日本戦に向け調整する北朝鮮の鄭大世=埼玉スタジアムで
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2日夜、サッカーのワールドカップ(W杯)ブラジル大会アジア3次予選、日本−北朝鮮(埼玉スタジアム)にひときわ強い縁を感じる北朝鮮選手がいる。名古屋市で在日朝鮮人として育った鄭大世(チョンテセ)(27)=ボーフム。2010年の南アフリカ大会で祖国を44年ぶりのW杯出場に導いたエースの原点は、6年前に同じ会場のスタンドから見た光景だった。 (原田遼)
冒頭15分のみ公開された1日の公式練習では、日本の報道陣のカメラに一番近い場所で準備運動をした。興奮を抑えきれない。「スタンドにしかいられなかった僕が日本代表とあこがれの埼スタのピッチに立てる。運命を感じる」
05年2月、ドイツW杯アジア最終予選で北朝鮮は埼玉スタジアムで日本と対戦。スタンドで応援していた当時朝鮮大学校の鄭大世は、育った国を敵に戦う在日の2選手に自らを重ね合わせた。圧倒的不利の予想の中、ロスタイムに大黒将志(横浜M、当時G大阪)に決勝点を奪われるまで、1−1と互角の勝負を展開。「夢を見た。自分は北朝鮮代表になるんだと確信を持てた。分岐点となった」
日本語を話し、テレビや音楽など日本の文化の中で育った。帰属意識に悩みながら、祖国を感じられる少ない機会がサッカーの代表戦だった。
大学校卒業後、J1川崎で活躍。周囲で日本国籍取得を望む声が高まったが、アジアで強国とはいえない北朝鮮代表を迷わず選択した。南アフリカW杯出場で、その選択の正しさを証明した。
W杯後に移籍したドイツでは香川ら日本代表選手と頻繁に食事を共にするが、勝負は別。「6年前は『大黒さま』が流行ったけど、今度は『鄭大世さま』と言わせますよ」と笑って宣言した。
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