り返ったルディアの目の前で誰かが立ち上がる。
 船体の穴から入り込む僅かな光に浮かび上がるその影は随分小柄だ。


「他に倒れているのは……14人か結構いるな。ん……そう言えばお前は大丈夫そうだな。お前も私と同じで毒物に耐性があるのか?」


 声の主は夜目が利くのかこの暗闇の中で倒れている人数を確認してから、ルディアへと振り返り不思議そうに尋ねてくる。
 

「わ、私は薬師だから。多少は毒物耐性があるのよ」


 何処か人を従わせるような響きを持った声にルディアは我知らず自然と答えていた。


「おぉそうなのか。うん、やはり私は運が良い。ならここは任せるぞ。麻痺性の毒だから抜いてやってくれ。状況はよく判らないがどうやら私を助けてくれたようだしな。お礼だ。サンドワームの相手は私がしてやろう」


 何処か嬉しそうで勝ち気な声が返ってくる。
 今の答えに何を喜び運が良かったと言える要素があったのか、答えたルディアにすらよくわからない。
 どうにもマイペースな相手にルディアは言葉を無くす。
 現実感がないと言えば良いのだろうか。
 声の主が誰であるのか?
 ルディアも理解はしている。
 だがそれを認めるのは今までの常識を全て覆す事に他ならず、理性が拒否していた。
 なぜならその相手はつい先ほどまで毒物に犯されて意識を失っていたはずなのだから。
 そして意識は取り戻せたとしてもそう易々と動けるはずかない。


「と、次が来るな。おい。頭を下げていろ。天井方向に流すが剣が短くなっているので、方向が逸れるかも知れん」


 だがそんなルディアの常識を無視した影は手早く告げパンと小さな音を立てながら床を鋭く蹴った。
 ルディアが辛うじて目で追えるほどの高速の踏み込み。
 一気に最高速へと躍り出た影はさっと右手を振るう。
 その右手にまるで吸い込まれるかのように、船体の穴から何かが飛びこんでくる。
 
  
――シャァツ! ダン!


 金属をすりあわせたかのような音が響き、穴から飛びこんできた物体が逸らされて天井にぶち当たり衝撃音が響いたかと思うと、ルディアの頭上からバラバラと砂の固まりが降り注いでくる。 
一体今何が起きたのかルディアには理解できない。
 その右手に握られたのは到底剣と呼ぶことも出来ない柄だけの代物のはずだ。


「あぅ……すまん。人のいない方にやるつもりだったんだが狙いが逸れた。刀身がもう少し残っていれば上手く流せたんだがな。む。仕方ない。後でちゃんと謝るから許せ」


 だが影にとってはそれは当然のことなのだろうか。
 むしろもっと上手くできるはずだとむぅと不機嫌なうなり声をあげてからルディアに軽く頭を下げる。
 
 
「そうだ。さきにサンドワームの事を伝えるべきか。こいつ等は変種のようだしな。指揮所は上で良いのか?」


 立て続けに起きた非常識な事態に呆然事実としながらも辛うじて判る問いかけ。
 おそらく操舵室のことを尋ねているのだろう。
 ルディアは言葉なく頷くのが精一杯だが何とか答える。


「判った。じゃあここは任せたぞ」


 だがそんなルディアの様子を気にも止めていないのか影は何処か楽しげに答えると、穴から外へと飛び出ていった。 
 
 



[22387] 剣士と薬師 ⑧
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:4e98e308
Date: 2011/01/26 19:33
「左舷上甲板光球2,7、10消失! 船尾防御結界六番耐久値急速低下! 駄目ですこのままでは維持できません! 再展開準備しますか?!」


 船体各部の結界展開状態を表示する水晶球には次々と消失や耐久値の低下を知らせる文字が浮かんでいく。
 魔力発生機関『転血炉』の出力調整と、炉から船体各部に設置された魔法陣への魔力供給分配を担当する若い船員は青ざめた顔を浮かべていた。
 この船の防御結界は蓄積型防御結界。
 常時炉から魔力を供給し続け展開させる直結型防御結界と比べ、即時展開が可能な上、大型で強固な結界を形成するメリットがある。
 しかしその反面、直結型と違い減少した耐久値を回復することは出来ず、消失後に再展開する必要があった。
 通常戦闘であれば先に展開した防御結界が消失する前に、次の結界用魔力充填が終わっているが今回は異常な勢いで耐久値が削られていくために充填が追いついていない。
   

「再展開はせずギリギリまで持たせて下さい」


 慌てふためく部下を前に、船長は内心の焦りを押し殺す。とにかく今は消失した光球や結界を再展開する魔力さえもおしい。 
 サンドワームが打ち込んでくる砂弾の数が増す事に、船体各部の防御結界の出力が低下し光球が消え失せていく。
 こんな事は船長の経験の中でも初めてのことだ。
 サンドワームの砂弾はあくまでも砂を高圧縮しただけの物理的な攻撃。
 防御結界に著しくダメージを与えたり、発動している魔術を打ち消す力など無いはずだ。
 だが今現実にそれが起きている。


「機関部、客室周辺の結界維持を最優先。残りは浮上推進用魔力蓄積に」


 元々余剰出力が有るこの船だからこそ耐え切れているが、並の砂船であったらとっくに魔力を消費し尽くして結界を失っている所だ。
 しかし決して余裕があるわけではない。 
 不規則に現れて砂弾を打ち出し再度潜行、離れた場所で浮上また砂弾を撃ってくるサンドワーム達に苦戦している。
 この状況下で最も有効な手はこの場の離脱だろう。砂船の最大速度であればサンドワームを引きはがすことは不可能ではない。それは船長もよく判ってはいる。
 だがそうしようにも結界維持に魔力を持っていかれすぎて、結界を展開しながらサンドワームを引きはがす距離分だけ船を動かす推進用魔力蓄積もままならない。
 船体の直衛についている護衛探索者2パーティとセラが結界の穴を埋め、辛うじて致命的な一撃は防いでいるがそれもいつまで持つか。
 攻撃に転じるにはせめてもう一人。倒れたボイドか周辺探索に出たヴィオンが戻ってくれば……


「ボイド君と先代達に連絡はまだ付かないでしょうか? 再度呼びかけて下さい」


 特にボイドは探索者にとって最大の切り札『神印宝物』を所持している。採算が合わなくなるが逆転は容易い。
 そしてボイドがまだ回復していなくとも、修羅場になれたファンリアが率いる商隊の者達が直衛に出てくれれば砂船を守っている探索者達もある程度は動けるようになる。
 しかしつい先ほど下部倉庫がある辺りに直撃弾が被弾してから彼等との連絡が途絶えたまま。何度呼びかけても返答は返ってこない。
 

「駄目です! 返答がありません!」 


「ヴィオン君との連絡は?」

  
「通信魔具はまだ使用不能です!」


 砂弾の影響を受けているのは結界や光球だけではない。
 護衛の探索者達からも魔術が上手く発動しない。効果がすぐに切れるなどの異常報告があがり、それどころか船内にある魔具すらも軒並み使用不能や不調になっている。
 もしこの影響が高度な魔術工学の産物であり命綱である転血炉にまで及んだら……   


『船長やばい! 船尾に出たサンドワームの動きが変わった。腹が膨らんでやがる! でかいの撃ってくる気だぞ! くそっ! 右舷前方、左舷側面それぞれにも出現!』


 激しい攻撃の中で果敢にも見張り台の上で報告を続ける船員が悲鳴混じりの声をあげる。
 サンドワームの主な攻撃は二種類。
 人の頭大の物を1回に複数飛ばしてくる散弾状の砂弾。
 もう一つは体内にはち切れんばかりの砂を溜め込んでから行う『砂獄』と呼ばれる範囲攻撃だ。
 大量の砂を広範囲に高速で吹きつける砂獄は、鋼鉄の装甲版すらも一瞬で削りきるほどの威力を持つが、普段ならそれほど恐ろしい物ではない。
 準備動作から攻撃してくるまでに若干の時間がある事と、魔術防御結界さえ万全であれば防ぐのは容易いからだ。
 だが船尾側の防御結界が消失した今の状態で直撃を受ければ致命的な攻撃になりかねない。

 ――しかし同時にこれは好機でもある。

 サンドワームは巨体に合わないその素早さでこちらの反撃が始まる前にぶ厚い砂の下に潜り込むヒットアンドアウェイを繰り返していた。
 だが大技を繰り出そうとするサンドワームは今地表にその姿を現し留まっている。おそらく同時に現れた二匹は牽制役なのだろう。
 だがその思惑に乗るつもりは船長にはない。
 前方には転血炉があるが、防御結界もまだ健在。他よりも優先しているために再展開用の魔力も貯まっている。 


「左舷砂弾! セラ嬢防御! A、Cパーティ!後方のサンドワームに集中攻撃! 砂獄を撃つ前に落とせ!」


 ここが勝負所。あえて重要な前方を捨て死中に活を求める。
 決断した船長は鼓舞の意味も含めた鋭い指示の声をあげた。











 普段は相手が部下だろうが子供だろうが馬鹿丁寧が特徴の船長が珍しく強めた声が伝声管越しに上甲板に響き渡る。
 不規則に打ち込まれる砂弾を金属盾や魔術盾で防ぎながら奮戦していた探索者達は一斉に動き出す。
 

「あぁ! もう! なんであたしばかり貧乏くじ?!」


 仲間が一斉に船尾側へ向かって砂船を飛び出ていくとは逆に、セラは左舷側面へと走る。
 探索者の本領は集団戦。人の力を大きく超えた迷宮の怪物種に対するにはチームワークだ。
 その点から考えればメンバーが揃った他の二パーティと違い、一人は倒れ、もう一人は捜索から未だ戻らず。万全とは言い難い状態。
 居残りで防御は仕方ないかも知れないが思わず愚痴がこぼれる。 
 船体周囲を照らし出す光球は所々消滅しているがまだ辛うじて左舷側は見通しがきく。
 身体半分を砂漠から覗かせていたサンドワームが己の身体を振り回し砂弾を口蓋より撃ち出す。 暗闇の中、高速で飛来する砂弾は十以上。
 セラは外套を跳ね上げて内側にある隠しポケットに右手を突っ込み、触媒処理を施された剣魚ファルンの牙をがばっとつかむと、豆を巻くように放り投げて左の杖を構える。


「ファルンの牙達よ! 我が身に降りかかる災厄を防ぐ壁と成れ!」


 セラの詠唱に答えて六角状の白銀色の幕『ファルンの盾』が船体側面に幾つも展開される。
 パーティメンバーのヴィオンならば飛んでくる砂弾の弾道予測をして最低限の数で防御を張る事もできるが、セラにはそんな器用な真似は出来ない。
 攻撃方向に向けてそちらを広く防ぐように張るしかない。幸いファルンの牙は魔術触媒としてはそう高い物ではないが、どうにも貧乏性のあるセラは臍を噛むような顔を浮かべる。 
 

――ゴッ! ガゴッ! 


 次々飛来する砂弾を魔術盾が受け止め船体への被害を防ぐ。
 だがその代償と言うべきなのだろうか、展開した魔術盾は砂弾が命中した所だけでなくその周辺までが一気に消滅していく。
 本来ならサンドワームの砂弾攻撃であれば『ファルンの盾』は一枚で十発程度は受け止める事ができる。しかし今は一発防ぐのが精々だ。


「うぅぅ……もったいない……もったいない」


 炸裂した砂弾から飛散した砂埃が舞う中、セラは破れかけた防御帯の内側にさらにもう一度牙をばらまき防御帯を手早く作成して右舷船首側を振りかえる。
 サンドワームの攻撃は両面と後方から。後方は仲間達に任せれば大丈夫だとしても、右舷には誰もいない。
 右舷前方はまだ船の防御結界があるが、破られればその分だけ再展開するために魔力を使い離脱が遅れる。
 金銭的余裕はともかく、時間ならばまだ余裕はある。最初の数発は無理だとしても、いくらかは防げるはずだ。
 セラが右舷側に向かい防御帯を作ろうしたその時、何者かが船の外から飛び上がってきた。
 
 

 



 
 
  






 垂直に近い船壁を少女は僅かな凹凸を足がかりに一気に高く跳び甲板を超えた高さまで到達すると周囲をぐるりと見渡す。
 自分が居たのはどうやら砂船。それも中型と呼ばれるそこそこ大きな物のようだ。
 出現しているサンドワームは3匹。船尾側に大技を放とうとする一匹。右舷左舷に各一匹。
 左舷は防御帯が出来ている。甲板にいる魔術師が作成した物だろうか?
 後方の砂漠には大技の発動体勢を取るサンドワームへと駆ける複数の人影。装備やその機敏な動きから見るに探索者達で間違いない。
 左舷、後方共に自分がやれることはない。
 なら自分の役割は右舷の攻撃を防ぐこと。
 周囲の状況を確認した少女は音もなく甲板に着地し、迫る砂弾に目をむける。
 前方から迫る砂弾は14発。
 眼前には防御結界が展開されているが、耐久値が減少しているのか破られてはいないが所どころ薄くなっている。
 飛来する砂弾の方向と速度から弾道を予測する。
 目測と経験から各防御結界の予想耐久値を割り出す。
 両者の位置関係から着弾予測地点を算出し、戦闘経験からしる通常とは違う砂弾の『特性』を考慮し危険度を設定。
 戦いの気配に体内を駆け巡る血は熱く鼓動し、目覚めたばかりの少女の思考を加速させて砂時計の粒が一粒落ちるまでにも満たない僅かな時間で瞬く間に、戦闘状況の把握と予測を終わらせ最善の行動を決定させる。


「はっ!」


 甲板を蹴り迫り来る砂弾へと向かい少女は自ら防御結界の外へと飛び出す。
 身体を左に捻り右腕を巻きつけるようにして左腰脇に構える。
 狙うべきは結界の薄い箇所へと飛びこんでくる砂弾が二つ。
 右腕に力を込め狙いを定め呼気を鎮め期を計る。


「せぃ!」


 剣線上に二つの砂弾が到達した刹那、少女は裂帛の気合いとともに右手に闘気を込め剣を振る。
 少女の武器である折れたバスタードソードに残る刃は拳一つ分ほど。
 大半の者がほぼ根元しかない剣をみれば、それはもはやただの鉄屑だと思うだろう。
 だが少女には違う。
 少女にとって柄があり、刃が僅かでも残っているのであればそれは紛れもなく剣である。そして少女は己を剣士だと自負し、己の剣技に誇りを持ち旅をしていた。
 剣を握り剣士であるならば自分は戦えるという確固たる信念と共に。


――シャァァッ!


 高圧縮され激しく回転しながら飛ぶ砂弾。表面は粗い砥石のようにざらつく。
 幅広となった剣の腹と砂弾が擦れ合い火花が飛び散る。頑丈で良品の素材から作られてはいるがただの鋼鉄剣の表面が削られていく。
 だがこれこそが少女の狙いだ。刃が削られていく際の僅かな抵抗で砂弾を刃で『掴んだ』少女は手首を微かに返す。
 少女の動きに合わせて砂弾の進行方向がずれた。
 剣から通して伝わる感触で砂弾がずれたことを悟った少女は、刃から『放し』、剣をさらに振り上げ延長線にあるもう一つの砂弾を同じ要領でまたも『掴み』、その方向をずらす。


――シャリン!


 鈴の音のような高い金属音が鳴り響き、結界を消失させるはずであった二つの砂弾は少女の剣に流され上向きにずれると船体を掠め甲板の上を飛んでいった。
 一方少女は剣を振るった際の反動と流した砂弾の勢いを合わせて胸につくほどに膝を抱え丸くなると、そのまま後方に一回転し音もなく先ほど飛び上がった甲板に着地する。 
 

――ゴッ! ガゴッ! バンっ!


 残った砂弾が少女の眼前で次々に防御結界へと着弾していく。
 砂弾が砕け散る事に目に見えて薄くなっていく防御結界。
 いつ破れるか判らないと恐怖を覚えそうな物だが、絶対に大丈夫だという確信を持つ少女は微動だにせずその光景を見つめながら、柄を握る右手にぎゅっと力を込める。  


「むぅ。まだまだだな……精進しないと」


 少女の心には怒りが浮かんでいた。
 一振りで直接防げる砂弾はどう足掻いても今の二つが限度。
 右手に構える剣が本来の長さであっても三つ。
 自ら封じている本来の剣術技を持ってしても五は超えない。
 己の未熟に少女は自分自身への怒りを覚える。
 どれだけ早く状況を判断し取るべき行動を模索することが出来る頭脳があっても、肉体が追いつかなくては意味が無い。
この数程度の攻撃を処理できないのは恥だ。
 自分に剣を教えてくれた人ならばその一振りで全てをたたき落とすことも、打ち手にそのままはじき返すことも自由自在に行える。
 少女が知り、目指し、そして超えようという高みは果てしなく遠く困難な道。
 だが己なら駆け抜けることが出来ると少女は自信を持っている。
 そしてその目標すらも今は少女にとって手段でしかない。
 少女の心にあるのは大願。
 迷宮に挑む探索者となり、上級迷宮に眠る宝物を手に入れ、今の自分を消す。それも数年のうちにだ。
 その為には常に自分を戦場に置き成長を続けていくしかない。
 だからこそ闘いは少女にとって望むべき物だ。


「……ん?」


 ほんの一瞬だけ自らの思考に埋まりかけた少女だったが、弾け飛んだ砂弾から散った砂に混じる苦みの混じった香りに気づき空中に左手を伸ばす。  
 飛散していた砂をつかみ取った少女は、砂の中にサソリの毒が混じっている可能性がありながらも躊躇うこともなく舌を伸ばしてぺろと舐める。
 ざらざらとした砂には微かに甘酸っぱい酸味と先ほど嗅いだ苦みが入り交じっていた。
 先ほどの下の倉庫らしき場所で嗅いだ匂いや味と少し違う物だ。


「ふむ……この匂いと味は間違いないな。やはり変種という奴だな」


 自分の予想通りだったことに満足げに頷いた少女はくるりと後ろを振り返る。
 そこには杖を構え右手を振り上げたまま呆然と固まっているセラがいた。












「ふむ。指揮所に向かって伝えるつもりだったのだがお前で良いだろう。指揮官に伝えてくれ」


 いきなり甲板上へと現れた少女は何とも傲慢な口調でセラに話しかけてくる。
 まだ子供としか思えない小さな身体とやけに薄汚れた外套。そして右手には刃元から折れた大剣をしっかりと握っている。
 それはセラ達が灯台で倒れていた所を助け出した少女の姿その物だ。
 しかし意識がないときは外見相応に幼く何処か弱々しく感じた印象だったのだが、起きている今はまるで違う。
 別人といっても良いほどに、生命力に満ちあふれ何とも力強く、そして得体の知れない化け物じみた雰囲気を醸し出している。
 今の砂弾を弾き飛ばした動きなどセラから見ても、兄であり優秀な探索者だと心の底では慕っているボイドと同等か、それ以上の動きだ。


「あっ……っぇ? ……はぃ?!」


 予想外すぎる人物の登場とその力にセラは口をぱくぱくとさせて唖然とする。
 さっきまで半死半生だったんじゃ?
 どうやってここまで上がってきた?
 それよりも今何をした?
 聞きたいことや確認したいことが多すぎて、何を尋ねればいいのか判らず思考が停止している状態だ。


「今襲ってきているサンドワームの砂弾なんだが、匂いや味を見れば判るがリドの葉やカイラスの実が混じっている。この二つの植物には魔力吸収特性があるのは知っているよな。その所為で魔力が吸収されて魔術が発動しなかったりすぐに消えるようだし、魔具も不調になっているはずだ」


 だがそんなセラの状態に気づいていないのか、それともまったく気にしていないのか。
 少女はいきなりそんな事を言い出すと一つ頷き、次いで防御結界を指さす。


「だから至近で防いでいても炸裂した砂弾から、魔力吸収特性のある砂がまき散らされて防御陣をやられているだろ。砂弾を撃たせないように攻勢を強めた上で、風系で舞い積もってきた砂を吹き飛ばすか、もしくは水系の術で砂を洗い流させろ。もちろんそちらの術も影響を受けるが幸い精錬前のリドやカイラスの魔力吸収性は低い。すぐに飽和状態になるから問題なしだ。ただ砂弾が追加されると意味なしだ。しかもこの所為で魔力の低い即効魔術は打ち消されるからな。どうやら前衛がいないようだし魔術師のお前ではきついだろうから、私があそこの一匹は相手をしてやる。後ろの奴はあちらにいる探索者達で十分だろう。残った一匹は早い者勝ちだ。では、以上のことを指揮官に伝えろ」


 一方的に告げた少女は潜行を始めたサンドワームをみるとそのまま飛び降りようとする。
 しかし捲し立てられたセラとしてはたまった物ではない。
 少女の話は魔術系の不調となっているこの状況に合点がいく物であるが、それでも訳の分からない事が多すぎる。
 なんでこの少女がそんな事を知っているのか?
 相手するとはまさか本当に一人で闘うつもりなのか?
 少女が口を開く事にセラの困惑は強まるばかりだ。
  

「ち、ちょっと、まった! まった! へっ?! 何!? どういう事!?」
 

「む。なんだ。今は機敏に動くときだぞ。話があるなら後で聞いてやる」


 セラが慌てて少女を呼び止めると、少女が不機嫌そうに頬を膨らませながら振り返り、少し吊り気味の勝ち気そうな目でセラをみる。
 その姿はとっとと行かせろと雄弁に語っている

 
「あーもう! なんて言ったらいいのか! とりあえず危ないから止めなさい! 魔術が効きにくい相手だからって言っても何とか闘えるから!」


「そうは言うがこの状況なら、おそらくお前より私の方が上手く戦えるぞ」


 なんとか引き留めようとするセラだが少女の方は聞く耳を持たない。しかもかなり見くびられているような気がする発言を吐き出す。
 自分の方が強いとでも言いたげな少女に対しセラは声を荒げる。


「なんで何その根拠!?」


「ん。私は魔力変換障害者……つまり生命力を魔力に変換できないから魔術の類を一切仕えない体質だ。だから魔力吸収してくる相手だろうが普段と変わらない実力を出せるぞ。それにだ……」


 セラの怒鳴り声に対して少女は涼しい顔で答えると右手を突き出す。
 その手に握られるのはほぼ柄のみが残った折れた大剣。とても武器とは呼べないはずだ。
 だが剣を握る少女が醸し出す力強さにセラは我知らず畏怖し一歩後ずさってしまう。
 
 
「私は剣士だ。剣をこの手に握る以上私は戦えるし戦う」


 絶対的な自信を秘めた獰猛な笑みを浮かべながら少女は宣言すると、小さな足音だけを残して甲板から飛び降りた。 
 会話にならない会話を一方的に打ち切られた形のセラはしばし唖然とする。


「い、意味がわから……ってあぁぁ! 早! もうなんなのよあの子! リドの葉云々は嘘じゃないだろうけどなんなの!?」

 
 はっと我を取り戻したときにはもう後の祭り。
 慌てて下を覗いてみると暗闇の砂漠の中を、足を取られる砂の上だというの獣じみた速度で一直線に突き進む少女の姿が見えた。
 今から追いかけてもセラの足では到底追いつかない。
 とにかく今はまず少女のもたらした情報を操舵室へ伝えようと、セラは慌てて近くの伝声管に飛びつく。


「船長! 船長! 聞こえる!? なんか分け判らないのが出てきたんだけど!」


 だが少女の言動に困惑されていたセラも、何から説明すればいいのかよく判っていなかった。



[22387] 剣士と薬師 ⑨
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:4e98e308
Date: 2011/01/26 19:31
 賽子が転がる。
 賽子の内側で無数の賽子が転がる。
 無数の賽子の内側でさらに無数の賽子が転がる。
 賽子が転がる。
 神々の退屈を紛らわすために。
 神々の熱狂を呼び起こすために。
 神々の嗜虐を満たすために。 
 賽子が転がる。
 迷宮という名の舞台を廻すために転がり続ける。






 レイドラ山脈緑迷宮『氷結牢』サブクエスト『聖剣ラフォスの使い手』
 次期メイン討伐クエスト『赤龍』
 両クエスト最重要因子遭遇戦開始。
 戦闘能力差許容範囲内。
 両因子特異生存保護指定解除。
 システム『蠱毒』発動。



 

 
 










 少女と砂虫の戦いの場は砂船が停泊する位置から、灯台を廻るように北東へと移動しながら激しさを増していた。
 砂船の方へ行かせず、自らが灯台を背にせずに。
 常に位置関係に気をつけながら、砂漠を潜行するサンドワームが地上へと発する僅かな気配を辿り追いかける。
 移動、浮上、攻撃、潜行しまた移動をする。一定の距離を保ち続けようとするサンドワームとの戦いで、元々ボロボロだった少女の外套はさらに破損している。
 着弾と共に爆発した砂弾の爆風で弾け飛んだ刃物のような砂の粒によって、その右袖は千切れ、フードは切り裂かれその幼い顔が露わとなっている。
 だが間一髪爆風を躱した少女本人が負った傷らしい傷は頬に鋭く走った切り傷程度。未だ戦闘に支障が出るほどのダメージを負ってはいない。

 
「!」


 少女の前方70ケーラ(メートル)ほどの所で砂漠が盛り上がり、砂の海を割ってサンドワームが浮上してくる。
 仄かな灯台の灯りの元、太く長いミミズのような姿を露わとしたサンドワームは地面すれすれで大きく頭を振り勢いをつけると、その口から大量の砂弾を発射した。
 鋭い音を奏でながら高速で撃ち出された砂弾は幅30ケーラほどの範囲に濃密な弾幕を形成し少女に迫る。
 今から横に移動して回避しようとしてもその範囲から逃げることは難しい……なら受け流すのみ。
 直撃するであろう砂弾の弾道を少女は瞬く間に予測すると一瞬で立ち止まり右半身に構える。

  
――ジャ! ジャャ! ジャッ!


 少女が逆袈裟に跳ね上げたナイフよりもさらに短くなったバスタードソードの刀身が、火花を散らしながらも見事に砂弾を逸らす。
 だがこの攻撃を少女が躱すことをサンドワームは予測していたのか既に次の攻撃動作に移っている。
 少女を足止めする事が目的だったのだろう。
 胴体をしならせてその頭部を天へと向かって高々と振り上げたサンドワームの口から今度は赤色で染まった砂弾が六つ撃ち出される。 
異なる二つの動作から発射された砂弾は、地面に対して平行に飛んできた高速弾とちがい緩やかな山なりの弾道を描く。


「ふん。それは既に見たぞ」 


 先ほど手傷を負わされた攻撃に対し、少女の理性は全力で後ろに下がれと警告する。
 だが敵との距離が離れているというのに、後方へ退き逃げるのは少女の流儀ではない。あくまでも前に進み己が間合いに入れと本能が訴える。
 少し吊り気味な勝ち気な目を輝かせた少女は足下の砂を蹴って前方に二歩、三歩と駆け出す。
 頭上から落ちてくる前に駆け抜けようというのだろうか…………だが砂漠の上でも俊足を誇る少女の足でも数歩届かない。
 暗闇の中を山なりの放物線描いた赤色の砂弾が少女の行き先を防ぐ形で幾つも降り注ぐ。
 赤い砂弾は火龍薬と呼ばれる強い衝撃を加えると爆発する魔法薬が混じっており、炸裂音と共に特徴的な刺激臭を放ちながら弾け飛び、巨大な砂煙を巻き起こしつつ無数の砂の粒を高速で弾き飛ばす。
 ただの砂一粒と侮ることは出来ない。
 細かな粒子の砂は爆発の威力も相まって鋭利な刃と変わらない凶器へと変貌している。
 先ほどは通常の砂弾に混じっていた一発で少女が僅かながらも手傷を負わされていた。
 それが今度は六つだ。単純に計算は出来ないが辛うじて躱せた先ほどよりも威力は桁違いに跳ね上がっているだろう。
 
 だが……それがどうした。
 一度見た攻撃が私が躱せないと思うか。

 口元に自負から生まれる笑みを浮かべる少女は、膝を鎮め体勢を低くしながら足下めがけて右腕を一閃させる。
 鋭く力強い剣の一振りは砂の大地を細く深く切り裂く。
 剣を振った勢いのまま少女が転がるように自ら切り開いた穴へと飛びこむと同時に、刃混じりの砂煙がその上を通過していった。
 砂煙が頭上を通り過ぎるやいなや少女は埋まった穴の中から力ずくで這い出し、そのまま右前方へと転がる。
 次の瞬間、少女が這い出した穴に三角錐状に鋭く尖った虹色に淡く輝く小さな砂弾が高速で次々に撃ち込まれ、砂漠に小さな穴を穿った。
 間一髪で攻撃を躱した少女は安堵の息を漏らす暇もなく即座に跳ね起きると身を震わせ纏わり付いた砂を振り払って再度前に向かって突き進む。
 火龍薬を含んだ炸裂弾。
 高速で飛び砂を穿った小さな砂弾は軽量硬質で知られるインディア砂鉄独特の輝く虹色をしていた。
 これに通常の砂弾攻撃に加えてサソリの毒を持つ毒弾。そしてリドの葉やカイラスの実の特性が混じる魔力吸収弾。
 砂漠越えの前に事前に仕入れた知識にはないサンドワームの攻撃能力。
 しかし予想外の攻撃にも少女は動じることなく、何とか防御したり回避しながら、その能力を推測し続けていた。
 サソリの毒は別として、前者二つは自然には存在せず人の手によって調合される物質だ。
 リドやカイラスの魔力吸収植物はこの砂漠には自生していない。
 ここまでヒントが出そろえば結論は自ずと出てくる。。
 サンドワームは食べた物を砂弾として撃ち出している。しかも特性を残したままで。 
 おそらく砂漠を行き交う交易船を襲って積み荷を喰らいその身に取り込みでもしたのだろう。
 サンドワームが放つ種類豊富な遠距離攻撃は、未だ未熟な少女には確かに脅威だ。
 それでも前に進む。
 なぜならば少女の行動は、常に決まっているからだ。
 相手が誰であろうが、どのような攻撃をしてこようが、いつも変わらない。
 遠方から放たれる攻撃を躱し防ぎ相手の懐へと飛びこみ斬る。それだけだ。
 今まで歩んできた道も、これから歩む道も何も変わらない。
 何も悩む必要もない。
 悩めるほどの手も昔ならいざ知らず今の少女にはない。
 少女が唯一無二とする戦闘距離は、息づかいが混じり肌が触れ合うほどの近距離。
 己の間合いへと、極近接戦闘圏へと接近するために、少女は前へ前へと突き進む。
    

――ザザザッ!


 ひたすらに猛進してくる少女に対し、サンドワームですら恐怖を感じたのだろうか? 
 それともこのままでは埒があかないと覚悟を決めたのだろうか。
 先ほどまでなら一連の攻撃を防がれると仕切り直しとばかりに砂の中へと潜行して距離を取っていたサンドワームの動きがここに来て変わる。
 その太く長い胴体を砂の上に完全に出現させると、蛇のようにくねりながら逆に少女に向かって突進を開始した。
 大サソリすらも軽く一飲みに出来るサンドワームの巨大な口蓋の中では放射状に連なる牙がガツガツと音を立てて蠢く。 
 あの歯にかかれば少女の小さな肉体など、あっという間にかみ砕かれ細切れのミンチにされてしまうだろう。
 しかし少女はサンドワームの突進を前にして口元に不敵な笑みを浮かべ息を小さく吸い、望む所と、と言わんばかりに体を前に倒し極端な前傾姿勢となる。


 丹田に意識を集中。
 生命力を闘気へと変換。
 渦を巻く闘気を足へと流し、一部を膝に留め、残りを足裏へ。


「勝負!」


 滾る声と共に溜め込んだ闘気を砂地へと打ち込み加速の力へと少女は変える。
 響く足音。一瞬遅れて踏み台とされた砂が後方へと吹き飛んでいく。
 たった数歩で最高速へと加速した少女と、その巨体に似合わぬ速さで迫る巨大なサンドワーム。
 40ケーラほどだった両者の距離は瞬く間に縮まっていく。
 サンドワームの口蓋がさらに大きく開き勢いのままに少女を丸呑みにしようし……空を切った。
 小さな影がサンドワームの頭上を越えていく。
 突進の勢いのまま空中へと跳び上がった少女は空中で身体を捻り横倒しになった体勢へとなる。
 日に当たらないために不気味な白さを持つサンドワームの無防備な胴体が眼前を駆け抜けていく。
 少女は右腕を鋭く振った。
 だがまるでぶ厚いハムの固まりに指を押し当てたような感触に、少女の刃はあっけなくはじき返される。
 肉を切り裂くどころか、皮一枚を削ぐことすらも出来ない。


「ちっ! ダメか!」


 攻撃を弾かれたことで乱れた体勢を四肢を使って立て直した少女は、砂漠へと長い足跡を残しながらも何とか着地し、


「っ!」


 悪寒を感じとっさに左横へと倒れるような角度で跳ぶ。


――ブンッ!


 サンドワームの尾が巨人族の振るう棍棒の一撃のような恐ろしい勢いで少女の体を掠めて通り過ぎる。


「やるな!」


 まともに受けていれば吹き飛ばされた上に全身の骨が砕かれていただろう攻撃に対しても、少女は楽しげに嗤う。
 それは子供が遊びを楽しむようなあどけない笑いではない。
 致命的な一撃を避けたことを喜ぶ安堵の顔でもない。
 身を守る鎧はなく、不十分な体勢からでは折れた剣では僅かなダメージを与える事もできない。
 だがそれでも少女は嗤う。
 少女の本能は気づいている。
 そして……おそらくサンドワームも。
 自分達の間には食うか食われるかの決着しかないということを。
 少女が浮かべる笑みは己が存在理由を賭けた全身全霊の戦いに、心からの愉悦を覚える戦闘狂が浮かべる狂った笑みだった。
 

 
 


 
  







  





 ちょっと短いですがキリがいいのでこれで。
 最初に意味不明な中二成分たっぷりな文章が出ていますが、それは後々。
 とりあえず今回の戦闘は退却不可能なボス戦だと思っていただければ……両者ともに。
 あと世界観の風味付け程度の単位換算表を乗せておきます。

稚拙な小説ですがお読み下さりありがとうございます。



単位換算表

 単位(単位上がり    現実換算) 


 尺貫法 現実と変わらず。

 1寸 (1/10尺)
 1尺 (基本単位       0,303m)
 1丈 (10尺         3,03m)
 1間 ( 6尺        1,818m)
 1町 (60間=360尺  109,09m)
 1里 (36町        3,927㎞)



 神木法 国際単位

 1ケール     (基本単位     10㎝)
 1ケーラ     (10ケール     1m)
 1ケールネアス  (1000ケーラ 1㎞)

 工房単位

 1レド    (基本単位     0,08㎝)
 1レラ    (1000レド   83.3㎝)



重さ


 神木法 国際単位

 1レィト    (基本単位       100g)
 1レィラ    (10レィト      1kg)
 1レィトネアス (1000レィラ  1メガグラム)

 工房単位

 1ラグ    (基本単位        0.08g)
 1ラグラ   (1000ラグ      83.8g)
 1ラズ    (1000ラグラ     83.8㎏)



 オリジナル世界における単位の使用設定

尺貫法 
 
 暗黒時代の最初期に滅びた東方王国で用いられた独自の度量衡。
 東方王国崩壊後。神の怒りに触れた国としてその文化、風習が悪徳とされ、忌み嫌われた時期があり廃れている。
 今現在は東方王国時代の宝物、特に刀剣の長さや重さを表す程度にしか使用されていない。
 東方文化の復権や見直しをする動きがあり多少は復活しているが、僅かな痕跡だけを残し壊滅したので正確な情報や資料はあまり残っていない。
 上級探索者には東方王国出身者もいるが、彼らのほとんどはその時代のことには口を噤んでいる。
 

 神木法

 神木法における単位の設定
   
 神木法の元となったのは神卸しの木『ケレイネアス』と呼ばれる林檎の木。
 神が降臨した時のみを花を咲かし実をつける林檎の木は、一年中雪で閉ざされた極寒の地であろうが、年間で片手の指で数えられるほどしか雨が降らない砂漠であろうが、根を生やし成長する。  
 普段この樹木の花弁は固く閉じられている。
 だが依り代たるこの木に神が降臨すると石のような蕾が開き、宝石のように光り輝く10色の花びらで構成された花が一斉に咲き乱れる。
 神が去ると花は散り黄金色の林檎が実る。
 林檎は全て同一の形状と質量を持ちこの法則は木が異なっても変わらない。
 その特性が利用されて基準単位として用いられるようになり、今では各国で共通単位として用いられている。
 一般的に用いられ日常生活に深く根付いている。
 ただし海上において用いられるのは別の単位となる。


 工房単位
 
 細かな尺度を持つ単位系であり、その元は太古のドワーフ職人達が制定したとされる。
 その由来もあり緻密かつ精密な作業を必要とする彫金や鍛冶、また薬剤調合を行う工房で用いられている。



[22387] 剣士と薬師 ⑩
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:4e98e308
Date: 2011/02/04 12:00
 先ほどまで散発的に聞こえていた船の防御結界が砂弾を受け止めた衝突音は形を潜め、変わって渦を巻く風の音が響く。
 風を起こしているのは船の直衛に残っていた魔術師のセラだ。
 彼女が魔術で周囲の大気を操り空気中に漂ったままだったり、船体各部に積もっていた砂を、セラがつむじ風で集めては次々に遠くへと吹き飛ばしていた。
 だがセラの使うのもまた魔術。
 砂を集めている最中も砂に含まれるリドやカイラスなど魔力吸収性植物の影響でつむじ風はどんどん弱くなっていきすぐ消え失せてしまい、何度も術をやり直す羽目になっている。
 もっとも友人、知人。はては家族にすら貧乏性と断言されるセラにとっては、次々と消費する魔術触媒を失う方が痛手のようだ。
 うかない顔で『もったいない。もったいない……』と、まるで呪詛のような呟きを繰り返している。
 

「……ちっ。早いな。気配がどんどん離れていきやがる」


 砂漠の闇を見据え遠方から響く音で気配を感じ取っていたボイドは、愚痴をこぼす妹を横目でちらりと睨みつけてから舌を打つ。
 襲撃をかけてきたサンドワームは全部で三体。
 大技を繰り出そうとしていたサンドワームの一匹は既に同ギルドの別探索者パーティが仕留め、二匹目への攻撃を始めている。
 そちらは順調その物だが、問題は三匹目。そしてボイド達が助けた少女だ。
 セラの話では本船から少女が飛び出して両者が戦闘状態に入った直後からどんどん船から遠ざかっていったそうだ。
 ボイドが甲板に上がって来たときにはその姿は視認が出来る範囲に既に無く、辛うじて気配を感じ取れるくらいに離れ、こうしている今もどんどん遠ざかっている。
 血清の効果で動けるほどには回復してきたが、麻痺の影響で四肢に上手く闘気を伝達できない今のボイドではこの距離を移動するには時間がかかりすぎる。
 切り札である『神印開放』を使い、”本来”の下級探索者としての力を使えば、この程度の麻痺は即時無効化できるが、ボイドの所有する『宝物』で神印開放を出来る時間は精々三〇秒足らず。
 サンドワームとの戦闘を考えればぎりぎりまで近付いてからでないと使えない。
 だがそんな事はボイドも判っており対策済みだ。
 砂漠を移動するための足は元々ある。
 後の問題は乗り手だけだったがそれも何とかなった。
 今は乗り手と少女へ届ける”物”が来るのを待ちながら、戦闘地点の予測をしていたのだが、どうにも妹の様子が気になっていた。
 

「さっきからうるせぇな。少しは黙って仕事しろ」


「うぅ。兄貴にはわかんないの。今日消費した分の触媒を買い直したら杖が新調できる位の出費なんだから……
想像したら気持ち悪くなってきた」


「あのなぁ、触媒代はどうせ必要経費で落とすんだから気にせずばっと使え」

 
 改めて消費量を金銭換算したのか、ますます青ざめた顔を浮かべる妹の様子にボイドは溜息を吐く。
 魔術師の場合はとにかく金がかかる。
 術を使う際に速効性と正確性を考えるなら触媒を使うのが一番だが、ほとんどの触媒は使い捨ての品。
 種類によって値段はピンキリではあるが、それでも安いという物ではない。
 杖にしても探索者に成り立ての初心者が使う物でも、護符宝石やら魔術刻印を刻んだり等で手間がかりそれなりに値が張る。
 だから魔術師が金に五月蠅くなるのも判らなくはない。
 そしてセラの場合は日常生活はケチだと断言できるほどの貧乏性ではあるが、自分や仲間の命がかかっている武器防具や触媒に関しては逆に値が張る良品にこだわる所がある。
 そのセラが杖相当というのなら結構な金額の触媒を使ったことは間違いないのだろう。
 だがボイド達は所属する護衛ギルドからの依頼でこの貨客船に乗っている。
 当然この触媒も必要経費として計上できるはずだ。ならそこまで気にしなくても良いとボイドは思うのだが、


「………………」


 ボイドの苦言にセラは黙りこくっていた。しかもこの寒さの中でもなぜかだらだらと冷や汗めいた物をかいている。
 あまりにも分かり易すぎる不審な態度にボイドは非常に嫌な予感を覚える。


「おい…………愚妹。お前まさかと思うが、取り分を増やすために経費保証契約を外したとか言わないだろうな」


 ギルドからの紹介仕事には幾つか条件やオプションがあり、仕事の難易度や自分達の懐事情によって探索者側で指定することが出来る。
 探索者側の取り分は一割と少ないが、損害補償、経費保証、必要装備支給及び私有装備整備保証。怪我死亡時の見舞金付与といった全ての責任をギルド側が負うローリスクローリターンな契約。
 紹介料だけ抜き、残り依頼料は全部探索者側に。ただし何らかの人的、物的損害が出た場合は探索者側が賠償。
 しかも被害の度合いによっては、ギルドの信頼を損なった懲罰としての多額の罰金や資格停止、剥奪なども有りうるハイリスクハイリターンな契約といった具合だ。
 ボイド達の今回の契約はパーティ単位ではなく個人契約にし、依頼料から紹介料と損害補償、経費保証を引き、オプションで迷宮内での戦闘回数による報酬アップを選択している。
 これは平均的な契約で、取り分は探索者に四割、ギルド側に六割。
 戦闘が多ければ取り分は最大で六:四へと変化する……ボイドが三人分をまとめて契約した初期状態のままならばだが。


「あはははっ……うん。止めたら七割もらえるからこの前外しちゃった。ほら特別区で出てくるモンスターは普通なら弱いし、兄貴もヴィオンもいるから出番が無かったし」


 口調は軽いがどうしようとセラは半泣き顔を浮かべている。
 小型船の行方不明は増加していたが、中型以上の砂船は特に問題は起きていなかった。
 特にこの船の場合は防御がしっかりしていたので、襲撃されても速度を上げて振り切ってお終い。
 先守船で先行探索しているときも操舵士のセラは船を操るのに専念している。
 もっぱら戦闘は主にボイドでヴィオンがフォローという構成で、あまりセラが戦闘に出張ることはない。
 たまにちょっとした術を使うが、それでも使う触媒は微々たる物。
 契約変更した方が断然お得と兄に黙ってセラが変えたのは、今回の護衛依頼を受ける直前。
 それが変種のサンドワームが出てきたことで今までの状況が一変し、契約変更がいきなり裏目に出るなどとはセラも予想していなかったのだろう。
 
  
「一応交渉はしてやるが期待するな……男だったらぶん殴ってる所だ。おかしいぞおまえ。いつもならもうちっと緊張感あるだろ」


 頭痛がしてきたこめかみをボイドは押さえるが、先ほどからの妹の態度にどうにも違和感を感じる。
 セラは確かに貧乏性ではあるが、今のような切迫した状況下であればもう少し抑えているはずだ。
 所が今はどうにも緊張感が欠けているというか、少し様子が変だ。少女のことを心配する様子もあまり見られない。


「あのさぁ。兄貴……あの子を助けに行くの止めたら? たぶん大丈夫だと思う……それになんか変だよあの子。あんまり関わり合いにならないほうが良い気がするんだけど」

 
 疑問を浮かべるボイドの視線に気づいたのか、セラが僅かに不安げな様子を浮かべながら告げた。
 








 
 
 


「なんでこんな多いのよ……しかも一般仕様じゃなくて改変型」


 ぶつぶつと口中で文句を漏らしながらも、狭い通路の壁に背を預けたルディアは左手に持つ先守船のマニュアルに目を通して頬を引きつらせる。
 魔法陣の記述式自体はオーソドックスな浮遊術式を改変した物だ。それが四つ船底に設置されている。
 改変魔法陣の操作自体は問題無いが、難問は魔法陣四つそれぞれの出力や角度を変更して行う船の操舵だ。
 改変型術式はルディアが読み取った通りならば、高出力状態では爆発的な加速を得ることができるが、低出力になると途端に浮遊の力が不安定になり挙動が怪しくなる。
 ピーキー仕様に正直言って真っ直ぐ走らせる事ができるかどうかも、ルディア本人としても疑わしい。


「絶対まずいってのになんで引き受けたんだろ。あたし」


 本来の操舵士であるはずの魔術師達は、それぞれがサンドワームとの戦闘やら船に積もった砂の除去で手は空かず、一人で闘っているであろう少女の元まで今は行くことが出来ない。
 麻痺で倒れていたファンリア商隊の者達も常備している血清を打ってある。ほとんどの者はさすがにまだ動けないが大事はない。
 この状況でルディアにやれるのは、かすり傷を負った者の治療くらいだが。それならいくらでも変わりはいる。
 手の空いている魔術師はルディア一人。
 少女へと渡す荷物と護衛の探索者を一人乗せて戦闘地点まで送り届けるだけで戦闘に加わるわけではない。
 操縦は厄介ではあるが他に代わりがいないのでは仕方ないと、いつものルディアなら二つ返事で引き受けていただろう。
 だが今回はルディアの本能は関わるな。関わり合いにならない方が良いと、引き受けた今になっても訴えている。
 魔術師、魔力を多く持つ者の勘とは時に予知に似た精度を持つ。
 これは魔力が己の外側。他者や世界を知り働きかける力だからとも言われているが、未だ明確な答えはない。
 ただ魔術師が嫌な勘を覚えるときは、碌な事がないというのは確かな話だ。
 
  
「ったく……」


 右親指の爪を苛立ち混じりに噛む。
 結局の所、ルディアが嫌な予感を覚えるのも、その勘を押し殺して操舵を引き受けたのもあの少女が原因だ。
 魔術師としての勘が少女は異常だ並の者ではないと訴える。
 だがあの少女が目を覚ましたときに最初にみせた剣技……あれはルディアを助ける為の物だった。
 あの時飛び込んできた砂弾の先にはルディアがいた。
 茫然自失として腰を落としていたルディアは避けることが出来ずに直撃を受けて、簡単に命を落としていた。
 思いだすと背筋がぞくっと震えルディアは背を竦める。
  
 
「無事なんでしょうね」


 助けられた恩は返す。
 嫌な勘を覚えながらもそれでも引き受けたのはそんな簡単な理由だった。
 一通り目を通したルディアが再度見直そうとした時に、正面の小型船倉の扉が開かれた。


「わりぃ。姉ちゃん待たせたな」


 中から出てきたのは武器商人のマークスだ。
 麻痺の影響が残り若干ふらつき気味な大男は長く幅広い品物を抱えている。丈夫そうな布で幾重にも包まれたその形状は大剣の形をしていた。
 元から狭い小型船倉に荷物が詰め込まれていた所に、先ほど解析魔法陣を作るために荷物をこちらにも移していたために倉庫の中はギュウギュウ詰めとなっていた。
 そんな所に大柄なマークスと痩せ形ではあるが長身なルディアの二人が入って品探しをするのは難しい。
 結局麻痺の影響はあるが取ってくる品が判るマークスだけが船倉へと入り、その間にルディアは先守船の操縦を極々簡易にではあるが覚えていた。
 

「悪いがこいつをあのクソガキに届けてやってくれ。散々虚仮にしてくれたあのガキに対する俺の意趣返しだ。使えるもんなら使ってみろってな」


 頬に残る獣爪の傷跡を歪ませながらにやりと笑うとマークスは扉へと身体を預けて座り込んでしまう。
 まだ麻痺が完全に抜けていないのに気力だけで立っていたのだろう。 


「大丈夫ですか?」


 ルディアは助け起こそうと手を伸ばすが、その手を拒むようにマークスは剣をルディアに差し出す。
 こっちは気にせず早く届けてやってくれとその目は訴えている。
 目に宿る力は強い。
 これなら大丈夫だろうとルディアは無言で頷き、剣に手を伸ばしてそして目を驚きで見開く。


「……何これ」


 目算でも長さはルディアの半分ちょっと1ケーラはあるだろう。横幅も握り拳二つ分ほど厚さもそれなりにある。
 剣と言うからには金属、もしくはそれに準じる硬度と質量を併せ持つ存在のはずだ。この大きさならルディアが持ち上げるのも一苦労するほどの質量を持つはずだ。
 だが渡された剣は軽い。軽すぎる。中身は空ではないのかと思えるほどだ
 ルディアは包み布に指を触れてみる。
 力など込めていないのにたったそれだけで包み布の中身は柳の枝のようにしなった。
驚き顔のまま包み布をずらすと鈍く光る金属が顔を覗かせる。
 確かに刀身は実在しているようだがどうにも現実味が薄い品だ。


「驚いただろ。そいつは通称『羽根の剣』。見た目は金属剣だって言うのに、通常状態だと鳥の羽一枚分の重さ。折れはしないが簡単に曲がる上に柔らかな弾力があって切ろうとしても相手に当たった刀が跳ね返ってくるって巫山戯た奇剣だ」

 
 とても剣を説明しているとは思えない言葉が並ぶがマークスの顔は真剣だ。
 冗談でも巫山戯ているわけでもない。大事な説明だと肌で感じたルディアは驚きを覚えながら黙って続きを聞く。 


「いろいろと転々としてきたみたいで出所も不明なんだが、俺の勘じゃドワーフたちの総本山エーグフォランで作られた試作品じゃないかと思う。下手すりゃ七工房のどれかが関わっているかも知れねぇな」


 金属合成、加工においてドワーフたちに並ぶ者はこの世界にいない。
 出所不明、製作法不明な金属製品が出てきたのならば、ドワーフたちの手による物と考えてまず間違いはない。
 そしてそのドワーフたちの地底王国エーグフォランと王国直下の七つの工房は、その中でも群を抜いた知名度と常軌を逸した技術力で知られている。
 中には戦闘中のモンスター相手に金属片を打ち込みハンマーで形成して、特性を残したまま生体金属の剣や鎧に変えてしまうと伝説が残るほどの名工達すらも存在する。
 

「ただこいつは失敗品だ。これを作った奴、もしくは考えた奴はまったく使い手の事なんて考えちゃいねぇ。ただ作りたいから作ったのが伝わってくる使い物にならない剣だ。だがあのクソガキならこいつを使えるはずだ。小生意気って言葉も裸足で逃げ出すほど傲岸不遜な奴だが……」
 
 
『武器屋として大成する気ならば人を見る目を養った方が良いぞ』

 最後に少女が残した言葉をマークスは思いだしていた。
 高速で迫る砂弾に一瞬の判断で剣を合わせ弾くなど、平凡な才しか持たない剣士や、ましてや年端もいかぬ子供に出来る技ではない。
 肉体を操る能力『闘気』に長けてこそあの神業は成立する。
 
 
「ありゃ天才だ。なら闘気剣であるこのじゃじゃ馬を、あのクソガキなら上手く操ってみせるだろうさ」


 天才に合わせた剣を武器屋として見繕ってやる。
 少女を捜し出して武器屋としての誇りと矜持を賭けた一品を突きつけてやろうと決めていたマークスは忌々しげな表情ながらも口元にはにやりとした笑みを覗かせていた。


















 次のタイトルは弱肉強食②で行く予定です。 
 剣の性能やらは次話で軽く書けたらと。
 後2話くらいで砂漠を抜けて次の短編的な地方都市話の予定です。
 そこで探索者についての基本設定をやれたらと思っております
 まぁその前に今回の剣の考案者側サイドでも入れようかとも考えておりますが。

 稚拙な小説ですがお読み下さりありがとうございます。



[22387] 弱肉強食②
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:4e98e308
Date: 2011/02/18 00:50
 じっと一カ所に留まっていると砂に沈み込む。
 足を取られないようにと少女はサンドワームを見据えながらじりじりと円を描くように動く。
 一方サンドワームは蛇のように鎌首を持ち上げて、口内に広がる放射状に生えた牙を蠢かせ威嚇しながら少女の動きを追う。
 地中を住処とするサンドワームには目はない。
 その代わりに嗅覚に優れ熱探知の能力を持つ。
 この極寒かつ暗黒に染まる常夜の砂漠において、サンドワームの有する索敵能力は優れた物だ。
 少女が隙を狙おうとしても易々と不意をつける物ではない。
 動かない両者の間に一瞬の静寂が訪れ……


――キュウ……


 不意になった小さな異音で破られる。
 異音を合図にサンドワームが持ち上げていた首を一気に振り下ろすが、そんな大振りな攻撃を少女が見逃すわけもない。
 横に跳びながら牙を交し、ついでとばかりに剣をサンドワームの頭部へと叩きつけた。
 あっさりと剣は弾き返される。
 しかしそれは予想の範囲内。少女は一足飛びの距離を取り、どうすれば致命的攻撃を加えることが出来るだろうと模索する。
 首を戻したサンドワームもまた威嚇しながら少女の出方をうかがう。


――キュゥゥ……


 またも異音が響いた。
 音は少女にとっての隙ではないと学習したのかサンドワームは今度は動かない。


「…………むぅ。お腹すいた」


 小さく鳴るのは少女の胃だ。先ほどまではまだ余裕があったが、いまは空腹を訴えはじめていた。
 年端もいかない少女の化け物じみた戦闘能力を支えるのは、肉体強化の力『闘気』。そして闘気とは全ての生き物が持つ力『生命力』を変換して作り出す。
 少女にとって空腹は即ち生命力の低下と同義である。戦闘力を維持できるのもあと少しだ。
 休憩場所としていた灯台からも大分離れてしまい、夜空に浮かぶ星と変わらない程度の微かな灯りの中で何とかサンドワームの影を視るのもきつくなってきた。
 これ以上の長期戦は不利になるばかり。
 状況判断した少女はにらみ合いを止めると、砂を蹴って一気にサンドワームへと肉薄する。
 少女の突撃に対しサンドワームが頭を振り下ろす。鼻先を轟音を纏ったサンドワームの頭部が掠め、硬い岩盤を砕く牙が外套の裾を切り裂く。
 サンドワームの攻撃は、どれ一つとってもまともに食らえば全てが致命傷となる一撃となる。
 だが少女はあえて真正面から踏み込んでいく。


――躱す。躱す。躱す。斬る。


 左に、右に、身を屈め、跳び上がり、持てうる限りの体術を駆使し無理矢理に死線をくぐり抜ける事で、僅かな猶予を作りすかさず斬撃を叩きこむ。
 剣が届く己が両腕の間合いこそが絶対にして唯一の戦闘圏と信じるからこそ、死地に身を委ねる事ができる。 
 しかし少女の剣は硬い外皮と弾力を持ち伸縮自在な筋肉によって簡単に弾き返される。
 折れた剣には切れ味など無いに等しい刃元しか残っていない。
 足下の柔らかい砂地は踏み込む力を拡散させ、剣へと乗せる力が激減する。
 回避しながら繰り出す斬撃は体勢が不十分な上、サンドワームの動きもあって刃筋が立たない。
 生半可な斬撃ではサンドワームを斬るのは難しい。
 それでも少女の心に諦めという概念はない。 
 握り拳一つに満たない長さでも刃は残っている。
 砂を蹴るタイミングをもっと繊細に一瞬に力を集中しろ。
 次を。次の次を。そのまた次を。常に次を意識し動き体勢を作れ。
 自分が望めば何でも出来ると信じている。だからこそ成長を続ける事ができる。
 今この瞬間に強くなればいい。斬れないモノを斬れるようになればいい。


――躱す。躱す。斬る。躱す。躱す。斬る。躱す。躱す。斬る。躱す。斬る。躱す。斬る。斬る。躱す。躱し斬る。斬る斬る。躱し斬る斬る斬る。


 一手。また一手。
 激しく巡る血でたぎる身体の熱に任せて斬撃を繰り出す事に少女の攻撃は鋭く強くなっていく。
それでも頑丈すぎるサンドワームに傷一つさえつけることができない。
 まだ足りない。もっと踏み込めるか?
 己に対し問いかけ身体の状態を確認。無理な動作に体中が新鮮な空気を求め喘ぎ限界が近い事を訴える。
 本能に従い攻めるべきか。それとも理性の判断通りに一端距離を取るべきか。
 一瞬の逡巡が少女の攻め気を鈍らせ流れるような連続行動に刹那の間隙が発生する。
 少女の隙に対しサンドワームがすかさず動いた。喉元を微かに膨らませ口を開く。
 漂う微かな刺激臭。ダメージ覚悟の近距離での炸裂弾。
 しかし少女とサンドワームの身体構造では受けるダメージの差は大きい。
 この近距離では地面に潜って回避する手も使えない。
 とっさに判断を下した少女は両腕を顔の前に回して、後ろに跳び下がり距離を取る。
 サンドワームは咽喉に赤色の砂弾を覗かせ、発射……しない。冷たい外気を吸い込み砂弾を飲み込んだ。


――フェイント!


 サンドワームの狙いは距離を取らせる事だ。
 少女が気づいたときには、サンドワームは既に次の動きへと移行していた。
 身体を反らせて頭を持ち上げ、後ろ部分だけで巨体を支えながら天を仰ぎ、自ら身体をバネのように収縮させていく。
 20ケーラはあった体長が瞬く間に13ケーラほどにまで圧縮される。
 サンドワームの不可思議な動作に少女の背中が総毛立つ。
 この攻撃はまずいと理性と本能が同時に訴え、生命の危機を感じた少女の思考が最大加速し始めた。
 天を向いていたサンドワームが口蓋を大きく開きながら砂煙を巻き上げ地面へと倒れる。
 衝撃でサンドワームが溜め込んでいた力のくびきが解き放たれた。
 全身をバネとしたサンドワームの巨体が水平に跳ねた。その突進は先ほどよりも段違いに速い。
 大きく開いた口蓋の中に見えるはこの暗闇の中でも姿が判るほどに巨大な牙が蠢く。
 これはサンドワームにとっても奥の手。
 圧縮と跳躍の反動でサンドワームの頑丈な皮膚が到る所で裂けている。内部にも少なくないダメージがあるだろう。
 己の負傷と引き替えにサンドワームは、砂船の装甲すら容易く食いちぎるであろう威力と、身軽な少女ですらも攻撃範囲外に避ける暇を見いだせないほどの速さを得た。
 まさに全身全霊を込めた必殺の一撃。
 勝敗は常に背中合わせ。拮抗している者同士であればそれはなおさら。
 勝者とは決断した者。敗者とは躊躇した者。 
 数限りない戦闘経験から、サンドワームの覚悟を悟った少女は自らも覚悟を決めた。
 自ら封じていた剣技二流派のうち一つを解放する。
 一つは己の素性を隠すために。
 もう一つは身体負担と武具損傷が激しすぎるが故に。


「帝御前我剣也」

 
 細く息を吐きながら柄へと左手を伸ばし両手持ちにして右肩の前に持ち上げる。
 両足を左前右後へと開き、前に三分。後へと七分の力を。
 折れた刀身は右肩に担ぐように這わせる。
 丹田より生まれる闘気を全身に張り巡らせる。
 膝を軽く曲げて前傾姿勢に。
 今まで剣の型などあって無きものだった自由無頼な剣を振るった少女が、ここに来て始めて見せる堂に入った構え。
 一瞬で剣を構えて見せた少女は目の前に迫る大木のような巨体に対しても臆する様子は微塵も感じさせずじっと睨む。
 少し吊り気味の気の強さを現す瞳が盛んに動く。
 驚異的な思考速度は今も昔も少女にとって最大武器。
 狙いは一点。ただ一瞬。
 刹那にも満たない時間で少女は情報を集め思考を張り巡らせていく。

 
 ……………見えた。

 
 大地を抉る勢いで右足を踏み込みながら身体全体を使って剣を振り力を切っ先へと。
 握り拳一つ分しか残らない刀身にうねりを起こしながら大気を切り裂き、サンドワームを遙かに凌駕する速度で剣を振り下ろす。

    
「御前平伏!」
   

――ッバンッ!!!!!


 剛の一撃に対し、柔にして剛なる剣を。
 少女の剣は轟音と共にサンドワームの軌道を横から下へと無理矢理にねじ曲げる。
 巨大なサンドワームを雷のごとき速度で砂漠へと叩きつけた衝撃は全方位に広がる砂津波を引き起こし、大量の砂塵を空中へと巻き上げ少女とサンドワームの姿を瞬く間に覆い隠していった。
 



 









「っ!?」


 身を震わすような轟音に操舵に向けていた意識が一瞬おろそかになった。たったそれだけの気のゆるみで挙動が怪しくなった先守船が大きく揺れる。
 船尾下部に備え付けられている小型転血炉を制御する陣に手をかざすルディアは、船底の四つの浮遊陣へ送る魔力量を調整してなんとか船体を立て直す。
 柔らかい砂地に沈み込むために車輪が使えず、過酷すぎる気象状態故に通常騎乗生物も適さないリトラセ砂漠。この地において大型貨物運搬や高速性を求め金貨とさほど変わらない価値がある高価な転血石を大量消費するデメリットを抱えながらも、砂船は日々進化を続けている。
 そして高速性を追い求めた進化の最先端をひた走るのが先守船だ。操舵は難しいどころの騒ぎではない。
 ひたすらに高速性と旋回能力を高めたために、僅かな地形の変化でバランスが崩れるほどに操作性は最悪の一言。
 素人であればまともに走らせることさえ難しい。だがぎりぎりではあるがルディアは何とか操っていた。
 
 
「クライシスさん今のは?」 


「判らん。あの嬢ちゃんが向かった方向だ。段差連続! 速度上げろ! 一気に乗り越えろ!」


 舳先で片膝をつき光球で前方を照らしながら監視を行うボイドが注意を促す。
 前方の砂面が細波のように波立っている様子が進行方向の地面を映し出す水晶球にも映し出される。
 先ほどの轟音はなんだったのか? 一体何が起きているのか? ルディアには想像もつかない。
 だが今は分からない事を悩んでいる暇も余裕もない。集中して船を操るだけだ。
 

「了解! 速度を上げます。気をつけて下さい!」


 臆して速度を下げれば中途半端な速度で段差に乗り上げもろに影響を受ける事になり、操舵が怪しくなることは既に大剣済みだ。
 意識を集中させ炉を操る。四つの魔法陣へ送る魔力を増大させつつ、地面に対し角度を浅く。
 ルディアのイメージしたとおりに、先守船が速度を増し耳元で風が渦巻き風除けのゴーグルに宙を舞う砂粒が音を立てて当たってくる。
 この速度で横転すれば地面が柔らかい砂地としても大怪我は免れない。最悪、命に影響があるかも知れない。
 ルディアはわき上がる恐怖感を息と共に飲み込み、船を砂の波へと真っ直ぐに突っ込ませた。
 微かな震動はあったが一秒にも満たない僅かな時間で、気負っていたルディアが拍子抜けするほどあっさりと砂船は段差を乗り越える。
 

「しゃ! 上手いぞ薬師の姉ちゃん。こっち向いてるんじゃないか! ちょっと慣れれば戦闘走行もいけそうだな!」


「勘弁して下さい。こっちは冷や汗ものなんですから」


 指を鳴らして振り返ったボイドにルディアは安堵の息を吐き出しながらあげていた速度を元に戻す。 
 ルディアの操っているのはあくまでも通常走行用設定。これが戦闘や緊急時用の出力限界設定ともなれば手が出ないし、出したくない。


「それより前は? 気配は感じるんですか」


 ルディアにはまったく判らないが、闘気系に長けた戦士であるボイドは生命体であればある程度離れていても感じる事はできるらしい。
 魔術にも索敵系の術は数限りなくある。
 むしろ索敵捜索は魔術が主な役割を担うのだが、一般生活に必ずしとも必要な技術ではない。
 その所為で薬師としての生活に重点を置いているルディアが使えるのは野宿用の近距離接近探知くらいだ。
 再び前を向いたボイドがじっと暗闇を見据える。先ほどの轟音が再度響いてくる様子はない。
 不気味なほどの静けさを取り戻した砂漠には、風を切る音だけが響く。 
  

「さっきまでは強いのが二つあったんだが……一つに減っているか。終わったみたい……まだか!?」

  
 ボイドが叫んだ次の瞬間、遠方で閃光が幾つも煌めき、ついで立て続けに爆発音が響いてくる。
 断続的に続く閃光や爆音には規則性など無く、手当たり次第無差別に攻撃しているようだ。

 
「ちっ!? なんだありゃ!? まさかサンドワームか!?」


 少女は魔力を持っていないと言ったと聞いている。あれほどの爆発を何度も起こせるほどの魔具を所持していた様子もない。
 そうなれば考えられるのはサンドワーム。もしくは新手。
 通りすがりの他船や探索者が救援に入ったという可能性もあるが、都合の良い期待をしない方が良いだろう。
 

「姉ちゃん。冗談抜きで速度をあげられるか。とっとと行かないと不味いな」


「……正直いえばこれ以上は無理です」


 切羽詰まった状況であるのは判るが、一瞬ならともかく今の速度を維持するが限界だ。
 この先には先守船では超えられない急角度の砂山が幾つも見えている。
 合間を縫うように避けて進まなければならないので、さらに時間はかかるだろう。
 どこを進めば一番早く進めるだろうと考えていたルディアの頭上でバサッと羽音が響いた。
 この極寒の砂漠に普通の鳥などいるはずもない。新たなるモンスターかと操舵に気をつけながらルディアは頭上を仰ぐ。
 ボイドも気づいたのか上を見上げるが、すぐに口元に微かな笑みを浮かべた。
 鳥にしては大きな影は高速移動中の先守船へと速度を合わせながら下降してくる。


「はぁ……ふぅ……ボ、ボイド! 麻痺だろ。どうしたんだ。それにお嬢は?!」


 影の主はコウモリのような羽根を生やした魔族の青年だ。彼は甲板に降りるなり力尽きたようにその場に座り込んでしまう。
 息は切れ切れの見知らぬ人物に一瞬警戒を見せたルディアだが、どうやらボイドの知り合いのようだと気づきすぐに警戒を弛める。


「無事だったか丁度良い所に来やがったな! ヴィオン。薬師のルディア嬢。セラが直衛に回ってるから代わりに操舵を頼んだとこだ……」

 
 一方のボイドは降りてくる前に正体に気づいていたのか特に驚いた様子も見せず、ルディアとヴィオンの両者へと互いの紹介を手短に終わらせると、時間がもったいないとばかりにすぐに状況説明を始める。
 ボイドの真剣な表情から状況を察したのか、ヴィオンは黙って聞いていたのだが、段々と困惑気味の顔になる。
 助けた少女がサンドワームのうち一匹を引き受けたと船を飛び出したと聞いた所でたまらず口を挟む。


「おいおい冗談だろ? あのガキンチョ死にかけだったじゃねぇか。それにサンドワーム相手に単独だ。解放してないにしても現役探索者の俺ですら苦労してようやく片付けてきたんだぞ?」


「冗談じゃねぇんだよ。お前まだ飛べるか? 俺の神印開放じゃ時間的に辿り着くのがやっとだ。俺を連れてってくれると助かるんだが」


 未だ閃光と爆音を響かせる戦場をボイドが指し示す。
 ヴィオンは少し考えてから首を横に振る。
 

「わりぃ。こっちも生命力限界で魔力をひねり出すのが難しい。俺一人ならともかくお前を抱えては無理だし、ちょっと休まないと戦闘もきつい」


 ヴィオンは随分と疲労しているようだ。本人が言う通り十分な魔力変換を行うのは難しいだろう。


「無理か……他に何か」


 ボイドが左手で鎧をこつこつと叩きぶつぶつと呟き出す。何か手がないかと考えているようだ
 ルディアも早くあの場所へと向かう方法はないかと考えてみるが、良いアイデアは思い浮かばない。
 考えあぐねている間に最初の砂山が近付き風が強くなってきた。風の影響で地形も単純な平坦ではないのか船が小刻みに揺れ、何度か跳ね上がる。
 目の前の砂山を直接越えれば大きくショートカットできるだろうが、マニュアルを読んだ限りでは先守船の性能を大きく超えていた。


(この跳ね上がりを使って一気に出力を上げれば……って無理に決まってるでしょ)


 一瞬博打的に挑んでみようかという誘惑に駆られそうになったルディアだったが、足下に何かがこつんと当たり我を取り戻す。
 不可能を可能とする。
 御伽噺の英雄や勇者のような都合の良い存在など自分の柄じゃない。人を遙かに凌駕する天才的な才能など自分にはないと思い直す。
 今はともかく出来うる限りの速さで船を進めるだけだ。例え遠回りでも辿り着けば現役探索者が二人もいるのだ何とかなるはずだ。
 炉の制御へと意識を集中させ船を麓沿いに進ませながら、ふとルディアは先ほど足に当たった物はなんだろうとちらりと下を見る。
 足下にあったのは布に包まれた長く幅広な形の品。少女へと届けてほしいと頼まれた大剣だ。
 どうやら鳥の羽一枚の重さしかないという軽すぎるこの剣が、さっきの跳ね上がった衝撃で滑って当たったようだ。
 現役探索者が向かうのだから、頼りない重さの剣を一本。しかもあんな小さな少女に剣を届けなくても。
 普段のルディアなら当然思っただろうが、どうにも今は違う。
 なんというか厄介事ではあるが、ここが分岐点だという予感がひしひしとする。

 
『ありゃ天才だ』


 剣を託した武器商人マークスの言葉が脳裏に響く。少女の剣戟をルディアが視たのは倉庫での一振りだけだ。
 だが一度だけでルディアも全面同意するしかない心情になっている。
 剣さえまともならば、もっと凄いことをしてのけるだろうと思わせる物があった。
 せめて剣だけでも先に届ける事はできないだろうかとルディアがふと思ったとき、鎧をこつこつと叩いていたボイドの指が止まった。
 どうやら何か考えついたようだ。
   

「……ヴィオン! 風を操るくらいならいけるか長距離投擲魔術だ」

 
「ん。あぁ。それくらいならできる。でも重いのは無理だし、一直線に飛ばすだけだぞ」
 

 ボイドが右手に握る長柄斧を見たヴィオンがそいつを飛ばす気かと目で問いかける。
 だがボイドはにやりと笑って暗に否定し、ルディアの足下を指さす。指さす先には転がってきた剣がある。


「心配すんな。羽根のように軽いって売りの剣にちょっと通信用魔具を付けるだけだ。後は……」
 

 ボイドの作戦は単純だ。剣と一緒に通信用魔具を付けて投擲魔術によって交戦地点へと一足先に送り届けようという事だ。
 少女本人の弁を話半分でも信じるなら剣さえあれば少しくらいは時間が稼げるだろう。それに通信魔具を送ることで先守船が向かっている方角へ逃げてくるように言えば合流も早くなる。
 不安要素は本船でも起きていた魔力吸収物質の混じった砂弾の影響による魔力障害だが、砂が留まる船内よりも分布濃度は格段に下がっているはずだ。短時間なら問題はないだろう。
 他に良い手も思いつかないので、ヴィオンが休憩もそこそこにすぐに準備を始めることになった……のだが、
 

「マジでこれ剣なのか。軽すぎんだけど。それにあのガキンチョもホントに強いのか?」


 ヴィオンは不審げに眉を顰めながらも、左手で柄を掴み右手に魔術触媒の混じった白墨を持って、剣を包む布へと投擲魔術の印を描いていく。
 投擲魔術とは文字通り物を投げることに特化した魔術だ。魔術による風を纏わせる事で、投擲距離を飛躍的に高める事ができる。
 高位の術ともなれば、空中で方向や速度を自由に変えて操ることも可能になる使い勝手の良い術だ。


「大丈夫だろ。クマさんの選んだ武器だ。闘気剣だとよ。嬢ちゃんの方も相当やるみたいだ。セラが妙に意識してた。あの嬢ちゃんは普通じゃないってな。あと助けに行かなくても大丈夫じゃないかって巫山戯たことぬかしてたから一発殴っといた」


「おまえなぁ……後で兄貴に殴られたって愚痴をこぼされるの俺なんだぞ。兄妹間のもめ事は当人同士で解決しろよ」


「わりぃ。まかせるわ」

 
 二人とも一見のんびりと話しているようにも見えるが目に浮かぶ色は真剣その物で、ボイドは前方監視に余念はなく、ヴィオンの手も休むことはない。おそらくは適度に緊張感をほぐす為の雑談なのだろう。


「そういや薬師の姉さん、柄を持って闘気を込めれば発動するのかこいつは?」


 印を描きながらヴィオンが尋ねてくる。時間がなかったためにマークスから剣の効果を直接聞いたのはルディアのみだ。
 

「えぇ。柄から闘気を送ると刀身の硬度と質量を増すって……あぁダメです! 込めようとしないで下さい。抜けるまで時間が掛かるのとあと欠点があるんで!」


 説明の途中でどれと小さく頷いたヴィオンが柄から闘気を込めようとしているのを見てルディアは慌てて引き留める。
 軽量性が無くなるのも問題だがそれよりも剣が持つ欠点の方が重要だ。下手すれば先守船が沈む。
慌てるルディアの様子をみたヴィオンは少し残念そうな顔を浮べた。


「あいよ。どうなるか見たかったんだが。後にしとくか……おし。準備完了だボイド。目印用に先端に光球も付けとくぞ」


ヴィオンが指で二、三度叩くと布に描かれた印が淡い光を放ち、大剣を覆うようにつむじ風が渦を巻き始める。
 術に問題がないか確認したヴィオンは舳先に膝立ちするボイドへと手渡す。


「姉ちゃん。しばらく真っ直ぐ。少し速度を落としていいから揺れも抑えてくれ」

 
 剣を受け取ったボイドは首飾り型の通信魔具を布の端へと縛り付けながらルディアに短い指示を出す。
距離が離れているのでちょっとのズレが大きな誤差となる。極力揺れを抑える方が良いのだろう。


「はい。速度、弛めます」


 ルディアは進路を維持したまま、少しでも揺れを抑えようと出力を調整していく。
 僅かに速度が落ちて船の揺れもガタガタとした震動からカタカタとなる程度に収まっていく。


「嬢ちゃんが剣を受け取ったらすぐに説明を頼むぞ。あんたしか嬢ちゃんと直接話してないからな。俺等じゃ不審がられるかも知れねぇ……デタラメに動いてやがる。逃げ回ってるのか? どこに落とすか難しいな」 

 
 右手で柄を持ち左手で大剣の中程を支えて切っ先を斜め上へと向けながら小刻みに方向や角度を変え調整しつつボイドがぼやく。
 砂山に隠れてこの位置からではまだ戦闘地点を視認することが出来ない。
 魔力の切れた魔術師と未熟な薬師兼魔術師では広域探知術も使えず、少女の位置予測はボイドの生体感知に掛かっている。 
 一〇秒ほどでゆらゆらと動いていた切っ先がピタリと止まる。方向が決まったようだ。 

「ヴィオン。距離二四〇〇から二五〇〇ケーラ……3で離す」


「了解。いいぞ」


 手慣れたやり取りをボイドと交わしたヴィオンが、魔術文字が刻まれ幾つか宝石が埋め込まれた槍を石突きを下にして甲板の上に垂直に立てる。
 どうやらルディアのマインゴーシュと同じく、この槍も魔術杖と兼用になっているようだ。


「いくぞ1……2……3っ!」


 ボイドがカウントダウン終了と同時に剣を離し、ヴィオンが即座に槍の石突きで甲板を軽く叩いた。
 ガラスが割れるような高音が響き投擲術が発動する。
 剣の周りを覆っていたつむじ風が回転の勢いを強めて剣を巻き込みながら一気に闇の空へと駆け上がっていった。
 

「おし! 方向はばっちりだ!」


 狙い通りの方角に飛んでいったのかボイドが会心の笑いを浮かべて手を叩く。
 ヴィオンは槍を甲板に置いて一息吐いてから船尾の操作魔法陣に陣取るルディアの側へと歩み寄った。
 
 
「操舵を替わる。ガキンチョへの説明しながらじゃ集中しにくいだろ」


「助かりますけど、大丈夫ですか? 魔力があんまり無いんじゃ」
 

「あー問題無い。こいつ操るくらいの余裕はさすがに残してあるからよ。普段が操舵をお嬢に任せっぱなしだからたまにやらないと忘れそうなんでな」


 ルディアの心配に対してヴィオンは船体をぽんぽんと軽く叩きながら軽口を叩く。


「すみません。じゃあお願いします」


 この様子なら大丈夫だろうと頭を下げてルディアが場所を譲ると、ヴィオンがすぐに入れ替わりに操舵を始める。
 替わった直後に転血炉の音が少し甲高くなり速度が上がっていく。今の速度がルディアの限界だったが、ヴィオンにはまだまだ余裕の範囲内だったようだ。


「姉ちゃんそろそろ嬢ちゃんがいる辺りに飛び込むはずだ。上手く拾ってくれれば良いんだけどよ」


 無用の心配だったかとルディアが思っていると、ボイドが通信魔具である首飾りを投げて寄越してきた。
 探索者用なのかルディアが知っている物よりも随分頑丈そうな作りとなっている。
 首飾りの輪の真ん中には小振りの宝石が幾つかぶら下がっている。
 通信魔具は魔術処理を施した宝石を複数に割り、石の欠片を共振させることで遠距離での会話を可能とする魔具だ。
 
 
「右から四つめの緑の石が今飛ばした奴に繋がってる。こいつは魔力蓄積型の魔具だから魔力がない嬢ちゃんでも使える品だ。軽く石を叩けば繋がる。とりあえず呼びかけてみてくれ」


「判りました……ちびっ子剣士近くにいる!?」


 石を指で弾いたルディアはありったけの大声を張り上げて魔具に呼びかけを始める。
 目立つように光球が付けてあるのだから飛び込んできた存在には気づいているかも知れないが、少女の近くに届いたのか、近くに落ちていても上手く拾っているかは賭だ。


「聞こえてたらこれ拾って! 石を指で……」


 まずは使用方法を伝えようとしたときに、少女の所に送った魔具と繋がっている緑色の石が淡く光り微かに揺れだした。


『……き……いる! ちょっと声を下げろ! うるさい! それにちびっ子とは失礼だぞ!』


 爆発音に混じりながら幼い少女の声が石越しに響いてきた。走り回っているのか多少息は切れているが元気その物だ。
 しかし安堵の息を吐いている暇はない。ルディアには伝えなければいけないことが幾つもある。


「あたしはさっきの砂船に乗ってい」


『その声さっきの船にいた薬師だな』


 ルディアがまずは自分が先ほどあった薬師である事を伝えようとしたのだが、少女はルディアの声で判ったのか一方的に話し始める。


『”これ”はお前のものか? 済まないが借りるぞ! ちょっと苦戦してたんだが、これなら何とかなりそうだ! 今は忙しいから後で改めてちゃんと礼を言うけど、とりあえずありがとだ! むぅ! 貴様! 人が礼を述べているときぐらいは少しは遠慮しろ! のびている間にちょっと囓ったくらいでそこまで怒るなんて心が狭すぎるぞ! お腹が空いていたんだし、どうせ今から貴様は私のご飯になるんだから大人しくしてろ!」
 
   
 少女の怒鳴り声に混じって爆発音や重い風切り音が響く。音の感じから至近距離だと思われるのだが、少女の声に怯えている感じはまるでない。
 強く砂を蹴る音も聞こえる。上手く回避しているようだが、それよりも少女の言う『囓った』だの『ご飯』だのがどうにも違和感がありすぎる。
 
 
「ち、ちょっと! あんた一体なにをやってんの!?」


『甲板にいた魔術師から聞いていないのか? サンドワームの変種と戦闘中だ! こいつの頑丈な皮膚に苦労してたのだがお前の送ってくれた”これ”で勝機が見えてきた所だ!』


 ルディアの聞きたいことはそういうことではない。だがどう聞いていいのかも判らない。
 ボイドとヴィオンに目をやってみると二人も目を丸くしている。
 遠目からも判る激しい戦闘のまっただ中にいるはずの少女との会話とは到底思えない空気だからだろうか。
 だがいつまでも固まっているわけにはいかない。


「あーもう! いろいろ聞きたいことあるけど全部後回し! 用件だけ言うから!」


 ともかく少女が剣を受け取った事は間違いない。
 気を取り直したルディアは剣の説明とすぐにそちらに着く事だけを伝えようと決め、


「聞いて! 送ったのは闘気剣だから! 剣に闘気を込める量で質量と硬度をある程度自由に換えられるんだけど欠点があっ!」


「剣?! あぁ! さっきの軽くて変なのか! あれなら邪魔だから後方に投げておいた! 目印に私の外套を巻きつけてある。後でちゃんと回収して返すから安心しろ!」


 しかしまたも説明途中で少女に遮られる。しかもその内容はルディアをますます混乱させる。
 せっかく送った剣を投げ捨てた?
 ルディアは自分の聞き間違いかと思い、ヴィオンとボイドに目で尋ねる。
 だが二人は沈痛な面持ちを浮かべて首を横に振った。
 どうやら聞き間違いではないようだ…………


「あ、あんた!? な、なに!? さっき借りるって!? 何!? 何を借りるって!?」


『だから”これ”だ。通信魔具に決まってるだろ! 足場に苦労していたんだがこれで『凍らせる』ことが出来る! 任せろ。一手で決めてやる!』 


 ルディアの問いかけに対して、まったく意味不明な返答を返した少女は、自信に満ちあふれた勝利宣言を謳った。



[22387] 弱肉強食③
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:4e98e308
Date: 2011/05/10 01:23
「これはお前のものか? 済まないが借りるぞ! ちょっと苦戦してたんだが、これなら何とかなりそうだ! 今は忙しいから後で改めてちゃんと礼を言うけど、とりあえずありがとだ!」


 鼻につく刺激臭。
 風を鋭く切る複数の飛来音。
 二種類の砂弾が迫ることを察知した少女は、通信魔具に向かい怒鳴るように礼を述べながら地を強く蹴り、宙へと跳び上がった。
 直後刺激臭を放つ砂弾が少女の右側に着弾し、大きな炸裂音を立てながら周囲の砂を吹き飛ばし砂漠に大穴を開けていた。もし今の攻撃が直撃していたら少女の身ではひとたまりもなかっただろう。
襲いかかる熱混じりの横殴りの爆風を少女は身体を捻って受け流す。さらに爆風の勢いをも利用し空中で軌道を僅かに変化させることで、まるで猫のような身のこなしで後発の高速砂弾を回避する。
 だがさすがに無理があったのか体勢を崩して極端な前傾姿勢となってしまった。
 下が柔らかな砂地とはいえこの勢いで頭から突っ込めばただでは済まない。砂に埋まり気管をふさがれる恐れもあり、何より首への付加が大きい。
 とっさの判断で少女は頭を前に振り足を折りたたみ回転力を上げ、無理矢理に捻り気味の前方宙返りへと移行して足から着地しようとする。
 だが少女が思ったよりも高さと回転が足りない。
 このままでは回りきる前に背中から着地することになり、確実に次の行動に遅れが生じる。

 地面を指で弾くことで高さと回転を補えるか?
 可能……正し右腕の怪我を考慮する必要有り。

 駆け巡る思考が解決策と懸念を即座に浮かび上がらせる。
 少女の右手の親指と人差し指は根元が青黒く腫れ上がり、芯に響くズキズキとした痛みと焼けるような熱さを放っている。どれだけ楽観的に見積もっても折れているだろう。
 骨折の原因は先ほどサンドワームをたたき落とした対大型モンスター用剣技『御前平伏』
 突進してきたモンスターの重心を崩して地面へと叩きつける技は、重心を崩せる一瞬、一点を見極める眼力と、見極めた箇所、時に正確に打ち込むことの出来る技。
 そして打ち込みの瞬間に生じる膨大な負荷を受け止めてみせる強靱な肉体の三者が揃って初めて完成を見る。
 前者二つは少女は己の持つ力量と鍛錬により必要最低限とはいえ得ている。
 だが後者は未だ到らず。
 闘気を用いることで少女は人並み外れた強力を発揮することができるが、それもまだ圧倒的に足りない。
 理由は至極単純。少女が扱う剣技は幾多の迷宮を踏破し神より授かりし肉体強化『天恵』を得た探索者達の剣技だからだ。
 技体系の全てとはいかずともこの歳で幾つも修得するほどのずば抜けた……それこそ化け物じみた才覚を少女は持つ。
 だがまだ幼いといっていい肉体は、その才覚に釣り合うほどではなかった。


「むぅ」


 右腕の怪我を考えれば無傷の左腕を使うしかないが少女は躊躇する。
 左腕には先ほど拾った通信魔具の紐を手首に巻きつけてぶら下げてあり、それ以外にもサンドワームがのびている間に切り取った肉片を拳の中に握り締めていたからだ。


(借り物を傷つけるわけにもいかないか。それにちょっとならともかく砂まみれは美味しくない)


 奇妙な部分で律儀かつ、どのような状況下でも己の嗜好を最優先する思考が左腕を使うという選択肢を外す。
 時間にしてみればほんの一瞬。少女自身からすれば長考を終える。
 砂漠へと落ちるすんでの所で、己の鍛錬を信じ右手を鋭く振る。
 さらっとした柔らかい砂の感触を指先に感じた瞬間、砂を強く掻き弾いた少女は無理矢理に回転の勢いを増す。
 釘を刺したようなずきりとした痛みに顔をしかめながらも、少女は回転を終え足から着地してみせた。
同時にサンドワームにたいして少女は不機嫌を隠そうとしない怒声をあげる。


「貴様! 人が礼を述べているときぐらいは少しは遠慮しろ! のびている間にちょっと囓ったくらいでそこまで怒るなんて心が狭すぎるぞ! お腹が空いていたんだし、どうせ今から貴様は私のご飯になるんだから大人しくしてろ!」


『ち、ちょっと! あんた一体なにをやってんの!?』


 驚き声をあげる薬師の声が響くなか、次なる飛来音を既に幾つも捉えていた少女は次の一歩を踏み出す。


「甲板にいた魔術師から聞いていないのか? サンドワームの変種と戦闘中だ! こいつの頑丈な皮膚に苦労してたのだがお前の送ってくれた”これ”で勝機が見えてきた所だ!」


 再び走り出した少女を追いかけ、幾つも砂弾が降り注いでくる。
 雨あられのように降り注ぐ弾幕から身を守る鎧も防御魔術を使う魔力も少女は持たない。 
 あるのは異常なまでな才覚と共に鍛え上げた肉体と培った体術のみ。
 直撃を喰らえば一瞬で絶命する。
 窮地というべき状況でも、少女の顔に恐怖はない。吊り気味で勝ち気な目にただ光を強め、自身の勝利を疑っていない。


『あーもう! いろいろ聞きたいことあるけど全部後回し! 用件だけ言うから! 聞いて! 送ったのは闘気剣だから! 剣に闘気を…………』


 軽い身のこなしで回避を続けながら薬師の言葉に少女は耳を傾けていたが、至近で起きた爆発で言葉がかき消された。


「剣?! あぁ! さっきの軽くて変なのか! あれなら邪魔だから後方に投げておいた! 目印に私の外套を巻きつけてある。後でちゃんと回収して返すから安心しろ!」


 話の途中までしか聞こえなかったが、薬師がいっているのは通信魔具を括り付けてあった布に包まれた剣らしき物だろうと少女は当たりを付け、こちらの声が届くかどうかわからないが、無事だと伝えてやろうと声をあげる。
  

『あ、あん…… な……!? さっき借り…… 何!? 何を借りるって!?』


「だからこれだ。通信魔具に決まってるだろ! 足場に苦労していたんだがこれで凍らせることが出来る! 任せろ。一手で決めてやる!」
   

『通信魔具っ?! 凍らすって!? 言……る……だけど!? ちょ……あんた何……』


 左腕に巻きつけた通信魔具からクリアに響いていた薬師の声に徐々に雑音が混じり小さくなってきた。
 だが少女は慌てない。
 軽度の魔力障害で通信魔術に不具合が生じてきただけの事。こちらの声もあちら側にそろそろ届かなくなってきたはずだと当たりを付ける。
 軽度魔力障害の原因。それはサンドワームが撃ち出す魔力吸収弾だ。
 着弾の衝撃で砕け散り空中に飛び散った砂塵に含まれるリドの粉末によって周囲の魔力が吸収されている。
 攻撃、防御、回復、索敵、通信。
 戦闘に関する魔術だけでも多岐にわたる。だがどれだけ高度な術であろうと大元の魔力を吸収されれば、効力は著しく落ちるか最悪発動すらしない。
 それは魔具も例外ではない。
 魔力障害環境下での戦闘行為は魔術師職のみならず、自己強化術や付与、もしくは魔力剣装備を用いる戦士職も苦戦するだろう。
 だが魔力を持たず自己強化を仕えず、仲間もなく、ただの剣を一振り携え単独で戦い続ける少女からすれば、どれだけ魔力吸収物質が周辺に散布され濃度が増そうが支障はない。
 むしろこの魔力吸収弾による散布濃度上昇こそ少女は待ち望んでいた。
 特に左手に持っている通信魔具が届いてからは、サンドワームの撃ち出す魔力吸収弾の割合が大幅に増え一気に濃度が上がってきている。
 他者との連絡手段の途絶する程度の知能をサンドワームが持ち合わせていた幸運を嬉しく思い、また送ってくれた薬師に対し少女は感謝していた。



 一方で攻撃を続けているサンドワームも無傷ではない。
 少女の強烈な一撃によって頭部に深い裂傷を負っている。
 切り潰された醜い傷口からは砂弾を発射する度に体液がびちゃびちゃと噴き出す。
 巨大なサンドワームから見ても軽い怪我ではないはず。
 だというのにサンドワームが放つ砂弾の数は減るどころかより増し、躍起になって少女を追いかけ回す。
 だが弾数が増えたのに比例して狙いは粗くなっている。
 サンドワームの狙いがずれているのも、少女が何とか回避し続ける事ができる一因となっている。
 攻撃が荒くなった理由は少女にも判らない。
 感覚器官が損壊でもして、まともに狙いがつけられないから数で補おうとしているのだろうか。
 それとも単に傷つけられて頭に血が上ってむきになっているだけか。
 あるいは……己が食されたことに恐怖を感じたのか。
 だが何にしても今の状況が好都合なことには変わりない。
 満足げに小さく頷いた少女は、左手に握っていたサンドワームの肉塊に食らいつき噛み千切る。
 極寒の大気によって半分凍りついていた肉を口の中で解かしながら咀嚼する。
 空中に舞っている砂塵が付着しているので砂のジャリジャリとした感触もするが気にせずかみ砕き嚥下する。
 砂に混じる甘酸っぱいリドの実や大サソリの毒のビリッとした味に火龍薬の香ばしい匂いが混じって味にアクセントがあるのはいいが硬く筋張っている。


(内臓の方がコリコリしていて美味しかったな。ん。でもこっちは毒素が少ないから今はいいな)


 半日ほど前に食べた食感を思いだしながら、内臓より味は大分落ちると思いつつも少女はもう一口囓り咀嚼する。
 少女は手も足も出ずにただ逃げているのではない。
 文字通りの敵の血肉を喰らい力を蓄えながら反撃の機会を伺っていた。


(ここも撒いておくか)


 肉塊を口にくわえた少女は左手を空にすると懐に突っ込み内ポケットをまさぐる。
 引き抜かれた左手には小指の先ほどの大きさの飴玉が握られていた。飴玉を掌で握り砕いて粉状にすると砂漠へと撒いていく。
 少女が砕いた飴玉は水を圧縮固形化したうえで軽量魔術を施した魔法薬『水飴』
 口に含むなり火に掛けた鍋に入れるなど熱を与えることで、熱量に合わせて徐々に元の液体状態へと戻る性質を持つ物だ。
 携行性能に優れた水飴は、本来砕いたくらいでは元の液体状にも取ることはない。
 だが今は違う。少女の周辺の砂には大量の魔力吸収物質が混じっている。
 撒かれた水飴の欠片は圧縮固形の魔術が解除されて次々に液体状態へと戻り、さらに極寒の大気にさらされ一瞬で凍りつき地表に薄い氷の膜を作っていく。
 少女はひたすらに回避を続けながらこの地味な作業をただ繰り返す。
 残り少なくなった生命力を補うために肉を食らい、隙を見てはサンドワームの直近まで間を詰めて至近の砂地にも水飴を撒き凍りつかせていく。
 己の得意とする剣技。止めの一撃を放つための場を少しずつ整えていた。
 再度懐に入れた手を引き抜いた少女は微かに唸る。


「むぅ……残り一つずつか」

  
 いつの間にやら懐にしまっていた水飴は残り一つになり、拳の倍ほどあった肉塊も囓っているうちに一口ほどになっていた。
 凍らせた箇所はまばらだが、一応問題はないはず。
 そろそろけりを付けるか。
 名残惜しげに最後の肉片を少女が口の中に放り込んだで攻勢に転じようとして時、不意に砂弾の発射音、飛来音が途絶えた。
 急な変化を訝しげに思った少女がサンドワームのいる方角へ目をむけると、暗闇の中で頭部を下ろすサンドワームの影が微かに浮かび上がる
 どうやら砂に頭をつけているようだ。


(砂を補給か? それともこの期に及んで撤退か……違う)


 暗闇の中でも判るほどにサンドワームが胴体を蠢かせながら音を立て大量の砂を体内へと取り込み始めていた。
 心許なくなった砂を回復するにしては、取り込む量が多すぎる。胴体が目に見えて判るほどに膨らんでいく。


(砂獄だな)


 事前に仕入れていたサンドワームの知識から、少女はすぐに一つの推論へと到る。
高速で撃ち出される広範囲砂礫攻撃。通称『砂獄』
 ひらひらと攻撃を回避し続ける少女に対してサンドワームは業を煮やし、一時的に隙を見せる事になっても一気に広範囲をなぎ払おうとしているのだろう。
 砂船の鋼鉄装甲版すらも削ってしまうほどの威力を持つ砂の刃を生身で受ければ、少女の身体など一瞬でバラバラに引きちぎられる。
 しかしサンドワームの意図を悟っても少女の顔に恐れはない。


「ん。むしろありがたい!」


 少女は喜色を含んだ獰猛な笑みを浮かべ口中の肉片を飲み込み、サンドワームを真正面に見据える事ができる位置まで一気に駆けさがる。
 サンドワームから50ケーラほどしか離れていない砂獄の影響範囲内で立ち止まった少女は走り続けで乱れた息を軽く整えると息吹を始める。
 冷たい外気を一気に取り込まない様に少しずつ息を吸いゆっくりと吐く。
 足が砂に沈み込んでいくが今は無視し、丹田に意識を集中。
 ゆっくりだった少女の息づかいが徐々に獣じみた速い呼吸へと変化する。
 闘気操作に長けた獣人の技である獣身変化と似た粗い呼吸音。
 だが少女の外見に変化はない。
 少女が働きかけるのは己の血統。微かに受け継ぐ異種なる旧き力。
 休眠していた力が少女の闘気を受け活性化し始める。
 旧き力とは、少女の心臓に備わる”本来”は少量の生命力から膨大な魔力を生む魔力変換能力。
 しかし少女は頑なまでの意志によって魔力変換能力を拒否してみせ、闘気変換能力へと切り替える。
 丹田と心臓。
 二重化された変換能力が生み出す高純度の闘気が血流に乗って少女の全身を激しく駆け回る。
 少女が力を蓄える間も砂を取り込み続けるサンドワームの身体は膨らみつづけ、周囲の砂も徐々に引き寄せられていく……少女が凍らせた砂と共に。  
 十分な闘気を身体に行き渡らせた少女は、砂から両足を引き抜き、左足を前にした前傾体勢となり右腕は脇に引く。  
 砂を飲み込む吸引音が鳴り止みサンドワームが頭を砂から引き抜いた。
 元々巨大だったサンドワームの身体は、大量の砂を取り込み倍ほどに膨らんでいる。許容量限界ぎりぎりまで砂を溜め込んだのだろう。
 先ほどの跳躍と少女の剣戟によって出来た傷がさらに肥大化しサンドワームの身体に大きな亀裂を生んでいた。 
 準備を終えた両者が対峙し一瞬の静寂が訪れる。
 暗闇の砂漠
 突如風切り音が響く。
 どこからともなく打ち込まれた矢が飛来し少女達の遙か頭上で音を立てて弾けた。
 矢の正体は初歩魔術を封じ込めた簡易な使い捨て魔具で、常闇の砂漠では信号弾として使われている物だ。
 魔具の中に封じ込められていた光球の灯りが少女とサンドワームの影を砂漠に生み出す。
 灯りに照らし出された瞬間、少女は足下の砂を蹴り飛び出した。
踏み出した右足が砂漠に仕込んでいた無数の氷片の一つを捉える。
 砂よりも僅かに抵抗を見せる氷の感触を感じ取り、即座に足元で闘気を爆発させた。
 氷を軽い炸裂音と共に砕き砂諸共後方へと吹き飛ばし少女はさらに前へと出る。
 背後に吹き飛ばされた氷混じりの砂が頭上の光球の灯りに照らし出され、ダイアモンドダストのようにきらめく。
 キラキラと輝く光跡を残しながら少女は次々に氷を踏み渡り一直線に加速していく。
 先ほどまでよりも比べるまでもない速い移動速度。
 少女が行うのは闘気を爆発させ加速を得る近接戦闘を行う者にとっては基礎的な加速技法。
 だが本来は踏みしめるべき硬い大地があってこそ、この技は最大威力を発揮する。
 砂漠のような柔らかく崩れやすい地盤では闘気が分散し、十分な加速を得るのは難しいはずだ。
 しかしその困難を少女は成し遂げてみせる。
 足元が砂で沈み込み力を入れにくいなら、表面だけでも凍らせて一瞬だけの足場とすればいいというシンプルな発想をもって。
 少女が見せる驚異的な加速はサンドワームにとっても予想外だったのだろう。
 慌てて口蓋を開き身体に力を込め一気に砂を噴き出そうとした時には遅い。
 既に少女はサンドワームの懐へと少女が飛び込んでいた。
 加速した勢いのまま少女は右腕を突き出し、
 
  
「闘気浸透!」


 肉と骨が軋む音を立てるほどの力を込めた掌底をサンドワームへと打ち込んだ。
 石壁を殴りつけたような硬い感触。
 骨が軋み、太い枝を折った時のような音を奏で、激痛が右手に走るが少女は歯を食いしばり堪える目の前でサンドワームの巨体がピタリと動きを止め硬直する。
 それはまるで天敵である蛇に遭遇した蛙のようだった。











 彼女は恐怖する。
 極上の餌としての匂いを醸し出す”それ”は、彼女の長大な肉体に比べれば矮小で芥子粒のような存在。
 小さな物は弱い。
 それが彼女の常識であり、この砂漠地上部では彼女達の種族より大きな生き物は存在しなかった。
 だから小さいながらも最高の餌の匂い醸し出す極上の餌だと食らいついた。
 大きな餌場を襲い食らうよりも、”それ”を食えば簡単にさらに力を強める事ができるはずだった。
 だが”それ”は抗い、拮抗した。
 彼女はそこで間違いに気づく。
 ”それ”は餌ではない。
 生死をかけた戦いが必要な敵対種だと。
 しかし…………これすらも間違いだった。
 ”それ”は戦闘中も成長を続け彼女を凌駕してみせただけでは飽きたらず、あろう事か逆に彼女の肉体を喰らい始めた。
 ようやく……彼女はようやく敵の正体に気づく。
 殴られた場所から彼女の全身に行き渡った”それ”の気配が何であるかを物語る。
 ”それ”は絶対的な強者の気配。
 火の山の奥深くで蠢くはずの。
 天に近い山の頂よりもさらに高い空に君臨するはずの。
 地の底のさらに底。暗く冷たい水面の底に眠るはずの。
 迷宮に君臨する捕食者達の気配を”それ”は打ち放っていた。
 彼女は恐怖する。
 ただただこの場から離れたい。
 この恐ろしい物から遠ざかりたい。
 本能は盛んにわめき立てるが恐怖に竦んだ身体は動かない。
 ただ”それ”が直下にいることは判る。
  

『下がれ!』 


 ”それは”が鋭い咆吼をあげた。
 彼女の身体が緊縛が解かれる。
 恐怖から少しでも遠ざかるために、早くでも遠ざかるために。
 彼女は重い身体を必死に使って後方へと跳躍する。
”龍”から逃げ出すために。










「っつ! うー」


 痛む右手の甲を少女は舌でペロと舐める。
 気休めでしかないが何もしないよりマシだ。
 砂を詰め込み膨張して極限まで硬化し固い岩盤のようなサンドワームの皮膚に掌底など打ち込んでもダメージなど皆無。
 むしろ打ち込んだ少女の手の方がダメージを負っている。
 痺れが酷いのでいまいち判らないが甲の方までも折れたかもしれない。
 だが怪我を負った分の価値はある。
 痛みに眉をしかめながらも勝ち気な瞳で少女は前方を見上げる。 
 無理矢理に跳ね上がって逃げたサンドワームの姿がそこにあった。
 同じように闘気を打ち込んだ一匹目は尾が地面に跡を残すほどの高さしか跳べなかったが、今敵対しているサンドワームはもっと高く跳んでいる。
 どうやらこちらの方が肉体的にも能力的にも格上のようだ。
 しかしその高さこそが命取りだ。
 一匹目の時は高さがなかったためもっとも硬い頭部へと突き込むしかできなかったが、眼前のサンドワームは砂でぱんぱんと膨らんだ腹部を晒している。
 今こそが千載一遇の好機。
 

(出番だ。耐えろよ) 


 心の中で語りかけながら腰のベルトへと少女は左手を伸ばし、抜き身のまま挟み込んでいた剣を引き抜く。
 元々少女の背丈と同じほど合ったバスタードソードの長大な刀身はほとんど残っていない。
 しかもさきほどサンドワームを打ち落とした一撃で、新たに細かなヒビが入ってしまっている。
 他者から見ればもはやこれは剣などでない。ただの鉄屑だろう。
だがそれでも……少女にとっては違う。
 自らが膨大な店の中から選び極めて短い付き合いながらも命を預けた剣。
 あと一撃なら耐えてみせるはずと信頼する。 
 右側に大きく身体を捻りながら、左手に剣を逆手に握り肩口の高さまで上げ、痛む右手を剣の柄頭にそっと触れさせる。
 独特の構えは少女なりの剣に対する礼。
 己がもっとも好み、そして最大の技をもって、強敵を屠るという意志の現れ。
 極めようと何百、何千と培ってきた修練が一瞬で構えを作り出し、少女は前へと跳びだした。
 砂漠に残っていた氷片を正確無比に捉えながら、またも驚異的な加速を発揮し少女は矢のような速度で突き進む。
 狙いは一点、ただ一瞬。
 サンドワームの高さと速度、落下予測位置、砂漠に撒いた氷位置、己の技の始動時間等々。
 あらゆる条件を記憶し、考慮し、導き出す。
 魔力を持たない……魔力を捨てた後に残った両手の間合いこそが今の己の世界。
 ならばその世界において誰にも負けない存在になろうと心に決めている。自分が世界において最強となる一瞬を作り出せる剣士になると。
 轟々と音を立てながら落ちてくるサンドワームの巨体を睨みながら、少女は氷片を強く蹴り宙へと跳ぶ。
 打ち出された矢のような勢いでサンドワームへと迫った少女は捻っていた身体に溜めていた力を左手に乗せながら振り、
 
 
「逆手双刺突!」


 切っ先がサンドワームへと触れると同時に折れているであろう右掌を、柄頭へとたたき込み剣を強く突き込んだ。
 折れている手で柄頭を打つなど正気の沙汰ではない。
 しかしこの狂気的な思考こそが少女を支える強さの一つ。
 肉も骨すら切らせてでも命を絶つ。
 どれだけ傷つこうが生きていれば勝者。そして死ねばすべからく敗者。
 生と死の関係性は勝者と敗者と同義。
 弱肉強食。
 もっとも原始的な規則が少女の根幹にはある。
 人としては狂気。生命としては当然の本質を持って、少女は切っ先もない剣で、硬いサンドワームの表皮を突き破ってのける。
 だが突き破ったその内側にはぶ厚い筋肉の塊が待ち受けている。
 これ以上はいくら何でも突き込むことは出来ない。
 いくら他に比べて柔らかい腹部といっても、サンドワームの表皮は岩のように硬い。
 ならば…………そこに大地があるのと変わらない。
 高速思考の中、突き込む限界を悟った少女はサンドワームの身体へと横向きに”着地”した。
 残った生命力を一気に闘気へと変換。心臓が激しく躍動し丹田が燃えているかのように熱くなる。
 両足の筋肉が音を立てるほどに力と闘気を込め、金属製の柄が変形するほどに剣を握り、力を込めて引き動かす。
 サンドワームの肉を僅かずつだが切り潰していく剣は、ぎじぎしと異音を奏で今にも折れそうなほどに歪むが、まだ耐えられると信頼しきり、少女はさらに力を込め無理矢理に剣へと力を込め斬っていく。
 折れた剣に残る刀身は短い。サンドワームにとっては僅かに肉を切られただけのこと。支障はないはずだ……通常ならば。
 しかし今のサンドワームは限界近くまで砂を溜め込み、身体がはち切れんばかりに膨張している。
 剣が筋繊維を一本断裂させる事に綻びが生まれ、さらに負荷を掛ける。
 
 
「邑弦一刀流! 逆鱗縦断!」


 少女が強く呼気を吐きながら剣を一気に振り切ると、ついに限界を超えサンドワームの皮膚が大きく裂けた。
 髪の毛ほどの長さの傷は横へと広がり、さらにその下の肉が圧力に耐えかね深く裂けていく。
 体内に溜め込まれていた砂が傷口からちょろちょろとあふれ出したかと思うと、瞬く間に噴き出す量と勢いが増していき、まるで決壊した堤防のようにサンドワームが引き裂かれながら地上へと落下していく。
  
 
「わぷ……むぅ!しまった」


 斬ったはいいがその後のことを考えおらず噴き出した砂の勢いに負けて一緒に押し流され落下する少女と共に。   
























 リアルでなんやかんやありまして、かなり時期があきましたがようやく更新です。
 主人公の人から外れた狂気的な思考やら○○ガイぶりが出てればいいんですが。
 一応本人的にはいろいろ考えているけど、思考が速すぎかつ変なために、端から見ていると考え無しでただ突っ込んで行き当たりばったりに見えるそれがコンセプトです。



[22387] 剣士と薬師⑪ 〆
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:4e98e308
Date: 2011/05/22 00:42
「こりゃ。すげえ……嬢ちゃんの仕業か?」


 カンテラに照らし出されたうずたかく積もった砂山にもたれ掛かり腹を割かれ内側からめくれ上がったサンドワームの死骸に、先頭を歩いていたボイドが感嘆の声をあげる。
 周囲に漂う異臭はつい先ほどまでここで激戦が行われていたことを色濃く物語っていた。


「ちっ。だめか」


 不意にカンテラの明かりが点滅を繰り返したかと思うとすぐに消えてしまい、辺りが暗闇に包まれる。


「魔力型はやっぱ無理っぽいな。さっき打ち上げた信号矢ももう消えてやがる。待ってろオイル型があったはずだ」


 殿を務めていたヴィオンが腰に下げていた『天恵アイテム』であるポーチをまさぐる。
 天恵アイテムとは迷宮を踏破した探索者達に与えられる神々の力を宿したアイテムである。
 ヴィオンの持つポーチは内部圧縮と軽量の奇跡が施されており、掌大の大きさのポーチは倉庫一つ分の内部容量を持つ。長期間迷宮に潜り大量の収穫物を持ち帰る事ができるため探索者達の必需品の一つとなっている。
 ポーチよりも二回りほど大きいカンテラを取り出したヴィオンは、はめ込まれた火打ち式の着火装置を弄り明かりを灯してからボイドへと手渡した。
 油の焼ける匂いと暖かな熱を放ちながらゆらゆらと揺らめく火が周囲を照らし始める。
 オイル型の灯りは魔力型に比べて若干薄暗いが消える兆候は今のところ見られない


「やっぱりこれもあの子が言っていたリドの葉を含んだ砂の魔力吸収の影響でしょうか?」


「だろうな。歩きで接近して正解だこりゃ」


 隊列の中央で護衛されるルディアの問いかけに答えながらボイドはほっと安堵の息を吐く。
 カンテラに使われる魔力とは桁が違うが、先守船の転血炉もやはり魔力を用いることに変わりはない。
 転血炉が停止してしまえば、先守船などただの重たい置物。浮遊魔術が消失してすぐに砂に沈んでしまうだろう。
 現役の探索者であるボイド達といえど、こんな砂漠のど真ん中で立ち往生は勘弁してほしく、先守船を少し離れた位置で停船させ、砂に沈まない用に底が広くなった靴を履き歩きで戦闘現場へと接近していた。


「さてと問題は嬢ちゃんの居場所だが……砂山に埋もれちまったか、それともサンドワームの下敷きになってんじゃないだろうな。気配が感じ取れねぇ」


 耳を澄まし意識を集中させてボイドは周囲を軽く探ってみるが、三人以外の気配を感じない。 
こういった時は生体探知の魔術を使うのが手っ取り早くセオリーだが、魔力が影響を受ける今の状況下ではまともに発動するかも疑わしい。
 地道に探ってみるしかないだろう。


「ヴィオン。ポーチの空きあるよな? 死骸を回収してから下の方を見てくれ。俺は砂山の方を探ってみる。薬師の姉ちゃんはそこらから動かないでくれ。砂漠の地下は何がいるか判らない。すぐ助けにいける場所にいてくれ」
 

「あいよ。とっととしまっちまうか」


「はい。じゃあ、あの辺りにいます」


 ヴィオンは気楽に答えるとサンドワームに近付き、ルディアがきょろきょろと見回してから死角になりづらい平坦な位置を指さして頷く。
 ルディアを先守船に待機させておくことも考えたが、さすがに一人で残しておくのは不安があり、かといってボイド達のどちらかが残って一人で探しても埒があかない。
 まだまだ年若い女性とはいえルディアはそれなりに肝も座っているようなので、手の届く範囲にいてもらうのが一番という判断であった。 
 腰のポーチを取り外したヴィオンがサンドワームの死骸へと押し当てる。
 すると小さなポーチにずるずるとサンドワームの死骸がゆっくりと飲まれはじめた。
 巨大なサンドワームの死骸を全て飲み込むには5分ほどはかかるだろうか。
 といえど所詮は特別区のモンスター。皮や肉を売り払っても二束三文の売値にしかならず、血にしても転血するほどの魔力を持たない。
 回収する目的は少女を探しやすくするためと、新種もしくは変種の疑いが濃厚なモンスターは、出来れば捕獲もしくは死骸を回収し、管理協会へと報告する義務が探索者達に課せられているからだ。
 

「にしても小さな女の子が砂漠でサンドワームに襲われたって普通なら絶望する状況なんだが、此奴を見ちまった後だとしぶとく生き残ってる気がするわ……ボイド。こりゃお嬢の勘が当たってる。あのガキンチョまともじゃないぞ」
 

「みたいだな。しかしどうやったらこんな状況になるんだかいまいち判らん」


 砂山に直接手を当てて中の気配を感じ取っていたボイドが周囲を一瞥して訝しげな声で答える。
 状況から見てこの不自然な砂山は腹を割かれめくれ上がったサンドワームから噴き出した堆積物だろうとは推測できる。
 しかしどうやったらサンドワームの腹を割くことが出来るのか?
 と、問われれば答えに窮す。
無論切れ味の良い頑丈な武器と適切な技量、もしくは風の刃などの魔術を用いれば幼生体であるサンドワームの皮膚を切り裂く事はさほど難しくない。
 だがあの少女が有していたのは折れた剣一つで、自ら魔力を持ち合わせていないと言っていたという。


「考えてもわからねぇな……直接聞いてみるか」


 女子供は無条件で助ける者。
 それが信条のボイドだが、今回ばかりは好奇心が勝っていた。









「寒…………」


 ボイド達から少し離れた場所で待機していたルディアは小さく呟き身体を軽く揺する。
 トランド大陸よりも北にあり年の半分は雪が降る北方大陸出身のルディアでもこの砂漠の冷気は耐え難い物があった。
 空を覆うぶ厚い砂の幕が太陽や月の明かりを遮っているからだろうか。どうにも重苦しく気温以上に寒さを感じてしまう。
 少しでも寒さを紛らわそうとルディアは周囲を歩くことにする。
 といってもあまり動かないでくれと注意されているので精々10歩ほどの範囲内をグルグルと回るだけのつもりだ。


「?」


 だが歩き始めてすぐにルディアは立ち止まる。
 小枝を踏んだような音と感触が足元からしたからだ。
 しゃがみ込んだルディアは手袋を外して今踏んだ足元を調べてみる。砂をまさぐった指がすぐに硬くひんやりとした物体を見つけ当てる。


「…………氷?」     


 つまみ上げたそれは砂を含んだ氷の破片だった。
 なんでこんな所に氷が?
 疑問を感じたルディアだが、ヴィオンが灯台岩の方でもサンドワームの死骸を見つけ辺りが氷に覆われていたと話していたことをすぐに思い出す。
 これも何か関係あるのか。


「すみません! ここにも氷…………っえ?!」


 ボイド達に発見したことを伝えようとしたルディアの目の前の地面から、木の枝のような太さの何かが砂をかき分けズボッと飛び出してきた。
 驚きの声をあげるルディアがそれが何か認識する前に、それが氷の破片を掴んでいたルディアの腕に食らいついて引っ張ってきた。


「ちょ!? な、なに!? って! わっ!!!」


 恐ろしいほどの力でぐいぐいと引っ張られたルディアはあっと言う間にバランスを崩し砂漠へと倒れ込んでしまう。
 しかも砂の中から這い出してきた何かがルディアの上に覆い被さるように乗りかかってきた。
 このままルディアを砂の中に引きずり込もうとしているのだろうか。
 何か唸り声のような物が背中から聞こえてくるが、慌てふためく今のルディアでは聞き取れるわけもない。
 

「おい! 姉ちゃん!? 大丈夫………………」


 ルディアの悲鳴にボイド達が慌てて駆け寄り、カンテラの光で照らし出して状況を確かめて声を呑む。


「あー……姉ちゃん落ち着け。嬢ちゃんだ」


 カンテラの明かりに照らし出されたルディア達の姿を見てボイドが呆気にとられた声を出す。


「ご飯……私のご飯……お腹すいた」


 ルディアの腕を掴んで自らの身体を引っ張り上げてのし掛かっていた者。
 それは意識が朦朧としているのかルディアの服の裾をハムハムと噛む砂まみれの少女だった。














「はっ!?? さ、砂漠を単独で越えようとしていた!? しかも歩きでだ!?」


 砂船の大きな食堂にボイドの驚きの成分を多量に含んだ声が響く。
 食堂の大きなテーブルには少女その右隣にルディア。
 対面にはボイドとヴィオン。それに修復と周辺警戒の指示で忙しい船長の代理として頼まれた老商人のファンリアが腰掛けていた。
 離れた席では商隊の者達が件の少女を一目見ようと遠巻きに陣取っていた。
 発見……というか遭遇した少女を連れて本船に戻ったボイド達は、ジュース一杯で意識がはっきりとした非常識な少女に尋問を開始したのだが、その口から出てきた答えはボイド達を混乱させるものであった。
 他の遭難者がいるかと連れは何人かと尋ねてみれば一人だと答え、ファンリア達の話から大金を持っていた事は判っていたので、じゃあ砂船をチャーターしたのかと思い改めて雇いの船員がいるのかと尋ね返してみれば、歩きで砂漠を超えようとしたから一人だと平然と返してきた。
 

「ん。何を驚くんだ? 昔は歩いて踏破していたのだろう。しかも暗黒時代はもっと強い魔獣が跋扈していたのだから、それから考えれば楽になっただろう……ん~蜂蜜のおかわりもらってもいいか? 次のパンに塗る分が足りない」


 ボイドに驚きの声をあげさせた少女は、ボイドの大声に驚いたのか目を二、三度ぱちくりとさせて平然と答えてから、蜂蜜の入っていた小瓶を逆さにして振って中身がでてこないのを見るとむぅと唸る。
 唖然として言葉に詰まっているボイドの様子に気づいていない、それとも気にしていないのだろう。


「お嬢さん。塗るじゃなくてそれは漬けるって言うと思うんだがね……誰かひとっ走りして倉庫から蜂蜜持ってこい。ミレニア産のがあっただろ」


 小皿の蜂蜜の海に沈むパンを見てファンリアが面白げに口元に微かな笑みを作ると、遠巻きに見ている配下の商人へと指示を出す。
 食えない老商人は、他の者達が唖然とするこの少女の言動を面白い見せ物程度に楽しんでいるようだ。 


「感謝するぞ。ありがとうだ……ん~でもお腹が空いているし待つのも……ん」

 
 嬉しげな笑顔を見せた少女はファンリアに軽く頭を下げ礼を述べていたが、小さくお腹が鳴り眉を顰め辺りを見渡し一点で目を止める。
 その目は横に座って少女の右手を治療しているルディアが広げた薬箱の中の瓶を見つめていた。 
 

「なぁ薬師」


「何? 痛い? 本職じゃないから上手くできないわよ」


 折れている少女の右手を洗浄し痛み止めを塗ってから当て木をして固定していたルディアが疲れた声で答える。
 大怪我をしている右手の治療よりも空腹だからと食事を優先しようとする少女に、食事と同時に治療を受けさせることを納得させるまでが一仕事だった。
 少女本人曰く『食事中に他の事をするのはマナー違反だろ?』との事。
 なら治療を先にさせろと言っても、お腹が空いているから食事が先の一点張り。
 しかも食べるのは先ほど見つけたサンドワームの死骸だという。
 ルディアから見て巨大なミミズにしか見えないサンドワームは、大金を積まれたとしても食べようという気になる類のものではなかった。  


「ん~痛いけど我慢できるくらいだ。それに痛み止めが効いているから少し楽になった。うん。良い薬師のお前に出会えた私は運が良いな。それよりその薬をもらっていいか?」


 にぱと陽性の笑みを浮かべた少女は傲岸不遜な口調でルディアを褒めてから、薬箱に収まった瓶を指さす。
 それは先ほど少女に塗った痛み止めの練り薬が入った瓶だ。


「これ以上薬の量を増やしても痛みは引かないわよ。むしろ多めに塗ると肌荒れしたり悪影響出るから」


「いや痛み止めじゃない次のパンに塗る」


「…………は?」


 何を言っているんだこいつは?
 それがルディアの正直な感想だ。
 刺激が強いから適量で止めておけと伝えたはずなのに、何を思っているのかパンに塗ると答えた少女の思考はルディアの理外の外をひた走っている。


「ん。だってそれミノアベリーの実と種が主成分だろ。匂いで気づいた。ミノアベリーのジャムは好きなんだ」


 唖然としているルディアに対して少女は答えると左手を伸ばして勝手に薬瓶を掴もうとする。
 言葉通りパンに塗るつもりのようだ。


「こ、この馬鹿! た、食べようとするな! 劇物まじってんのよ!?」


 我に返ったルディアは急いで薬箱を閉じて少女から離す。
 薬と毒物は紙一重。そのままでは毒があるものでも薄めるなり、他の毒物と混ぜれば薬効成分となりうる。
 薬師にとっての基本だが、塗り薬を食するとなれば話は違う。
 この痛み止めにしても少女の言った通り、食用に使われるベリーを主に使っているが他にもいろいろ混じっており、皮膚よりも吸収されやすい体内に入れたら身体に悪影響が出るのが必至な劇物も混じっている。


「むぅ。心配するな。最初に会った時に言っただろ。私は毒物に耐性がある。問題なしだ。だから食べさせてくれ。お腹が空いているんだ」


 馬鹿と言われて気に障ったのか少女は不満げに唸りすぐに拗ねた顔を浮かべる。
 人を引きつける強い光を持つ目と、幼いながらも気品を臭わせる整った顔立ちに拗ねた表情を浮かべる少女は、同性であるルディアにも思わず保護欲を覚えさせるほどに可愛らしい。


「あ、あんたね。そういう顔を浮かべるような頼み事じゃないでしょ。すぐに来るんだから我慢しなさい」


 これで言っている事が無茶苦茶で無ければ、思わず頷いてしまったかも知れないと思いつつルディアは首を横に振った。
 荒れて無造作に縛った髪に油を塗り髪型をを整えて、綺麗な服を着せれば化粧無しでも貴族の令嬢として通用しそうな美少女と言った外見の癖に一事が万事この調子だ。
 少女の言動は明らかに異常な類なのだが、少女自身はそれを一切異常だと思っていない節が随所に見受けられる。
 しかも極端なほどにマイペースだ。
骨が折れていれば大の大人でも叫ぶほどの激痛があるだろうに、少女はたまに顔をしかめるくらいでぱくぱくと食事を楽しんでいた。
 だがその食事も変の一言。
 極端な甘党なのか横で見ているルディアの方が胸焼けしそうなくらいに蜂蜜やら砂糖、ジャムをどばどばと塗りたくっていた。
 ベーコンエッグに蜂蜜を掛けているのを見た時は正気を疑ったほどだが、当の少女は実に美味しそうに食べていた。


「ったく話進まねぇな。ガキンチョ。一つ尋ねるんだが最初に見つけた時、お前さんは倒れていたよな。そっちの姉ちゃんの話じゃサソリの毒で死にかけてたみたいだしな。それに嬢ちゃんが倒れていた灯台岩にもサンドワームの死骸があって、お前さんの持っていた折れた剣ぽいのが刺さってたが何があったんだ?」 


 困惑しているルディアを見かねたのか、蜂蜜入りワインの湯わりで冷え切った身体を温めていたヴィオンがカップをテーブル上に置いて話に割り込む。
 一々驚いていては話が進まないと、とりあえず気になることをどんどん尋ねるつもりのようだ。

     
「うぅ……アレを見られたのか。アレは私の未熟さ故だ。本当は逆手蹂躙で心臓を抉り貫くつもりだったんだが、狙いが逸れて頭に当たってしまった。奴の頭骨が思ったより硬かったので完全には貫けなくて岩に叩きつけて潰したんだ」


 剣を折ったことを恥じているのか少女は悔しそうな顔を浮かべている。
 だが言っている事は相も変わらず無茶苦茶だ。
 極端ではあるが甘い物好きという年相応の嗜好をみせる少女が語る行動とは思えない。実際に岩に縫い付けられたり、腹を割かれたサンドワームを見たヴィオンでなければ、できの悪い法螺話と思うような内容だ。
   

「あぁあっと…………逆手蹂躙ってのは?」


「私の使う流派の剣技の一つで加速力を全て突きへと変換する対軍の陣形貫通を意図した大技だ」 


「いや剣技で対軍とか陣形貫通っておい。ボイド聞いたことあるか?」


 何とか驚かず進めようとしていたヴィオンだが、対軍を想定した剣技があるという荒唐無稽さぶりに思わず横のボイドに尋ねる。


「ねぇよ。ファンリア爺さんあんたの方は」


「剣で山を貫いたって話ならあるが、流派の剣技としては聞いたことがねぇな」


 交易商人として見聞が広いファンリアをボイドが見るが、老商人はタバコを吹かせながら首を横に振る。
 剣で山を貫き道を造ったというのは有名な伝説でボイドも知っているが、それは大昔の上級探索者しかも能力開放状態での事だ。
 呆気にとられているボイド達を見た少女が申し訳なさそうな表情をしたかと思うと深々と頭を下げた。
  

「むぅ。すまん。どうやら誤解があるようだ。本来ならと言うことだ。今の私の力量ではそのレベルまではいかんぞ。精々対大型モンスター程度の威力しか出せん。しかも1回放つ事に生命力をほとんど使い果たす。おかげであの程度の毒物の存在にも気づかずたべる事になったし、身体から抜くにも時間が掛かったんだ。だからお前達に助けてもらって助かったぞ。改めて礼を言わせてもらう。ありがとうだ」


「謝るのとか礼はいいが、問題はそういう事じゃないんだけどよ……つーか食ったって何を?」


 どうにも見当外れの謝罪をしてきた少女の言葉に気になる部分があったボイドは頭痛を覚えたのか額を抑えながら少女に問いかける。
   

「サンドワームだ。ただサソリの毒を体内に蓄積していたようで毒があった。食べている最中に気づいたんだが、お腹が空いていたし今更だったからな致死量ギリギリまで食べて後から抜こうと思っていたんだ」


「………………実際に食べたのアレを? しかも毒があるって判ったのに」


 腹が空いているからサンドワームを食べると言っていたが、既に食べた後だと思っていなかったルディアの手から包帯がぽとりと落ちる。
 ボイド達も予想外の答えに今度こそ言葉を失い、さすがのファンリアも唖然としていた。


「ん。火を通せばもう少し美味しかったのだろうが、あいにく砂漠では薪は拾えないからな生で食べてみた。肉は硬くて不味いが内蔵は貝類みたいでコリコリして美味しかったぞ」 

 少女は味を思いだしたのか嬉しそうな笑顔を浮かべている。本当に美味しいと思ったようだ。
  

「よ、よりにもよって生って……あ、あんた一体何なのよ?」


 ミミズの化け物を倒してのけて、その内蔵を生で食すという暴挙をおこなう幼さの残る美少女。
 相反するという言葉も生ぬるい意味不明さ。


「うん? そう言えばまだ名乗っていなかったな。むぅ助けられたというのに礼儀がなっていなかったな。済まない」


 奇妙すぎる少女が一体何なのかという疑問が思わず口に出ただけだったのだが、当の本人は名前を尋ねられたと誤解したようで、まだ名乗っていなかったことを謝罪してから胸を張る。


「私の名はケイス。探索者を志す旅の剣士ケイスだ」


 威風堂々と少女は、『ケイス』は強い言葉で名乗りあげた。
 






















 
 戦闘完全終了。
 サブクエスト『聖剣ラフォスの使い手』シナリオ消失。
 メインクエスト最重要因子『赤龍』に吸収。
 シナリオ改変準備。
 



 賽子が転がる。
 賽子の外側で無数の賽子が転がる。
 無数の賽子の外側でさらに無数の賽子が転がる。
 賽子が転がる。
 世界を丸々ひとつ埋め尽くす膨大な数の賽子が転がる。
 神々の退屈を紛らわすために。
 神々の熱狂を呼び起こすために。
 神々の嗜虐を満たすために。 
 賽子が転がる。
 迷宮という名の舞台を廻すために転がり続ける。
 賽子の名前はミノトス。
 人々に対しては迷宮を司る神。
 神々に対しては物語を司る神。
 迷宮神ミノトスは休むことなく迷宮にまつわる物語を紡ぎ続けていく。 



[22387] 剣士とナイフ
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:4e98e308
Date: 2011/06/13 23:38
 身体に染みついた習慣かそれとも本能か。
 日の光が届かない常闇の砂漠においても日の出の気配を身体が自然と感じ取り、ケイスは深い眠りから覚醒する。
 目を開くと同時に半身を起こしたケイスは寝起きとは思えない機敏な動作でさっと周囲を確認する。
 部屋に一つだけある二重窓の外は相変わらず真っ暗なまま。常夜灯のランプの微かな明かりが室内にうっすらと影を作る。
 室内にはケイスが寝ていた物もあわせてベットが二つと机に鏡台が一つずつ。壁の一部はクローゼットになっている。
 あまり生活感が感じられないここは砂船の客室の一つだ。
 ケイスのすぐ隣にあるもう一つのベットからは静かな寝息が聞こえてくる。
 寝息のリズムはここ数日で聞いていたのと変わらず、狸寝入りをしている気配もないので、一時的な同居人であるルディアが別の者にすり替わっていたということもなさそうだ。
 寝ている間に室内に誰かが忍び込んでくれば自分が気づかないはずだとは思うが、それでも万が一ということもある。
 クローゼットからは気配無し、部屋の死角に誰かが息を潜めている様子もない。
 室内の各所に注意をむけていたケイスだったが、通路側の壁に作り付けられた机を見て目を止めた。
 机の上では砂時計のような形の型枠でガラス器具が固定されており、ガラスの中では緑色の液体がコポコポと小さな音をたてながら加熱されていた。
 型枠の天板と底板は金属製の文字盤となり、それぞれが冷却と加熱の効果を持つ小型の記入式魔法陣となっている。
 記入式魔陣とは加熱、冷却等それぞれの基本術式があらかじめ文字盤に刻み込まれており、後から空白となっている外周部分に魔術文字を書き込み効果や発動時間を調整する物で、一から魔法陣を書かなくても良いので職人達に好まれ工房などで使われる魔法陣の一種だ。
 だがケイスの知る記述式魔法陣は祖母の持つ巨大な温室を温める為の大型魔法陣だけだったので、二重化されたこのような小さい物もあるのかと物珍しさから興味が引かれていた。
 昨夜寝る前に書かれた記述を軽く読んでみたのだが、随分細かな時間、温度指定をしてあり、何度も加熱と冷却を繰り返す事になっていた。
 おそらく薬効成分を最大まで高める処置なのだろうが、薬師の知識を持ち合わせないケイスにはそれがどういう意味があるのかは理解できない。
 一晩経ったというのに外周部の記述は三分の一も減っていないので、まだまだ完成までは時間が掛かるという事が判るくらいだ。


「薬の製作とは手間が掛かっているのだな……むぅパンに塗ろうとしたのは失礼だったか」


 手間暇の掛かった物を本来の用途以外で使おうとすれば怒られて当然。
 ルディアがなぜ怒鳴ったのか、かなりはき違えた答えを出しながらもケイスは数日前の自分の行動を思い返し反省する。 



 ケイスにとって世界は常に新鮮で目新しい。
 一年前までのケイスは極めて偏った知識と経験しか持ち合わせていなかったからだ。
 剣術と魔術に生存術の3つとケイスの為だけに復活した古代迷宮『龍冠』。そして迷宮龍冠直上のルクセライゼン帝国離宮『龍冠』だけがケイスの知る全てだった。
 剣術を鍛え上げ、魔術を磨き、生存術を駆使して、迷宮龍冠を脱出し離宮龍冠へと帰る。
 脱出しても怪我が癒えればまた迷宮へと連れ去られ、無傷だったとしても一週間も経つと気づけば迷宮の最奥にいた。
 この状況は祖母から聞いた話ではケイスの2才の誕生会から始まったそうだが、ケイスはその瞬間のことは良く覚えていない。
 はっきりと覚えているのは泣いても喚いてもいつまで経っても誰も来てくれなかった事。
 そして迷宮から脱出する為に自分の足で一歩を踏み出したその時からだ。
 最初は小動物が地上までの道案内をしてくれて、寒さと不安で眠れない身体を温めてくれた。
 無尽蔵に生えていた甘い果物が空腹を満たし、よく冷えたわき水が喉の渇きを救ってくれた。
 扉を開ける為のパズルや綺麗な花で出来た迷路は楽しかった。
 長い迷宮だったが、ケイスが遊び場と認識するまでさほど時間は掛からなかった。
 だがケイスが成長するのに合わせるかのように迷宮も変化する。
 小動物は成長しケイスを襲う獣と化し、食べられた果物は徐々に数が減り、わき水には毒が少しずつ混じり、鋼鉄の巨大な扉に行く手を塞がれ、致死トラップに巻き込まれた事も一度や二度でない。
 だがケイスはそれでも止まらなかった。
 友達を殺し血肉を喰らい、毒であろうが負けない身体をつくり、扉を打ち砕き、トラップを排除して、意地でも這い上がりつづけた。
 ただただ一つの目的だけを抱き。
 離宮龍冠へ。家族の元へと戻る為に。
 幼少時からつづいた体験がケイスのずば抜けた戦闘能力を生みだし同時に異常な思考を作り上げていた。
  




「……よし起きるか」

 
 外の世界。
 知らなかった本当の広い広い世界に出たことで、自分がどれだけ無知だったのか毎日思い知らされているが、同時に新しいことを知るのが楽しくてたまらない。
 室内の安全を確認したケイスは警戒態勢を解くと、寝ているのがもったいないとベットの中に入れたままの左手をそそくさと引き抜く。
 その手には抜き身のナイフが握られていた。
 握り拳ほどの長さの冷たい刃がランプの明かりを受けてぎらりと輝く。
 ケイスの本音を言えば、このような小さな刃物では就寝中の護身用には心許ない。
 最低でも長剣。できたらこの間壊してしまった大剣クラスをベットに持ち込みたいのだが、どうにも昔から剣を寝台に持ち込む癖は評判が悪かった。
 寝ている間に怪我をしたらどうするとか、シーツや毛布がダメになると散々言われてきたが、ケイスからすればそれが判らない。
 刀剣を常に身近においておかず不安にはならないのだろうか?
 自分ならそんな大胆なことは出来ない。
 第一だ。自分で握っている刃物なら、例え寝ている間であろうとも望まない物を切るはずがない。
 そんな簡単な事がなぜ他人には判らないのかケイスは理解できない。
 ただあまりにも言われすぎた事や、従者でもあった従姉妹からは半日近く説教された事もあったので、それ以来短めのナイフを隠してベットへと持ち込むようにしていた。
握っていたナイフを脇のチェストの上に置いてからベットから抜け出す。
 素足に触れる冷たい床の感触が火照っていた身体に気持ちいい。足裏には最下層の転血炉が稼働する微かな振動が伝わってくる。
 規則的な微動は転血炉が問題無く稼働している証拠だ。
 サンドワームの襲撃で船体各部にそれなりのダメージを負ったはずだが、動力推進機関に問題はなさそうだ。
 

「ん」


 旅が順調なことに満足気に頷いてから大きく伸びをして体調を確認。  
 治療中の右腕は手首から先が包帯と当て木でぐるぐると巻かれ固定され不便なことこの上ないが、ルディアの痛み止めのおかげで引きつるような感触があるだけだ。
 身体を捻りながら筋肉をほぐし、ついで左手の指を開いたり閉じたりして反応も確認。
 ここ数日ちゃんとした食事にありつけたおかげか、無茶をした影響で残っていた身体のだるさや熱も完全に抜け、思った通りの動きができる。
 そろそろ本格的な鍛錬を再開をしても問題無いだろう。
 だがその前にやることをやってからだ。
 今は好意で砂船にただ乗りさせてもらっている。
 ならば手伝えることがあるなら極力手伝うべき。
 ケイスは一つ頷いてから隣のベットで毛布にくるまっているルディアの身体を軽く揺する。


「ルディ。ルディ。良い朝だぞ。厨房の手伝いに行くから支度を頼む」


「…………ぁ……あぁ朝ね……ったく。朝から元気な奴。あと何度も言うけどルディア。一文字だけ削った中途半端な略し方するなって言ってるでしょ」


 眠りを妨げられたルディアが寝起きの不機嫌そうな表情を浮かべ文句を言いつつも、もぞもぞと動きベットから這い出てきた。
 癖が強いのか派手な赤毛がぴょんぴょんとあちらこちらに飛び跳ねているが同性。しかも年下のケイスの前だからか特に気にしている様子はない。


「ふぁぁ……ほら。そっちいって。背中むけて。」


 まだ寝足りないのか欠伸混じりのルディアは、ケイスの肩を掴んで背中を向けさせてから鏡台前の椅子に座らせる。
 ケイスが着る寝間着は背中だけでなく右肩の後ろ側にもボタンが付いており、右側だけ半袖となっている。
 ケイスが元々着ていた旅装束一式はボロボロとなった上に、右腕が包帯と当て木でふくれ上がり普通の服が着られなかった事もあったので、ファンリアの商隊で衣服商をやっている針子の女性が古着を縫い直して譲ってくれた特別品だ。
 他にも幾つか袖を通さなくても良い服をもらい受けているが、どうやら”見た目だけ”で判断するならば、美少女であるケイスに自分が手直した服を着せる事を楽しんでいるようだ。


「にしてもあんたさ…………どんな身体してんの? 二、三日前まで髪はごわごわで肌もかさかさ傷だらけだったのが、何でこんなに良くなってるのよ」 


 しっとりと濡れるような艶のある黒髪と肩口から覗くすべすべとした卵のようなケイスの素肌を見たルディアが呆れ混じりの声をあげながら、背中まである黒髪を櫛で梳いていく。


「ん~ゆっくり寝たし、ご飯が美味しかったからな。生命力が十分戻ったから闘気で回復力だけを高めている所為だろ。それにルディの薬がいいのもあるな」


 髪を梳かれる心地良い感触を楽しみながらケイスは答える。
 血の滴る生肉も悪くはないが温かいご飯は美味しいし、固い地面よりベットの方が気持ちが良い。
 よく寝てよく食べるから自然と生命力も戻り、闘気を身体に張り巡らせて回復を早めることが出来る
 それに腕の立つ薬師の薬もあるのだから、これくらいはケイスにとって当たり前。むしろ遅すぎるくらいだ。
 

「身体能力全般を高めるならともかく、回復だけって……あんた探索者でもない癖によくそんな器用に使えるわね。それにあたしの薬はただの化膿止めと痛み止め。美容効果はないっての」


 闘気を使って身体能力をあげるのはさほど難しい事ではない。それこそ子供でもそこそこの生命力があり生命力を闘気変換するコツさえ知っていれば出来る。
 しかし生み出した闘気で全身の身体能力強化を行うならともかく、一部だけを強化するとなると途端に難しくなる。
 急な坂をあらかじめ決めていたルートを一歩も踏み外さず全力で駆け下りるような物とでも言えばいいのだろう。
 だがこれをいとも簡単にこなす者達がいる。
 それが神の恩恵である天恵を得た者達。所謂探索者だ。
 天恵は生命力を与えると同時に変換能力の増大と細分能力をもたらす。
 探索者ではないルディアには魔力の違いなど判別できないのだが、最高位の上級探索者ともなると、魔術に使う魔力一つとっても術にもっとも適した波形の魔力を生み出す事ができるという。
 勿論探索者と比べればケイスの闘気の細分化は拙いの物だが、年齢を考えれば十分驚異的なものだ。
 しかしここ数日でケイスの無茶苦茶な言動と能力を目の当たりにした所為か、常識という感覚が麻痺し掛かっているルディアはただ呆れ顔を浮かべるだけだった。
  

「はい縛るわよ……そうだ。食事で思いだしたけどあんた食べ過ぎじゃない? 大人二、三人前はぱくぱく食べてるけどよく入るわね」
 

 髪を梳き終わったルディアは、今度は髪を大きくまとめて紐で結い上げポニーテールへと仕上げていく。
 この髪型は動きやすいからケイスは気に入っているが、自分でやるとどうしても納得がいかずいろいろ弄っているうち変になってしまう事が多かった。
 結局紐で適当に縛る事が多いのだが、ルディアの髪結いはケイス的には十分及第点だ。


「私は動いているからな。ルディも一緒に鍛錬するか? 身体を動かすとご飯が美味しいぞ」   
 

「冗談。あんたの鍛錬なんて付き合ってたら2、3日は筋肉痛確定でしょうが。それ以前に怪我人が無茶するなっての。昨日もいったでしょ。治る物も治らないわよ。ほら馬鹿言ってないで右手出して。包帯をまき直すから」


 素気なく断られたケイスは不満顔を浮かべるが、ルディアはケイスの頭を軽く叩いて注意すると寝ている間に緩んでいた右手の包帯を強めにまき直しはじめる。
 ケイスからすれば昨日はまだだるさもあって軽く身体を動かした程度なのだが、ルディアから見ると十分すぎるほどのオーバーワークだったようだ。
 

「そういえばあんた昨日マークスさんとこの息子さんに喧嘩を吹っ掛けたって? マークスさんが何かやたら上機嫌で、調子に乗ってた息子が叩きのめされたとか言ってたんだけど」
 

「ん?……あぁ子グマのことか。失礼なことを言うな。私がクマから剣を借りて素振りしていたのだがあいつの方から絡んできたんだぞ。失礼な奴だ」


 しばらく考えてからケイスは昨日あったことを思いだして不愉快に眉を顰める。
 ちょっとした”認識”の違いから誤解が生じていた武器商人のクレン・マークス通称クマだったが、無事に誤解が解けたこともあって良好な仲を築きかけている。
 昨日などはクマからケイスは鍛錬用に武器を貸してもらったほどだ。
 それ故に昨日は途中までケイスはすこぶる上機嫌だったのだがクマの息子。ケイスが子グマと呼ぶ13才の少年ラクト・マークスに出会った事で気分は最悪になった。


「それに叩きのめしたのではない。あいつが剣を取り上げようとずかずかと私の間合いに入ってきたので危ないから投げ飛ばしただけだぞ……子グマが気絶がしたが受け身を取らなかったあいつが悪い」


 気絶させたのはやりすぎたかと思いつつもケイスは頬を膨らませる。
 どうやら自分が剣を持ち出すと怒る父親が、ケイスには喜んで貸し出していたのが気に食わなかったらしいが、ケイスからすればいい迷惑だ。
 

「やり過ぎだっての。あたしもそうだけどあんたも居候みたいなもんだから大人しくしてなさいよほんと」


「ん。判っている。だから早起きして厨房の仕事を手伝っているだろ。それにあっちが絡んでこない限り私から力を振るう事は無いぞ。私は心が広いから昨日のことは水に流してやるし乱暴者ではないからな」


 ケイスは強く頷き胸を張って答えたが、ルディアが向ける視線は非常に疑わしいと雄弁に物語っていた。

















「テーブルと床の掃除は終わったぞ。次は何をすればいい?」


 使い終わったモップを左手で持ちながらケイスは食堂のカウンターから、厨房の中へと声をかける。
 砂船『トラク』は乗員乗客合わせて八十人以上が乗り合わせる中型船だが、その食堂は人数に対して大分手狭で最大に詰めても三十人分ほどの席しかない。
 これは元々トラクが探索者向けの船として設計されていた事が原因だ。
 探索者は大抵4~7人で1パーティを組む。
 そして迷宮内に船を持ち込んだり砦を築城して拠点を作り長期探索や採取をおこなう場合は、中級探索者クラスの場合は安全性と収益分配や採算の関係から4パーティほどが合同チームを結成する事が多い。
 中級迷宮探索船であったトラクも定員四十人を見越して建造、運用されていたのだが、老朽化に伴う払い下げの際に武装と不要設備の撤去をして旅客貨物船への改装をおこない客室と倉庫の容量を増やしている。
 だが厨房等水回りが関係する部分は大規模な改装をするのが難しく元のままとなっている。
 結果厨房の拡張が出来ない為、食堂も元の広さのまま据え置かれていた。


「おう…………おし。ちゃんと出来てるようだな」


白髪交じりの料理長セラギ・イチノは仕込みの手を休めて食堂へ出てくると、掃除箇所を一通り確認してからケイスの頭を撫でて褒める。
 固太りで厳つい顔の為か肉を捌く姿は料理人よりもオーガだと言われるセラギだが、その厳つい外見に反して繊細な味の料理を得意とし、貨客砂船程度の料理長をしているのが不思議な腕をしていた。


「うむ。当然だ。食事を取る場所は綺麗にしなければいけないのだろ。セラギの教えてくれた通りにぴかぴかにしたぞ」


 セラギに褒められたことに素直な笑みを浮かべて喜びながらケイスは胸を張る。
 親子以上に離れた年長者に対する言葉遣いではなく傲岸不遜その物だが、テーブルの上は綺麗に磨かれ、床にはゴミ一つ無く、額にはうっすらと汗を掻いたケイスが一生懸命に掃除をしていたことは一目瞭然だ。
 

「初日から比べて随分進歩したな。まさか床用のモップでテーブルを拭く奴がいるとは俺も思わなかったからな」


 初日にとりあえず掃除をさせてみたケイスがモップでテーブルを拭き始めたのを見た時には巫山戯ているのかと思い怒鳴りつけたのだが、セラギの怒気にも恐れた様子も見せずなぜ怒られたのか判らずケイスはきょとんと首をかしげるだけだった。
 本当に知らないようだったので仕方なくセラギ自ら見本を見せたのだが、すぐに気をつける場所や効率的なやり方を覚え、言葉使いのわりには妙に素直な所があるケイスをセラギは気に入っていた。
 

「むぅ。しょうがないだろ知らなかったんだから。ちゃんと見て覚えたからいいだろ。それより次の仕事を寄越せ。鍛錬までまだ時間はある。私に出来ることなら何でもやるぞ」

 
 セラギのからかい混じりの目線に頬を膨らませるケイスだったが、すぐに気を取り直して次の仕事を催促する。 
 掃除は適度に身体を動かす事ができるので準備運動代わりにはもってこいだが、手伝いをする時間は朝と夕方それぞれ一時間の約束としていた。
 今日は掃除になれてきたのと身体が自由に動くので所為で思ったより早く終わり、約束の一時間までは30分以上残していた。
 

「そうはいってもな。お前さんの右手がそれじゃなあ」


 包帯と当て木で固定されたケイスの右手を見てセラギはどうしたもんかと腕を組む。
 左手一本で出来ることなど掃除以外ではさほどない。それが料理人セラギの常識だ。
 

「ねぇ親父。それならケイスに皮むきやって貰おうよ。今日の夕食のポテトサラダ用」 


 二人の会話を厨房内で聞いていたのか焦げ茶色の髪の若い女性がカウンターに身を乗り出し、手に持っていたジャガイモとペティナイフを掲げてみせる。  
 女性はミズハ・イチノ。名前の通りセラギの一人娘でこの厨房のもう一人の料理人だ。 ミズハは父親の元で修行中とのことだが、イチノ親子たった二人で八十人分を毎日三食作っているのだからもう一人前と言っても過言ではない。
 特に前菜とデザートに関しては女性としての感性が勝るのかミズハの料理の方がセラギよりも評判がよい。


「馬鹿かミズハ。ケイスの右手は塞がってんだぞ。自分が楽したいからって無茶を言うな。サラダ用のジャガイモはヘント種だから小さくてただでさえ剥きづらいってのに」


 ミズハの持つジャガイモはヘント種と呼ばれる鶏の卵より一回りほど小さい大きさと形をした品種だ。
 冷やしてもホクホクとした食感が変わらないのでサラダ用には適しているが、粒が小さいので皮が剥きにくく、仕込みをする下っ端料理人泣かせのジャガイモだ。
 トラクの料理人は二人しかいない為にどちらが大変な作業をやるとかではないが、肉、魚関連はセラギ、野菜の仕込みはミズハと分担が出来ている。
 夕食のサラダに使うヘントジャガイモも無論ミズハの担当で、朝のうちに木箱一杯分の皮を剥き水にさらし茹でておかなければならない。
 手間を考えるとかなりの一苦労なのだが、


「違う違う。親父はケイスを甘く見てるんだって。ほらケイス昨日の林檎みたいにやって。ほいパ~ス」 


「おわっ!」


 ちっちと小さなジャガイモを振ってみせたミズハはケイスに向かってペティナイフと小さなジャガイモをポンと投げ渡す。
いきなり刃物を投げたミズハの行動にセラギが驚きの声をあげるが当のケイスは落ち着いた物だ。
 飛んでくる矢に比べればミズハの投げたナイフなどふわりと落ちてくる綿毛と変わらない。
 無造作に左手を付きだしたケイスは人差し指と中指でナイフの刃を挟みとり、そのついでに宙を舞っていたジャガイモにも手を伸ばすと親指と小指でつかみ取る。
 ナイフとジャガイモをキャッチしたケイスは指を軽く動かして、手の中でジャガイモを回転させながらナイフの刃を当てて皮を剥いていく。
 物の一瞬でケイスの手から一本に繋がった薄い皮がカウンターの上にぽとりと落ちた。


「これくらいの厚さで良いかミズハ?」


 見事に裸になったジャガイモをケイスは二人へとみせる。
 大きさは皮を剥く前とさほど変わらず表面はなめらか。身を削らないように薄皮一枚で剥いてあり、とても左手一本でやった物とは思えないほどだ。


「なっ?!」


「おぉさすが! やるケイス! ご褒美に後で新作デザートの試食させてやんね。林檎好きでしょ?」


 驚きの声をあげる父親とは違い昨日既にこのケイスの曲芸じみた皮むきを見ていた娘はぱちぱちと拍手を送りながらウインクしてみせる。


「ん。良いのか? でも楽しみにしておく。リンゴもミズハのデザートも好きだ」


 手の中にある動かない物を斬るなどケイスからすれば朝飯前。
 この程度でご褒美を貰ってもいいのかと思いながらも、一番の好物であるリンゴのデザートと聞いて是非もなく笑顔を浮かべる。


「ってなわけで親父。ケイスに手伝わせるのに文句はないでしょ。この子、刃物扱わせたらたぶん親父より上なんだから」
  

「判った判った。確かに俺には出来ない芸当だ。でもそれとは別にだ。ナイフを投げるな驚くから」


 勝ち誇った顔を浮かべるミズハに、苦々しい顔で睨みつけながら苦言を呈すセラギの横でケイスが胸を張る。
 

「当然だ。私は剣士だからな。他にも斬る物があれば任せておけ。斬るのは大好きだ」


 この後数日間十分に物を斬っておらず欲求不満気味だったケイスは、言葉通り嬉々として刃物を振るい、ジャガイモ1箱とニンジン30本ついでに骨付きの牛半身を捌き満足な斬りごたえを感じてから朝の手伝いを終えた。



[22387] 剣士と少年
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:4e98e308
Date: 2011/07/09 10:39
 砂船トラクは全長約150ケーラ。その最下層は隔壁で隔てられ船首側は機関部、船尾側は倉庫となっている。
 厨房の仕込みを手伝い終えたケイスは、人気のない最下層まで降りていた。
 通路の横幅は両手を伸ばしたくらいだが、長さは約60ケーラほどもあり、闘気の底上げ無しでのケイスの全力疾走では7秒ほどかかる。
 早朝の人気のない時間を使いケイスはこの通路での走り込みを行っていた。
 だがケイスの目的はスタミナ増強の為の走り込みだけでは無く、歩法の鍛錬も兼ねている。
 

「はっ!」


 息を軽く吐き出しケイスは跳び出す。
 硬い床は1歩目からトップスピードに乗せる事を可能とする。
 広い歩幅でしかも常に一定になるように気をつけすり足気味に床を蹴りながら、通路の端を目指して疾走する。
 最初に歩数を決めてから、歩数に合わせて通路を平均分割して頭の中で線を引く。
 線を捉えて良いのはつま先のみ。
 最初は20歩から初め、成功したら1歩歩数を増やしていく。
 線を踏み外したのなら失敗。全力疾走時のタイム+1秒を超えても失敗。もう一度20歩からやり直す。
 それがケイスが行う歩法鍛錬の基本ルールだ。
 朝食の時間までの一時間を目処に今日の目標は40歩とケイスは決めて、ここまで5回目のやり直しでようやく30歩目まで進んだ。
 闘気を使い身体能力強化をすれば、目標の数倍までも無理なくこなせるが、それでは意味がない。
 闘気を用いれば身体能力を数倍、熟練者であれば数十倍にあげることが出来るが、元となる基礎能力自体が鍛えられるわけではない。
 ケイスが今求めているのは高い基礎能力。
 正確無比な距離感。
 精密な身体操作。
 どちらも敵と触れ合うほどの近距離での近接戦闘を唯一の戦闘手段とするケイスにとって必要な能力だ。
 

「はっ……はぁ……むぅ」


 31歩目を踏んで壁際に到着。本来ならこのままターンして次の歩数へと入るのだが、ケイスは立ち止まる。
 肩で息をしながら不機嫌に眉を顰めた。
 立ち止まったのは息が切れたからではない。予定よりより近い気がしたからだ。
 足元を見下ろして壁との距離を測ってみるが、やはり指一本分ほどだが近すぎた。
 1歩前までは満足のいく出来だったが、どうやら最後だけ止まろうとした分の動きが遅れ超過してしまったようだ。
 指一本分の僅かな誤差。これを許容範囲と見るかは人によっては分かれるだろう。
 
  
「ふぅ……むぅ。もう一度最初からか」


 軽く息を整えて唸ってからケイスは反対側へと振り返る。
 踏むべき場所は壁の汚れや床の木目を目印にして頭の中でイメージとして作り上げてある。
 後は自分がその思った位置を正確に踏み切れるかが問題なだけの単純だが難しい作業だけだ。


「はぁっ!」


 大きく息を吸い混んでからケイスは反対の壁に向かって飛び出す。
指一本分だけといえ、誤差は大きい。
 指一本分でも間合いを読み間違えれば重要な腱や血管を切り裂かれてしまうかもしれない。
 指一本分でも余分に踏み込んでしまえば、振るった剣の狙いがそれてしまうかもしれない。
紙一重の近距離戦闘を生きるケイスにとって十二分に生死を分ける誤差。
 これくらいは良いかと自分を誤魔化してしまえば後で泣く羽目になる。
 変な部分で生真面目なケイスは鍛錬には一切の妥協をせずただ黙々と繰り返す。
 

「ふ……ふっ……次!」


 20歩は問題無し。
 壁にタッチしたケイスは振り返ると共に即座にスタートを切り、21歩であっという間に通路を走破し反対の行き止まりに辿り着き、次の22歩目の為に折り返す。
 息を整える暇もない短距離走の連発。
 1歩ごとに歩数を増やしていく分スライドが小さくなり遅くなるタイムは足の回転をあげる事で維持する。
 躍動する心臓と駆け巡る血で熱くなる身体の熱さがケイスの心をより滾らせ、鍛錬へと意識が集中していく。 
 ケイスの行う鍛錬には休憩などという概念は存在しない。ただひたすらに身体を限界以上に酷使し続けるという馬鹿げた物だ。
 こんな事を毎日繰り返していれば常人であればすぐに身体が壊れる。
 しかし御殿医から先祖返りと診断されたケイスの肉体がその無茶を可能とする。
 鍛えれば鍛えた分だけ強くなり、怪我を克服すればするほどより肉体は強靱となっていく。
 無限とも思える潜在能力の底はケイス自身にも見えない。
 だが今のケイスには己の稀有な体質は好都合以外のなんでもない。
 ケイスは強くならなければならない。胸に抱く大願を叶える為に。
 願いを人に聞かせれば馬鹿げていると笑われるか、幼すぎる外見故に現実を知らない子供らしい夢とほほえましく見られるだろう。
 しかしケイス本人は心底本気であり自分が出来ないわけがないと微塵も疑っていない。
 自信過剰とも言うべきケイスの生まれ持った心根が、無理な鍛錬にも心を折らせず続けさせる原動力となっていた。
  
 
「っぁ……26っ!」


 26歩までは順調に数を積み重ねてきたがきついのはここから先。
 歩数を増やしながら速度を維持するのは骨が折れる。だが同距離同速度で歩数を増やせるということは選択肢を増やす事に他ならない。
 荒れる息もそのままにケイスは折り返す。

 1歩目。床木目細めの渦……成功。

 2歩目。右側壁のへこみ……成功。

 3歩目。左壁の倉庫扉蝶番……成功

 4歩目。天井ひっかき傷先端……成功。


 目標を一つ一つ確かめながら全力で疾走する。
 わざわざ上下左右に目標を分けたのは、動体視力の強化と広い視野の確保も鍛錬目的の一つだからだ。
 深い森に姿を顰める射手を見つけ出す為に。
 乱戦の中で敵魔術師が唱える詠唱や組んだ印。展開した魔法陣から魔術の種類を一瞬で判別する為に。
 飛翔魔獣が雲の隙間から放つ広範囲ブレス攻撃を避ける為に。
 地中から突如襲いかかってくる地棲魔獣が地下を移動する時の微かな地表の異変を感じ取る為に。
 攻撃の兆候を少しでも早く正確に認識し対処する事が出来るようにと鍛える知覚能力は身体強化と違いすぐに必要となる力ではない。
 ケイスの反応速度を持ってすれば、先日のサンドワームとの戦闘のように大抵の攻撃を躱し弾くことができるからだ。
 高い知覚能力が必要となるのは今より数年後。中級探索者となる頃に必要となる力と定めケイスは鍛錬を続ける。
 そしてその先も勿論視野に入っている。
 当面の目標である上級探索者時代に生き残る為の極めて高度な身体力、精神力。強靱な精神力は現状より遙か高みにある
 さらにその先。自らの生まれがもたらすであろう戦乱を勝ち抜き家族を守る為の圧倒的な対人、対軍戦闘能力。
 これから先の人生。自分の生涯全てが戦いの中にあるという確かな予感を抱くケイスの鍛錬は20年30年先を見据えている。


  
 8歩目。上階へと通じる階段扉の一つ前の壁掛光球ランプ……成功

 ここまでの目標を正確に捉えた事に心中で満足を覚えながら8歩目を踏みきろうとしたケイスだったが、その目の前でいきなり階段へと続く扉が通路側へと開きはじめた。
 どうやら上から誰かが降りてきたようだ。
 鍛錬に集中しすぎて周辺警戒がおろそかになっていたと反省する間も無く不意の来訪者が姿を現す。
 しかしスピードに乗っているこの状況下では
 このままでは降りてきた人物へと体当たりをする羽目になる。
立ち止まるには距離が足らない。
 かといってこの勢いでは扉を避けることも出来ない。
 むやみやたらと人に怪我をさせるのは好きでないが、自分が怪我するのも嫌だ。
 なら残った選択肢は一つ。


「っの!」


 ケイスはとっさに8歩目を強く蹴り跳躍する。
 扉までの僅かな距離で空中へと身を躍らせたケイスは侵入者の顔を掠めるように飛び越えながらそのままくるりと回転し扉の上部に浴びせ蹴りを打ち放つ。
 扉を破壊して進路を確保するついでに勢いをかき消せばいいと単純明快な答えをケイスの思考ははじき出していた。
 
 
 











「ここかっ!? どぁ!?」 
 
 
 怒り心頭で最下層通路へと続くドアを開けた瞬間、目の前をいきなり小柄な身体が横切り、ついで派手な衝撃音と共にラクト・マークスは強い衝撃を受けて握っていたドアノブから思わず手を離す。
 ベキと音を立てて木枠が砕けて蝶番が外れた重く頑丈な木の扉が、バタンバタンと音を立てながら風に流されるゴミくずのように通路を転がっていく。
 ドアノブを掴んだままだったら、ラクトも扉と一緒に転がっていくことになっただろう。
 恐ろしいまでの勢いと衝撃をドアに叩きこんだのはケイスと名乗る黒髪の少女。
 ケイスはスタっと床に降り立ち振りかえってラクトの顔を見て頬を膨らませる。


「はぁはぁ……なんだ……子グマか……ふぅ……すまん。避ける暇が無かった。しかしお前も気をつけろ。『訓練中立ち入り注意』と張り紙を貼ってあっただろ。いきなり扉を開けるからびっくりしたじゃないか」

 
 すぐに息を整えたケイスは謝る気があるのかと疑いたくなる傲岸不遜な言葉を打ち放つ。
 長い黒檀色の髪と多少吊り気味だが意志の強そうな目と整った顔立ちはラクトの幼学校時代の同級の少女達とは比べものにならず、都会の着飾った見目麗しい少女よりもさらに強い存在感を放ち、外見だけで見るならばまだ幼い雰囲気を色濃く残しながらもながらも最上級の美少女といって過言ではない。
 だがそれは見た目だけだ。 


「て、てめぇケイス! いきなり人のこと蹴り飛ばそうとして偉そうだなおい!? それに俺は子グマじゃねぇ!」


 ラクトの当然すぎる抗議に対してケイスがなぜか不機嫌に眉を顰めてから、転がった扉を指さして胸を張る。


「失礼なことを言うな。私がこの程度の速度と距離で目標を外すわけがないだろ。狙い通り扉だけ蹴ったんだ。見れば判るだろ。それにクマの子供だから子グマだ。二つとも問題無しだ」     


 ケイスが指さした扉上部にはくっきりと足跡が残っており、どうやらここを狙って蹴ったと言いたいようだが、そう言う問題ではない。
 失礼なのはお前の方だと言い返したくなる言いぐさにラクトは苛立ちをより強める。


「問題しかねぇよ! それに親父のクマは渾名で俺には関係ない……ってまて! 逃げるな! 俺の話を聞け!」


 ラクトの言葉を最後まで聞かずケイスは転がっていった扉を壁に立てかけるとすたすたと歩き出した。
 まるで話は終わったと言わんばかりのケイスをラクトは追いかける。
  

「むぅ心底失礼な奴だな。別に逃げたわけではない。後で扉を壊してしまったことはちゃんと船員に伝えるがまだ時間が早い。朝食時にでも伝え謝るつもりだ。無論修理も手伝う。そして私は走法鍛錬の途中だ。時間が惜しい。他に何か言いたい事があるなら走りながら聞いてやるからそこらで言ってろ。それと大声は出すな。たぶん大丈夫だと思うが上の客室まで響いたら早朝でまだ寝ている者もいるから迷惑だぞ」


 振り返ったケイスは不満げに唸ってからおざなりに通路の一角を指さす。
 しかしその位置は長い通路のほぼ中間地点だ。
 どうやらケイスは通路を往復して走っているようだが結構な距離がある上に、通路には船首側の転血炉が稼働する重低音が響いていて近い位置ならともかく離れていれば音は聞き取りづらいだろう。 
 

「んな所から声届くか! しかも大声出すなって! お前絶対聞く気ないだろ!」


「一々しつこい奴だな。聞いてやると言っているだろう。心配するな私は耳が良い。だから大声を上げるな。さっきも言っただろ。貴様こそ人の話を聞かないのは駄目なんだぞ」


 お前が言うなと返したくなる内容をほざいてから、ケイスは踵を返し早足で通路を歩き出した。
 自己中心的で身勝手な上に自信過剰で鼻持ちならない。
 誰と比べても群を抜いて断トツで生意気で憎たらしい年下ガキ女だと、ケイスと知り合って数日でラクトは嫌になるほど思い知らされていた。


「こ、このっ!!………っくぅっく!」


 ラクトはその無防備な背中につい掴み掛かろうとしたが、年下女しかも怪我人である事を思いだして歯ぎしりをしながらも何とか踏みとどまる。
 それに昨日のこともある。
 剣を取り上げようとケイスに近付いた所、ケイスに思い切り投げ飛ばされ気を失う羽目になった。
 一晩経ってようやく強く打った身体の痛みも引いて動けるようになったので、昨日の喧嘩の続きとケイスの所へ出向いたのだが、その初っ端からケイスの傲岸不遜で自分勝手なペースに巻き込まれていた。


「いいか! このちび女! 俺が昨日投げられたのは油断してたからだからな! あれで勝ったと思うなよな!」


 ケイスに追いついたラクトはその行く手に立ちふさがりながら睨みつける。
 年下。しかもこんな小さく細い少女に負けたとあってはラクトとしては立つ瀬がない。
 ラクト自身も負け惜しみだとは判っている文句だったのだが、ケイスはきょとんとした顔を浮かべた。


「ん? 別にお前と勝負した訳じゃないから勝ったなんて思ってないぞ。それよりあの程度の投げならちゃんと受け身をとれ。お前が気絶なんかしたからルディから叱られたんだぞ……よし話は終わったな。鍛錬時間がおしいから邪魔をするな」


 ラクトなぞ喧嘩相手にならず元々眼中にないとケイスの言葉と態度は雄弁に物語っている。
 他人事であれば、どうやったらここまで人を怒らせる事ができるのかむしろ感心しそうになる。
 だが当事者であるラクトとしてはたまった物ではない。
 ケイスの前へと出たラクトはその行く手を塞ぎ、


「っく!……それと! お前今日は絶対親父の店の剣を使うなっ!?」


 言葉の途中でケイスが動いた。
 立ちふさがっているラクトの足の間へと右足をすっと滑り込ませ右足を払いながら、無事な左手でラクトの右腕を掴んで軽く引っ張る。 
 たったそれだけのケイスの動作でラクトの視界が反転して、気がついた時には投げられていた。
 昨日と違うのは床に落ちる直前で勢いが弱まってふわりと浮きケイスが差しだした右足の上に身体が着地したことだろうか。


「温厚な私でもいい加減怒るぞ。剣はクマの好意に甘えさせてもらっているが貴様に口出しされる謂われはない」


 眉根を顰め実に不機嫌そうな顔を浮かべているケイスは右足をずらすとラクトを通路の端にポイと置いた。
 あまりに簡単に投げられたことにしばし呆気にとられていたラクトだったが、我に返りワナワナと肩を震わせながら跳ね起き、ケイスへと指を突きつける。


「っ…………くくくくくっ……このガキ上等だ! てめぇ決闘だ!」


 ここまで虚仮にされたのはもうじき14になるラクトの人生の中でも初の経験。怒りを通り越して笑うしかない。
 こうなれば相手が女であろうが年下だろうが怪我人だろうが関係ない。
 絶対に泣かしてやるラクトが意気込むが、怒声にケイスはきょとんとした顔を浮かべている。
 頭二つ分ほど大きいラクトの剣幕にひるんだ様子も無かったケイスはしばらくしてから溜息を一つはいた。


「はぁ……器量が狭い。もう少し心を広く持った方が良いぞ。私は貴様は気に食わないが殺したくはならないぞ。この程度で殺し合いなんて貴様おかしくないか?」


 訳の分からない事を言い出したケイスが同情的な目を浮かべた。
 だが返されたラクトは唖然として言葉を失っていた。決闘しろとは言ったが殺し合おうなんて一言も言っていない。
  

「しかし貴様がどうしてもと望むなら致し方ない。ルディに立会人をやって貰うがいいか? それとも他に希望する者がいるか? 出来たらクマは止めてくれ。いくら私でも父親の前で息子を殺すのは忍びない」


 あまり気乗りしないと言いたげな顔を浮かべながらもケイスは一人で納得して話を進めているのを見てラクトは慌てて止めに入る。


「……い、いや!? ま、待てって!? お、お前何言ってんの!?」


「何って決闘だろ? どちらかが死ぬまでの。ふむ。しかしそうなると場所をどこに…………」


 何でそんな常識を確認するんだと言いたげな顔を浮かべたケイスは、場所はどこが良いかや、長剣でいいかとやたらと具体的な内容をあげ始める。
 ケイスが冗談や脅しで言っているのならまだいい。しかしその表情や口調が至極真面目なのが怖い。どうやら本気のようだと嫌でも伝わってくる。


「…………お、お前馬鹿だろ!? 何で殺し合い!? っていうか何でそうなるんだよ?!」


「誰が馬鹿だ本当に失礼な奴だな。決闘に殺し合い以外の何がある?」


 ラクトが言っている意味が本当に分からないのかケイスがちょこんと首をかしげる。
 仕草だけ見れば可愛らしいのだが、言っている事はとてもまともじゃない。


「あ、あるにきまってんだろうが……」  


 怒りが通り越して笑いへと変化していたラクトだったが、おかしすぎるケイスの言動に段々疲れすらも覚え始めていた。




[22387] 薬師と探索者達
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:ad056b20
Date: 2011/09/01 01:57
 食堂へと手伝いに向かったケイスを送り出した後、ルディアは自分の身だしなみを整え、朝食までの時間を制作中の新触媒液のレシピと調整をノートへと記載をしながら、ゆったりと過ごしていた。
 乗員乗客数に対しトラクの食堂は手狭な為に、食事は部屋事で三回戦に分けられ一食ごとに順番がずれていく。
 朝が一巡目なら昼は二巡目。夕食は三巡目といった具合だ。 
 ちなみにルディアは朝が一巡目のグループで船内時間での午前7時から。
 普段の習慣からすれば朝食時間は一時間ほど早いが相乗りさせて貰っているので贅沢は言えない。
 それに夕食は最後の回なのでゆったりと食事が出来、その後も居座って船内バーへと変わった食堂で、ちびちびと飲むのにも都合が良い。
 夕食の三巡目のメンバーはルディアも含め毎日晩酌を楽しむ酒飲み連中で占められ、逆に一巡目と二巡目には女子供や祝い事の時だけしか飲まないタイプや下戸だという男性商人達が固まっている。
 食事順はある程度意図的なのに決められているようだ。
 年の半分近くが極寒期である北方大陸の生まれであるルディアにとって、身体を温めてくれる酒は身近な存在。
 真っ昼間から飲んだくれるような事はないが、幼い時に寝る前に飲んでいたホットワインのミルク割りや蜂蜜入りから始まり、雪国では滅多にお目にかかれない芳醇な南国果実の香り漂うリキュール系のカクテルに嵌ってみたり、薬師見習い修行中には覚醒効果を施したオリジナルの薬草酒傍らに徹夜で調合といった風に、夜の共として常に傍らにあった。
 おかげでアルコールにたいしては大分強くなり、さすがに『底の抜けたビア樽』とまで言われるドワーフ族とまではいかないが、どれだけの飲もうが滅多に悪酔いする事もなく、むしろ晩酌を欠いた時の方が寝付きが悪い程度には嗜んでいる。
 そんなルディアが夕食三巡目に回ったのはおそらく偶然ではない。
 最初に会ったラズファンの酒場で交わした世間話を覚えていたファンリア辺りの気遣いだろうとルディアは予想していた。
 飄々としているようで、些細な会話を覚えておき細かい気遣いが出来る辺りが、やり手の老商人といった所だろうか。
 しかしそんな老獪なファンリアを持ってしても全くの計算不能な存在が一人。
 それがひょんな縁からルディアが同室となったケイスと自称する謎の少女だ。
 
 
「……何か問題を起こしてないと良いんだけど」 


 整理の手を止めたルディアは軽く息を吐き額を抑える。
 知り合ってまだ数日しか経たないのだが、なぜか懐かれたルディアが主にケイスの面倒を見る事になっていた。
 元々面倒見が良いというか人が良いというか、世話焼きな性分。
 飛び入り乗船だった為、空いていた二人部屋を一人で使っていた事もある。
 元気すぎてそうは見えないが一応相手は怪我人であり、医者ほどとはいかずとも薬師としてある程度の医療知識があるので適任といえば適任。
 そして何よりケイス本人は気にもしていないようだが、ルディアにとっては命の恩人だ。
 倉庫でサンドワームの攻撃からケイスが守ってくれなかったら、ルディアは命を落としていただろう。
 その他諸々を加味してみて、ルディア本人としてケイスの面倒を見る事に異論はない。
 だが正直、もう少し自重して行動をしてほしいと思う面が多々ある。
 幾つか例を挙げてみれば、
 大怪我を負っているというのに、多少痛いが動けるから問題なしだと狭い廊下で真剣で素振りをし始める。
 危ないから止めろと注意すれば、私が斬る気もないのに他人に剣を当てるわけがないと胸を張る。
 そう言う問題じゃないと再度注意すれば不承不承とはいえ承知はするが、今度は人の少ない所でやるなら問題無いなと言って、極寒の甲板へと出て行き数時間は帰ってこない。
 昨日にいたっては喧嘩騒ぎというべきなのかどうか今ひとつ不明だが、人を床にたたきつけて気絶までさせている。
 ケイス本人曰く危険だったかららしいが、その場にいなかったルディアからすればケイスの行動の方がよほど物騒だ。
 とにかく一事が万事この調子。
 端的に言えば常識が無い。それに尽きる。
 
   
「とりあえず祈るのみね……」


 いつの間にやら筆が止まり、奇妙すぎる同部屋人のことばかりを考えていたルディアは集中が途切れた事を自覚してパタとノートを閉じた。
 薬師のレシピにはケール・レィトで現す一般的な国産単位法である神木法ではなく、より尺度が細分化された工房単位レド・ラグが使われている。
 ノートに書き写している数値のなかに一つでも違いがあれば、魔術薬の効果は制作者の意図とはまったく別の物へと変わってしまう。
 気もそぞろでやるべき仕事ではないし、現物はもう製作に入っているのだから慌ててまとめる必要もない。
椅子から立ち上がったルディアは軽く伸びをして凝り固まった身体をほぐしてから、机の上でぽこぽこと小さな泡を立て沸騰するフラスコへと目を向ける。
 机の上で調合中の薬品が今記していたレシピの触媒液で比較的に入手が容易で安価な20種類の魔術触媒を調合する事で、同価格帯で取引される触媒28種分と同様の効果を発揮する触媒液となる。
 8種類分お得となるこのレシピ。金銭効率は良いのだが、その反面繊細な分量配分と外環境に合わせた細かな調整。そして長時間の加熱冷却を必須とする。
 魔法薬の製作販売で生計を立てる店持ち薬師からは、手間と器具の占有時間を含めて考えると儲けが合わないと敬遠される類の物だ。
 今現在砂船の乗客で暇をもてあますルディアだからこそもう少し簡易化出来ないかと研究改良していたところだった。
 とある人物がそれを聞きつけ、いくらかの手間賃と材料と同程度の触媒を融通するので代わりに試作中の触媒液を譲ってほしいと頼まれていた。
 交換する触媒の現物はルディアの手持ちにはない物が多めにあり、おまけに手間賃まで出るのなら文句はない。小遣い稼ぎの仕事みたいな物だと請け負っていた。
 フラスコを固定する枠に刻んだ記入式魔法陣の記述は三分の一ほど消費。順調にいってあと2日ほどで完成。
このまま放置で問題無しと確認を終えたルディアは室内に掛かる時計へと目をやる。
 時刻は早朝6時35分を指していた。砂幕により空が閉じたこの常夜の砂漠で時計は唯一時間を感じ取れる存在だ。
 

「ちょっと早いけど食堂いこ……アレの席も確保しとくか」


 基本的に傍若無人で無軌道なケイスだが変な部分で真面目なのか食事に限らず時間には正確で食事時間や手伝いの時間に遅れた事はない。
 この時間は今日も最下層で走り込みをしていると思うが、食事時間までには上に上がってくるだろう。
 ケイスの為にお代わりがしやすいカウンター近くを陣取って置くかとルディアは部屋を後にした。












「…………もう……駄目……眠いし……疲れすぎて……今日の明け方サンドワーム……私も美味しそうに見えてきた……」


食堂の椅子にもたれ掛かるように座って、天を見つめながら虚ろな声をあげる妹セラの憔悴しきった姿に、ボイドはどうしたもんかと、朝食までの繋ぎに出して貰った昨晩のつまみの残りの炒り豆をボリボリとかみ砕きながら考える。
 先守船での先行偵察を他の探索者と交代して本船トラクに戻ってきたボイドとヴィオンが寝る前に食事をと思って来た時には、既にセラはこの状態でダウンしていた。
 脳味噌がイイ感じに茹だっているセラの疲労の原因は、先日襲撃してきたサンドワームの死骸を倉庫の一つを借りてここ数日不眠不休で解剖調査をしていた事が主な原因だ。
護衛ギルドより派遣された砂船トラクの探索者は当然セラ以外にもボイドやヴィオンを含め何人もいるのだが、セラが一人護衛から離れて報告書を作っているのには訳があった。


「生物知識を司る『黄の迷宮』の下級資格持っている探索者はこの船の中じゃお前だけなんだからしょうがねぇ。あと少しで終わるんだろ。それに親父もちゃんと報酬は出すって言ってるんだから、守銭奴なんだしそれで気力保て」
 
 
「うっさい……誰が守銭奴よ……馬鹿兄貴……この間の触媒の補填考えたらすぐに尽きるっての……それに今回のサンドワームはやばいから出来るだけ早く報告を遅れって父さんが五月蠅かったんだから……ラズファンでも調べてるんだからイイじゃない……ヴィオンも黙ってないでこの薄情者に何か言ってよ」


 ギロリとボイドを睨みつけるセラの目元にはクマが浮かび、頬はこけて血色も悪く青白い顔になっている。
 不眠不休の解剖調査とサンドワームの醜悪な見た目と死骸が放つ悪臭がその疲れを倍増させていた。今朝に到っては一周回ってサンドワームの死骸がご馳走に見えるほどに精神状態が悪化し、さすがにこのままでは不味いと食堂へと一時避難してきたようだ。

  
「俺もそっち方面の技能はまだは取ってないから、出来る事はとりあえず頑張れって声援を送るだけかね。それに見落としがないように複数で調べるのは基本だろ。お嬢の所の親父さんが身内をこき使うタイプなのは今更だから諦めろって」

 
 黄金色の液体が注がれたグラスの底からわき上がる細かな気泡が弾けて広がる芳醇な香りを楽しんでいたヴィオンは恨めしげなセラの視線に軽く肩を竦め答える。


「うぅ……父さんの馬鹿ぁ……」


 ヴィオンの言葉に力尽きたのかセラがパタンとテーブルの上に身を倒して愚痴をこぼし始めた。


 大陸一つ分の空、大地、地底にまで広がる、広大かつ複雑な永宮未完内では、多種多様のモンスターが日々進化、発生を続けている。
 驚異的な速度で変化を続けるモンスター達に対抗する為に、迷宮モンスターに関する情報や検体の収集が管理協会から探索者達へ奨励され。重要情報であれば高額な報奨金も出る。
 その観点から見れば今回のサンドワームは管理協会からの注目度は高い。ここ数ヶ月ほど連続発生していた小型砂船消失事件の犯人かも知れないモンスターの発見となれば、管理協会が色めき立つのは致し方ない。
 出現地帯が一般人も進入可能な特別区であるのに、魔力無効化能力等、複数の効果を持つ砂弾を打ち出す変種で、危険度は特別区として考えた場合トップクラス。その上に襲撃してきたサンドワームは複数。
 セラ達の船を襲った群れ以外の個体が生息する可能性も十分に考えられる。
 トラクの緊急連絡を受け管理協会ラズファン支部からは、ラズファンへと向かう他船と接触して、調査用にサンドワームの死骸を至急送るようにと指示が下された。
 そして砂船トラクの目的地でありトランド大陸中央部への玄関口。セラ達が所属する山岳都市カンナビスの協会支部からは、トラクが到着するまでの時間が惜しい。セラに調べさせておけと名指しで指名され、おまけにこれ以上の被害を押さえる目にもなるべく早く報告がほしい。寝る間もおしめという厳命つきでだ。
これは管理協会カンナビス支部長であり、クライシス兄妹の実父でもあるカリング・クライシスの依頼という名の命令だ。
 実娘だから無茶な期限設定を出来たという事もあるのだろうが、セラ一人に任せざる得なかったのにも理由はある。
   
 世界で唯一の生きた迷宮『永宮未完』は踏破する為に求められる技能によって『赤・青・黒・白・緑・黄・紫』そして全ての技能が求められる特別な『金』の八迷宮に大まかに分類され、攻略難度によってそれぞれ上級、中級、下級、初級の四段階に分けられる。
 この中で黄の迷宮を試練を超え踏破し天恵を得る為には、モンスター類を含む動植物に対する高い観察力と造詣を必要とした。

 世界中のありとあらゆる花が咲き乱れる花畑迷宮の中より、新種を探し出して祭壇へと捧げよ。

 弱点以外を攻撃すれば全身が爆ぜるモンスター(しかも個体事に弱点が異なる)を、原形を残したまま百匹討伐せよ。

 黄の迷宮では試練としてはこのような課題が与えられ、見事試練を突破した者達に天恵が授けられる。
 探索者となった者はまず初級踏破から始まり、天恵を積み重ねていくうちにより上位の迷宮へと踏みいる資格を得る。そして一種でも下級迷宮への侵入が可能になれば下級探索者と呼ばれる。
 この黄の下級探索者クラスからが、協会に正式なモンスター報告書として受理され報酬が出る最低限度の資格となっており、資格外の掛けだし探索者達からの場合は協力費と言う名目での雀の涙ほどの報酬しか出ない規則となっている。
 これにはちゃんとした理由がある。
 黄の下級探索者クラスになれば、迷宮踏破のために必要な知識技術をちゃんと身につけているため、報告書もただどこそこに現れたという簡易な物でなく、どの種族のどの分類に属し所持する能力やその身体能力などの精度の高い情報で報告が上がってくる。
 万年人手不足な協会側としてはそのまま本部や他の支部にも回せる情報はありがたいというわけだ。
 資格外の掛けだし探索者や、手間の掛かる解剖調査の時間を惜しむ探索者等は、調査と協会への報告を肩代わりして報酬を得るモンスター鑑定屋(現役を引退した探索者達が主)に依頼するのが主となっている。
 今食堂にいる三人は全員が下級探索者だ。
 ボイドの場合は近接の赤と、地形と建築の白。
 ヴィオンは遠距離の青と魔術の黒。
 セラは魔術の黒と生体知識の黄が、それぞれ下級へと到達している。
 そしてセラだけがトラクにいる探索者のうちで唯一黄の下級資格へと到達しており、調査に十分な知識と技術を身につけていた。
 もっとも黄の迷宮は、セラが自ら望んで率先して踏破してきたわけではない。
 

「だから嫌だったのよ。黄の迷宮をあたしが先行して取るのは……覚える事たくさんだし、血なまぐさい解体なんかもあたしがやる羽目になるし……とっとと踏破して兄貴かヴィオンがやりなさいよ」


 ジャンケンで負けて先行して取る事になったとは言え、もうこれ以上のトラウマはたくさんだとセラが涙混じりのジト目を浮かべて二人を睨むが、疲れ切っているのかその目尻に力はない。


「しょうがねぇな。判った判った。次辺りからの攻略シフトを変更してやるよ。ヴィオン。悪いが次のお前のメイン攻略の時は黄で頼めるか? 俺の方はまだ1回しか黄の初級迷宮踏破してないから時間かかりそうなんだわ」


 疲れ切ったセラの姿にさすがにボイドも同情を覚えたのか横で弱い発泡酒を煽っているヴィオンへと視線を送ると、ヴィオンは空になったグラスを軽く上げる。


「おうよ。お嬢のためだしょうがねぇ。次辺りで下級に上がりそうな緑にするつもりだったけど、黄の方も後二、三回、メインで攻略すればたぶん下級資格に入るだろから良いぜ」


「悪いな。街に戻ったら奢るから今日は此奴で我慢してくれ……ん? ほれもう誰か来たみたいだ。しゃっきとしろセラ。護衛がそんな醜態さらしてちゃ面目たたねえぞ」


テーブルの上のボトルを手に取ったボイドは快諾を返したヴィオンのグラスへと新しい酒を注ぎながら礼を述べた時、その背後で食堂の扉が開く軋む音が響いた。
 兄の注意にのろのろと身を起こしたセラが入り口の方へ視線をやると、女性としては並外れた長身で燃えるように赤い髪が目立つ女性薬師。ルディアが丁度扉をくぐってきた所だった。











 自分が一番乗りかと思っていたルディアだったが、カウンター近く奥の席に陣取り背中を見せる男二人に気づく。
 背中から生える特徴的なコウモリのような翼でうち一人がヴィオンだと判る、となるともう一人はボイドだろう。
  

「おはようございます。お二人とも戻られたんですね。お疲れ様でした」


 ボイドとヴィオンの二人が昨夜は夜番で先行偵察に出ていると、昨夜の酒を飲み交わしながら他の護衛探索者達から聞いていたが、どうやら戻ってきたばかりのようで二人とも武器は持っていないが鎧姿のままだ。


「おはようさん」


「おう。ついさっきな。ルディアらは一陣だったな。どうだ空いているが相席。ケイスもすぐ来るんだろ? ここならすぐに代わり取りに行けるぜ」


 振りかえたヴィオンがグラスを上げて挨拶を返しボイドが手招きをする。
 ここ数日で船の乗員乗客が余すことなく知るほどにケイスの大食いは知れ渡っている。
 もっとも行動が突飛、異常、そして怪我人の癖に常にそこらをちょろちょろ動き回っているのでケイス自体が目立つといった方が正しいのかも知れないが。


「ありがとうございます。あの子はまだですけど。っとセラさんもお早うご……なんか窶れてません?」 
 

軽く会釈をしてにこやかに挨拶をして彼等に近付いたルディアは、ボイドの影に隠れて見えていなかったセラの姿に気づき挨拶をしようとして、その疲れた顔を見て目を丸くする。


「おはよ~……大丈夫大丈夫。ここの所、サンドワームの解剖調査が忙しくてあんまり寝て無いだけだから」


 右手をひらひらと左右に振りながらセラが答えてみせるが、その身体は今にもぱたりと倒れそうにフラフラしており、どう見ても大丈夫そうには見えない。
 目の下の濃いクマや血色の悪い青白い顔が合わさってまるで病人のようだ。
 セラがここの所サンドワームの解剖調査とやらに掛かりきりと聞いてはいたが、ここまで憔悴しているとはルディアは思っていなかった。
 ぼろぼろなセラの姿にどうにも世話焼きなルディアの性分がざわめく。
 
 
「あんまりって……速効性の栄養剤かなんか作りましょうか? ちょっと味の保証が出来なくて刺激が強いですけど」


 味は二の次、三の次なのでしばらく口の中に苦みと辛みが残るが、効果”だけ”は抜群な栄養剤を進めてみるが、セラは意識が朦朧としていて考えが纏まらないのかしばらく虚空を見つめてから、力なく首を横に振る。 


「あ~……今日はいいや。あとちょっとで終わるからその後頂戴。強い薬って使うとあたし魔術の制御が甘くなるんだよね。協会に報告する資料だからミスできなくて。ともかくありがと。どこぞの兄と幼なじみみたいな男共より、やっぱり同性の年下女の子の方が優しいわ……街に戻ったらそっち方面で新パーティでも探すかな」


 ぼそっと愚痴と溜息をはき出したセラが生あくびをしながらボイド達を剣呑な目で睨んでいる。
 確かにセラよりルディアのほうが二つほど年下だが、今更女の子って年でもないし、この背の高さでは柄でもないと自覚するルディアはどうにも返答に困り愛想笑いを浮かべるしかない。 
 

「黄の迷宮優先するって言っただろ。お嬢のためお嬢のため」


「わーったわーった。ったくしょうがねぇな。ちゃんと完成してから言うつもりだったんだけどな。ルディア例のアレあとどのくらい掛かる?」


そして睨まれている二人といえば、別段慌てるでもなくヴィオンは肩を竦め、ボイドは手の中で弄んでいた豆を一粒ひょいと投げて口の中に放り込んでからルディアへと目くばせする。
 ルディアはすぐに何の事か判ったのだが、まったくの初耳だったのかセラが不審げな顔を浮かべる。


「なによ兄貴あれって?」 


「まぁアレだ。愚かながら可愛い妹への兄なりの気遣いってやつだ」


「だれが愚かよこの脳筋! って……ぁぅ……フラフラする」


 妹をからかうのを楽しんでいるのかまともに答える気のないボイドの態度に、セラが一瞬激高して立ち上がったが、体力がない所で大声を上げたのが堪え貧血でも起こしたのかか、そのままドッスと椅子に逆戻りした。
 テーブルにべったと力なくもたれ掛かるセラだが悔しそうにボイドを睨みつけ、体力さえあれば絶対ただじゃ置かないと呪詛の言葉を漏らしている。


「えと、実はボイドさんからセラさん用に魔術触媒液を依頼されてます。依頼と言ってもじつはこちら試作品みたいな物で、無料で」


「タダ!?」


 このまま兄妹喧嘩でもされたらかなわないとルディアは事情説明を始めたのだが、無料と聞いた瞬間、どこに力が残っていたのかセラが椅子から跳びはねルディアの手を強く掴んだ。
 セラは魔術師だがそれでも探索者。同年代の一般人女性よりも遙かに強い力がありルディアの手がミシミシと嫌な音を立てて、あまりの痛みに思わず上がりそうになる悲鳴を堪える羽目になった。


「まぁタダつっても実費の原料とルディアに払う手間賃は掛かるんだが、俺とボイドで折半してるんで、お嬢の負担は無しって事だ」


「感謝しろよ守銭奴妹。しかも二十八種分の触媒と同効果だと。これでこの間の戦闘で使った分の補填になるだろ」


 握りつぶされるかと思うほどの力で手を握られ説明の途中で止まってしまったルディアに代わりヴィオンが続きを伝え、ボイドが現金な妹を見て呆れ顔を浮かべている。


「ほんと兄貴とヴィオン感謝! これで解剖調査のやる気がわいてきたぁ! ルディアもありがとう! 杖とかと違って触媒液って高いのに消耗品だからかうの躊躇してたから嬉しい!」


 一気にテンションが跳ね上がったセラが喜びの声をあげながらボイド達に礼を述べつつさらに力を強めルディアの手を握ったまま上下に振る。
 ひょっとしたら本人的にはお礼の意味を込めた握手のつもりかも知れないが、ただでさえ痛いルディアにはたまったものではない。


「あ、あのセラさん……手……手が痛いんで離してもらえると嬉しいんですけど」


 冷や汗を浮かべ僅かに苦悶の表情を浮かべ痛みを堪えて震える声をあげるルディアの様子にようやく気づいたセラが慌てて力を緩める。


「わぁっ! ごめん! ちょっと興奮しすぎた…………って……あぅ……駄目だ気力戻ったけど……やっぱ力入らない」


しかし我に返った事で肉体疲労も限界に近かった事を再自覚したのか、ルディアの腕を掴んだままルディアの方へと倒れ込んできた。
 ルディアは何とかセラを支えようとしたが、いくら男と比べて軽いと言っても大人の女性一人分はそれなりの重さがある。しかも今はセラは目を回したうえに身体に力がほとんど入っていない状態。一抱えもある石が腕の中に出現したのとそうは変わらない。
倒れかかってきたセラの勢いを受け止めきれずに、ルディアもバランスを崩すことになる。


「だぁあっ! この愚妹はなにやってんだ?!」


 もつれて倒れそうになる二人を見てボイドが慌てて手を伸ばしてセラのローブの端を掴もうとしたが一瞬遅く、その手は空を切る。


「ち、ちょっと!? 無理ですって!?」


 ルディアはなんとか立て直そうとするが堪えきれずセラ諸共後ろへと倒れそうになったと所で、そのルディアの背に何かが触れたかと思うと、ルディアとセラの二人分の重さをがっしりと受け止め、それどころかそのまま押し戻してしまった。
 バランスを取り戻したルディアは、目を回しているセラの身体を倒れないように腕を差し入れて支え直した。


「ふぅ? ふぁいりょうぶかふでぃ?」


 ルディア達を押し戻した人物の声がほっと一息ついたルディアの背後から響いてくる。
 まだ幼さを残す声の感じからケイスと見て間違いないだろうが、なぜかその声はくぐもって聞こえてきた。
 そのケイスの姿が見えるはずのボイドとヴィオンはなぜかあっけにとられた顔を浮かべて呆然と固まっている。
 その表情を一言で言い表すなら『理解不能なモノ』を見た時に浮かべる顔だろうか。
 非常に嫌な予感を覚えつつも、またもケイスに助けて貰った礼を言うべきだろうとルディアは振り返り、ケイスの姿を見て…………もっと正確に言えば、ケイスが口にくわえるモノを見てしばし言葉を無くす。
 ケイスが口にくわえるモノ。
 それはどう見ても武器商人マークスの息子であるラクトだった。
 ラクトは意識を失っているのか四肢がだらんと垂れており、ケイスはそのラクトが腰にまく皮ベルトの背中側の方をガッチリと口にくわえてぶら下げていた。
 少年一人分を口にくわえても微動だにしないケイスのその姿は、狩りから帰ってきた肉食獣のようにも見える。
 

「…………あんた一体何があったの?」 


 礼を言うべきかという先ほどまでの思いは頭の中からすっかりと消え去ったルディアは頭痛を覚えながらもケイスに問いかけると、ケイスは左手でラクトのベルトを掴みなおして口を開いてベルトから歯を外した。


「ん。ちゃんと説明すると長いから端的に言うと、決闘を仕掛けられたのだが遊びなので拒否した。だがそれでも突っかかってきたので回避していたのだが、回避する私に業を煮やしたのか闘気を使い出した。ただ使い方が拙く危なかったので、此奴の心臓を一時的に止めて運んできた所だ。ルディすまないが見てやってくれ」


「……心臓を止めたってあんた……殺したって事?」


 聞くのが恐ろしいと思いつつルディアが確認するとケイスは心外と言わんばかりに眉を顰め不機嫌を露わにする。
 
 
「むぅ。失礼な事を言うな。一時的だと言っただろ。子グマの闘気の使い方が拙く基礎生命力すらも削りだしていたので、一度解除するために心打ちで一時的に仮死状態に持っていっただけだ。ただ生命力が落ちているから速効性のある回復薬を投与してやってくれ」 


 事情はなんとなく分かったが、そこでなぜ心臓を止めるという選択肢にいたり、実際に実行可能なのかがよくわからない。
 ケイスの説明を僅かに吟味してからルディアはすぐに一つの結論へと辿り着く。ケイスが何を思ってこうなったのかとか、何でできるのかはもう理解しようとするのは止めよう。とりあえず判る事からやっていこう。


「あぁ。うん…………とりあえずそこの椅子座らせてあげて。ボイドさん。すみませんけど厨房から飲み水を貰ってきてください。ヴィオンさんはセラさんの方をお願いします」


 人間理解の範疇を超えた事態に遭遇するとパニックになるものだが、ある程度慣れてくると逆に冷静になるものなんだと思いつつ、ルディアは溜息混じりに指示を出していた。 


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